8.11かけこみ亭での「共謀」コンサートのチラシ2017年07月01日 16時21分23秒

★とりあえずチラシこしらえました。

いいなあ、ダークヒーロー籠池「百万円」氏。2017年07月02日 00時02分41秒

★安倍晋三いよいよ窮地

 森友学園疑惑はうやむやにして「共謀罪」を委員会も通さず会期内に無理やり強行採決、成立させたときは、まさかこんな事態が待ち構えているとは晋三も安倍内閣の中枢にいる奴らは予想だにしなかっただろう。
 ネットのニュースサイトやテレビの報道番組が伝えるところだと、今回の都議選で初めて一般大衆の前で街頭演説のマイクを握った安倍首相に、群衆から激しい野次とブーイングが起き、秋葉原は安倍内閣に抗議する群衆と支持する聴衆とで大変な騒動となったらしい。
 よく海外ニュースでは相反する主義や思想の集団がぶつかり騒乱状態となっている映像が流れるがこの国、日本では珍しい。それだけ安倍政権の暴走政治、めちゃくちゃなやりたい放題の政治手法に憤っている人たちが多い証なのだろう。

 このところ隠し続ける加計疑惑、またまたトンデモ失言の稲田防衛大臣を罷免せず擁護し続け支持率が下がってきて、都議選も苦戦が伝えられる中、不人気の首相が都議候補の応援にかけつけても逆効果だとされ、自らの体調不良もあって「自粛」していた安倍晋三、せめて最終日だけはと自民党の聖地秋葉原に来たら待ち構えていた怒りの群衆の罵声に直面したのである。
 しかもそこに、あの森友学園の籠池氏も現れ、百万円の札束を手にしながら、安倍首相に向けて「民主主義を守れー」と叫んでいる。もうこれは漫画である。いや、現実のほうがマンガより数段面白い。百万円の札束を常に持ち歩き、安倍夫妻に隙あらば渡そうとする籠池氏は、まるで吉本新喜劇のキャラであろう。夫人も総理もうっかり気を緩めていると、彼は突然現れて、百万円を「返されて」しまうのだから。
 受け取ってしまえば、森友学園に寄付したことが「事実」となってしまう。それはまさしく「事実」なのだろうが、それだけは避けたい。認めたら大変なことになる。晋三は議員をやめなくてはならない。そう見栄を切った発言をしてしまっている。

 おそらく彼のこのところ浅い眠りの中には籠池氏がいきなり出て来て、昭恵夫人なり、彼自身にその百万円を無理やり渡そうとする。受け取ったら最後なわけで、籠池氏のあの顔が突然ヌ~と目の前に現れて、百万を突きつけながら向かってくる。晋三は思わず、ギャーっと叫び、目が覚めるのではないだろうか。これでは安眠できない。それでは体調を崩してしまう。
 それもこれも、籠池氏だけを偽証罪に問える証人喚問をして、夫人は私人だからと国会に呼ばず真相を隠し続けてしまったからだ。

 本来は、昭恵夫人と籠池氏のどちらが嘘をついているのか双方を国会に招いたうえで、真偽を問いはっきりさせれば良かったのだ。それをせずに誰が嘘つきなのかうやむやにしたから問題の百万円も籠池氏の言い分が一人歩きしてしまう。世論調査は出来ないと思うが、国民にどちらが嘘をついてると思うか、ともし問えば、おそらく首相側だと過半数が答えるかと想像する。
 彼が嘘をついて、百万円は寄付していないのが事実ならば、彼を偽証罪で告発すべきではなかったのか。それもせずに(すればさらに藪蛇となろうから)、喚問では好き勝手にしゃべらせて彼は嘘つきだと政権挙げて攻撃したとしてもそこにまったく信頼性はない。
 そして籠池氏としては、真実は一つだと、何度でもその寄付して頂いた百万円を「お返ししよう」と安倍夫妻の出向く先にはマスコミを連れてどこでもしつこく現れる。ある意味これは本当に怖い。まさに吉本新喜劇のギャグである。安倍夫妻は籠池氏に怯え逃げ惑うしかない。返されたら政治生命が絶たれる。籠池氏の動向に目が離せない。見かけたら慌てて逃げ惑う安倍夫妻。百万円を手に「お返ししまーす」と追う籠池氏。観客は思わず笑ってしまう。

 しかしこれもすべて自業自得なのである。どんな疑惑や問題発言が起きても、問題ない、関知しない、調査の必要ないと、知らぬ存ぜぬと自分たちに都合悪いことは隠蔽し、野党や国民の怒りの声は無視し、数の力に驕り悪法も何でもやりたい放題してきたからこんな事態に陥ったのだ。
 そして森友学園の小学校建設に関係する様々な疑惑も本来は盟友であったはずの籠池氏一家だけ悪人にし煮え湯を飲ませて蓋をする。安倍家が寄付したとされる百万円もうやむやにして終わらせようとして来た。
 しかし、どっこい籠池元理事長は実にシツコイ。受けた仕打ちは忘れない。蟷螂の斧よろしくたった一人でも安倍夫妻と権力側に百万円の札束を武器にして立ち向かっている。こんな人はいない。過去においてもし並ぶとしたら明治天皇に直訴した田中正造がふと思い浮かぶ。むろん正造は義人であり籠池氏はダークヒーローであるが。
 しかし、もし彼の百万円がきっかけで安倍政権と自民党政治に鉄槌が下り、政権交代とでもなれば、彼は後々も歴史に名を残し、その姿は大阪では銅像になるかと思える。むろん、百万の札束を手にした姿だろう。

 それにしても彼の最近の発言は実に正鵠を得ている。そう、安倍首相は民主主義を守れ!である。まったく同感だ。そんな立派な人がやるはずの小学校が開校されないまま消えてしまうのは実に残念だ。もし我に子があり、その「安倍晋三記念」小学校が開校されるとしたならば我は迷うことなく我が子を入れようと思うだろう。

 政治とは本来実は本当に面白く手に汗握るものであったのだった。それを笑いと共に教えてくれる籠池氏、実に素晴らしい。我は皮肉ではなく今は高く評価している。彼はまさに現代のアンチヒーローだ。たった一人で歴史を動かそうとしている。
 
 さあ、都議選の結果がどう出るか実に楽しみだ。

都議選の結果に思う2017年07月03日 00時51分35秒

★自民は歴史的大敗、しかし手放しで喜べない。

 結局都議選にしろ、都市部での選挙というのは、そのときどき吹く風で、常に結果は一方的なものになるのだと今回も改めて思った。
 予想してはいたが、自民党は過去最低の議席数に堕ちた。それは大いに喜ばしいが、小池都知事率いる都民ファーストの会とその補完勢力となった公明党も含めて都知事与党が異常なまでに増えたことが果たして都民にとって、いや、ひいては国政を占う選挙として果たして良いことなのか今は判断ができない。

 我が住む街の都議は定数1なので、予想通り民進党を離党した元市議が自民と共産の新人に大差をつけて当選を果たした。自民党の新人は落下傘候補で、まったく知名度がなく共産党ももう少し票をとれると思っていたが、まさに選挙とはそのとき吹く風に乗った者の勝ちだとつくづく思う。今回の都議選は、あたかもドミノ倒しというかオセロゲームのような都民ファースト側の一人勝ちという顛末となった。

 自民党は、選挙前から、都知事自らが代表を務める政党の議員が増えてしまうと都議会は都知事の意向にただ従うイエスマンばかりとなるとさんざんその危険性を警鐘していた。
 まあ、数の力に驕った安倍独裁政権を衆参国会でさんざん許して来た自民党に言う資格はまったくないのだが、その指摘が現実となった今、東京都、都議会はこれから小池都知事と共にどこへ進むのか我も強い不安がある。

 国政と都政はまったく別だというか考えもあろうが、今回我が住む区で「都民F」から都議会議員となった男の師匠はあの長嶋昭久なのである。野党共闘を否定し、共産党といっしょにやるのは嫌だからと先に民進党を離党した男が今回当選した都議の真のボスなのである。だから当然の如く、長嶋氏もこの元秘書を応援していたし、おそらく新都議となった今でも二人の関係は深いはずだし、小池都知事も含め彼らの間には旧来の自民党的「保守」思想が根強く残っている感じが我はする。

 その長嶋氏は、先の「共謀罪」法案には民進党は反対したのに、しっかり「賛成」票を投じているのである。小池都知事は自民党を批判し自民党とは縁を切っているわけだが、もし今も国政の場にいれば、自民党の出して来た悪法には当然すべて賛成していたことだろう。何しろ元々自民党の人なのだから。
 そうした姿勢、お考えの人が都知事となって、その巨大与党を率いて、行う「東京大改革」とはいったいどういうものなのか。それは少数野党となった自民党がやろうとしていることとどこがはっきり違うのであろうか。今回の都議選、都議会を新しくするというキャッチフレーズは聴こえてきてもその中身はよくわからないままだった。

 今回の選挙ではさんざん敵対反目し合ったが都知事とその与党「都民F」、公明党とはっきり対決する政党は、自民党だとはどうしても思えない。自民党都連の誰だかが、選挙結果を受けこれからも是々非々で都知事を支えていくとか言っていた。都議会の皆がそんなことを言って、都知事の顔色をうかがい、いつしかその配下に収まってしまうのでないか。そんな不安を強く持つ。

 自民党と共産党はまったく異なる。が、自民党と都民Fはどれほど違いがあるのだろうか。都知事と都民Fがやろうとしていることに、野党である共産党と自民党がいっしょになって反対することはまず想像できない。ならば結果として、都議会で都知事の野党としてきちんと対決する立場にあるのは、共産党だけではないのか。しかしそれではあまりに非力だろう。
 その共産党は、期待したよりも伸びなかった。現有議席を二つ上まったが、文京や中野区など持っていた議席を落として国政の怒りの受け皿として不満もつ無党派票は、都民Fに流れてしまった。

 一方、常に勝ち組と手を組み、今回は自民より小池新党側にくっついたほうが勝機があると踏んだ公明党はさすがである。まさに「ぬえ」のようにふるまい、蛭のように旨味のあるところにくっつく。そこには政党としての思想や主義は何もない。しかし、今回は落日の自民を見限ったことで、またしても完勝した。その選挙手腕には舌をまく。しかし、政党としてただそのときどき強いもの、権力を持つ者に寄り添い無節操に従い誰とでも手を組む姿勢はまさに噴飯もの、軽蔑に値する。昔話にあるように、蝙蝠はやがては誰からも相手にされなくなるだろう。

 まあ、それでも選挙は勝った者、支持されたものの勝ちであるわけで、どれだけ選挙戦では手ごたえあり、健闘しようとも当選できず議席に届かない者は、ただの人であり何の力もない。まさに結果が全てであり、今回の都議選は、国政での安倍政権の無法、非道への怒りと批判が示されて都議会自民党の一人負けと、熱狂的支持は下がりつつあると言わても、今も未だ人気が高くその怒りの受け皿として小池与党の圧勝という明白な都民の意思、審判がくだされた。
 そしてこのことは国政にも大きく必ず影響していく。今回の選挙でNHKによると、安倍政権の支持率は、支持が43%、不支持が57%と完全に逆転した。この流れは、内閣改造程度では戻せやしない。
 
 一強独裁、盤石の支持率を誇って来た安倍政権もようやく終わりの時が見えて来た。そう、元々その支持は絶対的な熱いものではなかったのだ。ただ現政権に代わり得る選択肢がなかったから、国民は彼らに任せ、仕方なく支持していただけのはなしで、今回のような代替の新たな政党、期待が持てそうな新党がそこにあれば、誰も腐り驕れる自民党なんて支持しない。
 この流れを受けて、やがて都民F、小池新党は彼ら小池チルドレンを引き連れて国政にも進出するだろう。だが、その政党は自公政権といったいどこが違うのか。そもそも政治経験のほとんどない小池チルドレンは、安倍チルドレンと政治家の資質においてどれほど違いがあるのか。
 おそらくその先にはまた、先の民主党政権のように失態と混乱、そして失望が起こり、またしても自民党に支持が戻るのではないだろうか。
 こうした手法は、小泉元総理が編み出したものだ。小池都知事はまさにその彼から学び、巧みに明白な敵をつくりそれを攻撃して常に勝利を収めていく。
 しかし、真の問題は、その「敵」も攻撃する側も実はほとんど差はなく、まさに同じ穴のムジナの争いに過ぎない。ならば公明党がそのとき時どちらにつこうが、まさに政局を読んだ正しい生存術なのである。
 
 だが、それでは政治は何も変わらない。政治は選挙で敵対することも大事だが、それ以前に、議会で議案をていねいに審議し、政策論争で敵対し議論を重ねることこそ真に大事なこと、大切なことであるはずだ。米国に見るように、議会と大統領は本来敵対しないとならない。首相や都知事のイエスマンならば議会や議員は必要ない。
 果たしてこの都議会にそれがあるか、示せるか、見守るしかない。

都民と「都民ファースト」は国民の怒りを代弁したのか2017年07月03日 09時13分16秒

★真に恐るべし、小池百合子~日本初の女性首相になる女

 一夜明けた。前回のブログは、今回の都議選の最終当選者が確定して大勢が判明してからすぐ書いた。
 結果として自民党が大敗して嬉しくないはずはない。我もだが、溜飲下げた人も多いかと思う。ようやく安倍政権に一定の鉄槌は下った。この歴史的大敗は、まさに彼らが国政でしてきたことに対して国民の怒りが都民に託された証明でもあろう。

 彼らは他に代わるべき敵なしの一強の上にあぐらをかき、自らの疑惑や不祥事は隠し目をつぶり、数の力に驕ってまさに思いのまま、やりたい放題の悪政、暴挙の限りをしつくした。
 稀代の悪法を反対する国民や野党の声を無視して次々とろくに審議もせずに可決成立させてきた。こうした強権、暴走、驕り高ぶり腐りきった強権政治に怒りの審判がついに下ったのだ。

 しかし、その自民と暴走政治の一翼を担ってきた公明党は、今回は自民を見限り、都民ファースト、(以下都民F)とくっつき、またも完勝してしまっている。彼らは都政と国政は別で、これからも国政では自民党と連立し政権を支えていくとすまして言っている。
 悪政を重ねた自民党だけが大敗し公明党は無傷という、この「民意」に首を傾げるのは我だけだろうか。
 
 国民、都民の怒りの受け皿は、本来は共産党や民進党に向かうべきはずであった。小池新党がそれを担ったのは、まさに党首、小池都知事の巧みな政治手腕ならぬ、政局把握、操作手腕があったからだと感心せざるえない。
 今回の都議選での各党代表のインタビューを見ていて、彼女の堂にいった浮かれることのない冷静沈着の対応を見て、この女、真に恐るべしと今さらながら気がつく。まさにクレバー、真にしたたかである。
 自民党の二階幹事長は、ベテラン政治家で、それなりに常識もある方だと我は思っていた。が、各種マスコミの自民批判の報道にキレて、愚かにも「落とすなら落としてみろ」などとバカなことを口走ってしまった。
 まるで子供じみていると呆れ果てた方も多いだろう。そうした政権中枢にいるベテラン政治家の迂闊かつ不用意な発言が今回の都議選に少なからず影を落としたことは間違いない。
 大勝しても浮かれることなく冷静かつ謙虚な小池都知事の対応を見て、彼女は今の自民党男性議員、二階氏や麻生太郎たちが束になってもかなわない、一枚も二枚もすべて彼らより上だと我は確信した。そもそも親の七光りを浴びて苦労せず育ち家業として政治家をついだ輩とは出自も経歴も違う。まさに役者が上なのである。
 
 考えてみれば、最後は自民党に籍を置いたとはいえ、彼女は元々政界渡り鳥と揶揄されたごとく、まさに女ながら徒手空拳、たった一人でここまで政治家として生きて都知事にまでのし上がって来た才覚の持ち主なのだ。
 親代々の地盤と後援会、ネームバリューのある二世三世議員とはまったく異なる。学歴も何か怪しいエジプトのカイロ大卒であるし、彼女ははなから常に一人で風を敏感に読み、政界を巧みに渡り歩き、そして都知事にまで成りあがり、今回その配下に巨大与党を抱えるまでになった。その処世術は伝説になろう。
 女性を蔑視する気持ちはない我でも、女だてらに、しかも孤高の身でよくここまでのし上がったと心底驚嘆する。それだけ頭も良く、人間的にも人心掌握と世論操作に長けているのであろう。

 今回も都議会自民党という「敵」をはっきりまず想定し、その敵を共に倒す仲間を募った。常識的には民進党がパートナーに思い浮かぶ。しかしクレバーな彼女は、このままでは大敗の道連れになると危惧してすり寄って来た公明党とまず選挙協定を結ぶ。さらに生活者ネットまで手を伸ばし、桃太郎よろしく彼らを引き連れ都議会自民党を倒しに行く。離党者が続出している民進と組んでいたら、これほどの勝利はありえなかった。ここでも彼女の政治的才覚が発揮された。

 迷走した五輪費用負担や豊洲移転問題などもあって小池都知事の人気にも陰りが見えて来ていた。しかし、彼女は、都議選という好機をとらえ、自民党に対する国民的批判と怒りを追い風にして自党を大勝に導いた。これで都政運営は安定し彼女の支持率もまた盛り返していく。女でここまで頭が切れる人は他に思い浮かばない。
 まさに政治的才覚に長けている。中身の見えないがわかりやすいキャッチフレーズを用い、倒すべき政敵をしたて選挙を勝ち抜く。しかも失策があろうと自民党男性議員のように慌てふためき愚かにもマスコミ攻撃など口走ることもない。今はその穴が何も見当たらない。

 この女が都知事の座で落ち着きそれで満足するとは思えない。自民党安倍一強体制がくずれていけば政界再編が起こり、そのとき日本初の女性首相に彼女はなるだろう。
 政治の世界は先のことはわからないから、迂闊なことは断言できないが、今、女性でこの国の総理大臣に一番近いのは彼女だと断じておく。一番遠いところにいるのは近く罷免されねばならぬ稲田防衛大臣だが。
 この女には男の政治家が束になってもかなわない。真に恐るべしは小池百合子なのだ。彼女がこれから何をしていくのか目が離せない。まずはほんとうに「都民第一」の政治をしてくれるのだろうか。

たった一度の選挙でも流れがすっかり変わる~希望をもって生き続けていこう2017年07月04日 23時23分15秒

★さあ、ここから反転攻勢だっ!

 今、台風が来ている。一昨日昨日と7月に入ったら夏本番の連日最高記録更新の猛暑となり、身体が慣れていないこともあったが、あまりの暑さに我はもうどうにかなりそうだった。
 冷房入れても広くモノが一杯の部屋はちっとも涼しくならないし、じっとしていても汗が噴き出るので、仕方なく日に何度も水風呂に入り体を冷やして何とか体温を下げて乗り切った。
 今日は、速度の速い台風第3号がほぼ日本列島に沿って北上して来ていて、関東地方は夕方から一時期かなり強い雨が降った。が、今は、たぶんもう千葉方面へと通り過ぎたのか、雨も小降りになってきている。代わりに北東側からの風があり、それはひんやりとしてほてった顔に心地良い。
 台風により今回の暑さもいったん和らぎ、風向きも変わった。先のことはわからないがこの暑さは今は過ぎ去った。

 そう政治の世界はついに風向きが変わった。2日投開票の都議選の結果を受けて、自民党執行部、首脳陣が集まっている映像では安倍晋三も含めて皆誰も暗く深刻な顔で俯いている。笑顔は一つも見られない。まさに、ざまあみろ、思い知ったかという気持ちになる。
 たった一度の選挙、しかも国政レベルではなく東京都議会という一地方レベルの議会選挙でもここまで自民党が大敗すれば、そこに誰もが「民意」を読み取る。その「民意」が示されたことにより、どのマスコミも報じているが、安倍政権の今後の青写真の再考、政権自体の先行きが怪しくなってきた。
 晋三が目指す、これまでの勢いでの2020年の憲法改定も果たしてどうなるか赤信号が灯った。今、彼ら政権側はいかに、都議選記録的敗北、支持率急低下という危機を乗り越え再び高い民意の支持を取り戻すかだけで頭が一杯であろう。
 変わってしまった風向き、逆風を再び彼らにとって追い風にしない限り、次の国政選挙でもまた大敗北し政権退陣の憂き目にあうかもしれないのである。さすれば、晋三が目論むすべての野望は水の泡と化す。どのようにしてイメージ回復、支持率挽回できるか、「風」を再び追い風に戻せせるか彼らは今そのことだけしか考えにない。

 つくづく思う。まさに政治の世界は一寸先は闇だと。そして昔から日本で言われていた真理のことば、「驕れる者は久しからず」だと。
 我はずっと小池百合子の新党「都民ファースト」に対して冷やかな立場をとってきた。彼女も含めてこの政党はまだ信頼に値しないと。
 その考えは今もまったく変わらないが、ただ一つ大いに評価すべき点もある。それは、この新党があったことにより、風向きが変わったのだと。それもこれも都知事の並外れた政治手腕、才覚だと高く評価する。

 数の力に驕り無法と非道の限りを尽くす安倍政権に対しての都民=国民の怒りの受け皿として、都民Fがなかったら、残念ながら今回の都議選は、またしても自公ら、現政権与党の勝利に終わっていたのではないか。
 むろん怒りの受け皿として共産党だけはもっと増えただろう。しかし、国政と同じく他の野党と選挙協力したとしてもやはり盤石の自公タッグには及ばなかったのではないか。これまでの国政選挙と同様に。
 小池都知事は、まず自ら率いる党の体制をしっかりつくったうえで、その自公のタッグを分断、都議会公明を味方につけ自民党を孤立無援にして自民党だけを追い落とす戦略を立てた。何という策士だろうかこの女。
 そして、安倍政権に怒れる国民の受け皿として、都民Fは大躍進し、自民党は記録的大敗、一人負けとなった。

 マスコミは安倍政権に対する怒りや批判が爆発したと報じているが、正しくは、彼らは愚かにも自滅しただけなのである。つまり度重なる疑惑と不祥事、失言などで皆が呆れうんざりし距離を置き始めたとき、選挙があり、そこに共産党や民進党、および従来の野党共闘ではない「新党」があった。で、自民に代わる新たな、もう一つの選択肢があったので、それに投じたのである。
 そして自民は大敗し流れが一気に変わった。今、その存在役割として「都民F」と小池都知事の英断に我は真摯に心から感謝している。残念ながら従来の野党が、しかも内部の足並みが揃わない迷える民進党を交えての野党共闘が成立しても先の都知事選のような結末にしかならない。
 風を変えるためにはこれまでとは違う新たな風が吹くしかなかった。民主党=民進党では、残念ながらもう期待も信頼も多くの人は持てないのである。彼らや共産党ではない新たな「もう一つの選択」を国民の皆が待ち望んでいた。それがあれば、多くの候補者が何の政治経験がないとしても都民は、国民はそちらを選ぶ。
 
 自民党、安倍政治には実はもう誰もがうんざり、こりごりなのである。これまで支持してきたのだって、他により良い、期待が持てる選択肢がなかったからに過ぎない。他に任せられないから自公に任せて来ただけなのだ。今、そこに、やり手の女性都知事率いる新しい政党が出来たならば、今度はそれに期待してみようと誰でも思う。それが人心であり、ごく当然だと今はっきりわかる。

 果たして彼らが、真に都民のために、国民のためにしっかり当たり前の政治をしてくれるかそれはまだわからない。政治の世界はさまざまな新党ブームがあり、政変が起き、政権すらも交代した。
 しかし、結果としてその新たな選択肢は恒久的なものにはならず、すぐさま馬脚を現し、日本新党が、旧社会党が、そして民主党がそうであったように、また老舗自民党に政権は戻るのである。
 それが正しいからだとは思わない。自民党こそ常に旧態依然、戦前回帰のどうしようもない旧い体質は老いも若きも持ち続け、財界、大企業優遇、金持のための政治を邁進、庶民は重税で苦しむことは変わりない。今はそこに、さらに軍事力を増し海外に出て戦争もできるという新たな可能性が増しただけだ。

 そんなどうしようもない党だが、この国では昔でいう庄屋や名主、町内会役員や農協、神社などと深く結び付き、いわば国民にとって、パソコンでいう「初期設定」、つまりデフォルトとなってしまっているがゆえ、パソコンの調子が悪くなってリセットするのと同様、また自民党に戻ってしまうのである。
 また、最近の若者は、そもそもスペックが格安にできているから、初期設定が自民党になっていて、他のアプリになかなか変更がきかない。だから不具合がなかろうとけっきょく皆自民党になってしまう。
 それが使いやすいとか最良だからではない。それしか設定先がみつからないからに過ぎない。

 我もマイクロソフトのOS、ウインドウズ使っていて、常にその不具合と使いにくさ、会社の側の身勝手さにうんざりしている。マックユーザーからはつねに、マックの素晴らしさ、自由さについて聞かされ、そちらへの移行、変更を誘われている。が、長年こちらを使い慣れていると、新しくパソコンを導入せねばならないときもついまたウインドウズを選んでしまう。
 今も自民党が支持され、おそらくこれからもまた回帰のときがくるとしたら理由はそうしたものに近いのであろう。昔から慣れ親しんだものとはなかなか離れられない。結局また元に戻ってしまう。それ以外、ましていきなり共産党という選択肢は今もまだいろいろハードルが高いのだろう。まあ、パソコンと政治はぜんぜん別次元のはなしであるのだけれど。

 話を戻そう。この都議選、小池都知事率いる都民ファーストが出たことで彼らは大勝し、自民党が記録的大敗した。そして一気に政治の流れ、風向きが変わった。自民党も国政レベルで今後の戦略を練り直さねばならなくなった。支持率も逆転してしまった。たった一回の選挙でだ。
 国会前の集会で知り合った友人だが、このところずっと何度選挙しても自公が大勝し、どれほど多くの人たちが国会周辺に集まりいくら抗議の声を上げようと次々と悪法が成立していく情勢に絶望し、無力さのあまり鬱的心境になっていると連絡がこの前あった。
 その人とは疎遠気味で、今この新たな情勢にどうお気持ちは変わったかわからないけれど、ある意味その心境わからなくもない。
 が、我のように栃木県谷中村出の祖父母の代からずっとずっと国家権力の前に負け続けて来た者としては、いつだって絶望なんかしなかった。仕方ないともそれが当たり前だなんて思わない。誰だって勝ちたいと強く願い行動している。
 しかし、そもそも数の力も含めてすべてが彼らの方が上なのだ。金も権力も読売やサンケイのようなマスメディアすら持っている。我ら対抗する者は何一つもっていない。この身と魂とその思いだけなのである。彼ら強大絶大な、政財界をバックにつけた国家権力に勝てるはずもないのだ。勝てると期待してはならないのである。
 だからといってそうそうに諦めて彼らに従い戦争も含め「悪事」を認め許し、加担するのは人の道に反する。道理がないことに従うわけにはいかない。それでは人間ではない。奴隷である。「内心の自由」は外に発揮してこそ真に自由になろう。

 どんな時代、どんな理由があろうとも人を殺すことは殺人で犯罪であろう。しかし戦争ではそれは犯罪にはならない。敵国人を一人でも多く殺した者は英雄となる。そんなバカな話はないし、(戦時とは)それが仕方ない時代だったとされる。ならば、そんなバカな時代に絶対に戻してはならないはずだ。
 沖縄にまた新たに戦争のための軍事基地は作らせない。戦争を繰り返してはならない。そういう当たり前の思いで、今も非力ながら我の知る仲間たちはゲート前で座り込みを続けている。小さなカヤックで海に出て埋立てに抗議している。それはまったく非力であり、国家挙げての基地建設推進の前には何も阻止できない。
 しかし、権力の横暴に対しその、常に抗議する人たち、抗う者がいるということこそが、歴史を長い目でみたときに大事なのである。

 原発事故もだが、全ては起きてからでは遅いのは言うまでもない。それが時代の流れだとしても、常に抗う者、反対の声を上げる者がいたかいないか、それが重要なことなのだ。
 何よりもいちばんいけないのは、どうせ勝てないからやってもムダだという諦観と絶望であろう。反対しても声を上げなかった者は、同意したとみなすとされるとしたら、どうであろうか。
 じっさい、選挙でも棄権は、どういう結果にも全権委任なのである。選挙に行かず、今の政治腐敗を憤るのはバカも極まりと言うしかない。

 先のことはわからない、都民Fがやがて国政に出、もしかしたら政権さえ手中に収めるかもしれない。小池首相の元、この国がもっと自由に、国民一人一人がもう少し豊かに安全安心に暮らせていければと願う。
 が、新党即崩壊の前例通り、やがて党の議員から不祥事が続いたり、あるいは先の民主党政権のように迷走し支持率は落ちまたしても自民党が支持率を戻して復活していくかもしれない。
 しかしどんなときでも期待ではなく「希望」を持とう。期待すれば、かなわないときは裏切られる。希望とは絶望の対局にあり、すぐ目の前でなく、もっと遠い先、闇夜に灯る光のようなものだ。

 このまま安倍政権が一気に崩壊していくことはありえない。彼らはまたさらに必死で政権維持のためさらなる暴挙と妄動に出てくることであろう。そしていつしかまた支持率も回復して、安倍独裁政権は、声高高、新日本国憲法を奉るかもしれない。

 先のことはわからない。追撃の手を緩めないことも大事だが、だからこそ、日々一喜一憂することなく、たとえどんな圧政下にあろうとも「驕れる者も久しからず、こんなことはいつまでも続くはずがない」と呟きながら、心に希望の火を灯し続けていこう。
 その真理の光の下に人は集い生きていく。

のみ亭やっちゃん死す。一番怖れていたことが・・・2017年07月06日 14時37分26秒

今年6月3日、鈴木翁二とやっちゃん
★死にゆく者が楽に死ねるようにと願ってきたけれど

 先ほど、さこ大介大兄からメールがあり、神戸の光玄経由で、のみ亭のやっちゃんが亡くなった連絡があったと記してあった。詳しいことはまだ何もわからない。
 
 実は我もこのところずっと彼の容態が気になっていて、果たして今月16日に、企画していた「のみ亭やっちゃんAID」もその日開催できるのか漠然と不安に思っていた。いつも彼のことを考えては憂鬱な気持ちでいた。
 彼自身は、先の鈴木翁二さんのライブの折には、もう大丈夫、俺は元気だからとしきりに繰り返していたが、彼を知る人の話では、癌で退院したものの、もう治療は放棄していて、ともかく最後まで店を続けて店で死にたいと思ってるようだ、と聞かされ、う~むと思い、では、せめて何か少しでも力になればと思って「支援」のライブを企画したのだ。
 しかしそれも彼の死でかなわないことになってしまった。

 最後に彼と電話で話したのは、先月末29日のことで、16日のライブ、ミュージシャンの入りの時間について、一時間ばかし早く店を開けてくれないかとお願いした。事前に音合わせの時間がとりたかったので。
 のみ亭はこのところ彼の体調も悪いので、開店は午後6時、閉店は午後9時という、わずか3時間だけしか開けてなく、先の鈴木翁二ライブも6時半に開始し9時にはそそくさと終わらせたので、それだけ体力も続かないことはよくわかっていた。
 一時間早目に店を開けてほしいというこちらの願いに、彼はうーんと言葉を濁して、検討してみるということで、そのときは短い電話で終わった。
 翌々日、7月1日の夜、彼からメールがあり、入りの時間、の件は「オイラが一時間早く来て、店を開けて、いったん部屋に戻り横になってライブの時間に来る。だから5時には必ず店の前に来ていてほしい、待たされるのは辛いから」とあり、そのやや剣呑な文面口調からも体調はさらに良くない様子がうかがえた。

 すぐに返信しようと思ったが、まずは直接電話で話そうと考え、以後何度かのみ亭にかけたけれど繋がらず、7月2日にかけたら、ようやく女性が出て、今ライブ中だということで、アコギの音は聴こえたが、どうやらやっちゃんはそこにいないようであった。慌てて名前だけ伝えてまた連絡するとして電話を切った。
 今思えば、その時点で体調急変し入院していたのであろうか。

 それ以後何度も店にかけたが、ベルは鳴っても繋がらず、我の不安は高まっていた。で、仕方なくメールで、入りの時間の件、お手数かけて申し訳ない、万事了解ですと送った。果たして彼はそれを読めたのか。で、今日まで彼からの返信を待ち続けていたのだが・・・

 企画していた「のみ亭AID」は結局間に合わなかった。この一回目が終わったら、次はまた8月にやろうと、我は次の出演者を想定してどう交渉すべきかあれこれ考えていたのだが・・・
 
 癌を患っていても意外に元気で、癌と共にだらだら長く生き続ける人もいる。やっちゃんもこみ上げてくる咳に苦しがりながら短時間でも店に出続けていた。だから存外まだまだ大丈夫と思えたし、ならばこそ治りはしなくとも彼のために、店の運営のために何か力になりたかった。そのためには経済的に支援するチャリティライブしかないと考えた。 
 しかし今は、逆に彼をそのことであれこれ悩まし苦しめてしまったのではないかと気になっている。彼はただ静かに店で死にたかっただけだったのかもしれない。
 また我は出すぎた、さしでがましいことをしてしまったかと自問している。まだ哀しみの実感は何もわかない。考えてみれば、我は彼とは個人的には何も関係がなかったのだ。彼の家の場所も家庭についても何一つ知らない。プライベートな付き合いはほとんどなかった。

 ただ西荻のみ亭のマスターとして、若い時から知り、一人の客としてこの10年特に足しげく通い続けた。去年は我も母の介護に時間とられ疎遠となってしまったが、気さくなライブの場としてのみ亭は常にそこにあって、行けば彼もまた歓待してくれた。そして我の関わるライブのわがままも心よく聞いてくれた。

 そして今年、6月の頭、ようやくほぼ一年ぶりに顔出したらげっそり痩せていて驚かされた。入院したことは知ってはいたが、癌だとか詳しいことは何も知らなかったのだ。
 お世話になった彼のために何かできることがあればと思っていた。が、すべてが遅く間に合わなかったのだ。ただ今は悔恨の思いだけが沸き上がる。彼は楽に死ねただろうか。
 
 葬儀など詳しいことがわかったら、お知らせしたい。
 
 何てこった。あんな良い人が死ぬなんて。こんなに早く、しかも我と同い年だったと思う。今は哀しみより憤るような気持ちでいる。


★これをここで記してよいものか迷うけれども 
 西荻のみ亭マスター 「やっちゃん」高杉康史さんの葬儀

家族葬のため保棺の面会のみです。
日時は、
【今日6日】16時~19時
【明日7日~9日 】8時半~10時/16時~19時
場所は、
【町屋斎場 】東京都荒川区町屋1-23-4 〓 TEL 03-3892-0311

のみ亭やっちゃんの葬儀の日程が変更になりました。2017年07月07日 22時07分10秒

のみ亭の前には彼を悼む花束が・・・※7日夜
★お通夜は、10日(月)6時~告別式は11日(火)10時~

 今、町屋斎場~西荻から帰って来た。

 今日夕方、町屋の斎場の、霊安室にあたる保管所でやっちゃんの遺体と対面してきた。つい先日まで生きてやり取りしていた人が、棺に収まり生前そのままの姿で、いや、我が知る最後にあったときよりはるかに安らかな微笑むようなお顔で、静かに遺体となってしまった姿に、ああっと叫ぶ以外もう言葉もなかった。

 中川五郎氏が、高田渡の遺体に会い、作ったうたに、その姿は「ギリシアの哲学者のよう」というという一節があったと思うが、まさに彼もまた痩せた頬と尖がった鼻に、髭を残し、知的かつ孤高の存在としてそこに眠っていた。何というハンサムな男かと昔から羨ましく思っていたが、死んでも彼はまさにナイスガイであった。
 そこには苦渋の面影はまったくなく、まるで今にも起きそうに、ただ深く眠っているだけであった。娘さんたちの話では、亡くなってからすっかりこんなやすらかな表情に変わったのだとのこと。
 ようやく彼も今はあの苦しみから脱して天国へと旅立ったのかと今、少しだけ我もまた救われた気がしている。しかし、とてもとても大事な人があまりにも早く突然逝ってしまったという衝撃と嘆きは日増しに強くなってきている。

 そう、お知らせだけ書かねばならない。

 当初、先に拙ブログで告知したように、ご家族の意向として、葬儀は家族葬として内々だけでとお考えであったが、あまりにその訃報の反響が多かったからだろうか、急遽変更して、一般の方も参列できるようお通夜と告別式を催すことになったとのこと。
 
場所は同じ町屋斎場でだが、

7月7日(金)~9日(日)、保棺の面会可、焼香なし。8時半~10時と16~19時

10日18時~19時通夜
11日10時~11時告別式

 ということで、広く多くの方々に故人とのお別れの席が設けられることになった。
 我は、お通夜か告別式にもう一度行けたらと考えているが、父の具合もあり、今はまだ定かではない。いずれにせよ、やや遠いが、やっちゃんと最後の別れができるのは良いことだと思う。彼の魂も待っていることかと思う。

 帰り道、斎場で一緒になった女性シンガーの方と彼の思い出を語り合いながら帰って来て、我は西荻で降りて、主なき「のみ亭」に出向いた。
 当然暗く閉まったままの店のドアには、ご遺族による、やっちゃん死去と葬儀の告知の貼り紙がドアに貼ってあって、いくつも花束が店の前には並んでいて、道を通る人たちが足をとめてはその貼り紙を覗いていた。

 西荻のその地で、約35年間、彼は一人でその店をほぼ年中無休でやり続け、しかも今月4日まで店に出ていたのだという。容態が悪くなり救急車で病院へ担ぎこまれてこの7月6日の早朝に亡くなったとのこと。
 家族も含め周りは、どうかもう店には出ずにじっと安静にしていてと願ったが、彼は最後まできかず、彼の愛した店に最後の最後まで命の続く限り出続けた。
 ほんとうに立派な、最後の最後まで彼らしい妥協しない頑固な生き方を貫いたと思う。ならば彼も満足して死ねたのではないか。いまはそれだけが救いだ。

 人はなかなかこんなふうに、思い通りに孤高のワガママな生き方は貫けない。やっちゃんは外目には誰にもやさしくソフトな人だと思う人もいるかもしれないが、その内に秘めた芯の部分は真に熱く一徹な、頑固な人であった。安易な妥協はしない、ある意味とても怖い人であった。その人がいなくなり、西荻の地に花開いた、彼が築いた「のみ亭」というひとつの文化が消えていく。
 彼の死もだが、彼の死と共に消えていくのみ亭という「店」、初めて来た人でも懐かしく感じ、とことん自由かつ反体制のユニークな場所がなくなることの哀しみもまた大きい。

 そう、これもまた仕方ないことだと思うしかないのだけど、つい先日まで生きて言葉やメールをかわしていた彼が死んでしまったことは今もまだ我は受け入れられない。
 遺体に向かって叫んだけれど、やっちゃん、ほんとうにごめん、本当にありがとう、何の恩返しもできないままこんなことになって、本当にごめんなさい、どうか安らかに、もう苦しまず深く眠って下さい、という思いしか何も言葉はない。
 彼の魂に平安あれ!

やっちゃん追悼のライブ7月16日に確定しました。2017年07月08日 20時11分59秒

★のみ亭のドアに今も残る、やっちゃんが最後に記した貼り紙。これを貼り終え、彼は永遠に店を閉めた。
★のみ亭AID、改め「追悼ライブ」として予定通り7/16日に、場所はお隣の「しゃら」で。

 のみ亭主人、やっちゃんこと高杉康史さんのご遺体と昨夕、町屋斎場でお会いしてきたことは記した。
 今も棺に納められた彼の顔がありありと思い浮かぶ。旅立つ日、彼は何を思ったのだろうか。ほぼ同世代の者として、まだ60歳そこそこで死なねばならぬ無念をどう受け入れたのか。
 死に顔を見たことで、ようやく彼の「死」、もうこの世にいない「不在」を受け入れることができた。しかし哀しみはまた別である。
 知る限り彼は最後まで明るくいつも通りの、のみ亭の「やっちゃん」であった。苦しい咳が出続けてずいぶん大変そうだったが、弱音も愚痴のようなことも何一つ我々客にはこぼさなかった。

 自分が彼の立場だったらいったいどうなっていたかと考えると、その死の二日前まで、辛くしんどい身体をおして店に出続けていた彼の執念に似た強い精神力に心底驚嘆する。一徹な人だったと改めて思う。
 今はそんな人と知り合え知己を得、彼から「マスダ君の推すミュージシャンならいつでもここでOKだから」と「許し」を頂いたことが光栄に思える。
 もっともっとそこ、のみ亭で、彼が喜ぶような素晴らしいシンガーを紹介し、鈴木翁二も含めて、突発的なライブでもいつも快く受け入れてくれる彼に報いるようなことをすべきであったと悔やむ思いだけが残る。
 そう、もう取り返しがつかない。

 拙ブログを読まれている方はご存知のように、我は彼を知る親しいミュージシャンと相談し、のみ亭救援、やっちゃん支援のチャリティライブを今月の16日に企画していた。
 実は彼からは、「のみ亭AID」とか支援とかいう語句は使わないでくれとメールが届いていて、さて、では、どういう名称にすべきかと考えて、「のみ亭勝手に応援ライブ」でどうかとメールした。応援するのは勝手だろうと。
 それで問題あれば、メールくれと送ったが、以後、彼からは返信がないまま逝ってしまったのだから、たぶんそれで了としてくれたのだろう。

 いずれにせよ、彼の急逝で、予定していた「のみ亭AID」は中止、幻の企画となるはずだった。が、のみ亭の右隣に漢字は忘れたが「しゃら」という呑み屋がある。今回、そこの店のママさんのご厚意で、やっちゃんの追悼ライブとして当初の予定通りに7月16日、同出演者でそこで「追悼ライブ」ができることになった。先ほど承諾を得られた。

 開始時間など詳細はまたお知らせいたすが、出演は予定通り、やっちゃんお気に入りブルースの帝王・さこ大介&超絶ギタリスト「ファルコン」、昔なじみの館野公一、さらに飛び入りも予定している。
 狭い店だが、まったくお隣の店なので、きっとやっちゃんの魂も喜んでふらっと顔出すことだろう。

 こうした「追悼」コンサート、たぶんこれからもあちこちであるかもしれないが、まずは、長い間、さんざんお世話になった者として、マスダはこれで彼の恩にひとまず報いたい。どうかどなたでもお気軽にご参加ください。音楽で彼を弔い、その後にのみ亭とやっちゃんについて思いを語り合いましょう。
 
 歌声よ、天国の彼に届け、という思いでいる。

やっちゃん追悼ライブ2017年07月09日 23時49分51秒


亡き人を悼む思いをどうカタチにすべきか2017年07月10日 23時18分49秒

★やっちゃんのお通夜に出て思った事

 今さっき帰って来た。今日も夕方から町屋斎場に行き、6時からの吞み亭主人「やっちゃん」こと、高杉康史さんのお通夜に参列して来た。
 その後、西荻で降りて、のみ亭隣の「沙羅(しゃら)」のママさんと16日に予定している「やっちゃん追悼ライブ」について打ち合わせしてきた。
 明日もまだ葬儀は告別式、そして出棺、火葬場という手順があるわけだが、おそらく町屋斎場内でお骨になるまで万事進むとしてももうここまでで今は良いと、亡き人も許してくれるかと思う。
 正直、我ももうへとへと心底疲れ果てた。今、愚痴をこぼすが、この数日ほとんど眠っていない。このところの暑さもあるが、夜、アルコール流し込んで布団に入っても寝付かれず聖書を手にして悶々として朝を迎えて睡眠不足の重い体を起こしている。このままでは我も彼の後を追う。

 今さら悔やんでもどうしようもないし、すべてそれはそれで仕方なかったのだと思うしかない。しかし、死に行く人を不必要に苦しめてしまったのではないかという自責の念はなかなか消えやしない。
 それを言うならば、今自分がやろうとしていることだって果たしてやっちゃんはどう思うかとさえ思う。しかし、今後のためにもやはり当初の予定通りに落とし前つけるしかないのだと思う。あえて言う、死人に口なしなら、俺が死んだらあの世でとことん責めてくれと。その覚悟もできていると。

 当初の家族葬の予定を変えて、一般葬、お通夜と告別式を催すことになったのみ亭主人やっちゃんの葬儀、我はお通夜に今出向いたが、スゴイ数の人出であった。軽く百人は超していたと思う。
 でもある意味当然なのである。西荻の地で35年もの長きにわたって同じ場所で一人で店を続けて来た人が急逝したのだ。その哀しみはとても内々では収まりようがない。我は当初の告知通り、葬儀抜きでの冷暗所での遺体との体面に赴いたが、その間もひっきりなしに来客が続き、けっきょくご遺族は家族葬ではすまないレベルだと考えなおされ、一般葬儀になったわけで、それはそれで良かったと今思う。より多くの人たちが彼に会え別れを告げることができたのだから。

 我はのみ亭の昔ながらの旧い関係は詳しくないが、知る限りでもどの誰も一度は店で見た顔ばかりで、のみ亭ゆかりのミュージシャンも今日だけで、バロンから、真黒毛大槻、さらに光玄まで、そうそうたる顔ぶれが来られた。
 我は早めに焼香を済ませ、斎場二階の高杉家の控室で、あろうことかホビット村関係、それもぷらさーど書店のキコリ氏らと同席することになり、出身大学の先輩と今さらながらここで顔合わす因縁の不思議さ、神の計らいを深く思うしかなかった。まったく神は何故かこんないたずらを、嫌がらせ的?に、あえてするのである。しみじみやっちゃんの葬儀だけで我は良いと思うはずなのに。何でこんな計らいを?

 さておき、今日の葬儀場でもご遺族に対しても16日に、お隣の店で「追悼ライブ」をやることをお知らせしそのチラシを顔見知りの方々には渡しもした。
 のみ亭と同規模かそれより狭い店だし、追悼の場にはふさわしくないかと思うが、まず追悼イベントの先例をつけていけば、やがてまたさらなる動きに繋がるのではないか。

 これは、その、のみ亭隣のお店の方から聞いた話だが、やっちやんが死んで、その後も店は閉ざされたままだが、先週末も深夜に、若い人たちが店の前で集い、泣きながらギターを弾いて静かな声でうたっていたという。
 その話を訊いて、今日やっちゃんの亡骸に再び対面した時以上に胸が痛んだ。彼らの深い哀しみに泣きたくなった。
 のみ亭とマスター、やっちゃんの存在は、そのように誰にとってもかけがえのないとてつもない大きな存在であったのだ。

 我はとりあえず、当初のやっちゃんとの約束通り、今月7月16日に場所は変えてだが、のみ亭のすぐ並びの「しゃら」で、追悼のライブを予定通りの時間と彼お気に入りの出演者で開催する。
 店も狭いし、これで「追悼」とはいかがなものかとご批判もあるかもしれない。ならばこそ、もっと大々的に、どこかのホールなり大きなスペースを用意して、大々的な「追悼コンサート」できたらと夢想している。
 我はそのために金銭的時間的すべてを惜しまない。しかし、我が一人でそれに動くことはできない。我はよっちゃんとは最後はともかくさほど親しくもないし、彼には彼がもっと信頼し大事に思う旧友がいくらでもいる。出過ぎた行為は控えねばならない。

 我がすべきは、事務局的裏方作業であり、そうした流れが自然発生的に起きれば、その事務方仕事はいくらでも無償でやりたい。しかし、この我が音頭とって何かをしようと目論むとたいてい出る釘の喩え通り、モノゴトは失敗に終わる。ゆえに我が動くのはやっちゃんと約束した今回までだ。

 ただ思う。やっちゃんの急死で、行き場なく、主なくただ閉まっているのみ亭の前で、彼を偲び悼みながら泣くしかない者たちに、その思いの場を設けたいと思う。
 それには、斎場などでの葬儀ではなく、誰もが参加出来、亡き彼への思いを発露できる場が必要なのではないのか。そうした高田渡のときは出来た場を我はもう一度つくれたらと強く願い強く考えている。
 ただ、我だけではできない。我が勝手にいち早く動けば角がたち逆効果となろう。つまるところ気運が高まり、音頭とる者が決まれば、我はそのサポートはいくらでもする。

 そう、今だって、16日の追悼ライブは面はゆい。しかし、ご批判無用。オレはやっちゃんと約束し彼からの許しを得、彼も待ち望んでいたのだと思う。まずその約束を果たす。これが我の落とし前なのだ。追悼の仕方なのだ。

 誰もがそれぞれ同じ思いは持っている。が、思っても何もせず、あれこれ批判し文句言い足を引っ張る奴らは地獄に墜ちろである。まず自分で動け、思いあらば。それともお前の思いはその程度のものだったのか。それでは死んだ人に申しわけない。会わす顔がないだろうが。
 我はその覚悟がある。地獄に墜ちる覚悟もできている。死んだ人に今できると思うことをしよう。オレはそれをする。自ら罪なき者と任ずる者だけが俺に石を投げろ。