オウムがサブカルとして身近にあった時代・中2018年07月17日 17時40分22秒

★オウムを面白がっていた、あの頃のバカな自分

 オウム真理教幹部らが起こした事件で、首謀者の麻原彰晃こと、松本智津夫らに死刑が執行された。
 一度に7人というのは、あの大逆事件以来とのことで、我はむろん麻原らが無罪。冤罪だなどとまったく思わないが、比べた時に何かそこに昔も今も変わらない国家権力側の強い意思と思惑が感じ取られただただ嫌な感じがしている。
 我はもとより死刑廃止論に与する者であり、今日のように、自らは自殺ができないがため、死刑を求めて無差別に誰でもいいから殺人事件を起こすなどという論外の事件が起こる時世では、まさに本末転倒だと言うしかない。
 死刑はあくまでも被害者遺族のための心理的「報復」であり、死刑制度があれば犯罪は減少化、抑止できるということはまったく当たらないと考えている。
 どのような犯罪であろうとも犯罪を起こす者は、逮捕されることはまず想定しないだろうし、まして捕まったら死刑になるから、と考える者はそもそもそんな犯罪は起こさない。

 さておき、テレビや新聞の報道では、そうした死刑に値するオウム真理教の起こした数々の凶悪な事件のみが報じられ、ネット上の検索だと、麻原は、日本のテロリストとして記述されている。
 確かに国家転覆を狙って数々の凶悪かつ無差別な殺人事件を起こしたオウムであり、その代表ならば、テロリストということになるのかもしれない。が、どうにも違和感がある。彼は、やはり最後の最後まで宗教家、それも極めて歪んだ、狂った宗教家だったと我は思う。
 今の人は、今回その死刑報道から彼らのしでかした数々の凶悪事件を知って、そういう狂信的テロリスト集団がかつては存在して「浅間山荘事件」的に事件を起こしたのだと思うかもしれない。
 が、それは違う。オウムとは一時期、極めてこの日本社会に溶け込み、合法的に活動しマスメディアにもしきりに登場し、特に当時の若者たちにかなり注目されていた存在だったのである。
 そうした「前段階」「表の顔」もまたきちんと記録し書き残しておかねばならないはずだと我は思う。

 考えてみれば、オウム逮捕のきっかけとなった地下鉄サリン事件が1995年なのだから、もう四半世紀近く経つ。ならば今の若い人のみならず、30代、中年の人でさえも事件が起きた頃は子供で、その社会状況はよく覚えていないかもしれない。
 だからこそオウムの犯した特殊かつ前代未聞の凶悪犯罪が、「裏の顔」だとすれば、そこに至るまでの「表の面」の彼らのことを書いていく。
 そう、かつての一時期、オウムは間違いなく一つの社会現象と化していたのである。

 オウム真理教、という新興宗教団体の名がマスメディアを賑わすようになったのは、1980年代の終わり頃からであったか。
 まずはチベットのダライラマと並んだ麻原のツーショットの写真をよく見かけるようになった記憶がある。またすぐに宗教特有のトラブルも多多く報じられ、弁護士たちが動き出し批判記事も多く見かけるようになった。
 が、1990年の衆院選に、彼らは尊師自らも含めて大量に立候補して大きくマスコミに注目された。※結果は惨敗であったものの。
 そして彼ら特有の耳慣れない「オウム用語」がメディアに多数登場して来る。選挙に出てきた幹部一人一人の奇妙なホーリーネームもだが、ガネーシャからイニシエ―ション、マハーヤーナ、ニルバーナ、ハルマゲドン、サティアン、そしてボアする、まで、その多くが「流行語」となっていった。

 テレビをつければ、広報担当の上祐氏のみならず幹部連、青山弁護士もよく出てきたし、書店に行けばオウムが出した関連書籍のコーナーがあり月刊誌も出ていて平積みになっていた。彼らは自前の出版社があり大量の出版物を出していたのである。
 今では皆が口を閉ざしてしまったが、名のある宗教学者や文化人が彼らを支持し擁護する発言も多くしていた。
 秋葉原に行けば、オウム信者たちが自ら作り販売していた格安のパソコンショップ「マハーポーシャ」があったし、全国各地に道場、さらにロシアやN・Yなど海外にも支部があった。ラジオ放送局さえ持っていたと記憶する。
 ※また、尊師自らがつくったとされる「うた」や彼を讃えるオウムソングも選挙戦の頃は頻繁にメディアに流れていたから今でも口づさめる人も多いはずだ。そうそう、ロシアにはオウムの楽団もあった。
 本好きとして、我もそうしたオウムの出していた月刊誌、名前は失念したが何冊か買い求め、今もどこかにあるはずだが、なかなか面白く読みごたえがあった。

 そうしたオウムに対して我は、シンパシーは感じなかったが、胡散臭く思いつつも面白く興味持って眺めていたことは間違いない。
 いや、世間一般の反応は、彼らはかなりヘンだが、何か面白そうだと、当初は嫌悪感や恐怖感よりも好奇心のほうが勝っていたと思える。
 特に若者たちにとっては、間違いなく興味引かれる面白そうなサブカルの一つだったのではないか。
 ウチの近所の家の次男にあたる青年もその頃、オウムに魅かれて、家族に「遺産分け」を求めて、ひと騒動起こした末、「出家」して教団に入ってしまったことを思い出す。「勘当」された扱いになってしまったはずだが、彼は今どうしているのだろうか。

 早くから教団を批判し敵対していた坂本弁護士失踪事件は、1989年に起きてはいたのだけど、部屋にオウムのバッチが落ちていたことから、オウムの犯行ではないかと当初から疑われつつもそれ以上追及されることはなかったのである。
 けっきょく、オウムの幹部全員が逮捕され、一連の事件の真相が判明して、坂本弁護士事件もまたオウムの犯行と確定したわけだが、ミステリー小説やドラマでは有り得ない、一番最初から怪しいやつらがやっぱり犯人だったという陳腐な「結末」に呆れ果て言葉を失った。

 当時のことを思うとき、オウムは、小型でも創価学会に倣ったのか出版から芸能音楽まで、実にあらゆるメディア操作、宣伝工作に長けていたと感心してしまう。どこにそれだけの資金と多くの人材があったのか今でも不思議でならない。
 そしてこうも思う。我も含めて、マスコミも当時の世相も、多くの人たちは、オウムの、そして麻原の裏側の顔に気づかずに、ヘンだと思いつつ許容してしまっていたのだと。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://masdart.asablo.jp/blog/2018/07/17/8920011/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。