新しい月を、新たな思いで迎えられた。2018年10月01日 07時13分21秒

★さあ、もういっぺん、「当たり前のこと」をやっていこう

 9月の末日の、長い一日が終わった。強い台風直撃の昨晩は窓の外、家自体を揺らすほどの強い雨風の音に不安な思いで眠ったが、良い意味で気が昂ぶりなかなか眠りに入れなかった。
 沖縄県知事選の結果を受けて、喜びのあまり眠ることでその日が終わるのが惜しいとすら思ったからだ。こんな気分の日は一年に一度あるかないかだ。
 実は状況は何も変わっていない。ただ当たり前のことが起こり、当たり前の民意が示され、また元に戻っただけのはなしだ。しかし今はその「当たり前のこと」じたいそれすらが難しいし当たり前の「道理」が通らない時代なのだからそれだけで有難く嬉しい。

 今日から10月。日本の暦では、今月を神無月と書くけれども、神が無いどころか、今神は在る、と心から信じられる。
 強い雨風は3時頃には収まったようで、陽射しの3ある静かな明るい朝を迎えた。まさに台風一過である。
 朝起きた時から豊田勇造が頭の中で「さあ、もういっぺん」と唄っている。そう、我も「当たり前のこと」を、さあ、もういっぺんやっていこう。すべてはここから、この場所からなのだから。

ながいよう、青梅初登場!!2018年10月02日 13時03分34秒

かけこみ亭でのライブ前日ですが、こらちも楽しみだ
★東京都最西端のライブハウスにて。

 さて、かけこみ亭での10/13日(土)開催の、沖縄からながいよう氏を迎えての「共謀」コンサートをお知らせしたが、実はその前日金曜の夜は、青梅市河辺のユニークなライブスペース「W・saloon」(だぶる・さるーん)にて、地元シンガーと共にワンマンライブがある。
 馴染みの美里店長からフライヤーが届いたので、載せておく。

・開演は、夜7時から
・料金は、¥2000+ワンドリンクオーダー
・場所は、JR青梅線河辺駅南口徒歩3分。

 ちなみにこの店は、ようさんとも旧知の関西出身のドラマー、林敏明氏、通称トンさんがオーナーで、共演もあるかも。
 ここは地元ミュージシャンが集う、たぶん現在はライブハウスとしては都内最西部に位置するかと思える。駅からも近くとても落ち着ける良い店なので、まだご存知ない方は、ぜひ足を運んで頂きたい。
 今回は、某五郎氏のときみたいに帰宅の電車がなくなるまで遅くはならないかと思う。青梅に初登場のながいよう、たっぷりしみじみと唄い語って頂けるに違いない。こらちも楽しみ必見だ。

 マス坊も何はさておき顔出す予定でおります。翌日の国立かけこみ亭も盛況としたいと願うが、ぜひこちらもまずはお近くの方、青梅線、西多摩にお住まいの方はお越しください。

京都から、古川豪東京ライブツアーのお知らせ2018年10月03日 13時26分48秒

★マス坊敬愛の、フォークソングの師がやってきます。

 マス坊にとって昔から師匠と仰ぎ深く敬愛している、京都在住のシンガー古川豪東京コンサートツアーの連絡がハガキで届いた。
 ちょうど運悪く5回目の「共謀」コンサートと重なってしまっているが、何とかどこかで上手く時間を作って一回でも顔出せたらと考えている。
 が、ともかくまずは宣伝告知のためにもそのハガキをこのブログでアップしておく。
 共演の「やぎたこ」もオールマイティに多彩な楽器を弾きこなす実力派なので、豪さんとのカップリング実に楽しみだ。必見である。
 むろんソロで、たっぷりしみじみとあの唯一無比のバンジョープレイと深くふくよかな歌声に酔いしれる機会でもある。
 ぜひぜひ足を運んで頂きたい。

種まく人と、刈り入れる人と2018年10月05日 19時58分16秒

★良い種を地に倒れても撒いていく

 今年の夏から秋は、毎週のように週末になると「大型で強い台風○○号」が日本に襲来して来て、今もまた、新たな台風が日本海を北に進んでいる。
 今回は幸い我らが地方、太平洋側はそれたようで、先週のような本州縦断、本土直撃にはならないですみそうだ。

 先に、前回の台風では、ウチの被害は大したことなかったと書いたが、近所の家系ラーメン店の屋根に大きく掲げてあった看板は吹き飛ばされ落下して大破していたし、公園や街路の樹々も幹からかなり折れて倒れていたりと、後になって風台風の被害は次々と確認できた。
 拙宅も二階屋根の雨どいの一部が外れて落下していることに最近気がついた。さて、どうやって取り付けるか。修繕屋に頼むほどのことではないが、高所過ぎて一人ではできそうにない。

 さて、今は秋、新米だけでなく果樹など秋の実りの収穫の秋である。が、今年は台風が続き雨が多く天候不順と北海道の地震などで農産物は総じて品薄で何でも高い。
 このまま台風続きで、天気が安定しないで冬が来てしまえば高値が状態化し、ただでさえ苦しい我家の財政状況はさらに圧迫され野菜や果物などもはや買えなくなるので頭が痛い。世間の皆さんはどんな生活防衛をされているのだろうか。

 聖書の中では、イエスの言葉として、「収穫のときなのに、刈り入れる人、働き手が少ない」という記述が福音書の中に度々見受けられる。どのような比喩でなにを意味しているのであろうか。
 これは、彼イエスの到来によって神の国が近づいているのに、その福音を告げる者、信仰にある者が少ない、という意味だとされている。が、それとは離れて我もまたこのところ何につけそう感じることが多い。
 聖書には、よく知られるように、一粒の麦、地に落ちて死ねば、それは無意味ではないという喩えもあるし、その種が、良い場所に落ちないかぎり芽も出ずに無駄だという戒めも記されている。

 沖縄県知事選が終わって、今さらながら翁長前知事が死して撒いた種は、新基地建設反対は「沖縄の心」として現れデニー新知事誕生へと、しっかり県民の心に根付いたのだと感動の思いでいる。
 じっさいのところ、もう基地建設はありとあらゆる手段でかなり進められてしまい、現実的にはもはや不可逆的だとさえ言われているし県側にはもはや建設阻止のための有効手段はないとも報じられている。
 それでもあれだけ多くの県民が今さらながら辺野古に米軍新基地を作ること、国や政権の進め方にはっきり反対だという意思を示したことは画期的なことだと讃嘆する。
 国家権力にはどう抗っても勝てやしないという諦めの心で、多くの県民は新基地建設が進んでいくのを胸が痛む思いで見つめていたことだろう。しかし、翁長知事が死して撒いた種が再び、戦争は絶対に嫌だという平和を願い愛する「沖縄の心」に火をつけて後継者デニー知事を誕生させたのだ。

 つまるところ、世界というものは、種を撒く人がまずいて、そこからすべてが動き始まっていくのだと気づく。
 むろんその種が芽を出すか、芽を出しても無事にすくすくと成長していくかはわからない。聖書にあるように痩せた地に落ちれば芽が出たとしてもすぐに枯れて消えてしまうだろう。
 しかし、何はともあれ、まずは誰かが、たとえ一人でも種を撒く、というアクションを起こすことからなのだ。それが成長して刈り入れる人がたくさんいればなお素晴らしいが、そのことはまた先の話であり、まずは一粒の種を撒いていく。

 我にとってそれは、安倍政権をいちにちも早く倒して、改憲という彼の野望を阻止すべく、思いを共にする素晴らしい音楽仲間たちとのコンサートの企画であろう。
 どんなことでもまずは一つ一つ。芽が出るかはともかく、地道に種を撒いて行こう。いつかやがては、中川五郎氏が常に唄っているように、大きな世界を変えるのは、一人の小さな動きから、だと信じて。

 我もまた種まく人でありたいと願うし良い種を一粒でも撒いていきたいと願う。

さあ、共謀コンサートまであと一週間2018年10月06日 23時35分56秒

★抱えきれないほどのものを抱えつつも

 颱風が招き寄せているのか、開けた窓からは南からの生暖かい風が吹き込んでくるやや蒸し暑い晩である。日中は10月にしては汗ばむ陽気であった。仕方なくクーラーをまた入れた。

 父を何とか今朝また介護施設に送り出して、ようやく時間できた。今さらながらフェイスブックやら友人知人に、来週土曜日、13日に開催の「護憲と反戦平和のための共謀コンサート」その第5回目の宣伝告知をどうにかほぼ終わらせた。
 いつも毎度のことながら取り組みは遅れ気味なのだが、今回は特に我の鬱的気分と家庭の事情もあって、日々成すべきことをどうにかこなすだけで精いっぱいでこのコンサートになかなか専念できなかった。

 正直に告白すれば、我が父と今いる犬猫たちの世話だけで手いっぱいなのである。睡眠時間も断続的で、腰痛も含めずっと体調不全が続いている。自分のことなど何一つできやしないし、たまに入って来る古本の注文をこなすことだけで手いっぱいという有様である。
 当然、なかなかブログも書けていないのはご存知の通りだ。が、ではこのまま一切外の世界と関わりを断ち、家に引きこもっていれば、父が死んだ後は、孤独死へと緩慢な自殺に至るだけであり、それだけは避けたいとまだ強く思う。
 ほんとうにいっぱいいっぱいで、そんな人間がまた責任あるコンサートの企画なんてすべきであったかと自問もするが、やはりまず自分が動かねばこうした企画は自然には動き出さないだろうし、とにもかくにも続けていくしかないのだと、自らに言い聞かせている。

 外の世界、この現実社会ともっと関わらねばと思うし、その中でこんな我でも何かできること、役割があると信じたい。でないと、生まれてきた意味がない。何も成さず無意味な消費だけしてガラクタとゴミだけ残して野垂れ死にするために生を受けたのではないと思いたい。
 世界を変えたい。いや、まずその前に自らの世界を変えたい。しかし、それは一人で家にこもっていてはかなわない。自分の幸せを願うのならば、それは自らだけでは構築できやしない。頭上を飛び交うオスプレイも含めて、この極悪非道の自民党安倍政権の政治を変えない限り働く者一人一人の当たり前の生活は戻らない。

 そのためには同じ思いで共に苦しむ人たちとの連帯あるのみだと信ずる。そうした人たちの思いを結集して政治に反映できるよう、実際行動をすべきだと考える。
 それは国会前に集い抗議の声を上げることでもあるし、フエィスブックもなども含めてソーシャルメディア、マスメディアに投稿し提起し呼びかけることかもしれない。我としては、バーチャルな関係よりも以前に、じっさいに昔ながらの「うた」や音楽で、何かアクションが起こせないかと考えている。そんなもので人は変わらないし動かされないという声もある。
 そうも思う。しかし、ディランやバエズを好きで聴いて来た人は、自民党やトランプ大統領を支持する人は少ないはずだし、音楽は人を選ぶし、人もまた音楽を選ぶはずなのである。

 フォークソングの歴史を紐解くとき、公民権運動もそうであったが、常に歌は人とひとを憎しみではなく愛と希望で結びつけてきた。そう、「連帯」である。
 おそらく、変わっていくことなんかきっとない、だろうし、君の世界なんて程遠い、のだと思う。しかし、だからこそ、そこで諦めて強大な国家権力に屈するのではなく、いつかは、その時その日こそ、自由になる日がきっと来ることを信じて生きていくしかないではないか。

 人は皆弱く、強い権力に対しルサンチマンを抱いている。しかし、それは貴花田親方のように、より強いもの、つまるところときの政権、権力側にすり寄り、参院選に出て国会議員になろうと考えることであってはならないと思える。
 相撲であれ何であれ、悪しき体質、改善すべきものがあるとしたら、さらにより強い権力に寄りそい与するのではなく、変わらずに常に弱い者の立場で、広く当たり前のことを世間に堂々と訴えていくしかない。
 それでは何も変わらないし変えられないだろう。しかし、彼がこれまでして来たように常に問題提起する、種を撒く人となり、自らもまた一粒の種としてたとえ死すとしても、きっとその思いは誰かが受け継ぎ、やがては変わる素地にもなろう。ならばその行為も無意味ではないと信ずる。

 世界は変わる。変えられる。それにはまず自らが変わることだし、そのためには外に出てその思いを、まず声を上げねばならないのだ。たとえ呟くようにでも、誰かがきっとそれを聞いてくれると信じて。
 このブログもだが、きっと誰かが読んで応えてくれると信じている。

母の命日、三回忌を過ぎて思うことなどなど・62018年10月08日 10時07分10秒

★癌発見、そして手術と抗癌剤で一度は「生還」したが・・・

 ともかく若い時から元気活発で、世話好きで始終出歩き病気らしい病気は皆無の人であった。入院したのは、あんたたち(我ら子供)を産んだときだけ、と豪語していた母が、2000年、ちょうど八十代に入る前から胃や腹痛を訴えて食事が摂れなくなり痩せて衰弱してきた。むくみも少し出てきたかと記憶する。
 近くの全国規模で展開している最新検査設備もあるT会にもかかって内視鏡検査もしたが不明のままで、あちこち手を尽くし漢方の名医がいると訊けば行って診てもらったが、一か月間薬飲んでも症状は改善しない。

 けっきょく、かかりつけの診療所系列の立川の病院で、再度の肛門から内視鏡入れて、癌が大腸にあることがようやく発見されたのは翌年早々のことではなかったか。
 そのときは、まず当人も家族も皆びっくりで、まさに「想定外」という思いだった。よりによって元気の固まりのような人が癌発症したとは、と。
 手術で、切除するしかないと診断受けて、藁にすがる思いでとうぜん応じたが、もうかなり進行していることと、身体も痩せてひどく衰弱しているので今のままでは手術に耐えられそうにないとも言われ、けっきょく入院して、口からは食べられないため、鼻の片方からチューブで栄養を胃に入れてとることとなった。
 身体中、点滴やら排尿の管で巻かれたうえ、鼻までも息も苦しいだろうにと、痩せ衰えた母の姿に我の胸は激しく痛んだ。母のことが心配で何晩浅い眠りの夜を過ごしたことか。

 しかし、そのときは、それで体力がついたらしく、やがて数時間かけて母は開腹されて、癌で癒着した部分、大腸がかなり何mも取り除かれた。見せてもらったが、手術で判明したのは、癌の原発、つまり最初に癌化した部位は、卵巣であった。そしてそこからの癌が大腸に転移して腸が癒着してイレウス、腸が圧迫されてしまい食べたものが流れなくなって痩せてしまったことが理解できた。
 手術は成功した。当初はもしかしたら人工肛門になる場合も、と告げられたいたが、単に腹を切って癌の部位と癒着して機能しなくなった大腸を取り除いただけですんだ。
 ただ担当医師からも、癌はかなり大きくちらばっていたので全部取り除くことはできなかった。また再発するだろうとはっきり告げられた。

 その手術が、あの2001年の東北大震災の直前のことで、母は立川の古い総合病院のベッドのうえで、大地震の揺れを体験した。
 慌てて見舞いに行ったときは、「あまりに揺れるのでまた高熱が出て身体が震えたのかと思った」と話していたから、手術の前も院内で二度ほど40℃前後の高熱が突発的に出たことは間違いない。
 
 それから・・・手術後の母は驚くほど早く回復して、じょじょにだが口からも食事も摂れるようになり、こちらの予想よりも早く一か月そこらで退院できてしまった。そして家に戻りリハビリ的生活を送ったが体重も戻って来て、無事「生還」したと誰もが確信できた。
 母は癌の原発が、卵巣であったことから、卵巣癌ということで、以後産婦人科医の診断を受けることなった。
 手術後の経過観察の通院で、わりとすぐに癌が再発していると告げられ、迷ったが抗癌剤治療を受けることになった。月に数日入院して強い薬を身体にいれていく。
 よくあるドラマや映画のように、その治療しているとじょじょに髪の毛が抜けて母も坊主になってしまったが、吐き気や不調など副作用は特に起きることなく、母の場合は抗癌剤が効き、半年後であったか、治療が終えたときは癌は消えてしまった。ほんとうに「完治」したと思えた。

 そしてそれから約4年。月にほぼ一度だけは経過観察に立川の病院へ、婦人科の担当女性医師の元に通院するだけで、母はまた元通りの日常生活が戻った。※担当医師は効果を疑問視していたが、こちらが望んだ丸山ワクチンを承諾してくれたので、面倒ではあったが、近くの診療所に隔日で通い持ち込んだワクチンを看護師に注射してもらっていた。幸いその病院は車での送迎サービスもあり、母は自ら手配しこらちは何も煩わされないで済んだ。
 といっても手術後は、八十代ということもあって、病気前のような元気さは戻らず、要支援ということで、認知症の父と共に近くの介護施設二か所を週に数日は日帰りで利用するようになった。社交的な母はそこではそれもまた楽しんでいたが。利用者の老人の中では母が一番元気だとよく聞かされた。
 
 とにもかくにも、癌に襲われ一度は死神に遭遇したが、幸いにしてまさに九死に一生を得た。あのまま癌がわからず何の手も打たなければ間違いなく母は八十歳で死んでいただろう。
 しかし癌は必ず再発する。つい忘れてうっかり油断していた。二度目の癌が、いや、手術直後のことを入れれば三度目の癌が、2015年の春先?頃から再活動し始めたのだった。
 そこからはもうあっという間に、まさに成すすべなく転げ落ちるように早く母は死んでしまったのだ。

10/13日、オープンマイク枠の出演者募集中!2018年10月10日 23時56分30秒

★誰にも自分だけのうたとそれぞれの思いがあるのだから

 「イデオロギーよりもアイディンティティーを」とは、翁長前県知事の県民葬で、後継のデニー新知事の弔事にあった言葉だが、まったくその通りだと思う。
 沖縄の問題というだけではなく、今を生きる我々一人一人に求められていることはこれではないか。
 人はみんな違う。それが良いか悪いかはともかく、みんなそれぞれ違っている。似ていると思えても同じ人間は一人もいないし、一卵性双子でも別人格なのは誰でも知っている。
 ならば、人の数だけ思いもあれば、我に言わせれば、その人の「うた」があるはずだ。ならば人はその思いをいかに現実にし、かなえていくか、たとえ拙くてもその「うた」を唄い続けていくかだろう。

 思いがそうであるように、唄は誰にでもあるし、誰だって歌える。それは「外」にあるものではない。気がついていない人も多いかもしれないが、誰でも胸の内、胸の奥底にはしっかりあって、常に折々鳴り響いている。
 ただその音、たとえて言えばあの名曲が示すように「胸の振り子」に、人はなかなか気づかない。それは日日ともかく忙しすぎることもある。いや、運悪く環境的にそういう機会や教育になかったこともあろう。
 しかし、断言する。誰もがそれは確実に持っている。ただ人は気づかなかったり、その「音」に改めて耳をすますことがなかっただけなのだ。

 それはつまるところ、個性、センスであり、突き詰めれば「芸術」であり、実はその人をその人として成立させている「根柢」なのである。
 イデオロギーは外からのもので、もしそれが絶対的なものだとしても後付けでしかない。そしてそれも大事ではあるが、それよりもっと絶対的な価値あるのは、その人のアイディンティティ、つまり独自性であり、それは多寡ではかれないし十把一括りできやしない。
 だからこそ、その人個人、ひとそれぞれの思いを、その人だけのうたを聴かせてほしいし、人は皆それぞれのうたを唄うべきなのだと思う。巧拙問わず。
 そして時代は今、その時期に来ている。あらゆるマイノリティの人たちも静かだが「声」を上げ出している。人は皆違っている。その「違い」を対社会的に語るときが来た。まさにカミングアウトのときだ。

 護憲とか反戦平和のため、「共謀」するコンサートを企画した。が、実はそれに異を唱える人、共謀できない人こそ、我は求め出会いたいと思う。その人の思いや「うた」が聞きたいと心から願う。
 人はみんな違う。それぞれの平和や反戦への考えや思いがあって当然だ。常に同じ思いの人たちが集まっては、安倍晋三の悪口を言うなんて全く意味がない。それでは何も始まらない。

 願わくば立場も考えも違う人たちが集まって、否定合戦ではなく、それぞれの思いを語りぶつけあい尊重し合うことこそが、「その先」を示すことに繋がると信ずる。
 イデオロギーよりももっと大事な大切なことを、我らは今語らうときが来ている。それぞれ個々独自の思いである。そしてそれこそがほんとうの「うた」なんだと、そんなうたを聞いてみたいと心から願っている。

 まだ13日のコンサート、予定したオープンマイク枠、空きがあります。歌に限らず、何か語りたいこと、訴えたいこと、告白したいこと等ある方は、お気軽にマスダ、もしくは店側に連絡ください。

 問:090-8175-8479 マスダ ※留守電のときが多いのでメッセージ残してください。折り返しお電話いたします。

これから、青梅へ2018年10月12日 16時32分10秒

☆ひづめつかさ(右)のサポートでディランⅡ時代のナンバーをたっぷりと
★ながいよう、多摩地区ツーディズ

 というわけで、沖縄県読谷村に今はお住まいの、ながいようさんを招いて、青梅のW・サルーンと、谷保のかけこみ亭での2ディズが始まった。

 帰ってから今これを記す。

 初日の青梅市河辺駅前のW・saloonでは、店長水野美里のOPの後、ようさんがソロで登場。
 新アルバムからの曲を中心に少し演ってから、休憩を挟んで、青梅界隈では知らぬ人はいない☆ひずめつかさをサポートに迎えて、二人でディランⅡ時代のナンバーをたっぷり、しみじみと唄ってくた。
 アコースティックギター二台が絶妙に醸し出す、豊かな音色とようさんのシミジミとした歌声に、思わず眼がしらが熱くなった。

 青梅という都心から遠隔の地ということもあり、客の入りが心配されたが、店側の努力でこの日は予約者で満席、フルハウスの入りとなった。
 有難いことである。ブッキングした手前、もっと宣伝に務めねばと思いつつ、体調すぐれず思うようにできなかったので、正直安堵した。

 ながいさんも前回のかけこみのときよりも声が良く伸びて出ていて、そこに達人ひずめつかさのギターが絡み、初顔合わせとはとても思えない息の合った演奏をご披露してくれた。
 これからはこの二人で、多摩地区へ来られた時は、「ディランⅢ」(ディランサード)ととして活動してもらいたいと進言した。とにもかくにも良い心温まる素晴らしい一夜となった。

 さあ、明日はいよいよ「かけこみ亭」での第五回目の「共謀」コンサート、出演者が多いぶん、しっかりお客も入ってもらわねば、ながいさんの交通費が出ない。
 青梅は答えを出した。デニー新知事誕生の余勢を受けて、かけこみ亭も盛大盛況といたしたい。

 どうかどなたでもお気軽にお越し頂きたい。早めに来て頂ければオープンマイクに時間とれると思うので、うたいたい方は開場時間前にお越しください。

さあ、共謀コンサート、本番当日が来た2018年10月13日 13時15分53秒

★流れは変わって来た。この良い流れをさらに大きく次へと繋げて

 谷保かけこみ亭での「護憲と反戦平和のための共謀コンサート」当日となった。
 先の沖縄県知事選のあと、潮目が、流れが変わって来たと報じられる今、その勢いを維持して安倍政権退陣へと追撃の歩をしっかり進めていこう。
 安倍政治を支えて来た「幻の好景気」も世界同時株安と米中冷戦で、庶民には実感のない「好景気」の化けの皮が剥がされつつある。
 さあ、今こそ、思い新たに、唄の力で最凶最悪の自公政治を終わらせていこう。

 どなたでもお気軽にお越しください。心からお待ちしております。大きな世界を変えるのは一人小さな動きからだと信じて。

共謀コンサート、第五回目無事終了2018年10月13日 23時59分22秒

フィナーレ光景
★得難き友と素晴らしいうたのおかげで危機を越えられた。

 日付は変わってしまったが、10/13日の、かけこみ亭での「護憲と反戦・平和のための共謀コンサート」は、盛況のうちに終えられた。
 正直に書くと、客の入りはもう一つで、それも全て我の不徳の致すところだと悔い恥じるしかない。出演者の方々に素晴らしい熱演に見合うしっかりしたギャランティを支払えなかったことを心から申し訳なくただ思うが、今はそれよりともかく無事にこの日を何とか終えられた喜び、安堵の気持ちのほうが大きい。まさに肩の荷がおりた。まったく身勝手を承知で、お怒りを受けるのを覚悟で書く。

 人生の危機というのは、おそらく誰にも起こる。のほほんと好き勝手、自由気ままに長年生きて来た我にもそのときが当然来た。
  母の死と、それからすぐ訪れた還暦という節目の年という、擁護者を喪い、いやでも一人で老いの年代にきちんと向き合わねばならぬ時期が重なり、人生も生活もすべてが行き詰ってしまった。
 そう、一人では何一つきちんとできなくなって全てがめちゃくちゃに混乱しどうすることもできなく収拾つかなくなった。たぶん鬱病だったのかとも思う。焦れども何もかもきちんとできず手につかず万事に放擲、ネグレクト気味であった。このままではやばい、さすがに何とかせねばと焦った。

 仕方なく対外的なことはすべて断って、家に籠り、誰とも会わず連絡も取らず、ただひたすら人生の立て直しに務めてきた。
 そんなわけで半年、どこにも出かけず誰とも会わず一切連絡もせず成果があったのか、少しでも「解決」したのかというと、実はますます頭がおかしくなって父が不在の時でも、ヤフオクとかで今すぐ必要でないものを落札するのに夢中になったり、老いた犬と幼い猫たちの世話に昼夜問わずふりまわされたりと嗤われるようなことで時間をとられてほとんど何も捗らなかった。
 ますます頭はおかしく心身不調となってきたので無理を承知で、あえてまたコンサートの企画を立てて、元に戻す、以前のようなことを再開しようと試みた。
 そしてながいようさんにコンサートのお話をもちかけたのだった。

 が、やはり鬱的気分はなかなか去らず、宣伝告知の作業にも何故か身が入らぬというか、なかなか取り掛かれず、結果として青梅は盛況となったのに、我の方は期待していたような集客はならなかった。
 出演者の方々、関わり頂いた人たちに本当に申し訳なく思う。
 しかし、この数日、コンサート当日が近づくにつれて、プレッシャーなのか夜も眠れず胃や腹が痛くて風邪気味で心身の不調が続いていたことを思うとき、ともかくも我自身がそこに出向き、何とかことを成し終えられたわけだから、身勝手ながらそのことを喜びたい。
 この二日、素晴らしいうたと懐かしき人たちとの出会いに救われた気がしている。
 今日も、ながいようさんをはじめとして出て頂いた人たち皆から深い感動を頂いた。うたは、音楽はいいなあ、有難いなあと今さらながら深く噛みしめた。
 そして客の入り以前に、こうした素晴らしいミュージシャンたちと関わり合えお招きし再びまたコンサートを企画出来たという喜びと満足を味わった。

 この半年、ギターに手を触れるどころか、音楽はほとんど聴くことなく、もう我の中で「日本のフォークソング」は「関心外」のものになってしまったのかと案じていたので、また再びコンサートを企画し、それを何とか無事に実現できたことはともかく嬉しい。まずはそのことだけでも良しとしよう。
 考えてみればコンサートとは水物で、どれほど宣伝したからといってそれが直に正比例して動員がなるわけではない。
 今日だって、いつも常に来てくれると想定していた我が知人、友人は少なくても三人は来れなかったわけで、それぞれ皆都合があってのことだから、それはそれで仕方ない。
 それよりもまた別に、我マスダの身体のことを案じ、連絡頂きお手伝い申し出てくれた方もいたわけで、本当に有難いことだと思う。

 我に良い音楽と良い友、素晴らしい仲間たちがいるのだから、微細な我が人生が行き詰ろうと、プラマイゼロ、帳消しになるのではないか。  いや、良いことも悪いことも、思い通りにならないこともあるのが人生なのだから、天気に晴れの日や雨風の日があるように、これはこれ、それはそれで良いのである。
 どんなダメ人生であろうと、我には良い音楽と素晴らしい友、音楽仲間たちがいるのならば、それだけで良いじゃないか。
 たとえ我が人生がすいすい思い通りに動き、片付いていったとしても音楽の「感動」が無かったらそれは無味乾燥な味気ないものだったに違いない。

 今回、沖縄からながいようさんをお招きして、コンサート自体は素晴らしいものとなったのに我の不調から結果として思うような集客がならず、ただただ申し訳なく思う次第だが、我はこのコンサートでようやく救われた思いでいる。
 ようさんだけではなく、ソーブラや毎回参加の槇篤さん、館野さん、ぼけさんも含めて、気心知れた彼らのおかげで我が危機は救われた。今回は所用で行けないからと差し入れも届けてくれた方にも。
 そしてお手伝いに来てくれた友人たちにもあらためて深く感謝したい。
 我がダメ人生の再建は、我が事、我の恒久的な課題としてともかく置いておくとして、そのこととは関係ないこととして、また音楽の企画を立てていこう。

 今だから告白するが、実はもう今回でこうしたライブ企画からは足を洗おう、これで最後にしようと考えていた。自分の実人生だけでも手いっぱいなのだから、そんな人間が外に出て他人様と何か成し得るはずもない。じっさい今でもそう思う。誰よりもダメで非力な我なのだから。
 しかし、自分が動いたこと、良い意味で「撒いた種」で何か新しい動きや出会いが少しでも起こり得るならば、やはり下らぬ実人生は別にして、こうした音楽企画活動は続けていくべきではないか。
 このツーディズの素晴らしいコンサートも、我の思いつきから成ったのだから。

 この世には、いつの時代も歌い手と聴き手は存在する。しかし、その二つを繋ぐ場と繋ぐ人がなければ、両者はおいそれと出会えない。まして「うた」は「本」も同様だが、自ずと聞かれること、読まれること、つまり歌われることを望んでいる。そしてこの世には、そうした場がなく消えていくうたや本がどれほどあるのだろうか。
 我は古本屋として、そうした本を再び流通させようと考えてその道に入った。そして、今は同様に、そうした「うた」、このままでは消えてしまうかもしれないうたや音楽を、今の聴き手に届けたいと願う。

 今回も、休みの国や、西岡恭蔵&クロちゃんのうた、そして高坂一潮の遺した懐かしいうたがこのコンサートでは何曲も唄われた。そしてそれらはオリジナルを越えて素晴らしく我が心に迫って来た。ああ、こんなうたがあったなあ、今聴いてもあらためて良い歌だなあ、としみじみと胸が熱くなった。
 客の入りは別にして、そうした歌は我が企画しなければ、今回コンサートは無いわけで唄われなかったのだ。ならばである。
 古本屋が埋もれた本を求める人に流通させる仕事だとすれば、我はうたでそれをやっていく。フェイスブックの我の肩書にはこう記してある。 「古本音楽家」と。
 何であれ作った人、歌い手は去り、やがてこのままでは消えていくうたたちを、新たな聴き手を集めて彼らに向けてもう一度流通させたい。
 それこそが我の使命、役割なのだと今日確信した。

 そう、それは平和の思いも同様なのである。翁長前知事は、自ら死を通してそれを後の世代の者へ託し受け渡した。あたかもナザレのイエスのごとくに。
 ならば形あるものであれ、形のない「うた」や「思い」であれ、その人が死ねばそれをそのままにせず、また再び誰かへ、新たに来る「新しき人たち」へ、後世の人たちに受け渡し繋いでいかねばならないのだった。
 やがてその受け継いだ思いが世界を少しでも、少しづつでも変えていくことに繋がると信じて。

 拙ブログにあれこれ愚痴めいたことを書いて来て、多くの皆さんにご心配をおかけしてしまった。申し訳なく心苦しく思うが、ディランに「Saved」というアルバムがあるようにやっと今日、我は救われた。もう大丈夫だ。ここから人生をほんとうに再スタートしていく。