今年もよろしくお願いします。2019年01月01日 09時24分54秒

★すべてが終わり始まる年に

 新年2019年となった。年が明けるたびに、毎年今年こそは、と誓い、気持ち新たに頑張ろうと思うのだが、けっきょく毎度のことながら、あたふたと日々は過ぎ、季節や時間の流れに追いついていけないまま月日は流れまたあっという間に年末となってしまう。
 毎年そんなことを繰り返して、世間ではもう仕事は引退世代、老人世代の入り口となってしまった。気持ちだけは十代の頃と何も変わらないのだから、まさに浦島太郎的展開と言えよう。いやはやまったく、何てこった、である。

 こうして何もできないままさらに年老いて、いつしか病や呆けに倒れて死んでいくのかもしれないが、幸い周囲の、少し先の世代の方たちを見る限り、まだもう少し元気でたぶんあと10年は頑張れると思えるし時間も残されているような気がする。※癌など煩わなければの話だが。
 欲望も含めて、様々な思いや希望、願望はまだたくさんあるが、つまるところそれらは十分の一も果たせずにいつしか命のリミット、タイム期限が来て嫌でもこの世からオサラバするのだと見えて来た。
 結局それが人生というもので、おそらく誰もが自らの思い通りにならないまま、思いを残して死んでいくのだと思える。そしてそれは仕方ないことなのだと。
 だからこそ、我のように欲深い人間は、毎年一年が終わる度に忸怩たる思いで焦り悔い、ときに嘆き、絶望的な情けない気分に囚われていた。
 が、今年はいつもとはちょっと違う。先に記したが、やっと何年も続いたとことん悪い状態から脱けだしてきたという感じがしているし、以前は見えなかったこと、本当に大切なモノは何かはっきりわかってきたことも大きい。
 そう、若い時は気づかなくとも、歳とってこそわかることや見えることは確かにあるのだと知った。

 若い頃はともかく何であれ、たくさんあれこれいっぱいを望み、あれもこれもと手を出してまさに何でも見てやろう、やってみようととことん欲深かった我だが、もう今は、食べ物も含めて、本当に良いもの、安全なもの、確かな本物があればそれは少しでも良いのだと思えてきた。
 昔はともかく質より量であり、悪いもの悪しきものでもそれはそれで価値が認められたし何でも貪欲に受け容れることもできた。

 が、老いてきて体力も低下すれば、全体として何につけ許容量、対応力は減って落ちてくる。若い時は悪い酒でも度数さえ高ければかなり飲めたし、どんな人とでも会い席を同じくしてどこでも楽しめたが、今はもうほんとうに良質なものや善良な人としか付き合えなくなったし求める気はない。
 そう、それだけ余裕が時間的にも体力的にもそして経済的にもなくなってしまったからだが、それは逆に良いことだと心から思える。
 もし我に、どこそこのゴーン会長のような資産があれば、美食と放蕩で身を持ち崩し結果として早死にしていたことだろう。今は、若いときの「欲望」も制御されて精製されてきたから、さらに昔より貧乏だから、総てに良質、上質なものを、それも少量しか受け入れないし欲しくなくなった。

 まあ、それでも愚かな我には今でも昔からのモノは基本まだ処分に取り掛かっていないので膨大に持っているし、その量は常人にとっては卒倒するほどあるけれど、もうこれからは増やすことはないし、逆に減らしていく方向へ道筋もついてきた気がする。
 一気に断捨離などやる気は毛頭ないけれど、ともかく我が長年集め溜めて来た物ものは、負の遺産にせず、とことん活用していこうと思う。ヤフオクを知って、こんなものでもこんな売り方があるのかと、まさに目からウロコが落ちたし、商人の端くれとして、モノは売りようなのだと意気を感じた。
 だからもう焦らないし苛立ちはしない。ただ老いた父が果たして今年一年無事この家で生き永らえるかは、今はかなり難しいように思える。願わくばこの2019年内にその葬式は出したくないと望むけれどもそれだけは神のみぞ知ることでどうなることだろうか。

 有難くも30年、戦争がないまま続いた平成の代も間もなく終わる。そして新しい元号が始まり時代は来年のオリンピックへと一気に突き進んでいくことだろう。
 同時に望むことは、世界中に輩出した傍若無人、傲岸不遜の独裁者的国家指導者たちがトランプも安倍晋三も含めて一人でも早く退陣していくことだ。
 そしてそれはきっとかなうと祈り信じている。全てが終わりまた新しいものが来る。こんな非道かつ悪辣身勝手な政治は続くはずがない。

 新しい年に希望を込めて、皆で願い少しでもアクションを示そう。呟くようでもともかく声を上げていこう。
 さすれば思いはきっとかなう。現実になっていく。まだまだできることとすべきことが我にも、貴方にも誰にでもあるはずだ。
 そう、全ては今日2019年1月1日、ここから、この場所からだ。

正月明けてこれからのこと2019年01月04日 23時00分24秒

★さあ、今年も動き始めた。

 正月三が日も終わり、4日の金曜である。
 毎度ながら正月気分も何もなく、先の拙宅のクリスマスイベントの後片付けもろくにできないまま、年末、そして新年となり平成最後の正月も終わってしまった。
 父が、昨年暮れの29日の夕方から明日5日土曜の朝までまるまる一週間ずっと家にいて、その世話に明け暮れというか、彼が起きているときは目が離せず気も緩められず、自分のことも家のことも落ち着いて腰据えて何もできずにこの年末年始は終わろうとしている。
 何とか新年2日に、都内に住んでいる甥っ子が来たので、ネットで注文しておいた冷蔵お節セットを開封して、ごく簡単にお雑煮だけつくって父と三人、男だけの三世代でささやかな正月を終えただけだ。

 先にも書いたが、暮れからずっと本格的な風邪もひいていて、今も鼻はつまり喉も痛く咳も続いて、しんどい新年明けとなった。
 それでも、今日は昼過ぎ、父を床屋に連れて行き、髭も剃って小ぎれいになったところを愛猫抱かせて写真に撮って、その画像を入れて小一時間で父用の年賀状を拵えた。
 こんな父でも、親戚から今年も10枚程度は年賀状が有難くも届いたので、返礼せぬわけにもいかず、何とか促して一筆だけ書かせて、とりあえず今年もまだ生きている証として、父の分は年賀状は書き終えた。
 明日投函すれば、来週明けには相手方に届くだろう。95歳の老人からの年賀状はそれだけでもまさに「有難い」ものではなかろうか。
 そして我にもごく少ないが届いた分があり、返す分のハガキは用意はしてあるのだけれど、何をどうしたものかデザインも何もまだ何も思いつかない。
 まあ、それでもともかく今は、何とかこの一週間、父を殺さずにこの年末年始、平成最後の正月を無事に乗り切れただけで満足している。教会も初詣でも一切行けなかったが。

 明日、父をショートで施設に送り出してから、ようゆく我の2019年が始まる。まずは、本年2月23日の「共謀」コンサートの全体像、全出演者をすぐ確定させて、一日も早くフライヤーを正式に拵えて宣伝活動に専念していくことからだ。
 死なせた犬にはすまないが、おかげで今年こそはやっと自分のことに落ち着いて専念できるという思いと、さあ今年こそと奮起するところがある。そう、父さえ施設に預けてしまえば、我は自分のことに正面から存分に向き合えるときが来たのだ。

 母が死んで三年目の今年、やっとここまで来たという感がある。最長不倒の安倍政権も株急落も含めてついに終わりのときがはっきり見えて来た。今こそ追撃の火を高くかざして、憲法改悪の妄動を霧消とすべく我は非力ながらも今できる、すべきことに力を尽くすつもりでいる。
 むろん父のことも含めて先のことは我にも誰にもわからない。しかし、今はやっと、今こそ自分という人間がわかり、向き合い、そのうえで何をすべきか、何を優先的に何ができるかやっとわかってきた。

 我はとことんバカで無能だけど、「思い」だけは誰よりもあるし、それは誰にも負けないという自負もある。ならばこそ、その思いにどれだけ忠実になれるかだ。それが試される年となる。がんばりたいし今年こそ頑張れると思う。
 皆様にも幸いある、良い年となりますように。

ファックス電話機について考えたこと2019年01月05日 11時24分33秒

★今の時代、今の人にはファクシミリは不要なのか、と。

 時代の流れ、ということは、長く生きていると嫌でも常日頃痛感させられる。おそらく老人は誰もがそうであろうが。
 昔はそれが当たり前であったことも、いつしか時と共に廃れたり変化し需要がなくなっていく。
 そういうことが当然なのだとも頭で理解はしているが、自分にとってそれが当たり前だと思い信じ長年使っていたものなどが、今では時代遅れで、そのもの自体がもはや手に入らないとなるとさすがに考えさせられる。
 新年早々だが、ファックス電話機が壊れていたので新しく迷いに迷ったが購入した。ブラザーの複合機型のである。それについての顛末を記しておく。2019年年頭の状況はこうしたものだと、後々自分でも再読、確認するためにも。

 ミレニアル世代とかいう1980年代後半から2000年代初頭に生まれた人たち、デジタルネイティブとも呼ばれる世代がもはや成人し社会人として活躍している時代に、ファックス付き電話機を探し求めるとは、明治の代に、ちょんまげを結っている者のような時代錯誤なのかと今は思うが、そのことに気がつくのに時間かかった。今回はその話。ご笑覧ください。

 拙宅では宅電が二回線、階下の親たち用のと二階の我ようにあって、それぞれパナソニックのおたっくすという感熱紙タイプのファックス電話が繋がっていた。
 その「おたっくす」というファクシミリ機能付きの電話機は、かつてはかなり日本の家庭でヒットした商品で、留守電機能も当然付いているから、留守にしても自動音声で、留守の方は、ピーと鳴ったらメッセージを、ファクシミリの方はそのまま送信してください、と相手には流れてとても重宝していた。

 が、それを買ったのはたぶん昭和年代の後半であって、少なくとも平成の30年間はずっとそれを使い続けていた。一台は自分で買い、もう一台は誰かから貰い受けたか拾ってきたのかと思う。どちらかは修理にも出した記憶がある。かれこれ40年は使ったのではないか。
 ただそんなに長く使い続けたから当然のこと、さすがに近年は不調が甚だしく、二階の我のは、留守電機能とファックスの送信ができなくなり、ただ電話機としてだけ使って、階下のは、プッシュボタン自体が押しても正しい数字が表示されなくなることが多くなったりと使用に一苦労することが多くなった。
 何とかしないとなあ、と思っても苦労しても使えるうちは使い続けるのが貧乏性ならぬほんとうの貧乏人で、上のはともかく、階下のは留守電もファックスも受信できていたから、そのままにして来ていた。
 そう、母が生きていた時から、母は電話かけるとき番号のボタンを叩きつけるように強く押していたことを思い出した。

 と、それが、昨年の12月頃からか、ついに階下の電話機が、留守電は受信できても、耳に当てて電話かけようとしても鳴りもせず何も聞こえなくなることが多くなった。
 受話器のコードに不具合が起きたと思い、同種ゆえ、二階の機種の受話器と交換してもやはり同様で、接続のプラグを何度も抜いたり二台の使えるところを寄せ集めて一台だけでも何とかならないものかとあれこれいじってみたが、留守電は録音されていないし、ファックスは送れない、つまり受けとれもできない、電話も受話器が不通でかけられないことがはっきりした。

 とりあえず、二階で使っていたのを階下に繋ぎ、電話だけは使えるものの留守電もファックスも送れないままで、やはりこれではマズイとさすがに我も考えた。父に何かあっても留守にしてしまうと連絡とれなくなる可能性が高い。
 むろん我はスマホもあり携帯も新しくしたので、宅電がないとすぐさま困りはしない。が、父や亡き母の関係で、我が家にはさまざまなところから電話がかかってくる。親戚などは我の携帯の番号は知らない。留守電が使えないのもイタい。
 けっきょくついに重い腰を上げて、二階のはともかく階下用の宅電を新しく求めることにした。むろん前と同じく使い慣れた感熱紙のファックス電話機を探してみた。ところがないのである。
 使い慣れたパナソニックでまず探すと、予想はしていたが、今では普通紙タイプのものばかりで、小型なのは良いが、専用のインクリボンというのかインクフィルムなるものを使用頻度に応じて適宜交換しないとならない。それも純正品はかなり高いし割とすぐ消耗するらしい。考えただけで面倒だ。

 我としては、昔ながらの丸巻きロールの感熱紙で十分だと考えていたし、それならば交換の手間も楽だし交換費用も格安なのでこれまでのと同種の感熱紙タイプは中古でもないものかとヤフオクとか探してみた。
 いっぱい出品されてはいたが、何故かどれも今風の普通紙タイプのものばかりで、感熱紙ロールを用いるタイプは一つも出ていない。
 そうか、もうそうしたものは中古でも市場にも出回らないのかとやっとわかって、ヤフオクで中古の普通紙タイプを競り落とすのもまた面倒だと考えて一番安いそのタイプの新品を探したらばあった。
 Amazonで調べたら、パナソニック デジタルコードレスFAX 子機1台付き 迷惑電話対策機能搭載 ホワイト KX-PD205DL-W¥12.740である。
 だいたいファックス電話機というモノ自体の市場が小さく、今では主にパナソニック他数社しか出していないこともわかった。

 その機種は、同社の中でも最低価格で、まあその新品でその価格ならば仕方ないかとも考えた。一瞬、それをカートに入れたものの、色も白でデザイン的にも何か気に食わない。やはりいちいちインクフィルムというものを時々買い求めて交換しないとならないのが今の我のポリシーに適さない。もう面倒なこと手間のかかることは一切できるだけしたくない。
 それであちこちさらに検索したらば、何とまだ感熱紙タイプの新品が一機種だけだが、元祖おたっくすのパナソニックからほそぼそと出ていたのを発見した。
 パナソニック デジタルコードレス感熱紙FAX 子機1台付き シルバー KX-PW211DL-S ¥18.720 である。

 他社でも探せば感熱紙タイプの新品は出ていることもわかったが、値段はもっと高い。もうこれ買うしかないと思った。2万近くはするが、いちど感熱ロール紙を入れれば当分持つだろうからインクフィルムを常時買い求めるよりは長期的にはお得だろうと思えた。
 しかし・・・結局これは買わなかった。迷いに迷ったがやめにした。画像は、そのパナソニック唯一の感熱紙タイプのファックス電話機。

 ※長くなったのでもう一回書き足します。

ファックス電話機について考えたこと・続き2019年01月06日 00時01分45秒

★時代の流れに取り残されたものと我ら

 FAX、つまりファクシミリについては特別な思いが我にはある。
 電話回線を使ってだが、瞬時にして相手方に原稿が送れる、受け取れるということはまさに画期的発明であった。インターネットが普及する前、その先鞭をつけたとも言えよう。

 いったいいつから一般的に用いられるようになったかわからないが、それまでは、出版などの原稿の受け渡しは基本直接であった。
 つまり編集者が受け取りに来たりこちらが大慌てで会社に持ち込む。書き手が遠路や地方にいる場合は、郵送するしか手はなかった。

 我は若い頃、といっても30代にはなっていたと思うが、物書きの端くれというか、そうしたことに関わっていたことがある。
 その頃はもうファックスは普及していて、どんなに〆切間近であろうと、タイムアップギリギリでもともかくファックスで送信さえすれば即届くのでとても有難かったと記憶している。
 当初は自宅にはまだその機械がなく、その送受信機がある近くの青写真を扱う印刷会社へ原稿を持ち込みに行き、そこから送っていた。使用料というか送信代は一枚いくらだったのか思い出せない。100円だったか。

 やがて、すぐにパナソニックの「おたっくす」というファックス機能付き据え置き電話が家庭に普及して来てさっそく我も購入した。ずいぶん原稿送信に活躍した。逆に〆切催促などでキレた編集者からのお怒りのファックスも始終届きもしたが。
 じっさいファクシミリなる電話回線送信システムがなかったらば、郵便制度が確立した明治の頃と全く同じで、人々は郵便で信書同様、原稿などのやり取りをしなければならなかったのが続いていたことだろう。
 感熱紙の印刷は荒く汚くとも、こちらの元の原稿は手元に残り、一枚づつ送信すれば瞬時に相手方に次々と届いて電話でまた確認のやりとりもできるのもじつに有難かった。
 そうした「黄金時代」を知る者として、ファックス機能は必要不可欠だと思いこんでいたわけだが、今回その電話機が壊れてあれこれ新機種を探してみてハタと気づいた。考えた。

 そう、我も含めて今の人はもうファックスはさほど、いやほとんど使うことはないのであった。考えてみると、昔は日常的に友人間とも気軽に送受信していたわけだが、ネットの普及で、紙の手紙と同じくそうしたやりとりはほぼ全部メール等で済んでいる。
 メールならば添付ファイルで文字原稿のみならず画像、あるいはときに映像でさえアプリを使えば相手方に送ることができる。かつてファックスでやっていたことはもはや全てインターネットで、さらに綺麗に代用できるのであった。
 ゆえに家庭にはファックス送受信機など今日まず必要ないわけで、ニーズもないから機種も製造メーカーもどんどん減るばかりで、今回のように選択肢もないのが当たり前の現状なのであった。

 思えば、昨今、我にファックスが届くのはごくたまに京都の老詩人から、こちらが何か送ったときの到着の御礼文とか、亡き母の友人知人から連絡等がたまにあるだけで、宅電そのものも含めてほとんど電話さえも直に今の我にはかかってくることはまずないのであった。
 喫緊の用件は、携帯電話とスマホのメールで事足りてるし、ファックスでやりとりするのはそれしか未だ手段がない老人世代だけであったのだ。

 しかしだからといって、宅電もファックスも今回もう撤廃してしまうわけにはまだいかない。やがてはそうなるとしても父が生きている間は、電話はまだ様々な用件としてかかってくるし、ごくごくたまにでもファックスが何かしらの理由で届くときもあるはずなのだ。
 毎年利用している、お歳暮やお中元の注文だってファックス送信以外に注文書を送る方法がない。まあ、郵便という手もなくはないけれど。

 で、けっきょく何を購入したのか。当初は、そのパナソニックの、使い慣れた感熱ロールタイプのを買うと決めていた。それしかないと思った。
 しかし、いろいろ調べてみると、ウチにあるのとは異なり、まず用紙がB判ではなくA判サイズで、しかも太巻きのそれは入らないことがわかった。つまり一回り用紙も小さく、入るロールのサイズも限られていて、それ専用のロールを純正品で買わねばならないようだ。
 どうしたものか。さらに冷静に考えると、感熱紙であろうとなかろうとファックス自体、自分でさえ今ではほとんど使わないのである。そのために二万円近く出すべきか。

 で、みつけたのが、ブラザーの複合機プリンター、プリビオ MFC-J737DNという機種で、コードレス電話機1台が付属する、前面2段給紙/手差しトレイ対応のFAX機能付きインクジェットプリンター と謳っていた。
 いちばん下位の機種であるその値段は二万円はせず1万9千円台が相場であった。我が買おうと考えていた、パナソニックの感熱紙タイプとほとんど価格の差はない。
 しかも画像をご覧になればわかるように、この機種は、プリンター自体に電話機、つまり受話器などが付属しているのだ。
 他社にもファックス機能付き複合機のプリンターはいくつもあるけれど、それには電話機は付いていない。つまり電話機、子機も付いていてそのまま電話として即使えるタイプは、このブラザーの同シリーズしかないことがわかった。他社にあったとしてももっと高いことは間違いない。
 しかも我はヤフーのポイントもまだ少し残っていたので、それを充てれば当初決めていたパナソニックのより少し安く買えることがわかった。

 プリンター自体は、既に何台もウチにある。が、それだっていつ壊れるか分からないものだし、基本消耗品なわけで、単に使用頻度の低い感熱紙のファックスしか使えないタイプよりもスキャナーも含めて多岐に汎用性があるこの複合機のほうが後々役立つと思えた。予備として今あるのが不調になったときもこれで安心である。
 で、正月明けにヤフーを通してケーズ電機に注文したら24時間もしないうち昨日5日午前にすぐに届いた。見たら立川の倉庫からの発送だったから当然であった。

 昨日午後、箱から出してともかく階下の、電話機のあった場所にセッティングして、まずは電話として使えることはすぐ確認できた。
 ただあまりに多機能で、留守電機能もファックス送信のし方も含めて、ガイドブックをそうとう読み込まないと簡単には使いこなせそうにない。しかし、コストパフォーマンス的に考えても新たに買うならばこれしかなかったと思うし、今は満足している。

 電話回線を利用するファックスという機能と仕組み自体は、その専用電話機があるかないかではなく、かつてファックスを利用していた我ら世代がまだ健在のうちはなくならないと思える。
 今だって商品の注文販売や問い合わせ窓口などの現場では、お問い合わせの電話番号と並んでどんな会社、業者でもファックスの電話番号をパンフや商品自体に記載している。
 じっさい面倒なメールアドレスやURLを入力するより、ファックス専用の電話番号で質問書や注文書を送るほうが簡便と思える。いちいち相手に合わせて向うの専用フォームに書き込んでいくのもひと手間かかるのだから。 
 しかし、個人の間では、何であれやりとりとして、近いうちにファックスでの送受信は利用されなくなるかもと思える。ネットで他のもっと精度の良い、簡便な手段があるならば、何も前時代的手法に固執する意味がない。だいいち家庭的にそれを利用する人たちがほとんどいなくなれば、その機械自体、製造も販売ももはや風前の灯なのである。

 そう、それこそが時代の流れであり、今様、今日的ということなのだ。
 かつては東海道を旅するのに、人は皆わらじ履き徒歩、つまり自らの足で歩いて行くしかなかった。庶民にはそれしか手段はなかったし、それが当たり前で他はなかった。しかし今日そんな風に徒歩で旅する人はよほどのモノ好き以外いないし、誰もがもっと簡便な新幹線や飛行機、バスを用いる。早いし結果として間違いなく安く上がるからだ。かつての手段は今日の選択肢にハナから入らない。
 同様に、ファクシミリ送信も今日、21世紀半ばへと向かうこの時代は、今の人たちの選択肢にはなりえなくなるのであろう。
 この世は商売の世であり、商売とはつまるところ利用者の多寡、そこで儲けの有無しなのだからいたしかたない。

 こうした機械、前時代的ハイテク製品はいくらでもある。レコードやカセットテープそうだろうし、家での固定電話、やがて公衆電話だってそうなるだろう。
 先だって、通信大手会社のどこそこがトラブルを起こして、かなりの時間、携帯が不通となったことがあった。夜のニュースでその日の出来事を報じていて、友人と待ち合わせしていた一人の女の子は、生まれて初めて公衆電話を使ったとコーフン気味に話していた。今の人は公衆電話さえ利用したことがないと知って呆れ驚くしかない。
 時代の流れというか、時が過ぎていくとはこうしたものだと年寄りはただ嘆息するしかないではないか。

年明け7日、やっと春先までの予定が確定したので2019年01月07日 23時04分28秒

井上オハナ
★まずは、2/23日(土)、護憲と反戦平和のために「女たちは共謀する」コンサートから。

 我の昨年暮れからの風邪は、毎度のことだが、いっこうに治る兆しがない。ずっと雨が降らずに極度の乾燥と寒さがいけないのだと思うが、鼻水も垂れ苦しい咳もいぜん続いてしんどい状態は相変わらずだ。
 幸いは寝込むほどの高い熱は出ないことと、老父には感染ってなく、彼は呆け以外は体調は安定していて寝込みも入院もせずショートステイやディサービスに行ってくれているので不在時に休息がとれるので我は不調ながらも何とか持ちこたえている。老犬もいなくなったことだし。

 その父がずっと家に居た暮れから正月休みもやっと終わり、いよいよ本格的に新年2019年も始まった。
 そして本番当日まで二か月を切って本日ようやく来月23日の、通算6回目となる、女たちの「共謀」コンサートの全出演者が確定した。ほっとしている。これできちんと宣伝チラシもつくれる。
 さっそくこの場で、詳細をお知らせしたい。

★護憲と反戦平和のための「共謀」コンサート第6回目
 『ちょっと早い雛祭り、#MeToo 女たちは「共謀」する』コンサート

・日時:2019年2月23日(土) 午後5時頃開場 5時半開演予定 終演9時前頃予定

・場所:谷保かけこみ亭

・出演:よしだよしこ
Inoue Ohana(井上オハナ)
    石原ミキコ
    志万田さをり
                       サポート:槙篤 館野公一

・参加費:投げ銭制 出入り自由 ※ワンドリンクご注文お願いします。

フライヤー簡易版2019年01月10日 20時56分17秒


今さらながら今年の誓いを2019年01月13日 19時50分57秒

★人生再建の年にしていく

 天気予報では、この多摩地区でも積雪とのことだったが、夜来の雨は雪にも霙にもならず、今日は幸いにして雨上がりの暖かい一日となった。雪にならずやれやれである。
 気がつけば、もう明日は14日の成人の日、祝日。早くも年明けて、二週間が過ぎてしまった。
 毎年のこと、新年の年明けには「今年こそは」と誓い期するものがあり、何としても今年はがんばろうと決意するのだが、毎度のことながらずるずると何もできずに月日は流れ季節は移ろい、結局年末になってしまい 一年が無為に過ぎて終わってしまう。
 ただ日々、その日そのときを何とか凌ぐというか、やり過ごすだけで手いっぱいで、けんあんのこと、成すべきことまで手が回らない。ともかく時間がないのである。
 だが、今年は、これまでの年、特に去年とは違う。

 去年、いや、年も改まったので、一昨年の年末のことだが、はやる、焦る気持ちはあっても暗中模索というか、何をどうしてよいものか先行きは何も見えなかった。ただ、来年(2018年)こそ何としてもがんばろうと、やはりいつものように拙ブログでは記したかと記憶する。
 そしてそのまま、去年となり、やはり何もできないままその2018年も後半からは、老父の介護だけでなく、犬猫たちの世話まで加わり、特に山梨から引き取った老犬が呆けて徘徊夜啼きがひどく、昼夜問わず相手せねばならなくなり、こちらも睡眠不足でフラフラで倒れる寸前まで疲弊した。

 幸い、という言葉は使いたくないが、そう、幸いにしてその犬は死んでくれていなくなった。12月半ばに室内で事故死させてからは、やっと我は解放されて、父を施設に預けてしまえば自分のことに自分のペースで専念できるようになった。
 そしてそれから大急ぎで二階広間の片付けにようやく取り掛かり、12/23日、二年ぶりの「無頼庵クリスマス謝恩ライブパーティ」は、友人たちの手助けで何とか開催できた。犬には申し訳ないが、生きていたらその集いは中止にするか、惨憺たる有様のまま、客人たちにさらに不快な思いだけをさせる結果となったことだろう。

 そして今もその二階広間は、まだスペースを保っているので、そこで書類などの分別、仕分け作業も進められるという次第だ。有難いことだ。
 つまり去年とは違うというのは、そのすべきことの「道筋」は見えているわけで、手のかかる犬猫たちも片付いたので、後は、その場で地道にそうした片付けのための作業を進めていけば良いだけなのだ。

毎年新年に思うことはさほど違いはないが、いかに決心し誓おうとも現実にそれが出来なければ、まさに紙に書いた餅でしかない。
 ただ今年は、今年こそは、本格的に老年期に入ってきた我は、まさにもう「待ったなし」なわけで、来年こそとか、いつかそのうちに、なんてありえないし、その時は来ない。
 幸い、まだ特に身体に病気はないようだし、周囲の先人たちを見る限り、70歳ぐらいまでは、たぶん今と変わらずに体は動くかと思える。となるとあと約10年は使える人生がまだ残っていると考える。
 しかし、それだっていつ我も癌に侵され、70歳を無事迎えるどころか多くの亡き友人、仲間たちのように、この先数年のうちに、癌発見、告知後、あっという間に半年もしないで死んでしまうかもしれない。
 しかしそれは誰にもわからない。神のみぞ知ることだ。それもまた神の計らいならば、そういう人生、定めだったと受け容れるしかない。何もできずにガラクタだけ残して死んでいくのはただ情けないけれど。
 しかし、だからこそそんな先の「予定」や「想定」は考えずに、死のことを考える以前に、日々、今を「生きる」こと、それもしっかり生きていくことだけに専念すべきであろう。

 今年のテーマというか、特に位置づけるモットーとして、ともかくあらゆる無駄をなくしていくことだ。お金の無駄、場所の無駄、使わない物の無駄など、我は無駄の固まりのような人間だが、中でも残り少ない、先の見えた人生を意識するとき、時間の無駄がいちばん気になる。
 お金や場所は、取り戻すことも増やすことも可能かもしれないが、過ぎていく限りある時間だけはどうにも取り戻せない。金では買えない。ならばこそ、自由に自ら動けるうちに、何であれすべきこと、ほんとうにしたいことだけをまずともかく少しでもやっていくしかない。
 あれこれ先のことを悩み憂い心配する時間だってモッタイナイ。そんなことに考え囚われる時間があれば少しでも動いて、けんあんのこと、自分がやるべき、できることを一つでも成すべきなのだ。そう、ほんとうにもう時間がない。時間こそもったいない。

 そして母の死の年、2016年前後から行き詰って滅茶苦茶になってしまった我が人生を再建していく。巻き返すとかそんなもんじゃない。まずはせめて元通りに、元に戻す、取り戻すということからだ。
 むろんどんなに頑張ったって、今年一年でそれができるとは思えないしそんなことは願わない。今年はまずその取り組みの一歩でもかまわないし、少しづつでもその「作業」が進めばそれでいいじゃないか。
 これ以上、最悪最低の、混迷混沌の状況から抜け出し、ヤコブの階段のように、曇天の人生に光が射しこみ、雲が少しづつ晴れてくるのならば、それだけで成功だと考える。

 日暮れて道遠し、という言葉があるけれど、そうならないよう、まだ我に真の夕暮れまでにはまだ少し時間があると信じたい。
 夕陽に向かって歩いて行く。だいぶ陽も傾いて来たが、まだ日没までは時間がある。ならばそれまで行けるとこまで歩いて行こう。急がない。焦らずに。

今年の誓い、追記 コンサートの予定2019年01月14日 18時23分55秒

★今年は音楽企画に真剣に取り組んでいく

 14日の成人の日である。正月休み明け早々にまた休日があるのはいかがなものかという声もあろうが、ちょうど松の内も終わるころにいったん小休止して、「正月気分」とオサラバするためにもこの休みは有難いのではないか。
 そう、いよいよ本格的に今年も始動していく。
 個人的には、実質まだ昨年の暮れのイベントから私的にはほとんど何も自らの片付け作業などに手をつけていない。
 何とか春先までのコンサートの日程と出演者などを確定させて、とりあえずの今年前半は「予定」が埋まってきたというところだ。

 で、それ以後のことだが、次々回の「共謀コンサート」、4月は、統一地方選など選挙がある月なので難しく、5月中の開催を考えている。
出て頂く方々も想定してはいるが、なにぶんその方々のご都合などもあるので、遅くとも来月早々にはアポとって2/23日には、宣伝告知いたしたい。その回はお笑い系シンガー他、ジャンルを問わず多彩なパフォーマーを広くお招きできたらと願う。

 また、6月末から7月前半は、安倍政権の命運を左右する、国民の審判が下せる国政の参院選挙があるので、その日程出しだいだが、コンサートができるとしても7月末になろう。そしてその夏場にまず一回、秋口、そう遅くならないうちにもまた一回と。
 今年は少なくともあと3、4回は、共謀コンサートを企画、開催させたいと考えているので、順調に回を重ねれば年内に10回目の節目が迎えられるかと思う。
 ただそう「思惑」通りにうまく進むかわからないし、場合によっては、衆参同時選挙という憶測も未だくすぶっているので、先のことはじっさい何とも言えない。
 その他、「番外編」として♪みんなで清志郎を唄おう!というフリーコンサートも手掛けたいし、その他、お手伝い的に我は関わる企画もあるかもしれない。
 
 そして何よりも、実はまったく個人的なことだが、我個人のソロコンサートもささやかに、気心知れた友人シンガーの助けを借りて年内にともかく開催できたらと夢想している。
 そう、以前書いたかと思うが、語り歌ならぬ「へたり歌」の継承である。
へたり歌とは、下手なうたという意味もなくはないが、歌い手が亡くなったり、今日ではあまり歌われなくなってしまった、忘れられそうな、やがてはこの世から消えてしまいそうな唄のことと意味づけて、我マスダが知る、昔聞き覚えたそうしたうたを、拙くとも人前で唄って聴き手にお知らせしたい。昔、こんな歌があって、こんな人が唄っていたんだと。
 そのためにもギターも喉ももう一度徹底的に練習して鍛え直さないとならない。果たしてそれができるか、共謀コンサートの企画の傍ら、どこでそれが実現できるか何ともこころ元ないが、新春の「夢」としても今のうちに記しておく。
 曲目も決まっている。へたり歌は、今のところ10曲はないので、他の数曲はオリジナルも加えて、合計で昔のLPレコード一枚分程度の曲数、うたえたらと考えている。ゲストも来て頂ければ、休憩いれても2時間程度はできるのではないか。果たして我にそれだけの力量があるかはともかく。夢は夢として楽しみに夢見させてください。

 まあ、それもこれもすべて、父が無事健康で、定期的にショートステイやお泊りに行ってくれてのことで、寝たきりや入院、もしくは在宅看護となってしまえばこうした企画自体雲散霧消となってしまう。
 すべては父次第で、果たしていつまで彼が元気で呆けていられるかだ。
 先のことはわからない。あれこれ案じ、不安に思ったり悩んでもしょうがない。生きていれば思いはきっと必ずかなう。そう信じて、たとえうまく進まなくても諦めずに何事も進めていく。少しでも、少しづづでも。

春よ、春よと駆けていく2019年01月18日 08時07分24秒

★この数日寝込んでしまったけれど

 まだ寒さは厳しいが、陽射しも伸びてだいぶ春めいて来た。
 私事だが、暮れから年明けまでずっと老父が家に居たことでの疲れが今頃出たのか、この連休から胃、腹が鈍く痛くて調子がすぐれず、その父がお泊りで不在だったこともあり、気も緩みただただ眠ってばかりいた。そんなで更新空いてしまった。

 惰眠を貪る、という言葉があるが、春眠暁を覚えずというわけでもなく、ただ何か胃というか、腹が重く胃もたれの感じで何だか鈍く痛い。で、仕方なく寝てばかりいた。
 母のように腹部に癌ができたならばまず癌性発熱があるはずなので、正月に黴てきた餅とか処分しないように食べ過ぎた反動かとも思うが不快感はまだ少し続いている。
 年末に山梨でひいた風邪は相変わらずで、熱は出ないものの鼻水や喉の痛み、突発性の苦しい咳は続いている。それと関係もあるのだろうか。
 ただ今は、父不在ならば常に自分のペースで、そうしたときは夜も早くからとことん眠ることもできるので、不義理はブログだけで身体を癒すことができるのは有難い。あんまり長く寝ていると腹空かせた猫たちが来てニャンニャン啼いて起こされてしまうが。

 いずれにせよ、歳をとるとはこうしたもので、我だけでなく他の方のフェイスブックをちょっと覗いても、体調が急にどうしたとか、病院に行ったとか、不景気なことばかり書いてある。
 まあ、そう不調や病気のことを自らこぼすことができるうちがまだ幸いで、そうした「更新」や書き込みが途絶えて、連絡がとれなくなってしまうと、一人暮らしだと死んでしまってたり入院中でネットに何か書き込むどころではなくなっている。
 そんなでこのところ、口から出る言葉は「情けない、情けない、まったく・・・」と愚痴ばかりであったが、いつまでも寝てばかりいられない。
 身体が弱っているときは気も弱り、ついつい内省的というか、かつての自分のしたことに悔恨の思いばかり湧いてきてあれこれ考えてウツウツして自己否定的になってしまう。すべてが虚しく無意味に思えてくる。

 決して多くないけれど昔付き合った女の子たち、いや同性でも同じことだが、この我の愚かで身勝手な性格から、失望させ呆れ果てさせ、去っていった人たちのことが次々思い浮かぶ。
 そのときは、バカだからよくわからなかったのだけど、今なら彼女たちが何を求めていたか、どうすべきだったのか、手に取るようにわかる。その期待というか、願いに我は全然応えられなかったのだ。そして逆に手痛い失望を与えてしまった。
 ああ、もっとあのときうまくやれば関係は今も続いていたはずだし、我が人生もこんなに孤独に、行き詰ることもなかったかもしれない。
 結果として、彼女たちの人生の「反面教師」的存在としてしか存在しえなかったのだからまさに痛恨、情けない。

 しかし、今は前向きに、こうも考える。それはそれで結果として良かったのだと。我はこういう人間でその本質は変わらないし変えようがない。無理して取り繕って向うに合わせて、たとえ結婚まで至ったとしてもけっきょくはダメになる。それは間違いない。
 ならばその前段階で、あるいはうんと早い時期に我の本性が知れたほうが彼女や彼らにとって良かったのだ。何であれ長く付き合い関係が深入りすればするだけ傷は深くなるのだから。
 かといって、今のように何でも浅く手短く、それぞれが身勝手に何かを発信し、他者はそれに気まぐれに「いいね!」や拍手を送るだけの関係はもっと嫌だし無意味だと思える。そこでは何も始まらない。

 このところよく考えるのだが、人は人と、つまり他者ともっと深く語り合うべきではなかったか。少なくとも昔は、我も周りの皆もそうしていた。携帯など普及する前は、重たい受話器で、深夜など何時間でも電話した記憶がある。
 近年でも、もう死んでしまった滝口氏と、主に向うからかかってくる電話だったが、彼の悩みを中心にとりとめのないことをあれこれお互いの宅電で長く話した。
 そしてそうしている間に、我もまた自らの悩みや問題を話しだし、結果として思索が深まり、何かしらの答えや解決策、出口も見えたことがよくあった。
 個々の付き合いはあまり深まると、たがいに干渉しあったり求める度合いに食い違いが生じて来る。だから水魚の交わりより、浅いほうが良いように思える。が、ひと頃流行った言葉「対話」ほどではないが、人はもっと他者と深く長く、自らの考えや思いを語り合う必要があるのではないか。

 トランプ大統領によって分断された今日のアメリカ社会では、共和党支持者と民主党支持者は完全に反目し合い、日常的会話はともかく政治となると一切話はできないししなくなったと伝えられている。
 互いに相手を軽蔑し何を言っても無駄だと諦めて政治的には敵意さえ抱いている。そうした社会は間違いなく間違っているし民主主義とは程遠いことは誰だって読み取れよう。
 対話がない社会は、どちらか強者が一方的に他者、弱者を抑圧し否定しときに排斥していく。それは強者にとっても誰にとっても良い事態ではない。何故なら世界は多様性のものであり、相互に複雑に関わりすべては神の意思的に必然として存在しているのだから。

 そう、全てこの世に在る者には役割があり、起こる事には意味がある。だからこそ、それぞれがもっとその役割と関係を深く考えて、その答えを見出すためにも個々ではなく互いに他者と語りあうべきではないのか。
 我は他者に対して「反面教師」的にしか存在しえないとしてもそれはそれでその役割はある。しかし、今は、願わくばもっと人のために役立つ、誰かのためになる善き「隣人」でありたいと願う。
 そのためにはまず語り合いたいし、そうすべきだと思っている。一対一で、誰かと。
 今の我にはその用意ができている。今年は、「うた」のことはもちろんだが、「語り合う」ことに重点を置いて人と多く接していきたい。
 誰もが実は、もっと他者と語り合うことを求め望んていると信じる。一方的発信はもういいのではないか。 

 さておき、北風が吹き荒れる日があろうとも春はすぐそこまで来ている。体調も少しづつ戻って来た。
 これから良くなる、きっと良くなる、もっと良くなると信じて、春へ向かって我も駆けていく。

女たちの「共謀」コンサートまであと一か月2019年01月20日 20時40分53秒

★ようやく世界が動き出した。

 年明けて1月も半ば過ぎ。今日は、久々に国立の「反戦辻つじ流し」に顔出して、2/23の「共謀」コンサートのチラシも一緒に撒かせてもらった。

 といっても、このところ時間の感覚がおかしいので、2時からのスタートなのに、何故か電車に乗ったのが2時半頃で、車内で、突然一時間勘違いしていることに気づいた次第。まったくどうかしている。
 けっきょく、終了の3時前には何とか皆がやってる場所に着け合流できたものの、館野さんにそのチラシだけ手渡せただけで終わってしまった。
 それでも、会場であるかけこみ亭のある地元の人たちに宣伝チラシは託せたので、その店にもとりあえず渡るだろうから、今日行けてなにはともあれ良かった。もう本番当日まで一か月なのである。
 そう、今朝がた不意にベッドの中で気がつき、今日がその「行動日」である第三日曜だと思い出したわけで、正月ボケにもほどがある。父の歳までもし我が生きていたら間違いなく寝たきりの意識朦朧で施設入所であろう。60代でこれでどうするのか!と自らに発破かけつつ帰宅した。

 ようやくだが、世界が、我の小さな世界だが、動き始めたという気がしている。
 といっても「世界」は自然には動かない。正しくは動き出したのではなく、我が動かし始めたわけで、コンサートというのは、歌い手とその唄う場があったとしても、それだけでは何も起こらない。むろんミュージシャン自らもご自分のサイトやHP、フェイスブック等で、告知・宣伝はしてくれるだろうが、それだけはなかなかお客は来てくれない。
 たとえそのシンガーが世に知られてファンがたくさんいたとしても、ソロコンサートならばともかく、こうした多人数の企画イベントだと、何故かファンというのはまず来てくれないのが通常であり、そのことはもう10年前、両国フォークロアセンターの記念イベントで痛感した。
 つまり、その企画自体に興味や関心、賛同される人でないとどんなに沢山名のある歌い手が出演しようとイベントは興行的にも成功しない。その理由については長くなるから今はふれないが、コンサートを成功させるためには、出演者任せや頼みでは駄目なわけで、企画自体をもっと世に知らしめねばならない。

 それはつまるところこのコンサートのコンセプトであって、『護憲と反戦平和のための共謀』コンサートだと、観客もご理解・賛同して来て頂きたいのである。
 そのうえで、そのコンセプトに沿った歌や歌い手が、彼らの思いを様々な形で表現していく。そうなればもうアジ演説的な言葉は不要で、来られた方々は歌い手と一体になって、「共謀」してくれたのである。
 そのためにも、まずはそもそもそうした意思や関心がある一般大衆の方々に、そうしたイベント、コンサートが近くあることを広く周知させないとならない。

 フェイスブックなり、知人・友人間など仲間内へのお知らせはたやすい。しかし問題はその先、いかに「世間」へ、世の人々へ周知させていくかということで、こうして日々ランキングが下がっていくブログなどで一生懸命宣伝したとしてもまずそれで、つまりこれを見てご来場される方などいない。
 けっきょくは、地道に国立駅前で、カレー屋のインド人が店を宣伝するように、気長かつ地道に、行き交う誰彼問わずにチラシを配るしかない。
 しかし、現実のはなし、ティシュなどが付いているならばともかく、紙一枚だって、今の人はまず受け取ってくれはしない。百人通り過ぎたとしても一人受け取ってくれるかどうかというところだろう。
 しかし、宣伝とはそうしたもので、何であれコツコツと宣伝活動を長く続けるしかない。来てくれる人は来てくれるだろうしわかる人はわかってくれる。でも、それだけでは実は何も始まらないし何も変わらない。
 大事なことは、「仲間」内だけではなく、元々は関心がなかった人、未だ知らない人に、こうした企画、イベントがあること、やっている人たちがいること知らしめてともかく「こちら側」に来て頂くことだ。

 たとえ一回のコンサートに、一人でもそうした「新規」の観客、聴衆が来てくれれば、それは「成功」したと言えると思える。そう、残念ながら、来られる顔ぶれはほぼ大体いつも同じのお見かけした人たちばかりであり、たといそれで満席となっても嬉しいことは間違いないが、それでは世界は動かないし何も変わりはしない。
 願わくば、うたもフォークソングも、護憲も何も関心がない人が・・・、しかし今の政治や社会に疑問や何となく不満を抱いている人が、ともかく何かよくわからないけど・・・と、ふと興味を持って、あのかけこみ亭の地下への暗い階段を下り、重たいドアを開くことを夢想する。
 さすれば、世界は変わる。そうたった一人でもそうして新たに「仲間」が増えれば、やがては世界は必ず変わる。

 残念ながら、世界は自然には変わらない。先の入管法改正の暴挙で、一時期は支持率が下がった安倍政権も支持率はまたもや回復してしまった。そしておそらく今夏の参院選は彼らは意を強くして衆参同時選挙を決行するだろうと我は憶測している。
 そしてまたもや自公は大勝し、その勢いで一気に改憲発議へと持っていくことだろう。そうさせないためにも、今のうちに、今できることを、新たな「観客」=「仲間」が1人でも増えること、来られることを願い期待して、あと一か月必死に宣伝活動やっていくしかない。
 そう一人でもいい。新たな観客が増えるのならば。