大きな力に屈せず声を上げていく2019年07月21日 07時25分18秒

★抗い続けることこそが大きな世界を変えていく

 ジャニーズにせよ、吉本興業にせよ、その強大な権力をかざしてメディアを繰り自らに従わない者は容赦なく切り捨て葬ってきた。
 それは政治の世界もまた同様で、一強自民党安倍政権は、沖縄に対しても東北被災地の避難者に対してもまさにイジメとしか思えない仕打ちを今も続けている。
 米国トランプ大統領も然り。アメリカの意に従わない国家イランなどには、挑発した挙句、戦争も辞さない姿勢を見せている。それに倣い我が安倍日本も隣人韓国に対して、日本に屈服するまで「経済封鎖」的強硬姿勢で今臨んでいる。また、何で日本メディアは韓国政府を常に侮蔑的に扱うのか我は理解に苦しむ。
 まさに権力者はその力を武器に全て何もかも思い通りにできると驕り高ぶっている。弱者、つまりそこの雇用者や沖縄県民の新基地反対という思いは、まったく顧みられない。何度選挙で国に示してもその思いは辺野古の海に土砂とともに捨て去られていく。
 
 ならばそんなとき、「弱者」はどうしたら良いのか。一つはその「不自由さ」を堪えてたとえ辛く苦しくとも「安定」を望むという生き方だ。
 かつて敵対していた自民党に頭を下げ入党を請い「二階さんのカバン持ち」から始めるという情けない元民主党の衆院議員さえいるのだから。
 大きな権力の中枢に入れる者ならばそれもまたアリかもしれない。その方がまた甘い汁が吸すえるのならば。が、ただの一市民、「弱者」は、権力の暴走と横暴に、ただ為すすべもなく「仕方がない」とじっと我慢し諦め屈して耐え忍ぶしかないのだろうか。

 吉本の芸人の闇営業と反社会勢力との「関係」がいま問題となっている。が、それはそれとして、別の話として会社側の解雇も含む一方的高圧態度は理解できないし、あまりにも傲慢かつ身勝手だと我は思う。
 会社の意向に屈せず記者会見に臨んだ二人、それは勇気ある行為ではなかろうか。何であれ、メディアに出ている者には社会的責任があり、自らの口と言葉で語りたいと望む謝罪の意思を会社側は、解雇をちらつかせ拒否することは許されない。
 彼らがしたことは犯罪的行為だとしても、誰かがおかしいことはオカシイと声を上げない限り、大きな力が君臨する「現実」は何一つ変わっていかない。

 ♪大きな世界を変えるのは一人の小さな動きから とは、敬愛する中川五郎の「一台のリヤカー~」の歌詞の一節だが、まさにその通りだと思う。
 
 参院選の投票日である。選挙権のある国民一人一人が自らの意思を示すときがきた。政治の安定を求め、消費税10%も含め令和の新時代もまた日本人は、自公政権にこの国を託すのであろうか。
 どのようなことでも今の政治に不満と疑問があり、何かおかしい、間違っていると思う方は、その気持ちを選挙で示せるときが来たのだ。声を上げなくても選挙でその意思は示せる。
 生活が苦しい、生きていくことが辛く大変だとするならば、それは「自己責任」だけではない。そういう環境を築いた「政治の責任」も当然大きいはずだ。
 世の中は不公平だと思う者は、その「不公平」を糾す政治を求めるべきではないのか。

 選挙に行こう。棄権は、自公政権を無条件で信任したことに繋がる。このまま安倍政権の暴走を許してしまえば、大きな世界は何一つ変わらない。「安定」の先に待つものは、国民生活の破壊と国家の破綻、日本の破滅である。誰もが生きていけなくなる。
 貴方の一票で大きな世界を変えていこう。

少しだけど大きな変化の兆しが見えた2019年7月の参院選。2019年07月22日 01時31分02秒

★世界は少しづつ変わっていく。その都度失望や絶望してはならない

 新元号令和初の参院選の結果がほぼ判明した。投票率の低さはさておき、その「結果」に関しておもうことを記しておく。

 おそらく多くの人は、また自公政権が勝って、何一つ政治は変わらないと思うのだろう。じっさい結果だけはそうで、安倍政権がまたしても信任された、消費税アップも国民は容認したと彼ら自身もマスメディアも喧伝するのだろう。
 が、全体としてはそう見えても各地ごと個別の選挙区を見れば、国民の冷静な審判はどこも正しく下されほぼきちんと選挙結果に反映されている。
 22の勝敗を大きく左右するとされた一人区は、結果として10しか野党統一候補は勝利できなかったが、被災地東北は、岩手、宮城、山形とほぼ野党がとれたし、その他、沖縄は当然のこと、新潟、滋賀や大分などでも勝利できた。
 このことは、次の衆院選に向けて、どれだけ共闘が本気か、問われる試金石と今回の参院選はなったと信じる。

 個人的に、我はずっとマルキストであり、日本唯一のその思想政党・日本共産党を支持してきたが、今回はあえて距離を置いて見ていた。というのは、先の大阪での維新との知事選・市長選のW対決選挙での自民との連携というあってはならない大きな「過ち」を反省しない現、志位・小池体制に対する抗議であり、このことは後々まで糾していくつもりでいる。敵の敵は味方という理論は共産党には成り立たない。
 よって今回も大阪では共産党は現有議席を落とすという、当然の審判を受けた。今の維新の勢い復活に火をつけたのは、ひとえに共産党であり、今回の議席減は自業自得だとあえて言いたい。
 繰り返し言う。維新憎しと言えど、自民党と手を結ぶのは共産党ではない。まさに維新の幹部が指摘する通り野合であり、真っ当な大阪市民は、そんな理不尽さに、ならば維新を、とあえて支持するのも当然だと思う。
 いまの共産党は、組織力も知名度も昔のような弱小泡沫政党ではなく、埼玉のようにある枠内ならばちゃんと当選できる実力と支持を得ている。なのに、それ以上の広がりがなく議席に結びつかないのは、現執行部のあまりにも無節操な場当たりの優柔不断さだと我は思う。
 野党協力はいい。が、どんなときでも共産党は共産党らしくその矜持を保ってくれ。その大義の旗を何で下すのか。何でも反対共産党と揶揄されたごとく、オリンピックも皇室に関連した事案もきちんと反対を貫け。憲法違反の皇室を何で他党と一緒になって祝賀するのか。何でもソフトに、大衆に愛されようと変質を強調するならばマルクスレーニン主義という旗印を下ろしてそれこそ「共産党」という党名を変えればいいだろう。共産党とこれからも名乗るならば、かつて獄中に囚われ迫害された先人の苦労を思いどんな偏見や弾圧にもめげずに真理の大義の旗を高く掲げていけ。

 と、つい筆が滑ったが、京都で定数2でありながら当選果たしてのは心から喜びたいし、それこそが真の実力なのだと我は信ずる。野党共闘も真に正しく「共闘」できるのならば、間違いなく自公勢を粉砕できると期待する。問題は他の野党とそれだけの信頼関係が築けるかだが、玉木代表や枝野氏も今回の結果で、ほんとうに本気での「共闘」の大事さを深く認識した発言をしているので結果としては良かったのではないか。

 選挙民はバカではない。単純に保守VS革新とか、与党対野党と言う図式では支持は集まらない。つまるところ候補者自身の魅力と、いかにそれを支える人たちの本気度で、全ては動き出していく。選挙とはそういうムーブメントを作り出せるかだ。今回当選した人たちを見る限り新人であろうとまさにそうした波が生み出せたか、すぐに見て取れる。

 ともあれ、今回の参院選、小さいけれど少しづつ大きな変化の兆しが見えて来た。そのことを心から喜びたい。
 世界は変わる。中山ラビさんのうたで、「人は少しづつ変わる」とあったと思うが、まさに「少しづつ変わっていく」。
 我は一気に、今回の参院選で自公が歴史的敗北して政権交代となるなんて思いも期待もしなかった。結果として、またまた自公安倍政権大勝!!というテロップを思い描いていた。しかし、結果は、改憲勢力の減少も含めて、ほんの少しだけれど、「変化」の兆しがはっきり示された。見える人には見えていたのだ。

 そう、全てはここから。ここからすべてが始まる。いま、この場所から。我らは当たり前のことを続けていこう。真っ当な政治を求めて。世界は必ず変わると信じて。

「世界」が変わらない、変えられないとするならば2019年07月22日 09時41分44秒

★まず、自らを変えていくしかない

 金と巨大な権力を持つ者たちが支配する「世界」はおいそれとは変えられない。今回の参院選を通して見ていてつくづくそう感じた。

 ネット上でもラジオなどでもやたら自民党の選挙広告が流れて来る。つまりそれだけ金があり湯水のように自由に金を使えるのだ。
 選挙結果に対してまたしとも、と失望している方も多々いるかと思う。しかし、我は、巨大な権力、しかも金をしこたま持っている彼らに対して、持たない者たち、れいわ新選組も含めて実に健闘したと思う。そう、金も組織もない者たちが、巨大な壁に立ち向かったのが、この選挙結果なのだ。

 今回は、どこにも風は吹かなかった。ということはガチンコの体力勝負となる。鍛え上げた巨大な体躯のベテランプロレスラーに、ひ弱な子供がそれぞれ立ち向かうが如く、何とか総力戦でいくつか勝ち取ったが、比例という大土俵では成すすべもなくねじ伏せられた感がある。よってそこで、今回の自民党の勝利もまた当然の結果なのだ。ならばこれを野党も善戦、「健闘」と考えねば闘った者たちに失礼ではないか。
 そしてこの「結果」が、また次の選挙に繋がり、敗れた者も含めて新たな糧、さらなる知恵と力になると信じたい。そう、ヒトは敗北からこそ多くを学ぶことができるのだから。

 世界は一朝一夕には変わらない。それは大災害、巨大事故等なら「変わる」、変えられてしまう、かもしれないが、政治の世界は一回の選挙、それも参院選のような改選議席が半数では変わりようもない。小さな変革の芽を、いかに次につなげていくか、だ。
 そう、全ては少しづつ変わる。表面から見えない内部の地殻変動もあろうし、ずっと気づかない、わからなかったことがある日突然わかる、見えてくるときもある。

 しかし、真に変革を望むのならば、現状を変えたいと願うのならば、「世界」が変わらないからこそ、こちら側が「変わる」、変わらなければならない。
 ※それは、強大な自民党に屈して、頭下げて軍門に下った長嶋氏や細野某のような支持者支援者への「裏切り」であってはならない。それは変わったのではない。「負けた」のだ。誰よりも自分の良心に。投げ捨てたプライドはもう二度と戻らない。誰も彼らを信頼しない。

 変わると言うのは新たな戦略見直しであって、これまでのやり方、思考法では限界があると知ることからだ。
 政治の世界に限らない。我はこのところずっとそのことを考えてる。この大きな「外」の世界=現実をどうしたら変えられるのか。
 変えられないからこそ、まず自らがこれまでの考え方を変えて、「内」から「変わる」、変えなければならないのではないか。

 何であれ、始めるのに遅すぎることはない。全ては今ここから、この場所から、できることがある。変えていこう。変えられる自信がある。

 この件については多々書き足したいこともあるけれど、まずはいったん手を置く。
 今日も曇り空。夜間にまた小雨が降ったようで道は濡れている。だが、昨日よりは幾分涼しい。
 政治のことはひとまず置いて、今日からまた新たなスタートだ。ここから、まず自分から変えていく。今朝は幸い足の痛みはひどくない。

この夏以降の予定と、マス坊の「人生相談」2019年07月23日 22時03分17秒

★まずは、7/23日(日)に「じみへん」で、みほこん+太田三造ライブ

 ようやく異常な冷夏も出口が見えて来たのか、このところは晴れ間もあるし、予報ではこの先は晴れの日が続くとのことで梅雨明けも間近い感じがしている。今日も湿度が高く蒸し暑い。やっと日本の夏が戻ってきたようだ。
 参院選の総括というか、いろいろ思うところはまだ多々あり、書き足せたらと考えてはいるが、ともかく今は時間がない。体調もすぐれず、なのにやることは山積みで、痛む足をかばいながら今日も洗濯をはじめとしてあれこれ家事に追われ動き回っている。

 この夏から秋の予定は、10月の中川五郎との「五郎と共謀」コンサートだけの予定だったが、ごくプライベートな集いだが、我が世話人していた秘密結社・旧「ハヤシヨシオ的メモリアルクラブ」の残党に向けて、「サマークリスマス2019」を今年は開催することが決定した。
 ご存知の方もいるだろうが、いつもどおり8月25日だ。そう、TBSのアナウンサーだった故林美雄さんの誕生日に、である。
 幸い今年は日曜でもあるし、昨年は参加者が少なかったので予定はしてたものの中止にした経緯もあり、今年は何としても盛況に、という思いもある。

 場所は、井之頭公園駅近くのスタジオをお借りして、昼過ぎから夜まで、だらだらやっている。基本は、そのクラブ会員のだけの集いだったけれど、かつての深夜放送や70年代以降のサブカルチャー、映画などに関心お持ちの方なら、当方は拒まない。
 前回、一昨年は、会員でもある、さこ大介のミニステージが大好評であった。
 何をするかというと、前半の一部は、スタジオで、昔の映像を流したり、三留まゆみの『映画塾』特別篇・ミニトークショーとシンガーソングライター館野公一の『語り歌・映画うた』を予定している。今年は、久々復帰登場、三留まゆみ嬢のトークショーで盛り上がる事であろう。

 後半・二部は、階下の畳部屋に移動して、アルコールも含む飲食で懇親会。会費は、まだ確定ではないが、通して三千円程度に収まればと考えている。
 クラブの会員でなくても誰でもご参加歓迎するが、飲食などの支度の関係上、事前に、お知り合いの会員、もしくは、我マスダに連絡してほしい。さすれば、会場の住所、行き方、時間など詳細をお知らせするので。まずは、このブログの掲示板にでも問い合わせも含めて書き込んでください。非表示なので、ご連絡先にこちらから返信しますので。

 こんどの日曜の東中野じみへん。前回みほこんと太田さんの二人でやった再演であるわけだが、今回は我も多少はライブの構成に関わっているので、またやや違った二人の一面が見られるかもしれない。
 基本参加の方向で気持ちも予定も進めているのだが、果たしてその日、無事に電車に乗って歩いて行けるか、だ。

 その他、我、マス坊の人生について、皆さんに相談いたしたいこともある。なにはともあれ、まずは猫のことだ。どなたか、誰か子猫を飼ってくれる方はおられないでしょうか。あるいは、欲しがってる方をご存知か。かわいい子猫、何匹でもタダでお譲りしますんで。

今週日曜、東中野じみへんで、みほこんと太田三造ライブ再演2019年07月24日 23時21分29秒

※みほこん製作ののフライヤー転載
★ぜひ、お気軽にご参加ください。

子猫あげます2019年07月25日 07時21分09秒

★マス坊の人生相談・① 子猫案件

 昔、70年代半ば頃の月刊漫画『ガロ』誌上に、あの嵐山光三郎が、読者からの悩み相談に答える「人生相談」欄を持っていた。※ちなみに後に村上春樹とのコンビで人気者となった故安西水丸も初めて知ったのは、嵐山氏関連のオモシロ連載のイラストであった。

 氏のことだから当然ながら、真面目相談にマジメに答えるというものではなく、どーしょうもないくだらない相談事に、偏見と冗談とウンチクで答えると言う「お笑い」コラムのようなもので、後の中島らもの「明るい悩み相談」に繋がるバカバカしくも面白い必見の読み物であった。
 その中で、あるとき、一読者から質問が届き、それには「ずっとこの欄を読んでるが、先生は、嵐山光三郎の人生相談と銘打ってるのに、常に相談を受けてばかりで、ちっとも自らの相談をしないじゃないですか!」とあって爆笑した。
 さすがの嵐山氏も、う~む、とその指摘に感心して、すぐさま自らの「悩み」を読者に相談していたと記憶するが、その相談がどんなであったか思い出せない。

 さておき、それに倣ってこれから折々、そのときどきの我マス坊の人生上の悩み事を「人生相談」していきたい。読み手の方からの「回答」があれば有難いが、なかろうとそれはそれでかまわない。
 よく言われるように、「相談事」というのは、人に話すこと等、外に出した段階で、たいてい五割方以上実は答えは定まっていて、後はそれに他者からの認証がどれだけ得られるかだけだとされる。ほんとうに悩んでいるときは、「相談」するまで至らない。
 何であれ、外に出すことが大事なわけで、悩みが解決しようとしまいと、内に籠って悶々と悩んでいるよりともかく外に、他者にも知らせていく。つまり書き記していく。


 まずは、猫案件である。実はいまウチは今春子猫がまた産まれてその数は実に七匹!!。大人猫も含めると何と計10匹。ずっと犬猫飼ってきた経歴の我でもこんなに猫が増えたことは生涯初の困る事態である。
 いったいどうしたものか。古本カフェは断念して、猫カフェを始めれば、という「回答」は、有り難いが、現時点では父もまだ存命、在宅なので店は開けられない。現実的解決策にはならないのであしからず。

続・子猫あげます2019年07月26日 23時11分46秒

★恥を覚悟で相談、お願いします。

 そもそも迂闊だったのだ。愚かさは毎度のこと、今さらカンタンに改まるわけではないが、生き物、命あるものなのでどう「処分」するか頭痛めている。
 そもそも我が家には、常に猫がいるが、告白すれば我自身は猫などさほど好きではない。猫偏愛は父であり、我が母も猫など可愛がってるの見たことがなかった。
 我は今も昔も圧倒的に犬派で、犬ならもっと飼いたい増やしたいと常々目論んでいる。が、猫は、そんな我の心の隙をついて常に家に自らやってきて、繁殖を繰り返し、今回はついに七匹子供を産み、この貧しい我家の家計をひたひた圧迫している。
 七匹と書いたが、一匹の親がそんなに一度に産んだわけではない。犬ならばラブラドール種などは、一匹でもそのぐらい多頭出産はままある。が、猫は我が記憶にあるかぎりせいぜい多くて4匹であり、実は7匹は、二匹の雌親猫が、今回ほぼ同時に3と4という出産したため合わせた数字なのだ。

 経緯を記す。
 我が家には、以前から灰色の雑種の雌猫がいて、それは十歳を越す老猫であった。そいつは避妊手術もしていたから今はもう猫など増える余地はなかった。※その猫グリコは今も健在。
 そこに先年、キャラコと名付けた人懐こい野良猫が近所の人を介してやってきて、そいつも飼うことになった。元から野良で耳も切られていたから地域猫としてこの地区をふらふらしていたらしい。
 野良ゆえ苦労したからか誰にでも愛想よく音楽も好きで、拙宅で人が来てギターやうたの練習していると階段をトコトコ上がって来て、愛想ふりまいていた。いわば無頼庵の「猫店長」であった。
 が、あまりにも暢気すぎて、道路で昼寝していたところ宅配便?のトラックにはねられて来て数年で事故死してしまった。さすがの我も意気消沈、可哀想なことをしたと悔いが残った。

 と、その直後、そこに黒い子猫がどこからともなくこの界隈をちょろちょろし始めて、近隣の人たちは気に留めたが野良猫らしくすばしっこくて絶対に捕まらない。
 ところが、ある日、玄関を開け放していたとき、その子猫は我が家に入り込み、台所の土間にしかけておいたネズミ獲りの粘着シートにひっかかって大騒ぎしていた。それは2015年の頃だったか。まだ母は生きていて父も自由に歩けていた。
 我は出かけていたと思うが、その騒ぎに気づき、シートごと持ち上げて、暴れ怒りまわる子猫を何とかベタベタからはがして、父母たちの寝室の裏側スペースに放り込んだ。身体中の毛がトリモチ着いた状態で、そのままだと自力で生きていけたかわからない。積み上げた布団や衣類の山に隠れて隠れて姿は見えなかったが、餌だけ与えて時間かけて人間に慣らした。キャラコが死んだことでこの突然の来訪者もまた何かの縁だと思った。

 そうしてその野良の黒い子猫は、半年ぐらいかけてやっと触れるようにもなり雌だとわかった。で、一年もしないうちに、気づいたら妊娠してしまった。しかしそのときは、身体が小さかったこともあり流産して子は育たなかった。
 そしてまた一年が過ぎて妊娠。今度は、無事に二匹子猫を産んだ。キジ模様の入ったオスとメス一匹だった。なかなか可愛い子猫で、貰い手もみつかりそうだった。
 ところが、である。やや成長して二匹で猫ドアから外に出始めるようになってきて、我も心配していたら、ある日忽然と二匹とも一緒に消えてしまったのだ。母猫である黒猫も必死に鳴いて探し回ったがどこにもみつからない。まるでUFOに連れ去られたかのように。
 一匹なら事故とか、猫好きな人に拾われた可能性もあるが、ある日突然二匹一緒に姿を消してしまったのだ。※お隣さんから後々その家の庭でみかけたという話を聴いたが、どうやらそれは記憶が前後していたらしい。人さらいならぬ、猫さらい、猫獲りにつかまってしまったのか。
 せっかく育ったこねこを失い親猫も飼い主も非常に悲嘆にくれた。

 そしてまたさらに一年。黒猫は、またしても妊娠して二階の納戸に隠れていつしか子猫を産んだ。先の子猫が消えてしまってからか彼女もさらに注意深くなり、我家のガラクタ置き場の一室の中に入ってなかなか姿を見せなかった。
 我は、膨らんでいたお腹が萎んだのは確認したが、無事子供が生まれたのか何匹いるのかも半信半疑であった。
 そして夏が来て、ある早朝、寝ぼけ眼でトイレに起きたら、母猫とほぼ同じぐらいに育った黒猫が二匹、その母の周りにまとわりついている。いつしか成長して自ら納戸から抜け出し大広間のほうに出て来たのだった。そいつらも当然人間は初めて見るわけでなかなか慣れなかった。
 それでも餌を与えて根気よく世話していたらしだいになついて二匹とも雌だと判明した。一匹は毛がやたら長くてモフモフしているのでモフ子と名付け、もう一匹は母とそっくりなのでジュニアと名付けた。モフ子は性格がおっとりしていてなつっこい。黒いチンチラのようだ。
 幸いそのモフ子は、パートナーを亡くされた某映画評論家が飼ってくれたので、ウチには、母黒とそっくりのジュニアだけ残された。それが去年の話。※写真はモフモフとその新たな飼主さん。

続・続・子猫あげます2019年07月27日 18時35分19秒

これは、ジュニアとその子供たち。キジ2と黒2づつ。
★猫は増え続けて

 その時点で二匹とも雌なのだからすぐさま避妊手術をすべきであったと今にして気づく。そしてそのことを咎める良識ある方々も多々おられると思う。
 言い訳にしかならないが、まずその黒い野良猫がうちに来て何度か妊娠騒動を起こした頃は、ちょうど母の癌末期の頃と死後の様々な手続きに追われていた時期と重なる。
 正直、猫のことなど餌をやるのが精いっぱいで、まさに放擲、ほったらかしにしていた。そして今もそのネグレクト気運は続いていることは何度も書いて来た。また、その黒猫は、一度目の子は流産、二度目の子は失踪、ということもあり、せめてもう一度ぐらいはきちんと子供を産ませてやりたいという気持ちもあった。しかし・・・

 前回も、二匹産んだ黒猫の内一匹は貰われていったしても、その親も含めて雌が二匹この家にはいたのである。そして今春、また、うかうかぼんやりしていたらまず母猫が妊娠したことがわかった。が、毎度のこと、せいぜい二匹ぐらいしか産まないだろうと傍観安穏としていた。
 そしてそこに彼女の子のジュニアもまだ子供だと思ってたらちょうど一歳で、妊娠していることがわかったのだ。
 そしてあろうことか、今回は母黒猫が3匹。その子の黒猫ジュニアが4匹!という子だくさんの出産となり、我家は、子猫が3+4+親2、それに元からいる老猫が1、という合計10匹の多頭飼いとなってしまった。

 子供七匹の内訳は、確認できた限りオスは一匹だけで、圧倒的に女子力が高い。猫の世界は、オス猫はある歳になると必ず修行に出て家出してしまうから、後々手はかからないとしてもメスは家に居つく。
 今のままでは、来年の今頃は、単純計算で子猫が30匹以上増えていることになろう。早く貰い手を探して残ったらば手を打たねばならない。
しかし餌代も猫砂もその世話もまた大変なのである。動物園の飼育員は仕事で給料が出るが、父の介護も含めて出費がかさむばかりでマス坊の人生、これからいったいどうなるのか。危機一髪である。

靴に高い中敷き入れて東中野じみへんへ2019年07月28日 23時59分56秒

★みほこん&太田三造共演ライブ

 左足底が痛くなって「足底筋膜炎」と診断されてから初めて、久しぶりに電車に乗り東中野の「じみへん」へ行ってきた。お知らせしたように我らがみほこんと太田さんのジョイントライブである。

 昨日Amazonで注文して今朝がたさっそく届いた二千円近くする医療用のインソール(中敷き)を靴のカカト部分に入れて初の外出である。
 確かにその柔らかい中敷きを靴の中に入れるとだいぶ衝撃はやわらぎ痛みは軽くはなる。しかし元のようにスタスタ速足でフツーに歩けるわけではなく、やはり階段の上り下りには難儀した。
 登るのはともかく、降りる時が体重が足にかかるからどうしても慎重に、ゆっくりとなる。そんなで太田さんとライブ前に約束した打ち合わせの時間に間に合わず暑い中かなり待たせてしまった。ホームに降りることに時間とられ目の前で東京行きが出てしまったのだ。

 自由にスタスタ歩けないという障碍者、その身に自らなって気づくのは、駅にはもっとエスカレーターなどどの駅にも、どの階段の上り下りにも必要だということだ。
 我の最寄り駅は、橋上の改札口までの上りにはエレベーターがあるが、肝心のホームに降りるのには自ら階段を自力で一歩一歩下りねばならない。これが痛くて一苦労であった。
 何故か、JRの駅には、階段の上りにはエレベーターが多いが、逆にホームに下りるのにはそれがない。登山でも大変なのは実は上るより下りるほうだと膝や足の負担を顧ればわかるはずなのに、乗り換えの中野駅も東中野駅も下りのそれはない。これでは真のバリアフリーーではない。
 車椅子利用程でなくても歩くのに辛い人はかなりいると思う。21世紀はさらなる高齢化社会なのだから当然のこと公共機関は動く歩道はともかく、どこも全ての階段には上下ともエスカレーターを完備してほしいと望む。
 
 さておき、その「じみへん」でのコンサート、素晴らしい出来であった。我と長年親しくお付き合い頂いている旧知のお二方だが、二人だけの共演ライブは前回のじみへんが初めてで、今回はその再演である。
 非礼を承知で記せば、その前回ときは、二人はきちんと最低限の打ち合わせもできなかったことからもう一つうまくかみ合わなかった。
 悪い出来だったとは言わない。即興の天才みほこんは一生懸命唄う太田さんにバイオリンで合わせたが、我が望み期待していたものには至らなかったのだ。天分ある二人の持ち味が相乗効果とならないでいた。
 でセンエツながら今回は、事前に太田さんとシークレットライブを開き、彼の主な持ち歌をざっと歌ってもらい、それを編集してみほこんに送り、バイオリンやコーラスで共演できる曲をこれとこれと指定しておいた。イントロの入り方、間奏の位置なども。
 企画者ならともかくずいぶん出過ぎた行為だったと自分でも思う。しかしそうした事前に最低限の決め事がないと、ライブ本番ではうまく乗らないしまとまらない。我の大好きな、深く敬愛する素晴らしい才能あるお二人だからこそ、観客に最善のものを示してほしいと願いおこがましくもしゃしゃり出たのだ。※今かなり反省している。

 しかしそうした事前の根回しが効を奏したか、今回は実に素晴らしい、ちゃんとしたコンサートらしくなった。太田さんにとってもみほこんにとってもベストの出来となったのではないか。が、太田さんらしい自由闊達さを削いでしまったと言われればそうかもしれないし、我自身だけが満足してご当人をはじめ観客はご不満となったかもしれない。そもそもこれはマスダの身勝手な我がままかもしれない。我が企画進行するコンサートも含めて。

 ライブが成功して今思うのは・・・
 今後はもう事前にあれこれ口を挟むことはしないつもりだし、あくまでもミュージシャン、シンガー側の自己責任だと彼らに任せたい。ただ、終えた時点でこれからも率直な感想は言いたいし言うつもりでいる。たとえ嫌われたとしても。何であれ、表現行為とは自己満足に陥ってはならないし、第三者の目や声が届かない限りその先に真の発展はないと信ずるからだ。
 自己肯定も自己卑下もそれだけではいけない。何故なら優れたうたは、それだけで広く世の人に聴かれる使命があり、もはやそれは作り手だけのものではないからだ。

 なにはともあれ、太田三造という不世出のベテランシンガーを、もっと広く世に知らしめたい、その唯一無比の昔ながらのフォークソングのスタイルをもっと多くの人に届けたい。そこには彼しか歌えない真に傾聴に値する、後世に残すべき「うた」があるのだから。
 その思いはみほこんも同じだと思う。ならばこれからも機会と場をつくって、彼をしっかりと応援していきたい。アメリカフォーソングの父・かのアラン・ローマックスが、監獄にいたレッド・ベリーと出会い彼にしたように。
 そう、これも出会いなのだ。人が人と幸福な出会いをしたならば、自らのためにだけでなく、さらに世のためになるように活かさねばならない。
 神の計らいに人は感謝してそれに応えねばならない。

さあ、間もなく八月。反転攻勢だ!!2019年07月29日 07時36分43秒

★猫のことはともかく、何よりまず自らの人生と向き合っていこう

 良いコンサートと関われた幸福を噛みしめながら昨晩は深く寝た。夢も見ずにコンサートの余韻にひたりながら。

 昨日東中野まで出かけて歩いて心配していた足底の痛みは、今朝がたはさほどではなかった。取り寄せたインソールが効をそうしたかはわからないが、この病気は何故か寝起きがいちばん痛いのだ。特に無理にかなり歩くと翌日に痛みが悪化する。それが今朝は幸いそんなではない。

 我が左の足底・カカトの痛みが、「足底筋膜炎」という病気だとわかって、こうして周囲に告知すると、何人もの方から「私もなったことがある」とか「家族にも患者がいる」との連絡があった。そして、良い医者を紹介するとか、最善の治療法についてもご教示を受けた。実に有難いことである。※一説によると、10人に1人はこの病気にかかるのだそうだ。
 そうした御心遣いについて心から感謝するが、我は毎朝出勤する勤め人ではないし、この病気は基本、無理して歩かず安静にして時間かければ治癒するとされているので、この八月は出かける用事も少なく、できるだけ家に籠って足を使わず安静にして椅子での作業に専念しようと考えた。
 確かに、痛みをかかえて毎朝会社、学校などへ通勤していたらたぶん絶対に治らない。早く治さないと痛みは悪化しブロック注射とか打ったりせねばならない事態にもなろう。
 在宅で仕事していて有難いと思うのは、暑い中、満員電車に乗らないですむことだけでなく、出かけなくても良いから無理して歩かないでよいということだ。
 むろん改善の兆しも見えず、さらに激しく痛みが続くようであれば、ご教示頂いた医療機関にかかってみたいと思うが、まずはこの八月はじっと家で安静にして様子をみようと思う。

 このところずっと我の内に響く声は、何よりまずもっとしっかり自分の人生=現実と向き合え、ということだ。停滞していた家の片付け、自分の作業を少しでも少しづつでも進めていく。
 何しろ生きている限りモノは増え続けてまた新たな山を築いていくのだから、過去の「不良在庫」を整理分別、処分するしかない。
 今の気持ちは、すべてをなくして、いったんすべて終わらせて次の人生のスタートに歩を進めたいということだ。

 昨日、我の父以外の唯一の肉親、九州に嫁いだ我が妹から連絡があり、来月末に二泊三日で上京してくるとのことだった。その妹に、家のことを何か手伝ってくれとは請わないが、まずは彼女が寝泊まりするスペースもつくらないとならない。
 今はほんとうに家の内外足の踏み場もないゴミ屋敷と化して、ここからどう一人で人生を再建できるかという感じだ。しかし、まだ人生は続くと信ずるし、今年も年末クリスマスの頃には、拙宅でお世話になった方たち、みほこんや太田さん、さこ大介さんたち多くのミュージシャンを招いて盛大な謝恩ライブパーティを絶対に開催したい。
 何であれ先の目標や予定があることは良いことに違いない。

 今朝も晴れて朝から強い陽射しの夏の朝だ。しかし、うすら寒く雨が降り続く梅雨寒の頃に比べれば真夏日であろうと今の我はこちらを好む。たぶん今日あたり関東でも梅雨明け宣言が出ることだろう。

 さあ、2019年の夏、少しでも成果を出して、早く足は治して、実りの秋へとつなげたい。秋には大きなライブがいくつも予定しているのだから。さあ、がんばろう。全ては今日ここから、この場所からだ!