終わりが見えて来た2019年の夏に思う・後2019年08月22日 10時39分35秒

もうだいぶ大きくなってきた子猫たち。いちばん奥のは、超レア猫しんちゃん。
★まずは無事この夏を乗り越えて実りの秋を迎えたい

 というわけで、2019年の夏、八月は、時間あれば涼しい所みつけてひたすら横になっていた。ギターも一度もさわらなかった。

 と言っても、最低限のことはやらねばならないわけで、本の注文があれば期限ぎりぎりで発送し、父が在宅のときは、うっかり目が離させないから、どれほど身体がしんどくても仮眠も休息もできず、父を寝かしつけたら早く寝て、父よりも早く起きることだけに専念していた。
 だから、お泊り施設に送り出した後は、どっと疲れが出て、その後は、終日食事以外はひたすら眠り続けていた。

 また、お世話になった人のライブなどにどうしても顔出さねばならないときは、どんなに猛暑でも出かけたが、その後も翌日はどっと疲れが出、父がいなければ終日寝込む始末であった。※行かねばならないライブ、全部行けたわけではない。よしこさんとパギやんのはどうしても動けず諦めるしかなかった
 それ以外は猫や犬の世話だけで精いっぱいで、ただひたすら夏が過ぎるのを、涼しくなるのを待ち焦がれていた。何一つできなくても日々生き抜くことだけでギリギリでまさに命からがらであった。
 そして今、連日の曇り空のこの数日、蒸し暑さは残るものの気温は下がってきて、この夏を振り返っている。さあ、これからだ、という決意をこめて。

 若いときから、きちんと就職も結婚もせずカタギでない生き方をしてきたから、老後の悠々自適のライフスタイル、孫たちに囲まれ妻と二人でんびりと過ごす余生なんて願いもしなかったが、歳と共にますます人生は行き詰って、身体まで動かなくなりまさに困窮極まるとは想像できなかった。
 正直、何とかなるだろうと思っていたし、老いという「現実・事実」を甘く見ていた。しかし今さら悩み悔やんでも人生は二度ないのだからやり直しもきかない。今を少しでも何とかして、この先どう生きていくかだけだ。

 犬猫たち、動物を見ていて感心するのは、彼らは基本あれこれ考えないし当然悩みもしない。その時々の現実、現状に対して条件反射的に反応して、精いっぱい生きることだ。そして待つときには気長にひたすらじっとそのときを待つ。
 彼らには過去はないし、ある意味、未来もない。先のことなど考えない。あるのは今このとき、この瞬間だけなのだ。それを精いっぱい生き生を存分に楽しんでいる。
 思えば、この我も若い頃はそうであった。金はなくても身軽、気軽に思いついたら何でも始め、どこへでもふらっと出かけた。今思えば、僕は本当に自由だった。

 友部正人が、「どうして旅に出なかったんだ」を唄っていた頃のことだ。吉祥寺のぐゎらん堂に置いてあった、来店者が書き込むノートブックに、そのうたを聴いて、やむにやまれず東京に出て来たという書き込みがあった。それを読んで、ならばオレも、と発奮した。大垣行き夜行列車で、キセルして大阪に向かったのだった。そこで天王寺野音での春一番を知ったのだった。
 それが十代後半の頃で、もうそれから40年以上が過ぎた。鏡に映る姿は、かつての少年も蓬髪白髪の老人である。中国の古詩にある白髪三千丈という言葉の如くに。

 では何が変わったのだろうか。モノは増えて、身体はガタが来て、親たちは母は死に、父も間もなく最期のときを迎えようとしている。だが、自分は何一つ変わっていない。愚かさも迂闊さも含めて、その内面はあの十代のままだと断言できる。
 ならばもう一度、今さらながらも、とことん思い通りに自由に生きてみたいと願う。金で得られる自由もあるが、我は昔からそんなものは必要とはしなかった。
 先のことは確かに不安だし、これからも明日の支払いに頭悩ますことばかりかと思う。しかし、ともかく今、この瞬間、今日一日をとことん思い通りに生きていくことから始めるしかない。先のことをあれこれ憂いて思い悩むのはバカらしい。そんな時間あれば、今やるべきこと、今できることをほんの少しでもやることだ。
 誰のものでもない自分の人生なのだ。思い通りにできず、納得できないで終わらせたらモッタイナイ。

 勇造の古希記念の京都丸山はそんなわけでとても行けなかったが、彼のうたは、若い時からずっといつも常に我の中で鳴り響いている。そう、♪さあ、もういっぺん、火の消える前に、である。
 とことん自由に生きてやる。それが、自分にとってリベンジだと信じて。

 ※寓話『アリとキリギリス』の話でいつも思うのは、冬の寒さに死んでいくキリギリスだが、彼に楽しい夏の日の思い出があるならば、それもまた悔いなしだろうということだ。
 むしろ働きづくめのアリたちの方が不幸ではないのか。一番良いのは、キリギリスにアリは、食べ物を与えて、キリギリスは代わりに彼らに音楽を提供するという「共生」、助け合いの社会であろう。持つ者は持たない者に分け与えて、それぞれができる得意なことをすれば良いだけのことだ。
 トランプ、安倍流の分断と対立、亀裂を煽り作り出す社会からは何一つ生まれない。その行く道は破壊と滅亡だけである。そう、丸山議員曰く、「戦争するしかないじゃないですか」だ。

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