本日、国分寺「ギー」にて我マスダも出るコンサートがあります!2020年03月01日 11時50分00秒

★太田三造・山口敦子、そしてマスダで演ります。


以下本日の詳細です。

 ・日時 2020年3月1日(日) オープン18:30/スタート19:00

 ・チャージ ¥1500+ワンドリンク等

 ・出演 前座・進行役 マスダ昭哲 12ホールズハーモニカ
               山口敦子 ギター・マンドリン
               太田三造 ギター・バンジョー

 ・会場 ライブカフェ 国分寺 giee(ギー) 
  東京都 国分寺市本町2-3-9 三幸ビルB1 ℡ 042-326-0770
  最寄り駅 JR国分寺駅
 ・道順
 駅からの道順:
 国分寺駅北口を出て右手横断歩道渡り右折→そば屋左折→「大学通り」直進→右手「タイガー亭」の向かい「タバコ屋」(日曜休み)左折→右手「我楽多家」地下。(徒歩約3分)

苦難の二日間を終えられ、ただただ感謝2020年03月02日 06時28分55秒

★月末29日のコンサートまで一時の安らぎを

 また雨の朝である。このところ我の帰宅時になると弱い雨が降り出す。今朝はまだそれが残っているが、日中は上がるだろう。
 暖かい朝だ。6時過ぎまで、三本脚の猫を傍らに泥のように深く眠った。

 我にとってほぼ初の体験ともいえる、二日間の連続ライブ「出演」は、自分の出来はともかく、心配していた観客も来られて無事に終えられた。
 終えて今ただ深く安堵している。あらためてこの場で、観客、演者、場の提供者、関わって頂いたすべての皆様にただただ感謝いたしたい。
 疲れ果てたがともかく終えられたのだ。コンサートは成立したのだ。これでやっと自分のこと、家のことに向き合うことができる。

 私事だが実は、このところまたウチの犬猫たちが体調悪く、胃液を吐いたり、ほとんど何も食べられていないで痩せてきた。どうしたものか気にかかっていたが、動物病院に連れて行く時間もなく、落ち着いて世話することもできなかった。
 一匹は、先にもいちど診察をあおいだ老猫で、もう一匹は、唯一我家に今いる犬のベルコである。もうこの二週間以上、何が原因なのか、どこが悪いのかほとんど何も食べてくれない。老猫もほぼ同様の状況である。
 我の多忙はともかくこれでいったん終わったわけで、今日はまず犬から順次近所の、昔から懇意にしている動物病院に連れて行く。三本脚となった猫のキジ子が世話になった大型動物病院は支払いもまだ残っているので、何か行きづらい。

 たかが動物なのである。何を騒ぐと嗤う方もいよう。が、我には大事な家族なのだ。
 動物など飼っていると、いや、家族として共に生活していると、次から次へケガや病気ばかり起きて、その都度心痛め対応に追われて気が休まらない。ともかく世話も面倒で手ばかりかかる。
 が、彼らがいなかったら、我の家族は父だけなので、その父はもう余命いくばくもないのだから、家族としての動物たちがいなくなれば我は真に天涯孤独となってしまう。
 人は一人で生まれ一人で死ぬ者だとわかってはいるし、じっさい皆多くの人がそうして生きているわけだが、一人だからこそ、我には動物でも「家族」がいないと生きていけやしない。ほんとうに一人ぼっちになってしまえば、それでも大丈夫だと思えるほど強くはない。

 人は犬猫に限らず誰かに求められ、それに応えて生きている。求められもせず求めない人生は、真に孤独であり、それは「絶望」と同義のように我は思える。
 どんなことであれ人、動物に限らず求められ、求め合って、それに応えていくことこそが、ニンゲンなのだと信ずる。
 だからこそ大事なことは「出会い」である。

 コンサートの企画など世のため人のためだなんて思わないけれど、ともかく歌い手同士、場の店主、観客も含めてヒトとヒトとの関係を、「出会い」として結び付けられれば、我の使命、役割は果たせたと言えるかと思う。
 そう、それは、我が大昔に吉祥寺の「ぐゎらん堂」で学び得たことであり、近年は亡きのみ亭で、そして今はかけこみ亭で得たもの全てだ。

 だが、近年「出会い」は、そんな風に直接どこかに出向かなくとも今はネットの中で、じっさいにカンタンにできるようである。SNS、フェイスブックなどを活用すれば、情報発信だけでなく、自分にマッチした「友達」を、そうした人たちの場をセットしてくれる。
 こちらがこんなニンゲンだと明かし情報をアップすれば、システムがおオススメのグループ、気の合いそうな仲間たちを教示してくれるし、見た人は向うから友達申請してくれる。そうして友達の数、フォロワー数っていうのか、まったくの市井の方でも何千人も持つ人もいるようだ。
 しかし、何か違う。それはやはり真のトモダチではない。いいね!の数の多寡が幸福の度合いでは全くないことは言うまでもない。

 誰が言ってたか、コンサート開演前に、出演者の一人が話していた・・・・ライブの告知をする。すると、いいね!という反応はたくさん返ってくる。が、実際の集客はそれとは関係ない。だから、100のいいね!よりも一人のお客、実際に来られた人の方が有難い、と。
 「100のいいね!より一人の観客」。巧いことを言うと思って記憶に残った。
 そうなのである。人が人になにかを求めそしてそれに応える、何か少しでもできる返せるということは、スマホやパソコンの中だけではなかなか難しい。むろん義援金のように「送金」することはできるし、アマゾンなどで注文して宅配にプレゼントとして何でも頼むこともできよう。
 が、やはり何よりも人は直に会って、共に同じ場を過ごし語らうことからこそ、また新たな何かが始まるのではないか。

 人は一人では絶対に生きていけない。もし無限に使える電池があって、インターネットの受信環境があって、スマホだけ渡されて無人島で暮らすことになったら、人は生きていけるだろうか。今の人はともかく、我は絶対に無理である。人恋しくて頭がおかしくなることだろう。

街には、ショッピングモールには子供がいっぱい2020年03月03日 22時38分10秒

★これで拡大感染は防げるのか!?

 安倍晋三の思いつき的突然の全国の小中学校一斉休校の要請。
 それで我が町も、昨日の午前中は子供たちは学校に行き、いろいろ終業の荷物など抱えて帰宅する姿は見かけたが、今日からは春休みも含めて一か月間も夏休みに匹敵する長いお休みの始まりである。
 感染症御用学者の賀来何たら先生や尾木ママたちは、この晋三の独断的決断を高く評価していたが、果たしてこれで新型コロナの拡大はほんとうに防げるのか。

 今日、所用があって近くのイト-ヨーカドーへ昼過ぎ行ったが、そこのフードコートは、親子連れも含めて子供達でいっぱいで驚き呆れ果てた。
 普段は昼過ぎは、閑散とは言えないが、手持ち無沙汰の老人や退職者がのんびり新聞など読んだり寛いでいる椅子席のスペースが、平日なのに幼い子連れのヤンママや、低学年の子供達で満ち溢れている。
 しかも彼らはほとんどマスクなどしていない。それが奇声を発したりかけ廻ったりして騒がしいことこの上ない。驚き呆れ果てうんざりした。
 ニュース報道では原宿などでも学校が休みになって退屈した子どもたち、若者たちが街にくり出して若者たちでいっぱいだったとのこと。

 その感染症専門医たちは、拡大感染は、感染しても発症しない元気な若者たちが引き起こしていると新たな見解を表明して注意を呼びかけていたはずなのに、これでは逆にまさに感染源となる彼らを街に野放しにしたと言ってもよいのではないか。

 学校を一斉に休校にしたところで、彼ら子供たちが日中じっと家の中や学童保育の室内で、一か月間もじっとおとなしく息を潜めていると思うのだろうか。
 あえて言う、我もだが、安倍晋三夫妻は子供がいないから、その実態がわかっていないから子供とはどういうものか想像が及ばない。だからこんなバカな対策を考えるのだと、あえて言いたい。
 ※これは差別ではない。ヒトは経験したことのないことは、やはりほんとうのことはわかり得ない。子供というものは、残念ながら実際に自ら育ててみないとその実態、つまりどういうものなのかわからないものなのではないか。この論に異論もあろう。
 反論にも答えるが、つまるところ貴方は食べたことのない味を想像できるか? それはわからないはずだろう。同様に、よって彼らは、我もだが、子どもというものの実際は知り得ない。だから子どもの気持ちも含め現実・現状はわからないのである。よって「休校」させれば子どもは安全だと単純に考えてしまうのだろう。そこから生じるリスクは考えずに。
 
 こんなんでほんとうに拡大は抑えられるのか!?逆効果ではないのか。

 むろん子供達の命は何よりも大事であるのは言うまでもない。しかし、小中学校を急きょ休校にして起こる安全対策と、いきなりの政治決断で生じる経済的なことも含めた全体リスクはどちらが大きいか、これから間違いなく彼は問われよう。
 
 ともかく街は子どもたちでいっぱいだ。怖くて室内のショッピングモール、スーパー、ドラッグストアなどへは行けやしない。夕時など子連れの親子でともかく騒がしい。これでは元気な子どもたちによってさらに感染はまた広がっていくのではないか。※学者先生が言うように若者たちが感染を拡大するとしたら。我すら今日は不安に思えてきた。まあ、雛祭りの日ということもあるのかもしれないけど。

 後手後手どころか、政府が呼びかけるウィルス対策はまさに逆効果ではないのか。
 むろん一日も早い終息を心から願う。少なくともライブハウスが感染源だと特定されないためにも。まあ、我の関わるライブには若者たちはほぼ皆無だけれども。

ことさらに「不安」や「怖れ」に心まで「感染」するなかれ2020年03月04日 20時23分18秒

★いやはや、人心というものは今も昔もこうしたものか。

 我の家のすぐ近くに、サンドラッグというかなり大きいドラッグストアチェーンの一つがある。
 大通りに面しているから、駐車場も大きく植え込みもあり、我は朝晩の犬の散歩ではほぼ毎日その周囲を廻っている。
 それが、この新型ウィルスの感染拡大が大きなニュースとなってきてから、そこの駐車場は早朝から車がいっぱいで、開店の一時間も前から大勢の人たちが寒い中でも並んでかなり長い行列ができている。多い時は150人は並んでいたかも。
 最初は何か特売の広告でも撒いたので、それで行列が出来ているのかと思っていた。

 が、店頭の貼り紙を見てわかってきたのは、感染予防のためのマスクや手洗い用にアルコール消毒液などを買い求めてのことであった。
 ごくたまにマスクも入荷していたのかわからないが、本日は、マスクは売り切れとか、ティシュ、トイレットペーパーは有りますとか、店員が時おり押し寄せた客たちに向けて繰り返し放送もしていた。
 
 3月に入って、早朝からの開店前の行列はやや少なくなったようだが、それでも今もドラッグストアは常に車がいっぱいの盛況のようで、店から出て来る人は一様に、トイレットペーパーのロールの包み、ティシュの箱のセット、ペーパータオルなど紙類商品を両手にぶら下げて出て来る。
 この新型ウィルスの流行でマスクなどは必要だと考えるのは理解できるが、何故にトイレットペーパーやティシュまで慌てて買い求めるのであろうか。理解に苦しむ。誰かがそれらは売り切れるとデマでも流したのか。

 昔、我が小学生の頃だったか、オイルショックが起きて、そのときも似たような騒動が起きた記憶があるが、政府は紙類の備蓄は十分にあり、今後も供給されていると声高に言っているのに、けっきょく、皆が買いあさるからどこも品薄や売り切れとなってしまい、またさらにその「ない」という不安感から人は買いあさるのだろう。

 また、どこそこの介護施設で感染者が確認されたとか、あそこの中華料理の店だ、とか、熱いお湯を飲めば感染しないとか、我が小耳にはさんだだけでも根拠もない明らかなデマが愚かにも街中に拡散している。
 いつ終息されるのか、さらに感染は拡大していくのか、先が見えない「恐怖」が続く現状である。こうしたパニック時には、人心は常にデマに惑わされるものだと理解はしていたが、この現実には、正直驚き呆れ果てた。
 そして思った。大昔、今から百年近くも前の関東大震災の直後には、日本にいた多くの朝鮮人が、井戸に毒を撒いたとか根も葉もない噂が流行したことで自警団的日本人の集団によって虐殺されたことである。

あくまでも「要請」という名でのイベント「自粛・中止」考2020年03月07日 22時15分27秒

★コロナ恐慌後の大不況時代を我らはどう生きていくか

 新型コロナウイルスの感染が収まらず日々ぜんこく、世界各地でまた新たな感染者の報告が相次いでいる。
 そして今この国では、季節のイベントのみならず、コンサートや舞台演劇等、室内で多くの人が集まる催しそのものが感染拡大阻止のための「要請」として、自粛、つまり中止を余儀なくされている。
 先に、我は、先月末29日、そして3月1日と、二日連続で音楽のライブイベントの催しをともかく成し終えたが、今はまたさらにそうしたイベントに対しての風当たりが強くなってきている感がある。
 我の知り合いのミュージシャンからのメールでは、この三月初旬に開催予定していたコンサートの「中止・延期」の知らせが相次いでいる。
 フェイスブックでも同様の告知がいくつも届いた。新型ウィルスの感染拡大に繋がる恐れがあることもだが、確かに今は、音楽や芝居どころではない、国家的危機の非常時だという風潮が国民全体にただよっていて、この状況の中で、そうした「趣味・娯楽」的催しは開催しずらい。
 お客が少ないだろうという予測以前に、先だっての大阪のライブハウスのように、もしそのイベントから感染者が出て、報告されてしまえば、まさにアウトであって、主催者、ハコの持ち主はまさに戦々恐々としている。今回その名前が報じられた店は、改名して新規開店しないと経営は今後難しいのではないか。

 おかしな話だが、日本人というのは、何故かひとたび不幸な目に遭った人たちに会うと慰めいたわるどころか、逆に排斥する傾向がある。
 先の大震災と原発事故でも、フクシマからの避難して来た児童が新たな学校で「放射能がうつる」と排斥されたり、今回も感染したというだけで罪もない「被害者」を白い目でみて、あたかも感染拡大させた加害者のように除け者にしたりと、村八分的傾向はいつの時代も変わらない。
 我が祖母だって、渡良瀬の鉱毒被害で強制廃村となった旧谷中村出身だと言うだけで、「谷中の這い上がり」として移住した村の子からさんざん苛められたという話を聴いた。ニンゲンの傾向は百年たっても変われない。

 そのらいぶハウスから次々と感染者が出たとしても、それは店の責任ではまったくないのである。これが衛生管理を怠っての食中毒なら店側に責任もあろう。
 今回はただ単に、そこに保菌者が来ていて、狭い空間でクラスターっていうのか、一気に多くの観客たちに感染が広がっただけで、店側もミュージシャンもまったく責任も関係もない。単なる偶然でしかない。
 だが、ひとたびそうした騒動で名前が出、店の画像もニュースで出てしまうと、その店は、やはり怖いというイメージが出来て、人は足を避けるようになっていく。
 今、政府からの感染拡大防止のため「自粛」を求めるという、あくまでも「要請」を受けて、多くの興行主、イベンターが頭を痛めていることだろう。ふえて開催するか、断腸の思いで中止とするか。

 むろん「要請」だから「強制的」ではないはずである。が、もしその公演、運劇や音楽、講演も含め、それをあえて決行して、万が一、そこからまた新たな感染者が出たと報告されてしまえば、まさに非難ゴウゴウ、その責任者のキャリアというか、ビジネス生命は断たれてしまうだろう。社会的制裁を受ける。さらにその名前が出た店も閉店を余儀なくされよう。
 それでもあえて開催するというのは、まさに勇気と覚悟が問われる。そう、ほんとうに万が一のことが起きてもすべての責任を負えるのかということだ。

 基本、このウィルスはそれほど感染力は強くないし、罹っても致死率は低くさほどことさらに怖れる必要はないとWHOも含めて多くの専門家が諭している。
 が確かに死者だけを見ると、高齢者や他にも何らかの持病疾患がある人が多く、我も超高齢の父と暮らす者として、やはりことさらにそうしたライブイベントに行くことは「自粛」せざる得ない。
 何しろ父は、若い時に結核を病み、肺が薄く、しかもこれまでも何度も誤嚥性の肺炎を起こして入院した経歴の持ち主なのである。今度風邪であろうとインフルエンザであろうと、罹って入院したら高齢であり回復は難しいとは担当医の診断である。

 我は、何もこの新型ウィルスは怖れないし、罹ったとしてもそれで死ぬなんて考えもしないが、ともかく父に濃厚接触から感染させてしまえば、もうオシマイであろう。ならば、やはりこの大流行が終息するまでは、ともかく自ら企画のコンサートだけはさておくとして、他のイベントには極力、不要不急でないとしても出向くのは「自粛」するに越したことがない。
 安倍晋三の独断専行的、様々な突発的「対策」に、異論や不満は誰もがあろう。だが、その「感染拡大の怖れ」という文言を前にしては、誰も表立って抗議や批判は難しい。じっさい この我も様々なイベントに出向くことは自粛せざる得ないし、自らのも開催自体中止とするか迷い続けた。
 ただ、一番の問題は、こうした全国的「自粛」ムード、あらゆるイベント、行事の中止、公共のスペースが利用できなくなっていることで、そこに携わる人たちの経営、生活が成り立たなくなり経済活動の停滞として日本全体を大不況に陥らせることだ。
 このまま数か月もこの「自粛」状態が続けば、多くの企業が倒産する。それは観光業だけでなく、学校給食に関係する業界もだし、興行全般、演劇や音楽イベントに関わる人たち全てであろう。演者や興行ハコ側のみならず音響から舞台照明、宣伝美術までそれに携わって毎回収益を得て糧としていた人たち全てがまさに無収入となっていく。
 安倍晋三は、学童を自宅待機させた場合、親が仕事を休めば休業補償するとかあれこれ言っているが、フリーランスはその保証は受けられないし、まさに中止となったイベントは誰も補填してくれやしない。ただただ全て赤字持ち出しとなり、さらに逼迫困窮していく。

 オリンピック開催が可能か不可能か以前に、この国は、間違いなくこれまでに経験したのことない大不況となる。
 おそらくこの新型ウイルス終息後の日本は、多くの企業が倒産して姿を消して、働き方もそのものも変化して社会構造全体が変わってしまうだろう。
 コロナウィルスでの死者数の何倍、何十倍ものこの影響で自死も含めて不況による死者が出る。それも「関連死」と言えなくもないだろうが、その責任はまず誰にあるか、と考えればやはりいちばんは安倍晋三である。全てが後手後手と突発的独断専行で事態をさらに悪化、長引かせている。
 そして共犯はそのととりまきの安倍シンパというべき愚かな宰相を持て囃し支えてきた者たちであろう。官僚と御用学者、そしてNHKを筆頭にマスコミ、右派ネット市民もである。

 安倍政権は、石もて追われるごとに退陣していくことだろう。が、すぐその後に、我らが期待できる政権がすぐさま誕生して世の中は良くなっていくと安易に期待してはならない。
 大変な時代がやってくる。そのとき、もう一度我々日本人は、真にどう生きて行きたいか、この地球と向き合いまず何をなすべきかを自らに問い直さねばならない。
 それは、あの3.11の後に、国民は一度は誰もが気づかされ自らに問いかけたはずのことだ。だが、その「再考」をまた時間と共に忘れ、日々多忙とユーチュバー的享楽の最中で放擲してしまっていた。
 そしてまた今、再度の試練の時が来た。この非常時は乗り切れると信ずるが、「その先」の国家の在り方と、国民一人一人が真にどう生き直すか、あるべき姿を誰もがまたも問われているのだ。

何故、東京オリンピックは「自粛」しないのか、その声が報じられないのか!?2020年03月08日 12時00分35秒

★ともかく決行!!というのは、かつての敗戦前の大本営発表と同じ

 何であれ、政治の世界というのは、いかに現実をきちん見極め、刻々と変化する情勢であるならばこそ、適切な対応がどれだけ早くできるかが求められているはずだ。

 様々なイベント、お花見に至るまで、あくまで「要請」という名目で自粛せよ、と「中止」「延期」が国を挙げて求められているのに、何故か、今夏の東京オリンピックだけは一向に「中止」という「自粛」の声も動きも報じられない。全く不可思議というほかない。
 誰もがこの新型ウイルス感染拡大騒動が、この先数か月で完全に収まるとは思えないだろう。むろん、そうなればいいなあ、という「期待」はわかる。が、期待と現実はまったく別個のもので、今、3月前半の段階で、終息傾向が見えるどころか、日々国内でまた新たな感染者の報告が全国的に相次いでいるのだから、オリンピックも中止という選択肢も検討せねばならないのではないか。
 これが日本国内だけの話で、他の国は一切関係ないというのならまた話は違う。が、世界中で拡大感染の嵐が吹き荒れ、中国を除いて終息傾向は未だ見えていないのが現状なのだから、他の国からも選手のみならず観客の来日は難しいだろうし、たとえ日本が終息宣言を出したとしてもオリンピックとして成り立つのであろうか。
 ところが、森会長や小池都知事を始め関係者型は、一切中止は今も考えてないと言い張り、粛々と準備は進めるといい続けている。森会長に至っては、先のことはわからないのだから、とお気楽に言い放ってるが、それは誰にとっても無責任ではないか。
 
 かつて、この国は、第二次世界大戦、太平洋戦争で、日本全土壊滅的被害を受けた。東京大空襲の死者だけでもどれほどの数の民間人、一般市民が米軍の空襲で死んだがご存知か。
 そもそも、戦争の常識として、「制空権」がなくなった段階で、もはや敵国に対し「勝てる」ということはありえないのである。
 それを「勝利の日まで」とひたすら国民に耐えること、窮乏を強いて、戦況が日々悪化しているのにも関わらず、きちんと「終戦」に向けての交渉も進めず、本土防衛の要石・沖縄を見捨て、大都市に大規模な空襲、さらに広島、長崎に原爆が落とされてやっと「終戦」としてポツダム宣言受諾、「敗戦」を認めたのだ。

 その間、新聞やラジオ放送などのメディアはひたすら、戦況悪化は報じず、軍の敗走を「戦略的撤退」と言って誤魔化し、いつか必ず日本は勝利する。なぜならば日本は神の国だから、きっとまた「神風が吹く」と国民に信じ込ませ続けた。
 もっと早く、せめて本土上空に敵機である米軍機が襲来できるようになった時点で、敗戦を認め「終戦」への段階的手続きをとるべきであったのだ。それをせずにただひたすら「勝利あるのみ」と頑迷に囚われて、多くの国民の命が失なわれてしまった。

 今回の東京オリンピック2020も、現時点ではきわめて開催は難しいという声が、一部の心あるIOC委員からも出ているし、それが現実であろう。ならば、「そのとき」に備えて、突然中止発表となってあたふた混乱し大騒動に至る事ないよう、様々な手続きや検証は進めておくのが真に正しい政治家のあり方、見識だと思うがどうか。

この「非常時」、何を、まずどうすべきか2020年03月10日 18時25分04秒

★フリーランスを殺すには

 コロナウイルスの拡大感染の猛威が止まらない。今が、拡大阻止の「瀬戸際」だと言って、次々独断で場当たり的対策を打ち出し、学校休校をはじめ国民に様々な「自粛」と言う窮乏を「要請」している安倍政権である。が、相変わらずいつまでこの「瀬戸際」が続くのか、まったく先が見えやしない。
 当初の「二週間」が過ぎたと思ったら、次は19日頃が目安だと言う。果たしてそれで終息の兆しが見えてくるのか、またさらに「自粛」が続き高まり、強制力をもって国民に迫って来るのか。

 ただはっきりしているのは、公務員的な立場の人たちは、仕事が休業や自宅待機になろうときちんと給料は変わりなく毎月もらえるだろうが、フリーランスの人たち、例えば、アーチストやミュージシャン、役者や舞台関係者たちは、個々のコンサートやライブイベントで飯食っているわけで、それが全面的に中止となれば、まさに収入は途絶えて生きていけやしない。
 また、観光バスの運転手、ガイド、旅館経営者たち、各種アミューズメント施設、さらには学校給食などに携わる方々等、街には人が出ないのだから客商売全般閑散として上がったりだ。全ての経済活動が停滞している間は、フリーでないとしても経営悪化でその会社組織じたいが倒産し、多くの労働者が失業となるのではないか。
 今、早くもリーマンショックや、東日本大震災のときよりも経済活動が低下しその損失は大きいと報じられているが、まさに国家的、いや全世界的「非常時」である。

 我は谷保かけこみ亭でこのところ毎月「月刊・共謀」コンサートを毎月末の土曜に企画しているわけだが、1月、2月の回は、まあ幸い何とか無事に終えられたが、正直この先については大いなる不安を抱いている。
 じっさい、そこかけこみ亭でも、予定されていた企画が「中止」されたりと、他のライブハウス、音楽イベントと規模は違えど同様の傾向が出始めている。困ったことである。
 この状況が、さらに数週間続けば、ライフハウスなどの箱ものだけでなく、イベント会社や照明、音響会社などすらもコンサート中止による多額なキャンセル料と言う負債も相まって次々と倒産していくと危惧されている。

 コロナウィルスが奪うのは、人命だけでなく、接客業という商売もだが、文化的、非文化的は問わず人間活動全般だと見えてきた。
 そしてまず何よりも、被害を受けるのは、「あってもなくてもいいようなもの」、つまり腹の足しにはならない「芸術・文化」関連の事業、企画であり、それに携わる人たちの生活と人生であろう。
 ともかく歯を食いしばってここを乗り切り、この新型ウイルス騒動が終息するのを待つしかない。

 トイレットペーパー、ティシュやマスクに関して我は微塵も不安は持たないが、「これから」の先行きについて、漠然とだがいったいこの国は、いや、世界中がどうなってしまうのか、大いに憂慮している。
 今、何ができるのか、何をどうすべきなのか、ずっと自問しているが答えは出ない。
 ※実はさらにそこに家庭の事情で、先日もひと騒動起こり「「心配事」に心囚われていた。が、何とかそれは一つ、収まったかのように思える。後ほど拙ブログで書き記していく。そう、我が父のことだ。
 
 昔からミュージシャンを殺すのには、刃物はいらぬ、客が行かねばそれで済むと言われてきた。
 じっさい、我が関わるフォークソングの世界でも、かつて世がバンドブームなどで停滞期にあったとき、客が入らず多くのシンガーがうたをやめて別の仕事に就いたし、中には失望のあまり自殺してしまった方もいた。
 今この状況では、ライブイベント自体が自粛を余儀なくされているのだから、そもそも休業補償もない彼らはいったいどうやって生活していけば良いのであろうか。まさにギターケースを抱えて路頭に迷うしかない。

 音楽とか演劇とか文化的事業は、そもそもが食えない仕事なのである。それでも熱いファンたちに支えられて彼らは何とかそれを続けてきた。いま、そのシステムというか、その関係じたいが、この新型ウィルスと安倍晋三の腹ひとつで大きく揺らいでいる。

 すべてが収まったときに、街に流れる音楽はどういうものであろうか。
 昭和20年、敗戦後の焼け跡には並木道子がうたうセンチメンタルな楽曲「りんごの唄」が流れたが・・・
 果たして、そこに「うた」はあるのか?文化は残っているか。

全てに自粛せず、が抗わず、覚悟のうえで進めていく2020年03月15日 23時54分50秒

★特措法が出来てしまい、適用されようとも

 またブログ、間が空いてしまった。ご心配された方がいたとしたら申しわれなく思う。
 コロナウイルスで倒れていたわけでも逮捕拘禁されていたわけでもない。書くべきか迷っていたが、先日来、父の具合が良くなく、それに相俟って、(父は施設に預けて)息子である我自身も体調崩して頭痛とメマイでフラフラでひたすら寝込んでいたということもある。
 が、3月も半ば過ぎ、霙降る寒い日があったけれど、コロナウイルス感染拡大が続く大変な時世であるが、今さらながら頑張ろう、しっかり生きて行こうとやっと気持ちが戻って来た。

 国民の私権を奪う、首相の独断独裁をさらに加速させる悪法があろうことか、れいわ、共産、それに志ある議員数名のみの反対のみで、立憲、社民まで加わってほぼ全会的に成立してしまったことを心から情けなく怒りを込めて糾弾したい。
 どんな状況であろうとも大勢や時流に流されず、確固たる見識と国会議員としての矜持を抱く議員は今の国会にはほとんどいなくなってしまった。恥を知れ、立憲!!
 そしてだからこそ、真の仲間は誰なのか、信頼足る政治を求めて民は声を挙げて行かねばならない。そのためのアクションを、どのようなカタチでも続けていく。
 
 新型ウイルス感染拡大阻止のためには、人の集まる場に出向くこと、イベントも含めて誰もが自粛もやむ終えないとは思う。
 しかし、お上が命じたことに唯唯諾諾従うのではなく、もっと柔軟に、いたずらに怖れることなく覚悟を決めて検討を重ねて何事も「自主的」に行動していかねばならないはずであろう。
 でないと、全てが自粛により委縮し、結果として商売、経済が動かなくなり、大不況で国民生活はますます悪化、零細、中小企業など弱い者たちはさらに窮乏し結果として死滅してしまう。そう、我もまた。
 まずはニンゲンの経済活動の維持と文化活動の継続を求めてコロナウイルスとそれに乗じた安倍晋三の国民弾圧に殺されないよう、我は出来る限りのことをやっていく。
 貴方のお力を貸して下さい。

 3月28日(土)、「月刊・共謀」コンサート、3月の回も予定通りに変更なく盛大に開催していきます。主な出演は五十嵐正史とソウルブラザーズと志万田さをりです。乞う ご期待!!!

老いて死に行く父と最期の時まで逃げずに向き合えるか2020年03月18日 10時01分25秒

★また父のことを書かせてください

 我、マス坊は、感受性が強いというのではなく、傍らにいる他者の体調や感情に同調するというか、すぐに影響受けやすい性向で、ある意味「イタコ体質」ともいえる。
 先年、精神病院に入院している友人を見舞いに行っただけで、行く都度こちらまで精神状態がどんよりしてきて戻すのに苦労したこともある。
 実は、我が父がこのところだいぶ衰弱して来てしまい、今後についても思い悩んだこともあるのだけど、父につられて我も調子崩して時間あるときは無理せずひたすら寝込んでいた。※先の月末前後のコンサート連日という疲れもあって、ひさしぶりにメマイとふらつきが起こりおまけに下痢もしたり安静にせざる得なかった。
 おかげで幸い、この二週間、いや三週間近くこのブログも含めて、対社会的なことは放擲してしまったが、何とか体調も気持ちも回復してきて改めてがんばろう、という気持ちになってこれを記している。

 これは書くべきか迷い続けたが、今はいちおう父の体調も安静してきたようなので、やはりここに書き記しておく。そう、すべてをあからさまに正直に書いていくと宣言してこのブログを始めたのだった。
 父が死んでからでは「今さら」として書けやしないし、できるだけ状況というか、起きたことは早めに逐一書き記しておいたほうが、自分にとっても備忘録として役立つかとも思い書くことにする。

 先だって、3月7日の早朝?のこと。90代半ばとなる父は、ついに徘徊が極まって、我が起きたときは、鍵かけてあった寝室を抜け出して家の中のどこにもいなかった。玄関も鍵かけてあったのだが、台所の引き戸を押し倒してどこかへ消えてしまったのだ。
 幸いにして庭先の停めてあった車の中で、ほぼ裸状態で「発見」されたが、危うく警察や市役所に通報するところであった。むろんケアマネージャーや病院など諸機関には連絡したけれど。
 詳しく書く。

 父は、このところ週に二回、それぞれ別の施設に二泊三日でお泊りに行ってくれて、ウチに帰って我家で寝るのは、三泊しかない。
 ならば我の看護の世話はさほど大変ではないと思われるだろうが、やはり家にいる時は、この高齢の父は常に目が離せない。今は食べることも歩くこともそして下のほうもすべて難しくなってきているから、常に傍らにいないと心配なのだ。
 また、深夜にも履かせているオムツのパッドの交換をしないと、自ら濡れたそれをとり外してシーツを汚してしまうだけではなく、眠りが浅いときは「徘徊」しようと起きだして深夜に騒ぐこともままある。
 そんなで、父が在宅の晩は、基本我は仮眠状態で、目覚まし時計をこまめにセットして、数時間ごとに起きては父の様子をうかがっている。なので、二晩ほぼ徹夜状態で何とか父を施設に送り出した土曜日は、昼頃から夕方まで一日寝てしまう。※いまは、土曜日の「共謀」コンサートのある週は、特別に金曜の夜から施設に預けるようにした。

 そうした状況で、まあ何とか介護施設を利用しつつ、まだ完全に介護施設・病院等に入所させることなく自宅で介護続けてきた次第だが、いちばん困るのは「徘徊」も含めて「不穏」が起こることだ。
 「不穏」とは病院用語なのだろうが、患者当人が混乱し興奮して騒ぐことで、介護側に手を焼かせる状態を指す。
 父は、基本は温和な性格で、世の頑固親父とは違うマイホームパパだったので、老いて呆けても暴れたりすることはまずなかった。
 が、ボケがひどいときは、何か気になることがあるとそれに囚われて、何度説明しても繰り返し騒ぎ立てて落ち着いてくれない。その原因もいつそれが起こるか定かではない。
 では、ただひたすら大人しくじっとして日永うつらうつらしてくれたら有難いかというと、ならばもう別にこの家に帰ってこなくてもいいわけだし、こちらが苦労してつくった飯も食べてくれないのなら我が世話する意味も必要もない。
 やはり、家族として、我が父として、それなりの反応や会話を求めたいし、何一つ家事の助けになってくれないとしても犬猫ではないのだから、人として語りかける相手になってもらいたいと願う。
 もうほとんど何も反応無く、ただこんこんと眠り続けるようになれば、いや近くそうなるのだろうが、我が1人で終日介護することはできやしないのだから、老人専門病院に預けて施設で最後を看てもらうしかない。

 そんな父が、このところ3月に入ってから木の芽時と言うこともあるのだろうが、夜の眠りが浅くなってきた。
 ウチでは、父が施設から戻って来た日、その夕時は、まず着替えさせうがいと手洗いの後、体温測って軽くオヤツなど食べさせてからは、いったん晩飯まで昼寝させていた。
 夕方は、我の職掌柄、注文本の発送や犬の散歩や買い物などで一番忙しい。その時刻に父から目を離すことができないとすると何一つできやしない。
 が、夕方長く昼寝させてしまうと、夕飯後、今度は夜になってからなかなか眠ってくれずに、寝かしつけるのにまた苦労することになる。仕方なく録画しておいた父の好きな歌番組を見せたりあれこれたわいもない会話に付き合ったりしてかなり遅くなってからやっと寝かせることができた。
 そんなで3月となってから、父を寝かしつけて、もう深夜近く犬とごく近所を散歩して我もひと眠りしたいと家に戻ったら、寝たはずの父の部屋が煌々と明るく電気がついている。何か気になる事があって探しものしているのだとか言う。早く寝てくれと言っても騒いでなかなか寝てくれやしない。「不穏」である。仕方なく天井の蛍光灯自体取り外して、起きても何もできないよう真っ暗にして戸に鍵かけて寝かしつけたこともあった。※鍵をかけることに異論や批判もあろうが、閉じ込めておかないと深夜に家の中を徘徊して電気をつけまわったこともあるだけでなく、実際に庭先に出、転んで倒れてたことすらある。物音で気づいて確保したが、当人は寝ぼけて「犬がいなくなった、探しに出た」と答えていた。

 そして、3月7日土曜日の朝のこと。父が寝たのもかなり遅かったし、その日は、ショートステイに行く日でもあったので、つい我は疲れて明け方のオムツ交換を怠り朝まで眠りこけていた。
 まあ、何とか父はおとなしく眠ってくれているだろうと朝の7時に起きてもう一時間したら父を起こさねばと階下に降りた。
 そしたらば、鍵、というか、掛金がかけてある父の部屋の戸が外されている。ただ掛け金自体はまだ外れずにいて、戸の下の部分だけが敷居から手前に飛び出している。
 また父が出ようとして夜中に騒いだのか・・・ そのときはまだ父はその室内に寝ているのだと思った。が・・・

続・老いて死に行く父と最期の時まで逃げずに向き合えるか2020年03月19日 14時20分12秒

★【続き】

 疲れも出たのか、つい寝坊してしまい、明け方の父のオムツ交換をさぼって自分が起きたのは午前7時だった。

 父の寝ている部屋の引き戸は下の方が外されているが、上の掛け金の部分はそのままかかったままで枠から外れていない。
 だから、まだ父は部屋の中にいるとまずは思っていた。が、居間に行くと、廊下の猫の餌皿の位置が動かされていたり、誰かが置いてあるものをいじった後がある。おかしい、と気づきもしやと慌てて父の部屋を開けてみるとベッドはもぬけの空であった。布団や毛布はまとめて畳んである。
 慌てて家の中の裏側、父が以前、母と一緒に使っていた元の寝室も覗いたが、父の姿はない。玄関の戸は変わらず鍵がしっかりかかったままだが。
 いったいどこへ・・・と不安な気持ちで台所に行き、ふと外を見たら、いつも閉めてある台所のガラスの入った引き戸が、全開になっていてそこから庭が見えて風が吹き込んでいる。父はここから外に出てしまったのだ!!

 血の気が引くという言葉があるが、まさにその通りの気分で、仰天卒倒しそうになった。
 玄関の戸を開けて庭に出た。このところやや暖かくなってきたとはいえまだ3月、気温は零度近い早朝である。しかも父は最近はパジャマは着ずに父の言う「コシタ」、つまりオムツの上には股引しか履かず、上は長袖のシャツの上に薄いスエットのようなものしか着ていないのだ。
 頭をよぎったのは、凍死はしないまでも外で倒れて意識失っているという事態だ。杖ついたとしてもフラフラで自力ではろくに歩けない状態なのだ。それが1人で深夜だか早朝に薄着で外に出て徘徊しているのだから無事のはずがない。間違いなく転んで頭から血が出ている姿が頭をよぎった。
 また、これはまず警察に連絡すべきか、どう対処したら良いのかパニック状態ながらもあれこれ考えた。いったい父は動けぬ身体でどこへ消えてしまったのか。ともかく大変なことが起こった。立ちすくむしかなかった。

 と、ふと、停めてある我が愛車を見ると、父はその運転席と助手席に横になって眠っているではないか!
 ドアを開けて揺り動かすと意識はあって、こちらの大丈夫かとの問いかけに「寒いよ~」などと返事はある。
 抱き起してともかく家の中に入れてまずトイレに連れて行った。まだ外していなかった濡れたオムツ類を交換して着てたものも全部着替えさせた。股引などはかなり薄汚れていたが幸いにして身体にケガなどはないようで、体温も低かったがその時点では風邪などひいた様子はなかった。
 コタツで体を温めて、担当のケアマネージャーに連絡報告して、どうしたものか相談した。幸い当人も自分がしたことの記憶はなかったが、通常の意識もあった。何のつもりかと問うと、そんなことをワシはしたのか、何でだろうと、自ら不思議がっている。
 その日はショートステイに行く日だったので、軽く朝食を摂らせて迎えに来た若い職員に事情を説明してともかく送り出すことにした。もし容態に何かあったらすぐに連絡してくれと頼んで。

 父を施設に送り出してから改めて状況を確認した。元々モノで溢れていた台所は積み上げた食材も含めて椅子や皿が落ちたり倒されたりしてまるで大震災の直後のようである。とてもそこへ入れやしない。※元に戻すだけで一日かかった。
 まず父の寝てた部屋の引き戸だって、下の隙間から出るのだって一苦労である。上部は掛け金で固定されているのだからあの大男がどうやってそんなわずかな隙間から外に出られたのか。無理やり押し倒したのだろうがよく嵌めてあるガラスが割れて落ちずにすんだものだと不思議でならない。

 呆れ果てるしかないのは、狭い台所をあらゆるものをなぎ倒して、戸を押し倒して開けて、その台所の前の庭先、積み上げたガラクタの山をさらに乗り越えて外に出たパワーである。その破壊の力はまるでゴジラが上陸したごとくである。普段は自力で立ち上がることもできない老人が、杖もなしでどうしてそんなことができるのであろうか。転んだりしていないのか。

 さらに感心するのは、車に入って(我はこのところ車の鍵はかけていなかった思うしその日は窓も空いていた)、彼は運転席と助手席のシートをまず外して二枚重ねて縦に並べてマット上にして、その上に長く横になり、車内にあった膝掛のようなものを毛布代わりにまとい、ちゃんと枕のようなものまでも、あり合わせの車内にあったもので拵えて寝ていたことだ。
 外に出てから、ふと正気に戻ってどこかの段階で、これは困った、寒い、大変だと考えて対処したのであろうか。
 そもそもいったい何で外に出ようと大暴れしてしまったのか。閉じ込められている暖かい自室のベッドを抜け出し薄着で寒空の早朝?に外に出ようとする付き起こされる気持ちはどこから来たのか。
 もし車のキーがみつかれば彼は運転してどこかへ行こうとしていたのか。そうなったら間違いなく事故起こしてたことだろう。
 その騒動の当人は健在だが、そのときの意識は皆無なので何でそんなことをしたのかは永久にわからない。
 ただ今回だけは有難くもそんな大騒動、大徘徊にも関わらず、父は全く怪我もせず、その後心配された発熱などもなくともかくまた無事に今もまだ生きている。
 まさに神のご加護があったというべきか、強運の男としてまさに今回も運が良かったと有難く喜ぶしかない。

 しかし以後、我は、父がいる晩は、ほぼ一睡もできなくなってしまったし、父不在の日でも夜中に頻繁に起きる習慣がついてしまい体調が崩れてしまった。
 また、その父もこの大騒動で精根尽きたのか、以後は一気に体力が落ちてしまい、さらに筋力が落ちたのかもはや自力で立ち上がることはできなくなってしまった。
 さらに汚い話だが、小便のみならず大便までも始終垂れ流し状態となり、便秘より良いかもしれないが、オムツ交換も含めて下の世話に時間とられることがさらに長くなってしまった。いやはやどうしたものか。
 今も父を施設に預けていてもいつ向うから体調が急にオカシクなったと連絡があるかと深夜でも不安でならない。
 
 そんな大騒動があった。今回は無事で終わったと報告して良いと今はやっと思えるが、いよいよまさに命運尽きようとしている、この秋96歳となる超老人を抱えて、「そのとき」に備えて覚悟と準備を急がねばと今は強く感じている。
 我が抱える月刊共謀コンサート、何とかそれが続くこの一年間は、父も無事であろうと漠然と考えてはいたが、それはきわめて甘い楽観的な考えだと思えてきた。

 が、それから二週間過ぎ、幸いにしてともかく少しはまた持ち直してきたと思うようにして、消えかかるロウソクの灯を、消えないようにそっと手で覆うがごとくに、大事に大切に、その父の命を少しでも長く灯していこうと今は思っている。

 もう自分は逃げない。最後の最期のときまで、このおいてどうしようもなくなった父と生きていく。
 今日は木曜日、あと少ししたらその父も帰宅する。今日は風はあるがボカボカ陽気なので、陽のあるうちに少し車で公園にでも連れて行き手を引いて散歩しようかと考えている。何しろあと少しなのだ。