明日のこと、今も思い悩む2020年04月25日 19時54分35秒

かけこみ亭入り口階段 ※ペヒータさん撮影
★だが、確信は変わらない。
 
 ブログというのはあくまでも個人的なことで、心中を吐露する、そうしてもよいものだと信じてその時々の心のまま、思いのままを記して来た。
 自分一人でのことならば、どんなに恥ずかしいバカなことでも臆せずに書き曝すこともできるが、他者を巻き込んで公的意味合いのこととなると迷い躊躇う気持ちが強い。我は非人情で基本自分勝手、身勝手な人間だが、その愚かさのツケを他者にも負わせてはならないとその程度の常識はある。

 明日の「共謀コンサート」改め、「詩朗読とフォークソングの集まり」は、今も迷い不安に駆られるところ大だが、予定通り開く方向で進んでいる。出演される方もほぼ先のメンバーとさほど変更は現時点ではない。※だが、先の理由で大きく発表すると込み合うことも含め様々な問題が生ずる可能性もある。詳しくは我に問い合わせ乞う。

 さんざん悩み迷ったけれど、今回は基本的に、都知事の要請通りに、その時間帯の中で、万全の感染拡大防止体制で臨むわけだから、問題はないはずなのだが、やはりいちばん気になるのは、客の入りで、「多寡」のうち、寡、つまり少ないことでは毎回悩んできたわけだが、今回は逆に、多のほう、もし人が多く集まった場合について頭痛めている。そう、「三密」問題だ。

 都知事の好きな新カタカナ語の、「ソーシャル・ディス何タラ」が問題で、ある程度の人と人の距離、間隔を空けないと感染のリスクが高まるとされるのだ。
 それで今、場としてのかけこみ亭側もその問題でかなり慎重な対応を取らざる得なくなっている。

 このコロナウィルス感染拡大が続く現況下、聞けば、普段は客まばらなこの店に、先日のこと、夜になって酔客のグループが押し寄せて長居したらしい。つまり他店が臨時休業や時短している最中、開いている店をみつけて吞み足りないオヤジたちで密になってしまったわけだ。
 今回の催し、我としては、込み合うことがないよう、客には予め入場制限の場合もあり、と告知しているが、そうした本来は関係のない酔客たちが来る場合も想定しないとならない。

 内内の催しのため「本日は貸し切り」とか、「一見さんお断り」というのは野暮だが、同様の告知を外に貼り出さないと、いつもの常連、本来望み来られる人たちが入れなくなってしまう。
 入場制限するとしてもどの人数で区切るべきか、頭が痛い。

 ある意味、最初から全面的に「自粛」「中止」として、じっと家の中で息を潜めて長い春休み、春籠りをしていればどれほど気が楽か、他の人たちにとってもそのほうが良かったのではないかと自問悶々としている。今も心中穏やかざるだけでなく手が震えている。
 
 が、戦時下に近しい、この異常な状況下だからこそ、国民誰もが先が見えないことからの不安と自粛自粛のストレスで、気が昂ぶり苛立ってギスギスしている「今」だからこそ、うたや詩、音楽という希望と慰安の場は維持・確保していきたい。

 我は、最近、何故にあの関東大震災のときに、民衆が朝鮮人や在日アジア人たちを虐殺したのか、その心理がおぼろげに見えてきた気がしている。
 不安と怖れがストレスとなり異端の他者に対する攻撃へと転化していく。集団を乱す、アウトサイダーに憎しみの刷毛口を見出すのである。
 そう、決まってその相手は外国人労働者や移民、ホームレス、障害者などの弱者なのである。
 そのとき が来ないためにも、「うた」という「希望の光」を灯していく。人影の絶えた真っ暗な街に。その確信は変わらない。揺るぎない。
 そこにはうたといくらかの酒類とたくさんの食べ物を用意しておく。その場を今欲し求める人たちのために開けておく。