さらなる「自粛」・緊急事態延長、欲しがりません勝つまでは、だ!2020年04月30日 21時35分38秒

★一つの「世界」「日常」が終わるときはこんな風なのか・・・

 今年年明けに、ちらほら海外、中国からその噂が流れてきた未知の「新型ウィルス」は、わずか一か月で、国内でも感染が始まり、感染拡大が日毎に増して、挙句に今ご存知のような惨憺たる「自粛」社会となってしまった。
 自粛・自粛で店舗や企業の業績が悪化しただけでなく、もっと不要不急な「文化・芸術」活動もまた中止を余儀なくされ、ミュージシャンのみならず、イベント企画全般関わる人たち全てが廃業の憂き目にあっている。
 そう、歌舞伎座前にあった仕出し弁当の老舗が閉店したように。
 わずか数か月で、こんな事態が全世界的に及ぶとは誰一人予測も予言もできなかっただろう。
 しかしやがてはワクチンも抗体も広がるだろうしコロナウィルスはやがては収束することは間違いない。人類はこれで死滅したりはしない。が、終息後のその世界は、だいぶ今までとは様相が異なるのも間違いないのではないか。

 思うに、アメリカや西洋諸国の場合は、早くからロックダウンだか、都市封鎖をしたから、そのぶん収束も、経済活動再開も早いだろう。そしてまたいつも通りの、これまでとはさほど変わらぬ日常生活に戻る。
 が、日本に限っては、当初からそうした強い対応策はとらず、クラスターつぶしに躍起になっていたうえにPCR検査なる検体数を調べる数も他国に比べて極端に低かったから、結果的に陽性患者が蔓延してしまい、今のようにピークを迎えることはなく、ただじわじわといつまでも一定の感染者数が増え続けていく。結果としてこうした「緊急事態」はいつまでも続いていく。いや、続けるしかなくなってしまう。

 その先はどうなるか。大企業は内部留保などたっぷり溜め込んでいたからこの先も安泰であろうが、資金力のない中小・零細の企業はかなり存続は難しいだろうし、バー・スナックなど、感染リスクが高いと名指しされた特定の職種はかなりの数閉店して消えていくことだろう。我が知るライブハウスや、フォーク喫茶などもまた。

 会社員はテレワークだか、誰もが在宅で仕事をするようになるとか、新しい働き方改革の機会だとか歓迎する向きもあるようだが、もし皆がそうしてオフィス街などなくなってしまえば、その地の飲食店もまた消えていくことは間違いないし、デリバリーやネット宅配などの配送業者以外の運送業、バス、タクシーなどの交通関係の職種も消えていく。
 また外国人観光客に頼っていた観光地のホテル、旅館、飲食店なども当面観光業全般が壊滅的状態だろうから、倒産閉店の嵐の後、そこで働く人たちは地方都市でどうやって職を得ていくのか。
 この国のカタチ、つまり外国人に観光から労働力までも依存して来た経済体制そのものが再考しないとならなくなる。政府はその覚悟はあるのだろうか。
 コロナウイルスを撲滅したとしても、来夏に五輪などはまず難しいとは誰もがうすうすと感じている。それは、日本だけでなく世界中がそんなカンタンに経済が回復するはずもないわけで、外人観光客自体すぐに戻るはずもない。まさにオリンピックどころではない事態がまだまだ続く。
 IRだか、カジノ誘致で成長戦略という国家的プロジェクトもこのコロナ禍後には、誰も見向きもしなくなるのではないか。

 そう、すべてが変わる。特に日本では今までのスタイル、社会がすっかり様変わりしてしまうだろう。
 経済成長ありきで、そのために政府は日銀と共にありとあらゆる手をうってきたわけだが、もうこれから停滞と減少の時代がとうぶん続いていく。
 しかし、個人的にはそれもまた逆に良いことのように思える。表向きには歓迎はしないが、ある意味ついに「そのとき」が来たように思える。
 そのときとは、ほんとうの意味での新時代、新しい価値観と思想で、人類が生きていく、生き直す段階に入るときのことだ。

 もう人類は数が増え続けて二酸化炭素排出量は地球が持ち堪えることのできないところまで来てしまっていた。
 温暖化も含めて様々な異常気象が恒常化して、洪水と干ばつが世界各地を襲っている。食料も全人類を養うだけの生産量は見込めない。飽食と飢餓と、貧富の差は最極端となって、貧富と差別と紛争はさらに激しさを増すばかりだった。
 もうこれ以上の経済成長はいいのである。これ以上の豊かさって何であろうか。全てが機械化し、AIで何もかもわかりこちらの望むことは何でもやってもらうことが幸せなのか。どれだけ電気を使えばそれがかなう。

 自粛はうんざりだが、低成長もしくは停滞とマイナスのほうが地球環境的には良いことなのは実は誰だってわかっている。
 そしてそのほうが全てにおいて未来に生きる子供たちにとって安全で資源的にも良いことなのも。が、人間の欲望がそれをゆるさず、欲望の世紀は今後もずっと続くと誰もが思っていた。

 そしてこにコロナウィルス大流行である。亡くなられた人たち、今も現場で苦しむ人たちにとって「良いこと」であるはずはないと承知で書くが、これもまた地球の復讐なのかもしれないとこのところ思う。
 様々な多発した自然災害で警告してきたのに、未だそれに目をつぶり自国第一主義を掲げてきた愚かな指導者たちに真の警告ではないかと思えてしまう。まさに、今目覚めないとさらに凶悪な次のウイルスがまた我らを襲う。

 音楽や芸術、文学や本など「文化活動」の衰退は大いに憂うし国家に何とかしてくれ、と求める以前に、まずは個々の携わる人たちの「覚悟」が問われている。それについてはいくらでも書き記したいこともあるが、それはさておき、一つだけ願い思うのは、日本とそこに住む人たちの真の生き方と考え方の「改革」だ。
 個人的にもこの数か月の間に新たに気づき思うこと大であった。
 例えばこんなことに今さらながら気づいた。

 日本という「小国」は、軍事的にはアメリカ、そして経済的には中国という東西の二大国に大きく依存してこれまで発展してきた。コロナ禍以降、もはやかの国におんぶに抱っこしてもらうことは難しい。
 何故なら彼らもまたその体力と余裕がコロナによって失われてしまったから。双方の軍事的覇権争いの渦中、真ん中に位置する日本だからこそ、外国人観光客の落とす外貨の多寡や軍事的にも米国に大きく頼り結果として言いなりになるのではなく、真に経済的に独立した平和国家になる道があるのではないか。いや、それしかないと考える。

 平和国家とは、文化国家のことであり、日本人の持つモノづくりの才覚、それは例えば和食やアニメーション、マンガという他国に優る「文化」によって、緩やかな「成長」もあり得ると信じたい。
 そう、何でも中国など東南アジアからの輸入に頼るのではなく、農業、林業から基本「地産地消」で、食料自給率を高め、真に豊かな、どんな危機にも動じない国家へと、小国ゆえ足元を固めないとならない。

 日本と日本人がこの苦難の世紀を生き抜くためには、まさにその「才覚」が求められている。そう、それは誰にとっても。我もまた。

 何かが起こる度に、百年に一度とか、国難だと常に騒ぎ危機を煽り立て無策の責はとらず我慢を強いるだけの愚かな為政者、政治家たちにもうこの国は任せられない。
 国民を苦しめ生活を破壊し社会を分断し日常生活を滅茶苦茶にしたのは、コロナウィルスではない。医療体制も含めて常に経済と効率優先ありきで、目先の経済成長だけ追い求めて真に守るべきことを切り捨てきた政治の結果、その顛末なのだと我は考える。

 今そのときが来た。ならば何の失望も絶望もする必要はない。何がほんとうに「不要不急」か今こそ見えるだろう。