うたよ、音楽よ、今再び!!・③2020年05月04日 22時19分57秒

五郎氏のそのLPピクチャーレコード希少盤面
★コロナという悪意の前に、自らの「正義」を疑え

 新型コロナウィルスから社会を守るために一つにまとまろう、「ワンチーム」という言葉がまたこのところよくあちこちで聞かれるようだ。
 いかにも同調性を好む日本人が好きそうなスローガンで、ひねくれ者の我はそこに何か戦時中の、「進め一億火の玉だ!!」とかに通ずる気がして、無理強いされているようで何か不快である。
 そして国挙げてワンチームになろうということは、それに組しない者、はみ出す者は、モンダイだ、けしからんという意識を当然ながら秘めている。
 だから皆が自粛して様々な我慢しているのに、自粛せずにパチンコ営業も含めイベントや行楽などに出かけるのは大きな問題だ、許しがたいという気持ちは、ある意味ごく当然のことであろう。そう、皆がワンチームの気持ちでコロナウィルスと戦っている最中なのだから。

 誰もがこの「緊急事態宣言」下、様々な不自由を強いられ多かれ少なかれ困窮の中にいるかと思う。ネット注文は増えたが我も少ながらずそうだ。ともかく息苦しい。そう、マスクしててもしてなくても。
 そんな状況なのに、さらにまたこの「非常事態」は一か月先まで延長されることになった。我も周りにも多くの人がさらに我慢を強いられ経済的にも精神的にも持ちこたえられるか不安かと思う。
 そこに「自粛警察」とか「コロナ自警団」という言葉がよく目につくようになった。
 これは、現況の自粛要請下にも関わらず、それに従わず営業を続けている(と目される)店舗や個人を、民間人が、要請に従わないとはけしからんと怒って彼らの正義感の元に見つけ次第、指弾糾弾することらしく、店を閉めて内々でライブ配信のためのライブ演奏をやってたら音を聞きつけ、嫌がらせ的な貼り紙をされたりネット上で実名を挙げて「違反者」として攻撃し晒し者にしたりもするのだそうだ。
 つくづく嫌な時代だと嘆息してしまう。

 確かにコロナウィルスとの戦いは、国民一丸になって取り組まねばならない非常事態、緊急事態なのである。が、それに従う、従わないかは「要請」である以上、個人の意向、考えに全面的に任すべきではないのか。
 また、それに従わない者がいたとしても、それを何故にどんな権限で、市民の側が「取り締まる」ことができるのであろうか。その心理が我は理解できない。
 おそらく、そうしたコロナ自警団的な人たちは、皆真面目で正義感が強く、危機意識も高い人なのであろう。よってだからこそ、違反者は許しがたいと憤って、過激な行動に出るのかと推測する。その気持ちもわからなくもない。皆が我慢して辛く苦しい思いをしている。まして、これ以上の感染拡大は困る。一日も早く収束させるためにも要請に従わない者を従わせたいと考えるのも理があるようにも思える。
 が、それは間違いであり、人としてそれは早計だと我は考える。その利用はまた詳しく説明するが、その「正義」は果たしてほんとうに正義であるか、もう一度まず自問してほしいと願う。

 関東大震災の後、被災地各地で、多くの朝鮮人、中国人など「三国人」と呼ばれる日本に来ていた東アジアの人民がデマによって虐殺されたことは歴史的事実である。
 それは彼らが井戸に毒を入れたとか、まったく事実無根のデマが大地震直後流れ、震災後の不穏かつ不安な混乱した状況下、「朝鮮人狩り」という風潮が各地の自警団中心に広がり、結果として朝鮮人たちは捕らえられ虐待され殺害までされた者が続出した。

 そのことは、フォークソングの生ける伝説・御大中川五郎氏の素晴らしく長大な『トーキングブルース烏山神社の椎ノ木ブルース』に詳しく一部始終が唄われている。※関東各地で同様のことが行われたことは想像に難くない。
 我はそのうたをいつも聴きながら、ずっと何で自警団の人たち、民間人たちが日本に出稼ぎに来ていた朝鮮人たちを殺したのか不思議に思っていた。そのうたには、史実は克明に淡々と唄われているけど、彼ら日本人側の「動機」は窺い知れない。そう、無知な農民や労働者たちばかりではなく虐殺には文化人、知識人的立場の人もいたとされる。
 何でそんな理解に苦しむ暴挙、非道なことに彼ら自警団の民間人たちは及んだのか、だ。そして彼らはそこで後に反省したのか。

 が、今はこのコロナウィルス禍ではじめてわかった。よく理解できた。あのとき、朝鮮人を虐殺したのは、今回も登場したコロナ「自警団」、「自粛警察」の人たちに百年過ぎても今も通底する心理ゆえなのだと。
それは、悪意とはかけ離れた絶対的な「正義感」なのだと気づく。
 彼ら自警団は、地域の治安を守ろうという、いわば善意の思いが、「正義」となって暴挙に及んだのだと今は良く理解できる。
 自らのしていることは、世の中のために正しいと考えての行動が、ときに結果としての悲劇や大きな過ちに繋がることもあるのだ。※家庭内で躾として親が子を、体罰の挙句殺してしまうのもまた同様の「正義」故にだろう。

 コロナウィルスは社会をまず分断している。そして、その不安と恐怖、ストレスから人は他人を疑い傷つけ、ときにかつてのように「虐殺」するかもしれない。
 だからこそ流言飛語に騙されないとともに、まずは自ら行動前に、コロナ感染拡大予防と同様に、その「正義」はほんとうに正義であるのか、それを他者に行使するのは正しいのか、再考してほしい。コロナ終息後の世界が元通りに、ほんとうのワンチームの日本であるためにも。