新しい月、新たな季節が始まった2020年09月01日 08時27分30秒

★苦難の八月を終えて

 9月に入った。今朝は朝から小雨まじりの曇り空で北西からの風が吹き涼しい。久々にクーラーなどいれずに窓開けて眠れた。

 それにしてもこの夏は、といっても八月の一か月間だけのことだが、ともかく暑かった。新聞によると東日本では戦後最高の暑さだったとのことで、雨もほとんど降らず、まさに灼熱の八月となった。
 その前の七月は、ずっと雨ばかり降り続き、うすら寒く日照時間もほとんどなかったのに、八月に入ったとたん一転して連日晴れて記録的な猛暑が続いたのだ。
 何もかもが記録的というか記録破りで、極端から極端へと全く予測もつかない耐え難い今年2020年の夏だったわけだが、何とか我も父も無事に家内安泰でやり過ごせたのだから今ほっと胸を撫で下ろしている。
 冷房は、ある部屋は全部終日付けっぱなしで、何とか家中の温度を下げてこの猛暑を乗り切ったわけだが、電気代はものすごいがそれも命あってのことだから了とするしかない。
 我は極端な汗かきだから冷房を強くしても室内ではほぼ裸で過ごさないと暑くてたまらない体質だ。
 それだからこそか何度か出先で、猛暑に当たって体調を崩し軽い熱射病になったのか、汗とメマイと頭痛に襲われ危険な状態にもなった。

 しかもそこに父の不穏・妄動や、我の持病の腰痛と足定筋膜炎も再発し、部屋の中は冷え切っているのに、外は記録的猛暑の高音だとその寒暖差でアレルギーも出て、鼻水と咳も止まらず体調的にもかなりしんどく辛い一か月だった。よくまあ乗り切れたと今しみじみ思わざる、である。
 が、ともかくようやく猛暑も収まり新たな月の始まりにまさに気持ち新たに今パソコンに向かっている。
 さあ、今年もあと残り四カ月である。季節は秋から冬へと、この先どうなるかまったく予想も予測もつかないが、今気持ちは高揚している。

 八月は耐え難い猛暑から、パソコンを起動させるのも怖く作業自体も停滞してブログすら遅延し続けてしまったが、先日の「共謀コンサート」を終えて、我の「コロナ鬱」も回復した気がしている。まさに、長いトンネルから抜け出たような思いだ。そう、長かった最悪最凶の安倍政治もともかく終わる。
 闇の中から抜け出て、その新たな風景の先に何があるのか。今は不安よりも期待の気持ちが強い。むろん政治的には、商家で言うところの主人が倒れて番頭が店を任されたようなもので、菅新首相となったとしても何一つ変わり映えはしないだろうが。そこに何も期待はできないし、何か変わる、良くなる要素は一つもない。

 しかし、季節もだが、一つの時期、時代が終わり、新たな段階、新たなステージに入ることはそれ自体が良いことだから、その「とき」を活かしてこれまでできなかったことをやっていくしかない。
 繰り返しになるが、自分に言い聞かせているのは、どんなときでもできるときに、できることを、できるだけやっていく、ということであり、何であれ後回しや放擲せずに、やらねばならないことは先へ先へと少しでも進めていくことだ。こんな我でもまだできることがきっとあるしすべきことがある。

我が全責を負う「月刊・共謀コンサート」も残すはあと四回。このコロナ状況下、元通りのフリーな誰でも自由参加の姿に戻ることはまだまだ難しく先は見えないが、それでも現段階で、何をどうやっていくかの「道筋」は見えてきた。
 思い通りにならないとしても、「その中」で、できることやすべきことはまだまだいっぱいある。支援者からのカンパもあって運営資金の目途も立ってきたし、もう何も怖れも不安もないし頭悩ますことは今は消えた。何より、誰かの期待に応えたいと今強く思う。同時に責任もひしひしと感じている。

 まだまだできる、がんばりたいと思う。拙を守る、という言葉があるが、我は我の非力さとダメさにおいて、だからこそもっともっと頑張らねばならない。
 神に祈る。が、どうか皆さん、もう少しお力を貸してください。

 道はまだ続くし、とても一人では辛くて進めない。荷はそれぞれが負うからこそ、共に同行者のいることが心強く有難い。
 さあ、新しい季節、新しい世界に向かって歩を進めていこう。

母の死から4年、今は在るもの全てに感謝したい2020年09月11日 12時42分29秒

★ようやく自分の人生がこれから始まる

 私事を書かせていただく。
 2016年9月8日、今からちょうど4年前、我の母は死んだ。早いもので指折り数えてみるとまるまる4年が経つことになる。その命日に考えたことなど、今の気持ちを記す。

 あの日から4年。その間に、我の周りでは何人かの大事な人たちが老いも若きも逝き、家族の一員である犬猫も何匹も死んだ。我も還暦を過ぎた。
 しかしいちばん大事な我が父も我自身も、そして我の大切に思う人たちは幸いにして未だ健在でただただ有難いことだと思うしかない。こんな時代なのだ。何があってもおかしくはない。ならば神に感謝、である。
 特に父は、亡き母より5歳は年長だったのだから、母が死んだとき、既に九十は卒えてたわけで、ついに来月、誕生日がくれば何と96歳となる。

 ちょっと信じられない気がするし、同世代の友人知人を見回してもそんな長生きしてている親がいる人はいない。いたとしてももはや寝たきりで介護病院施設などに預けて生活は共にしていないだろう。
 父はもう呆けに加えてほとんど歩けず、ろくに食べられず排便排尿は紙オムツの中に垂れ流しとなりまさに命は風前の灯火という感であるが、それでも大正生まれの元日本兵は頑健で、嚥下障害など誤嚥性肺炎の怖れはあっても内臓的にはどこも病気はないようなので廃人一歩手前となってもどっこい生きているのである。

 彼の介護に疲弊するときなど、我は、息子のほうが先に逝くかもしれないという不安に襲われることがままある。何しろ全盛期は、六尺男、つまり180㎝近くの身長と体重80キロを越す大男で老いても彼の妹弟たちが呆れるほどの健啖家だったから、今は骨と皮に老いさらばえても基礎体力がそもそも我らと違うのだ。
 大陸の苦難の戦地から無事帰還できた元日本兵は、日々衰弱は進み明日をも知れぬとはいえ、おそらくこの冬を超えて来春はともかく、来年の正月はたぶん迎えられるかと思う。そう、コロナにも負けずに。

 母も長生きしたほうだが、米寿を迎えられずに死んだとき、我はまさに想定外という思いがした。年長である父のほうが先に逝くと我も母自身も予想していたから、母亡きあとまさか父と我の男同士、二人きりでこの家で暮らしていくなんてまったく考えも想像もしていなかった。
 その父は今は週のうちかなりの日数を二か所の介護施設で介護保険をフルに利用してお泊りに行ってくれているから、我の介護する負担はだいぶ軽くなった。
 が、それでもこのところまた不穏が起きて来たから昼寝でも夜中でも寝かしつけても徘徊や妄動があるのでまったく気が休まらない。
 父がいるときは、夜勤警備員のように、横になったとしても数時間だけ、それも階下の父の部屋の物音に耳を澄ませながらだから、寝た気はしない。
 父を先に寝かしつけて0時過ぎに我も寝たとしても明け方にオムツ交換しないとならないし、ヘタに長く寝かせると父は自ら汚れたオムツを脱ぎ捨てて何も穿かずに寝たりするのでシーツはマットまで大世界地図である。
 昔は大食いでいくらでも食べられた人でもさすがにこのところは食も細くなり、しかもすくにむせて誤嚥する可能性が高いから、毎食食べさせるだけで一苦労である。食べないからと叱って無理強いすると一気に吐き戻したりもする。
 頭も、このところは収まっているが、些細なことに囚われ大騒ぎしたりもするし、おっかさんは、どこ行った!?こんな夜中なのに帰って来ない、と妻が死んだことをも忘れて我にしつこく繰り返し問うこともある。まさに泣きたい気分となる。
 もう、かつての几帳面かつ温和な性格は消えてしまい、ときに暴れもするし、繰り返す妄動や妄言暴言、徘徊行為にこちらも何度もキレたり、つい暴力行為を(お互いに)ふるうことも何度もあった。
 父は壊れてしまった、キチガイになってしまったと嘆き悩んだ日も多々ある。昔から我とは気が合わず、あまり親しい仲ではなかった老人と男二人の4年間、母不在の生活はまさに苦しく耐え難く、辛酸佳境に入るという言葉しかなかった。
 結果として、父が介護施設に行ってる間も我は疲れ果て寝込み、体調もすぐれず最愛の母の死の痛手も大きく何もかもやる気が失せ、すべてがネグレクトしてしまい、我家は今も内外ゴミ屋敷である。
 その有様に見かねたご近所がとうとう市に通報したらしく、先日は市職が訪れて来て、せめてお宅の道端、道路に出ている「ゴミ」だけでも片づけろと「通告」してきた。ゴミだと言う意識はなかったのだが、渡る世間は鬼ばかりという言葉が頭をよぎった。そう、全て自分が悪いのである。世間様から指弾されるにはそれなりの理由があろう。

 そしてそれはこのブログも同じことで、ネグレクトしたり書くことが亡くなったわけではないが、我の性格上、書くからにはきちんと時間かけられる状態でないと書き始められず、このところはともかく慌ただしいのと体調も悪かったり父の世話で疲れ果てていたりと書きだす「きっかけ」、つまりアティチュードというようなものがつかめず、ずっと更新できなかった。
 誰それのフェイスブックのように、日々思った事や出来事、したことなどを手短かに次々アップできたらと思う。が、我のスタイルはこれまでもそうであったように常に冗長、だらだらが基本姿勢だからそうはできやしない。
 何よりも我はバカだから、書く題材は決めていたとしても書きながら考えて、しだいにカタチにしていく形式だから、いきおい長くなるのは当然なのである。気の利いたことをツィッターのように、的確に「発言」できないしそもそもそんな気もない。また「いいね!」という反応、反響も求めはしない。
 顔の思い浮かべられるごくごく何人かの人たちが読んでくれる、いや、そう想定して彼らのために身辺報告も兼ねて書き記している。

 ともかく、この母の死後の4年間、ようやく喪の期間、死後の後片付け、それも現実の物的なことではなく、「心の後片づけ」がようやく終わったという気が今はしている。母が死んだ日の朝のような静謐な空気を感じている。
 母が死んだことは我の生涯最大の痛手であり、その痛恨の思いは何も変わらないが、今はようやくその死すらも肯定できずとも容認できる。もしそのまま今も母は元気で共に暮らしていたら、我は相変わらず全てを母任せにしてかつてのようにライブに旅行にと遊びまくっていたことだろう。まさにキリギリス生活は今も続いていた。
 しかし永遠の夏がないように、いつか季節は変わり、秋が来てやがては寒い冬が来る。母が死に、我に突然秋が来て、しかも不仲の父との二人だけの密接な暮らしが始まった。まさに身動きとれなくなった。自分のことは何一つできなくなってしまった。

 しかし、親はいつまでも生きていないし、いつかは人は一人で生きて自分のコトを自ら始末つけなくてはならない。これがやさしく理解ある妻や子が傍らにいたらまた話は違ったかもしれないが、我はそもそも一人で生きていくしかなかったのだから、未来永劫、母に頼ることは無理だった。ならば、こうして4年間、亡き母のことを思い何度も夢にも見、反芻し尽くし、今ようやく「過去」として記憶のフォルダに入れることができる。
 今風の言葉でいえば、新しいステージに移ったという感じだ。

 そして父とのことも、結局のところ、父という人間を深く知り味わい尽くすためにもこの4年間は必要だったのだと今は思える。
 我は母とは何でも語り合い、気も合い何でも無理が言え甘え尽くしたわけだが、父とはそもそも別人格であり、本当のところは何一つよくわかっていなかった。もし父が先に逝っていたら、いや、母の後を追うようにいなくなってしまっていたら、我は父のことは何も知らずに、わからないまま彼を喪っていたただろう。

 ならばすべてこれで良いのである。この四年、常に思い返しては母の愛の深さに今さらながら思い至り、ただ申し訳なく何度も何度も心中詫びてきたし、老いの行く末の姿として父のどうしようもなさに、我を構成するものを多々見出すこともできた。実に父と我はそっくりであった。
 まさに我はこの二人の顛末であった。拙い愛の結末だった。

 父は元気だといってもおそらく数年内には間違いなく死ぬ。いや、数か月先かもしれないし、近くある朝、我が彼の部屋の戸を開けたらもう息していないかもしれない。
 そしてようやくそこから、いや、父がいつまでも生きていたとしても我の本当の人生はそこから始まる。

 情けなく恥ずかしい話だが、世間の人ならば、就職して親元を離れたときや結婚したときに、そうして「我が人生=自分の人生」を開始しているのだと思う。
 我はほぼずっと親元に、親たちと一緒にいたから、自分のひとりの人生を生きてこなかった。老いた老親の世話をしているつもりだったが、実際は彼らに精神的にも経済的にも大いに依存していたのだ。母を亡くしてそのことを痛感した。母無しでは何一つできない自分がいた。

 ともあれ、実のところ一時期はもうブログも終わりにしようと考えもしたが、まだまだ書きたいことや書くべきことも多々あるような気がする。
 毎度同じうたで聞き飽きた、いや読み飽きたと思われるだろうが、しょせん営利目的でもないし、読み手は一円も損はしないのだから、読んでくれる人がいたらば幸い、という気持ちでこれからも続けていく。
 我には自分にしか書けないことがある、と信じて。そう、読み手にはこここの読み手しか読めないものを書いていく。

 今は、まだ我に、我の周りに在るものすぺてが有難い。ただただ感謝している。皆、生きて未だここに在る。それもこれも全ては神の計らい、神の愛の現れなのだと思う。
 こんな人間が父をも含め、死なずにまだ生き永らえていることだけで奇跡のように思える。まさに神に感謝、である。

コロナ禍(下)時代の世相をうたにするとしたら2020年09月13日 23時58分20秒

★替え歌ならばこんなのは

 コロナウィルスが日本でも本格的に流行し始めてから半年、ようやくこのところ感染者数も減少続きとなり「収束」への兆しも見えてきたように言われている。
 が、またこれから冬を迎えて密になる機会や場も増え、再再度の流行再燃、第三波の襲来もあるかもしれない。またワクチンも全世界的に完成は程遠く、もしそれが国内でも流通するようになったとしてもそれを自ら強く希む人は少ないように思える。我は、まだ安全性がはっきり確定していない怪しいワクチンを予防として打つよりはコロナに罹るほうを選ぶつもりでいる。
 ともあれ、このコロナ禍状況は、世界中でまだまだとうぶん続くことは間違いないだろう。

 さておき、このコロナ感染下、「自粛」期間も含めて皆さまはどうお過ごしだろうか。そして何をお考えになられたか。
 我は、手がけるコンサートも中止余儀なくされ、うたの場、その機会をコロナによって奪われたわけだが、ならば、そうした状況を「うた」にできないものかと考えた。
 うたは、日々の暮らしの中から生まれるもの、つまり、生活や日常を映すものだとするならば、このコロナ感染下の日常、つまり実に嫌~な言葉だが、「ニューノーマル」のことを映すうたが出てきて然るべきかと思う。
 少なくとも我が知る戦後の歌謡曲やフォークソングは、そうした市井の人々の「日常」を歌詞の中で巧みに描き歌詞の中に用いてきた。※例を挙げてもいいが、長くなるので割愛する。

 我も新たに歌詞全部でコロナ時代を描く試みもやってみたが、その前にまずは「替え歌」でいくつか作ってみた。
 替え歌は、敬愛する中川五郎氏や詩人の有馬敲氏も関西フォーク黎明期に早くから手掛けていたことだ。
 我も試作としてまだ思いつき、未完成のものもあるし、じっさいに先日のかけこみ亭での「月刊・共謀コンサート」のオープニングでうたったものもある。
 以下いくつか載せてみよう。

★リモートよ              原曲/かぐや姫 「妹よ」

 リモートよ モバイル一台 隔てて今
 遠くから仕事を押しつけて来る リモートよ
 コロナ時代は 夜も昼もなく 山のような
 仕事を自宅でさせるのか

 リモートよ 昔は退社時間があったから
 どんなに遅くなっても家に帰れた
 今は自宅で リモートワーク 外で仲間たちと
 たまには酒でも吞みたい

 リモートよ 今はこんな大変な時代だから
 どんなことがあっても 我慢しないと
 そして どうしても どうしても
 どうしても 耐えられないときは
 電源切ろうか リモートよ

 ※一応歌詞は拵えて演ってみると、ギターもけっこう難しいだけでなくウケるためには、何より南こうせつのようなハイボイスでないと笑えないことに気がついてボツにした。

★三つのお願い  原曲/四つのお願い ※ちあきなおみ
 
 コロナの時代に私が 恋を 恋をするなら
 三つのお願い 聞いて 聞いてほしいの
 一つ 密室行かないで
 二つ 密集はしないで
 三つ 密にはならないで
 人との距離はしっかりとってネ
 三つのお願い 聞いて 聞いてくれたら
 あなたに私は 夢中 感染しちゃうわ

※このうたも思いつきとしては誰もが考えるもので、二番の歌詞にはマスクは常に外さないで、とか、手の消毒忘れないで、とか入れたのだが、当たり前すぎて批判がなく、ちっともオモロくない。で、これもボツ。

★君はコロナの妻だから 原曲/君は心の妻だから ※鶴岡正義と東京ロマンチカ

 愛しながらも 運命(さだめ)に 敗けて
 感染しちゃったけど 心はひとつ
 陽性反応 医師に告げられ
 涙ぐんでた 君よ
 ああ 見舞いも禁止されている
 君は コロナの妻だから

※これはちょっとイイ!!、とみうらじゅん的には思ったが、じっさいに家庭内で感染者が出た場合、その妻をこうして唄うのは不謹慎だと叱られると思うし、二番では夫も 要観察二週間 とか歌詞も考えたものの曲調も暗くてちっとも笑えない。んでこれもボツ!!

 やはり替え歌というのは、カラッと明るいメロディーでないとダメだと思い至り、考えたのが古賀正男の懐かしの名曲『丘を越えて』ならぬ『コロナを越えて』(現在、思考中)とか、『線路は続くよどこまでも』ならぬ『コロナは続くよどこまでも』とかで、先の「共謀コンサート」で、この曲は館野さんたちに伴奏つけてもらい何とか歌えました!

★もう少しこの稿続きます。ご意見ください。

コロナ禍(下)時代の世相をうたにするとしたら・続き2020年09月16日 23時40分14秒

★コロナは続くよ どこまでも    ※線路は続くよ のメロディで

コロナは続くよ どこまでも
野をこえ 山こえ 国こえて
世界のどこでも僕たちに
新しい日常を押しつける

三密を避けよう 三密を避けよう 人と人との距離はとろう
密室は避けよう 密集はやめよう 密接になるのはよそう 


コロナの時代は 便利だな
仕事も 買い物も 出かけずに
何から何までオンラインで
新しい日常は引きこもり

オンラインでやってこう オンラインでやってこう
面接から葬式までオンラインで
オンラインですまそう オンラインですまそう
ライブから飲み会までオンラインで

コロナ禍(下)時代の世相をうたにしてみた2020年09月17日 23時53分51秒

★二人の恋はアフターコロナ

 というわけで、まずは替え歌をいくつか作ってみた。
 が、我もフォークシンガーのはしくれ、として(先日、東中野じみへんで太田さんの前座でデビューした)、やはりきちんとオリジナル曲をつくりたいと考えた。
 で、ともかくつくってみたのは、コロナ感染拡大下、夜の街で出会った若い男女の切ない恋の物語をうたにしてみた。当然流行りの言葉もいくつか入れて。

 題して『二人の恋はアフターコロナ』※完成版     詞/マス坊 曲/太田三造、マス坊


 夜の街で 出会った二人
 会ったとたんに魅かれ合う     
 もっと近しい仲になりたい
 けれど二人の間にはコロナウィルスがある

 もっとそばに近づきたい 
 吐息がかかるほどに
 そしていっしょに甘い夜を     
 二人で同じ夢を見よう

 でもダメね ダメね それはダメ
 濃厚接触だから
 愛し合いたい でも愛し合えない ソーシャルディスタンス
 二人の恋は アフターコロナ


 おしゃれなラウンジで二人 見つめ合い
 愛のカクテル 交わしたい
 夜が更けるまで肩寄せ合いたい
 だけどお店は今は時短営業中
 
 もっとそばに近づきたい
 吐息がかかるほどに
そしていっしょに甘い夜を
二人で同じ夢を見よう

でもダメね ダメね それはダメ
 飛沫感染しちゃうから
 会いに行きたい でも会いに行けない ステイホーム
 二人の恋は アフターコロナ
 二人の恋は アフターコロナ

※曲も詞とほぼ同時にすらすらできた。
 我が思い描いたメロディーは、ラテンのリズムのムード歌謡で、ロス・プリモスとか、そういう歌謡グルーブが、女性シンガーも入れて、歌詞も男女交互にデュエット出来るように書いてみた。
 いちばん近いイメージとしては、おっさん歌謡バンド『ペーソス』が唄うようなものを思い描いてじっさいそんな感じにできた。

 が、ダメですね。リズムもアレンジもコーラスも全て頭の中にはできているのに、自分ではギターでそれをきちんと表現できない。今はやりのDTMの技術をマスターすれば、たぶんある程度は自分のイメージ通りのものを世に示せるとは思うけど、そんな技量はないし、拙いギター1本と我の「うた」では今はとてもそれをカタチにできやしない。
 いっそ、寒空はだか師匠のように、ギターも伴奏も一切排して口だけで演ろうかと思ったが、そうなるとフォークシンガーではなく演芸の域になりそうで今もどうしたものか思案中だ。

 で、その詞を先達のベテランフォークシンガー太田三造さんに送ったら、さっそく彼が親しみやすく明るいメロディーをつけてすぐさま唄ってくれた。なかなかいい曲だと一聴してすぐ思った。
 そして、同時に『受験生ブルース』を当初の暗いメロディーから、高石友也氏によって明るいメロディに作り替えられた中川五郎少年の気持ちはこんな感じかも、とも思った。

 さておき、せっかくできた曲だ。できればこれからもコロナが収束したとしても機会あらば彼と共に唄っていきたいと思ってる。そして願わくば、我は我の作ったメロディーの版も、きちんとムード歌謡としてペーソスのようにシミジミと切なく唄ってみたいと今も願う。
 何であれ、そもそも思い通りに作れないことより、思い通りに作れて既に頭に思い描いていることが、きちんとカタチにできないこと、自分では表現できないことこそ真に辛いと今回も今さらながら思い至った。

 そう、我の作ったうたは、京都の詩人・有馬敲氏の詩に曲を付けた『広島のクスノキ』もそうだが、常に誰からも皮肉交じりによく言われるのは、複雑かつ難しすぎるのである。情けないことに作った当人ですら上手く歌えなかったりきちんと演奏できないのだ。
 じっさい頭の中ではどの曲もフルオーケストラの伴奏で、あたかも筒美京平のかつてのアイドル歌謡のごとく女性コーラスまでアレンジできている。が、それは頭の中だけのことで、小中の音楽授業の劣等生だった我は譜面すら読めず書けないのである。
 今さらだが、がんばって受験勉強して、どこそこの音大に入って基礎から音楽教育を学び直すか。

 いや、冗談抜きで、もう少し今の状況と事情が一段落したら、近くのピアノ教室に通い、まずは譜面が読めるようになりたいと思ってる。でないと、かんたなスコアさえ他のミュージシャンに示せない。言葉では、ここをこうして云々と他者に伝えられないのだから。
 そう、音楽は文字にできないものだ。文章ならばいくらでも思い通りに拙くともカタチにできるのに。

★お断り―――
 ここで載せた歌詞は、マスダバージョンのもので、太田三造が唄う、彼がつけたメロディのものは歌詞がビミョーに異なります。
 ちなみにそれは次回9/26の共謀コンサートでコーラスも含めた完成版として唄う予定ですので、「配信」できたらぜひお聴きください。名曲です。また、このうたは誰でも唄ってかまいません。ただし作詞作曲の権利、全責任は当方にあります。

再開‼「月刊・共謀コンサート」9月号は9/26日開催2020年09月18日 22時45分33秒

山口敦子
★観覧希望者予約受付中!!

 谷保かけこみ亭で今年は毎月ごと、月末の土曜か日曜に定例開催予定の「月刊・共謀コンサート」は、コロナウィルス感染拡大中は、5月、6月と開催「自粛」を余儀なくされておりましたが、7月から内内に「無観客」かつ一部生配信で細々と再開いたしました。
 そしていよいよ自粛要請の緩和をうけ、事前に観覧希望者の予約をとり、密集を避けるべく一定数の客数上限を定め店側としても万全の感染防止対策をとったうえで本格「再開」、再始動の告知をここでいたします。
 
・月刊・共謀コンサート9月号 2020年9/26日(土) 午後5時半開場・開演 本番スタートは午後6時頃より 終演予定は午後8時半頃

・出演/山口敦子 三密クラスターズ 他  司会進行/マスダ昭哲


・・参加費/投げ銭制 +ワンドリンクorワンフード

 南武線谷保駅北口徒歩3分 TEL042-574-3602
 http://www.asahi-net.or.jp/~yi7k-ttn/kakekomi/

「共謀コンサート」9/26日のお誘いと、残す3回、ご参加ご協力を2020年09月21日 09時34分41秒

山口敦子と太田三造at国分寺ギーで。
★コロナ禍で、分断と孤立が深まり自殺者が増えていく時代だからこそ

 コロナウィルスの流行と感染防止のためとして常時マスク着用は当然のこととして「三密」を避けるなどの「新たしい日常」やら「新しい生活様式」が感染症専門家や為政者たちから提唱されて以降、直に出かけて人が人と向き合い会うことじたい、すべきでない、避けるべきこととして、テレワークやリモートなる何でもオンラインで代替していく「ニューノーマル」なる社会に変貌してしまった。買物すらネット通販と飲食店から自宅までのデリバリーが大盛況である。人と直に会わずに何でも済ましてしまう、ある意味これはノーマルどころか異常な事態であろう。それしか対策がないとしても、だ。

 我はそんなバカなことはいつまでも続かないと当初は考えていた。そもそもそれは人間の根源的願望、生理的要求と相反することだから。
 が、コロナの本格的流行から約半年が経過して、このところ全国的にはようやく感染者数は減少傾向にあるものの未だ都心部ではウイルスは微増減を繰り返しており、収束とは程遠い状況にあると言えよう。
※ましてイベントの来場・観客者数を緩和してこの三連休に臨めばどこも各地はスゴイ人出である。これではまたも新たな感染拡大の波、第三波が起きても当然至極である。

 ワクチンが近く完成したとしてもそれが広く一般普及するまではかなりの時間がかかるわけで、おそらくこのまま我らは、このウイルスと共にアフターならぬ「ウイズコロナ」としてこの異常な「ニューノーマル」状態は半ば恒久化していくと思えてきた。
 日本人は特に、感染症に対しては過敏かつきわめて神経質な国民性で、ましてコロナに感染するのは恥ずべき、悪いことであるようだから、感染者は収束傾向にある今でもマスクの着用率は、公共機関や電車内やショッピングモール、遊園地など人が「密」になる場所では以前に増して高まりほぼ100%だと我は見ている。この我すらも今ではそうした場に足を踏み入れる時は使い捨てマスクを着用している。でないと周りから何をされるかわからない。
 国内どこそこの空港で、マスクをしていない乗客がつまみ出されたとかの報道があったと記憶するが、この「ニューノーマル」状況が普及し一般化、徹底化された今の雰囲気ではしごく当然のことであろう。

 オンラインで今は確かに何でも代用代行できるのである。日本人は元々欧米人に比べて友人を集めてパーティーを催したり教会に日曜ごとに行って集うという習慣はない。友人を家に招く習慣も少ない。
 ある意味元々オタク的というか、引きこもり的ごくマイホーム主義的国民性であった。そしてこのコロナ禍でその傾向、嗜好性に拍車がかかった。
 そう、ある意味楽なのである。じっさいにわざわざそこまで出かけ足を運び人と会って話して用事を済まさねばならないというのは存外大変でときにかなり苦痛を伴うことだ。人と会うことは向うの立場も気持ちも忖度しないとならないわけでともかく面倒で気の重いことではないか。
 それは我自身そうした性格気質で、人見知り激しく集団生活になじめず不登校から引きこもり的半生を生きてきたからこそ心底わかる。
 通販の配達員とは、言葉もいらないしアマゾンなど今は「置き配」ということもできるから、一切顔すら合わさずに済む。
 買い物にしてもマスクをしていれば余計な会話も不要だから基本他人と関わりを持つ必要はほとんどない。
 父に関してもこのコロナ感染下、人との距離を保つことこそが善であり最優先のことだから、以前はよく訪れてきた市の福祉課の職員も来ないし都内にいる唯一の親族、彼の孫もこの半年以上我が家には感染うつすことを怖れ姿を見せない。

 この新型ウイルスは感染拡大防止の名目で、まさに人と人との距離をつくり、人との関係、人間社会を「分断」してしまったのである。
 そして結果として何が起きて何が起ころうとしているかというと、人々各自の孤独孤立の深まりとそれが引き起こす自殺である。特に一人暮らしの高齢者と若者が多いのではないか。
 若者ならネットで何でも語らえ繋がっているから孤独ではないというのは幻想で、ネット社会こそ自らを取り繕い人気ある、魅力ある姿に見せない限り他者はやってこない。愚痴や情けないことや本音を書くと無視されるならまだまだマシで、時に炎上したり徹底的に否定されもする。
 高齢者も以前なら民生委員や近所の人が頻繁に様子を伺いに来ただろうが、この「ニューノーマル」社会ではそれは控えるのが正しいことだから、結果として自死に近い孤独死を迎えてしまう。
 人は単身者であろうとも以前ならば近くの居酒屋に出向き、酒の力を借りて「知らぬ同士が小皿叩いて」出会い意気投合することもあった。だが、今では席と席も放されて隣の客と語り合う機会もない。そんなことは許されない雰囲気だ。
 人はどこまで孤独に置かれるか、その孤独の先に何があるか、である。耐えられる人はそれでいいが誰もがそんなに強くはない。

 アメリカ社会では、トランプ政権下、コロナ流行もあって分断と差別、格差が広がって大きな社会問題となっている。
 日本の場合は、格差はともかく、コロナ差別と共に、人と人との分断と孤立化がさらに進んでいると我は思える。今、孤独に悩み苦しんでいる人が間違いなくたくさんいる。
 コロナは、当たり前にあった人と人の繋がり、機会と場を断ち切ってしまったのだ。ならばそれを取り戻すアクションを我々は今すべきで、それを成し得てこそ真にコロナに打ち克つ、克服したと言えるのだと我は信ずる。

 人は自分でじぶんを助けることは難しい。それを強いるのなら政治は不要である。公的支援という言葉こそコロナ時代に最も求められているはずではないのか。
 そんな時代に何ができるか。何をどうすべきか。
 ともかくこのコロナ禍で遠く疎遠となってしまった人にまずはメールでも声をかけあい連絡密にして、ともかく一度直に会う場を設けることではないか(もちろん万全の感染防止対策の上で)。

 そのためにまずは「共謀コンサート」、生の素晴らしい音楽を用意して思想心情は抜きにしてどなたでも迎え入れたい。そしてマスク越しでもとことん本音を語り合いたい。
 ただし、客席数には密を避けるべく上限を設けねばならないから、参加予約のご一報入れて頂き、ご参加ご来場ください。


 人はこんな時代だからこそ孤立しないよう手を差し伸べねばならない。むろんお互いよく手は消毒したうえで、だ。

再開‼『月刊・共謀コンサート』9月号は9/26日開催!2020年09月24日 22時06分27秒

★極悪無法の安倍政治を忘れない、赦さない。だから菅政権を認めない!
今こそ怒りの声上げ、意思を示そう 護憲と反戦平和の歌声高らかに!!

・2020年9月26日(土) 午後5時半開場開演
・出演/山口敦子 館野公一 太田三造 槇篤 ペピータ 他
・参加費/参加費/投げ銭制 +ワンドリンクorワンフード
・場所/谷保かけこみ亭 南武線谷保駅北口徒歩3分 TEL042-574-3602
 http://www.asahi-net.or.jp/~yi7k-ttn/kakekomi/

★コロナ禍により、これまでは原則「無観客」の開催でしたが、イベントの制限緩和をうけ、感染防止策を徹底したうえで事前に確認された観覧希望者を上限を設けて受け容れることにしました。
 まだ空席あります。ぜひ生で良い音楽をゆっくりお楽しみください。
 参加者はご一報のうえ来場お願いします。
※当日の模様は、一部かけこみ亭のHPより生配信の予定です。

・問&司会進行役/マスダ昭哲 090-8175-8479

★コロナウィルスで分断された人と人の距離を取り戻しましょう!!

「共謀コンサート」9月号、有観客で盛況のうちに終了す2020年09月27日 10時50分43秒

★9月とは思えぬ旗寒い小雨のそぼふる晩に

 新型コロナはじょじょに収まってきているかはともかく、様々な自粛や規制は取り払われる流れは進み、GO Toキャンペーンやらも次々打ち出され各地の街には人出が回復してきているようだ。
 そしてようやくイベント、コンサートも感染防止対策を徹底してという条件の元、しだいに元の形態、ノーマルな頃に戻りつつある。
 コンサートというイベントを企画する側としてもまだまだ気を配ることはいくらでもあるが、無観客ならぬ、観客を入れてのライブが再び開催できる喜びは大きい。やれやれという気持ちだ。

 昨日の谷保かけこみ亭での「月刊・共謀コンサート」も事前に参加連絡のあった3名の観客が来られて、先月・前回の1名から「盛況」の流れにある。
 このまま、かつてのように観覧希望者はどなたでもふらっと参加できて、客数の上限も取り払われ誰でも自由に出入りできる日がいつ戻るかわからないが、ようやく元に戻りつつある実感を昨晩は得た。

 コンサートじたいは、素晴らしいシンガー、ミュージシャンたちの熱演で、観客を前に盛り上がったのだけど、個人的には毎度不手際失態ばかりで、今の気持ちはやや鬱々としている。
 帰ってからまたつい深酒をし、頭痛する宿酔気味で真夜中に起きて、水道の水をガブガブ飲んだ。それから再度寝直したが、枕元で子猫たちが大騒ぎしたりしてたこともあってなかなか寝付けず、朝になってからやっと再び熟睡した。
 寝坊して10時過ぎやっと起きたら、頭痛は収まり頭はいっきりしているが、やはりまたもや自分のダメさの味、苦さは今も舌に心に残っている。今それを再度噛みしめながらこれを記す。

 コンサートは、我の場合、事前に出演者の登場する順番を綿密に考えに考え、最良の「流れ」をつくり、観客に提供していく。それはフォークソングのコンサートでもある意味、ショービジネスであり、出る側にとっても観る側にとっても最良のもの、結果として最良になるものを提供しなければならないと考えるからだ。ただシンガーを集めたというだけではコンサートにはならない。
 昨日もこのところレギュラー化している演者の皆さんに加えて、山口敦子という希代のボーカリストが参加されて、彼女中心に「ショー」の流れ=進行は練りに練って考案されるべきであった。

 しかし、「生配信」をコンサート内に取り入れ、その1時間枠の中の「流れ」もまた考えねばならず、しかも今回はシンガーのお一人が仕事で遅れるるという事前連絡もあったが「変更」ができたため、何も進行が決められない中で当日を迎えた。
 決めてあるのは、今回は生配信は初めての彼女をその枠内でしっかり流すということだけで、他はどうするか現場の状況見というスタンスで臨むしかない。

 が、ライブは水物であり、しかもうたは長短あるものだから、じっさいに演ってみないと時間はよめないし、想定はどんどん現場で時間と共に次々変えざる得なくなる。
 そのことで、毎度ながらも我は失態と判断の迷走を繰り返してシンガーの皆さんにご迷惑をずいぶんおかけしてしまった。中でも館野公一、太田三造の両氏に特に。長い付き合いの友人だからこそつい勝手なことばかり言って振り回してしまったことに。

 まったくダメだなあと今もつくづく思う。情けない限りだ。いつもは終えると、ともかく終えられた満足感と脳内に残滓のように残る良い音楽の余韻で、甘い夢を期待し深く眠ることができるのに今回はさまに夢見が悪かった。
 反省しきりである。過ぎたことだが、仕方ないとは思えない。

 元より、我のダメさ、愚かさは持って生まれた先天的なことだから血肉となって自分が生きている証であり、レーゾンディテール、「存在理由」だから、もう今さら何も悔いも悩みもしないのだが、そのことで他者を巻き込みご迷惑をかけるのは、また別問題でまったくもって申し訳ない。
 「共謀コンサート」も残すはあと年内三か月、つまり3回となった。おそらくより観客を多くお招きして開催できるはずだ。
 次回も含めてまだ誰に出て頂くか何も決まっていないが、今回のような現場で本番中の失態・迷走を繰り返してはならぬと今強く決意、自戒している。

 コンサート自体は我の出ている部分以外は全て皆さん良い、しっかりした歌声、演奏をきちんと示してくれた。有難く今ここで改めて感謝申したい。
 中でも山口敦子さんの静謐な歌声は、雨のそぼ降る肌寒い秋の夜にマッチした、しみじみとした心洗われる思いをその場の誰にももたらしたと思う。
 彼女こそ、今は亡きのみ亭やっちゃんが我に繋ぎ残してくれた方だ。これからもしっかり応援し良い企画を立てて行きたい。一人でも多くの人に彼女の歌声を届けたい。それこそが亡き人の思いに報いることであり、我にできることだと信じたい。

 昨晩の様子は、一両日内に画像でアップしていくが、当日の模様は生配信した約一時間分はかけこみ亭のHP、フェイスブックより観ることができると付記しておく。我は今自らを見直す勇気がない。間違いなく落ち込むから。