慌ただしい一週間を終えて2020年11月09日 09時23分06秒

砂川秋祭りで「砂川の空」を唄う館野公一
★ようやく腰据えて自分のことを

 昨日は、砂川秋祭りだった。
 我は、オープニングアクトで、盟友太田さんと「三密クラスターズ」で演る申し込みもしていたので、朝9時に集合とのことで8時過ぎ大慌てでギター背負って機材を籠に乗せて自転車で向かった。
 会場は立川市の砂川平和広場だ。今回で30回目となる恒例の秋の野外イベントである。言うまでもなくあの砂川闘争の舞台となった地区である。
 その報告もきちんとしたいが、実は帰り道、我家の近くのスーパーの前で自転車ごと転倒し左手肘や左足の膝に軽い怪我をしてしまった。
 そんな時間は遅くない。夜の7時頃であろうか。

 イベントを終えて立川駅北口まで太田さんと南北道路をえんえん歩き、駅前の安いとんかつチェーン店で定食を肴にアルコールを吞んだ。
 そんなペロペロになるほど飲酒しなかったはずなのだが、やはり酒に酔うと足もとがふらつくごとく帰路、自転車も右に左に定まらず走っていてもかなりバランスとるのに苦労してたらついに転倒である。歩道上で幸いだった。

 どうにもその状況ははっきり思い出せないが、誰か他の自転車に接触したのか。すぐ男の人に抱き起され近くにいた女の人も大丈夫ですか!と駆けつけてきた。
 ビッグAという24時間やってるコンビニ的スーパーの入り口のところで、我はそこに寄ろうとして車道から歩道に乗り上げたのかもしれない。
 ともかくそこの駐輪場に自転車は停めて籠から落ちた荷物などを拾い集め辺りを確認してまたフラフラしながらも家に戻った。
 いま、一夜明けて持って行った荷物を再確認したが、特に失くしたものや見つからないものはないようだ。ギターも無事であった。kヤイリの自分としてはかなり高い値のギターだったので、安堵した。
 ただ帰り道もヘンだと思ったのだが、そのギターを入れてあった背負っていたソフトケースのストラップが切れて外れてもう修復は難しい感じだ。つまり転んだ時、ギターにもヘンな負荷がかかり胸にまわしていたベルト部分が切れたらしい。

 怪我もあちこちの打ち身と擦り傷程度で、まだ節々がかなり痛むが後遺症が残る程ではないと思う。※以前にもやはりかなり吞んで友人宅からの帰り道、塀か何かにぶつかって左指を骨折した。いずれにせよ、毎度のことながら無事で幸い、有難いことだと今つくづく思う。
 これまでも酒に酔って高所から落ちて頭打ったりしたり何度も九死に一生を得てきたが、思えば全て酒がらみのことで、今回こそ真に深く反省した。後悔した。こんなことをしていたら無為に命を縮めるだけだと誓う。

 本当に愚かである。バカも極まりだ。実は先日も、先月の「共謀コンサート」でもウチから自転車で谷保かけこみ亭まで出向き、行きは秋空の元、至極快適だったものの帰り道はすごく時間かかりペダルこぐのも苦労し疲労困憊した。その晩は酒はほとんど吞まなかったが・・・。
 そのときも思ったが、何かを終えた後はやはり当然疲れているし、それからまた一仕事的に身体を使うのは無理がある。我はアスリートではないし、身体を鍛えたいわけでもないのだからできるだけ楽に早く移動できることを旨とせねばならない。
 ※また多摩地区は西に向かうにつれ緩やかに地盤が高くなっている故、京都でも同様、北ならぬ西に上るにつれて常に緩い登坂なのである。

 だからもう自転車では行かない、使わないと思ったはずだったが、秋祭りの会場が駅からも遠く交通機関もろくにない場所だったから自転車がいちばん早いと考えて、帰り道のコトを又しても失念してしかもアルコールまで吞んでしまったのだ。そしてまたもこの失態である。下手に頭打ったり、車道だったら命落としていてもおかしくない。

 毎度ながら思うが、神はこんな愚かでどうしようもない男をまたも見捨てず見守り大事に至らぬよう守ってくれたのだ。その神の深い愛、思いやりにただ感謝するしかない。
 そしてまたしても生き延びた命に対して、報いるようなことをしていかねばならぬと今強く感じている。

 ともかく昨日で、先月31日のコンサートからの慌ただしかった一週間は終わった。いや、勇造の民家ライブからか。後のイベントは、今月28日の回だけである。
 中山ラビさんからお知らせハガキも届いていて、癌克服!?のスターパインでのラビ組ライブもあるのだが、それは席数も少なく既に予約は満席だと思うから、連絡確認はするがたぶん行かないだろう。

 今年も残すは二か月足らずとなった。共謀コンサートもあと二回でいったん終える。まだ何も確定していないが、昨日のイベントで出会ったバンドによって今後の企画も湧いて来た。
 秋も深まり今も多忙かつ多事多難なのは変わりないが、今日は父が夕刻帰るまでは自分のことだけにようやく専念できる。まずは晴れたので溜まった父の洗濯ものと、窓や戸を開け放しての掃除と片付けである。

 穏やかな秋の日を浴びて今思う。生きているって素晴らしい。そう、まだ何とか無事我は生きている。
 すべてに感謝してがんばろう。ただただ有難い。まだ死んでない。生きている。