今のこと、これからのこと、来年のこと~④2020年12月04日 21時12分22秒

★そして「商売」のこと。~もう、ほんまにあきまへん。

 我、マスダの実生活は、結局、家のこと、つまり老父の介護や家事のこともあるけど、ほんとうは古本稼業なのである。それこそが、まさに文字通りの「本業」なのだが、このコロナ不況でそれも行き詰ってしまった。いま、これからどうしたものかホント頭抱えている。

 実は、コロナ禍、先の第一波の頃は、まだ良かった。緊急事態宣言が出て、誰もがガイシュッ控えて自宅で引きこもり生活。しかも子供も親たちも皆が家にいて「自粛」していたから、通販であるネット業界は、注文が殺到した。
 しかもそこに国民一人当たり、10万円という、コロナと何一つ関係も影響も受けない富裕層まで誰もが一律10万円もの給付金がもらえたから、余裕ある人は、その金でネットで買い物三昧したと思われる。
 ウチ、「ますだあーと書店」も普段売れないような高額な本まで注文が相次ぎ、飲食業などはタイヘンだなあと横目に見ながら、コロナ景気にネット、つまり通販業界は湧いていた。

 が、それも一時のこと。この秋、またコロナが再燃して、第三波の流行が高まって来ると、株価だけは何故か高くてもじっさいの景気、庶民の生活はじわじわと冷え込んできて、この秋からウチもばったり注文は途絶えてしまった。

 それはウチだけでない。そもそも出品時にもっとも低価格で出して、他のどこより安くしててもそれでも注文がないのである。よって他店もまた同様だと思える。
 ごくたまに注文があり、売れてもそれは500円以下の、ほとんど儲けの出ない格安本だけで、それでこのコロナ不景気ははっきり実感せざるえない。これはどうしたことか。
 つまり、政府は、GoToキャンペーンとかで経済を回そうと躍起になっているが、それで踊るのは、元々余裕ある小金持ち、つまりコロナで影響をほとんど受けていない人たちだけで、おそらくそれは 公務員とか年金生活者とか、だと想像するけど、彼らはそれで手持ちの金を自在に使える。
 しかしもっとじっさいに影響を受けている飲食業などの自営業や小売り販売業者たちは、そもそも客が来なくてモノが売れず、そうしたキャンペーンは蚊帳の外なのである。※観光業もGoToで恩恵を受けるのは大企業というほどでなくても大手のホテル、高級旅館、高級レストランだけだ。
 じっさいの庶民、底辺部には何一つ金は落ちてこない。物が売れなくて、注文がなくてともかく金が入って来ないのだ。皆、お客の財布のひもは固く、GoToで浮かれる層と、何とか日々生活防衛に追われている層とで国民は二分されてしまったように思える。

 思うに、経済を動かすとしても、コロナ禍で大きな影響を受けている、困窮者にもっと直接的な手厚い支援をしないかぎり、真の経済回復はならず、結果として全国各地に新たな感染者を増やすだけに終わるのではないか。

 個人的には、以前よりうすうす感じていたが、もう商売としての「紙の本」、それは新古関係なく、紙の本を扱う商売はもう無理、限界ではないかということだ。
 コロナによって皆自宅で過ごす時間が増えたとしても、本よりもインターネット、ケームなどで過ごすのが今の人たちであり、時間できたとしても本を贖って読むという習慣はもはや成り立たないように思える。何しろ読むだけならkindleなどペーパーレスで済む。

 ならば我もまた新たな職掌、新たな収入を得る方法を考えねばならないわけだが、逆にだからこそ、我はこの商売「古本屋」という仕事に、いまこそ、このコロナ時代だからこそ真剣、本気に取り組みたいと思えてきた。
 むろんそれで儲けるは難しい。それで生活の糧と考えるべきではもはやないと思える。だが、だからこそ本という媒体、メディアと向き合い、今こうしてだらだら文字を連ねているように、文字を「読む」、そしてそれを届ける、そして共に書き手と読み手が考えていく、という流れ、スタイルを大事にしたいと思う。

 それこそが、文化であり、人が人であることだと人間の思考の営みなのだ、と信じて。
 でなければ、人と人はいったい何を媒体として、共通言語としてお互いに繋がるのであろうか。
 手短かな、ツィッターとかで、人の気持ちや真の感情は網羅も伝達もできないはずなのだから。いいね!がいくつ貰えても、我はそれを喜ばない。そんなもの糞くらえ、だ。