「月刊・共謀コンサート」最終回、無事盛況のうちに終わりました! ― 2020年12月26日 23時48分18秒
本当にただただ感謝、そしてこれからも ― 2020年12月27日 23時51分24秒
★このコロナ禍の時代、「音楽」にできること、すべきこと
今年1月から始めた、毎月開催予定の「月刊・共謀コンサート」、最終回を終えて昨夜は零時近くに帰って来た。
ギターの他、荷物も多かったこともあるが、このところマイカーで出向いては、かけこみ亭のすぐ近くの時間貸し駐車場に停めている。
車なのでアルコールは飲めないが、重たい荷物を抱えて行き来することを思えば、格段に楽で、基本何時間停めても600円なのだからもっと早くそうすれば良かった。
帰り途、それでも慎重にハンドルを握りながら新甲州街道を走りながら思ったのは、こんな満足感、幸福感は久々だということだ。満ち足りたと言うか、何の不安も不満もない、満たされ落ち着いた気分になったのは思い出してもいつ以来か記憶にない。
いや、コンサートを終えて、ということでは初めてではないか。
ともかくこれで終わったのだ。この一年、全12回の予定がコロナの影響で2回中止になったけれども10回ともかく成し終えた。
まさに感無量という月並みな言葉しか出てこない。そしてただただ有難いことだと、感謝の気持ちでいっぱいだ。
ライブイベント、コンサートの企画に関わるようになったのはいつからだろうか。少なくとも10年以上経つことはことは間違いない。
浅草の木馬亭のようなホール会場からライブハウス、野外イベントまで、さまざまなカタチで企画側として関わって来た。が、大入りでどんなに盛況となったとしても(そんなことはまず有り得ないが)、どれほど素晴らしく熱いステージ、良い演奏が繰り広げられても、終わった後は常に必ずいくばくかの悔い、苦い思いが澱のように胸に必ず残る。
それは大概は客の入りの問題より、自らの失態、判断ミスだったり、己のダメさに帰することばかりなのだが、結果として帰路、その苦い味を噛みしめながら重たい荷物を抱えて家へ戻るはめとなる。
しかし今回だけは、そうした「苦いもの」、「また失敗したなあ」という悔やむ気持ちはほとんどなかった。むろん細かく振り返れば完璧、完全に満足などできやしない。でも、気心知れた音楽仲間たちとこのコロナ禍続く最中、何とか今年一年間、ほぼ毎月コンサートを開催でき、そのラストをまたもや素晴らしい仲間たちと盛況の裡に終えられただけで、もうただただ満足であった。
ともかく我は成し得たのだ。
誰かが言ってたが、こうした投げ銭制で多人数が出演するコンサートを毎月続けることは「共謀」ならぬ「無謀」だと、じっさい今終えて我自身そう思える。
しかもそこに春先からのコロナの感染拡大が広がり、さらに開催は困難を極めた。2回中止余儀なくされただけでなく、再開後も観客も入れられないし出演者も呼びかけても出てくれない。
当初は毎回ごと、その都度コンセプトを決めてシンガー、ミュージシャンたちに声かけ出演交渉していたのだが、コロナ禍ですべてが白紙となってしまった。
それでも無観客は1回だけで、以後は、毎回数人ではあるけれど予約された理解ある熱心な観客が来てくれて、決して以前のようなフルハウスにはできないまでも店側が設けた感染拡大防止ラインを越さない程度の毎回通な観客たちを前に熱いコンサートは続けられた。まあ、常に出る側の方がお客さんより多かったが。
今思うと、まさに共謀どころかそもそも無謀ではあったが、このタイヘンな年に全10回を終えて今、しっかり「共謀」コンサートは成し終えた、と胸が張れる。
コロナ大流行で人々は切り離され、分断と孤立の時代となってしまった今年だが、だからこそこのコンサートで、いくらかであろうとも「共謀」と「連帯」の関係が取り戻せたと信じたい。
この2020年は、ひどい苦難と試練の年となったと感じている人も多々おられよう。しかし、我にとっては、結果としてこのコロナ禍で、多くのことを考えさせられ、自分にとって「音楽」というものが何かやっとわかった。見えてきた。その意味で非常に成果ある、ある意味良き年となった。
そう、「音楽」にできること、すべきこと、は何か、である。音楽家、それぞれの歌い手にとって、ではなく。
あるシンガーにとっては、感染拡大を怖れてライブ活動は一切控えて、自宅でオンラインで配信したりYouTubeに楽曲をアップしたりしたことであろう。
また、別なあるシンガーは、コロナ怖れるものにあらず、と声さえかかれば、どこへでも観客の多寡に関係なく精力的にライブ活動を続けたことであろう。まさに人それぞれである。。
このコロナ流行で、当初いみじくも為政者側から語られ強いられたことは、不要不急の外出の「自粛」であった。
それはつまるところ、コンサート、ライブ活動、寄席、映画演劇の観覧であり、野外でのスポーツイベントでさえそれに含まれた。それらに行くのは自粛せよ、というのである。そうした人が集うイベントこそ、「三密」に繋がる故に「不要不急」のものとされてしまったのだ。
「音楽」も含めてそうした芸能・芸術活動が、そもそも不要不急のものかはともかく、感染拡大防止のためには致し方ない面もあったとは思う。
しかし、だからこそ、それに少しでも関わる者、観客も含めて関心持つ者は、いまこの時代に「できること」「すべきこと」は何なのか自らに問わねばならないはずだ。
それを為政者たちが言うように「不要不急」だと思う人は除くとして。
我はその答えを見出し、それを実践、成し終えた。それこそがこの全10回の「月刊・共謀コンサート」なのだ。
音楽にできること、すべきことはまだまだ無限にある。多くの信頼できる仲間たちに支えられ、コンサートが続けられたことで誰より無力かつ非力な我も大きな自信を得た。
そう、「音楽」にできること、すべきことはまだいっぱいある。
これからも「共謀コンサート」は「月刊」は終えても不定期的にでも続けていく。
まだできる、すべきことがあると信じて。
再開の第一弾は、来年2/28日だ。
終わった後に常に感じる、何か忘れ物をしたのではないかと我を苛む不安感も今回は一切感じない。自分が死ぬときもこんなふうに満ち足りた、落ち着いた幸せな気持ちで死ねたらなあと思った。
これが26日のライブを終えて、帰り途に車を走らせながら考えたことだ。
今年1月から始めた、毎月開催予定の「月刊・共謀コンサート」、最終回を終えて昨夜は零時近くに帰って来た。
ギターの他、荷物も多かったこともあるが、このところマイカーで出向いては、かけこみ亭のすぐ近くの時間貸し駐車場に停めている。
車なのでアルコールは飲めないが、重たい荷物を抱えて行き来することを思えば、格段に楽で、基本何時間停めても600円なのだからもっと早くそうすれば良かった。
帰り途、それでも慎重にハンドルを握りながら新甲州街道を走りながら思ったのは、こんな満足感、幸福感は久々だということだ。満ち足りたと言うか、何の不安も不満もない、満たされ落ち着いた気分になったのは思い出してもいつ以来か記憶にない。
いや、コンサートを終えて、ということでは初めてではないか。
ともかくこれで終わったのだ。この一年、全12回の予定がコロナの影響で2回中止になったけれども10回ともかく成し終えた。
まさに感無量という月並みな言葉しか出てこない。そしてただただ有難いことだと、感謝の気持ちでいっぱいだ。
ライブイベント、コンサートの企画に関わるようになったのはいつからだろうか。少なくとも10年以上経つことはことは間違いない。
浅草の木馬亭のようなホール会場からライブハウス、野外イベントまで、さまざまなカタチで企画側として関わって来た。が、大入りでどんなに盛況となったとしても(そんなことはまず有り得ないが)、どれほど素晴らしく熱いステージ、良い演奏が繰り広げられても、終わった後は常に必ずいくばくかの悔い、苦い思いが澱のように胸に必ず残る。
それは大概は客の入りの問題より、自らの失態、判断ミスだったり、己のダメさに帰することばかりなのだが、結果として帰路、その苦い味を噛みしめながら重たい荷物を抱えて家へ戻るはめとなる。
しかし今回だけは、そうした「苦いもの」、「また失敗したなあ」という悔やむ気持ちはほとんどなかった。むろん細かく振り返れば完璧、完全に満足などできやしない。でも、気心知れた音楽仲間たちとこのコロナ禍続く最中、何とか今年一年間、ほぼ毎月コンサートを開催でき、そのラストをまたもや素晴らしい仲間たちと盛況の裡に終えられただけで、もうただただ満足であった。
ともかく我は成し得たのだ。
誰かが言ってたが、こうした投げ銭制で多人数が出演するコンサートを毎月続けることは「共謀」ならぬ「無謀」だと、じっさい今終えて我自身そう思える。
しかもそこに春先からのコロナの感染拡大が広がり、さらに開催は困難を極めた。2回中止余儀なくされただけでなく、再開後も観客も入れられないし出演者も呼びかけても出てくれない。
当初は毎回ごと、その都度コンセプトを決めてシンガー、ミュージシャンたちに声かけ出演交渉していたのだが、コロナ禍ですべてが白紙となってしまった。
それでも無観客は1回だけで、以後は、毎回数人ではあるけれど予約された理解ある熱心な観客が来てくれて、決して以前のようなフルハウスにはできないまでも店側が設けた感染拡大防止ラインを越さない程度の毎回通な観客たちを前に熱いコンサートは続けられた。まあ、常に出る側の方がお客さんより多かったが。
今思うと、まさに共謀どころかそもそも無謀ではあったが、このタイヘンな年に全10回を終えて今、しっかり「共謀」コンサートは成し終えた、と胸が張れる。
コロナ大流行で人々は切り離され、分断と孤立の時代となってしまった今年だが、だからこそこのコンサートで、いくらかであろうとも「共謀」と「連帯」の関係が取り戻せたと信じたい。
この2020年は、ひどい苦難と試練の年となったと感じている人も多々おられよう。しかし、我にとっては、結果としてこのコロナ禍で、多くのことを考えさせられ、自分にとって「音楽」というものが何かやっとわかった。見えてきた。その意味で非常に成果ある、ある意味良き年となった。
そう、「音楽」にできること、すべきこと、は何か、である。音楽家、それぞれの歌い手にとって、ではなく。
あるシンガーにとっては、感染拡大を怖れてライブ活動は一切控えて、自宅でオンラインで配信したりYouTubeに楽曲をアップしたりしたことであろう。
また、別なあるシンガーは、コロナ怖れるものにあらず、と声さえかかれば、どこへでも観客の多寡に関係なく精力的にライブ活動を続けたことであろう。まさに人それぞれである。。
このコロナ流行で、当初いみじくも為政者側から語られ強いられたことは、不要不急の外出の「自粛」であった。
それはつまるところ、コンサート、ライブ活動、寄席、映画演劇の観覧であり、野外でのスポーツイベントでさえそれに含まれた。それらに行くのは自粛せよ、というのである。そうした人が集うイベントこそ、「三密」に繋がる故に「不要不急」のものとされてしまったのだ。
「音楽」も含めてそうした芸能・芸術活動が、そもそも不要不急のものかはともかく、感染拡大防止のためには致し方ない面もあったとは思う。
しかし、だからこそ、それに少しでも関わる者、観客も含めて関心持つ者は、いまこの時代に「できること」「すべきこと」は何なのか自らに問わねばならないはずだ。
それを為政者たちが言うように「不要不急」だと思う人は除くとして。
我はその答えを見出し、それを実践、成し終えた。それこそがこの全10回の「月刊・共謀コンサート」なのだ。
音楽にできること、すべきことはまだまだ無限にある。多くの信頼できる仲間たちに支えられ、コンサートが続けられたことで誰より無力かつ非力な我も大きな自信を得た。
そう、「音楽」にできること、すべきことはまだいっぱいある。
これからも「共謀コンサート」は「月刊」は終えても不定期的にでも続けていく。
まだできる、すべきことがあると信じて。
再開の第一弾は、来年2/28日だ。
終わった後に常に感じる、何か忘れ物をしたのではないかと我を苛む不安感も今回は一切感じない。自分が死ぬときもこんなふうに満ち足りた、落ち着いた幸せな気持ちで死ねたらなあと思った。
これが26日のライブを終えて、帰り途に車を走らせながら考えたことだ。
死者を通して今年2020年を振り返る・① ― 2020年12月29日 10時20分41秒
★元号が変わると前時代の偉大な人たちも消えていく
これはあまり誰も大きな声で語らないが、この国は、何故か元号が変わるとそれに符合するかごとく、その前の時代に大きな仕事を成した名高い人たちも死んで行く。
昭和から平成に移ったときも美空ひばりや手塚治虫ら偉大な業績を残した人たちが次々と亡くなったし今回も一時代を築いた芸能関係の著名人が次々と多々亡くなった。※令和元年は中途からで短かったわけだし、今年こそ実質、新元号・令和の一年目と言えるとして。
もともと元号を変えるということは、かつては大きな災害疫病などが起きて人心が倦み疲れてしまったときの「リセット」だったと聞く。
つまり禍という過去を断ち切らんがために、人心一新を目的に改元が行われていた。
それがいつしか天皇の代替わり共に近年は行われるようになっているわけだが、今でも改元というのは、旧い過去のものや人の「リセット」という意味合いをその実強く持っているのではないか。
合わせて平成時代には起きなかったコロナウイルスの大流行というのも何かそこに深い意味合いがあるような気がするがそれはさておき。言霊の国、日本というのは21世紀でも何か見えない力で人々は動かされているようにも我は思える。
さて今年も残すは3日となった。今日も晴れて冷え込みは弱く穏やかな年末だ。
大掃除など何もしていないが、年末のいろいんな支払いなどまず対世間的なことはほぼ済ませつつある。あとは三本脚猫キジ子の支払いを動物病院に完済すれば「お金」のことはひとまず終わる。
我が責任負う「月刊・共謀コンサート」も無事終了したし、これからその最終的報告を「総括」してアップしていきたいと思うが、このブログにもようやく向き合う時間ができてきた。
これまで書けなかった今年亡くなられた人たちのことについて、ランダムに振り返ってみたいと思う。
筒美京平から宅八郎まで、我と共にある時代を共にした人たちを偲びたい。思い出して追悼することだけが彼らに対しできることで残された生者の特権なのだから。
これはあまり誰も大きな声で語らないが、この国は、何故か元号が変わるとそれに符合するかごとく、その前の時代に大きな仕事を成した名高い人たちも死んで行く。
昭和から平成に移ったときも美空ひばりや手塚治虫ら偉大な業績を残した人たちが次々と亡くなったし今回も一時代を築いた芸能関係の著名人が次々と多々亡くなった。※令和元年は中途からで短かったわけだし、今年こそ実質、新元号・令和の一年目と言えるとして。
もともと元号を変えるということは、かつては大きな災害疫病などが起きて人心が倦み疲れてしまったときの「リセット」だったと聞く。
つまり禍という過去を断ち切らんがために、人心一新を目的に改元が行われていた。
それがいつしか天皇の代替わり共に近年は行われるようになっているわけだが、今でも改元というのは、旧い過去のものや人の「リセット」という意味合いをその実強く持っているのではないか。
合わせて平成時代には起きなかったコロナウイルスの大流行というのも何かそこに深い意味合いがあるような気がするがそれはさておき。言霊の国、日本というのは21世紀でも何か見えない力で人々は動かされているようにも我は思える。
さて今年も残すは3日となった。今日も晴れて冷え込みは弱く穏やかな年末だ。
大掃除など何もしていないが、年末のいろいんな支払いなどまず対世間的なことはほぼ済ませつつある。あとは三本脚猫キジ子の支払いを動物病院に完済すれば「お金」のことはひとまず終わる。
我が責任負う「月刊・共謀コンサート」も無事終了したし、これからその最終的報告を「総括」してアップしていきたいと思うが、このブログにもようやく向き合う時間ができてきた。
これまで書けなかった今年亡くなられた人たちのことについて、ランダムに振り返ってみたいと思う。
筒美京平から宅八郎まで、我と共にある時代を共にした人たちを偲びたい。思い出して追悼することだけが彼らに対しできることで残された生者の特権なのだから。
2020年の終わりに ― 2020年12月31日 21時46分47秒
★身近にコロナ陽性者が出て考えたこと
年明けからコロナコロナで翻弄され、誰にとっても苦難の年、大変な年だった2020年も間もなく終わる。
様々な感慨がわくが、まずは最後の最後に起きたことについて触れないとならない。
コロナが未だ大流行中でも個人的には、月例のコンサートが2回、つまり二月中止となったぐらいで、老父も無事に介護施設に変わりなく通ってくれたし、さほどその「影響」は感じていなかった。緊急事態宣言が出、誰もが自宅に皆引き籠りおまけに10万円の給付金が出た頃は、古本稼業も注文が増えて我も「コロナ景気」を少しだけ味わった。
まあ、マスクは面倒で息苦しいから嫌いだけど買物や飲食など店に入るときだけはマスクを付ければいいだけか、と、このウイルスの怖ろしさ、大変さは特に感じていなかった。
が、今年も最後の最後になって、友人が感染し、身近なところから感染者が出たことで、我も要観察中となってしまいようやくコロナの怖さ、大変さがわかった。
これは書くべきかかなり迷い、実際にいったん書いてアップしようとしたら何かの不手際で昨日は全部消えてしまい、やはり広く告知すべきではないのかもと迷ったが、やはり後学のためにも書き記すことにする。
この年末は、例年ならば年明けには都内に住んでいる甥っ子がウチに来るので、そのためにも少しでも大掃除したりもてなしの支度もせねばならぬところ、コロナ禍で来ないはずだから正月三が日も含めやっとのんびりできるはずだった。
このブログでも、今年亡くなられた方々についてゆっくり回想し偲びたいと考えていた。その他、父は元旦の夕方まで施設に居るので、やっとのんびりゆっくり自分のコトに専念できるつもりでいた。
ところが、29日の昼頃、友人からメッセンジャーで、「昨日から発熱し、今日、検査を受けたらコロナ陽性でした。万が一、誰かにうつしていたら、申し訳ありません。」と感染が判明したという連絡があった。
その方は、先日26日のコンサートに観客として来てくれた我の友人で、来た当初から何か体調悪そうで、ライブの間中、座ってほぼずっと居眠りをされていた。
この年末、仕事がらお疲れのことだろうと思い、我も二言三言は話したが、あえてほったらかしにしていた。彼は途中から来て終わったあと早めに帰られたが、その場に3時間はいたかもしれない。
だが、コロナ陽性者が出たということで、すぐに店側に知らせてどう対策をとるか皆が頭悩ましてあたふた追われた。
まず、当日、その場にいた人たち、出た側も観客として来られた側も全員に、その日来ていた人から陽性者が出たことを連絡し、濃厚接触していないとしても感染している怖れもあるため体調に注意することと外出などは慎重な対応をとってほしいと伝えた。
店から陽性者が出たとの報は、他の常連客達にもすぐに広がり、多くのご意見が寄せられた。中には、その場にいた人たち全員にすぐにPCR検査を受けるよう通達してお店はすぐに閉めてください、という声もあった。
しかし発熱もない段階で、ほんの数日前同じ場にいたというだけで自費で検査を受けたとしても、約二週間の期間は潜伏期間だから、すぐに検査し現時点では感染していないと判明してもそれで良しとは疑問に思える。
ましてこの年末年始、いま特に感染者が急増し医療体制がひっ迫している最中、そのために慌てて動きまわるよりも各自が「もしかしたら感染しているかも」という意識で自宅でまさにじっとステイホームするほうが得策ではないかと考えた。つまり自ら「要観察」と意識して自分の体調に注意することからだ。その後、PCRは各自の判断で受ければ良いのではないか。
また、店では、保健所からの聞き取りに、その感染した男性がどう答えたかそれがわからず困惑していた。
けっきょく、彼の妻に当たる人から、店に行ったこと、その場に居た人たちの数と全員マスクはしていた、と伝えてあることが確認とれ、後は保健所側から店にどのような連絡があるか待つことになった。
濃厚接触者がいると判断されれば、店にすぐに連絡があるはずだが、現時点では幸いにしてどうやら何も連絡はないようだ。向うも感染拡大に追われて多忙だろうし店での「濃厚接触者」はいないと判断したのではないか。
じっさい、彼はほとんど誰とも話さずひたすらうとうとしていたので、我も含めて「濃厚接触」した人は今回はいないと思いたい。
だが、この我ももしかしたらウイルスを保菌し自宅に帰ってきて老父の介護等をしているわけで、父とはかなり濃厚に接触した。その父の容態も含めて、感染者が身近に出たとの報を受けてからは我よりも超高齢の父のことが心配でならなかった。
幸いにして、この大晦日になっても施設からは、発熱など体調不良、異変の連絡はないので安堵はしている。が、まだ完全に安心はできない今の時点で気は緩められない。
12/26日から二週間だと、1/10日頃をもって、何も体調に異変異常がなければ、感染は杞憂だったと今回の騒動は我においては終わる。
しかし、彼の妻にあたる人も濃厚接触者として感染が確認されたようでご夫婦で別の病院に入院してしまったようだ。
彼の方は軽い糖尿もあるとのことで、悪化しないことをただ祈り望むしかない。
そして今回の「騒動」で、店では以後に予定されていた年末年始のライブイベントは全て中止となった。
そのことに対して我はただただ申し訳なく思う。何とも忸怩たるというか、すまなさでいっぱいだ。そもそもそのコンサートの全責任者として。感染した当人に対しては全く何ひとつ思うところはないのに、我が感じる自らのこの「申し訳のなさ」はいったい何になのだろうか。
誰だって感染したくて感染するのではないし、皆誰もが当然のこととして出来る限りの予防対策はとっている。
それでも感染する人は出、今もまたさらに日々増え続けている。以前から芸能人などが感染すると、お詫びの会見などし謝罪していて、不審に思っていた。
が、やはり、自らが準当事者的立場となり、そのことで周囲に大小問わず様々な影響、何らかの迷惑や不便をかけてしまうと、こんな我でさえもやはり心苦しく申し訳なく思う。それこそが人情であり、人間なのだと気づく。
今回の一件で、もしかしたら自分は感染しているかも、という怖れから高齢の両親に会いに行く正月の実家帰省を諦めた方もいた。
自分もいまこの年末年始は極力誰とも接触しないようにしている。息をひそめてこの潜伏期間が通り過ぎるのを待つだけだ。
コロナというのは、ウィルスだから目には見えない。都知事たちは、ひたすら「感染しない!感染させない!」と声高に繰り返し呼びかけているけれど、感染しないかどうかは人には判別も対処もできやしない。誰だって好きで感染する者はいないのである。
つまり、感染する人は感染する。それはその人の不注意・不徳や因果応報ではなく、まったくの単なる偶然、ある意味運不運なのである。
そして一たび、身近に感染した人が出ると、今度は自らもその怖れを抱えて他者との接触は控えざるえなくなる。そしてもしかしたら自らも発症するかも、あるいは症状は出てなくても既に他者に感染させてしまったかもと不安に苦しむ。
はっきりわかった。コロナの怖さとは、真の恐ろしさとは、感染することもだが、それ以前の人心の不安を強くかきたてることだ。誰もが疑心に揺れている。身近で感染者が出たらば、それは自分が感染するかも、よりも他者に感染させるかも、という恐怖が大きい。
今まで傍観者としてコロナを甘く見ていたことを今ここで告白し深く恥じ入る。コロナ感染者が身近に出るとどういう事態となるか、今回はっきり理解できた。
もし、自分から誰かにうつしてしまい、その人が結果として亡くなったとしたら、道義的にはともかく誰もが深く自責の念に囚われ自らを苛むことになるかと思える。
今日大晦日の新たな感染者の発表が出た。何と東京は、最多の1337人!! 国内の新規感染者数は4000人を超えた。いずれも記録更新である。コロナはここをピークにして収まることはなくまだまだ続くと我も覚悟した。
2020年歳末になって、最後に最後に、ケチがついたとは思わない。この「おまけ」こそ、災難ではなく試練として大きな勉強、我にとって多々得るところとしたい。
どうか皆様もご自愛のうえ、まずは体調管理に務め、慌てず焦らず無理せずに、このコロナの時代を生き延びていきましょう!!
年明けからコロナコロナで翻弄され、誰にとっても苦難の年、大変な年だった2020年も間もなく終わる。
様々な感慨がわくが、まずは最後の最後に起きたことについて触れないとならない。
コロナが未だ大流行中でも個人的には、月例のコンサートが2回、つまり二月中止となったぐらいで、老父も無事に介護施設に変わりなく通ってくれたし、さほどその「影響」は感じていなかった。緊急事態宣言が出、誰もが自宅に皆引き籠りおまけに10万円の給付金が出た頃は、古本稼業も注文が増えて我も「コロナ景気」を少しだけ味わった。
まあ、マスクは面倒で息苦しいから嫌いだけど買物や飲食など店に入るときだけはマスクを付ければいいだけか、と、このウイルスの怖ろしさ、大変さは特に感じていなかった。
が、今年も最後の最後になって、友人が感染し、身近なところから感染者が出たことで、我も要観察中となってしまいようやくコロナの怖さ、大変さがわかった。
これは書くべきかかなり迷い、実際にいったん書いてアップしようとしたら何かの不手際で昨日は全部消えてしまい、やはり広く告知すべきではないのかもと迷ったが、やはり後学のためにも書き記すことにする。
この年末は、例年ならば年明けには都内に住んでいる甥っ子がウチに来るので、そのためにも少しでも大掃除したりもてなしの支度もせねばならぬところ、コロナ禍で来ないはずだから正月三が日も含めやっとのんびりできるはずだった。
このブログでも、今年亡くなられた方々についてゆっくり回想し偲びたいと考えていた。その他、父は元旦の夕方まで施設に居るので、やっとのんびりゆっくり自分のコトに専念できるつもりでいた。
ところが、29日の昼頃、友人からメッセンジャーで、「昨日から発熱し、今日、検査を受けたらコロナ陽性でした。万が一、誰かにうつしていたら、申し訳ありません。」と感染が判明したという連絡があった。
その方は、先日26日のコンサートに観客として来てくれた我の友人で、来た当初から何か体調悪そうで、ライブの間中、座ってほぼずっと居眠りをされていた。
この年末、仕事がらお疲れのことだろうと思い、我も二言三言は話したが、あえてほったらかしにしていた。彼は途中から来て終わったあと早めに帰られたが、その場に3時間はいたかもしれない。
だが、コロナ陽性者が出たということで、すぐに店側に知らせてどう対策をとるか皆が頭悩ましてあたふた追われた。
まず、当日、その場にいた人たち、出た側も観客として来られた側も全員に、その日来ていた人から陽性者が出たことを連絡し、濃厚接触していないとしても感染している怖れもあるため体調に注意することと外出などは慎重な対応をとってほしいと伝えた。
店から陽性者が出たとの報は、他の常連客達にもすぐに広がり、多くのご意見が寄せられた。中には、その場にいた人たち全員にすぐにPCR検査を受けるよう通達してお店はすぐに閉めてください、という声もあった。
しかし発熱もない段階で、ほんの数日前同じ場にいたというだけで自費で検査を受けたとしても、約二週間の期間は潜伏期間だから、すぐに検査し現時点では感染していないと判明してもそれで良しとは疑問に思える。
ましてこの年末年始、いま特に感染者が急増し医療体制がひっ迫している最中、そのために慌てて動きまわるよりも各自が「もしかしたら感染しているかも」という意識で自宅でまさにじっとステイホームするほうが得策ではないかと考えた。つまり自ら「要観察」と意識して自分の体調に注意することからだ。その後、PCRは各自の判断で受ければ良いのではないか。
また、店では、保健所からの聞き取りに、その感染した男性がどう答えたかそれがわからず困惑していた。
けっきょく、彼の妻に当たる人から、店に行ったこと、その場に居た人たちの数と全員マスクはしていた、と伝えてあることが確認とれ、後は保健所側から店にどのような連絡があるか待つことになった。
濃厚接触者がいると判断されれば、店にすぐに連絡があるはずだが、現時点では幸いにしてどうやら何も連絡はないようだ。向うも感染拡大に追われて多忙だろうし店での「濃厚接触者」はいないと判断したのではないか。
じっさい、彼はほとんど誰とも話さずひたすらうとうとしていたので、我も含めて「濃厚接触」した人は今回はいないと思いたい。
だが、この我ももしかしたらウイルスを保菌し自宅に帰ってきて老父の介護等をしているわけで、父とはかなり濃厚に接触した。その父の容態も含めて、感染者が身近に出たとの報を受けてからは我よりも超高齢の父のことが心配でならなかった。
幸いにして、この大晦日になっても施設からは、発熱など体調不良、異変の連絡はないので安堵はしている。が、まだ完全に安心はできない今の時点で気は緩められない。
12/26日から二週間だと、1/10日頃をもって、何も体調に異変異常がなければ、感染は杞憂だったと今回の騒動は我においては終わる。
しかし、彼の妻にあたる人も濃厚接触者として感染が確認されたようでご夫婦で別の病院に入院してしまったようだ。
彼の方は軽い糖尿もあるとのことで、悪化しないことをただ祈り望むしかない。
そして今回の「騒動」で、店では以後に予定されていた年末年始のライブイベントは全て中止となった。
そのことに対して我はただただ申し訳なく思う。何とも忸怩たるというか、すまなさでいっぱいだ。そもそもそのコンサートの全責任者として。感染した当人に対しては全く何ひとつ思うところはないのに、我が感じる自らのこの「申し訳のなさ」はいったい何になのだろうか。
誰だって感染したくて感染するのではないし、皆誰もが当然のこととして出来る限りの予防対策はとっている。
それでも感染する人は出、今もまたさらに日々増え続けている。以前から芸能人などが感染すると、お詫びの会見などし謝罪していて、不審に思っていた。
が、やはり、自らが準当事者的立場となり、そのことで周囲に大小問わず様々な影響、何らかの迷惑や不便をかけてしまうと、こんな我でさえもやはり心苦しく申し訳なく思う。それこそが人情であり、人間なのだと気づく。
今回の一件で、もしかしたら自分は感染しているかも、という怖れから高齢の両親に会いに行く正月の実家帰省を諦めた方もいた。
自分もいまこの年末年始は極力誰とも接触しないようにしている。息をひそめてこの潜伏期間が通り過ぎるのを待つだけだ。
コロナというのは、ウィルスだから目には見えない。都知事たちは、ひたすら「感染しない!感染させない!」と声高に繰り返し呼びかけているけれど、感染しないかどうかは人には判別も対処もできやしない。誰だって好きで感染する者はいないのである。
つまり、感染する人は感染する。それはその人の不注意・不徳や因果応報ではなく、まったくの単なる偶然、ある意味運不運なのである。
そして一たび、身近に感染した人が出ると、今度は自らもその怖れを抱えて他者との接触は控えざるえなくなる。そしてもしかしたら自らも発症するかも、あるいは症状は出てなくても既に他者に感染させてしまったかもと不安に苦しむ。
はっきりわかった。コロナの怖さとは、真の恐ろしさとは、感染することもだが、それ以前の人心の不安を強くかきたてることだ。誰もが疑心に揺れている。身近で感染者が出たらば、それは自分が感染するかも、よりも他者に感染させるかも、という恐怖が大きい。
今まで傍観者としてコロナを甘く見ていたことを今ここで告白し深く恥じ入る。コロナ感染者が身近に出るとどういう事態となるか、今回はっきり理解できた。
もし、自分から誰かにうつしてしまい、その人が結果として亡くなったとしたら、道義的にはともかく誰もが深く自責の念に囚われ自らを苛むことになるかと思える。
今日大晦日の新たな感染者の発表が出た。何と東京は、最多の1337人!! 国内の新規感染者数は4000人を超えた。いずれも記録更新である。コロナはここをピークにして収まることはなくまだまだ続くと我も覚悟した。
2020年歳末になって、最後に最後に、ケチがついたとは思わない。この「おまけ」こそ、災難ではなく試練として大きな勉強、我にとって多々得るところとしたい。
どうか皆様もご自愛のうえ、まずは体調管理に務め、慌てず焦らず無理せずに、このコロナの時代を生き延びていきましょう!!
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