大切なことは、現実=人生ときちんと向き合い、常に声を上げていくこと。つまりプロテストしていくこと2021年02月17日 20時16分11秒

★森会長の後任人事などどうでもいいが・・・

 正直、我の人生がもはや何もかもがいっぱいいっぱいになってしまって、機能不全となってしまった。
 が、それでなし崩し的に、破滅させて人生を終わりにいるわけにもいかないので、ともかく毎度のことながら、一つ一つ今できることをひとつづつ片づけていくしかない。
 焦り苛立つだけでなく精神的にも追い込まれてすごく苦しい。が、このコロナ禍下、誰だって苦しいのは皆同じのはずで、まして我は自業自得でもあるのだから、逃げずに、つまり自死することなどなく最期まで何とかできることをやっていくしかない。
 少なくとも我が父を看取るまでは、だ。

 かつての美少年だった我も老いて、もう蓬髪ぼうぼうの老人となつてきた。身体のあちこちに不調はあれど、今まで生きて来れたのだから、神のご加護に感謝して終わりの日までとことん必死にがんばるしかない。もうあと少しの感もある。
 長く生きて良かったと思うことも多々ある。この「世界」は変わりはしないが、天網恢恢粗にして漏らさず、との諺通りに、このコロナ状況下、今まで隠されていた矛盾や様々な問題点がようやく白日に曝されてきた。
 ロシアや中国、北朝鮮のように独裁的に未来永劫的に続くかと思えた安倍強権長期政権も桜とコロナの不祥事でようやく終わり終わりをつげたし、それを引き継いだ菅政権も次々ボロが出、支持率も落ち自公政権の「限界」も見えてきた。
 そして森会長の「失言」により、女性蔑視というより、そもそも男社会の差別的格差が日本社会全体に蔓延していることが問題視され始め、今さらながら男女問わず多くの人たちが声を上げ始めた。
 かつてのサヨクが信じたような「社会主義的絶対的正義」などは存在しないが、自ら信ずる「正義」以前のこととして、当たり前のコトとして「おかしいこと、ヘンだと思うこと」について声を多くの人たちが上げ始めた。

 オリンピックに限らず、日本社会は、男女の数は半々なのに、女性だけが下位に置かれ社会、組織の中では不当に扱われその役割は固定化されてきた。
 男たちは、昼間の会議で、白日の下きちんと意見を出し合い互いの意見を尊重し決をとることよりも、夜間の仲間内の密室的会席において、談合的にモノゴトを決めることを好み、立法府国会すらろくに審議もせず、形式的な議決機関となり下がってしまった。そこには女は入らない。会社もまた然り。

 それもこれも自民党的、村社会的、日本社会の旧弊的システムであり、五輪に関する役員すべても含めその軛、制約から逃れられない。それはアスリートなら男女問わず同じことだ。そもそもスポーツの世界こそ、昔ながらの上位下達のスポコン体質なのだから。
 常に上の、年長的権力者の顔を立てねばならないゆえ、若手、一選手の自由な発言など許されない。
 だが、ようやくそうした古い世界は、やはりオカシイ、何せよ密室で談合的に決めるのはオカシイ、と森会長の差別的放言以後、これは日本社会の問題なのだと多くの国民が気づき声を上げ始めた。

 そう、何にしろ、まず誰もが、これはヘンだ、何かおかしいと気づいたらともかくそれを良しとはせずに、呟きであろうとブログやフェイスブックであろうと「声を上げていくこと」だ。
 世界はおいそれと変わりはしないが、そうした量が増えれば質さえも変わっていく。
 今回、次期会長に「内定」していた川渕氏のメディアを前にした迂闊なおしゃべりから「裏事情」が広く世に知られなければ、これまで通り密室人事で、引責辞任した人から「後継者」が指名され、それが表に出ることなく、新会長として全会一致で粛々と決まっていたことだろう。
 森会長の辞任を促したのも、川渕氏への次期会長の密室人事を阻んだのも、名もなき国民一人一人のこれはヘンだ、おかしいぞ、という声なのである。

 どんな不満や疑義が゛あろうとかつては新聞の読者欄に投書するぐらいしかなかった人々の「声」は、今は誰でもSNSなどを使って、気軽に広く世界に発信できる。
 それが集まり高まれば、為政者、権力を持つ者たちも無視できなくなる。さすればもしかしたら世界は変わっていくかもしれないではないか。

 我も「神」に対してすら日々声を上げている。「神様、これ以上私に苦難を与えないでください。救い、お助け下さい」と。
 むろん返事は返らない。神は沈黙したままだ。だが、祈りとは、信仰とは、そうした語りかけ、天を仰ぎ見、声を上げていくことなのである。
 だからこそ人は、まずこの悲惨で矛盾に満ちた現実に向き合い、声を上げていくこと、異議申し立てをしていくことからだ。
 おかしなことはおかしい、真っ当なことをしてくれと。そうした思いが世界を変えていく。