いったい今、何が起きているのか~続き2021年03月20日 12時23分01秒

★ご心配おかけして申し訳ないが

 いま、ウチは、室内飼いの猫、つまり外には出さずに家の中だけにいる猫のグループと、外と出入りしている猫たちがいる。
 いまは、基本、雌猫はこれ以上新たに妊娠しないよう家の中で、それ以外の避妊手術した猫たちは、猫ドアを通して野外との出入り自由として、昔からいる猫たちも老猫グリコを筆頭に「外」のグループである。
 今回、線路で事故死した黒猫は、いちばん最近生まれた三匹のうちの一匹で、当初は雌1、雄2の兄妹だと思っていた。黒2、銀1であった。
 そのうち黒ではない雌は、早めに室内に隔離保護して、残りはオスの兄弟だと思い、外と出入り自由としていたのだが、最近になって、その黒2匹のうち小柄のほうが、メスだと判明して、どうしたものかと考えていた。※猫の雄雌は、ある程度大きくならないとなかなか判明しにくい。
 なかなか慣れっ来い甘えてくる猫で、首輪も付けていなかったが、そろそろ捕獲して他の雌たちと一緒の室内に入れるべきか迷っていた矢先であった。
 このところは、その黒猫兄妹は、八高線の線路を渡って、向かいの畑で遊んだりもしているのを見ていたので、危ないなあとは思っていたが、忙しさにかまけてほったらかしにしていたのである。
 そしてまたしても事故が起きてしまった。

 一昨年のキジ子のときもだが、この単線の八高線の線路では電車に撥ねられこれまで何匹の犬猫が命をおとしたことだろうか。
 キジ子だけは、大怪我はしたものの、幸いにして後ろ脚1本を根元から切断する手術で奇跡的に生還できたものの、またしても犠牲者が出たというわけだ。
 むろん今は、鉄のフェンスで遮断されて人間はカンタンには線路内に立ち入れないようJRの対策はとられている。
 が、猫などは身体が小さく、しかも頭さえ通れば少しの隙間からでも線路内に潜り込んでしまうようで、平気で線路内に降りて渡っている。それでキジ子以来また新たな事故が発生してしまったのである。

 フェイスに脚立を立てかけて線路に降りて、ともかくそのまま遺骸をそこに置いておくわけにもいかないから、我が家の庭に運んで、昨秋の降り積もった落葉の中にとりあえずそっと安置した。まさに泣きたい気分である。何でこんなことが・・・、可哀想だと言うしかない。
 即死は間違いないのだから、早く庭に埋めたかったが、遅くとも昼前には、父の訪問診察で担当医たちが来てしまうので、まずは彼らを迎え入れる準備が先だ。
 その医師と看護婦たちは、午前10時半頃には来て、いつものようにカンタンに診察を済ませ、薬の処方箋を置いてすぐに帰った。

 それからまだ父に朝食も食べさせてなかったので、カンタンにパン類をスープで摂らせてから暖かい昼過ぎ、父を表に連れ出して我はミカンの木の下近くに穴を掘り、可哀想なミーを埋めた。まだ一歳にもなっていなかったかと思う。毛並みも手触りも生前のままだったが、身体はもう固くなっていた。
 2017年の春に、老衰で死んだ愛犬ブラ彦も、柿の木の下に埋めたらその年の秋は、柿の実はたわわに成った。ミーもまたみかんの木を成らせてくれるに違いない。猫の魂よ、安かれ、である。
 それから父にサポートさせて、上がってしまった車のバッテリーを復帰させる作業にとりかかった。しかしこれまた一苦労であった。

 自慢できることではないが、我は、生来の不器用で、工作やメカニックなことにはとことん弱い。何かモノを組み立てるということは、プラモデルどころか、学年誌の紙の付録でさえ完成させることかができないほどだ。
 小学校のときは、図画工作で通信簿が付けられてしまうから、我はずっと評価は1.であった。が、中学になって、美術だけに切り離されたら、評価はとたんに5になった。
 今は絵心とかそうした才能は枯渇してしまった我だが、元々絵画的センスは多少はあって、美大進学を目指したこともある。本来は5.の才能が、1.に下げられるほど木工などモノづくりの才はなく、とことん不器用なのである。
 そこに来て世の男子は、皆たいがい、鉄道や乗り物、車やロボットなどメカニックなものが好きなようだが、我はそうしたものは昔から一切関心がない。メカ類でもオーディオとか楽器は異常に好きだが、それは音が出るからであり、単に固いものや動くものには無関心だと言うしかない。だから車も自転車も単に動けば、実用的であればそれで良し、であり、自らいじることはまさに関心外であった。
 そんな男が、自ら車のバッテリーをいじるハメとなった。とことん不器用な男がボケ老人をアシストにして、どれほど苦労したことか想像できるであろうか。
 ※実は、我が父は、呆ける以前は、こうしたメカにはめっぽう強く、我と違って手先は器用で創意工夫の人として知られていた。腕時計からバイク、自動車まで父が修理できないものはなかった。が、それも今は昔であり、今は手も震え目も見えず頭も回らず頼りには全くならない。

 ボンネットを開けて、ネットの記事にあったようにまず、ウォーシャータンクのポリ容器を持ち上げないと肝心のバッテリーが姿を現さない。が、そのタンクにもとうぜんコードというパイプが付いていてそれを外さないとタンクは動かない。
 全てがキツキツでスペースがなく、手も入らず、ろくな工具も手元になく、その二本のパイプと線を外すのがまず大変であった。※また元に繋ぎ直すのも。
 やっとタンクは宙に浮いて、バッテリーも見えた。そしていよいよ小型モバイルバッテリーからジャンピングである。
 そのAmazonで注文したモバイルチャージャーは、その日の午前中に届き、既に充電しておいた。

 クリップをそれぞれプラスとマイナス、赤と黒それぞれで繋いで、車内に入ってエンジンをかける。が、ウンともスンともエンジンはかからない。
 外にいる父に、タンクと小型チャージャーを支え持ってもらったのだが、父がいて良かったとこの日ほど有難く思ったことはない。
 車内に入らないとエンジンはかけられないのだから、我一人ではそもそもこの作業は出来なかったのである。
 プラスとマイナスを繋ぐのが間違っているのかと、何度も付け替えてみた。説明書ではごく簡単に、エンジンはかかるとのことで、かかったら即バッテリーのクリップは外せとある。
 ほとほと困惑した。近所の懇意にしている家のご主人が、今日は休みなのか庭先にいるのが見えた。もう諦めて、彼にお願いして車を出してそれで繋いでもらおうかと大いに迷い考えもした。
 が、諦めずに10分ほど何回も何回も繋ぎ直してたらやっと反応がわずかにあり、エンジンが鳴りかかりそうな感じがした。何故か突然死んだ猫のことを思った。南無さん!!!
 そしたら突然エンジンがかかった。

 しばらくそのまま吹かしてから、切らないようにして即車を出した。助手席に着の身着のままの父を乗せてしばらく秋川方面まで走り、八王子の滝山街道から回って市内に戻って、行きつけのガソリンスタンドに入って給油した。そこで初めてエンジンを切った。
 スタンドに入ったのは、もしまたバッテリーが上がったとしても、そこなら店員にヘルプもお願いできると考えたからだ。
 給油してからエンジンを何回か掛け直したら問題なくすぐかかった。ほっとした。もう大丈夫だろう。

 並びの街道筋のかつ丼屋で遅い昼飯を父と食べて、家に戻ったらもう夕方、4時であった。実に長い一日であった。ともかくバッテリー問題は何とか解決した。みーは死んでしまったが、父がまだここに居てくれて助かったと心底感謝した。有難いことであった。
 しかしことはこれで終わらなかった。数日後、今度は、我家いちばんの老猫、灰色のグリコが姿を消してしまい、「行方不明」となってしまった。 
 今も帰らない。いったい何が起きてるのか。
 もう一回追記します。

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