やっと父をまた送り出して「続き」を記す2021年03月27日 10時31分59秒

グリコ、在りし日の姿
★コロナではないと思うがこの一週間ずっと寝込んでいた

 また間が空いてしまい、多々ご心配おかけした。申し訳ありません。

  また週末である。今週は、思うところあって、父をいつもより長めに一泊多く介護施設に預けて、水木金と山梨へ、年明け後に初めて行く予定でいた。さすがに山里でももう雪はないだろうと。※今年はスノータイヤに交換していない。

 が、風邪なのか、コロナではないと思いたいが、我は咳や鼻水、頭痛など風邪の初期症状が出て、大事をとってひたすら安静にして結局山梨行きは中止にした。

 実は、20日の春分の日の土曜、猫関係の件で、長年付き合いある女友達がウチに来て、昼過ぎから夜まで一緒に過ごした。
 ところが、その人が、その後、週明けに、風邪をひいたらしいと連絡があり、38度の発熱があったとのこと。
 と、同時に我も何か寒気がしたり咳が出たり風邪っぽくなってきて、父は介護施設に無事送り出せたものの、我はやや微熱もあるようで、さてどうしたものかと考えた。
 たぶん行っても問題ないと思ったが、やはり不要不急の外出は極力控えたほうが良いと考えなおし、結局、ひたすら家にずっと籠っていた。

 その彼女本人はまだ微熱が続いて体調すぐれないとのことで、やっとかかりつけの医院に行き、発熱外来で受診しPCRと血液検査を受けたと言う。
 その結果が届くのが、来週明けとのことで、我もこの日曜、出かけて人と会う用事もあったのだけれど、もしコロナ陽性だと判明したらば、我も濃厚接触者に違いないから、今は、事情を話してすべてキャンセルにしてもらった。

 というわけで、父は不在だし、我も一人で家にずっといるのだから時間はいくらでもあったのだけれど、夜になると頭痛もしてきて起きていられず、心身共に何か倦み疲れた感じで、朝はいつもどおり起きても午後も断続的に仮眠をとって寝てばかりいた。
 鬱ではないが、いろいろあれこれ思うところあって、気持ちもやや沈んでいた。そう、こんどは長年飼ってきた、我家でいちばん古くからいる猫がもう二週間帰って来ない。あちこち探したり近所の猫過ぎのオバサンたちに尋ねもしたが、情報はない。忽然と姿を消してしまった。歳も歳なので、今は諦めもついた。
 ※猫神社で知られる砂川の阿豆佐味天神に詣でれば、と迷ったが・・・

 灰色だから、グレー、だからグリコと言う名の雌猫は、調べてみたら15歳ほどで、思ったほど高齢ではなかったが、近年は歯も悪いらしく食べるのが大変なようで痩せて来てしまってヨボヨボな感じがしてきていた。
 その猫は、それまでいた猫たちが一度死に絶えて、我家に猫がいなくなったとき、猫好きの父が淋しがっていたので、我が近くの公団住宅の野良猫一家からもらい受けてきた猫だった。
 雑種のはずなのだが、どこかで洋猫ロシアンブルーの血が入っているらしく、一見すると、その青灰色の高い値の付く洋猫に見えて、父はそれもご自慢だった。だから父のお気にいりの猫で、以前はずっと父と一緒に夜はいつも抱かれて寝ていた。
 今は、父自身があまり家に帰らず、代わりに他の猫たちが父の部屋に同居しているので、グリコは、一緒には眠れなくなったけれど、父が施設から戻る日は、必ず庭先で父の乗って帰る車を待っていた。
 そしてコタツで父の膝に乗って甘えるのが好きだった。

 グリコも一度は子を産んだが、その子たちは猫風邪だったがすぐに死んでしまい、その後は避妊手術も終えて、常に猫ドアから出入りは自由にさせていた。
 先年も一度食が細くなって弱って来た感じがしたので、かかりつけの動物病院で、まず点滴と投薬してもらい持ち直したこともあった。
 以後、定期的に点滴に連れて行ってたのだけど、そろそろまた、と考えて先日も他の避妊手術予定の猫と一緒に車に乗せたら、運悪くバッテリーが上がってしまっていて、その日はけっきょく行けず、グリコは自ら車から出て逃げてしまった。
 ただ、このところは、好物のカツオのたたきをたらふく食べていたし、いつも通り雨の日でさえも猫ドアから出たり入ったり自分でしていたから、まあまだ元気だと思っていた。

 最後に姿を見たのは、3月14日、日曜の夜であったと思う。猫ドアから自ら出ていく後ろ姿を覚えている。
 が、翌朝、いつもならいつも朝は寝ているソファーにその姿がなく、その日は、父が施設から戻る日なのに、グリコは迎える姿を見せなかった。その日は終日帰らず、何か胸騒ぎというか、不安な気持ちになった。そして以後今も帰らない。
 というのもその数日前、やはり家と外を出入りしていた、一番若い雌の黒猫ミーが線路で死んでいた件があったから、まさかまたもやという怖れも強く感じた。
 むろん猫のことだからこれまでも何日も帰ってこないこともあった。
 他の、後からウチに来た若いメスが子を産んで、グリコが追い出されてしまい、近所の家でご飯をもらっていて、姿みかけてもなかなか戻らないときもあった。
 しかし近年はそんなことはなく、今いる他の黒系猫たちともお互い我関せずという良好な関係が出来ていた。

 正直なところ、まだ病み衰えて急逝するほど体調が悪いとは思えない。元々人見知りが激しく慎重な性格の猫だったから、線路で事故に遭うとか、誰かに連れ去らわれるということは考えにくい。
 が、我は線路も探してみたし、この近所界隈も日々目で終えるところは探して見廻ってみた。が、やはりいつもよくいるところ、いつも見かけたところにその姿はない。

 よく父に冗談で、グリコと父とどっちが先に逝くか、わからないほどこの猫ももう年寄りなんだぞ、と言ったりもしたが、我としては猫のほうが先に逝くとは予想も予測もしていなかった。
 いや、死んだのかもわからない。まだひょっこりまた帰ってくる気もするし、そうだったらどれほど良いだろうか、もう何度もそうしたグリコが帰って来る夢も見た。

 今まで、この家では何十匹という数の犬猫を送った。事故死することも多いのだが、やはり長年共に暮らして最後は老衰的に家の中で眠るように死ぬ猫や犬も多々いた。むろん失踪してそれきりとなる者も。
 が、今回のグリコのように、老いて姿を忽然と消した例は記憶に思い浮かんでこない。ずいぶんフラフラしていたが呆けていたとは思えない。
 いったい何が起きたのか。いや、何が起ころうとしているのか。
 そして我は、ことに及んでどうすべきなのか。どうすべきだったのか。

 勝手に思うに、グリコは、老いてこの先長くはない父の先達として、私が先に行って待ってますよ、あの世にはもうお母さんもいることだし、待ってますから、パパさん安心して来て下さいと、先に旅立ってしまったのだろうか。

 こうしていなくなってしまうのならば、ケチらずにもっとちゅ~るとか存分にあげれば良かったとか、あれこれ悔いも残る。
 それでもほぼ15年間、我家で我らと共に自由に暮らして来た猫の人生はどうであったか。幸せだったか。満足できただろうか。
 もっと愛せば、もっと優しくしてあげればよかったと失ってから、その姿が消えてからいつも思う。
 そう、いつだって思うのは失ってからだ。ならばこそ、今、在るうちに、今ある全て、いまここに共に在る彼らすべてを愛し慈しもう。
 我もまだ生きているうちに。

 そう、大事なことは、いかに愛したか、どれほど愛せたか、なのだ。