さこ大介という希代のシンガーソングライターと同時代に生きている幸福2021年05月08日 10時07分55秒

★いよいよ明日5/9日、「共謀コンサート」!!

 J・ポップも含めて、日本のフォーク、ロックの音楽シーンを振り返ったとき、そこには何人かの天才的作詞作曲の才のあるシンガーが存在する。
 吉田たくろう、井上陽水、松任谷(荒井)由実、サザンオールスターズの桑田佳祐らがすぐに思い浮かぶが、彼らはその大衆的人気と共にヒット曲としての「名曲」を数々残している。※桑田の場合は、筒美京平的パクリの才だと我は思うが、さておき。
 自らが詞も曲も手掛け、そして自らが唄う。それを、シンガーソングライターと言う。つまるところソングライティングの才に秀でたシンガー、歌い手のことである。

 誰が言ったか、ビートルズやエルトン・ジョン、ポール・サイモンらを例に挙げるまでもなく、真に優れたシンガー、ミュージシャンとはまた優れたソングライターであるというのは至言だと我もまた思う。

 我は、上記の日本のシンガーソングライターを高く評価はするに異論はないが、そうした広く大衆的人気を除外して、純粋に真に優れた、天才的シンガーソングライターは誰かと考えたとき、まず筆頭に浮かぶのは、亡き西岡恭蔵、象さんのことで本当に彼は素晴らしい楽曲、名曲を数多く残した。
 先年、下北沢のラ・カーニャで、縁のミュージシャン、シンガーが集いて、彼の楽曲を唄う追悼的コンサートを観覧できたのだが、最初から最後まで、彼自身のうただけでフィナーレのアンコールも含め、ライブが「成立」することに驚かされた。
 それだけ素晴らしいうたを数多く残したということであり、まさに彼のソングライターの才を改めて確認させられた。
 だが、残念ながら彼はもうこの世にはいない。

 で、現存するシンガーで、そうした天才的シンガーソングライターは、誰かと考えたとき、我は迷うことなく「さこ大介」の名を挙げることに迷いはない。
 象さんもだが、優れたソングライターはまずその楽曲が他のミュージシャンに注目され、そのアーチストに唄われていく。
 象さんの葬儀の際だかに、矢沢永吉が現れ、分厚い札束の「香典」を遺族に手渡したと言う「伝説」を聞いたが、たとえ作者当人が世俗的人気や知名度はなくとも、ワカル人にはその才能、楽曲の素晴らしさはワカルわけで、恭蔵さんも矢沢他、多くのシンガーに彼の書いた楽曲は今も唄い継がれている。

 さこ大介、以下、畏れ多くも呼び捨てにはできないので、さこさん、と呼ぶが、彼も「還暦デビュー」として話題になったが、そもそも若い頃からアマチュアながらも素晴らしい楽曲を渋い喉でうたう凄い人がいる!! と関西の音楽シーンで話題になり、憂歌団が彼のつくったうたをレコードに入れたりと、一部で早くからその才は高く評価されていた。
 彼は、その正式デビューまでは、カタギの会社員としてスポーツ紙に勤めながら傍ら趣味としてその音楽にいそしみ、数々の名曲を生みだし機会をとらえては唄ってきた。
 あくまでもアマチュアとしての活動であったが、ワカル人は当然その才に括目して多くのシンガーにその名は早くから知られていた。

 定年後、ようやく本業のミュージシャンとして、本格的活動開始。CDも製作、販売、ジャズプレイヤー中心のバックバンド、大介バンドを率い精力的、全国的に活動し、大阪の春一番にも何回も登場し、その骨太のステージは伝説となっている。
 で、そんな彼と我は、いったいいつどこで知り合い、懇意な関係になったのか、それが何故か思い出せない。
 拙宅「無頼庵」での年末恒例イベント、「クリスマス謝恩ライブパーティ」にもみほこんと共に何回も来て頂いているのに、不思議でならない。

 さて、そんな彼ももはや七十代半ばかと思う。ブルースマンの定番、タバコと酒の不摂生と酔っぱらって何度も転んであちこち骨折して身体はボロボロ、ガタガタであるようだ。
 正直、どこそこのシンガーソング・ブック(翻訳)ライター、五郎氏のようにいつまでも若々しくお元気に全国を唄いまくっている方とは異なり、「渡度」が高い。※「渡度」とは外見老人度のこと。
 いつまでもお元気に唄い続けてほしいと心から願い望むが、先のことは誰にもわからない。
 むろん彼の遺していく素晴らしい楽曲はこれからも世に残り、多くのシンガーたちに愛唱されていくことは間違いない。
 だが、彼の人柄と高田渡に通ずる「語り」は、生で、その場でないと触れ合うことはできやしない。

 今回もこのコロナ禍の緊急事態宣言下、この企画は延期、もしくは中止すべきかずいぶん迷いもした。
 が、感染拡大状況も含めて、先のことはわからないからこそ、たとえ無観客でも彼のライブは開催できるうちに開催すべきだと思い決行することにした。
 希代のシンガーソングライター、さこ大介さんを観る機会はあとどのくらい我らにあるのだろうか。
 今、同じ時代を彼と共に生きている喜びをぜひ味わってもらいたい。真に天才とはこういう人なんだと。