あと一年、何としても父を生かしていく2021年06月14日 07時37分50秒

★すべてに「時」はあるけれども

 関東、東京は梅雨に入ったかわからんけど、鬱陶しいじめじめとした「梅雨どき」らしい曇りか雨もよいの日が続く。
 梅雨と書く、字義通り、いまどこも梅の実がたわわになり、その梅で梅酒や梅干しを漬ける季節である。
 昨日は、自立型脚立に昇ってウチの庭の梅の実をもいで、ついでに伸びた枝の剪定も行った。
 そう、ウチには右隣の隣家に接してさほど大きくない梅の木もあって、先年、故あって一度枯れかけたが、幸い持ち直してこの数年多くはないが再び実をつけるようになった。
 今年は、低い枝についた手近にもげる分の実は、先にその隣家におすそ分けしたので、ウチのぶんは2キロもないけれど、これからそれを洗って梅干し用に漬けこむことにする。この数年、とれる分はごく少しで、とれても隣家にそれは全部あげてしまうので、ウチで梅を漬けこむのは久しぶりである。少しづつまた母が生きていた頃に戻って来た感がある。

 さておき、後ほどその脚立の画像をあげるが、これは、アルインコ社製の高さ約3m以上ある、同型のうち一番大きい自立型の脚立だ。※庭師などが使う、下部が広がっている梯子を1本のポールで支え、どこかに立てかけなくても自立して使えるタイプの本格的なものだ。
 あまりにウチの庭の植栽が伸びすぎ、隣近所から煩く言われていたので、先日、突発的にAmazonで注文してしまった。値段は3万円近くした。
 当初は我家まで配達、とのことだったが、あまりに大きくてヤマトや佐川では扱わず、アルインコ自社から配送なのだが、ウチの前の道にはその配送する車が入らないとのことで、仕方なく一番近くの集荷センターがある狭山市日高の物流倉庫まで自ら出向いて引き取りに行った。
 じっさいかなり大きく、アルミ製で軽量だけれど扱いに苦労する。
 その日は、我が盟友フォークシンガー太田さんにウチまで来て頂き、二人で圏央道の日高インターまで走り、その物流倉庫で引き取り、ウチの軽のミニワゴン車の屋根に苦労して前後にかなり飛び出しながら無理無理にロープで括りつけて持ち帰って来た。
 一人ではその脚立を持ち上げて屋根に縛るのは難しかった。二人で何とか乗せて無事に持ち帰れた。それが先月30日のことであった。

 そして、今月5日、土曜の午後には、かけこみ亭をお借りして、ウチの子猫の譲渡会を開いた。
 今回まず生まれた七匹のうち、既に予約が入っていた2匹を除いて、残る5匹を連れて行き、三家族が来てくれてそれぞれ一匹づつ、三匹が新たな家庭に貰われて行った。三留まゆみさん、かけこみ亭関係者の方々にも改めて厚く御礼申したい。
 ※その「予約」されていた子猫二匹は、前回記したように、12日の土曜に八王子市鑓水のショッピングセンターの駐車場で引き渡せた。

 そんなでやたら慌ただしく、父の介護施設の利用もこちらの都合で変則的になってしまい、通常は、土曜日に送り出し月曜にいったん戻るのが、今月頭は水曜までに延ばしてもらった。
 またさらに続いて今月3日の木曜から次週10日の木曜までロングで別の施設に預かってもらうことにしてもらった。七泊八日の利用は初めてのことであった。それもこれも猫騒動の余波である。おかげで父の介護はせずに家のこと、猫のことに専念できた。
 しかし、この10日にそのロングのお泊りから帰って来た父は、さすがに呆けと衰弱が進み、我家に帰宅しても意識が朦朧としてなかなか反応が戻らなかった。

 その老人介護施設では常に車椅子で移動させられているし、基本、個室で寝てばかりいたようで、食事もあまり進まなかった感じで、また一回り小さくなったというのがまず帰宅時の印象だ。
 翌日は、終日我が家に居て、医師と看護婦の訪問診察などがあり、人も来たりして刺激があったせいか、何とか夜にはこちらの声かけに真っ当な反応が戻ってくるようになった。彼の愛する猫たちの存在も大きい。
 やはり施設に預けぱなしにしてしまうと結果的に老衰はさらに進み、体力低下だけでなく呆けも進んでしまうのだと痛感、反省した。
 今回は何とか幸い彼の人格、自意識が「戻った」が、一か月も我が家に帰れないと、ウチに帰って来たとしてももう何もわからず反応もなく、ひたすらこんこんと眠り続けて食事も摂れないだろうと予想できた。
 そういう状況は目前だが、そうなってしまえば衰弱がさらに進み死期はさらに早まり、年内もつかも危ぶまれる。

 じっさい別施設で月ごと体重測定してもらったら、昨年暮れの時点では約60キロあった体重が年明けからじょじょに減り続けて、58、57、56と落ちて来ていたのが、今月はそんなこんなでなんと54キロ台である。
 かつての六尺男、背が約180㎝近くもあり、初老期には体重も80キロもあった偉丈夫が、いまではこの我よりも小さく体重も少なく、まさに骨と皮となってしまった。いよいよ危険水域に入ってきたと思える。

 さて、どうしたものか。いま、父がすぐ死んでしまえば、一時的に保険金は少しは入る。が、古本稼業もとうとう行き詰ってしまった我には年金もなく、我家は完全に「無収入」となる。
 恥ずかしい話を記すが、いまこの家は何とか父の少ない年金がともかく二カ月おきに入って来るので、介護施設利用料も家の食費も様々な税金、光熱費なども何とかそれでまかなっている。
 といっても父の施設利用料だけで10万円近くかかるので、じっさいは父の年金だけでは赤字続きで、我の貯金を取り崩したり、九州の妹からときに送金してもらい何とかやりくりしてきた。※我の「貯金」とはAmazonからの売り上げ収入で、かつては100万以上あったが、少しづつ支払いに下ろして今では数万円台となってしまった。
 しかもこのところ猫たちが大量に増えてしまい、その餌代や猫砂だけで月に何万も出費がかさむ事態となってしまった。
 あれこれ先のコトを考え出すと頭が痛くなり不安でウツウツとしてくる。いったいどうしたらよいものか、どうなってしまうのかと。

 で、今回気づいたのは、そんな手のかかる父であるが、どのような状態でもともかく生きてくれていて、施設に通い、定期的にウチに帰って来てくれるのは有り難いことだということだ、と。
 というのも、父が不在だと我は自分のことに専念できるわけだけれど、逆に生活が不規則となってしまい、さほど効率が上がらないだけでなく体調も崩してしまうことに気がついた。
 父がいないと気ままにヘンな時間にだらだら昼寝したりすると食事も不規則となり夜もなかなか眠れずに明け方まで起きたりして日中もぼうっとして体調もすぐれない。
 わかったことは、この我は、自分一人では何一つ自らを律することができず、食事もきちんと作らず、インスタントラーメンやスーパーで出来合いの弁当など買ってきてはアルコールで流し込み酔っぱらって寝てしまうことばかりしてしまうのだ。
 まだ父や猫たち犬など、世話しないとならない他者がいるから、とことん崩れないが、今室内は、汚れた皿や缶ビールの空き缶が散乱して、よく報じられる、あたかもアパートで孤独死した一人暮らしの老人の住いとなっている
 人は人のために生きてこそ、という言葉があるが、我は何より自らに関心が薄く自己愛も低いので、自分のためには何もしない。よって誰か他者がいてくれてこそ、その人のために動くことができるし、何でもしようと思える。じっさいこんな我にも求められれば何でもやってきた。
 今はまだ父がいるから、父の施設とのローテーションで我の生活サイクルも成り立っていることに気がついた。
 そう、ある意味、手のかかる父や動物たちがいるから我はまだ生きていけるのだった。

 ただ父は間もなく死に臨むことは間違いなく、あとはやたら金のかかる猫たちだけが我に残される。父亡きあと一人でどうやって生活していくべきか。

 それで考えた。かなり難しいことだが、ともかくあと一年と期限を決めて、来年の6月まで父をともかく何としても生かし、その期間にまず猫問題はこれ以上増えないよう、完全解決をはかる、ということだ。
 父が施設に定期的に通ってくれて、父の年金も定期的に入って来る間に、猫のことも家の片付けのことも処理、管理を進めて、まさに今後も維持、継続可能なようにこの生活を立て直していく。

 それが出来なければ、この我の人生も先はない。行き詰ってさらに自らへのネグレクトは進み、やがて荒れ果てた家で孤独死するか、隣近所とのトラブルにキレて隣人たちを殺して家に火をつけて動物たちもろとも破滅していくだけか、だと考えている。
 そうしたヒサンな情けない事態にならぬよう、ともかく父をあと一年は何とか生かして、その中でできること、やるべきことを少しでもやっていく。
 嗤われても呆れ果てられてもかまわない。これが現実だ。どうしようもない人生の決着をつけていく。