少しづつ少しづつ善き力に囲まれて・続き2021年07月02日 12時13分20秒

★当たり前のことを、当たり前に~悪しき愚かなことどもを遠ざけていく

 それにしても政府自民党、菅政権の五輪開催にかける「情熱」、いや「執念」には呆れ果て、今では驚嘆恐れおののくものすらある。
 開幕まで一か月を切っても未だに観客の数は、無観客とするのか、それとも一部無観客となるのか「迷走」中で、また後ほど決めるのだと言う。
 バカも極まりと言うしかない。コロナの感染状況に振り回されて常に後手後手、場当たり対応に終始している。これは昨年からずっとである。
 これでは観覧希望者も協力するボランティアたちも予定が立たず、どこもかしこも迷惑するだけではないか。
 おまけに鉄道も深夜まで動かすとダイヤを変更させてしまった。オリンピックだけは不要不急の移動ではなく別枠ですか。ウィルスは五輪に協力して大人しくしてくれますか。

 開催などせず、最初から早めに中止にしてしまえば、これほど混乱、迷走することなく腰据えてコロナ対策に専念でき、国民もならば、と協力もできただろう。
 コロナがいつまでも収束せず、何度でも何度でも「緊急事態」となるのは、そもそも都や県知事レベルの失態ではなく、国の方針が定まらないからだ。
 ブレーキとアクセルは同時に踏めない。そんなことは誰だってわかる。
 ところが政府は、コロナがやや収まりかけるとすぐ宣言解除したり、完全に終息していないのにGoToキャンペーンで国民の移動を推奨したりと、経済を回すことを優先させて来た。その最後の「仕上げ」が五輪開催なのである。※国民にはずっと様々な「自粛」をさんざん強いたうえで。
 結果は今に至るように一年半が経過してもコロナは収束せず何度でも何度でも感染拡大は繰り返して、今も国民の命よりも経済、金儲けが優先されるのか、と非難ゴウゴウである。

 まあ、国民よりも献金してくれる大企業の方に顔を向けて、彼らのために働くのが自民党なのだから当然なのだが、そろそろ本当に彼らを長年支持して来た人たちも、これはオカシイ、どうかしている、このままでは殺されてしまう、日本はハメツしてしまうと、選挙で声を上げてほしい。
 そう、当たり前のことを、当たり前に、多くの国民が願い望む政治にしてほしいと切に祈るしかない。

 と、エラソーに、今は、こうしたことをしたり顔で書いている自分だが、このブログを長年お読みいただいた方はご存知のように、我はこの社会から脱落した落ちこぼれ、反体制以前に反社会的人間であった。
 学校も仕事も何一つ続かず、若いときから自分勝手に、好きなことだけしてきた。だから世の真っ当な人たち、社会人たちからは相手にされず、結婚もできなかった。
 幸いにして盲目的に我を愛してくれた親たちと借家ではない「家」はあったので、今はその家で暮らしていけるわけだが、本来はホームレスどころか浮浪者になっていてもおかしくない人間なのである。
 今だから書くが、我にとって社会は常に敵であり、その真っ当な生き方が自然にできている人たちにいかに抗うかが生きる意義でもあった。
 だから昔から悪しきもの、ヘンなものに魅かれ、常に人とは違う道をあえて選び、当然のように苦労して来た。
 だが、物心ついて半世紀以上経ち、齢六十を過ぎてそろそろ人生の終わりも見えてくると、今までの自分の人生は何と浅はかと言うべきか、愚かであったとつくづく気がつく。
 無意味だったとは思わないが、ずいぶん無駄に時間と金と労力を費やして来た。そして相変わらず若い時から先の見通しは甘く、物欲ばかり強く、あれもこれもと見果てぬ夢を追いかけてきた。しかし、そのための努力は怠け者ゆえ何一つせずに。

 しかし2016年の母の死をきっかけに、ようやく子供時代から続いていた「夢」は冷めてやっと「現実」に向き合うことになった。いや、父も呆けて何の助けにもならなくなって、嫌でも自ら現実に対処せざる得なくなったのだ。
 そう、フツーの人ならば親元から旅立てば一人で若い時から誰もがやっていることにようやく我も気がつかされたのである。
 むろんそれが面倒で、荷が重くて結果としてほったらかしにしてしまい人生そのものを放擲、つまりセルフネグレクトしてしまったが、母の死後、5年が過ぎるとさすがにこれではいけない、何とかしようと強い思いがようやく湧いて来た。
 今強く願うは、我もまた世の人たちのように、当たり前のことを当たり前にして行けたら、という「当たり前の生活」である。
 当たり前とは何かというと生きていくための最低限の必然的なことがきちんとできるということだ。
 そのためには人間関係も含めて、悪しきモノゴト共は、できるだけ遠ざけて、本当に善いものだけと関わっていく。

 食べ物も飲み物も昔は、多少悪くてもともかく安くて量が多ければそれだけでよかった。常にコストパフォーマンスだけで何事も考えていた。
 が、今は、多少高くても少しであろうとも本当に身体によいもの、環境に良いものだけ選ぶようにしている。
 人間関係も同様で、今は無理して新たな場所に出向き、また一から新たな関係を築いて友達を増やそうなんて思わない。
 今いる、こんな我と長年付き合いが続き、理解してくれる得難い友とこれからも一日でも長く付き合っていきたい。彼らをもっと愛し大切にしたい。

 そうした佳きものたちから善き力を得て、我もまた彼らのために頂いたもの以上のお返しをしていきたい。それは神に対しても。
 今までの我の悪徳、愚かさは消えてなくなりはしない。が、こんな我をも未だ生かし、活かしてくれる場と人たちに、その神の愛と計らいに心から感謝したい。
 このブログも、そうした生活の実践と報告の場として活用していきたい。どうか改めて今後ともよろしくお付き合い願いたい。

 ※先に記した、ブログ投稿のための執筆時のコピー&ペーストがうまくできない問題は解決した。何のことはない、それまで使っていた有線のマウスが老朽化したため、その機能が落ちてきていたからで、新しく別のものに替えたら元通りにコピペできるようになった。むろん、「投稿」したと思ったら、ただ今、アクセスが込み合っています、後ほどまたお願いします、というページが出て、それまで書いた分は消えてしまう状況は変わらないが。そのためにも必ず一度コピペして、手元に書き上げた分は確保した上で再度アップさせていく。