パソコンは完全にクラッシュして「過去」は失われてしまったが2021年07月28日 13時06分53秒

★何はともあれまず状況報告します。

 先に、近年ずっと使ってきた、普段使いのデスクトップのウインドウズ8.1パソコンが壊れたことは記した。何から書くべきか迷ったが、まずは近況ならぬ、その現況を記す。

 そのパソコン、10年は経っていないが、母が癌で弱りつつもまだ生きていた頃、その前のパソコンがやはり不具合を起こして新たに導入したのだから、7年~は使ったかと思える。※母が死んだのは2016年だから。
 7月19日に突然、電源は入るもののOSが起動しなくなって、メーカーである東芝にサポート相談したり、近くの大手家電販売店の中にある修理専門店に持ち込んだり、さらにもう一軒、立川の修理会社に持ち込み見てもらったが、どこもハードデイスクが完全に壊れている、とのことで、「修理」は何もできず、中のデータを部分的に取り出せるかどうか、という「診断」で今持ち帰ってウチにある。
 データを取り出すにしても、最後の会社の見立てでは、代金は七万円から10万円とのことで、それも保存する別ハードデイスクなどのメディア代は別とのことだから、どうしたものか迷った。
 むろんその金出したとしてもパソコン内にあるデータが全部復元できるわけでもないし、そもそもそれが可能かすら何も保証されていない。やってみないことには、だ。むろんHDの損傷激しく何も取り出せないときは、分解した手間賃代金だけで済むとのことだが。
 正直憂鬱である。金のことよりも事態が手に負えないこと、どうしたものか先が見えないことで迷い思い悩んでいる。
 パソコンは、近年買った、今このブログを打っている富士通の同タイプの「新型」があるので、修理できなくとも特にすぐ困ることはないのだが、やはり気になるのは、中にあるこれまで溜めてきたデータである。

 自分は、この10数年、音楽イベントなどの録画録音、写真撮影などのの「記録」に精出してきて、録りためたものがそのパソコンにかなり入っている。
 ただ、近年のものは、そのパソコンの容量もかなりいっぱいになってきたため、最初から外付けハードディスクに入れてあるので、まだ確認していないが、そちらは無事だと思える。
 物書きの端くれでもある自分が長年書き記したものなどには未練はないが、過去のライブイベントなどの記録、それも人様から頂いたものなどが失われてしまうのが痛い。

 中でもいちばんモッタイナイと思うのは、京都の詩人、有馬敲氏を招いて、阿佐ヶ谷のライブスペースで開催した、中川五郎他フォークシンガーたちとの「詩とフォーク」のコラボイベントの「記録」で、音だけはCDなどに取り出してあるが、映像などはまんまそのパソコンに入ったままで、一切合切それらが全部消えてしまうのは何とも苦悩苦慮している。
 そのときは、プロのPA、録音担当者に映像も含めて全部委任し、そのデータは、ダウンロードとして送られてきたので、パソコンがクラッシュしてしまうと全て失われてしまうことにやっと気がついた。
 どうして早く、バックアップをとるなり、別のメディアに移しておかなかったのかと今にして悔やむが、結局、母の死とその後の生活に追われてあれこれ慌ただしく、日々やり過ごすことで手いっぱいであったことと、そのイベント自体、いろいろその後あって気持ちが冷めてしまったこともある。
 当初は、詩人とシンガーのライブ音源も付いたCDブックとして「販売」する予定で企画したイベントだった。ただ、我が身の不徳からというか、いろいろ失態も重なり終わってから関係者、出演者との間で人間関係的にトラブルが多々起きてしまい、結局その企画は座礁してしまった。
 そのため自分の気持ちも褪せてしまい、せっかくの貴重なイベントでありながらもその後、パソコン内にほったらかし、つまり放擲してきてしまったのだ。
 その他、いろいろ頂いた原稿や記事、音楽の記録などもそのパソコンには入っていたかとあれこれ今さらながら思い出しもするが、現時点では半ば諦めかけている。
 結局、あれこれ迷いもしたがどこも修理不能ならば、明日にでも、メーカーである東芝の工場に運び、データだけでも復旧を依頼しようと考えている。当初、電話で状態を説明した折、もうそのパソコン自体が生産終了してから時間が過ぎ、そのパーツの在庫がないので修理ができないことは聞いてはいたが、データだけの取り出しはおそらく可能で、代替のメディア代込みでも、先の修理専門店よりは安い額が示されたので、ともかくメーカーに任せて結果を待つことにしようと思う。

 その有馬イベントも含めて自分が関わったライブイベントなどの記録データが少しでも戻れば幸いだが、修理会社の話だとその可能性は決して高くないだろうし、今はダメ元で神に祈るだけという気持ちでいる。
 何はともあれ、起こることにはすべて意味と意義がある。どのような結果になろうともきちんと受けとめ容け入れていかねばならない。

 そしてこうも思う。自分は何も失っていない。自分の人生は何も損なわれていないと。
 むろん過去の一部、自分のしてきたことのモノとしての「記録」は失われてしまった。が、我の人生、これから生きていくのには、それらがなければ困るというわけではない。
 ならば、ラビさんの歌の一説ではないが、過ぎたものは捨てようぜ、という気概で、前を向いてこれからに向かって進んでいくだけだ。

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