コロナ感染爆発、最大の要因は、オリンピック開催だ!2021年07月31日 17時29分43秒

★今さらでも、今からの東京五輪の開催中止を強く求める

 コロナの感染拡大が止まらない。拡大どころか「爆発」である。
 ワクチンだけが頼みで何一つ有効な対策は打たずに、バカの一つ覚えの「緊急事態宣言」だけ繰り返し出してももう誰も従わない。

 じっさい、東京では「緊急事態宣言」が出てないときは今年はほとんどないのだから、「緊急事態」であろうとも「日常的」になってしまえば人はその中で普通の日常を送るのは当然だろう。
 流行開始から一年半経っても感染収束するどころか、今夏最大の波を迎えてしまった。東京の一日の新規感染者数は連日ウナギ上りに増え続け昨日は3千、今日はついに4千人の大台を超え、全国的にも1万人を超える日が続いている。その原因はどこにあり、誰の責任かはっきりしている。
 安倍~菅自公政権の場当たり的無策と迷走・逆走、そして最大の原因はこの「緊急事態宣言」下での東京五輪開催の狂行、いや強行である。彼らはずっと誤ったメッセージ、Go to トラベルをはじめとして感染収束に逆行する政策を繰り返してきた。そしてついに今の、感染爆発を招いたのだ。
 ところが菅首相は、人流は減っているから心配してない、とか、小池都知事は、五輪開催のおかげで皆が家で五輪のテレビを見るから逆に人が出歩かないと「五輪効果」を誇っているが、まさにどの口が言う、である。
 ならば、どうしてこんなに感染者が爆発的に連日増え続けるのか、感染収束の兆しが少しでも見えたら言え、である。

 オリンピックがなし崩し的に開催強行されてから、メディアでは連日メダル奪取に沸き、日本人選手の活躍に興奮と感動の報道に一変してしまった。テレビは、ほぼどの局もオリンピックの試合中継ばかりで、特にHKは、Eテレまで使って、試合中継の垂れ流し。通常の番組は、定例のニュースまでもなくなってしまった。あれほど反対、延期の世論があったことを思うとまさに異常な五輪「忖度」である。

 今でもこのコロナ状況下の「五輪中止」の声を上げ続けている人や政党、新聞は、今では赤旗と日本共産党ぐらいしかなく、彼らに対してネット上では、「今さら」だとか「できっこない、無責任」だとかいう声が多く見受けられる。
 だが、我も今さらであろうとも大きく「五輪即中止」を求めたい。それこそ、これまで開催に疑問を呈してきた人が、開催されたら突然メダルラッシュに喜び、コーフンするほうが無責任ではないか。これを変節者という。

 そもそも元より東京五輪開催については、特需で様々な関わる企業の利権と関係者の懐を潤すだけで、箱もの新規建設で都民国民に多大な税金負担を強いるものとして開催決定当初から多くの疑問の声が上がっていた。
 さらに様々な不明朗な経緯や五輪関係者による不祥事、失言、失態などが相次いたどころに、このコロナ禍で安倍晋三が一年延期した五輪開催である。
 医療関係者の多くが、この感染状況では通常では開催はないと言い切る中、ひたすら「安全安心な開催を目指す」と裏付けのない目標を繰り返し言い続け強行して結果としてこの「感染爆発」。どこが安全安心か、そう思う国民がどれだけいるか。
 日本人という国民性は、常に横並びというか、大きな流れに乗るのが好きで、五輪開催に不安や疑問視してても、けっきょく始まってしまえば、日本人選手の活躍に夢中になるし、その彼らの頑張りに感動と希望と勇気をもらってやはりオリンピックは素晴らしい、開催できて良かったと思うのであろう。
 それはそれで良いことで実に人間的である。我はスポーツは好きではないしそもそも関心外の人間だが、スポーツの持つ力は否定しないしこれまで頑張ってきた人たち全てが報われるべきだと思う。

 しかし、五輪開催は、このコロナ禍では、誤ったメッセージであると信ずるから、あくまでも五輪開催反対と中止をこれからも訴える。
 我は小池都知事や都の福祉保健局長の認識とは違い、この五輪開催こそがこれほどの感染爆発の直接の要因ではないとしても大きな「引き金」となったことは間違いないと考える。
 そもそも人流が大きく地方へと移動した先の四連休も、五輪開催に合わせて無理やりに拵えたものであるし、何より、緊急事態時であるのに、五輪は開催できるというお祭り気分こそが、では何故に国民だけ苦しい「自粛」せねばならないのか、ならば、という普段と変わらない日常をもたらしているのだと思える。むろんコロナ疲れもあろう。
 これがオリンピックは断腸の思いで「中止」という英断をしていれば、国民多くが、それほどの非常事態だとやっと認識し、真に街から人出は減り、長く続いたコロナとの闘いも出口が見えたのではないか。
 それを何度でもこれで最後と言いつつ、緊急事態宣言を繰り返し出して、飲食店には我慢を強い挙句に、誰もが不安に思っていた五輪開催=感染爆発という愚を強行してしまった政権の無謀無策の責は今こそ大きく問われるべきだ。

 そもそもコロナとの闘いは、戦時に譬えられる。つまり準戦時体制下と言えよう。かつて中止になった東京五輪も戦争の影が大きく全世界を覆い、やむなく常識的に中止となった。
 そして1964年、戦争の復興の象徴として菅総理も懐かしむあの素晴らしい東京五輪開催となった。
 その甘美な思い出に酔いしれて、夢を再びと願うのは構わない。が、このコロナ感染拡大が、全世界的にも収まっていない非常時の今だからこそ、やはり東京は常識的に再び「中止」という選択をすべきであった。
 五輪を目指し頑張ってきたアスリートの思いは尊重すべきであるし、彼らには何も罪も責任もない。が、このまま感染者数がさらに増え続ければ、高齢者層の死者は少なくなったとしても、まさに医療体制は崩壊し、「救える命が救えなくなる」ことは間違いない。オリンピック中止はそのための大きな正しいメッセージとなる。

 マスメディアがオリンピックに熱狂するのはかまわない。今さら中止は現実的ではないとも思う。が、こんな状況下だからこそ、あくまでも「五輪中止。中断」を訴えていく。
 かつての大東亜戦争の時にも開戦を疑問視し反対していた人たちは少なからずいたが、実際に戦争がはじまり、当初の快進撃が続くと皆口を閉ざしたどころか新聞、政党も含め知識人、文化人もほとんどすべてが積極的に戦争に加担、協力してしまった。獄中に捕らわれていた共産党員以外は。
 だからこそ、あくまでも当時と同じく今も共産党と赤旗は、五輪開催反対と叫ぶのである。そう、今はコロナとの戦争中なのだから。

 メディアはオリンピックの良い面だけしか報じない。だが、それに踊らされて現実を見失ってはならない。感染者数は日々激増しこの国の医療はまさに危機的、壊滅的状況なのだ。
 あえて言う、オリンピックこそ不要不急である。それよりももっと重要な大切なことがある。それは、人の命、誰もが安全安心に生きていける社会が保障されていることことだ。

 走りだしたバスに乗ってはならない。その先にあるのは、デッドエンド、地獄かもしれないのだから。

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