夏の終わりに思うこと ― 2021年08月31日 23時14分26秒
★いまは、まだ生きてここに在ることだけで、涙がでるほど有難い
2021年、コロナ禍、二度目の夏、八月も今日で終わる。
先にお知らせした、かけこみ亭の陽性者の方も、昨日付けで、保健所から「自宅療養」終了証が出たとのことで、ようやく自宅監禁状態から解かれたようだ。
現時点での体調や今後のこと等、詳しいことは不明だが、ともかく「回復」したことは間違いないわけで、ほっと胸を撫でおろしている。
ともかく彼が元気で、店にいないことには、店自体の存続が危ぶまれる事態となるわけで、これでまた我の、その店において様々な企画が動き出せる。
ほんとうに良かったと今は思える。それも彼の周りの友人知人などによる強力なネットワーク体制があったからで、容態の確認、食べ物の差し入れなど連係プレーで体調維持管理ができ、重症化することなく無事回復となったのである。
それにしてもいかに感染者が増大し医療体制がひっ迫し入院が困難な状況だとしても一度もきちんとした診察など医療関係者による診断もレントゲンも受けることなく、「陽性者」と判定されただけで、コロナ患者として二週間以上も自粛的に自宅に一人で隔離・監禁されることはまさに異常なことではないか。
自宅治療ならまだしも自宅「療養」という言葉そのものが意味をなしていない。療養とは、手術後など、病やケガが癒えてきて回復傾向にある時点で医師が指示し用いる言葉であろう。
それを治療もしないで、さらに悪化する可能性がある状態で、この政府は「自宅療養」という無意味な言葉のまやかしで、患者を自宅にほったらかし、つまり放擲してしまう。
周りに家人がいたり、頻繁に誰かが様子を確認できる人ならともかく、一人暮らしでまして高齢者であれば、たとえ軽症であろうとも突然の高熱や呼吸困難など体調変化が起きた場合、自ら電話かけることもできなくなって、連絡不通で救急隊が訪れた時点で手遅れとなった人も多く出たに違いない。
コロナはこの春、突然発生した病ではない。もう国内で感染発生の報告から一年半以上も過ぎている。
政府は何度も何度も緊急事態宣言を出してきたが、いったんは陽性者、患者数は減ってもまた大規模なピークを繰り返してきた。いっこうに収束はしない。
ただ、ワクチン接種だけを勧めイベントや飲食店に中止、休業せよと締め付けるだけ。その最中に東京五輪は強行して過去最大の山場、感染爆発を招いてしまったのだ。
そうした挙句に、医療ひっ迫という名目で、中等症までの人は、「自宅療養」で、という方針となったのだ。これはまさに棄民政策というしかない。
小池百合子らは、コロナは豪雨災害と同じく自然災害、天災だと言い張るが、自然災害だとしても治水を怠って川が氾濫すれば人災であるように、難しい感染症だとしてもここまで抑えきれない状況、しかも全国規模で過去最大の山場を迎えてしまったのは政治の無策であり、この国難は、自公政権による「人災」だと断言する。
後年、コロナ危機を招いた「悪夢のような自公菅政権」として歴史書に記載されることであろう。しかしまだ先はまったく見えやしない。
今日は月末、8月31日。このところまた暑さがぶり返していたが、今日は朝から曇り空で蒸し暑かったものの、午後から小雨がぱらつき始め、先ほど夜になったら雷が激しく鳴って東京多摩地区では滝のような豪雨が降った。
何時間も続いたわけではないが、今はやみ、雨のあとは一気に涼しくなった。
予報では、今週は雨や曇りの日が多く、温度も30度を超す日はないようである。やっとこの夏も終わった感がある。
それにしても・・・実に大変なこの夏、八月であった。冒頭に書いた気持ちは嘘偽りない。
かけこみ亭の陽性者のことだけでなく、我の周りではコロナ患者・陽性の報が相次ぎ、一時は、自らも濃厚接触者となったのではないか、老父にも感染させてしまったかもと怖れ慄いた。
さらにそこに長年使ってきたパソコンが壊れ、何とかデータだけでも復旧させようとあちこち問い合わせしたり渡り歩いた。が、徒労であった。
いろんな意味で綱渡り状態が続いたが、菅首相の認識はともかく、我の周りでは「ようやく光が見えてきた」とまさに思える。
これ以上、事態や状況が悪くならないことをただ神に祈るだけだが、季節も変わり少しでもこの多事多難な状態が収束していくよう、心して、感謝の気持ち込めてここでいったんこの回は終わりにする。
皆様もご自愛ください。菅自公政権に殺されないためにも来たる総選挙では彼らに退陣と政権交代という鉄槌を下しましょう。
2021年、コロナ禍、二度目の夏、八月も今日で終わる。
先にお知らせした、かけこみ亭の陽性者の方も、昨日付けで、保健所から「自宅療養」終了証が出たとのことで、ようやく自宅監禁状態から解かれたようだ。
現時点での体調や今後のこと等、詳しいことは不明だが、ともかく「回復」したことは間違いないわけで、ほっと胸を撫でおろしている。
ともかく彼が元気で、店にいないことには、店自体の存続が危ぶまれる事態となるわけで、これでまた我の、その店において様々な企画が動き出せる。
ほんとうに良かったと今は思える。それも彼の周りの友人知人などによる強力なネットワーク体制があったからで、容態の確認、食べ物の差し入れなど連係プレーで体調維持管理ができ、重症化することなく無事回復となったのである。
それにしてもいかに感染者が増大し医療体制がひっ迫し入院が困難な状況だとしても一度もきちんとした診察など医療関係者による診断もレントゲンも受けることなく、「陽性者」と判定されただけで、コロナ患者として二週間以上も自粛的に自宅に一人で隔離・監禁されることはまさに異常なことではないか。
自宅治療ならまだしも自宅「療養」という言葉そのものが意味をなしていない。療養とは、手術後など、病やケガが癒えてきて回復傾向にある時点で医師が指示し用いる言葉であろう。
それを治療もしないで、さらに悪化する可能性がある状態で、この政府は「自宅療養」という無意味な言葉のまやかしで、患者を自宅にほったらかし、つまり放擲してしまう。
周りに家人がいたり、頻繁に誰かが様子を確認できる人ならともかく、一人暮らしでまして高齢者であれば、たとえ軽症であろうとも突然の高熱や呼吸困難など体調変化が起きた場合、自ら電話かけることもできなくなって、連絡不通で救急隊が訪れた時点で手遅れとなった人も多く出たに違いない。
コロナはこの春、突然発生した病ではない。もう国内で感染発生の報告から一年半以上も過ぎている。
政府は何度も何度も緊急事態宣言を出してきたが、いったんは陽性者、患者数は減ってもまた大規模なピークを繰り返してきた。いっこうに収束はしない。
ただ、ワクチン接種だけを勧めイベントや飲食店に中止、休業せよと締め付けるだけ。その最中に東京五輪は強行して過去最大の山場、感染爆発を招いてしまったのだ。
そうした挙句に、医療ひっ迫という名目で、中等症までの人は、「自宅療養」で、という方針となったのだ。これはまさに棄民政策というしかない。
小池百合子らは、コロナは豪雨災害と同じく自然災害、天災だと言い張るが、自然災害だとしても治水を怠って川が氾濫すれば人災であるように、難しい感染症だとしてもここまで抑えきれない状況、しかも全国規模で過去最大の山場を迎えてしまったのは政治の無策であり、この国難は、自公政権による「人災」だと断言する。
後年、コロナ危機を招いた「悪夢のような自公菅政権」として歴史書に記載されることであろう。しかしまだ先はまったく見えやしない。
今日は月末、8月31日。このところまた暑さがぶり返していたが、今日は朝から曇り空で蒸し暑かったものの、午後から小雨がぱらつき始め、先ほど夜になったら雷が激しく鳴って東京多摩地区では滝のような豪雨が降った。
何時間も続いたわけではないが、今はやみ、雨のあとは一気に涼しくなった。
予報では、今週は雨や曇りの日が多く、温度も30度を超す日はないようである。やっとこの夏も終わった感がある。
それにしても・・・実に大変なこの夏、八月であった。冒頭に書いた気持ちは嘘偽りない。
かけこみ亭の陽性者のことだけでなく、我の周りではコロナ患者・陽性の報が相次ぎ、一時は、自らも濃厚接触者となったのではないか、老父にも感染させてしまったかもと怖れ慄いた。
さらにそこに長年使ってきたパソコンが壊れ、何とかデータだけでも復旧させようとあちこち問い合わせしたり渡り歩いた。が、徒労であった。
いろんな意味で綱渡り状態が続いたが、菅首相の認識はともかく、我の周りでは「ようやく光が見えてきた」とまさに思える。
これ以上、事態や状況が悪くならないことをただ神に祈るだけだが、季節も変わり少しでもこの多事多難な状態が収束していくよう、心して、感謝の気持ち込めてここでいったんこの回は終わりにする。
皆様もご自愛ください。菅自公政権に殺されないためにも来たる総選挙では彼らに退陣と政権交代という鉄槌を下しましょう。
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