共謀コンサート、10月10日(日)開催いたします!!2021年10月03日 22時27分26秒

★今さらですが、チラシやっと完成しましたので。

 稀代の悪法「共謀罪」が2017年に成立後、その年の8月より谷保かけこみ亭で不定期に連続開催してきた『護憲と反戦平和のための「共謀」コンサート』は、回を重ねて4年間、まもなく30回になろうとしております。
 昨年の春からは全国的に感染拡大したコロナウィルス感染防止のため、お店自体の休業、時短、客席数削減などの都、政府からの要請を受けてコンサート自体の中止、もしくは無観客・生配信などを余儀なくされてきました。
 今回は、やっと緊急事態宣言」解除後の通常開催に戻ります。ぜひぜひ多くの観客・参加共謀者をお待ちしております。
 コロナは今は終息傾向にあるようですが、コロナ禍で断ち切られてしまった人々の繋がりを再び音楽で繋ぐべく、いま一番熱くアグレッシブな二つのバンドをメインにお迎えして、この苦難の状況下だからこそ「うたの力」を再確認したいと思います。安倍~菅政権が終わろうとも自公政権の現実は何一つ変わりません。

★2021年10月10日(日) 出演/五十嵐正史とソウルブラザーズ バラッドショット 館野公一 太田三造 槙篤 高橋よしあき 森人 三密クラスターズ 他 司会進行役 マスダ

★4時半開場・開演・前説 午後5時本編スタート~午後9時終演・閉店

★参加費:投げ銭制 ※ワクチン接種証明・感染履歴などなくてもどなたでも入場可です。
 ただし、客席数に制限があるため事前予約者優先の入場となります。満席の場合は入場制限もあるかも…
★投げ銭+ワンドリンクorワンフードのご注文お願いします。※ご予約問い合わせ/マスダ:090-8175-8479 かけこみ亭:042-574-3602 ※谷保駅下車3分です。
 皆様のご参加ご来場を心からお待ちしております。皆でコロナと「共謀」いたしませう!

「共謀コンサート」本日開催!! 午後4時半開場開演~9時まで2021年10月10日 08時40分21秒

★今回を入れて、残すはあと2回!どうか無事に終わりますように。

 「緊急事態宣言」も先月末に解除されて、街にはようやく元の日常、賑わいが戻ってきたようだが、10月も半ばになろうとしているのに妙に暑い日が続く。
 ひどく暑いか、ひどく寒いか、眠られぬ長い夜が続く、とは昔よく聴いた友部正人のうたの一節だが、まさに今の我はそんな感じで、汗が止まらなかったり、強い寒気に震えたり身体はどうかしそうだ。
 実は、先の7月の「共謀コンサート」以後、この夏から秋にかけて、我にはあまりにたくさんのトラブルのような事態が続いて、その対応に追われ続けて精神的にも参ってしまい、今も体調は最悪だ。
 長年使い慣れたパソコンがクラッシュしたことや、新たに手がかかるケガした子猫が現れ、その介護とその猫の逃亡と探索、そして無事帰宅後も再度失踪の恐れに気持ちは囚われてどうにも心は落ち着かない。
 我にはもともと、両親譲りの不安神経症的傾向が色濃くあり、さらにそこに持病の寒暖差アレルギーとあまりにも多くの出来事を抱えてその対応に日夜追われることから自律神経失調症も起こしてしまった。
 先のうたは、確か、「残ったものは空の酒瓶、そして一生かかっても返せない借金の山」と続いたと記憶するが、まさにそんなで気分そのもので、アルコールにひたすら救いを求めて何とか焦り苛立つ気分を酒で紛らわし麻痺させようと吞み続けていた。

 しかし、一か月も動物入院して手術終えてやっと自宅へ退院、帰宅してきた猫が「脱走」して、外に出てしまい行方不明になってからは、願掛けて一切酒は口にしないでひたすら自分で戻ってくることを願い神に祈っていた。
 幸いにして、先月末にようやく猫ドアから帰ってきたところを確保することができ、今はまた元のケージに入れてあるのだが、いつまたそこから逃げ出すのではないかという不安に襲われて外出もままならない。
 もともと半野良猫のような猫で、ウチで産まれたはずだが、ニンゲンには全く慣れていない猫だから、今度逃げてしまったら懲りてたぶんもう二度と帰ってはこない。
 しかし、そうなると体内に入っている金属のピンや感染症が再発して死亡することも予測される。ともかく再手術をし終えてその足のケガが完全に癒えない限り、絶対に外に出してはならないとは医師の指示だ。
 が、本人は狭いケージから出たくて日々何とか脱出することを考えてケージを壊さん勢いで鳴き騒いでいる。いまは、仕方なく我が家を長く開けるときは、外につながる猫ドア自体閉鎖して、たとえケージを壊して出たとしても室内だけに停まるよう、対処することしかできない。※外との出入りしている猫たちは締め出され、ウチに入ることができないのだからいい迷惑だが仕方ない。
 実は、猫たちが増えすぎて他にもたくさんの大人猫や子猫もまだ抱えていて、その猫たちの部屋の木戸も古く脆弱なものだから、いつ壊して皆で外に逃げすか不安でならない。
 この12日に、子猫三匹は、青梅の奇特家に引き渡しが決まっているので、ともかくそれまでは確保して、他の猫ともども逃げ出すことは絶対に起こしてはならない。

 そんな状況の中で、日々十数匹の猫たちの世話を、トイレの交換から餌やリまでして様々な不安や心配事、答えの出ない悩みに囚われながら何とか、ライフワークともいえるコンサート企画、その本番当日を迎えられた。
 昨夜、深夜までかかって慣れない新たなパソコンと新たなプリンターで、本日配布するパンフの印刷を何とか終えられた。
 あとは忘れ物などないよう万全、細心の注意してシャワーでも浴びて身体を清潔にしてから午後には車で家をでる。
 残す猫たちのことが心配だが、今日を終えられたらまた次の手を打つことに取り掛かれる。
 そう、この連続企画コンサートも残すはあと一回にしてもらった。
 次回は、年末12月19日。これをし終えて来年は父を看取って、我の人生はいったん区切りを迎えたい。
 ともかくまずは、今日を無事に滞りなく終わらせてからだ。

これまでのこと、これからのこと・12021年10月14日 01時46分19秒

★やっと一段落、どっと疲れが出た。

 まず何から書いていくべきか。
 10日の「共謀コンサート」は、無事大盛況のうちに終わりました。改めて来られた関係者方、支援・応援してくれた方々に厚く御礼申したい。※画像も含めておおまかな報告は後ほどしていく予定。

 そして昨日12日、昼過ぎ雨の中、女友達に車出してもらい、ウチの子猫三匹を彼女の友人である青梅の男性宅に届けてやっとけんあんのことは、ひとまずとりあえず終わった。※子猫の件はまだ残っているが・・・
 あとは、我が関わる公的な事案は12月の「共謀コンサート」の最終回だけで、これから一か月半は、家のこと、父とのこと、自分のことに専念できる。
 で、昨日は夕方から気も緩み、どっと一気に疲れが出て、今日も断続的に眠ってしまった。そして夜も頭痛がしたので早く床に入ったら、ヘンな夢を見てうなされて今さっき日付も変わった零時過ぎに起きてしまった。
 朝まで寝なおすべきなのだが、今晩の猫たちの世話、餌やりやトイレ掃除がまだたったので、そんな作業していたら目が冴えてしまったので久々にゆっくりパソコンに向かいブログを記すことにしよう。※幸い父は明日14日の夕方まで帰らない。

 それにしても今振り返って、この夏から秋はともかく慌ただしく忙しくタイヘンだった。まさに次々と難題、問題が起こる多事多難の季節であったとしみじみ思う。まったく気が休まる時がなかった。それで体調もおかしくなってしまった。自律神経が壊れて汗が止まらなかった。今もすべて解決したわけではないけれど、倒れたり入院せずよく乗り切れたと自分でも思う。
 つまるところ、長年自分が放擲してきた、「すべきこと」、つまりきちんと片づけたり、いつかは対応、処理しなくてはならなかった問題事案が、今夏とうとう一気に噴出したということだろう。

 コロナ禍が長引いたことで政府・自民党政権の感染対策、医療対応が後手後手となり、感染爆発を起こしてやっとその脆弱さや根本的問題点が表出したように、平時では隠れて見えなかった我が人生の「問題点」もあるきっかけで突然大きく表舞台に現れる。
 しかも続くときは連鎖的にトラブルは多発するのが常だから、今思うと菅政権には多少の同情も禁じ得ない。むろん彼の首相としての資質こそがいちばんの問題だったのだが。そう、全ては自業自得なのである。

 さておき、今夏7月、前回の「共謀コンサート」が緊急事態宣言下でも無事終わって、その直後、翌日だったか、まずパソコンが壊れた。
 今思えば、もう7、8年、いやそれ以上?使ってきて、機能的にもそろそろ疲弊が見え始めていたと気づく。いつだったか記したが、コピペ機能もうまくできなくなったり、僅かだが本体内部からピーという異音もし始めていて、確かにその前兆はあったのだ。
 その時点でメンテナンス的なことをやったり、いや、それ以上にまずバックアップ的なことにすぐ取り掛かり、別のパソコンにデータも移してメインの使用はそちらに移すべきであった。じっさい今使っているこのパソコンは既に手元にあり、そちらも併用していたのだから。
 ただ、我は毎度のバカゆえに事態がよく認識できず、移転作業も面倒くさがって旧いパソコンをメインに使用し続けていた。まだ大丈夫だろうと、根拠のない楽観主義で。

 そして7月のコンサートが終わったとたん壊れて、電源は入ってもOSが起動しなくなった。が、その後も我はまあそれでも何とか直るだろうとか、最悪でもデータだけは救出できると漠然と思い込んでいた。
 で、何か所もパソコン修理業者にその東芝の一体型デスクトップパソコンを抱えては持ち込み、修理やデータ取り出しをお願いしたが、どこも処置なしで返され、けっきょくメーカーである東芝のサービスセンターに引き取ってもらいお願いすることにした。
 が、最終的にそこでもデータ取り出しさえも不能と診断されて七千なんぼか支払い返されてしまった。そんなこんなで一か月も振り回され1万数千円も見積基本料として直りもしないのに失ってしまった。
 その時間と金、そしてパソコン内に入っていた様々なデータも失ったことは大きいが、さらに大変だったことは、新パソコンでの様々な再設定であった。
 その壊れた旧い普段使いのパソコンにすべての基本的設定のデータ、フォーマットが入っていたから、それが取り出せない、使えないとなると全てまた一から設定しないとならない。
 けっきょく、今のこの新しくメインに使っている富士通のデスクトップに合わせてプリンタも新しく購入したし、ワードなどのソフトも何か使い勝手が違いかなり難儀した。

 今回の10月10日のコンサートでも、当日配布する歌詞カードを載せた簡単なパンフ一枚作るだけでも何もないところから1から始めなくてはならなかった。これまでは、以前自分で拵えた出来合いのチラシのフォーマットを少し手直しすればすぐさま完成できたそうした印刷物も何もかもまた1からのやり直しだからものすごく時間がかかってしまった。まあ、何とか間に合い配布出来だけれど。

 幸いにして、画像や映像などのデータは、近年のはパソコン本体ではなく、外付けハードディスクにいつも取り込んでいたから、パソコンが壊れても被害はなかったが、それでも昔、パソコンに取り込んでいた写真や音声は戻ってこない。大部分は、録ったときのオリジナルのSDカードなどに(消してなければ)残っているはずだが、そうしたSDカードはどこかにあるとしても果たして出てくるのだろうか。
 ともあれ、失った「過去」をくよくよ悔やみ嘆いても仕方ない。英語のことわざに、『こぼしたミルクは戻らない』とあったと記憶するが、ならばこれからの新しいミルクを大事にしていくことだろう。それも「保管」することよりもまずは飲むこと、つまり録ったものなどは「活用」していくことだ。
 過去、思い出は自分を慰めてくれたとしても今の自分を助けてはくれない。未来をどうにかできるのは、「今」だけなのである。

 そんなこんなでパソコンクラッシュの問題は、修理もデータ取り出しも不能ということで決着し、気を取り直して別のパソコンで何とか作業をはじめたと同時期に、今度は新たに猫の問題、脚にケガした「しんのすけ」の問題が発生した。まさかそれもこんなに大事になるとは当初は思いもしなかった。いま、その猫にかかった治療代は既に35万円近くとなった。

 ★長くなったので、続きは別の回に記します。

これまでのこと、これからのこと・22021年10月21日 20時40分50秒

★季節はようやく一気に冬へと動いた。

 また間が空いてしまって申し訳ない。
 実は、我の持病、寒暖差アレルギーがこの寒さで悪化して寝込むしかなくブログは書けなかった。

 今週になって、突然季節は冬へと進んだ。一気に冷え込み始めた。
 先週まではいつまでも日中は汗ばむ陽気が続いて、なんかまだ秋も9月頃の感じがしていたのだが、気がつけば10月も半ば過ぎていたのだった。
 道行く人は、上着や羽織るものどころかコートやジャンパーを着こんでいる。今の気温は、10度少ししかなく、これは10月平年どころか、11月、12月の初冬の気温だそうだ。まいった。

 いきなりの気温の変化で、咳とくしゃみ、鼻水が止まらなくなってしまった。特に買い物などで、スーパーやドラッグストアに入ると、とたんにくしゃみが出始め全然止まらない。鼻水がボタボタしたたり落ちる。目も涙目で開けていられない。
 我は、昔から春でも秋口でも季節の変わり目には風邪をひいていた。
 口さない友人からは、お前は風邪ひいていないときないじゃないかと言われたが、実は、それは風邪ではなく「寒暖差アレルギー」という病気、というか「体質」であった。
 我はもともと薄着が好きで、春でも夏でも秋でも可能な限り基本はTシャツ一枚で過ごしている。すると急に寒い日が来たとたん・・・

 亡き母からも、我が出かけ間際に玄関で母から「あんた、そんな恰好で行くと風邪ひくよ、あんたはすぐ風邪ひくんだから」とよく注意されたが、気温の低い野外や電車の中、入った店内が寒いとすぐに風邪のような症状が出てすぐ体調崩して寝込んでしまった。
 と言っても、熱はさほど出ない。ただ、まったく風邪と同じような咳やくしゃみ、鼻水がひっきりなしに出る。とうぜん息苦しく、頭も重くぼうっとして身体もだるくしんどくなる。
 ただ、それは数日内で収まる時もあるし、何となくだらだらと何週間も続くときもある。はっきりしているのは、風邪のように高熱は出ないが、熱などの特有の症状がないだけで症状はほぼ風邪と大差ない。

 今回も熱が出たらば、もしやコロナか!?とPCR検査を受けようと思ったが、確実にそうした毎度の症状、咳や鼻水はこの気温の低下と共に急に起きたので、ああまたかと気づいた次第だ。
 寝込むといっても、父や猫たちの世話や注文本の発送などやるべきことは日々常にあるので、それだけはかろうじて何とかすますと、無理できないと思いひたすら時間あるときは横になっていた。
 そんなで夜も早く寝てしまったし、朝も寝ていられるときはひたすら寝坊していたので、ようやく体調も少し戻ったのでブログ記せたというわけだ。
 寒いなら寒いと気温も一定になれば、このアレルギーも収まる。急に暑かったり寒くなったりと気温の温度差が大きいと身体がそれに対応できずアレルギー反応を起こしてしまう。
 長く生き来てやっと、そういうことかとわかった。むろんそうした外部の温度差に左右されないよう、衣服には注意して、着るものに常に気配りすればよいだけの話なのだと思うが、まだ我が家は自らも含めて冬支度は何もできていない。
 本格的に寒くなる前に、何とか対策を立てねば。やることはともかくいっぱいなのである。

これまでのこと・32021年10月22日 14時28分27秒

★父が存命の間に~なんと我が父は昨日で97歳になりました!

 このところ強く願い常に考えていること。ともかく今、自分が抱えているもの、これまで続けてきたことをここらで(いったん)全て終わらせ無くしていこう、ということだ。
 今年2021年は、あの大震災から10年、そして母の死から5年という節目の年でもあるが、ともかく父がまだ生きているうちに、これまでのこととは区切りをつけて次の段階、つまり父亡きあとの人生に移行していかねばと強く突き動かされる思いでいる。
 もうこれ以上、これからも「過去」の物ごと、家の片づけもだが、溜まりにたまった事案に(その処理に)振り回されたくないし、ともかく全てをここらで、つまりまだ体も動き時間があるうちに終わらせていかないと大変なことになるという、いよいよ老い先短くなっての切迫感である。
 ようやく、我が責任負う谷保かけこみ亭での連続企画「共謀コンサート」も年内あと一回で終わりにさせて頂くこととなったし、何につけ先行きやらねばならない、縛られることがないフリーな状態に身を置いて、本当にじっくりと自分のこと、家のことに向き合いたい。

 今住むこの家も2021年に増改築が成ってからちょうど10年で,その以前からある旧い部分も含めてあちこち家中ガタが来て屋根も外壁もメンテナンスの必要に迫られている。家の中も荒れ放題なのはまた別の話だが。
 自分の人生があとどのぐらいあるのかはわからないが、基本、家のことは自分で手を加えて自らやっていく主義なので、まだ60代半ばなら身体も動くし、手伝いに来てくれる有難い友もいよう。
 これが70代過ぎてとなると心もとないし、たぶんもうそんな気力も体力もない。今のうちに、我が人生全てをメンテナンスしていかねばと強く思う。

 これが、真っ当なカタギの人ならば、子育ても終わり、定年退職後の年金暮らしの悠々自適となって、旅行や映画演劇音楽など鑑賞ざんまいの日々を愛妻と共に過ごせるのだろうが、年金もなく生涯日銭稼ぐために働き続け、妻子なく全て自分一人でやらなければならない者としては、いまのうちに本当に冬の備えをしておかねばならない。
 ※金さえ潤沢にあれば、つまるところ専門業者に頼めば済む話で、はっきり書いておくが、我はそういう日曜大工的な作業はそもそも苦手で大キライなのだ。しかしその金がなく惜しいがゆえ、自分でやらざるえないのである。

 そう、冬はもうすぐそこなのである。キリギリス的人生に悔いはないけれど、かの虫だってそのやがて必ず来るその季節の「予感」を前にして、やがて死ぬとしても巣穴の手入れはするはずであろう。
 このところ我の周りでは、70代初頭の知人の訃報が相次ぎ、同世代でないとしても、驚きと共に死は身近に迫りつつあるという切迫感をもって受け止めている。

 昨日、10月21日は父の誕生日であった。この秋で満97歳となる。昔は正月で一つ歳をとったのだから、数えならば来年を迎えられたら98歳となる。父とのことはまた稿を改め書きたいことがある。が、ともかく実に長生きした。我の同世代で、親が存命の友人知人はもうほとんどいないのに。
 我が父のように、死にそうで死なずに、気がつけば百歳目前まで何とか生き続けている人もいるが、人はたいがい早ければ70代、たいがいは八十代で死んでいくものである。
 そしてまだ父は生きているといってもじっさいは身体がまだ動いているというだけで、かつての実直勤勉かつ何事にも几帳面で厳格であった彼の性格はもはやほとんど残っていない。
 施設でも家でも「傾眠」というのだが、昼夜問わずひたすらうとうと眠りだし、食べる量も少なくなってまさに骨と皮となって自力で歩くのも立つのも難しくなった。
 いよいよ電池切れというのか、全ての機能が完全に衰えてしまい、まさに「老衰死」とはこんな感じとなるのかと得心している。

 嫌な予感だが、おそらく家であろうとも施設であろうともやがて目覚めぬ朝が来て、彼はまさに眠るように眠ったままで死んでいくのだと思える。
 酔生夢死という言葉があるが、認知症で何もかもわからくなって、何の思いも痛みも不安も苦しみもなくうとうと眠りながら死んでいくのもまた安逸で幸福な一生ではないだろうか。

 我は死ぬまで、いや、死ぬ時もそんな死に方ができるなんて思いはしないから、ともかく自力で、まさに自助で死に方も含めてあがき模索していくしかない。
 まずは、金がいくらあったって永井荷風のような死に方はしたくないと願うだけだ。が、一人で生きるとは、その孤独死を覚悟することでもあるのかと今は思い始めている。
 そう、どのような関係であろうとも、その間際に傍らに誰かがいてくれるということは、まずは安心であり幸福であると思えるがどうだろう。
 死はごく個人的な問題事案であるけれど、やはり一人では死にたくないと今我は思っている。誰か傍にいてほしい。

世界は変わる、変えられると信じて2021年10月29日 21時49分35秒

★ともかくまず選挙に行こう、投票しよう

 自らの体調も悪く、あれこれ慌ただしくいろいろあって拙ブログまた更新できず申し訳ありません。
 ゆっくり心のまま、心の内、思うところを記せたらと強く願うのだが、日々その日ごとを何とか生きてやり過ごすだけで手いっぱいで、もう本当にそれだけしかできなくて心苦しく情けない。

 さておき、総選挙の投票日が近づいてきた。我は一昨日、もうほとんど歩けなくなった父を抱えてマイカーに乗せて市役所まで期日前投票に行ってきた。
 市庁舎内は、父は車椅子に乗せて移動、投票所の一室内は、選管の職員が父に応対してくれたが、かなりの呆け老人が果たしてきちんと反自民系・野党共闘の候補に投票できたか心もとないけれど、何とか今回も棄権せずに大切な一票、選挙権を無駄にせず行使できて本当に良かった。
 もちろん毎度のこと、いろんな意味でものすごく疲れたが、父は死ぬまで一度も棄権せずに選挙に行った百歳老人として死なせたいと願う。

 と、ここから本題。
 いつも思うのだが、選挙が公示となり激しい選挙戦開幕となってから、朝日や読売や大新聞社は、投票日近くになると結果を予測した報道を出すが、いったいこれはどういう意図があり、そもそもそれは許されることなのであろうか。
 今回の衆院選、前・菅政権の不人気もあり早くから政権交代の可能性も高いとされて、国民の間でもいつもより関心が高くなるのではと報道されていた。
 が、朝日は、先日、自公で単独過半数確保の情勢とか、讀賣ではそのライン維持は微妙とか、早くも結果が決まったかのような報道が出されて、まだ決めかねている有権者の意向を大きく左右していると我は思える。
 もしかしたら今回の衆院選、政権交代となるならば何として投票に行こうと、自公支持者であれ、政権交代を望む立場の者であれ、どちらにせよ選挙に行かねばと思うはずだろう。
 ところが相変わらず、自公が絶対過半数を維持するだろうと「事前」に予測されてしまえば、政権交代に希望かけていた層はもう、ならば行ったってしょうがない、もう行く意味がないと思う人も多いのではないだろうか。
 逆に、過半数維持が難しいと報じられれば、自公政権維持を望む層の人たちは、何としても投票に行かねば、もっともっと呼びかけや動員しないととさらに必死になるだろう。

 結果というのは、実際の話、投票所の蓋を閉めてからの話であって、まだ選挙戦最中、期日前の投票期間の間に、早くも結果の「予測」を報じるのはどちらの支持層にとっても悪影響というしかない。
 まして、支持政党のない、そもそも選挙に無関心な層の人たちは、今回も何も変わらないのなら行く意味がないとさらに「棄権度」は高まるだけだろう。
 我は、選挙が公示前ならともかく、選挙戦が始まってからの結果予測は、投票率低下をも招き百害あって一利無しとして、強く禁止を求めたい。
 こうした新聞社側の思惑なのか、投票動向と結果を大きく左右してしまう、選挙公示後のバイアスのかかった予測報道は本当にやめにしてもらいたいと今更ながら思う。これは報道の自由とかの問題ではない。

 さておき、この世には、選挙全般に関して全く関心のない、そもそも選挙には一度も行ったことがない、行く気持ちがないという人も多数いる。
 このところのせいぜい50%前後の各種選挙の投票率を見ると、おそらく有権者の二人に一人に近くは、「無関心層」と思っても良いのかもしれない。
 そうした人たちにもし、何で選挙に行かないのか、と問えば、たいていの答えは、選挙に行ったって何も政治は変わらない、という返答が返ってくるはずだ。
 確かに、それを裏付けるように、いつまでたっても自公政治は続き、現実社会ではとっくに引退しているような老人たちが大きな顔をして威張りちらし、若者や弱者、貧困層向けの政策や保護対策は何もさせれず、生活はどんどん困窮していく。
 じっさい何度選挙したって、結果はいつも同じで、安倍政権は延々続いたし富裕層はさらに富み栄え、貧乏人はますます苦しくなっていくばかり。
 某大臣が「生活保護があるじゃないか」と放言してくれたが、そもそもそこに至ることのないよう、最低限の生活を老若男女、国民すべてに保障するのが政治の役割のはずだが、国家間の「安全保障」は喧しくとも、国民の命と健康を保障することは、あくまでも自助・公助という順番なのが、この自公政権なのである。
 だから、もう政治には諦めて、選挙には行かない、という人たちの気持ちは実際よくわかる。しかし、こうもまた思う。では、ほかにこの世界、つまり、いまある身の回りからすべての現実世界を変える術はあるのだろうか。

 むろん自分の努力奮励で、才覚や運、チャンスで今の苦境は脱することができるかもしれない。多くのユーチューバーなどはそうして才覚だけで巨万の富を築いてきたのだろう。
 しかし現実的には、多くの人が、我もだが、ともかく日々毎日を何とか乗り切りしのぐ、やり過ごすだけで精いっぱいで、とても文化的・健康な生活などまさに夢のまた夢なのである。
 せいぜい、寝る前にスマホでどうでもいい芸能人やスポーツ選手、皇族の誰それががどうこうしたととかのネット上のニュースを流し読みする程度で、朝になればまたつらい一日を迎えるだけだ。

 だからこそ、我は、この今の人生、この眼前の世界を心から変えたいと願い望む。神にも祈る。
 それは政治だけの問題でないこともわかっている。しかし、父の年金一つとっても、入る金より出る金が多いというのは実におかしな話で、様々な高い税金と介護保険利用料、そして医療費とで、もうどうにも首が回らないのである。
 よほど大企業に勤めていたとか、公務員でも官僚として、天下りした人でもない限り、悠々自適の年金生活などできる人は少ないのではないか。多くの人は乏しい年金でカツカツの切り詰め生活を送っているのではないだろうか。

 ならばこそ、この現実、辛く苦しい現実を変える方法はまずは政治を変えることからだと考えるべきではないのか。他に、方法があればぜひご教示頂きたい。たとえば、絶対に儲かる、損のしない資産運用とかあるのならば。
 政府は年金でさえも自分でさらに老後に備えて増えるよう自ら運用することを勧めているけれど、いくら高齢者社会だとしても、国民の命を守り保証しない政治はおかしいのではないか。
 防衛費やアメリカ軍への思いやり予算、大企業への優遇税制は増えはすれど減らすことは考えになく、さらに消費税を今後も上げることも検討するという政府は、真に正しい政治を為しているのだろうか。

 思うに、選挙に行ったって、何も変わらない、意味がないと思い考えている人たちは、それでもこの「現実社会」に満足しているのであろう。つまり、なんだかんだ言ったって、まあ、これで良し、という現状肯定派なのだと思える。
 我などは、何度も何度も選挙のたびに、失望の結果、うたの文句ではないけれど、「泣き明かした夜、迎える朝のまぶしさ」を味わってきた。そして「涙が渇くときはないけれど」決して諦めもしない、し負けたとは思いはしない。
 
 そう、世界は変わる。変えられる。そう願い信じる人たちが一人でもいる限り、結果は常に同じでも、何も変わらないように見えたとしても、その思いは、「地下水脈」のようにこれからも流れ続けて人々の心の深いところに届いていく。

 世界は変わる、変えられる、まずはそう信じて、今できる、すべきことを少しでも、一つでもやっていこう。
 それは政治だって人生だって、生活だって同じことだ。だけど、まずは選挙の投票日がそこにあるのならば、まずは自らの一票に思いを投じることだからだ。
 ここから世界は変わる、変えられると。