やっと体調戻りました2021年12月02日 11時22分17秒

★まずは、最後の「共謀コンサート」のお知らせ

 雲一つない青く晴れ渡った冬の空、今日は快晴である。寒いが気持ちのいい朝だ。
 我は、この夏からともかく忙しく慌ただしくなって、それは今も来年も続くのだが、特に先週は、人と会う用事も重なり、まさに目が回るような、いや、じっさい眩暈がしてふらついて何度も転倒したりもう朝は起き上がれないほど疲労困憊していた。咳も続き苦しく睡眠不足のせいか朝起きた時から頭を締め付けるような頭痛が続いていた。
 昨日は、父を介護施設に預けて昼過ぎから断続的に眠ったのだが、昨夜はやっと心安らかに朝の9時までたっぷりと久々に寝坊した。トイレには一回起きたが。
 いつもは日課の、5時起き早朝の父のおむつ交換も家の周りの道路、隣近所へ飛び散った落ち葉掃きも今朝はしないでひたすら眠った。
 ようやく頭痛は収まり今は身体も気持ちもすっきりしている。悲しいほどのお天気、というフレーズがあるが、今は悲しむほど余裕もなく、ともかく今日一日頑張らねば、今日こそ成果をあげねばという昂る気持ちでいる。
 父は明日の夕方帰ってくる。

 なんでこんなことになってしまったんだろう、と時おり自問するが、つまるところ全て自業自得であり、母が生きて父もしっかりしていた頃は、彼らに全面的に生活のことすべて委ね頼って生きてきたツケがとうとうここにきて表面化して自らの無能さと相俟ってこんな悲惨な最低最悪のゴミ屋敷に至ったのである。
 寓話『アリとキリギリス』の喩え話は、真面目な堅気の市民と我のようなアウトサイダー的怠け者、落ちこぼれ者との対比として多く学ぶべき考えさせられるものが多々ある。
 何度もその話をここで書いたと記憶するが、童話では、キリギリスは冬が来た時に蟻に助けを乞うが、怠けていた罰だとして蟻はそれを拒む。それはまた当然であり、我もキリギリス側としては、まあ、それでも夏の間の楽しい思い出があるならば、キリギリスも野垂れ死にしても満足だろうと考えていた。
 が、じっさいの話、そうできるはずもなく、今冬を前にして、さあどうしたものか、どうやってこれから来る「冬」を一人で乗り切っていくかという喫緊の課題に頭痛めている。そう、童話のようにそこで話は終わらないのである。人生はともかく続くし続けなくてはならないのだから。

 ただ、こうも思う。カタギの人たちは、若い時から何十年も毎日、背広を着て定時に起きては満員電車に揺られて通勤して、会社内でいろいろ嫌なことや苦労もして、その結果「定年」を迎えて、今の悠々自適の年金生活があるとしたらば、我は、それを若いときに前倒しでしてしまったのだから、結局は同じことなのである。
 我は、若い時にしっかり真面目に働かなかったから、今こうして60過ぎて生活全般、金のことで頭悩まし先行きの不安の恐れ慄いている。
 色川武大氏もよく書いていたことだが、幸不幸も含めて幸せの量はほぼ人皆同じであり、苦労も含めて、それがいつ来るか、ということだけのような気もしている。
 それは結婚も同じことで、子育てや結婚は苦労もするだろうが、結果として後々の安定と安心をもたらす。独り者は気苦労なく好き勝手なことはできるが、最後の最後に来た時に、待っているのはとことんの孤独だけだ。
 その覚悟があるか、と今自問もしてみると、けっきょくいつだって我はバカだから何も考えず、楽なほうへ、目先の快楽だけで動いていたと気づく。
 今だって、車を駐車場に入れるときも、他の車はみなほぼ必ずバックから入れてる。が、我は常に、頭から入れて、今度は出すときにいつも苦労している。
 他の人は、けっきょく入れるときちょっと大変でも、出すときすぐ出せるからという知恵というか運転常識であり、誰もがそう考えているからだが、我は性格なのだと思うが、それはしないし、バックで入れるのは今もとことん苦手だ。
 そうして常に、先のことは考えず、目先のことだけで動いて生きてきた人生はこうなるのだ今顧みて得心する。

 そう、アリとキリギリスのキリギリスのように、冬が来てすぐに死ぬことができないならば、そのキリギリスでも冬が越せるよう、何らかの術を考えねばならない。
 ろくに定収もない老いた独り者がどうやって「老後」を生き抜いて行くか。それこそが我の課題である。
 まあ、幸いなのは、その先がうんと長いわけでもないのだから、あれこれもがき悩み喘いでいるうちに死は訪れて我も救われるとは思うが。
 ただ、父のようにとことん長生きしてしまうと、無年金者としては本当に困る。父の年まで我も生きるとしたら、まだなんと30年もある。むろんその頃は、まったく動けず準寝たきりとなっているとは思うが。
 ただ、もう今はあれこれ先のことは何も考えない。ともかく日々何とか無事に乗り切っていけるか、だけだ。
 ともかくトラブルなく一日が無事終わって、また明日を迎えられたら、それだけで幸福とせねばならない。
 旧約の中で、コへレト(伝道の書)もそう言ってるし、イエスも明日のことは明日思い悩めと説いている。そう、今日は今日で足れり、なのである。

共謀コンサート「最終回」は12月19日午後3時から2021年12月03日 11時19分09秒

★何とかフライヤー作り直しましたので

 稀代の悪法「共謀罪」が2017年に成立後、その年の8月より(左上)谷保かけこみ亭で不定期ながらも開催続けてきた『護憲と反戦平和のための「共謀」コンサート』は、回を重ねて4年、約30回になろうとしております。
 感染拡大したコロナウィルスのため、お店自体の休業、時短、客席数削減、コンサート自体の中止、無観客・生配信など余儀なくされましたが今回は、やっとほぼ通常開催に戻ります。 
 そこでこの企画も一度「終了」してまた新たな護憲と平和活動を再構想していきたいと考え今回が最終回となりました。ぜひぜひ多くの観客・参加共謀者をお待ちしております。
 コロナは今は収束傾向にあるようですが、コロナ禍で断ち切られてしまった人々の繋がりを再び音楽で繋ぐべく、最後の回もこれまで出られた熱いシンガーたちが多数終結して、この苦難の状況下だからこそ「うたの力」を再確認したいと思います。歌い手たちと熱い思いを共謀しましょう!

・2021年12月19日(日)
・出演/山口敦子 みほこん生田まんじ 藤しんいちろう 高橋よしあき 元気いいぞうらま ウッディ 奥主榮 館野公一 太田三造 槙篤 森人 三留まゆみ他

★午後3時開場・開演・前説 3時半本編スタート~午後9時終演予定
 
★参加費:投げ銭制※ワクチン接種証明など不要ですが最終回の混雑回避に予約者優先の入場とします。
 投げ銭+ワンドリンクorワンフードのご注文お願いします。※予約・お    問い合わせ問い合わせ/マスダ:090-8175-8479 かけこみ亭:042-574-3602 ※谷保駅下車歩3分です

まだまだ「物語」は続く、続けていかねばならない。2021年12月09日 10時04分11秒

★まずは、最後の「共謀コンサート」を終えてから

 一昨日夜から降り続いた雨は、やっと上がって外はいま明るく晴れてきた。
 先に体調は戻った、と書いたものの、咳も含めて一進一退、相変わらずというのが正直なところで、父が在宅の日は、父のことだけを、それ以外の日は、増えすぎた猫たちの餌やりやトイレ交換など、どうはしてもやらねばならないことだけ終えたら、時間あればひたすら横になっていた。
 いまは体力が続かず、少し無理するとすぐにめまいやふらつきで起きていられない。まずは当面のコンサートを無事終えて正月を迎えることが先決だから、来年になって少し時間ができたらば、一度きちんと精神科も含めて医者にかかろうと真剣に考えている。

 さらにこのところは、庭の巨大化した公孫樹の樹とケヤキの落ち葉掃きに終日追われていて、昨日の朝など雨と強風で散り落ちたイチョウの葉で、家の前の道路は、アスファルトが見えないほどまさに黄色い絨毯を敷き詰めたような状況だった。
 隣近所さまが起きて騒ぐ前にと、小雨の中、必死で落葉を竹ぼうきで掃き集めてとりあえず掃ける限りの分は掃き集めたが、まだ木々の枝には葉が残っているので、あと一週間はこうした状態が続くのである。
 道路にこびりついた濡れ落ち葉を必死で竹ぼうきでかき集めていたら、とうとう右手の親指の付け根にマメができたというか、皮が剝がれてきて少し痛い。

 このところ、「小説」ではなく「物語」ということをよく考えている。
 いまやっているNHKの朝の連続ドラマもそうだが、架空の話でもある一族代々の「物語」というのは、とてつもなく面白く興味深いと気がついた。
 自分とは関係のないヨソの家系の話でも、たとえば三代にわたる祖父母から今の我々、ワタシに繋がる話というのは、そこに時代や世相も絡んで何とも言えない味わいと感動がある。
 人気テレビ番組、『ファミリーヒストリー』も同様で、人は木の又から生れてこないのだから、どんな人にもそれぞれ今の自分に至るバックボーンというか、親たち、そしてそのまた親たちの懸命に生きた歴史があり、たとえ平凡でも子孫はそのことをきちんと知るべき意義と価値があるのだと気づく。
 知ると同時に、個人であるならば書き遺すことも必要だと我は思う。有名人でない限り誰もがNHKのスタッフが追跡取材して「番組」にしてはくれないのだから。
 たとえば思いつくだけでも北杜夫の『楡家の一族』、佐藤愛子の『血脈』、山口瞳『血族』などはどれも自らのルーツ、親たちの代以前のことから一族の歴史を辿り調べ書き記したすぐれた物語だが、我もまた作品として世に出せなくてもせめて親たちのことだけは書き記しておきたいとこのところ強く思うようになった。

 思うのだが、「うた」というのは小説、それも短編小説のようなもので、ある一つの光景、風景や思い、感情を一曲にまとめて切り取ったようなものであり、それとは別に、ほんとうの「物語」、つまり長くてとても一日では読めないようなものがあって然るべきではないのか。そこにそれだけの内容がぎっしり詰め込まれたものが。
 いま、何でも短くコンパクトかつ簡潔に、ツイッター、ショートメールのような文体、スタイルが全ての主流となっているが、だからこそうんと時間のかかるもの、きちんとした小説、物語に我は強く心ひかれている。

 残念だが、我には子や孫はなく、書いたところで、それを読んで伝える子孫などはいないのだが、母方の祖父母が義人田中正造で知られる栃木県旧谷中村の出であることや、父方の祖父が佐賀から東京に出、苦学し早稲田を出て新聞記者になったことなど今からでも我が知る限りのことは昔の古い写真と共に「記録」しておきたいと切に願う。
 体調が悪い悪いとさんざん拙ブログではこぼしてきたが、今このままこうしてなし崩し的に我は死ぬわけにはいかない。
 我の「物語」はまだまだ続くし、続けていかねばならない。

 そう何としても。誰のためでもなく、この自分が生きていた証として。
To be continued.

当たり前のことを、当たり前に2021年12月13日 22時46分14秒

★まだ人生が続くのならば

 人生の危機というか、一つの大きな転機となる時期は誰にも起こるのだと思う。その危機というか、転機になる時を乗り越えないと次に進めないし、時にはそこで息絶える。
 我、マス坊にとって、今さらだがこの歳でこんなときが来るとは思ってもいなかった。しかし、それは起こるべくして起きたことで、今まで、恥ずかしい話だが、本当に一人の社会人としてしっかりきちんと生きていなかったのだから仕方ない。
 ずっと親の庇護の元、愛され守られてこちらは依存し、のうのう楽々と生きてきていた。そして5年前まず母が逝き、今また父が呆けて衰弱して余命間もない状況となって、いま我は、やっと一人で初めて陸に戻った浦島太郎のように現実に向き合い呆然としている。
 しかし、ここで玉手箱をすぐさま開けるわけにはいかないのである。そう、老いて死ぬにはまだ早すぎる。

 これがもう少し若く、せめて40代ぐらいならば、結婚も含めてもう一度人生をやり直し社会復帰も可能だったかもしれないが、もう人生も残り少ない60代半ばでは、あとはいかに残り人生をうまくやり過ごし撤収に向かうかだけであり、断捨離などしなくとも、せめて我が唯一の肉親である妹に死後の迷惑はかけぬよう、立つ鳥後を濁さぬよう、どこまで清算できるかだけだとようやく気がついた。
 しかし、気がついただけでも良いことであり、今ようやく人生に自らきちんと向き合うこととなったのは、遅ればせながら自分にとっては大きな進歩、向上であろう。
 じっさい、父母が今もまだ元気で生きていたら、我はずっと変わらずに何も考えず気づかず、今まで同様、お気楽に趣味道楽にうつつ抜かす極楽とんぼのままであったことは間違いない。そして親たちは逝き、何一つできないままさらに老人となっていた我は、体も動かず真に途方に暮れて呆然自失のまま自滅していくしかなかっだだろう。
 いま、幸いにして体調不良といえども、我はまだ自由に動けるし進行性の死に至る病には罹っていない。鏡に映る顔はずいぶんしょぼくれた白髪まじりのオヤジだけれど、気持ちだけは十代の頃と何一つ変わっていない。
 そう、性格も気質も嗜好も思考もあの頃とほとんど何も変わっていない。ただ時間がたち、街も周囲の人もすべてが移り変わってしまっただけで、自分だけは結婚もしなかったし子もいないから何一つ変わっていない。同じ町で同じ家でただ同じことをずっとしているのである。
To be continued.

最後の「共謀コンサート」、予定通り明日19日、午後3時から。2021年12月18日 21時32分36秒

★かなり込み合うかもしれないので、ご一報のうえお越しください。

 いよいよ我マスダが手掛けてきた、谷保かけこみ亭での『護憲と反戦平和のための「共謀」コンサート』の最終回が明日となった。
 実は、また風邪気味というか、昨日からの冷え込みで寒気がして、葛根湯を飲みながら、断続的に横になりながら、いま明日の準備を進めている。まだ明日のプログラムなどできていない!!
 午後3時から9時までの約6時間の長丁場だし、出る方も多くて時間配分と調整に頭痛いけれど、もう何回もやって出られる方も気心知れた仲間たちだから、まあ始まれば何とかなり無事終わるだろうと達観もしている。
 自分のライブ企画人生の集大成に、と考えもしたが、いまはともかく我の体調も悪く、家のことや父のこともあって結局こうしたイベント活動は無理になったわけで、まあ、正直なところを全てお見せして、「あるがまま」で締めくくるしかない。
 ただ、出られる方も多いということは来られる観客もまた当然多いことも予想される。出入り自由だけれど、我としてはできれば最初から最後までお付き合いして頂きたいし、自らが人前で唄うことも、司会進行役を務めることもたぶんこれでオシマイとなると思うので、その姿をあるがままにお見せしたいと思っている。
 変な言い方だが、頑張らずにがんばろうということだ。いまできることを精一杯やるしかない。皆さんのお力借りて。無理はできないのだから。

 来られる方は、かけこみ亭か、マスダまで電話入れておいてください。マスダ 090-8175-8479※出ないときはショートメールにお名前を。

 どなたでも歓迎いたします。コロナ禍時代のうたの「いま」をお見せしましょう。

ああ、とうとう終わった~「共謀コンサート」最終回終演す。2021年12月20日 10時47分13秒

★ただただ、すべてに感謝、多謝!! 長い間お付き合い有難うございました。

 昨日のかけこみ亭での「共謀コンサート」最終回を無事終えて翌朝これを記している。
 幸せの中にも一抹の不安がよぎるように、逆にどんなに大変で苦しいことでも、終わってしまえば淋しさを覚えるものだとされている。
 そう、楽しい祭りならばなおさらである。
 が、今の我には、淋しさや残す思いはほとんどない。やがて時がたてば、終わりにしたことへの悔いや、それがなくなったことの淋しさを感じるのかもしれないが、直後のいまは、あるのは安堵の喜びのだけである。
 ともかく父が生きている間に、けんあんの抱えていることが一つ終わったという「喜び」だ。※父が逝けば、その後に予定していたコンサートは当然のこと中止となろう。
 むろん、コンサートは、当日も含めて我にとってとてつもなく楽しい楽しみであり、気の合った仲間たちと好きなことして濃厚な時間を過ごせるのだから至福の時である。
 しかし、もう本当に今は全てに余裕がなくなってしまい、体力気力ともに低下して、こうした多人数の人と関わるイベントはもう限界だとひしひしと感じていた。

 我が老父のことを案じてくれた方々も多々おられ、百歳近い老人を抱えているから我マスダはもうイベントはできないと思われたかもしれないが、それだけではない。
 容量の元々少ない古いパソコンが、長年使っていると作動が遅くなりやがては動かなくなるように、要するに我が人生がもう「いっぱいいっぱい」となってしまい、こうしたイベント企画が重く負担というよりも、処理できなくなってしまったからだ。
 家のことも、古本商売もすべてモノが増えすぎて何もかも溢れ散乱、混乱して滞り、とても以前のようにイベント企画に気持ちも時間も専念できなくなってしまった。そこに父の介護も加わるけれど、いまは基本的には施設に預けている時間も多いので、我自身は決して時間がないわけではない。
 しかし、このところ老いて体調も悪くなってきたこともだが、ともかく我は処理能力が遅く、残りの人生を無事快適に生きるためにもまずはともかく抱えているモノゴトを少しでもなくす、減らしていくことを切望していた。
 多くの方々からまたの再開やこれからも続けていくことを要請されたが、そんな個人的理由から誠に勝手ながら今回でこの連続企画は「終了」としたわけだ。我の拙い音楽活動もまた同時に。

 昨日は、6時間過ぎる長時間の音楽イベントを何とか終えられることができたが、途中から頭痛もひどく、ヘンな汗が出、喉がやたら乾いて卒倒寸前であった。前夜は、歌集プログラムづくりでほとんど寝ていないこともある。
 昔、両国フォークロアセンター40周年の記念コンサートを、浅草の木馬亭で開催したときも、企画した裏方、責任者として時間配分と進行に心底苦労した。
 あれも中川五郎氏から「たま」の知久さんまで多人数の高名ミュージシャンが出るイベントだったが、終了時間は迫っているのに、中には時間配分を守らない方もいて、幕間で見ている我は、時計見つめながらはらはら焦り苛立ち胃が痛くなった。
 客が集まらずコンサートの赤字の件も含めて、失ったものも多く、その後は一か月も冗談ではなく疲労と落ち込みで寝込んでしまった。

 今回も司会進行役を務めながら、久しぶりにそのときのことを思い出した。いや、そのときの気分がすこし蘇った。
 予定している終演時間は迫っているのに、先が見えずどんどん遅れてしまい焦り苛立ったことも今だからここに告白する。
 むろん多人数出られる企画なのだから想定内のことだけど、9時半を過ぎてもさらに続くとなると、遠路から参加している人は、打ち上げ以前に慌てて帰らないとならなくなる。
 このところはコロナ禍もあって早く始めて終演も午後8時頃ということが続いていたので、我としては、昨夜は久々の遅延にかなり焦った。
 それでもコンサートは何とかその9時半少し過ぎたぐらいで無事終演でき安堵したし、最後の最後に我は花束を受け取るという思わぬサプライズというウレシイ驚きもあった。

 まあ、その最終回も毎度のことながら我としては慌てふためき、あたふたしたが、ともかく終わって本当に良かった。いつもながら満足のいく良いコンサートだったと自分は思う。
 良いうたと良いシンガー、ミュージシャンと出会え我は幸福であった。我のワガママをやさしく快くいつも赦してくれたかけこみ亭ぼけまる氏にまず心から感謝をささげたい。
 その望外の幸福を今後とも維持、続けていくためにもまずは、混沌と化したわが人生を、少しでも少しづつでも整理し直して、やがては新たな音楽にかかわる人生をスタートさせたい。
 そう、こんな自分にもまだ夢がある。

 いっぱいいっぱいとなってコップから溢れ出たミルクを、まず溢れ出た分から拭き取っていくことだ。そのうえで、その中身を飲み干し減らして少しづつ減らしていく。カラにはできなくてもその行為こそが老後を生きることだろう。
 なんであれ、それはできる、きっとかなうと信じて。

 ※これからはブログできるだけ定期的にきちんと更新していきます。お時間のある方、ぜひお付き合いください。
 季節は本格的冬に変わったけれど、自分の中の季節もこれでやっと一つ先へと動いた。

さあ、新しい年に向けて2021年12月22日 08時58分42秒

★まだ人生が続くならば
 
 共謀コンサートの最終回を終えた晩は、毎度のことだが、なぜか気が昂っていてなかなか寝付かれなかった。
 それでも朝もさほど寝坊できず、結局、深く寝たのはその晩からで、父不在の日ということもあり、寝坊もしたが、昨日の午前は、コンサートの収支決算に頭痛めて、未払いに気づいた方には振り込みに出向いたりと慌ただしく、朝昼兼用の昼食をとったら午後はどっと疲れが出、起きてられず、少しの午睡をと思ったら夕方までひたすら眠ってしまった。いま一番昼が短いから気がついたら外はもう暗かった。
 大慌てでその日発送しなければならない注文本三冊を在庫棚から探し出し、梱包して7時直前に郵便局に持ち込み発送することができた。
 で、結局、昨晩はそんなことしかできないまま友人とメールや電話でやりとりしたら眠くなってきてまた起きてられず猫や犬たちに餌だけやったが、すぐ床に就いた。
 なんか、今年一年は日々こんな感じで、やることに追われて何とかそれだけは終わらせているけど、他のことは何もできず疲れ果て寝てしまい一日が終わる、ということの繰り返しであった。
 今朝も、いつもよりは寝坊してたっぷり眠った。ようやく疲れと睡眠不足は解消してきた気がしている。が、今日の夕方からは父が施設から帰宅して明後日、いや、土曜日の朝また送り出すまでウチで3泊する。
 またかなりこちらは疲れることは必至だから、どこまで持ちこたえられるか、だ。
 しかし、ともかく皆生きていて無事に人生が続いていくのは有難いことだとつくづく思う。
 何であれ満足はいかなくともやるべきことが、ともかく終えられる、終わっていくのならば。

 この「共謀コンサート」も、繰り返しになるが、父が生きているうちに終わらせることができて本当に良かった。いや、終えられて、良かった。
 施設に預けることが多くてもこの家で、父が生きているという状況があったから続けられたので、父が逝ってしまえば、我一人でその後の様々な「後始末」などに追われてコンサートどころではなくなり、精神的、経済的にも多分何となく続けることは難しくなって「自然終了」していたのではないか。
 じっさい、今でさえ既に限界間近で、今回もほとんど寝てない状況で、よくほぼ立ちっぱなしで6時間以上も倒れずに動き回れたと自分でも感心している。
 終えて帰り道、車を運転しながら、時おり意識が飛んでハンドルもふらつき危なかった。事故を起こさぬよう慎重にゆっくり帰った。
 このところそんな感じで、まだ本当の取り返しのつかないことは起きていないが、毎回、綱渡りのようなことが続いている。まさに神の加護があってのことだと思える。

 体調的にも、恥ずかしい話だが、このところ尿失禁が続いていて、持病の一つ「過活動膀胱」はさらに進んだのか、尿が溜まってくると、意識したとたんトイレに行くまで我慢できずに漏れ出すことが多々ある。
 眠っていてお漏らしはまだないのだが、早朝とか起き抜けにトイレにかけこむまでに我慢できず下着に漏らすことは始終だ。
 今回も、実は父の尿漏れ紙パンツを穿いてコンサート当日は臨んだ。幸い気が張って汗もかいていたので、垂れ漏らすようなことはなかったが。
 コンサートが終わる都度、忘れものはないかとあれこれ不安になり、次にかかった経費と得た投げ銭の額などの収支決算をするのだが、このところ何回かは一度も計算が合わない。1万円は超えないが必ず何千円か足らずに何度も計算しては頭痛めてけっきょく投げ出してしまう。
 今回も、出演した方たち全員に、交通費として「お車代」は渡したと思ったが、一人、払った額のリストに名前がないことが気づき、翌日メールしたらばやはり貰っていないとのことだった。昨日、その人の口座に振り込みに行った。
 終演後の多忙は言い訳にはならないが、こんなことの繰り返しで、自分でももう頭がおかしくなってると心底思う。目もろくに見えないし、ギター弾くにも指は動かない。歌うのも声が出ない。
 家のこともだが、抱えているものが多すぎて処理対応できなくなってきている。このままだと、大きな失態、事件・事故が起きるかもしれない。
 例えば、また交通事故とか火事を起こすとか、とても大切なものを紛失するとか。
 そうした怖れに囚われはしないが、危機は回避できるはずだし、そのためにはともかくこれ以上手は広げずに、少しづづでも抱えているモノゴトを減らしていくしかない。戦略的撤退である。

 コンサートは、また機会あらば名称は違えど再開はできよう。いまは、ともかく体調を戻して、いっぱいいっぱいになってしまったこの人生を少しでも軽くしていくことだ。
 本当にこれ以上の荷は背負えないし、老いていく身には、できるだけその荷は軽くしていかねばならない。
 そうして本当に身軽、気軽になったらば、どんなことでも何でもできるだろう。家も広く大きいはずなのだから、もっとすっきりさせてまた皆で集まれるようにしたい。
 何としても来年のクリスマスには、コロナはどんな状況かはわからないが、また皆で拙宅で音楽パーティが開催できるよう、希望と期待をもって皆にお約束したい。

大晦日に思う2021年12月31日 09時05分52秒

★この1年とこの10年を振り返って

 今年、2021年も今日一日となった。外はさほど冷え込みはしていないが、雲が多くどんよりとした冬日の大晦日である。
 いま、これを読んでくれている方々にとって今年はどんな年であったか定かではないけれど、ともかくまた一年が終わり、また新たな年を迎えられるのならば、それはとてつもく「良いこと」だと我は今思う。
 そう、生きているだけで有難い、のだから。
 また今年も多くの得難い人たちの訃報が届いた。我よりも年下で逝った方もある。かつていろいろお世話になったライブハウスのマスターも亡くなられた。思い出とともに様々な感慨がわく。

 さておき、まずは我の今年一年のことを振り返って書き記したい。誰もこんな人間について関心などはないだろうが、備忘録として自分のためにも記しておく。2021年はこんな年だったと。

 毎年のことだが、今年も多事多難で、実にたくさんお金を使った。金が使えたというのは、その分の収入というか余裕もあったわけで、ろくに働いていないこの身で、どうしてそれができたかという話は後でするが、本当にあれこれ頭悩ました年であった。

 いま、これを記しているのは、大晦日の夜9時前である。
 書き始めたのは、朝のうちだったが、あれこれ年内にやらねばならぬ雑事や買い物もあって、雪が降りそうな寒空の下、今日も相変わらず忙しかった。予報では、昼前後から霙とか湿った雪のマークが付いていたが、幸い降ることはなかったので助かった。

 このところ、今が人生最悪の時かはともかく、「今が苦難の時」と自らに言い聞かせて、この数年が過ぎていく。
 先日、久々にマジマジと自分の顔を鏡で見たらば、いつの間にか眉間に深いしわが刻まれている。韓国の大統領で、盧泰愚という人がいたと記憶するが、彼のように常に消えないシワが眉の間に我も残るようになってしまった。
 それだけこの数年、日々悩み頭抱えることが続いたからだろう。それもまた然りである。

 この一年を振り返る前に、まずこの10年のことも記さねばならぬ。
 今年2021年は、あの東日本震災からちょぅど10年目の節目の年で、いま住んでいるこの家は、その大地震のほぼ当日近くに完成した。
 あの3.11の日は、いちおう大工仕事は終わり、ほぼ完成となった家の台所部分の床を我は友人と自ら柿渋を塗っていたのだった。
 そのとき、母は、卵巣が原発の、かなり進んだ癌の摘出手術を終えて入院中で、我としては何としてもその改装・新築となった家で、母と父と三人でまた暮らせることをひたすら祈っていた。
 幸いにして、その手術は成功して、母はりとすぐ退院でき、以後数年間は、再びまたほぼ元の日常生活をこの家で送れるようになった。
 しかし、癌はまた必ず再発するもので、手術を担当した外科医からも言われていたが、取り切れていない癌の部位は体内に残っているからやがて再発するだろうとの予告通り、癌の部位は再び肥大し始めて、けっきょく2016年の年明けから母は体調崩し、あれこれ治療を試み何度かまた手術や入院を繰り返した挙句、この新築となった我が家で、その年9月に息を引き取った。
 手術を終えて退院して5年目のことで、そして母の死からまた5年が過ぎて今年となったということになる。

 10年ひと昔という言葉もあるが、10年というのは、いろんな節目、モノゴトの経年の節目であり、この家も内外あちこちでいろいろ劣化や不具合が目立つようになった。
 ウチがゴミ屋敷と化したのは、我の個人的問題であり、それはさておき、外装も屋根も劣化が目立ちそろそろメンテナンスしないと雨漏りやひび割れの怖れも現実問題となってきた。
 その上さらに問題は家電製品全般で、元々父母たちが暮らしていた部屋のエアコンは壊れて修理もできず交換部品もないと言われそのまま使用できなくなったし、長年使ってきたオーブンレンジも先年壊れ買い替えたし、いくつかあるトイレもすべてウオッシュレットが使えなくなったり難儀を極めるようになった。
 ウチはこのところ冬は、火事が怖いので掘りごたつは止めにして、父が食事とる居間は、電気カーペットを敷いて、その上に布団被せてコタツ代わりにしているのだが、去年まで使っていたのが壊れたのでこの秋に新たに買ったのも先日早くもスイッチが入らなくなってしまった。
 さらに、今父が帰宅時に寝ている部屋のエアコンまで、電源は入るのに、ランプが点滅するだけで起動しなくなり、さてこの冬はどうしたものか深刻に悩んでいる。
 そのどれもメーカーに電話して相談したところで、保証期間はとうに過ぎて、修理部品のパーツの保管期限も過ぎていると処置なしと言われて、全部新たに買い替えなくてはならなくなった。
 しかし、エアコンにしろトイレの便器にしろ、今は、部品の半導体不足で、商品の在庫がそもそも少ないとのことで、その工事費のことも含めて今現在買い替えには至っていない。

 さらに加えて、そこに我のパソコンがこの夏突然クラッシュしてしまい、メーカーまでもあちこちに修理に持ち込んだが、けっきょく手の打ちようがなく、仕方なくまた新たに一台買い替えることとなった。
 そこに、また後ろ脚にケガした猫がこの夏登場して、その治療に、入院費や手術代も合算すると40万円を超えた。
 一昨年の、やはり脚に大ケガして一本切断したキジ子が退院時に総額の支払いで50万円かかったが、ほぼそれに匹敵する額になってきている。
 その猫、しんのすけ君は、幸いにして脚は落とすことなく多少の障害は残るようだが、無事元気に今もケージの中で療養中だから、それはそれで良かったのだが、そんなこんなで本当にものすごく金が出て行った年であった。

 先だって、車の車検でもメンテナンスも加えてとことん不具合のあるところを修理・交換してもらったら購入時20万円の車に11万円かかったし、そんなこんなで金は飛ぶように消えていった。

大晦日に思う・続き2021年12月31日 21時33分15秒

★どこからその金があったかというと

 実は、亡き母が、この我に積立貯金のようなものを残してくれていて、それが今年、突然振り込まれた。
 その額が約100万円~。壊れた電化製品をいくつか買い替えたりはしたものの、主に猫の治療費や増えた猫たちの餌代、さらにパソコンを買い変えたりもしたので、もう一銭も残っていない。それどころか足らずにまた貯金を取り崩している。
 昔、内田百閒の随筆で、借金王でもあった彼が、いみじくも書いていたことが頭をよぎった。「金とは自然現象である」と。
 つまり雨風などと同じく、人為の成せることではないということなのだろう。そのときは、意味が分からなかったが、今はそういうことか!と。
 入ってきても金は右から左に消えていく。手元に残ることはない。自然現象だから自分ではどうすることもできやしない。しかし、それでも使える金が入ってきたことはともかく有難く助かったわけで、亡き母の愛にただ感謝するしかなかった。

 むろん金の工面で頭を全く悩まさなかったということでは全然ない。
 いまも、これから来年のことで、さて支払いどうしていくか考えるとまたまた眉間にしわがよるけれど、まあ、汝、明日のことは思い煩うなかれ、と母がよく聖書の言葉から言っていたように、まあ何とかなるだろうと今は思う。
 確実に毎回自腹切って持ちだしていたコンサートのお金もその企画がなくなったので、出費は減るだろうし、猫の治療も間もなく完了する。
 願わくばまたケガした猫が登場しませんように。

 そんなこんなで、この10年のツケ、というかその歳月からの限界が露になって全てが一気に押し寄せてきた大変な今年であったが、一言でいえば、どう思うかと問われれば我は答える。
 今年もまた良い年、それもとてつもなく良い年だったと。

 そう、信じられないほどの歳となった父もまだ何とか生きているし、我も体調不調でも無事生きてこうして好きなことがやれている。犬猫たちも数が増えてその世話がタイヘンでも共にみな生きている。そう、生きているだけで丸儲け、損も得もない。それだけで良いのである。皆、まだこちら側にいるのならば。それは素晴らしくとてつもなく良いことではないか。
 我にはまだ夢と希望がある。

 果たして来年何が起きるか、父はどうなるか、あれこれ心配し先行き悩んでも意味ないことだ。
 ともかく一日一日、少しでもそのときできる、すべきことを少しでも少しづつでもやっていくだけだ。そして何事も逃げずに後回しにせず、きちんと向き合い、きちんとすっきりはっきりさせていく。
 コロナでなくても人は死ぬ。先のことはわからないからこそ、希望をもって生きていこう。きっと良いことも必ずある。

 皆様にもご多幸と神のご加護がありますように! ただ神に感謝、である。