階段転落事故詳細報告・前2022年03月10日 10時52分24秒

★4日目が過ぎてようやく動けるようになってきました。

 世界はいま、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻から、EUとアメリカも交えた第三次世界大戦、しかも核兵器使用の可能性が高い大戦前夜の様相を呈している。
 そんな最中、こんな我の卑小な事件を記すのは心苦しいが、ともかくまずこれを書き記し、ほんとうに今回こそ悔い改め新たな人生のスタートを切るためにもまず今回の一件を詳しく報告したい。

 今年は、母が逝ってから6年目の年で、仏式では、七回忌の年となる。
 我としては、母や先祖の墓を擁する町田のお寺で何かすることはこのコロナ禍続く状況もあって何も予定していない。また、そうした式の場を設けても親族は皆高齢化が進み誰も参加するものもない。
 が、気持ちとしては、今年を機に、父もいよいよ末期を迎えて、我が人生をきちんやりしたい、再構築しようと誓うところがあった。
 それもあって、昨年末で長く続けてきたコンサートの企画も終わりにしたし、繰り返し書いてきたゴミ屋敷と化した家の片付けに専念して、我が人生と家そのものを再生させたいと期していた。

 ところが、今年は年明けからやたらトラブルが続いて、いや、正確には昨年夏頃だが、パソコンが壊れクラッシュしただけでなく、子猫が外で脚を大ケガして入院と手術と病院通いで何十万もかかったり、年明けからまた別の猫がやはり歩けなくなったため毎日レーザー治療に通ったりとともかく慌ただしく「けんあん」のことは何一つ進められなかった。
 さらに我の左指が父の入れ歯の針金が刺さりパンパンに腫れて病院通いすることにも。
 
 ただ、ようやく今月、春弥生、三月に入り、猫たちの件も収まってきて、小さなトラブルはまだ多々続いているが、温かくなってきたこともあり、気持ちとしては前向きに、アグレッシブになって、苦難の時は過ぎ去りた、さあ頑張ろうとやる気も出たところだった。
 長く厳しかった冬は過ぎ春が来た!これから、ここからだと。

 手のかかる父もロングで介護施設に預けられたし、今の我の唯一の収入源である古本稼業ももう一度きちんと出品数を増やして、定収増を目指そうとAmazonマーケットプレイスの「誠実迅速ますだあーと書店」用に検索する本類を選択し二階に上げようとしていた。

 3月6日の夜、9時半頃のこと。我は、軽く晩酌がてら晩飯を食べて二階に上がって携帯とか持ってまた下に降りようとしていた。
 拙宅に来られた方は、ご存じだと思うが、ウチの二階への階段はかなり急で、しかも今は各段すべてに半分ほど雑誌や本が壁に沿って高く積み上がり場所を占めていて実際に歩けるのは、半分ほどの狭小なスペースになっている。
 バカな我は、その狭い通り道にも、二階へ上げる予定の束ねた本や雑誌の括りを置いてしまっていたのだ。
 
 今回、我は、二階から下の階へ降りようとして、そうして無造作に置いた雑誌などの平積みにしてある束に足を置き、下の段に降りようとしたとたん、その束が崩れ落ち、我はそのまま仰向きのまま転落した。
 階段から足を滑らせたのではない。踏み歩く狭いスペースに雑誌の束など置いて、そこに乗っかったため平積みの束が崩れたからである。

 そのまま一階の玄関、上がり框まで落ちたわけではなく、ウチはいま玄関も本や雑誌の山で埋まっているから、階段中ほど左側に立ってる角柱に我の身体は胸から一気にぶつかりそこで止まった。六段ほど落ちたかと思う。
 右の胸、肋骨側を激しく柱に強く打ち付けた。息が止まった。肺が潰れたかと思えた。

 足元の本の束がずるっと崩れ落ち、あっと思って体は滑り落ち、柱にぶつかるところまではっきり記憶があるが、それから後はおぼろげである。
 気がついたら一回の廊下で前屈みになって、つっぷして荒い息をしていた。痛みのあまり息もできなくてしばらくそこで動けなかった。
 少ししてぶつけた部位を触ってみて、骨折したような骨には激痛はないと判断してどうしたものかと考えた。ただ胸も肺も痛くて息もよくできない。どうしたものだろう。

 携帯で女友達に電話して事情を話して相談したらば、すぐさま救急車呼んで救急外来に行け、と諭された。
 自分としては、もう夜も遅いし朝まで様子見て、明日になってからと考えたが、彼女の説得でともかくまず救急外来で診察を受けることにした。

 まだかなり痛みは激く歩くのもやっとだったが、必死で車のところに行き、幸いエンジンはすぐかかったので、救急車を呼ぶことなく自ら一番近くの夜間の救急外来があるTS会病院へ向かった。
 10時頃には着いたと記憶する。夜間でもやはり何か急な体調変化が起きたのか子連れも含めて様々な世代の男女が数名来ていた。
 幸い救急車などでの緊急搬送の患者はなかった晩で、ただ人気のない待合室で皆静かに陰鬱な顔して診察を待っていた。