戦争の素顔はいつも同じ2022年03月14日 12時10分29秒

★一日も早い停戦とウクライナに平和を!

 体調はまだ戻ってなく、咳をすると胸の痛みに響いて苦しいが、ともかくいま、ウクライナで起きていることに対して、コロナ禍で不自由を強いられようと、平和かつ安全な日本から少しでも何かアクションを起こすことができそうなので気持ちはやっと少し上向いている。

 が、それにしても不思議なに少し思えるのは、この戦争に対して日本人は、存外冷ややかに、あえてコメントや反応を控えてじっと様子見を決め込んでる人が多いように思えることだ。
 我の周りのサヨク系の人、仲間だと思っている人たちからもコンサートの呼びかけに対して反応はなぜか少ない。
 確かに報道は、アメリカやEU、西側の視点で偏ったものだという指摘は外れてはない。ロシアが絶対悪、ウクライナは正義、善であり、正気を失った独裁者に率いられた大国が小国を支配、併合するために起こした言語道断の暴挙だという論調である。
  一方、それはフェイクニュースではないとしても、ロシアだけが一方的に悪いわけではなく、ウクライナ側にも非があり、ロシアはやむにやまれぬ状況から攻撃を始めたという擁護論もオールド左翼の人たちには根強いようだ。
 そうしたこともあって、今回の戦争に対して、サヨクの側こそ冷ややかな対応、だんまりを決め込んでいる人たちが多いのであろうか。
 
 確かに、戦争とは、当事者国のどちらかが絶対正義で、どちらかが悪だと断定することはとてつもなく危険なことだと我も考える。
 そう短絡的に決めつけて、我も当初は、ウクライナという国家に全世界的な支援を、不幸な目に遭っているウクライナに栄光あれ、と考えもした。
 チャリティなどで寄せられた資金は、ウクライナ大使館に持参しようと考えていた。
 だが、ウクライナ大使館側のロシア憎しからのロシアの都市と姉妹都市にある日本国内都市への「断絶」「断交」の呼びかけや、ロシア文化やロシア語教育機関を持つ施設、大学等へのロシア語科排斥要請の「干渉」を知るにつけ、これはどちらか一方の国の肩を持つことは、戦争の本質を見失うことだと気がついた。※全世界のハッカーに向けてロシアへのサイバー攻撃の要請も同様であろう。
 
 今さら言うまでもないことだが、国家と国民はまた違う。日本はいま、自公政権の国家だが、国民は皆全員が、今の内閣も含めて自公を支持しているわけではない。
 政権を強く批判し抗う国民も少なからずいるわけで、例えば、日韓関係、慰安婦の問題など一つをとっても、政府の見解、立場とは相容れない人たち、――我もだが、一定数存在するのである。
 ロシアという国家が憎いから、ロシア人もロシア文化さえも同様に憎い、憎み排斥すべきだという思考、行動は、第二次大戦中の在米日本人、日系人を強制的に収容所に送り込んだ思想と完全に重なると言えよう。
 ロシアにも反戦を願い、戦争を厭い心痛める人たち、経済封鎖で苦しむ市民が多数存在していることを想像すべきではないか。
 また、我はかつてのベトナム戦争をよく知る者として記すが、私の家など左翼系の人たちは、誰もがベトナム人民支援のカンパに精出した経緯を持つ。

 確かにあの戦争はアメリカ帝国主義の東南アジアへの侵略戦争であり、義は確かにベトナムの側にあった。
 しかし、今思うとベトナム人民支援ということは、とりもなおさず結果として北ベトナムという国家に対しての軍事支援でもあったわけで、反戦、反米というスローガンと同様に、我々は、アメリカ人、参戦した韓国人兵士たちを殺す武器のためにも金を出していたのだと今さらだが思い至る。
 むろんそうした世界各国の反戦と平和を強く望む民主的思想を持つ一般市民たちからの多くの支援カンパや反戦行動によりアメリカはベトナムの地から撤退し戦争は終結したのだから、その時点では間違いなく良いことであった。

 しかし、今だからこそ、このロシアとウクライナの戦争において、我々は一方の国家を軍事的に支援すべきであろうか。
 むろん大国による力による現状変更、小国の民族自決権が失われる異常な事態においては、その戦争に正義はある。国家が抗うには理由がある。しかしそこに他国がまた参戦してしまえば、戦火と戦地はさらに拡大していく。
 ならば、ロシアのさらなる暴挙を絶対阻止するためにも、ウクライナに武器を供与して頑張って抗戦してもらいたいという思惑も理解できなくはない。

 世界情勢というのは複雑で、おいそれと答えは出てこない。ただ、核兵器による脅しがあったから、日本も核兵器を日本国内に共有保有すべきだという論は、あまりにも短絡的であり浅はかだと言うしかない。
 ならばすべての国家が核兵器を保有すればこの地球から戦争や紛争がなくなるのか、ということだ。
 なくなるどころか、不慮不足の偶発的な事故や核のボタンを握った狂信的独裁者の暴走により、世界中が全面的に核戦争となって、人類のみならず地球上すべての生命が死に絶えることは間違いない。

 そして改めて気づくことは、戦争の素顔は、何百年たとうと同じだということ。
 戦争は常に、正義と平和のため、というリクツの仮面をかぶって始まる。しかし、正義はどちらの国にもあるし、平和と安定のためという名目で軍事施設のみならず病院や避難施設させ攻撃し、兵士のみならず一般の市民さえも殺戮するのである。
 当事者国は対世界的には、正義はこちら側にあると胸を張り、相手国を誹り、攻撃を与えるためには情報操作、サイバー攻撃も含めて手段を択ばない。
 そして国内的には、反戦の声は押しつぶし自由な言論は統制され、常に正義はこちらにあり勝利の日は近いと、悲惨な真実は隠された「大本営」発表に励むのである。
 大東亜戦争を体験した母が生きていたら何と言ったか想像に難くない。まったく、今も昔も戦争はどこの国でもおんなじだね、と。

 だからこそ、だからこそ、ともかくこれ以上、ウクライナの地で砲火の音に怯え逃げ惑う市民たち、老人や妊婦、病人たち、そして子供たちが一人でも殺されないために、何かできること、声をあげたいと願う。
 「戦争反対!」ウクライナに平和を!!
一日でも早い停戦を願い祈って人道支援と連帯のアクションを起こしたい。