すべての終わりを前にして、今 ①2022年05月01日 07時30分36秒

★何ができるか、何をすべきか

 5月に入った。風薫る爽やかな季節のはずだが、今年は雨が多くほぼ二日に一度は、雨模様。晴れても翌日はすぐまた曇りとなり短時間でも雨の降る日が続いている。

 今日も朝からどんよりとした曇り空で、昼過ぎからまた雨が降るとの予報である。
 今日から5月、ということは、今年も三分の一が終わったことになる。この1月から4月までの四か月、本当にあれこれ次々とトラブルというか、多事多難なことが続いた。
 正月から三本脚の猫の歩行困難からの病院通いが続き、またまた昨年暮れに産まれた子猫五匹の飼い主探しとその受け渡し、さらには、我自らの自宅階段から足を滑らせて転落、右の肋骨の軟骨にヒビが入り完治まで一か月かかったこと。

 それに加えて、我が老父が、先月半ばには、滞在していた介護施設で尿に血尿が出て救急往診を頼む事態となった。一時期は救急車を呼ぶことも考えたほど体調が悪かったらしい。
 幸い現在は、血尿は収まり未だ原因は不明だが、その件は落ち着いている。が、先だっては、彼の入れ歯、上下一つづつ入ってる部分入れ歯の一つをトイレで落として失くしてしまい、近くの歯医者にすぐ連れて行ったが、超高齢ということもあって、医師は誤飲の可能性を怖れて新たに作ることは検討するとして、父は今も左の奥歯の入れ歯はないままだ。おかげでやはり食べづらいのか、このところ食事介助がタイヘンになってきた。

 さらに一昨日は、長年使ってきたウチの二槽式洗濯機の脱水槽が壊れてついに回らなくなり、洗濯自体はできてもそれを脱水することは不可能となった。仕方なく手で必死に絞って干すことにしている。
 新たに同様のタイプを中古で買うことも検討しているのだが、二層式のタイプはもう今ではリサイクル店でも出てなく、どうしたものか思案中だ。※我は、このタイプの洗濯機しか使ったことがないし、簡便な現在の通常のタイプは粉石けん使用のため使う気はない。

 その他、先週の日曜には、近くのドラッグストアで、店に入ろうとしたら自動ドアが誤作動し、我は頭を強く挟まれる事故に遭い、幸いケガなどはなかったものの、メガネの柄が折れて使えなくなった。
 店側と交渉して、メガネの購入時の代金の半額を補填してもらうことで合意したが、個人的にはどうにも納得できず、一昨日は、立川の法律事務所に出向いて、弁護士と会い事案として相談してきた。
 その他、些末なことも多々まだまだあるが、ざっと思いつくだけでも面倒な事案はこれほどある。※猫は高価なレーザー治療が効果あってか再び三本脚でも歩けるようになりました。

 自分でもまさに多事多難と言うしかなく、何でこんなに次々と面倒なこと、頭を痛め時間をとられることが続くんだろうと情けなく思う。いったい何がいけないのか。
 我が身の不徳、自業自得だとしても、何で今それが次々と続いて起こるのか。

 昔なら、面白おかしく拙ブログに自嘲的に「報告」として、愚痴的に書き記すこともしたが、じっさいにその渦中にあるときは、ともかく慌ただしく対応に追われ頭がいっぱいで時間も気持ちも余裕がなく、とても落ち着いてブログなどに書く時間などなかった。
 このブログが先月はかなり長く空いてしまったこと、申し訳なく思う次第だが、そうした事態であったこと、どうかご容赦いただきたい。
 ごめんなさい。

 本当に、ただただ情けないとしか言うしかない。人生とはかくも面倒なものなのかと自ら呆れ果て嘆息している。
 かといって、メンド―だからもうや~めた、と逃げることも自ら自死して終わらせるわけにもいかず、老父や多頭飼いの猫たちを抱えて、ともかく必死に日々何とか生きている。

 そう、思えば、先だっての階段転落事故もだが、我も入院などに至ることはなく、父も衰弱はかなり進んだものの、ともかく今現在は我らはまだ「生きてている」わけで、それだけでも良しとするしかない。※胸のケガはもう打ち付けた部分を押しても痛みはほぼ消えた。ご心配おかけしました。

 先日は、敬愛する偉大なシンガー小坂忠さんの訃報が届いた。、一度は彼の教会に出向いて、ゆっくり音楽の話をしてこようという悲願はかなうことなく、彼は先に天に召された。

 先に逝かれた人たちに対して様々な思いがわく。きちんと「追悼」したいしすべき義務のようなものがあると思うが、ともかく我が身は一つで、時間に限りあり、あれこれ日々の雑事が優先されて、まずそれを片付けないことにはとてもゆっくりブログも書けやしない。
 秋も落ち葉掃きなどで庭がある家は忙しいが、春もまた樹々は鬱蒼として来て、伸び行く枝の剪定などしないとご近所がまた騒がしい。

 このところ我に強く湧き上がる思いがある。それは、すべてに「終わり時」が来ている、近づいているという「感慨」だ。父の命も我自身の人生も。
 その終わりの時を前にして、まず、ならばこそ何をどうすべきなのか。断捨離などしている人は、まだそのための時間がとれるのだから幸福だと断言する。
 世界の終わりを前にして、マクロ的に、そして日々の雑事などミクロ的にやるべきこと、やっておかねばならぬことがまだいっぱいある。
 人生を破滅的に、自滅的に終わらせるのではなく、少しでも建設的に、後顧の憂いが少なくなるよう、我にできる、すべきことをやらねばならない。

 トートツなお知らせだが、今月、5月14日(土)、谷保かけこみ亭で、コンサートを企画した。盟友太田三造さんと謀って『三密クラスターズ解散&反戦フォーク・クラスターズ結成記念コンサート』だ。たぶん、我にとって自らが出て歌うライブとして最後になるかと思う。
 先だってのウクライナ人民支援、反戦を願うコンサートのようなライブ企画はこれからも続けるかもしれないが、もう趣味としての「音楽活動」はこれで終わりのときが来たと感じている。
 うたい納め、として、もし私マスダの拙いうたと楽器に関心などある方は、ぜひお越しいただきたい。生配信などの予定はないしする気はない。ぼけまるさんに倣って、自分のフォークソングの歴史を語りつくしたい。
 簡易チラシを昨日つくって、観たいライブもあったのでかけこみ亭に持って行った。後ほどアップします。