近況報告・まとめ~これまでを振り返って ― 2022年05月30日 11時31分24秒
★さあ、本当に人生、今またスタートだ。
というわけで、あれこれ報告してきたが、今思うと実際、何でこんなにトラブルばかり続いたのだろうか、自問している。
昨年の長年メインに使ってきたデスクトップパソコンが突然クラッシュし、それまで溜めてきたデータが完全に消失したことから、次々と家電類が壊れ対応に頭悩まし、年明けからも新たにまた猫たちの病院通いが続き、昨年からの出費は数十万円となった。※計算してないが、トータルで去年から今まで計50万以上猫たちにお金かけた。
我自らも、先に報告したが、この4月6日の深夜、自宅二階の階段から滑り落ちて、途中の柱に右の胸部を強く打ち付け、腰も含めて病院通いが続いた。幸い胸は軟骨にヒビが入る程度のケガで現在は完治したものの、完全に痛みが消えるまでは一か月以上もかかったから、かなりのケガだったと今思える。
実際のところ、下手すれば内臓や、肺自体、さらには脊髄も損傷した可能性も高く、今回も運良くというべきか、神のご加護があって大事に至らず回復できた。
さらには、先日は、近くのドラッグストアに入る時、何故か店の自動ドアが誤作動?し、頭を挟まれてケガはしないまでもメガネの柄が折れてしまい、店側と対応の協議にずいぶん時間と手間をとられた。
けっきょく、店側が、見舞金?として、メガネ購入時の代金の半額程度は出してくれることになったのだが、そもそもそのメガネを作った時の記録がみつからず購入時の代金も不明で、こちらにとっても相手にとっても面倒な事態となった。
ロス・マクドナルドのハードボイルド小説本のタイトルのように、自分にとって、『トラブルは我が影法師』と心得て、この人生に付き物だと、覚悟もして今まで生きてきたのだが、さすがにこうひっきりなしだと困りもするし、悩みもする。いったい何でだ、いつまで続くのか、と。
自業自得、という仏教用語があるが、まさにある意味、自らが招いたことでもある。我が不徳、愚かさの故のことであるのだろうか。
まあ、自ら蒔いた種なのだから、自ら刈り取らねばならなかっただけのことだと言えよう。
ただ、今思うのは、それもまた仕方のないことであり、起こるべくして起きたことだということだ。
長年使ってきた電化製品も、こまめに手入れしてきたならともかく、ほとんどほったらかしで何のメンテもしなかった。
さらに今の家電は、約10年未満でたいてい買い替えの時期が来るのだから、壊れるのも当然のことであり、そのときに備えておくべきだったのだ。
また、自らが招いた事故などなども、まず身体の老化も進んできたのだから、階段に物など置いて危険な状態にしてきたことからの不注意が原因で、いつか起こるべくして起きたことであり、歯の治療等も含めて事前に大事に至らぬよう、常にメンテナンスしていくしかなかったのだ。
ただ、今はそうした頭悩ましてきたことは、とりあえずはほぼすべて解決して、猫たちも数は多いけれど皆病気もケガもせず元気でいるし家電類の買い替えも完了した。歯の治療、入れ歯も新しく作り直したのが完成する。
自分でもようやく苦難艱難の時は過ぎ去った、と、これからは良くなっていく気がしている。
しかし、考えてみると、実のところ良くなったのではなく、ようやく元に戻った、また元の状態に返ったということだけなのだとも気づく。
何も新しく良くなったわけではない。が、これで様々な些事に囚われず頭悩まさずに、真にやるべきこと、やらねばならないことに専念できるわけで、そう考えると、間違いなくこれは良いことなのだと思える。
実際のこと、我は、「外圧」というべきか、外からの働きかけがない限り、自らでは動き出さない。つまり自分では「変われない」怠け者なのだから、いつかやらねばと思いつつ、やらなかったことが、結果としてやらねばならなくなったわけで、それはそれで良いことなのである。
メガネもそろそろ作り直さねばとずっと考えていたのだが、先延ばしにしてきたのを、今回新たに作り直せたわけで、やはり新しいメガネは良く見える。※今のメガネはどれもレンズはプラスチックだから、長く使うと見えない細かい傷が付き、度数は変わらなくても視力が落ちてくることが今回わかった。
また、壊されたメガネの一件では、共産党のやっている無料法律相談に出向き、立川の法律事務所の弁護士の方と相談し知り合えたことも自分にとって僥倖だった。やはりこんな人間だからこそ、今後逮捕されたときなどに備えて、弁護士と連絡先はとっておく必要がある。
そう考えたとき、起こること、起きたことはすべてまた意味があることであり、その時は大変でも過ぎ去れば、これから先へ進むための必要なことであったと気づかされる。
今まだ気になること、心配かつ気がかりなことは、老父の今後のことだが、幸いまだ好不調の波があり、介助はさらに大変にはなってきたものの、今はまだ何とか介護施設に行くこと、利用は可能なので、一日一日しっかり様子見て対応していくしかない。
先のことをあれこれ悩み心配しても意味はない。ただ、常に「そのとき」に備えて、心も状況も覚悟と準備しておくだけだ。
また後ほど別稿で記すが、我の「音楽活動」もとりあえずこの一年間は「自粛」して、その間、しっかり積年撮り・録り溜めた映像や画像、音源をきちんと整理、確認して、データファイルとしてアーカイブ化していく作業に本腰を入れたい。
実は、先日、フォークファンの篤志家の方から、そのための多額の基金を預かった。デジタル化のためのソフトやハードディスクなどはそれでじゅうぶん賄える。我が「責務」を今また自覚した。
この何年か、時に自らも唄い、ステージに立つこともあったが、我はソングライターで仮にあったとしても、シンガーの側ではないと改めて思い至った。
あくまでも一裏方として、素晴らしい歌い手、音楽家たちをプロデュースする側として、これからも好きな音楽の発展と記録のために、地道に作業していこうと決意した。そう、幕間から観客席を見渡した、木馬亭でのフォークロアセンター記念のコンサートの時のように。
我に残りの人生がどれぐらいあるのか、それはわからない。しかし、それが本当に良いこと、我が成すべきことならば、神は必ず味方して我を助け守ってくれると信ずる。
これまでも何度も何度も死にそこなった。いや、じっさい死なずとも半身不随になってもおかしくない事故を自ら招いてきた。
が、有難くも神はこんな愚かな我を見捨てず、その都度救い無事に生きながらえさせてくれた。そして今回経済的にも救ってくれた。
ならば、その大きな愛、その善き力に応えねばならない。
ようやく準備は整った。今さらながらだが、ようやく人生は再スタートだ。まだすべきこととできることがいっぱいある。それはとてつもなく良いこと、幸福なことだろう?
まだできる、まだ間に合うと信じて、やってこう。皆さんと共に。
というわけで、あれこれ報告してきたが、今思うと実際、何でこんなにトラブルばかり続いたのだろうか、自問している。
昨年の長年メインに使ってきたデスクトップパソコンが突然クラッシュし、それまで溜めてきたデータが完全に消失したことから、次々と家電類が壊れ対応に頭悩まし、年明けからも新たにまた猫たちの病院通いが続き、昨年からの出費は数十万円となった。※計算してないが、トータルで去年から今まで計50万以上猫たちにお金かけた。
我自らも、先に報告したが、この4月6日の深夜、自宅二階の階段から滑り落ちて、途中の柱に右の胸部を強く打ち付け、腰も含めて病院通いが続いた。幸い胸は軟骨にヒビが入る程度のケガで現在は完治したものの、完全に痛みが消えるまでは一か月以上もかかったから、かなりのケガだったと今思える。
実際のところ、下手すれば内臓や、肺自体、さらには脊髄も損傷した可能性も高く、今回も運良くというべきか、神のご加護があって大事に至らず回復できた。
さらには、先日は、近くのドラッグストアに入る時、何故か店の自動ドアが誤作動?し、頭を挟まれてケガはしないまでもメガネの柄が折れてしまい、店側と対応の協議にずいぶん時間と手間をとられた。
けっきょく、店側が、見舞金?として、メガネ購入時の代金の半額程度は出してくれることになったのだが、そもそもそのメガネを作った時の記録がみつからず購入時の代金も不明で、こちらにとっても相手にとっても面倒な事態となった。
ロス・マクドナルドのハードボイルド小説本のタイトルのように、自分にとって、『トラブルは我が影法師』と心得て、この人生に付き物だと、覚悟もして今まで生きてきたのだが、さすがにこうひっきりなしだと困りもするし、悩みもする。いったい何でだ、いつまで続くのか、と。
自業自得、という仏教用語があるが、まさにある意味、自らが招いたことでもある。我が不徳、愚かさの故のことであるのだろうか。
まあ、自ら蒔いた種なのだから、自ら刈り取らねばならなかっただけのことだと言えよう。
ただ、今思うのは、それもまた仕方のないことであり、起こるべくして起きたことだということだ。
長年使ってきた電化製品も、こまめに手入れしてきたならともかく、ほとんどほったらかしで何のメンテもしなかった。
さらに今の家電は、約10年未満でたいてい買い替えの時期が来るのだから、壊れるのも当然のことであり、そのときに備えておくべきだったのだ。
また、自らが招いた事故などなども、まず身体の老化も進んできたのだから、階段に物など置いて危険な状態にしてきたことからの不注意が原因で、いつか起こるべくして起きたことであり、歯の治療等も含めて事前に大事に至らぬよう、常にメンテナンスしていくしかなかったのだ。
ただ、今はそうした頭悩ましてきたことは、とりあえずはほぼすべて解決して、猫たちも数は多いけれど皆病気もケガもせず元気でいるし家電類の買い替えも完了した。歯の治療、入れ歯も新しく作り直したのが完成する。
自分でもようやく苦難艱難の時は過ぎ去った、と、これからは良くなっていく気がしている。
しかし、考えてみると、実のところ良くなったのではなく、ようやく元に戻った、また元の状態に返ったということだけなのだとも気づく。
何も新しく良くなったわけではない。が、これで様々な些事に囚われず頭悩まさずに、真にやるべきこと、やらねばならないことに専念できるわけで、そう考えると、間違いなくこれは良いことなのだと思える。
実際のこと、我は、「外圧」というべきか、外からの働きかけがない限り、自らでは動き出さない。つまり自分では「変われない」怠け者なのだから、いつかやらねばと思いつつ、やらなかったことが、結果としてやらねばならなくなったわけで、それはそれで良いことなのである。
メガネもそろそろ作り直さねばとずっと考えていたのだが、先延ばしにしてきたのを、今回新たに作り直せたわけで、やはり新しいメガネは良く見える。※今のメガネはどれもレンズはプラスチックだから、長く使うと見えない細かい傷が付き、度数は変わらなくても視力が落ちてくることが今回わかった。
また、壊されたメガネの一件では、共産党のやっている無料法律相談に出向き、立川の法律事務所の弁護士の方と相談し知り合えたことも自分にとって僥倖だった。やはりこんな人間だからこそ、今後逮捕されたときなどに備えて、弁護士と連絡先はとっておく必要がある。
そう考えたとき、起こること、起きたことはすべてまた意味があることであり、その時は大変でも過ぎ去れば、これから先へ進むための必要なことであったと気づかされる。
今まだ気になること、心配かつ気がかりなことは、老父の今後のことだが、幸いまだ好不調の波があり、介助はさらに大変にはなってきたものの、今はまだ何とか介護施設に行くこと、利用は可能なので、一日一日しっかり様子見て対応していくしかない。
先のことをあれこれ悩み心配しても意味はない。ただ、常に「そのとき」に備えて、心も状況も覚悟と準備しておくだけだ。
また後ほど別稿で記すが、我の「音楽活動」もとりあえずこの一年間は「自粛」して、その間、しっかり積年撮り・録り溜めた映像や画像、音源をきちんと整理、確認して、データファイルとしてアーカイブ化していく作業に本腰を入れたい。
実は、先日、フォークファンの篤志家の方から、そのための多額の基金を預かった。デジタル化のためのソフトやハードディスクなどはそれでじゅうぶん賄える。我が「責務」を今また自覚した。
この何年か、時に自らも唄い、ステージに立つこともあったが、我はソングライターで仮にあったとしても、シンガーの側ではないと改めて思い至った。
あくまでも一裏方として、素晴らしい歌い手、音楽家たちをプロデュースする側として、これからも好きな音楽の発展と記録のために、地道に作業していこうと決意した。そう、幕間から観客席を見渡した、木馬亭でのフォークロアセンター記念のコンサートの時のように。
我に残りの人生がどれぐらいあるのか、それはわからない。しかし、それが本当に良いこと、我が成すべきことならば、神は必ず味方して我を助け守ってくれると信ずる。
これまでも何度も何度も死にそこなった。いや、じっさい死なずとも半身不随になってもおかしくない事故を自ら招いてきた。
が、有難くも神はこんな愚かな我を見捨てず、その都度救い無事に生きながらえさせてくれた。そして今回経済的にも救ってくれた。
ならば、その大きな愛、その善き力に応えねばならない。
ようやく準備は整った。今さらながらだが、ようやく人生は再スタートだ。まだすべきこととできることがいっぱいある。それはとてつもなく良いこと、幸福なことだろう?
まだできる、まだ間に合うと信じて、やってこう。皆さんと共に。
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