近況報告・追記2022年05月24日 22時17分21秒

★ともかく懸案のこと、我の難題・課題を一つ一つ解消・解決していくこと

 壊れた洗濯機のことは書いた。結局2槽式の新品を新しく買った。そしたら拙ブログの読者の方からも「ウチも2槽式です!」とメールがあり、心強く思った。
 何であれ、全て新しいものだけになってしまうのは世の流れだとしても、旧いものを愛し、今もそれを用いる人は少数でも常に存在しているのだから、選択肢はできるだけ残していってもらいたいと願う。これは政治でも選挙でも同様に。真に豊かな文化、文明とはそうした多様性が許容されるものであるはずだ。
 と、いうわけで一つ問題は解決、解消したわけだが、その他の、先に当ブログで書いた我の「困った事態」のことについても、どうなったのか報告せねばならないと気づいた。

 父の部屋の壊れたエアコンのこと、そして先日事故で壊れた我のメガネのこと、そして父のこと、さらに歯の治療のことまでも。

父のことを少し報告2022年05月28日 23時17分00秒

★いよいよ最期のときが迫ってきた、か

 この、木曜の夜から、土曜の朝まで、父は介護施設から帰宅してずっと家にいる。昨日は定期の訪問診療があった。
 そんなこんなでブログ更新できなかった。

 実は、このところ通ってる介護施設から、父の体調急変の電話連絡が続いていて、先日は、早めに帰宅させ往診を頼んでかかりつけ医に来てもらった。
 体調急変と言っても、要するに日中でも起きていられず、頭が下がりうつらうつらと意識もうろうと言うべきか、反応がない状態が続いてるということで、とうぜん食事もほとんど摂れず、向こうでも対応に苦慮して心配となって、こちらに「報告」と「相談」してくるのだ。
 この春先の一時期は、けっこう食べられるようになり、落ちた体重も少しだけ戻ってきたので、何とか今年の秋ぐらいまでは大丈夫かと思えたが、
このままこうした意識もうろうの衰弱が続けば、デイケアやショートステイの利用は困難ゆえ、そろそろ終末期の病棟に預けるしかないかと思う。

 幸い、今朝はまたこの土日月と、二泊三日で、施設にお泊りには送り出せたが、ウチでの我のする介護も、さらに大変になつてきたと痛感した。
 ともかく父は食べられなくなってしまい、彼自身に任せると、柔らかくしたものでもスプーンで口に入れてもほとんどぽろぽろポタポタと吐き出してしまう。いや、口から落ちてしまい口中に入っていかないのだ。
 仕方なく我が傍について、雑炊などを一口づつちちの口の奥にスプーンで押し込み、口を閉ざして飲み込むのを見届けてまた次の分を口に入れていく。
 とうぜんものすごく時間がかかる。それでもそうすればまだ吐き戻さずに食べてくれるようだから、こうして介助して食べさせるしかない。
 施設では、人手も足りないから、けっきょくこんな風には時間かけて食べさせてはくれない。だから体重はどんどん落ちてさらにまた衰弱が進む。体力がないから起きていられなくなる。

 父に、そうして「口空けて」と促し、「吞み込んだ?」と一口づつスプーンで食べさせていると、何か希少動物の赤子を飼育している動物園の飼育員のような気持になってきた。
 まあ、じっさい、「二度童(わらし)」の言葉通り、我が父はいま再び赤ん坊に戻ってしまったわけで、百歳近いという年齢を思えば、まさに希少動物であることも間違いない。
 先のことはまだわからないし決めていないが、近く市の特定検診があるので予約入れて、父を病院に連れて行き、肺のレントゲンや心電図など詳しく検査してもらい今後のことも相談してこようと考えている。
 
 また何か新たな異変が起きたらまず当ブログに記していきます。

近況報告・追記・エアコンを新しく買ったはなし等2022年05月29日 09時49分33秒

★いろいろ迷ったが、父の部屋のエアコンも買い替えて設置した。

 昨年来、ウチでは様々な電気機器も次々と壊れて、どうすべきか頭を痛めていた。
 我の長年使ってきたパソコンがクラッシュした件は記したが、居間のコタツも敷いていた電気カーペットが通電しなくなり、けっきょく掘りコタツを復活させて対応してこの冬は乗り切った。
 何より問題はこうした「季節ごとの機器」であり、父の部屋のエアコンも昨年秋口の頃だったか、通電はするものの冷風も温風も出なくなった。
 まあ、その部屋を増築したときが2011年で、そのとき設置した機器だったのだから、ちょうど10年目で壊れたわけで、とうぜん修理もできず部品もなく「処分・交換」するしかなかった。
 ただ予算のこともある。猫たちのことでいろいろ出費もかさみ毎月のカード支払いも膨大なものになっていたからだ。

 昨年の秋口、というか冬の初めに、吉祥寺の大型家電専門店でエアコン売り場を見てまわった。
 ただそのときは、予想していたよりも値段が高く、設置、交換にも時間がかかりそうで新規購入は断念した。
 その代わりに、暖房機売り場で、デロンギなどのオイル式室内空気暖房器具を見つけて、ウチにも同様の機械があったことを思い出した。
 さっそく帰ってから、かつて父母たちが使っていた裏の部屋を探してみたら、以前そこで使っていたデロンギのオイルヒーターがみつかり、幸いそれは問題なく使えたので、表の父の部屋に運び込み、それでこの冬の暖房はエアコンなしでも解決できた。※電気代はかかったけど、火は使わないので安心安全であった。

 しかし、暖房は解決してもこの夏の冷房である。床に据え置き型の冷風機、という冷風扇のような機械は先年拾ってきて、使えることは確認できたのだが、それだと猫たちもいる部屋なので、バカ猫が倒すことも予想された。すぐに壊れるだけでなくいろいろ危険である。
 我は古本屋という性質、性格上、基本的に何であれ中古品をまず考えてしまうのだが、エアコンだけは中古品というのはまず選択肢はない。
 ならば安いのは、ネット通販だと、Amazonはじめあちこちの通販サイトを見てみた。それで安く購入して、電気屋に取付工事を頼めば安くあがるのではないか。「エアコン設置」で検索していろんなサイトを覗いてみた。

 そしたらば、Amazonなどでも有名メーカーではないが、エアコンが設置料金込みで、4万円台後半~5万円台で出ていることがわかった。その部屋は四畳半の洋間なので、いちばん小さいサイズので間に合う。
 それならば、「新品」を買うことができる。取り付けもその販売業者が手配してくれるようだ。
 だが、その商品の購入者からのコメントを読んでみるとそれはかなり怪しい話だとわかってきた。
 エアコンというのは、新規に取り付ける場合もあるが、たいていは古い機種との交換となろう。その場合、取り付けは元より、以前の機器、つまり壁に付いている旧い機種を取り外したり、また外の室外機も含めそれらを処分する費用が必ずかかる。これは不燃ごみでは回収されない。

 どうやら、取り付け工事費込みでの格安販売業者は、その旧い機種の取り外し代と、その取り外した機器一式を引き取る「リサイクル代金」は別途に請求するらしく、それだけで2万5千円もかかったと購入者は憤って書いてある。う~む、である。それならそんな安くないではないか。
 そのコメントの中には、奇特にも町の大型家電に行って、きちんとリサイクル料金なども込みで確認してから購入したほうがぜったい安心だとご教示までしてあった。
 ならば、まずは、と近くのY電気に行ってきた。そして現物を見て、サイズを確認してから、翌日そこで新規購入の手続きをしてきた。
 というのは、応対した店員が説明も含めて丁寧、親切だったことと、取り外し代金、リサイクル料金も全部込みで総額6万ちょっとの格安機種があったことなど、ネットよりも確かに安全安心と思えたことからだ。※リサイクル料金も市の定額であったし保証も5年付いているので安心である。

 そして取付業者が、指定した日の定時に来た。購入した機種を持ち込んで、予定通りに僅か一時間で、旧い機種をスピーディに取り外して、新しいのを取り付けて、さらに外の古い室外機も含め取り外した旧い機種は一式持ち帰ってくれた。
 その手際のよい職人仕事に、まさに見惚れてしまった。※ただ、室外機へのパイプが予定より長く必要となったので追加代金として5千円+消費税が請求されてしまったけれど。

 ともあれ新しいエアコンは快適で、父も猫たちも皆涼しくこの夏を過ごせるものと安堵している。この問題はこれで一件落着である。

 壊れたメガネも先日新しく作り直したし、いろいろ出費はかさんでも不自由、不便な状態に甘んじて、あれこれ対応に頭悩ます時間がもったいないわけで、ようやくこれでひとまず懸案のこと、我と我が家の難題課題はひとまず過ぎ去ったと思える。まずはそのことを報告したい。いろいろご心配おかけしました。
 ただ、これから父のことやまた新たな苦難の時が訪れることは覚悟している。しかし、その時はそのときであり、差し出される杯は苦くとも今はそれを感謝して飲み干す覚悟はできている。

 そしてこれからのについて。「過去」のことはこれで報告し終えた。やっとほぼすべてが元に戻った気がしている。
 これからのこと、について、抱負や希望も含めて遅くとも明日中には書き記したい。

近況報告・まとめ~これまでを振り返って2022年05月30日 11時31分24秒

★さあ、本当に人生、今またスタートだ。

 というわけで、あれこれ報告してきたが、今思うと実際、何でこんなにトラブルばかり続いたのだろうか、自問している。

 昨年の長年メインに使ってきたデスクトップパソコンが突然クラッシュし、それまで溜めてきたデータが完全に消失したことから、次々と家電類が壊れ対応に頭悩まし、年明けからも新たにまた猫たちの病院通いが続き、昨年からの出費は数十万円となった。※計算してないが、トータルで去年から今まで計50万以上猫たちにお金かけた。
 我自らも、先に報告したが、この4月6日の深夜、自宅二階の階段から滑り落ちて、途中の柱に右の胸部を強く打ち付け、腰も含めて病院通いが続いた。幸い胸は軟骨にヒビが入る程度のケガで現在は完治したものの、完全に痛みが消えるまでは一か月以上もかかったから、かなりのケガだったと今思える。
 実際のところ、下手すれば内臓や、肺自体、さらには脊髄も損傷した可能性も高く、今回も運良くというべきか、神のご加護があって大事に至らず回復できた。
 さらには、先日は、近くのドラッグストアに入る時、何故か店の自動ドアが誤作動?し、頭を挟まれてケガはしないまでもメガネの柄が折れてしまい、店側と対応の協議にずいぶん時間と手間をとられた。
 けっきょく、店側が、見舞金?として、メガネ購入時の代金の半額程度は出してくれることになったのだが、そもそもそのメガネを作った時の記録がみつからず購入時の代金も不明で、こちらにとっても相手にとっても面倒な事態となった。
 ロス・マクドナルドのハードボイルド小説本のタイトルのように、自分にとって、『トラブルは我が影法師』と心得て、この人生に付き物だと、覚悟もして今まで生きてきたのだが、さすがにこうひっきりなしだと困りもするし、悩みもする。いったい何でだ、いつまで続くのか、と。

 自業自得、という仏教用語があるが、まさにある意味、自らが招いたことでもある。我が不徳、愚かさの故のことであるのだろうか。
 まあ、自ら蒔いた種なのだから、自ら刈り取らねばならなかっただけのことだと言えよう。

 ただ、今思うのは、それもまた仕方のないことであり、起こるべくして起きたことだということだ。
 長年使ってきた電化製品も、こまめに手入れしてきたならともかく、ほとんどほったらかしで何のメンテもしなかった。
 さらに今の家電は、約10年未満でたいてい買い替えの時期が来るのだから、壊れるのも当然のことであり、そのときに備えておくべきだったのだ。
 また、自らが招いた事故などなども、まず身体の老化も進んできたのだから、階段に物など置いて危険な状態にしてきたことからの不注意が原因で、いつか起こるべくして起きたことであり、歯の治療等も含めて事前に大事に至らぬよう、常にメンテナンスしていくしかなかったのだ。

 ただ、今はそうした頭悩ましてきたことは、とりあえずはほぼすべて解決して、猫たちも数は多いけれど皆病気もケガもせず元気でいるし家電類の買い替えも完了した。歯の治療、入れ歯も新しく作り直したのが完成する。
 自分でもようやく苦難艱難の時は過ぎ去った、と、これからは良くなっていく気がしている。

 しかし、考えてみると、実のところ良くなったのではなく、ようやく元に戻った、また元の状態に返ったということだけなのだとも気づく。
 何も新しく良くなったわけではない。が、これで様々な些事に囚われず頭悩まさずに、真にやるべきこと、やらねばならないことに専念できるわけで、そう考えると、間違いなくこれは良いことなのだと思える。

 実際のこと、我は、「外圧」というべきか、外からの働きかけがない限り、自らでは動き出さない。つまり自分では「変われない」怠け者なのだから、いつかやらねばと思いつつ、やらなかったことが、結果としてやらねばならなくなったわけで、それはそれで良いことなのである。
 メガネもそろそろ作り直さねばとずっと考えていたのだが、先延ばしにしてきたのを、今回新たに作り直せたわけで、やはり新しいメガネは良く見える。※今のメガネはどれもレンズはプラスチックだから、長く使うと見えない細かい傷が付き、度数は変わらなくても視力が落ちてくることが今回わかった。

 また、壊されたメガネの一件では、共産党のやっている無料法律相談に出向き、立川の法律事務所の弁護士の方と相談し知り合えたことも自分にとって僥倖だった。やはりこんな人間だからこそ、今後逮捕されたときなどに備えて、弁護士と連絡先はとっておく必要がある。

 そう考えたとき、起こること、起きたことはすべてまた意味があることであり、その時は大変でも過ぎ去れば、これから先へ進むための必要なことであったと気づかされる。
 
 今まだ気になること、心配かつ気がかりなことは、老父の今後のことだが、幸いまだ好不調の波があり、介助はさらに大変にはなってきたものの、今はまだ何とか介護施設に行くこと、利用は可能なので、一日一日しっかり様子見て対応していくしかない。
 先のことをあれこれ悩み心配しても意味はない。ただ、常に「そのとき」に備えて、心も状況も覚悟と準備しておくだけだ。

 また後ほど別稿で記すが、我の「音楽活動」もとりあえずこの一年間は「自粛」して、その間、しっかり積年撮り・録り溜めた映像や画像、音源をきちんと整理、確認して、データファイルとしてアーカイブ化していく作業に本腰を入れたい。
 実は、先日、フォークファンの篤志家の方から、そのための多額の基金を預かった。デジタル化のためのソフトやハードディスクなどはそれでじゅうぶん賄える。我が「責務」を今また自覚した。
 この何年か、時に自らも唄い、ステージに立つこともあったが、我はソングライターで仮にあったとしても、シンガーの側ではないと改めて思い至った。
 あくまでも一裏方として、素晴らしい歌い手、音楽家たちをプロデュースする側として、これからも好きな音楽の発展と記録のために、地道に作業していこうと決意した。そう、幕間から観客席を見渡した、木馬亭でのフォークロアセンター記念のコンサートの時のように。

 我に残りの人生がどれぐらいあるのか、それはわからない。しかし、それが本当に良いこと、我が成すべきことならば、神は必ず味方して我を助け守ってくれると信ずる。
 これまでも何度も何度も死にそこなった。いや、じっさい死なずとも半身不随になってもおかしくない事故を自ら招いてきた。
 が、有難くも神はこんな愚かな我を見捨てず、その都度救い無事に生きながらえさせてくれた。そして今回経済的にも救ってくれた。
 ならば、その大きな愛、その善き力に応えねばならない。

 ようやく準備は整った。今さらながらだが、ようやく人生は再スタートだ。まだすべきこととできることがいっぱいある。それはとてつもなく良いこと、幸福なことだろう? 
 まだできる、まだ間に合うと信じて、やってこう。皆さんと共に。