ようやく猛暑も一休みか2022年07月03日 08時57分45秒

★今朝は、曇り空。先ほど小雨もぱらついた。

 6月末からの、季節先取りというべきか、連日一週間も猛暑日と熱帯夜が続いていた異常な暑さも今日はやや収まってきた感じである。
 短い梅雨明けが、先月27日で、その前後から晴れて強い陽射しが照りつける「猛暑日」、つまり30度を超す日がこの一週間ずっと続いていた。
 ただ、いま、沖縄に台風が来ていることもあって、来週は全国的に曇りまたは雨との予報なので、今回の暑さも一段落すると思える。
 しかし、ともかく暑かった。外にいると何もしていなくても汗が噴き出す。

 このところ、日中の高温を避けて、できるだけ早くに起きたらすぐに犬の散歩に出ているのだが、7時でも強い陽射しに汗だくになって帰ってくる。
 それでも先週前半は、外の温度計は、32度~34度程度だったのだが、木曜頃には、限りなく40度に近く表示されて、さすがに驚き不安になった。
 電力自給の問題や電気代の高騰以前に、冷房の効いた室内にいる人、動物はともかく、野外で働く人たち、野生の動物はどうなってしまうのか。
 彼らのことを思い、自らの安楽さを恥じ入るしかないという気持ちになった。
 ウチも、パソコンのある部屋は、直の冷房は効かないので、ブログも含めてデスク作業は、隣のクーラー直下の部屋でやれるよう、その部屋の別パソコンをセットした。
 まだ、その部屋のパソコン、HPのデスクトップでは、ブログ記していないが、これからは猛暑日でもブログ休載せずに書き続けられると思う。
 むろん我の体力や体調も関係してくるが。

 やっとこの暑さの中、7月に入った。夏はまだまだ最短でも二か月は続くだろう。何としても父と我は、この家で、共に無事で秋を迎えたいと切に願う。
 皆様もどうかまず御身大事で、暑さの中、ご自愛ください。命こそ宝だと信じて、ともかくまず今夏を乗り切り生き延びていきましょう!!!
 参院選もですが、闘いは常にその先にあるのだと。

ごめんなさい ブログ再開していきます。2022年07月05日 20時09分17秒

★やっと暑さはいくぶんやわらぎ、涼しくなってきたが。

 また更新の間が空いてしまい申し訳なく思います。
 実は、先週末から、父のことではなく、ウチの猫のことで、新たな事態が発生して、その対応に追われてました。
 詳しいことをここに書き、全てあからさまにお知らせしたいのですが、ウカツに事態をそのまま全部書くと、ここは誰でも目にできるから、諸々の動物保護団体やら、愛猫家を自任する方々が、ウチに乗り込んできて、事態はさらにまた面倒かつ複雑化してしまうかもしれないので、あえて秘すことをお許しください。
 まあ、要するに、ともかくまた多頭飼いのウチに、またしても子猫が産まれてしまい、その対応、対策に追われていたということです。ならばまたがんばって新たに貰い手を探していかねば、と今また奮起しております。と同時にこれ以上、もう一匹たりとも新たに増えぬよう真剣に対策をとることだとも。
 誰か可愛い子猫を飼いたい方はいないでしょうか?

 そんなで一時、その事態の深刻さに鬱々してしまい、何も手につかなくなっておりました。
 今もまだあれこれ慌ただしいのですが、気持ちはどうにか戻り立ち直りました。それを記すとしたらこういうことです。
 もう、何も怖れない。もう絶対に逃げない。何であれ後回しにしない。
 起こること、すべてを赦し受け容れていく。
                            ということ、です。

 このブログのモットーとして、起きたことは何であれ包み隠さず正直にありのまま書き記していく、としていくとこれまでしてきましたが、あまりにあからさまに書いていると、今の時代は、正義感あふれる諸機関の方々が、偶然でもそれを目にすると、動物愛護の観点から我を指弾し公権力と結託して拙宅に乗り込んでくることもまま起こり得るかと予想し、それを怖れてありのまま、あからさまな公表はひかえさせて頂きます。
 詳しいことを知りたい方はお問い合わせ頂ければ、口頭で伝えますが、猫たちの世話は私が責任もって今後もやっていきますので、一切のご意見ご心配は有難くも無用といたします。
 呆れられたと思いますが、どうか私をほっといてください。すべての責、自らの罪は自らが負い償いますから。

自明の理、をまず疑え2022年07月06日 23時12分15秒

★こちら側の正義や理、常識が通じない人も多々いる
 
 長く生きていて良いことは、若い時には気づかなかったこと、わからなかったことがようやく見えてくることだ。
 別に利口になったとか知的に賢くなったわけではない。ただ、経験としての場数を踏んで、ああ、そういうことか、と経験上新たな認識を得たということだ。
 それが世の中であり、世間なのだと歳とってようやくわかってきた。

 先日のこと、販売した本について購入者とのトラブルがあった。詳しく書くのは長くなるので後回しにするが、要するに、こちら側の持つ「常識」のようなものと相手方の「常識」がくい違っていて、当方は、それが当たり前のことと、自明の理として相手には伝わっていると信じていても、向こうにはまったく理解できなかったということが原因なのである。
 それを世の中にはいろんな人、変わった人がいる、頭が悪いとして唾棄するように処理して考えるのはたやすい。
 しかし、そうして異なる考え、常識を持つ人たちを「排斥」や「除外」していては、この社会はうまく回らない。

 類は友を呼ぶ、という俚諺の通り、往々にして我々は、考えや気の合う仲間たちと知り合い付き合い親しい関係を結んでいる。
 当初から、異なる思想や意見を持つ人とは、まず親しくはならないし、いたとしてもその関係は当然浅いものとなる。
 我は一家あげての代々筋金入りのサヨクで、自民党や警察、国家権力に対しては嫌悪感どころか「敵」とも思い、それが常識、当たり前のこととしてこれまで生きてきた。
 とうぜん友人知人、仲間内の人たちはほぼ皆が、同様もしくは近しい考えを持ち、我の周りを見る限り、公然と自公政権を支持する人など皆無である。
 だから選挙の都度、自公政権が続き、大勝するのを見るにつけ、いったいどこの誰が彼らを支持しているのだろう、と不思議にさえ思い、トランプ氏の謂いではないが、票が不正に操作されているのではないか、とさえ思う。
 しかし、それは厳正なる選挙結果であり、国民の間では、今も昔も自民党の支持率は、野党すべてを合わせても足元にも及ばぬほど高いのである。
 それはサヨクがサヨク政党に対して思うほど強く確かな「支持」ではないだろう。ただ、自民党というのは、パソコンに元々入っているアプリやソフトのようなもので、日本人の間では元々「デフォルト」であって、選挙という「起動時」には自動的に、起動し投票に結び付くのだと我は思える。
 つまりそこには何も深く考えないし、疑いを持つことはない。過去も未来も自民党に政治を任せていく。
 いや、自民党以外の政権選択はそもそも考えられない。先年、一度だけ旧民主党に政権を任せたら、いったいどうなったか。それが「悪夢」かどうかはともかく、脱ダムや沖縄の基地移設で迷走を繰り返して、自民党、保守支持者たちのみならず、サヨク政党支持者たちからも公約違反として大きな失望で受けとめられた。

 いま、参院選の最終局面である。7月10日の投票日が近づく中、一部の報道では、自公の安定多数確保とサヨク政党の伸び悩みが報じられている。
 我は長年のサヨク支持者の一員として、あえてはっきり書くが、おそらく日本のサヨク、立憲民主党、日本共産党、そして社民党は今回の選挙で壊滅的打撃を受ける。※むろん参院は改選は半数なので、参院からサヨクの議員が全て消えることはないけれども。
 そして極右政党維新の躍進で、日本国憲法は近く改定されていく。
 それを望みはしない。決して望まない。しかし、ここに至るには、サヨクという思想と発想の限界、そして何より意見や考えが異なる人たちに対する真摯な説明と「働きかけ」を怠ってきたことが、今この目の前で起きている現実の戦争において、その理念の無力さに繋がったと我は考えている。

 そうしたことを投票日まで何回か書き進めていきたいと思う。

日本のサヨク、危急存亡の夏(参院選)・前2022年07月08日 10時22分51秒

★わかる人にはわかる、という傲慢さをまず自ら省みて

 いよいよ2022年夏の参院選の投票日が近づいてきた。先にも書いたが、希望的観測は抜きに現実的、現状分析すると、自公と維新という改憲勢力が大幅に議席を伸ばし、我が平和憲法は、早晩「改正」させられてしまうと心から危惧している。
 我が住む東京都の場合、議席定数は、6もあるのだが、今までは、自民2、立憲2、公明と共産党が1づつという、振り分けができていた。
 が、今回はそこに、維新の他に、30数名も諸派、知名度の高いタレント候補も立候補してまったく従来の枠組みと異なり予想はできない状況となっている。
 だが、現時点で、支持率の高い与党自民の2議席は揺るがないし、創価学会という盤石の支持層を持つ公明党も間違いなく当確。そして知名度の高い立憲の現職は高位は難しくてもまず入る。
 そして台風の目は、このところ躍進中の、元は大阪の地方政党、極右維新が、先の衆院選の余勢もありやはり間違いなく当選するだろう。
 となると、もう既に5議席は確定してしまい、あとは、最後の議席を、共産の現職、立憲の新人、そしてれいわの代表、さらに有名タレント的作家、さらに何たらファーストと都知事が推す候補たちもがまさにシノギを削る闘いを繰り広げていることになる。

 思うのだが、いまの日本のサヨク人口というか、左翼政党を支持する人の割合は、総投票者数の四分の一、五分の一どころか、もっと低く、じっさいに投票に行かない人も含めれば、支持者は、10人に1人いるかいないかであろう。
 というわけで、東京では最後の1議席を、サヨク同士が相食む争いを繰り広げていると思える。
 そもそも、れいわの代表が、東京に立候補した段階で、サヨクの票には量的限界があるのだから、その少ない票を奪い合うだけのこととなるのは明白であった。
 いったいなんでこんな事態、状況となってしまったのか。今、暗澹たる思いの中で、自問している。
 我々の思想は間違いであったのか。
 いや、そもそもの間違いは、その思想的優位性を過信し、自らの正義を絶対視し、わかる人には、わかる、わからない人は(バカだから)仕方ない、ほっとけ、と、わからない人に対する丁寧な説明と「働きかけ」を怠ってきた傲慢さがまずそこにあったのでないか。

 我は、マルクスを少しだけかじった者として、多少は世の中の仕組みは理解しているつもりである。
 つまるところ、金持ちと貧乏人、資本家と労働者はいつの時代も存在して、その関係は常に変わらない。
 金持ちである資本家は政治的支配者層と結託して、自らの欲望、つまりより多く金を得るために、自民党などのパトロンとなり、支援する。そして自民党は、彼らのためになる政治を行う。肝心の国民は残念ながら二の次、三の次となる。
 資本家は常に労働者を搾取して、できるだけ安い賃金で、できるだけ長く働かせようとする。
 だからこそ、真に労働者の側に立つ政治、弱者、貧困層に対して手厚い政策を行う政党が求められる。
 サヨク政党とは当然そのために結成されたし、これまでもその立ち位置にいたはずだ。

 労働組合がそうした労働者の真の願いを代弁していた頃は良かったが、今日では、御用組合というべきか、会社内、企業のための組合=「連合」ばかりに変質し、そうした組合を支持基盤に持つ野党政党は、今や実質的に自民党とさえも「労使協調」路線をあからさまにとるようになった。
 だからこそ、真のサヨク政党がもっと伸びるべきだと思うのに、そうしたやはり労働組合に頼る立憲も、先の民主党政権の失敗を引きずって支持基盤を広げられないし、共産党は今も昔もアレルギーが強い。
 さらにれいわは、サヨク以前に無政府主義的であり、そのスタンドプレー、独断専行こそが真骨頂だと評価できなくもないが、この先さらなる広がりができるか?である。

 そしてさらにこのサヨクの危機、そこに追い打ちをかけたのが、この近年の国際情勢とコロナ禍である。
 強大なロシアと中国、そして独裁国家北朝鮮という専制主義国家、無法国家に囲まれた日本は、サヨクが誇る憲法九条を盾にどこまで持ちこたえられるのか、だ。
 ※もう2回ばかし続くと思います。

死者は常に褒め讃えられるものだが2022年07月08日 19時46分24秒

★このまま美化、神格化されていくことを深く憂う

 ご存じのことだと思うが、本日7月8日昼前に、参院選の応援演説で奈良市内にいた安倍前首相が、銃撃により不測の死を遂げた。
 政治信条は異なり、安倍政治をゆるさない、というステッカーを玄関や車のバックガラスに貼り付けていたものとしてもその突然の死を深く悼む。あってはならないことが起きた。
 何としても無事回復されることを心から祈っていただけに、このような卑劣なテロ行為を激しく憎み憤っている。
 まさに暗殺という最大の暴力で、政治家を葬ることは、言論弾圧の最たるものであり、真に言語道断である。

 与野党問わず多くの政治家のみならず日本国民誰もがこの卑劣な行為に深く憤り哀しみを覚えている。我もその一人であるが、ただあえて書きたいこともある。
 このまま彼は非業の死を遂げた「偉人」として、美化、英雄視、神格化されていくことは間違いないが、果たしてそれは正しいことなのだろうか。※また、さらに彼の悲願、「遺言」だとして憲法改正を強行することも。

 このところアベノミクスの再検証があちこちで行われ、彼が長期政権中にやってきたことの功罪が今更ながら問われている。
 長引いていたデフレからの脱却と経済再生、そして安保法制を成し遂げた男として、歴代最高の仕事士として今後はさらに評価は高まっていくと思える。
 おそらく近いうち、野口英世や福沢諭吉たちと並んで、マンガ偉人伝に、安倍晋三というのも新たに一冊加わることも考えられる。
 が、この世のすべてには光と影がある。どんな偉大な人でも功と罪が必ずあり、非業の死を遂げたとしても、功だけ語られ罪は不問とされるのは、ある意味当人にとっても、後世へ残す歴史としても良いことではないと我は考える。

 彼には、アベノミクスももちろん、森友・加計疑惑や花見を見る会など数多くの疑惑が常に付きまとい政権を私物化してきたと批判されていた。結局それらに対しては何一つ自らきちんと説明することなく、近年では再びまた政治活動を活発化させ、キングメーカーとしてだけでなく、おそらくまたも再度の首相の座復帰を狙っていたとも予想されていた。
 ある意味、数多くの「功績」とそうした志半ばの早すぎる死は、多くの日本人から哀悼、追悼され、今後も偉人としてのみ語られていくと思うが、そのことで彼のしてきた怪しきことがあたかもなかったこと、不問にされては、自殺した財務省の職員をはじめ「影」に携わった者たちも無念であろうと思える。
 彼にはまだまだ自ら語るべき、後世にきちんと残すべき真相についての言葉があったはずだ。

 人は棺覆えて評価定まる、とするのならば、今後もきちんと安倍晋三という良くも悪くも偉大な人についてその光だけでなく影の部分にも再度スポットが当たらねばならないのではないか。
 なお、一般人からのこの事件へのコメントで、一部のサヨク人たちが、実名を挙げて「安倍政治をゆるさない!!」などと個人攻撃していたから、こんな事態が起きたといういう書き込みがあった。
 ならば、自ら名づけた「アベノミクス」という言葉はどうなのか、と反論しておく。政治家は何より公人なのである。そして彼の政治はまさに彼だから成し得たものであったのだから。
 その「安倍政治」が、まさかこんな形で終焉のときが来るとは、本人もだが誰一人想像だにしなかっただろう。哀しみに近しい複雑な感情、深い感慨を覚える。まさか、こんなことが・・・
 合掌

※追記::自らの正義を絶対視する、分断と不寛容の時代を象徴するような今回の事件だが、皮肉にも元首相自身がそうした時代を築きあげた張本人であることもまたあえて記しておく。
 そして改憲勢力は、憲法改正の機運を高める、偉大な人柱として彼の死を大いに活用していくことだろう。

日本のサヨク、危急存亡の夏(参院選)・中2022年07月09日 23時51分38秒

★新たな突発的状況を受けて

 突然の元首相暗殺事件という予想だにしない事態が起きて、選挙情勢もとうぜん大きく影響を受けたはずだが、前回の続きを書き進める。

 まず、その前に、容疑者の「動機」などの発言がメディアで報道され始めて、それが事実だとしたうえで思うところを少し。
 容疑者の男は、母親が某宗教に入信し、その宗教に一家の全財産を巻き上げられ恨みに思い、関係のあった政治家、安倍晋三を狙ったとのことである。
 その宗教とは、大手メディアでは報道されていないが、反共カルト団体の統一教会であり、現在は別の名前となっているそうだが、容疑者はこの「統一教会に恨みがあって」、と語っているようだ。
 統一教会は、その前身の「勝共連合」時代から、安倍氏の祖父岸信介とも深い関りがあって、現在も安倍氏とも確かに大きな繋がりがあり、氏は団体の集会に賛辞のビデオメッセージなどを送っている。
 けっきょくのところ、その縁で、「逆恨み」からの犯行を起こしたというのが、実際のところなのであろうか。安易な断定や憶測は控えねばならない。
 公判が始まり、彼の口からきちんとその動機、つまり犯行に及んだ理由と、その中で統一教会と安倍氏の積年の関係も検証されることを切に願う。

 そして今いちばん怖れるのは、事実が法廷で語られて「真実」が世に広まる前に、何らかの理由で米国のように、犯人が「死亡」することだ。
 ケネディ暗殺の犯人とされるオズワルドも逮捕後すぐさま殺されて、真相は今も闇の中だし、こうした大事件の後には、内外どこの国でも関係者の不審死が相次ぐ。
 死人に口なし、真相は藪の中、としないためにも、容疑者の万全の保護を強く望む。

 いずれにせよ、民主主義への挑戦とか、テロによる言論弾圧などという大層な次元の話ではなく、容疑者の個人的家庭の事情からの宗教団体への怨恨、そこから派生して逆恨みの発露というのが正しいような気がしている。
 ただ、「無関係の」安倍氏を狙って、ということではないことは、今後、氏とそのカルト宗教団体との関係があからさまになれば、はっきりしてくるはずだ。むろん自民党議員の中の、統一教会と縁深い議員たちの名も出てこよう。

 ともあれ、どんな恨みがあろうとも殺人というテロ行為で、その恨みをはらすことは絶対に許されない。二度とこのような惨事が繰り返されないよう誰もが安倍氏を哀悼しながら強く自戒していかねばならない。

投票は香典ではない。2022年07月10日 07時50分54秒

★亡き安倍氏への追悼と礼賛はともかくも

 弔い戦だからと、貴重な一票を「香典」として用いてはならないはずだ。

日本のサヨク、危急存亡の夏(参院選)・後2022年07月10日 14時13分04秒

★断絶と不寛容の「暴力の時代」の参院選投開票日~憲法九条は、非力か無力か

 いよいよ7月10日の投開票日である。外はカラッと晴れて強い陽射しが照りつけているが、時おり風も吹き先週ほどの猛暑には至らず、夏本番、夏らしい夏が来たという感じである。
 いろいろ直前になって大きな騒動が起きたが、ともかく前回より投票率がアップすることを望んでいる。

 さて、今回の論考、新たな突発的事態が起き、いろいろ慌ただしく落ち着いて書けぬまま、投票日当日になってしまったが、ずっとこのところ考えていることがある。
 それは、「話せばわかる」、つまり対話と協調は、この「問答無用」の現実社会において、果たしてどこまで力をもつのか、有効かということだ。
 そしてその「現実」の前に、「理想」はどこまで理想として意義と価値を保てるのか。
 そう、ロシアによるウクライナ侵攻という軍事力の暴挙の前に、日本国憲法の理念、とりわけ九条はどれだけ有効なのだろうか。
 仮に、ウクライナにこの九条があったとしても、ロシアは軍事侵攻を止めるはずもなかっただろうし、現実の話として、そのロシアや中国、そして北朝鮮が軍事的行動を日本の近隣諸国に対して始めたとして、いや、直接日本に侵攻してきたとき、「九条があるから大丈夫」などとノンキに過信していられようか。
 はっきり書くが、九条があろうとなかろうとそうした事態は起こるだろうし、そのとき、残念ながら九条は無力ではないとしても非力だと断言する。

 じっさい、戦争という最大の軍事的テロ行為は、今回のウクライナ侵攻を見ればわかるように、まさに「問答無用」なのである。どれほど、対話を求め、それで解決をはかろうと望み期待しても彼らはそれに耳を貸さないし応じることはない。
 ならば、国としてどういう対応、対抗及び、その時に備えることができるか。
 個人の家屋などならば、治安が悪く泥棒事件が多発する地域に暮らしている場合、まず自ら戸締りと緊急通報などの防犯システムをしっかり備えて、出入り口などの監視カメラだけでなくセコムのような防犯「安全保障」企業に常時監視を委託することも当然かもしれない。
 では、国家ならば、どうすべきなのか。もしものときに備えて軍事力を高め、最新鋭のできるだけ多くの装備でその「もしものとき」に備えるしかない。
 だが、その相手側が、自国を遥かに上回る軍事力を持つ大国の場合、弱小な国々は、手を携えあって、有事の際は一致協力して加盟国皆で「敵国」と立ち向かうという「軍事同盟」を結ぶしかない。NATOとは、そうしたものだろう。
 日本でも日米軍事同盟、つまり安保条約とは、何らかの軍事的有事が起きた際、米国は我が日本国を防衛してくれる(はず)ということで結ばれている。
 要するに、軍事力という力には、力で対抗し備えていくということで、日本は国際紛争は軍事力で解決することはしないと憲法に宣言している関係上、専守防衛、つまり侵略されたら反撃も含めて戦うことは当然としても、もしものときは、アメリカに守ってもらうという立場で、これまでずっと不戦の時代を甘受ことができた。
 そう。今考えると、九条と安保は表裏一体で、よって日本はベトナム戦争から中東や近隣で起きた様々な紛争、戦闘においても不戦を貫き、軍事的には誰も死なず殺さずに戦後70年~平和が続いてきた。

 しかし、いま、この2022年早春、じっさいの戦争を隣国の大国ロシアがウクライナで始めて、さらにはそのロシアも含めて軍事的挑発行為を中国や北朝鮮が今も繰り返し、国際情勢の緊張はこれまでにない高まりを見せている。
 じっさい、ロシアによるウクライナが軍事的勝利に終わり、併合されてしまい、それを世界各国が承認してしまえば、近く大国中国も香港に次いで台湾をも自国の領土に組み入れる行動に出てくるだろう。
 ロシアや中国が日本にまで侵略の手を伸ばしてくるというのは、これまでも今後も近未来SFの世界の中だけだと我は考えるが、決してまったくの夢物語とは吐き捨てられぬ現実がいまは近づいてきている。
 何故ならば、ウクライナの情勢を見れば狂信?的独裁者に率いられた専制主義国家は、国連などの警告や決議など一切の対話を無視してまさに、突然「問答無用」の突発的行動に出ることも想定しておかねばならない状況だからだ。
 では、軍事力を高めて、防衛費を二倍にすれば、そうした緊張状態は収まるのだろうか。

 先ほどの個人の家屋ならば、戸締りにうんと金をかけて、すごく高い塀を四方に築き、出入りは完全オートロックにしたうえ警備員を24時間常駐させるようなものだろう。家やマンションならばさすればまず防犯は安心できるだろう。
 が、国家はどうか。どれほど軍事力を増強したところで、相手国、仮に「敵国」と呼ぶとしたら、敵国は、それを怖れておとなしく引き下がるだろうか。

 先に、北朝鮮が弾道ミサイル5発を日本海に打ち上げた。それを受けて、米韓は同数のミサイルを打ち返しその挑発に応えて見せたが、そうすれば北は怖れて蛮行を控えるのだろうか。
 おそらく北朝鮮は、目には目で返してくるなら次はさらに数多くの「歯」をむき出して新たに報復してくるのではないか。
 力による挑発には力で返せば、向こうは懲りて軍事的均衡が保たれる、とは、麻生太郎の持論だが、そうした軍事挑発、対立を繰り返していたら緊張はさらに高まり、やがてはうっかり事故や突発的事態も起きるのではないか。何しろ彼らは問答無用なのである。
 かといって、憲法九条があるから、紛争は国際的に対話で解決すべきなどと悠長なことを言っていてもウクライナの侵攻は解決しない。
 軍事力では平和は作れないし、イエスが言ったように、剣をとる者は剣で滅びる、ということもいつの時代でも間違いなく真理、真実だと我は信ずる。
 しかし、ゼレンスキー大統領が言うように「我々は平和のために武器を手に取って戦っている」というのはとてつもなく重い言葉で、それもまた真理だと我は思えてきた。

 つまり、戦争、戦闘という国家間の殺し合い、一方的な不寛容な暴力に対しては、軍事的対抗、抵抗もせずに、左の頬をぶたれて右の頬を差出していたらウクライナという国家は大国ロシアの一地方になってしまう。国家と民族の存在さえ危ぶまれる。無抵抗主義は意味なさない。
 残念なことだが、現実の戦争という、究極の不寛容に対しては、じっとおとなしく寛容ではいられないし、そうした立場はとれないのだと我は今起きている現実の戦争で認識した。

 では、いったいどうすべきなのか。残念ながら我はバカだから今はまだ次の答えが出てこない。
 一つだけ確信するところは、軍事力を増強し最新兵器を備えてあげくに、敵基地攻撃能力や核兵器を自国で保有したところで、有事の際は、平和につながるか、抑止できるか極めて疑わしいということだ。
 敵から攻撃されたらば反撃するという、専守防衛をこえて、敵基地や敵国陣営にも先制攻撃ができるようになれば、もうそれは宣戦布告状態であろう。
 敵国もこの日本を警戒し、常に日本に照準を合わせる。緊張が極限まで高まれば、どちらか先かはともかく、すぐさま敵国の基地をまずミサイル攻撃していく。
 そして核兵器を用いれば、対抗として核で反撃して、米ロ中のどれかの国の間で、日本を交えて全面的核戦争が始まる。※日本と韓国は地政学的に見たとき、無法大国中ロに北朝鮮という独裁的指導者を抱く専制主義国家に囲まれ、さらにその国々と敵対する米国という超大国の東アジア支店、防波堤のような位置にあるのである。
 もし一たび戦争が起きてしまえば、日本は、いやこの東アジアは、広範囲に廃墟と化して逃げ場もなく生きているものはなくなってしまう。やがては地球自体が環境破壊で壊滅的状況となり全生物は死に絶える。

 1932年、5月15日、ときの首相犬養毅は、海軍青年将校たちのクーデータに遭い、首相官邸で襲撃されて死亡した。
 そのとき、彼は、将校らを前に、慌てることなく「待て、話せばわかる」と語りかけた。
 しかし、将校たちは、耳傾けることなくすぐさま「問答無用!! 撃て!」と犬養首相を撃ち殺した。

 そう、対話はいつだって現実の暴力の前に非力、無力なのだと思い至る。サヨク政党や進歩的知識人たちは、国連憲章を守り対話による解決を、などとロシアに軍事進攻を中止を求めているが、事態はそれでは解決しない。
 九条があるから大丈夫、九条を守れ、平和がいちばん、などとお気楽ノンキにお題目のように唱えていてもこの究極の不寛容、戦争当事者には届かない。戦争は終わりはしない。
 そしてウクライナでの現実の戦争が続く最中、外交や安全保障に対する国民の危機感は高まり、憲法改正への絶好の後ろ盾、最大の口実となってしまった。
 サヨク陣営が今まで通りに、九条を守れ!と叫んでも一般市民には、よほど詳しく語りかけない限り、その言葉と思いは届きはしない。
 しかし、軍事力に対して、軍備増強で対抗、という、さらなる戦争への道を選んだら人類には未来はない。
 今回の参院選はまさに究極の選択を我々に提示しているようだ。

 もう何年も続き長引き、未だ収束しないコロナ禍とロシアによるウクライナ侵攻という現実の戦争の最中であること、さらに急激な円安と物価高。いまや日本はまさに問題山積である。
 某政権与党のポスターには、「日本を先へ」などと書いてあったが、先進国の中ではこの20年以上も、唯一実質賃金が下がり続け、少子高齢化が一番進み、食料自給率も先進国中最下位という「国策」を続けてきた与党に、どうしてこの国を先へと進めることができるだろうか。
 彼らにこの先もこの国を委ねることは、つまるところ防衛費を5年で二倍にするため社会保障費・医療費や年金をさらに削減していくか、消費税アップするしかないわけで、国民はその覚悟はできているのか、だ。
 その与党を補完する野党が伸びたところで、日本はさらに破滅に陥っていく。何一つ枠はならず、戦争への危機が高まる。
 このままでは、某アメリカの大富豪が言ったように、日本は近いうち世界から消滅していく、という言葉もあながち非礼どころか実感がわいてきた。

 そう、だからこそ、現実の戦争を前にして非力かつ無力な理想主義の憲法が意味と意義を持つ。憲法には当たり前のこと、現実とは違うからこそ、どうか当たり前であってほしい、という、ある意味、人類の希いと「理想」が記されている。
 それを否定して現実に合わせて変質させてしまえば、それこそ憲法として存在する意義も意味もなくなってしまうのではないか。

2022年夏の参院選の結果について思う・序2022年07月11日 01時07分51秒

★まだ最終的にすべて議席は確定していないが

 いま、投票日10日の日付も変わり、深夜の1時過ぎ。
 まだいくつか確定していない選挙区も残っているが、ほぼ大勢は見えてきた。
 結果は、一言で言うと、自民の圧勝、維新躍進、立憲、国民惨敗というところではないか。
 共産も議席を減らしたが、東京では議席維持したし、我の予想よりは健闘したと思える。正直、東京は当選できたとしても最下位か、れいわと最後まで争うと確信していたから。
 そのれいわの代表、山本太郎も最下位ながらも当選できたし、結果として我の当初に予想した、東京の維新は当選間違いない、が外れて嬉しい誤算でいる。
 そう、その維新は大方の予想通りに議席倍増する躍進はしたが、選挙区では全国的に当選一歩までかなり肉薄、善戦はしたものの、大阪など地元以外では議席獲得までは至らなかった。
 そして、沖縄もまさに薄氷踏む接戦であったが、何とか最後の最期に当確の方が出て、心より安堵した。このところの情勢ではもう今回こそ、議席失うことも予想されていたから。

 全体としては、ほぼ我の予想した通りの結果であり、もっともっと最悪のケースも有り得たはずだから、これでも善戦したと評したい。
 改憲勢力はさらに増えたけれども、サヨク陣営はぎりぎり踏みとどまったのではないか。
 ただ、今もまだ比例で当確が出ない社民党は果たして議席を維持できるか、大いに気になるところだが。
 思うに、この自民の圧勝は、安倍前首相の非業の死に対する、弔い合戦として、お悔やみ票もかなりあるからではないか。維新がもう一つ伸び悩んだのは、本来は維新に向かうはずの保守的浮動票、自民批判票が、安倍氏死亡のテロ事件でまた自民に戻ったような気がしている。
 この参院選挙で、日本のサヨクは予想通りかなり減ってしまった。しかし、残るべき人たちは当選し存在を示すことができたと思える。
 一方、国民民主の惨敗は、まさに自業自得であり、建設的野党と自称して与党を補完する中道政党は、公明党だけで十分だと、その存在意義が問われた結果だと思える。
 さらに言えば、立憲は、何で広く国民の支持が得られないのか、信頼され政治を託されないか、真に自ら反省し深く自己検証すべきであろう。野党共闘せずに、どうして強大な自民党に対抗できるのか。
 大国ロシアに対峙してのNATOのように、小さき弱き者たち、少数派は、集まり共に手を携え協力して、大きなもの立ち向かう以外に生き残る術はない。
 野党連合の政権構想とか政策実現以前に、まずは、巨大与党自公を選挙の都度、少しでも減らしていき奢れる彼らに脅威を与えていくことからだ。
 野党とは一体何か、何のために存在しているのか、政権構想とかうんと先の夢物語を語る以前に、政権批判の声の受け皿としてまず存在感を示していけ。
 誰もが、自公政権を熱く熱烈に支持しているわけでも憲法改正を末期にしてくれなどと望んではいない。
 この物価高にしろ、本来野党が増えさえすれば、与党は重い腰を上げざる得なくなるはずだった。
 しかし、結果として国民はまたしても与党、岸田政権を信託してしまった。よってこれからもますます物価高と収入の減少は続く。そして軍事費が増えれば、本来国民の生活と健康を守るための予算はそのぶん必ずさらに削られていく。

 だからこそ、野党、サヨク陣営は結束して、まずその国民の苦しむ声の受け皿にならねばならない。政治とは、選挙とはそのためにある。※よく共産党とは一緒にやれないと言う声が野党議員からも聞こえてくるが、ならばいったい誰のために、何のために政治をやっているのだろうか。自公政治で苦しむ国民のことは二の次なのかと問いたい。
与党がどれだけ増えたとしてもこの国は何も変わらないしちっとも良くはならない。そのことを国民は近く実感していくことだろう。
 若者よ、政治は何も変わらない。選挙では政治は変わらないと思うならばこそ、まず投票に行き、真に変革を託せる議員を一人でも当選させていくことだ。そして政治に関心を持ち続けていくことだ。

 予想していたとしても残念な結果となった。が、闘いはここからだ。まだまだできることとすべきことが誰にでもある。
 何も失望も絶望もすることはない。憲法だってそう簡単に改正はてきないしやすやすと改正はさせない。

 ※追記 社民党の福島代表も当選できた。ほっとした。ついでにNHK党も議席を得た。思うに、どんな党であれ、様々な党が国会に、たとえ1議席でもその議席を持つことは絶対的に良いことであろう。

2022年夏の参院選の結果について思う・まとめ2022年07月11日 22時38分56秒

★サヨク陣営はここから反転攻勢できるか、だ。

 選挙とか政治のことを書くと、読む人が少ないのか、当ブログのランキングは下がる一方なので、とりあえず参院選関連のことは今回とあと1回で終わりにする。むろん追記として書き加えていくこともあろうが。

 今回の参院選、我は、危急存亡のとき、としてサヨク政党は壊滅的打撃をうけることも、と書き記した。
 結果だけ言えば、厳しい状況の中、まあよく持ちこたえたと思うし、かなり健闘したと評価したい。沖縄などが象徴するように、まさに首の皮一枚でつながった、感がある。
 サヨクは全体として議席は減らしたものの、社民党も比例で1議席維持確保でき、政党として存続できたし、れいわも議席数を増すことができた。

 我の住む東京地方区では、定数6のうち、自公3、対峙するサヨク側が、共産、立憲、れいわで3と互角の勝負となった。
 いや、落選した候補も含めれば、反政権票は、野党側が上回る。
 東京は珍しく投票率も高かったし、今回は最多の立候補者も出たこともあって、選択肢が多かったことと、当選者枠が多いことで、かなり民意が正しく反映されたと思える。

 当たり前のことだが、定数1の小選挙区では、そもそも選択肢が限られるだけでなく、投票したい候補がいても当選する可能性は見えてくる。ならば選挙に行っても行かなくても結果は同じだとして、より投票率は低くなっていく。
 衆院選挙で、小選挙区制が導入されたとき、政権交代が起こりやすい良い制度だと謳っていたが、西欧やアメリカのようにこの国ではまずカンタンに政権は変わることはない。
 かつて一度だけ民主党政権が誕生したが、自公という組織も金もある強大与党に個々の野党が挑むのは最初から勝ち目のない闘いであった。そう、当選枠が多ければ今回の山本太郎のように最下位でも当選できるかもしれぬのに。
 ならば、小選挙区の選挙ならば、野党は共闘して、候補者を調整し1本化して一対一の構図に持ち込み、挑むしか手はないではないか。

 じっさいこれまで近年の衆院選では、政権批判の野党はともかく共闘して候補者を削り、統一候補を出して挑み、当選者数は互角にはならずともかなりの成果を上げてきた。
 が、今回は、そうした「共闘」はほとんど成立せず、野党は乱立して挑んだ。結果は見ての通り。つまり自民の大勝はそもそも1人区のほとんど全てを手中に収めた勝利によることが大きいことは誰だって理解できよう。
 そう、野党は共闘する以外に、定数1の選挙区では、当選できる可能性は限りなくゼロに近いのだ。ならば何で野党はまたバラバラになってしまったのか。

 今回の選挙、ロシアによるウクライナ侵攻という、かつてない外交と防衛の危機が取りざたされ、関連して憲法「改正」も争点になってきた。
 日本も軍事力、防衛力を高めずに、どうして憲法九条だけで、ロシアのような蛮行に対峙できるのかと。核兵器共有論まで公言する政党もあった。
 護憲政党は、そうした批判にどれだけ反論したかはともかく、状況はサヨク政党にとって逆風を受けての選挙戦であったと思える。

 それ以前に、近年、政権与党は、あらゆる手を尽くして野党間の選挙共闘を分断することに腐心してきた。
 まず民主党を支援する労働組合連合を自民党側に引き寄せたうえ、公然と組合トップに、共産党との共闘は絶対に認めないと言い放たせ、これまでのような野党共闘のあり方そのものを牽制、否定してきた。
 またさらに、野党間を分断すべく、その労組に依存する国民民主党を与党支持側に引き入れ、とりわけ護憲政党を孤立化させていく。
 そうした「揺さぶり」以前に、あらゆるメディア、中でもネット上のSNSでは、コメントとして、何か事あるごとに、野党批判、中傷のコメ主を増やし投稿していったと我は思っている。

 その大意は、「野党は批判するばかりで何もしない、何もできない」というものから、さらに事実無根のデマまで限りなく、そうしたネガティブキャンペーンが功を奏して、立憲は口先だけ、ともかくダメだ、共産党は怖い、そもそもサヨクは古臭く時代遅れだという「認識」を広く浸透させることに成功したと思う。
 これを我の被害妄想からの陰謀論だと嗤うなかれ。
 じっさい彼らは、潤沢な金も強大な公権力もメディアさえも手にして、思う存分それらを駆使できるのである。メディアでの情報操作などカンタンなことで、NHKの報道傾向を見たって、政権寄りは間違いないではないか。
 よって野党の要であった立憲民主党は、野党共闘、とりわけ共産党との選挙協力は控えるしかなく、今回はほとんどの選挙区で、野党候補は乱立し、自公の候補を当選に導いた。
 また、これは信じられないことだが、報道によると、野党共闘が成り、与党候補の当選が危ぶまれる選挙区に、自民から国民民主党に、野党票を分散させるために、候補者擁立を、との打診があったという。
 さすがに国民もそれは断ったそうだが、ここまで与党はやるのか!と驚きと共に強い憤りを覚えた。
 そしてまた「建設野党」などと自称し与党にすり寄った政党は、要するに政権の使い走り、使い捨てなのだと改めて思った。
 そう、彼ら政権与党は、政権と権力維持のためならば、金を湯水のように使い、あらゆる手段を駆使して、野党を攻撃、分断をはかっていったのである。

 そうした内外での情勢悪化、支持が広がらない苦境の最中での今回の参院選、サヨク陣営はある意味よく頑張った、野党、サヨク政党とその支援者は底力を示せたのではなかろうか。

 ※もう一回で終わりにします。