日本のサヨク、危急存亡の夏(参院選)・後2022年07月10日 14時13分04秒

★断絶と不寛容の「暴力の時代」の参院選投開票日~憲法九条は、非力か無力か

 いよいよ7月10日の投開票日である。外はカラッと晴れて強い陽射しが照りつけているが、時おり風も吹き先週ほどの猛暑には至らず、夏本番、夏らしい夏が来たという感じである。
 いろいろ直前になって大きな騒動が起きたが、ともかく前回より投票率がアップすることを望んでいる。

 さて、今回の論考、新たな突発的事態が起き、いろいろ慌ただしく落ち着いて書けぬまま、投票日当日になってしまったが、ずっとこのところ考えていることがある。
 それは、「話せばわかる」、つまり対話と協調は、この「問答無用」の現実社会において、果たしてどこまで力をもつのか、有効かということだ。
 そしてその「現実」の前に、「理想」はどこまで理想として意義と価値を保てるのか。
 そう、ロシアによるウクライナ侵攻という軍事力の暴挙の前に、日本国憲法の理念、とりわけ九条はどれだけ有効なのだろうか。
 仮に、ウクライナにこの九条があったとしても、ロシアは軍事侵攻を止めるはずもなかっただろうし、現実の話として、そのロシアや中国、そして北朝鮮が軍事的行動を日本の近隣諸国に対して始めたとして、いや、直接日本に侵攻してきたとき、「九条があるから大丈夫」などとノンキに過信していられようか。
 はっきり書くが、九条があろうとなかろうとそうした事態は起こるだろうし、そのとき、残念ながら九条は無力ではないとしても非力だと断言する。

 じっさい、戦争という最大の軍事的テロ行為は、今回のウクライナ侵攻を見ればわかるように、まさに「問答無用」なのである。どれほど、対話を求め、それで解決をはかろうと望み期待しても彼らはそれに耳を貸さないし応じることはない。
 ならば、国としてどういう対応、対抗及び、その時に備えることができるか。
 個人の家屋などならば、治安が悪く泥棒事件が多発する地域に暮らしている場合、まず自ら戸締りと緊急通報などの防犯システムをしっかり備えて、出入り口などの監視カメラだけでなくセコムのような防犯「安全保障」企業に常時監視を委託することも当然かもしれない。
 では、国家ならば、どうすべきなのか。もしものときに備えて軍事力を高め、最新鋭のできるだけ多くの装備でその「もしものとき」に備えるしかない。
 だが、その相手側が、自国を遥かに上回る軍事力を持つ大国の場合、弱小な国々は、手を携えあって、有事の際は一致協力して加盟国皆で「敵国」と立ち向かうという「軍事同盟」を結ぶしかない。NATOとは、そうしたものだろう。
 日本でも日米軍事同盟、つまり安保条約とは、何らかの軍事的有事が起きた際、米国は我が日本国を防衛してくれる(はず)ということで結ばれている。
 要するに、軍事力という力には、力で対抗し備えていくということで、日本は国際紛争は軍事力で解決することはしないと憲法に宣言している関係上、専守防衛、つまり侵略されたら反撃も含めて戦うことは当然としても、もしものときは、アメリカに守ってもらうという立場で、これまでずっと不戦の時代を甘受ことができた。
 そう。今考えると、九条と安保は表裏一体で、よって日本はベトナム戦争から中東や近隣で起きた様々な紛争、戦闘においても不戦を貫き、軍事的には誰も死なず殺さずに戦後70年~平和が続いてきた。

 しかし、いま、この2022年早春、じっさいの戦争を隣国の大国ロシアがウクライナで始めて、さらにはそのロシアも含めて軍事的挑発行為を中国や北朝鮮が今も繰り返し、国際情勢の緊張はこれまでにない高まりを見せている。
 じっさい、ロシアによるウクライナが軍事的勝利に終わり、併合されてしまい、それを世界各国が承認してしまえば、近く大国中国も香港に次いで台湾をも自国の領土に組み入れる行動に出てくるだろう。
 ロシアや中国が日本にまで侵略の手を伸ばしてくるというのは、これまでも今後も近未来SFの世界の中だけだと我は考えるが、決してまったくの夢物語とは吐き捨てられぬ現実がいまは近づいてきている。
 何故ならば、ウクライナの情勢を見れば狂信?的独裁者に率いられた専制主義国家は、国連などの警告や決議など一切の対話を無視してまさに、突然「問答無用」の突発的行動に出ることも想定しておかねばならない状況だからだ。
 では、軍事力を高めて、防衛費を二倍にすれば、そうした緊張状態は収まるのだろうか。

 先ほどの個人の家屋ならば、戸締りにうんと金をかけて、すごく高い塀を四方に築き、出入りは完全オートロックにしたうえ警備員を24時間常駐させるようなものだろう。家やマンションならばさすればまず防犯は安心できるだろう。
 が、国家はどうか。どれほど軍事力を増強したところで、相手国、仮に「敵国」と呼ぶとしたら、敵国は、それを怖れておとなしく引き下がるだろうか。

 先に、北朝鮮が弾道ミサイル5発を日本海に打ち上げた。それを受けて、米韓は同数のミサイルを打ち返しその挑発に応えて見せたが、そうすれば北は怖れて蛮行を控えるのだろうか。
 おそらく北朝鮮は、目には目で返してくるなら次はさらに数多くの「歯」をむき出して新たに報復してくるのではないか。
 力による挑発には力で返せば、向こうは懲りて軍事的均衡が保たれる、とは、麻生太郎の持論だが、そうした軍事挑発、対立を繰り返していたら緊張はさらに高まり、やがてはうっかり事故や突発的事態も起きるのではないか。何しろ彼らは問答無用なのである。
 かといって、憲法九条があるから、紛争は国際的に対話で解決すべきなどと悠長なことを言っていてもウクライナの侵攻は解決しない。
 軍事力では平和は作れないし、イエスが言ったように、剣をとる者は剣で滅びる、ということもいつの時代でも間違いなく真理、真実だと我は信ずる。
 しかし、ゼレンスキー大統領が言うように「我々は平和のために武器を手に取って戦っている」というのはとてつもなく重い言葉で、それもまた真理だと我は思えてきた。

 つまり、戦争、戦闘という国家間の殺し合い、一方的な不寛容な暴力に対しては、軍事的対抗、抵抗もせずに、左の頬をぶたれて右の頬を差出していたらウクライナという国家は大国ロシアの一地方になってしまう。国家と民族の存在さえ危ぶまれる。無抵抗主義は意味なさない。
 残念なことだが、現実の戦争という、究極の不寛容に対しては、じっとおとなしく寛容ではいられないし、そうした立場はとれないのだと我は今起きている現実の戦争で認識した。

 では、いったいどうすべきなのか。残念ながら我はバカだから今はまだ次の答えが出てこない。
 一つだけ確信するところは、軍事力を増強し最新兵器を備えてあげくに、敵基地攻撃能力や核兵器を自国で保有したところで、有事の際は、平和につながるか、抑止できるか極めて疑わしいということだ。
 敵から攻撃されたらば反撃するという、専守防衛をこえて、敵基地や敵国陣営にも先制攻撃ができるようになれば、もうそれは宣戦布告状態であろう。
 敵国もこの日本を警戒し、常に日本に照準を合わせる。緊張が極限まで高まれば、どちらか先かはともかく、すぐさま敵国の基地をまずミサイル攻撃していく。
 そして核兵器を用いれば、対抗として核で反撃して、米ロ中のどれかの国の間で、日本を交えて全面的核戦争が始まる。※日本と韓国は地政学的に見たとき、無法大国中ロに北朝鮮という独裁的指導者を抱く専制主義国家に囲まれ、さらにその国々と敵対する米国という超大国の東アジア支店、防波堤のような位置にあるのである。
 もし一たび戦争が起きてしまえば、日本は、いやこの東アジアは、広範囲に廃墟と化して逃げ場もなく生きているものはなくなってしまう。やがては地球自体が環境破壊で壊滅的状況となり全生物は死に絶える。

 1932年、5月15日、ときの首相犬養毅は、海軍青年将校たちのクーデータに遭い、首相官邸で襲撃されて死亡した。
 そのとき、彼は、将校らを前に、慌てることなく「待て、話せばわかる」と語りかけた。
 しかし、将校たちは、耳傾けることなくすぐさま「問答無用!! 撃て!」と犬養首相を撃ち殺した。

 そう、対話はいつだって現実の暴力の前に非力、無力なのだと思い至る。サヨク政党や進歩的知識人たちは、国連憲章を守り対話による解決を、などとロシアに軍事進攻を中止を求めているが、事態はそれでは解決しない。
 九条があるから大丈夫、九条を守れ、平和がいちばん、などとお気楽ノンキにお題目のように唱えていてもこの究極の不寛容、戦争当事者には届かない。戦争は終わりはしない。
 そしてウクライナでの現実の戦争が続く最中、外交や安全保障に対する国民の危機感は高まり、憲法改正への絶好の後ろ盾、最大の口実となってしまった。
 サヨク陣営が今まで通りに、九条を守れ!と叫んでも一般市民には、よほど詳しく語りかけない限り、その言葉と思いは届きはしない。
 しかし、軍事力に対して、軍備増強で対抗、という、さらなる戦争への道を選んだら人類には未来はない。
 今回の参院選はまさに究極の選択を我々に提示しているようだ。

 もう何年も続き長引き、未だ収束しないコロナ禍とロシアによるウクライナ侵攻という現実の戦争の最中であること、さらに急激な円安と物価高。いまや日本はまさに問題山積である。
 某政権与党のポスターには、「日本を先へ」などと書いてあったが、先進国の中ではこの20年以上も、唯一実質賃金が下がり続け、少子高齢化が一番進み、食料自給率も先進国中最下位という「国策」を続けてきた与党に、どうしてこの国を先へと進めることができるだろうか。
 彼らにこの先もこの国を委ねることは、つまるところ防衛費を5年で二倍にするため社会保障費・医療費や年金をさらに削減していくか、消費税アップするしかないわけで、国民はその覚悟はできているのか、だ。
 その与党を補完する野党が伸びたところで、日本はさらに破滅に陥っていく。何一つ枠はならず、戦争への危機が高まる。
 このままでは、某アメリカの大富豪が言ったように、日本は近いうち世界から消滅していく、という言葉もあながち非礼どころか実感がわいてきた。

 そう、だからこそ、現実の戦争を前にして非力かつ無力な理想主義の憲法が意味と意義を持つ。憲法には当たり前のこと、現実とは違うからこそ、どうか当たり前であってほしい、という、ある意味、人類の希いと「理想」が記されている。
 それを否定して現実に合わせて変質させてしまえば、それこそ憲法として存在する意義も意味もなくなってしまうのではないか。

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