夢の啓示を受け容れていく2022年09月03日 11時58分24秒

★その不思議な夢の話を
 
 コロナの後遺症なのか、それとも自分の持病である、季節の変わり目に出る「寒暖差アレルギー」のせいなのか、このところ咳の発作が起きて体調すぐれない。
 一度何かのきっかけで、突然咳が出始めると、激しい発作のように止まらなくなり、鼻水は垂れるは、痰は出るは、喉は痛むは、とかなり体力奪われる。
 このブログもそんなでなかなか一回で書き終える気力と体力がなく、昨夜も続きを書き足そうと思いつつ、咳が出る予感もして早めに床に入ってしまった。喉は痛いものの昨夜は咳は出なかった。

 さておき、昔から「夢の知らせ」とか「夢のお告げ」ということが知られているが、それは「夢占い」とか「夢分析」以上に確かに、はっきりあるもので、迷信や偶然だと我は退けはしない。
 9月1日の早朝、いや、まだ深夜といっていい午前3時頃、尿意もあって突然目覚めた。
 そのとき見ていた夢は、前半部は、はっきり覚えてはいないのだが、自分が関わっている「クラブ」の友人知人たちも出てきて、我も彼らから何回もいろいろ誘われるのだが、何故か一緒の行動はとらず距離置いて頑なに拒んでいた。
 ただ、目覚める前にハッキリ覚えているのは、自分は不思議な帽子を手にしていたことで、それは薄い金物でできていて、縁はなくただ丸くて頭にすっぽり被るようにできている。
 色も赤茶けていて、かなり古いものらしい。
 それをしげしげと眺め手にして、我は、これは誰かの遺品でとても大事なものなのだと思っていた。

 そこで夢は途切れるように終わり、我は夢から覚めた。トイレに行き、しばらく夢のことを考えていたら、次いで突然我に啓示と言うか、ある新たな思いが降りてきた。
 それは、父に関することだ。
 父は、もうずいぶんすぎるほど長く生きた。十分に生きたどころか、十二分にまで生きた。何しろこの秋10月で満98歳になるのである。
 その父のために日夜我は神に祈ってきたが、ならばそれ以前に祈るべきことはもっとあることに気がついた。

 いま、世界では、ウクライナ情勢を見るまでもなく、戦禍に傷つき苦しむ人々が数多くいる。また、飢えや貧困、病、孤独に苦しみ悩む人も何億人といるはずだ。
 優先順位というわけではないが、身近な人たちへの愛や思いも大切なことだが、自分達のことだけでなく他の、今苦しんでいる人達が救われるように祈り願うべきだと突然気がついた。強い思いがわいてきた。
 父の無事や回復を祈る以前に、父のことだけではなく、まずは今苦しんでいる人たち、特に若い人たち、幼い子供たちが救われるよう祈り願うべきだと気づかされた。
 我がこと、自分のことばかり考え囚われていた身勝手さと愚かさに恥じ入った。そう、父はもう存分に生きたのである。もういつ死んでもいいじゃないか。
 神に祈り願うべきことはもっと他にたくさんある。

 このところ、旧ソ連のゴルバチョフ氏や京セラの稲盛和夫氏ら、偉大な仕事を成し遂げ一時代を築いた人たちが九十代高齢で亡くなっている。
 しかし我が父は彼らよりもさらに年上なのである。それなのにまだ更なる長寿を神に祈り願うのはあまりに傲慢、身勝手、欲深であろう。
 今まで父が生きてこれたことも、我の介護の成果なんかではなく、全ては神の意思、神の計らいなのだから、その最期のときもまた神に委ねて我はただそれを粛々と受け容れていくだけのことだ。

 そしてその我が手にしていた不思議な鉄の帽子は、一体何かと考えていたらば、ふいに兵隊の被る鉄カブトではないかと気がついた。
 古く赤茶けてところどころサビも出ていたようだったから、たぶんそれは、父が中国大陸で被っていたものなのかもしれない。
 何故そんな夢を見たのか、そこにどういう意味合い、メッセージがあるのかまだわからないが、我は、その夢以後、日々の祈りは確かに変わった。
 その夢は、いま病床で死に臨み意識朦朧としている父が我に示してくれたことかもしれない。

 もう覚悟はできた、とは正直言えやしないが、その鉄カブトの夢で我はずいぶん救われ楽になったことを記しておく。