七年目の母の命日に2022年09月08日 19時28分12秒

★そして父はまだ生きている

 拙ブログ、私事ばかり記して申し訳ない。が、父のこの世での去就が定まらぬうちは、他のことについて落ち着いて書くほど我は余裕もなく気が回らない。どうかご容赦願いたい。

 今日、9月8日は、我が母が逝った日、命日である。
 2016年の今日未明、明け方というよりまだ外は暗い頃、母は我が家で全身衰弱し精魂尽き果ててその生を終えた。それからちょうど7年が過ぎたことになる。
 今思うと、八十代半ばまで生きたわけだし、一度は、癌を克服してほぼ元通りの生活も送れていたのだから、それは早死にとかは言えないし、十分にその人生を生き尽くしたと思えなくもない。
 が、我としては、ご近所、隣界隈の母の友人知人であった婆さんたち、つまりほぼ同世代の老婦人たちが、今もまだ90歳前後でも皆さん元気で健在であることを思うとき、やはり母は癌にさえならなければ、今もまだこの世にいてくれたはずだと残念に思えなくもない。
 生きていれば、母は今92歳かそこらの歳で、母の母、我の祖母は、98歳まで生きたことを思うと、決して不可能な歳ではないと思える。
 しかし、それは今さらもう考えても仕方ないことであり、全ては神の計らいなのだとして、母が癌に罹ったこともその死のありかたも、意味のある、我にとって大きなメッセージだったと今は受け容れている。
 そして、母の死後、残された我と父である。

 ウチの大黒柱的存在というより、司令塔であった母が先に逝き、家事家計全てを父と我の二人、男世帯でやっていかなくなってしまった。
 父は、その時点でもう90歳を過ぎて、かなり認知症も進んでいたし、言われれば動けたとしても自らの判断で、何かきちんと維持管理などはもうできない状態だったから、我がけっきょく一人で全部何もかも家のことと父の世話までやらなくてはならなくなった。
 その後のことは、拙ブログで折々愚痴をこぼすように書いてきたから今さら繰り返さないが、今思うと、まだ母の死後当初は、父もずいぶん元気だったと気がつく。
 母の葬儀、関連行事では、自ら歩いてその場所に行けたと記憶するし、人前でもきちんと応対も話もできていたのだから、頭もかなりクリアであった。
 そして身体もまだかなり動けたから、その後も時に深夜寝ぼけて自室の戸を壊して抜け出し庭先に出て徘徊したことすらあった。
 今思うとその頃は、我もおちおち眠ってもいられずタイヘンだったが、父もまだそれだけ妄動もできる体力があったのだと気づく。
 近年はもうすっかり動けず、自ら一人で歩くこともままならぬようになって、一度寝かせれば朝まで大人しくそのままベッドでひたすら眠っていたのだから、それだけ確実に全身の衰弱は進んだのだった。

 じっさい、去年2021年一年間だけで、父は年明けには60キロ台あった体重が一年で、12月には50キロまで落ちてしまった。母の最期のときも同様だが、裸にしてみるとまさに骨と皮となってしまった。
 それでもこの春以降は、経口栄養缶飲料を食事があまり進まないときなど施設でも出してもらったりして、体重はやや戻って来ていたし、ウチではまあまあ食欲もあったので、介助してきた我としては今年一年、まずはこの秋、父の誕生日である10月21日を無事過ぎたら、来年の正月もきっと迎えられるだろうと漠然と「予測」していた。
 確かに頭も身体も全身の衰弱は進んでしまったが、元から頑健な大男の偉丈夫だから、百歳は無理だとしてもそこに限りなく近くまで生きるだろう、まだまだ大丈夫だと思い込んでいた。

 そこに通っていた介護施設内でのコロナ感染である。コロナ蔓延・感染拡大中の医療崩壊の最中であったが、幸いにして奇跡的に空きベッドがあり、父は7月の半ばに入院できた。
 しかし、コロナ自体は癒えたものの、長引く入院生活で心身が衰弱してしまい、8月1日に、別の病院に転院、以後、今日9月過ぎても退院できる兆しがないどころか、口から食事も摂れなくなり先だっては、担当医から呼び出され、死期の宣告も告げられてしまったのだ。
 余命は先月末、8月30日頃までかも、とのことで、我は以降、日々いつその知らせが病院から届くか、待ち望むとは違う意味で怖れつつ毎日何度も携帯電話を確認し常に傍らに置いて毎日ただ過ごしてきた。

 九州在の我の妹は、仲の良い夫婦だったから父は母の命日頃に、母が迎えに来て逝くのではないかと言っていた。
 そして先月が終わり、9月に入って、その母の命日が近づくにつれて、我自身も一日づつ命が削られるような思いでその日を迎えた。
 しかし、今日、8日の夜の段階ではまだ病院からは何も連絡はない。
父は有難くもまだこの世に在る。迎えに来た母と、はぐれてしまったのか、それともまだその時ではないと、母はいったん父を置いてあの世へ戻ったのか。
 それとも父は無意識下でも我の行く末も含めて思うところがあり、死ぬに死ねないのか。

 ともあれ人の生き死には、人知では測り知れない。ただ我は父がまだこの世に在ることに感謝して、その日その時に備えて全てを整えていこう。
 まだまだやること、やるべきことはいっぱいなのだから。まず生きている者こそがきちんと生を律していかねばならない。
 我としては、今日の8日が一つの目安にしていた。それが過ぎた先どう何を見据えていけばいいのだろうか。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://masdart.asablo.jp/blog/2022/09/08/9524486/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。