気を取り直して、新たな人生へ進めていこう2022年09月28日 20時02分25秒

★まだできる、まだ間に合う、と信じて

 残りの人生を。もう一度きちんと生き直す、つまり、しっかり死んでいくためにも、と、このところずっと自らに言い聞かせている。

 さて、安倍元首相の「国葬」が、昨日、多くの反対世論の最中、強行された。つい先だって我が父を火葬儀のみで送った者として、死者を弔うこと、すなわち葬式、葬儀というものについて考えた。
 
 まず前提として、死後の世界、人の肉体が死んだあとに、魂は存在して死後も人は「生きている」かという問題がある。
 世界中多くの宗教はどれも、その死後の世界、つまり肉体は朽ちて無くなっても、魂は残り、その後の別世界、新たな状態、状況はあると考えてその教えが伝えられている。
 我も、亡き人たちの行く、そして今もいるその世界、「あの世」とか「天国」のような世界は必ず在ると信じているが、残念ながらまだ死んでいないので確信はできない。本当のところ、わからない。

 現世、つまり今生きている我々の世界では、証明できない故、その死後の世界は、「ない」とするならば、死者の気持ちや意向は一切考察から外してべきと考えて話を進めていく。
 と、なするならば、結局のところ「葬儀」というものは、死者のためのものではなく、生者、つまりまだ生きている我ら、現世に残された者たちのために行われるものだと断言できる。
 
 巷間、死と死者についてよくこう言われる。「死者は生者を煩わすべからず」と。死者は、大々的な葬儀・会葬の儀式など行わずただ静かに逝けばいいのだと。
 確かに我もそう思う。が、この論理には無理がある。こう望む者は、実のところ死者ではなくまだ「生者」の側にいるからだ。