二人の「父」を相継いで喪って2022年10月05日 03時38分43秒

★もうこれ以上、大きな死や哀しい別れが起きないよう祈る

 京都の孤高の詩人、有馬敲氏の訃報が届いたことは記したが、実際の死亡日は、先月の25日であったとのことだ。
 我が父が死んだ直後に、彼もまた逝っていたのである。あろうことか、個人的なことだが奇しき偶然である。

 我は、二人の父、つまり生み育ての親である実父と、我が私淑し師と仰いだ、フォークソングの父を相次いで喪ってしまったのである。
 お二人とも高齢であったのだから、それはいつ来てもちっともおかしくないわけで、常に覚悟してその時に備え、悔いのないようできる限りのことはしておけば良かったのだが、けっきょく何一つ我はその恩に報いることはできなかった。
 自分は、本当に無能で、何一つきちんとしたこと、当たり前のことはできやしないのだと、このところ今更ながら痛感しその認識を新たにしているのだが、有馬さんの死はそれにまた追い打ちをかけて自責している。
 が、悔やみはしても悩んだって、我の愚かさは変わらないし、もう一度時間が戻せても、いや、死も何もかもが先延ばしにできたとしても、我のことだから結果として何も変わらないだろう。
 それほど根源的に我は万事ダメで、愚図なのである。それが自分という人間なのだ。ならば仕方ないではないか。

 頭が悪く性格がおかしいということが、元々の身体的なものなのば、背の高さとか足の大きさと同様に今さら変えることは不可能なのである。だから何度でもバカなこと、失態失敗を繰り返す。
 しかし、我の二人の父は、そんな「息子」を呆れ果てたとしても見捨てず、辛抱強く見守り哀れみと共に常に慈しんでくれたのである。
 その恩ある偉大な父たちがいなくなり、我はどうやっていきてけば良いのだろうか。今、その不在の大きさに気づき、愕然としている。
 ウチには、我が父がいて、京都には有馬さんがいる、それが我を常に支えていたのだと、いまやっと気がついた。
 
 これからいったい一人になってどうしたら良いのだろうと大きな不安を思うが、まだ我に人生が残っているとしたら、こう考える。
 薫陶を受ける、という言葉がある。我は彼らから多くの「薫陶」を授かった。知識も生き方も、経験、才能才覚的なものさえも。
 ならば、我のウチにある、彼らから頂いた「善きもの」を、つまりその薫陶や知識を、拙くとも後の者たちに伝え残していくべきではないか、と。
 けっきょく、いつの時代でも人が死者たちに真にできることは、彼らの真の遺産、つまり彼らが生きた証、知識や経験、そして思いを継ぐこと、であり、死者の思いも含め遺したモノを後世に伝えていくことだけではなかろうか。
 それが亡き人たちの恩に報いる唯一のことだと思える。

 それは大変な作業のように思えるが、まずは我も彼らのように、倣ってしっかり生きていけばよいだけのことだ。二人の父は、死んでしまい、この世にはもういない。が、彼らの思いと記憶は我のウチに生きて、褪せることは決してない。それを書き語り伝えていく。

 さらにこうも気づく。我にはもう一方、父は今も在る。その天の父は、これからも我を決して見捨てず、どんな時でも、我の死のときも常に傍らにいてくれ哀れみと救いを与えてくれることだろう。

 さあ、涙を拭いて、新しい朝を迎えよう。願わくば今年はもうこれ以上、新たな死や哀しい別れが続きませんように、と。