ようやく一段落、一区切り2022年10月31日 09時30分15秒

★昨日、父の納骨の儀、無事終わりました。

 秋好日、町田の菩提寺で、我が家の墓所に父の骨壺を収め終えた。
 親戚も我を含めて九人集まり、亡き人たちの思い出話に盛り上がった。

 正直なところ、ものすごく疲れはてた。疲労と睡眠不足から鈍い頭痛抱え式を終えて帰路についたら立ち眩みしたほどだったが、先に入った母や祖父母が眠る墓石の下へと、父もまた収め終えてようやく一区切りがついた気がした。
 むろんまだまだ「後片付け」や名義変更などの事務処理は多々残っているし、親戚一同からかなりのご供養料も届いたので、そのお返しなどもせねばならない。やることはいっぱいだ。

 しかし、四十九日のうちに、無事お骨も墓に収めることが出来、ともかくこれで一区切り、一段落したと今ほっとしている。
 いつもは真夜中に何度か目覚めトイレに行く我も、昨夜は朝まで一度も起きることなく夢すら見なかった気がする。
 さあ、これから、迫りくる冬の支度と、新たな人生再構築に向けて、深く深呼吸し気を引き締めてやっていこう、と奮起するところである。

 お墓の蓋を石屋に開けてもらい、地下の収容庫に持って行った父の骨壺を収める折、中も見せてもらったが、父のも入れてまうと、狭いその空間はかなりいっぱいとなって、せいぜいあと一つぐらいしか入らない。
 もしそこに入れるとしたら、次のそれは我であり、まあ、死後のことは正直まったくどうでもいいと思うものの、骨になれば我もここに入れらてしまうのだろうが、そう考えたらちょっと嫌~な気がした。
 傍に祖父母や父、母はいるのは寂しくなく有難いことだとは思うが、個人的な気持ちとしては、家族合同の場所ではなく欧米のように、我一人だけの名を刻んだ小さな石碑の下に眠りたいなあと願う。
 まっ、魂はそこにはなく、死後の復活はともかくも「あの世」というもの存在を信ずる者としては、墓もお寺さんも実際のところどうでもいい、いや、それは言葉が過ぎて「関心外」ではあるけれど。
 ただ、お寺さんもお墓も、亡き人たちとの縁=関係をこの世で繋ぐ唯一の存在であり、それさえない人生、恃むのは我、自ら一人、という人生を思うと、それはかなり心細いわけで、やはり有難いものだと今回改めて深く思いいった。
それに、縁が薄かった父方の親戚たち、我の従弟たちとも半世紀ぶりに再会できて再び結びついたことも良かった。

 過去は過去でしかないし、再び戻せはしないが、父や母の過去の全ての行いと繋いだ縁の結果として我はここにいるのだ、と今回、父の死を通して今さらながら思い至った。
 我は一人になったが、真の天涯孤独ではない。多くの先祖や死者たちの記憶や思いを背に負いて生きていかねばならないのだと。
 彼らは墓所だけでなく、我の裡に、しっかりここにいるのである。