自分はいったいどこにいるのか、どこへ行きたいのか2022年11月04日 21時09分43秒

★残りの人生、行き先を定めないと

 やっととりあえず一段落してきた。
 今さらだが、父の死と葬儀に関連に関して、多くの友人知人からお悔やみと多々供物や香典も頂いた。いま、とりあえず一段落して、改めて皆さんに厚く御礼申し上げたい。
 正直、お寺をはじめ、あちこちの支払いは何とか赤字に至らず収めることが出来ました。

 父の死という大きな出来事である我の危機は乗り越えられたと言うべきなのだが、実際の「危機」は、これからであり、今後どう我一人で、亡き親たちに経済的に依存することはもうできない現実で無事生きていけるか、新たな段階、異なる状況が始まる。
 正直なところ、少ない父の年金ではあったが、介護保険料や介護施設利用料でほとんどそれらに費やされたとしても、家を維持する必要経費もまあ何とかその中で工面できていた。※実際のところ、九州の妹から時おり補填もしてもらってはいたが。

 必要経費とは、さまざまな税金の類、つまり固定資産税や電気や水道、ガス代、電話代など、この家に嫌でもかかる、父の生死とは関係ない支払いの金のことだ。
 父の年金は、10月の分までは入ってきたけれど、もうこれからは一円も入らない。恥ずかしい話だが、我の年金は、皆無に等しいものであり、無年金と言ってもいい。
 つまり、もうどこからも公的には自然に入ってくる金はないのである。
 ならば、我が必死に頑張って、商売でも何でもしっかり働いて稼げばいいわけだが、現時点では、そうした「古本稼業」の収入は、月数万円程度の微々たるもので、とても毎月必ず出ていく出費・経費にはおいつかない。

 まあ、近く、父の死亡保険金など少しは入るので、年内は何とかやりくりできると思うし、我はバカだから今はまださほど真剣に悩んではいないが、来年からは、ほんとうに毎月ごとの支払いで金の工面に頭痛め真剣に悩むことになるかと予想している。※その保険金とは百万だと記しておく。

 しかし、それもまたその時はそのときであり、幸いにして気持ちはホームレスのようなものでもゴミ屋敷だが幸い住まいとしての家はしっかりあるので、その家さえも手放すことにはならぬよう、極力節約しつつ、まずは自分ができる「商売」に専念していくだけだ。
 そう、お金になるもの、お金になることなら何でもやろうと思う。悠々自適の年金生活者ではないのだから、死ぬまで日々日銭を稼いでいかねばならない。
 だが、それこそが、我の放擲してきた人生に対する、厳罰、つまり罪と償いであり、まさに分相応の人生ではないかとも思える。望むところだ、という気もしている。判決を粛々として受け容れていく。

 嗤われるだろうしおかしな言いだと自分でも思うが、やっとようやくここから、我は我の、本当の人生が始まる気がしている。
 つまり親をはじめ、誰にも依存しない、囚われない、たった一人の人生が始まるのだと。
 逆にそれは、何も抱える物のない、忖度や気遣いしなくても良いわけで、ある意味、自由ということではなかろうか。
 むろん、ウチには多くの動物たちもいて彼らの世話にも追われるわけだが、今のこの猫問題、つまりこれ以上増え続ける状態さえ終われば、事態はごくシンプルになっていくはずだ。

 このところ、秋の澄んだ空を見上げて、我のこれからのこと、残りの人生についてぼんやり思う。
 せいぜい生きられたとしてあと20年ぐらいだとして、いったい何が、どこまでできるだろうか、と。
 若い頃は、誰もと同じく「将来の夢」もなくはなかった。だが、途中でドロップアウトして、世間の流れから外れてしまい、仕事も結婚も続かずできず、全てに困窮し、そうした中でも独自の道で大成する人もいるはずだが、そうもできず、結局親元に帰り、一番安穏とした楽な道に溺れ、ここまで生きてきた。
 そしてその我を愛し甘やかし庇護してくれた親たちを失い、まさに一人でいま、慄然と立ち尽くしている。

 嗤われるだろう。だが、人生はここからだ、と今始まった気がしている。60代半ばで人生を始める人はまずいないだろうが、本当に我の人生は今始まる気がしている。
 自分は今いったいどこにいるのだろう。そしていったいどこへ行きたいのだろう。
 すべきことはいくらでもあり、そうしたメモを書き記したリストを見ると頭痛くなるが、では、したいことは何かと考えると、それがすぐには出てこない。
 残りの人生、自分が行きつく先はどこなのか、せめてその方向を見つけねばならない。
 もう少し若ければ、道に迷うこともゆるされた。だが、もう迷ってる暇も立ち止まる時間もないのである。
 どうしたものか。天を仰ぐ。主に問いかけても罪人サウロのように言葉は下されない。