当ブログ、一時的ですが「再開」します。2023年03月15日 14時15分19秒

★新しく別のブログの場を始める前に

 ご無沙汰しております。
 もう、当ブログは誰も読まないだろうと思いつつ、とりあえず一時的に「再開」することにしました。

 できるだけ早く、このような形式の、ウカツに誰にでも読まれてしまうオープンな公開タイプではなく、真に読みたい方に、こちらも読まれたい方々だけに我の書いたものが届く方法を模索しています。
 決まったら、新たな「移転先」とアクセス方法だけこの場で載せて、と思いつつ、あれから心身共に調子を崩してしまいまだ何一つ新たに動き出しておりません。
 それまでは便宜的に、このブログは、残し続けていきますが、以前のような私的ゴタクや与太話、こちらの情報は控えさせて頂きます。
 ウカツに、そうした「個人情報」や私的所感、近況を告知してしまうとまた様々な面倒な事態が起こる可能性があり、何卒ご理解願います。

 まず、今さらですが、拙ブログを休止、もしくは終わりにしようと思った理由、その経緯から報告していきます。
 これは書くべきかずっと迷ったのですが、じっさいに起きたことなので、今回の結末に至った直接の引き金になったご近所の男からの嫌がらせ電話のことからまず。

 当ブログを「しばらく休止、もしくは終わりにします」と告知したのは、昨年の11月14日のことだった。それからちょうど3か月、いや4か月たつ。季節は秋から冬、冬から春へと変わった。
 その理由は、その場に書いたようなことが一因だったのだけど、正直なところ、完全に「終わり」にしようとはその時点でははっきりと考えていなかったと思う。
 この我のことだからほとぼりが済んだら、またぞろ再開する気持ちがそこに潜んでいたに違いない。
 が、その回をアップしてから、当日少しして我の携帯に、番号は非表示で名前を名乗らぬ男から電話がかかってきたのだ。
 電話を受けた我に男はいきなりこう言った

 「あなたは、ゴタクを並べる前に、まず近所迷惑を何とかしなさい」と。
 こちらの「貴方は誰ですか‼?」という問いかけに、男は何も返答せず、再度同じ言葉を繰り返すと電話を切った。
 愕然とした。いや、呆然とした。そして恐怖のあまり鳥肌がたった。
 
 「近所迷惑を何とかしろ」ということは、このご近所の住人に違いない。つまり、この我が誰であるのか、どこに住んでいる者か把握した上で、我のこのブログを読んでいたのだ。いや、読まれていたのだ。
 我が携帯番号は、ご近所の人には誰にも知らせてないが、企画したイベントの告知などで、何度もその番号はここに載せている。
 まさかこの近隣界隈の住人に、拙ブログが読まれているとは予想もしていなかった。本当にぞっとした。
 そしてこの悪意ある卑劣な電話に対して、次いで怒りが沸々と湧き上がってきた。
 ※その後も無言電話や番号非表示でたぶんその男からの電話はあったけれどもう出なかった。

嫌がらせ電話を受けてから・12023年03月18日 06時12分31秒

★ブログを中止して心身共におかしくなった。

 それにしてもこうした自らは名乗らず、脅し脅迫的なやり方は実に卑怯卑劣ではないか。恐怖と怒りで我の心はかき乱された。

 むろん、彼が言う「近所迷惑を何とかしなさい」には故なく事実無根だとは思っていない。
 この我のことだから、おそらくそのご近所の人に何らかの「ご迷惑」を常日頃かけているのであろう。それは間違いない。
 しかし、漠然と「近所迷惑」と言われても何を指しているのか、何をどうすれば良いのかこちらは判断できないではないか。
 何とかしてほしいならば、きちんと面と向かって我に、これが迷惑だから、これをこうしてくれ、と申し入れて来ればこちらも、スミマセンと詫びて「何とかする」のは当然のことだ。

 こんな我だが他人様とトラブル起こしたくはないし、相手の困る、嫌がる事をそのままにして、すました顔ではいられない。その程度の社会常識はある。
 我に不満があるからとして、どうして拙ブログを読んだうえで、こうした悪意ある、卑劣な行動に出るのであろうか。
 何より頭にきているのは、その発言の中でのまず「貴方はゴタクを並べる前に」の部分である。
 我の書いたことを「ゴタクを並べている」と一蹴したうえで、「何とかしなさい」という上から目線で命じている。「何とかしてください」ならまだしも。※「御託を並べる」とは、説明するまでもないだろうが、どうでもいいことを、くどくどと繰り返すことを指し、無価値なことを指す。
 いったい何様のつもりなのか。

 男の言った言葉を頭の中で何度も繰り返して、マグマが噴出するように強い怒りが込み上げてきた。
 「犯人」が誰かわかったら、その時は殴りつけて殺すほど痛みを与えたかと思う。
 この我は頭に血が上りやすい性分で、傷害事件さえ起こしてはないものの、若い時分はケンカ沙汰で警察や病院のお世話にもなったことがある。
 誰かを突き止めて仕返しすら考えもした。そしてこんな悪意に屈してはならぬ、と誓った。

 ただ、そんな奴が読んでいるのに、平然と今まで通り気楽に好き勝手なこと、個人的近況をここに記していくのは、とてつもなく危険だと思えてきた。
 男は読んで、さらに何か「電話」以上のことをしてくるかもしれないではないか。嫌がらせはエスカレートする可能性も高い。以後、我はちょっとした近所への買い物でも外出時には必ず戸口に鍵をかけるようになった。
 疑心暗鬼ではなく、行き交う近所の人たち誰もに、特に中高年の男に疑いの目を向けるようになった。

嫌がらせ電話を受けてから・22023年03月21日 17時24分06秒

★世間は、こんなバカをほっといてはくれなかった。

 それにしても我は迂闊だった。誰でも自由に目にできるブログというSNSに対して認識が至らなかった。誰が読んでいるか、誰に読まれるか、より慎重にならねばならなかったのだ。
 一番悔やまれるのはまずそのことだ。

 我は性善説というか、そもそも考えが甘いから、このブログを読んでくれているのは、皆、我の書いたものやブログの書き手である我自身に興味や共感、関心がある同類、もしくは同傾向の善い人たちだと漠然と考えていた。
 そう、我や書いた内容に興味も関心もないお方はまず読まないはずだし、スルーするものだと思っていた。※トップページにもそうお断りしてある。
 しかし、現実はそうではなかったのである。
 このブログを、我を監視するためチェックしている人が少なからずいたのだ。
 この我を多々問題を起こす悪しき要注意人物として、その動向を確認するために、その内容とは関係なく(彼らには単なるゴタクを並べているとしか思わないのだろう)読んでいる人がいることは正直ショックだった。
 むろん我だって、どこの誰であるか、どこに住んでいるか、できるだけ明かさぬよう細心の注意で臨んでいた。
 住まいの市町村も、本名も一切明かさず、むろん顔写真も最低限に留めていた。メルアドなどはいったん載せれば、すぐさまスパムメールの餌食になることは経験済みである。
 だから、この近所の人がこのブログを読む可能性は低い、まず有り得ないと思い込んでいた。
 その男、その家の人たちがどうして拙ブログを読み、こいつはあの家のあいつではないか、と気づいたのか、それは定かではない。
 ただ、この家の写真や近所の光景などは折々画像をアップしていたから、何かの折、ネットサーフィンなどしていて偶然目にして気づいたのかもしれない。
 そして、我の休止宣言を目にして、すぐさま(そんなことよりも)近所迷惑をまず何とかしろ、と名も名乗らずに嫌がらせという直接行動に出てきたのである。
 そう、こんなバカをほっといてはくれなかったのだ。