今あるものすべてときちんと向き合おう、応えよう2023年08月26日 23時25分05秒

★ブログ再開します。

 父が死んで間もなく一年となる。天涯孤独での初めての夏も終わろうとしている。

 ウツもだが、ほんとうに人生が行き詰って、さらに様々な悪意ある嫌がらせも多々あって、生きている意味を問い続けた。自業自得にせよ、なんでこんなに苦しく辛いことばかり起こるのか!!
 今も自分にはどこにも居場所がないと思えるし、ほんとにいつ死んでも構わない、もうすべてどうでもいいという気持ちでいる。が、だからといってもうこの人生をすぐさま投げ出しあの世へトンズラしようとは思わない。
 さすれば、まさに、死後裁きにあう。いや、それだけでなく、けっきょく何度でもまた産まれては同じ地獄に出会うだけのことだ。自分はこれを必ず繰り返す。この現世で改めオシマイにしない限り。
 死はすべての終わりではない。肉体は滅びても魂にとってまた新たなスタートとなるのだから。
 そう、救いはないのである。けっきょく死ぬまで生きていくしかない。その中で何が、どれだけできるか、なのだ。

 拙ブログもいろいろ考えたが、我を忌避・嫌悪して問題ある者として監視し糾弾しようとアクセス試みる奴らと、コメント頂いたように少なくても読み手として「再開」を心待ちにされてる方々とを比べて思うとき、悪意・敵意ある奴らに屈して我身の保身の為に、善き愛すべき人々を切捨ててはならぬと思い至った。それはあまりに身勝手であろう。

 先にも書いたが、今このプラットフォームではない、別ブログの場とシステム自体を再考して新たなブログの場を探している。
 が、それがみつかりそちらに安全に移行できるまでは、このブログを続けていく予定だ。

 これまでの経緯も含めて、詳しいことは順次またこの場で書いていく。
 もし少しでも我と我の書くことに関心やご興味ある方はどうかまたお読み頂きたい。
 むろん、同時に我を貶めようと、失態・問題を探しては告発しようと目を光らす奴らも読むとは思う。なので細心の注意をもって、もう隣近所等の世間的なことや、書いたことが通報されるような足をすくわれるようなウカツことは記さないようにする。
 このブログで書き記すのは、あくまでも個人的なこと、我が脳内のこと、つまり趣味嗜好、思想的なことだけとしていく。猫のことや我家の状況等については関心あらば個人名でお問い合わせ頂きたい。きちんと個々お伝えします。

 自分は神の前において誰よりも不誠実な人間である。だからこそ、今あるものすべてにきちんと向き合い、応えたいと願う。この拙いブログを読まれる方とも。
 そのための足がかりとして、このブログを用いたい。
 すべて正直にありたいからこそ、すべてあからさまに書けないようになること(つまり世間的トラブルの種となること)は書かないことにした。

 どうか改めてお付き合いください。

いまが、最低最悪の時。この先にあるのは死。2023年08月29日 09時39分09秒

★ならばこそ、ここから這い上がらねば、戻さねば。

 観測記録史上、最も熱い夏、2023年の8月も終わろうとしている。
 間もなく、我が父母の命日が重なる、哀しみの月、9月が来る。

 拙ブログ再開すると告知した手前、まずは、これまでの経緯を改めて記さねばならない。
 もう本当に頭がおかしくなってしまっていた。何もできないし何もわからなくなってしまった。
 何もかもが、いまそこにあって使ってたものもすぐになくなり見つからなくなり、今自分が何をしていたのかさえわからなくなった。混乱と混沌で今も家の内外は足の踏み場がなく、コバエが飛び交うゴミ屋敷のままだ。
 今もまだバカは変わらないし身体もツラく動かないが、気持ちだけは前向きになった。よって、ブログも再開しようと思い直したのだ。
 そう、このままだと、家の失火や事故を起こして我は間違いなくあっけなく死んでしまう。
 そして、このブログは棚ざらしにされたまま、二度と更新されることない。
 我個人を知る、ごく親しい友人知人たちには、野垂れ死んだ知らせは少し広がるかもしれないが、そうではない拙ブログ少数の読み手の方々は、時間も過ぎて、どうしたのか訝しく思うだけで自然消滅したか、ついに投げ出したと判断し、やがては完全に忘れ去られるだけだろう。
 それもまた致し方ない結末ではあるけれど、そうなる前にもう一度、外の世界との唯一の窓口である我ブログで、できるだけ今の我の「生」を発信したいと思い直した。
 どうしようもない失敗した人生、生きている価値もないと自分でも思うが、その人生の後始末、死ぬための「経過報告」を記していけたらと願う。もしかしたらそこに少しは何らかの読む価値もあるかもしれないと。

 君たちは、どう生きるか、なる題名の本や映画が巷では話題であるが、その問いかけに、どう生きるか、ではなく、どう死んでいくか、こそが問題なのだと答えたい。この歳になると。
 そう、どう死ぬかは、カンタンなことで、人は存外あっけなく自死でなくてもある程度老いればすぐに死んでしまう。不測の病気や転倒など迂闊な事故等で。
 ならばこそ、死ぬために、どのような道筋を選ぶか、進むかこそが一番大事なことではないか。それは断捨離などという些末な身辺整理などですむ話ではない。
 君は、いったいどう死んでいくか、との問いかけを前に、その報告を記していきたい。