5月に入りました2024年05月01日 20時35分04秒

★風薫る五月~ですが

 今日から5月に入った。薫風の五月晴れのはずなのだが、今日は朝から弱い雨がずっと降り続き、今晩も夜半まで降り続くとの予報。
 雨のせいか、何かうすら寒い。

 春は雨が多いのは毎年のことだが、今年は例年よりも雨や曇りの日が多いと感ずるのは自分だけだろうか。
 風薫る五月、というと思い出すのは、かつて毎年この季節、大型連休には年中行事として我は通い続けた、大阪の服部緑地での「春一番コンサート」である。
 あの駅から、会場のある会堂までの緑あふれる公園のなか、緑地を歩いた道筋こそ、まさに風薫る五月だったと今振り返ってただただ懐かしく思う。

 詳しいことはわからないが、今年もまた春一は、その会場で盛大にやっているのだと思う。
 もう自分は、出禁だからであるだけでなく、そのコンサート自体に関心を失い、もう行くこともないわけだが、思い出として懐かしく思える。※あの公園にはいつかまたこの季節に行ってみたい。
 かつて そこで知り合い友となった人たちの顔が思い浮かぶが、おそらく皆はまだまた今年も連日通っているのだろう。彼らに幸あれ、無事であれと願う。

 いま、我は家のことに追われ、多くの動物たちの世話と生活再建の途上にあり、もうあの頃のように気軽に一週間も家を空けることはできなくなった。
 そうしたことが出来た頃、つまり親たちがまだ元気でいて、家のことは彼らに任せて、自由に好き勝手なことが出来た頃がただ懐かしい。
 昔は良かったなんて言うつもりはない。そうしたことが出来たこと、その楽しい思い出がたくさんあることだけで、もう今は十分だと思える。

 いまもう一度「春一」に行けたとしても、敬愛した阿部ちゃんは亡く、様々な規制強化で居心地は悪いだけだろうから、そこに自分の居場所はまったくない。
 ただかつての楽しい思い出、それもコンサート自体よりその場所で知り合った「春友」と呼べる人たちとの「思い出」が多々あるだけで、もはや十分なのである。もう新たに何もいらない。思い出を増やそうとも思わない。

 そして思う。あの頃は、やりたいこと、行きたいところがいっぱいあり、実際それも気軽にできたわけだが、ほんとうに肝心なこと、自分が本当に為すべきことはわかっていなかった。
 今は、はっきり何をいますべきか、それだけははっきりわかる。ただ、体力的、経済的にも一人身となったいま、なかなかそれはできない。そのことに忸怩たる思い、苛立ちを覚える。
 あの頃は、ただ何であれ、楽しいことを新たに「増やすこと」に意味があった。
 そうして次々、新たな場に出向き、我は増やし続けてきたわけだが、今は逆に、減らすこと、無くしていくことに意味があると思えてきた。
 そして同時に、これまでずっと増やし溜めて溜まったモノゴトを少しづつでも、整理、検証しなおして残すべきものとそうではないモノと分別して、我亡きあとに備えねばならない。

 そう。人生には終わりがあるし、我の余生ものこり少ないのだから。
 今さらながら振り返って、ほんとうにずいぶん好き勝手に生きてきたと思う。
 皆さんが子育てや会社勤めで身動き縛られ、生活に縛られ苦労されていた時間、我は自らの楽しみだけに生きてこれた。親たちも我を溺愛し、何でも赦してくれた。
 愚かで時に自堕落ではあったが、今はこれまでしてきたことに悔いはない。好き勝手に好き勝手なことができたのだから。
 ヒトを傷つけたり、多くの友人知人たちに迷惑かけたことなど、思い出せば苦い味がしてくるが、バカゆえそういう風にしか、生きられなかったのだから仕方ない。時間は戻せないのだから。
 もしまだ時間があり、人生をやり直せるとしても、きっとこの男はまた同様の事態を繰り返す。そう、バカは死ななきゃ直らないのだから。

 ともあれ、また今年も猛暑の夏が来ると思えるが、残す八か月、改善の成果が示せるようやっていく。
 近く拙ブログも新たな場で移転、再開できるかと思う。昨秋から中止していた古本稼業も再開したい。

 拙を守る、という言葉があるが、拙しかない自分ゆえ、守るも何も必死に精一杯やっていくしかない。
 幸いこのところ鬱気分は収まってるし、右腕、右肩の腱鞘炎は回復傾向にある。まだまだできる、きっとこれからは良くなると信じて鼓舞してやっていこう。
 どうしようもない人生だが、それでも人生にイエスと言おう。人生は素晴らしい。風薫る五月のように。