亡き人たちへの思いを書き記す・ 1.ウディ石川さん ― 2024年09月02日 23時01分40秒
★石川さんと我
このところ友人知人の訃報が相次いでいる。
皆、我よりは幾分年上だが、何で彼であって我ではないのか、ずっと自問している。
どうして善い誰にも愛され惜しまれる人は先に逝き、我のような誰からも疎んじられ無価値な人間が臆面なくもまだ生きているのか、いつもその死の知らせの都度思う。
しかしそれは、もし神の計らいだとしてもそこに答えは出ない。言えることはただ一つ、我はまだその時でなく、まだ生きて為すべきことがあるからだとしか思えない。
かの漱石に、『長谷川君と余』と題する短編、というより随筆がある。そこに出てくる長谷川君とは、あの二葉亭四迷のことであり、漱石は、二葉亭とは親しい間柄ではなかったのに、出版社からだったか二葉亭の死後、追悼号に請われて筆をとり亡き人の思い出を記した名短編である。
友と呼べるほど親しい関係でなかったものの、漱石はたんたんと彼との少ない出逢った機会を思い出しつつ、偉大な文筆家の死を深く悼んでいる。
漱石には、盟友子規をはじめ、多くの友人知人への追悼、思い出文が残されているが、中でもこの長谷川君こと、二葉亭に関する一文は押さえた筆致ながらその哀しみと亡き人の人柄と偉大さ、敬愛が伝わる名文である。
我も拙くもそれに倣って、この2024年夏、8月の初旬に急逝した石川さんと我について記しておこうと思ふ。
ウディさんと記すか、ウッディさんと記すか迷うものの、彼は素晴らしく奇特な不思議な人であった。あんな人はもう二度と他に会うことはないだろう。※以下、「ウディ」として記す。
彼を知ったのは、まだ谷保かけこみ亭で、月一?でだったか、誰でも参加できるオープンマイクのライブが開催していた頃で、その場で見知ったのだと思う。
テン・ホールズのハーモニカを西部劇のガンマンの如く、ベルトにいくつもホルダーに入れ、たくさん下げていてまず驚かされた。そんな人は初めて見た。
と言ってもテンホールズのハーモニカとは、何かまずそこから説明しないとならないか。
小学校などの音楽教育で嫌でも買わされ吹かされる複音のハーモニカとは違い、穴が10個しかないごく小ぶりなハーモニカのことをテンホールズと呼ぶ。またはブルースハープとも。
フォークソングやブルース、ロックでは、そのテンホールズのハーモニカをライブや録音で用い多用されている。
ただ、問題は、キーごとにそのキーのハーモニカを使わねばならないことで、ハ調、つまりCの曲ならば、Cのキーのそのハーモニカを用いないないと合わすことが難しい。
ということは、各キーごとに合ったハーモニカが必要となる。しかも曲には、マイナーとメジャー、つまり長調と短調があるので、ハーモニカもまたマイナーの曲には、マイナーのそれをキーごとに使わないと合わすことはできないのだ。
マイナーのも入れれば、全部で20本以上揃えないとならないのである。まあ、あまり使われないキーも当然あるが。※FとかFmとか。
我も下手くそながらそのブルースハーブをギター弾きながらホルダーに挟んで吹くので、そのキーごとに、マイナーもすべて揃えて持っている。
が、それをホルダーに入れてベルトに下げて全てを腰に巻いている人がいるとは仰天した。
確かに、曲ごとにキーは違うのは当然だから、曲が変われば我など常に慌てて合うキーのハーモニカを数ある中から探し出すのにいつも苦労している。
それを、キーごとに順にホルダーに入れて常に腰にベルトで下げておけば探し迷うことは少なくなるはずだ。
ライブの後だったか前だったか、ウディ氏に、そのベルトハーモニカホルダーについて尋ねたら手作りだと言う。そう、すべてにわたって彼はそうした創意工夫のハンドメイドの人であった。
そしてその時は知らなかったのだが、氏は、ハーモニカのみならずフォークギターの稀代のコレクターであったのだ。
《長くなるのでもう一回続きます》
※昨夜は、友人久我さんの訃報が届き、彼と知り合ってから約20年のことがあれこれまさに走馬灯の如く思い出され、気がついたら一睡もしないうちに朝となった。ので寝不足で今目がかすんできている。
このところ友人知人の訃報が相次いでいる。
皆、我よりは幾分年上だが、何で彼であって我ではないのか、ずっと自問している。
どうして善い誰にも愛され惜しまれる人は先に逝き、我のような誰からも疎んじられ無価値な人間が臆面なくもまだ生きているのか、いつもその死の知らせの都度思う。
しかしそれは、もし神の計らいだとしてもそこに答えは出ない。言えることはただ一つ、我はまだその時でなく、まだ生きて為すべきことがあるからだとしか思えない。
かの漱石に、『長谷川君と余』と題する短編、というより随筆がある。そこに出てくる長谷川君とは、あの二葉亭四迷のことであり、漱石は、二葉亭とは親しい間柄ではなかったのに、出版社からだったか二葉亭の死後、追悼号に請われて筆をとり亡き人の思い出を記した名短編である。
友と呼べるほど親しい関係でなかったものの、漱石はたんたんと彼との少ない出逢った機会を思い出しつつ、偉大な文筆家の死を深く悼んでいる。
漱石には、盟友子規をはじめ、多くの友人知人への追悼、思い出文が残されているが、中でもこの長谷川君こと、二葉亭に関する一文は押さえた筆致ながらその哀しみと亡き人の人柄と偉大さ、敬愛が伝わる名文である。
我も拙くもそれに倣って、この2024年夏、8月の初旬に急逝した石川さんと我について記しておこうと思ふ。
ウディさんと記すか、ウッディさんと記すか迷うものの、彼は素晴らしく奇特な不思議な人であった。あんな人はもう二度と他に会うことはないだろう。※以下、「ウディ」として記す。
彼を知ったのは、まだ谷保かけこみ亭で、月一?でだったか、誰でも参加できるオープンマイクのライブが開催していた頃で、その場で見知ったのだと思う。
テン・ホールズのハーモニカを西部劇のガンマンの如く、ベルトにいくつもホルダーに入れ、たくさん下げていてまず驚かされた。そんな人は初めて見た。
と言ってもテンホールズのハーモニカとは、何かまずそこから説明しないとならないか。
小学校などの音楽教育で嫌でも買わされ吹かされる複音のハーモニカとは違い、穴が10個しかないごく小ぶりなハーモニカのことをテンホールズと呼ぶ。またはブルースハープとも。
フォークソングやブルース、ロックでは、そのテンホールズのハーモニカをライブや録音で用い多用されている。
ただ、問題は、キーごとにそのキーのハーモニカを使わねばならないことで、ハ調、つまりCの曲ならば、Cのキーのそのハーモニカを用いないないと合わすことが難しい。
ということは、各キーごとに合ったハーモニカが必要となる。しかも曲には、マイナーとメジャー、つまり長調と短調があるので、ハーモニカもまたマイナーの曲には、マイナーのそれをキーごとに使わないと合わすことはできないのだ。
マイナーのも入れれば、全部で20本以上揃えないとならないのである。まあ、あまり使われないキーも当然あるが。※FとかFmとか。
我も下手くそながらそのブルースハーブをギター弾きながらホルダーに挟んで吹くので、そのキーごとに、マイナーもすべて揃えて持っている。
が、それをホルダーに入れてベルトに下げて全てを腰に巻いている人がいるとは仰天した。
確かに、曲ごとにキーは違うのは当然だから、曲が変われば我など常に慌てて合うキーのハーモニカを数ある中から探し出すのにいつも苦労している。
それを、キーごとに順にホルダーに入れて常に腰にベルトで下げておけば探し迷うことは少なくなるはずだ。
ライブの後だったか前だったか、ウディ氏に、そのベルトハーモニカホルダーについて尋ねたら手作りだと言う。そう、すべてにわたって彼はそうした創意工夫のハンドメイドの人であった。
そしてその時は知らなかったのだが、氏は、ハーモニカのみならずフォークギターの稀代のコレクターであったのだ。
《長くなるのでもう一回続きます》
※昨夜は、友人久我さんの訃報が届き、彼と知り合ってから約20年のことがあれこれまさに走馬灯の如く思い出され、気がついたら一睡もしないうちに朝となった。ので寝不足で今目がかすんできている。
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