もう一度、ここから世界と繋がりたい ― 2024年10月15日 21時11分38秒

★もう誰もいないからこそ
この歳になると―つまり、70歳が指呼の間に見えてくると、しかも独身の一人暮らしの者となると、そろそろ人生の撤収へ舵を切らないとならない。
後を託す者がいないからこそ、唯一の親族である妹やその息子たちに我の死後できるだけ迷惑をかけないためにも、いわゆる断捨離とか、死に活に励み、後腐れなく死ぬための準備に取り組まねばならない。
が、今また、今さらだが、いくつか年内にイベントのようなものを新たに企画している。※まあ、これが最後の夢、妄動だと思えるが。
先にも告知したが、もう二週間足らずとなってしまったが、昭島でのフリーマーケットとフォークコンサートの催しがある。
12月には、かけこみ亭で、盟友太田三造さんのワンマンコンサートも企画している。ただ、それにはまだ時間があるので、先ずは今、目前に迫ってきた10月27日の昭島での、旧社宅寮の一階、空きホールを利用してのイベントについて書く。
先日、大家さんから鍵も受け渡してもらい、これからその会場となる、旧社員寮の食堂であったホールを掃除してライブ演奏とフリーマーケットのブースを設定するなどの準備に取り組まないとならない。
と、同時に地域の人たちが「お客」として来て頂けるよう、宣伝活動にも励まないとならない。
が、正直に書くが、スタッフが当日まで誰もいないのである。我一人で、ぜんぶ片づけて、駐車スペースの草刈りをして、会場内の設営しないとならなくなった。
当初、空いているスペースがあるから、そこを使って何か町おこしに繋がるようなイベントをやってみないか、と縁あってそこの持ち主の方からお話を頂いたときのこと。
正直なところ、最初は気が進まなかったし、何より私的雑事やトラブルに追われて身動き取れなかった。
が、ふと冷静に考えると、自由に使えて、人が集える場があるのはそれはとても善いことではないか、と思えてきた。うまくすればそこから様々な出会いや再会があり、新たな動きが始まるかもしれない。
ならばそのための「場所」をつくって、仕掛けるのは、もしかしたら我にとって使命、天命かもしれないと思えてきた。※トラブルもやや片づいてきたこともあったし。
で、地元の友人や個人的に親しいシンガー、友人知人にも相談して賛同を得た。
開催に向けてスタートしたのだが、当初からまず10月内を想定していたら、参加協力者のご都合もあり、その最終の日曜、27日に決めたら、突然石破新首相の身勝手な動機により、衆院選挙の投票日当日に重なってしまった。
そのため、選挙の手伝いとかもあるとのことで、スタッフがいなくなり、当日は来てくれる女友達とかはいるのだが、事前の下準備からお手伝いしてくれる方は現在皆無となってしまった。
また当日は参加してくれる方も、その後にそれぞれ用事もあるので、短時間の「お手伝い」となるようで、下準備から当日の運営・進行までおそらくほぼ我一人ですべてやらねばならないというのが、現在の状況だ。
※コンサートのほうは、当日の担当してくれる方がいるのは有難いことだ。
このブログとフェイスブックには、そのチラシをアップしたものの、他は忙しくてまだまったく宣伝活動はしていない。いったいSNSでどうやればカクサンできるのだろうか。疎い我は試行錯誤、いや思考錯誤している。切羽詰まれば、その会場近所の家々にチラシを撒くことも考えている。
当日は、地場野菜とか玄米の販売もあるし、ほんとうに我一人でいったい何ができるのか、どこまで対応できるのか考えたら一昨日は悪夢にうなされた。
しかし、もう船は港から出た。いまさら引き返すことはできないし、できればこの航海は、回を重ねて続けられたらと願う。
嗤われるだろうが、今さらだが、我はもう一度この世界と繋がりたいと願う。新たな出会いの場を、まず誰よりも自らが求めてのことだ。
もう我には誰もいない。だからこそ、もう一度新たな出会いを求めて。
どうかご協力、宣伝告知のほど、どうすれば良いのかアイディア、お知恵を貸してください。
★出品者・出演者も募集中です。
この歳になると―つまり、70歳が指呼の間に見えてくると、しかも独身の一人暮らしの者となると、そろそろ人生の撤収へ舵を切らないとならない。
後を託す者がいないからこそ、唯一の親族である妹やその息子たちに我の死後できるだけ迷惑をかけないためにも、いわゆる断捨離とか、死に活に励み、後腐れなく死ぬための準備に取り組まねばならない。
が、今また、今さらだが、いくつか年内にイベントのようなものを新たに企画している。※まあ、これが最後の夢、妄動だと思えるが。
先にも告知したが、もう二週間足らずとなってしまったが、昭島でのフリーマーケットとフォークコンサートの催しがある。
12月には、かけこみ亭で、盟友太田三造さんのワンマンコンサートも企画している。ただ、それにはまだ時間があるので、先ずは今、目前に迫ってきた10月27日の昭島での、旧社宅寮の一階、空きホールを利用してのイベントについて書く。
先日、大家さんから鍵も受け渡してもらい、これからその会場となる、旧社員寮の食堂であったホールを掃除してライブ演奏とフリーマーケットのブースを設定するなどの準備に取り組まないとならない。
と、同時に地域の人たちが「お客」として来て頂けるよう、宣伝活動にも励まないとならない。
が、正直に書くが、スタッフが当日まで誰もいないのである。我一人で、ぜんぶ片づけて、駐車スペースの草刈りをして、会場内の設営しないとならなくなった。
当初、空いているスペースがあるから、そこを使って何か町おこしに繋がるようなイベントをやってみないか、と縁あってそこの持ち主の方からお話を頂いたときのこと。
正直なところ、最初は気が進まなかったし、何より私的雑事やトラブルに追われて身動き取れなかった。
が、ふと冷静に考えると、自由に使えて、人が集える場があるのはそれはとても善いことではないか、と思えてきた。うまくすればそこから様々な出会いや再会があり、新たな動きが始まるかもしれない。
ならばそのための「場所」をつくって、仕掛けるのは、もしかしたら我にとって使命、天命かもしれないと思えてきた。※トラブルもやや片づいてきたこともあったし。
で、地元の友人や個人的に親しいシンガー、友人知人にも相談して賛同を得た。
開催に向けてスタートしたのだが、当初からまず10月内を想定していたら、参加協力者のご都合もあり、その最終の日曜、27日に決めたら、突然石破新首相の身勝手な動機により、衆院選挙の投票日当日に重なってしまった。
そのため、選挙の手伝いとかもあるとのことで、スタッフがいなくなり、当日は来てくれる女友達とかはいるのだが、事前の下準備からお手伝いしてくれる方は現在皆無となってしまった。
また当日は参加してくれる方も、その後にそれぞれ用事もあるので、短時間の「お手伝い」となるようで、下準備から当日の運営・進行までおそらくほぼ我一人ですべてやらねばならないというのが、現在の状況だ。
※コンサートのほうは、当日の担当してくれる方がいるのは有難いことだ。
このブログとフェイスブックには、そのチラシをアップしたものの、他は忙しくてまだまったく宣伝活動はしていない。いったいSNSでどうやればカクサンできるのだろうか。疎い我は試行錯誤、いや思考錯誤している。切羽詰まれば、その会場近所の家々にチラシを撒くことも考えている。
当日は、地場野菜とか玄米の販売もあるし、ほんとうに我一人でいったい何ができるのか、どこまで対応できるのか考えたら一昨日は悪夢にうなされた。
しかし、もう船は港から出た。いまさら引き返すことはできないし、できればこの航海は、回を重ねて続けられたらと願う。
嗤われるだろうが、今さらだが、我はもう一度この世界と繋がりたいと願う。新たな出会いの場を、まず誰よりも自らが求めてのことだ。
もう我には誰もいない。だからこそ、もう一度新たな出会いを求めて。
どうかご協力、宣伝告知のほど、どうすれば良いのかアイディア、お知恵を貸してください。
★出品者・出演者も募集中です。
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