このところの近況をランダムに記していく①2025年10月01日 23時01分25秒

★10月に入った。

 今日から10月。久々の雨の幕開けである。
 薄くなったカレンダーを剥がして、今年も残り三か月だと気づく。
 つい先日新しい年になったと思ってたら、もう今年も四分の三が終わってしまったのだ。
 懸案のことが何一つできないまま月日だけが過ぎていく。ただ一つ確かなことは、まだ幸い我は生きてここにいる、この世に在るということだけだ。
 ならばその証として当ブログを記していかねばならない。

 暑さ寒さも彼岸まで、とはよく云ったもので、彼岸を境に晴れると陽射しはまだ強くても朝晩はめっきり涼しくなってきた。
 今日など一日雨で気温が上がらず、室内でもTシャツ一枚では寒いほどで、早く衣類も布団も冬用のものを出さねばと思った。
 ついこの間まで、連日毎朝の9時に市の街頭スピーカーから流れていた「熱中症に気を付けてください」、という警戒アラートも途絶えてしまった。
 季節は確実に秋へ、冬へと進んでいる。
 焦りや不安は覚えないが、本当に年内にやるべきこと、やらねばならないことを一つでも、少しでも終わらせて成果を出さねばと今さらにして思う。特に人様に約束したことこそは。

 それにしてもどうしてこんなに慌ただしく忙しいのか。このブログを書く時間さえ取れなかったのである。
 その言い訳にもならないが、この夏前からの様々なトラブル、面倒な出来事をランダムに何回かに分けて記していく。
 そんなことよりまず前に進め、やるべきことやれ、という声もあろう。が、まず過去をきちんと記録しておかないと、この先また新たなトラブルや事件が起きたとき、参考や経験値にもならない。
 我はほんとうのバカで、特に今は記憶が続かないから、今年これまでいったい何があってこんなに忙しかったのか、備忘録としてもどこかに記さないことにはまた新たに過ちをしでかす。

 まず一番最近のこと、左手中指が感染症に罹りものすごく腫れてしまい、近く一番大きい総合病院へ朝から行ったことから。

 10日ほど前のことだろうか。ウチの猫たちの目が涙目になってしまい、猫風邪かと思うのだが、目ヤニがひどくて我は拭き取って目薬をたらしてあげていた。
 が、嫌がって暴れる猫もいて、思わず我は左手の中指を噛まれてしまった。
 傷は大したことなく、猫に引っ掻かれたり噛まれて血が出ることは毎度の日常的なことなので、消毒もせずにそのままにしていた。後で手洗いぐらいはしたかと思うが。
 そしたら、傷口は癒えて来ても噛まれた部位が鈍く痛痒く、やや腫れたままなかなか治らない。
 まあ、自然にやがて治るだろうと、気にはなったがそのままにしていた。
 そしたらば、五日ぐらい前に、餌やりのときにまた同じ指を別の猫に爪で刺されるように引っ掻かれてしまいまた少しだけ血が出た。
 そのときも自分で舐めた程度で、そのままにしてしまったら翌朝見たらば、その指はものすごく腫れてきてしまった。
 最初の傷の腫れは、左手中指の第二関節の上だったのが、腫れはその関節の下までも広がり、紫色というのだろうか色覚障害の我でも気づくほど赤黒く色が変わりパンパンに腫れてきた。触ると熱いほど熱もっている。
 付け根の部分は腫れていないから、まるでウインナソーセージが手に生えたようである。
 痛みも強くはないが、じんじんと痺れたような鈍い痛みが続いている。困った。
 さあ。どうしたものかと迷った。たぶん時間置けば自然治癒するだろうと思う気もあったが、あまりに太く腫れてしまい色も変なので病院に行くしかないと覚悟した。
 下手にそのままにしてしまうと、本当にギターも弾けないばかりか何もかもできなくなるかもしれない。

 世の中には小さなケガや体調不良でもすぐさま医者に診てもらうことを選ぶ人がいるが、我はまず病院にはめったに行くことはない。
 我は迂闊で考えなしだから、猫にやられなくても小さな切り傷、擦り傷は年中まさに日常的なことだし、メマイやふらつきの持病もあるため転倒もよくあることで、その都度病院通いしてたら、金よりも時間がとられてどうしようもなくなる。
 だから病院へ行くことはめったにないし、薬も基本呑まない。
 しかし今回はやはり少し心配になってきた。老いて体力も落ちてきた。待ってても自然に果たして治るのか?

 そのT会という近隣では一番でかい病院へは、数年前深夜に家の階段から足滑らせて落ちて、左の胸の肋骨を柱に強く打ちつけてしまい、しばらく痛みで身動き取れなかったが、救急車呼ぶことなく何とか自分で車出して急患扱いで診てもらったとき以来である。

 一昨日の朝、自転車で9時半頃着いたが、駐輪場に停めるスペースがないほど朝から混んでいた。
 まず受付で、指を見せて何科にかかるべきなのか相談したら、形成か外科の2つとも今日は込み合っているから、診てもらえるか確認取ってからとのことで、連絡待ちのまま30分ほど待たされた。
 これではたぶん診察できたとしても待たされて終わるのは昼過ぎだろうな、と来たことを悔やみ始めてたら、専門医ではないが、救急外来で診てもらえることとなり、そのフロアに案内された。
 そこは受付の喧騒が嘘のように静かで、ベンチで待つ人も数人だった。

 待つことなく看護師の問診と質問用紙に記入してわりとすぐに診てもらえた。
 若い担当医は、一瞥して感染症だから、ハシヨウ風の怖れもあるとしてまた問診票書かされてから肩に注射打たれ終わった。
 会計終えて時計見たら11時である。思ってたより早くすんだ。救急外来で診てもらえて良かった。むろん後日にまた来院して専門医に再度診てもらわねばならないことだが。
 ただ出してもらう抗生剤の薬局窓口見たら、50分待ちと出てたので、いったん家に戻り再度訪れて薬もらえた。
 以後、我としてはマジメに日に3回、その薬を飲み続けていたら、今はもう痛みはほぼなくなって腫れも引いてきた。ただ色が変わってしまった部位はそのままだけれど。

 今回の件で思ったことは、自然治癒を待ちほったかしにしていても治ったかどうかわからないし、治ったとしても時間はずいぶんかかっただろう。痛みと不安で過ごすのもバカらしいことだ。
 医師からも言われたが、指の関節はそのままにしておくと固まり動かなくなることもあるのできちんと早く治すことだと。
 今回は、痛風での痛みの件は口にしなかったが、やはり何にしてもすべて「ほったらかし」にしてはならないのだと気づかされた。

 そう。身体もなにもかもそのままにしておかず、常に手を加えていくことだ。些細な傷やトラブル、不注意が大きな災難や問題化となっていく。
 どんなことでもできるだけ早く、適切な対応していく。自分人生の根本的過ち、失敗はすべてにおいて思い怠りて「ほったらかし」にしてきたことだったのだ。

高田渡とも縁の深い、吉祥寺教会の後藤神父訃報のお知らせ2025年10月06日 23時05分06秒

★後藤文雄神父は、9月17日に亡くなられました。亨年96歳。

 もう既に吉祥寺界隈の事情通の方々はご存知かもしれないが、故高田渡とも縁の深かったカトリック吉祥寺教会の、ごっちゃんこと後藤神父が亡くなられました。
 昨日、立川教会のミサの終わりに、お知らせとして、先日訃報のファックスが遅れて届いたと告知があり今さらながら知らされた。
 既に吉祥寺教会にて、通夜及び葬儀ミサ、告別式も先月の22日、23日に終わっている。

 ごく簡単に説明すると、後藤神父は、長らくカトリック吉祥寺教会の主任司祭として終生その教会で過ごされ、クリスチャン、パウロ・高田渡の葬儀を司った方としてだけでなく、その後も本来厳格なはずのカトリック教会のその大聖堂内で、渡氏の友人知己による追悼コンサートの開催も許されたほど音楽に理解あるとてもユニークな神父であられた。
 後の「生誕祭」にも参加されていたので、クリスチャンでなくてもその名とお姿はご存知の方もおられるかと思う。

 我は、彼と個人的には親しく語らう機会はなかったが、高田渡を通して我もまたキリストの僕、その端くれとなるきっかけを与えてくれた恩人であり、96歳という年齢とはいえ、さまざまな思い出と深い感慨がわく。
 後に、たまたま菊池大司教、枢機卿とお会いした時に、その話をしたらば、神の計らいは我々にはわからない、まさに驚かされると語られて我もまたそう思えた。

 我は今は諸々事情あって、吉祥寺教会へはなかなか行けないが、彼は晩年まで、天気の良い日には、吉祥寺教会入り口右手の、マリア像に続く回廊の藤棚の下のベンチに座って、信者のみならず訪れる方誰にもきさくに語らい福音を授けていたとのことで、まさにその姿は生ける聖人のようであったときく。

 ごっちゃんと皆に呼ばれ、誰にも愛され親しまれた彼の生涯は、その自伝本に詳しいが、厳格かつ堅苦しいというイメージの強いカトリック教会を誰にでも開かれた、赦しの門として開放した功績はとてつもなく大きいと我は思う。
 個人的な事だが、彼は昭和4年の生まれで、我の母と同年同月の生であった。2016年に癌で死んだ母がもしまだ生きていれば、今年で96歳だったのか。

 これで今年の哀しみの月は、すべて終わったことになる。

ともかく慌ただしく疲れ果てていた2025年10月30日 13時17分58秒

★ようやく一段落したか、と

 寒くなった。10月も終わりとなる。またまた当ブログ、更新怠りて申し訳ない。
 先週は出かける用事やら雑事がいっぱいで、寝る時間もなくふらふらで、やっと今週になって少しだけ一段落してきたのだが、また不安神経症がぶり返してやや苦しかった。
 が、破綻してしまった人生を少しでも再建していく道筋は見えてきたし、ともかく少しでもすこしづづでも日々進めていくしかないわけで、相変わらず隣近所が煩いし、また苦情が届いていると市の環境課職員が来るは、と心乱されることは多々あるが、人間は一人だけなので我のペースでやっていくしかない。
 そう、遅々としてても少しでも少しづつでも、だ。

 そんなこんなで、まずまたこのところの近況から書き進めていく。が、