新曲「いやなものは嫌ですと」2021年07月12日 11時06分14秒

★三密クラスターズ7月新曲 「嫌なものはいや」

※いやなものは嫌ですと はっきりと
 口にできる社会で あってほしい
 いやなものは嫌ですと どうどうと
 口にできる勇気を 私にください

1,そのワクチンは打ちたくありません
 理由はともかく 打たれたくない
 私のからだは わたしだけのもの
 他人にあれこれ 強制されたくない ※

2.その法律には従いたくない
 理由はともかく 自分勝手と言われようとも
 私の心は わたしだけのもの
 他人に絶対 売り渡したくない ※

3,じぶんの生き方はじぶんで決めていく
 周りの皆は従っているけれど
 世間に合わせる理由はない
 じぶんの人生 とことんじぶんらしく
 たとえどんなに 非難されようとも
 大きな力に 押し潰されそうになっても
 私のじんせいは わたしだけのもの 
 自分の信念は曲げたくない 
                     ※
 いやと言える勇気を 私にください

♪コロナは続くよ いつまでも 【歌詞】2021年05月11日 12時38分29秒

★コロナは続くよ どこまでも  ※線路は続くよ のメロディで
                         keyG ※いやいやそうに

コロナは続くよ どこまでも 野をこえ 山こえ 国こえて
世界のどこでも 僕たちに 新しい日常を押しつける
三密を避けよう 三密を避けよう 人との距離はとろう
密室は避けよう 密集はやめよう 密接になるのはよそう 

コロナの時代は 便利だな 仕事も 買い物も 出かけずに
何から何まで オンラインで 新しい日常は引きこもり
オンラインでやってこう オンラインでやってこう
面接から葬式まで オンラインで
オンラインですまそう オンラインですまそう 
ライブから飲み会までオンラインで

百合子やガースは気楽だな お酒を出す店は営業するなと
街の明かりも消せと 電車も減らせと
コロナ対策は 場あたり思いつき
オリンピックは開催する オリンピックは中止しない
感染者がどれほど増えようと
オリンピックは金のため オリンピックは金のため
コロナで死ぬ人が増えようと
コロナは続くよ いつまでも

無事「無観客」で終了。ご協力、ご支援有難うございました。2021年05月10日 06時19分16秒

★これでようやく「次」へ行ける

 昨夜の「無観客」イベントは、無事に終えられました。幸いにして「ほどほど」の関係者、冷やかしの人は来られましたが、無観客ながらも盛り上がり、このコロナ禍中、感染防止対策を徹底したうえでの「開催」、成功いたしました。
 改めて参加者、関係者のご支援、ご協力をこの場で心より感謝いたします。
 出られた方々個々について、詳細は割愛しますが、御大さこ大介大兄をメインにとても楽しい素晴らしい一夜となりました。
 
 今終えて一夜明けて、朝陽の中でこれを書き記している。
 充足感に満ちた、というのはオカシナ表現だが、一つの難事を成し終えて深い満足感に浸っている。
 この数日、父のこととイベントの準備もあってあまり寝てないのと、昨日はハツカネズミのように早朝から夜遅くまで一日動き回ったので、身体は鉛のように重く怠いが、気持ちだけはこの朝日のように爽やかだ。
 
 音楽家として人として我が心から敬愛する希代のシンガー、さこ大介さんを我の手がける企画にやっとお迎え出来、ソロながらもたっぷり唄って頂いた。
 無観客のため、ギャラなどはお車代程度しかお渡しできなかったが、幸いにして、CDなど物販はほぼ完売したとのことで、そのことも喜びに繋がっている。
 この終わりの見えないコロナ危機、多くのシンガー、ミュージシャンが活動の場を失い、今苦境に喘いでる。
 その苦難の時だからこそ、支援と言うのはおこがましいが、力になれることはないかと考えたとき、つまるところ我が出来ることはいつも通りにライブの場を設けることしかない。

 今、新・新型ウイルスの感染爆発の最中、ガースや女帝都知事の「要請」と言う名の「強制」に従い、ただただじっと出かけずに誰もが各自の家の中で、感染拡大が収まり終息しまた元の日常が戻るまで大人しく「自粛」すべきなのかもしれないと思い迷った。
 が、それでは経済もだが、全てが回っていかない。人の流れ、交流や関係を止めてしまえば、文化も芸術もそれ以前に人間社会、その関係そのものが崩壊してしまう。
 特に「音楽」は、一方的に流れる川の流れのようなものではなく、演者と聴き手双方との「交流」のものだから、ライブ配信だけではなく、まずそこに人的な集う場がなくてはならない。
 その場が今「禁止」されてしまっているからこそ、あえてつくるべきだと考えた。

 今オリンピックを筆頭に、スポーツ関連イベントは容認されて、自粛するどころかしきりにマスメディアで喧伝されている。一方、音楽イベントや文化・芸術施設、人々の交流の場である居酒屋などの飲食店は休止、休業を余儀なくされている。
 何度でも繰り返し出される「緊急事態宣言」下、出口の見えない状況だから、まさに仕方なく、それにしても打てる対策はそんなものしかないのかと憤るが、あまりにも不合理、不平等であり、場当たり思いつきではないか。
 このままでは美術館、映画館も含めた文化、芸能、大衆娯楽施設は消えてしまう。コロナウイルスが真に収束したとき、人類が有史以来築き挙げてきた「人間社会」はそこには存在していない。
 スポーツも文化の一つだと思うけれど、芸能文化というもののすそ野はもっと広く大きい。
 コロナはこれからも続く。おいそれと人類は打ち勝つことはできやしない。
 ならばこそ、アフターコロナではなく、ウイズコロナとして、このコロナ禍の中で、出来る活動を維持、継続していくしかない。

 先が見えないからこそ、いったん火を消すのではなく、ほそぼそとでもその火を灯し続けていくことだ。
 我はその聖火ランナーにはなれないが、その火を人から人へと繋ぐきっかけ、仕組みは考えられるし「その場」の手配もできよう。
 昨日も来られた方々の間で新たな出会いと交流が多々あったようだ。何が嬉しいと言って、そもそもこの我がその「場」を設けなければそうした「出会い」はなかったわけで、まさに企画側冥利に尽きよう。

 余談だが、昨日のさこさん、久々のライブにも関わらず、声も良く出、自在な語りも健在、全開でともかく安心した。その健在ぶりを確認できただけでも嬉しかったが、個人的なことだが、その彼から、我らが創ったうた『二人恋はアフターコロナ』は高得点を付けて頂いた。
 誰だって人から褒められれば嬉しくないわけはないが、我にとって歌の師、音楽の師匠であり、心から尊敬し憧れている天才シンガーソングライターに認められてこそ、との思いがあり、自らの自信とこれからの糧となったことをここに記しておく。ほんとうに嬉しい!!

 ともかく無事「三密回避」のうえで「盛況」となって本当に良かった。
 これを終えてやっと次へと行ける。
 タイヘンだったけれどやるべきことを一つ成し終えた。いまは何の不安も悔いも心にかかることもない。

 さあ、次へ行こう。我には素晴らしい音楽の仲間たちと傍らには音楽の神が常にいる。
 若き日の南沙織のうたの一節ではないが、「私はいま、生きている」。

高田渡の命日にかけこみ亭で2021年04月16日 23時59分49秒

★懐かしい人たちと久々に会えた、が・・・

 あれこれあって、いまの自分は本当に薄情で、いちおうフェイスブックとかに登録はしていても、我の数少ないオトモダチ、つまりお仲間たちが、何かアップしようと、その通知が届いてもろくに確認もしないだけでなく、見たとしても「いいね!」とかレスポンスも返すこともなく、一切放擲して、ごくたまに自分の都合で身勝手にも我が企画などの宣伝告知だけしているわけで、まったくもって社会的に非常識と言うべきか心苦しく申し訳ない気もしている。

 こんな人間が、他の人様のこと、たとえ菅首相や、小池都知事のなさることとか、あれこれ批判したりとやかく物言いする資格があるのかと自問するが、今日、敬愛する高田渡の命日に、それに関係したイベントに参加して思い感じたこと等を書かせてもらう。
※でないともやもやして今晩は眠れない。

 高校生の頃から、吉祥寺の「武蔵野火薬庫・ぐゎらん堂」に出入りしていて、渡氏元より友部正人や、シバと、そこで出会い知った者として、今日のイベントは何とも物足りないというか、この表現が適切かわからないが、「片手落ち」であった。
 様々な事象が説明不足で、我ら年寄りはともかく、当時を知らない今の若い人たちにどれだけ伝わったのだろうか。
 オーナーの村瀬兄弟のこともきちんと語られなかったし、そこから、「のろ」とのつながりも、あの頃の吉祥寺のことも、のろの加藤氏ご当人がそこにいながら掘り下げが浅い気がしたのは我だけか。

 こうした企画こそ、かつてあった過ぎたときを、後の世に語り継ぐためにも大いに意義あると我も考えるし、そもそも我が今やっているライブ企画活動自体が、「昔語り」として、その頃、その時代、そこに誰がいたか、そのときどんなうたが流れていたか、ということを主題に、うたとしての場として「表現活動」を企画しているわけで、あえて言うが、いやはや何とも今日の企画は・・・物足りない気がした。
終始全てのツメが甘い、というか中途半端、企画者の立ち位置、目論見がよく見えない。渡氏の命日にかこつけて何がしたいのかよくわからない。
 むろん出られた方々、シンガーは皆さん素晴らしかった。この企画のおかげで久々に旧知の、我が敬愛するシンガーや、亡きライブハウスのろオーナー加藤氏にお会いできて本当に良かった、嬉しかった。そうしたお手配に感謝と共にご苦労様と労いたい。

 じっさい我に、人様の企画をあれこれ批判なり、とやかくいう資格があるのだろうか、ずっと今も自問している。何はともあれひとつの企画が、満席、盛況になれば、このコロナ禍、ヤボなことは言うな、であろう。
 が、ときにはダメなものはダメ、ときちんと誰がが言う、もしくは書き示すべきではないのか。我にその資格の有無はともかく。

 ならば、個人的には、自分なりにもう一度、あの頃、あの時代を、リアルタイムで生きて知る者として、ぐゎらん堂がどこにあったのか、そのビルは姿は変えても同じ場所に残っていることも含めて今の人たちにはっきり示し語り伝えたい。そこで何があったのか、と。どんな人たちが屯していたのかと。それも使命であろう。

 自分には、そうした店で知り合った恩人がたくさんいる。当時、実際にお付き合いしていた頃は、若くバカだったから、その人に対し有難くも「恩」ということがよくわからなかった。
 今老いて、年寄りになってその若き日の出会いを思い出し、ほんとうに彼らは「恩人」なのだとはっきりわかる。
 それは、まず何より、ぐゎらん堂の村瀬春樹氏、わが師・鈴木翁二、のろの加藤さん、京都の六曜社のオクノさん、偉大なる古川豪さん、詩人・有馬敲氏、御大中川五郎、そして両国フォークロアセンター国崎さん。もちろんぐゎらん堂で初めて観たシバも。&メーニーモアである。
 彼らと出会わねば、今の自分はなかった。本当に今の自分はここにいない。
 彼らがまだ健在のうちに、その偉大さをもっともっと世に知らしめたい。実の親に対してもだが、その「恩返し」しないで我も死ねようか。弟子は師を越えることは常にかなわないならば。

 我、マスダがまだ生きてこれからもやれることがあるとしたら、お世話になった方々への心からの恩返しだけなのである。
 恩、とは、つまるところ「愛」なのだ。愛を返していく。

新装「共謀コンサート」盛況・大熱唱で無事終了す2021年03月01日 11時45分05秒

★圧巻!!!初登場「バラッドショット」、最強の三人組!!

 公私ともに、という言葉があるが、このコロナ禍中、誰もが様々な不自由や制約を強いられ、時短や自粛で生活も困窮余儀なくされている人も多いかと思われる。
 我もまた、そこに、同居している老父の認知症が年明けからさらに進んできてそろそろ自宅での介護は限界かと頭痛めその世話に疲れ果てていた。
 そんなおそらく誰もが多事多難の最中、緊急事態宣言が未だ続く状況下で共謀コンサートを再開させたことは、果たして適切であったか自分でも迷いもあった。

 しかし、昨日の夕刻から開始し、8時直前には終えた「季刊・共謀コンサート」は、そんな憂鬱気分を一新し吹き飛ばす熱い新たな風が吹いた感があった。
 多くの同じ志を持ったシンガーが今回も出られたわけだが、中でもトリをお願いした、かけこみ亭初登場の注目の三人組バンド「バラッドショット」の熱演熱唱には我を始めその場の観客全員が度肝抜かれた。
 音楽を文字や言葉で説明することは難しい以前に不可能なことだが、その疾走感、スピード、切れ、ドライブ感、そして歌声、全てが役半世紀近くになる我がライブ観覧人生最高のものであった。
 先に、去年の秋、砂川秋祭りで短時間ながら出られた彼らのステージを観聞きし驚嘆、すぐさまその場で連絡先を聞き、この2月28日のかけこみ亭「共謀」コンサートへの参加が決まった人たちだが、まさに世間は広い、天才的、画期的スゴいバンドはまだいることを思い知らされた。
 昨日も出られた我が盟友太田三造は、若い頃に、三人組時代のRCサクセションのステージを観ているそうだが、バラッドショットに対して、そのRC以来の衝撃だと評価していたが、我もまさにそう思う。
 フォーク時代の清志郎たち三人組は、当時のアルバムを聴くと、「僕の好きな先生」に代表される、のどかでほのぼのとした、ギター二本とウッドベースのフォークソング三人組というイメージが強い。
 が、じっさいのステージでの彼らは、ものすごく激しくアグレッシブで、ベースがブンブンスゴイ音で鳴り響き、ギターは激しく掻き鳴らされ、清志郎はシャウトし、失踪感あふれるパンキッシュなバンドであった。
 今回のバラッドショットの演奏を聴いて、太田さんの言ってたことがまさによく理解できた。
 バラッドショット、ともかくボーカルの声が良い。そしてコーラスも超絶ギターも実に的確で、ジャンベはスゴイ音で鳴り響き、ベースはいないのに、ベースの音が聞こえてくる。そう、ギター自体はアコギなのに、彼らは完全なフルのロックバンドの音なのである。構成だけはフォーク系なのに、信じられないがうたも演奏もこれは紛れもない真のロックである。
 気がついたらお願いした45分間の持ち時間はあっという間で、アンコール曲を1曲やって頂き今回のコンサートは幕を閉じた。
 まさにステージを猛スピードで一気に駆け抜けた感がある。スゴイ疾走感であった。
 本当に驚かれ魅了された。何よりコンサートを企画する者として、こうした新たな素晴らしい人たちをお招きして、またさらに多くの人々に認知してもらい新しい関係を築くきっかけをつくる場を設けることこそ、役割があるわけで、我としても大いに満足のいくコンサートとなった。
 そして何より良い音楽、素晴らしい芸能は、人を楽しませるだけでなく、勇気づけ奮い立たせるものだと確信できた。
 昨夜の「共謀コンサート」で、コロナ禍の憂鬱気分が吹き飛んだかと思う。
 こうした「共謀」こそ、新しい世界へのきっかけ、一歩となると信じたい。
 ぜひ多くの方々へ、こんな時代だからこそ次回のご参加を、今さらながら呼びかけたい。「答え」と「展望」を示せる場をつくっていきたいと切に願う。

フィル・スペクターを悼む2021年01月20日 22時12分22秒

★まさに天才!! 刑務所の中でのコロナ死とは

 また偉大な音楽関係者の訃報が海外から届いた。今日は一日頭の中で、ロネッツが唄う「ビー・マイ・ベイビー」が鳴り響いている。ときに、弘田三枝子バージョンも交えながら。

 フィル・スペクターである。書くべきか迷ったが、あまり誰も「追悼」していないようなので、たぶん「知る人ぞ知る」人だということなんだろう。だが、彼の創ったサウンドは、まさに唯一無比の画期的なものだと認める故、ここに書き記しておく。

 我は、基本、今では洋楽は元より、日本の流行りのポップスもまったく聴かないしほとんど関心はないが、かつて子供の頃は、欧米のポップスのカヴァーソングで産湯を使ったほど浸りきっていた。
 我が父が、進駐軍務めをしていたこともあり、始めて手にしたシングル盤は、マーベレッツの『プリーズ・ミスター・ポストマン』の赤盤だったほど、向うの洋楽、そしてそれを日本語にしたものに夢中だった。
 日本テレビの『ザ・ヒットパレード』などで覚えた漣健児氏の「超訳」の日本語詞のから始まって、やがては原曲まで手を出して、今でも60年代から70年代にかけてのレコードは我の宝物である。
 まあ、山下達郎氏や亡き大瀧詠一氏と世代は少し後になるが、我も同様にそうした音楽に多大な影響を受けた。

 フィル・スペクターという人は、そうしたヒットソングのプロデューサーのはしりの人で、スペクターサウンドとも呼ばれた独特の、彼特有のサウンドで、まさに一世を風靡した人だ。
 プロデューサーという仕事が、音楽の場合、どういう役割をするのか定かではないが、彼自身は裏方としてエンジニア的に関わり、ミュージシャンたちが楽曲を録音するときに、何とも不可思議なサウンドを創り上げたのである。
 それは、「ウォール・オブ・サウンド」と呼ばれ、要するに多重録音を駆使したまさに「音の壁」であった。それは実に画期的で、平板な録音技術しかなかった当時、一聴すればすぐさま彼の仕事だとわかる深みのある大仰なサウンドであった。

 音楽についてあれこれ文字を連ねてもどうやったって伝わることはない。ともかく彼の仕事。その音を聴いてもらうしかないわけだが、我が国でも大きな影響を受けたミュージシャンはたくさんいて、特に後年の大瀧詠一は、まさに彼のサウンドの「継承者」として彼の手がけた多くの楽曲にその影響がはっきり聞き取れる。

 例えば、小林旭のヒット曲『熱き心に』など聴けば一目瞭然ならぬ、一聴了解で、あの大仰かつ重厚なサウンドこそ、スベクターサウンドの日本版なのである。真に名曲と呼ぶしかない。
 彼によって、音楽プロデューサーという仕事を意識し覚えて我は、後にトニー・ヴィスコンティとクリス・トーマスというやはり天才的音楽裏方人を知ることになるが、それは今回カンケイない。

 ただ、天才は奇行の人とも知られて、彼はドラッグに溺れ、2003年、自宅で友人を射殺して今も服役中であった。
 我は、彼が事件を起こした頃までは覚えていたが、今回ネットで訃報を知り、正直、まだ生きていたのかと驚かされた。まったく情報もなく残念ながらもはや過去の人でしかなかった。
 しかもどうやらコロナ感染、合併症での死らしい。まあ、81歳だとか年齢も年齢だから、刑期を終えて出て来ることは難しかったかもと思えるが、よりによってこんな死に方とは何とも哀切、言葉もない。
 いろんな死に方はあろうが、獄中でのコロナ死はただただ哀れである。何とも胸が痛む。あれだけの仕事をされた人の死がこんな形とは・・・

 フィル・スベクター、その名前を口にするとき、多くのガールズ・グループの楽曲と共に懐かしい甘酸っぱい思いが湧いて来る。我にとって音楽の神様の一人であった。誰よりも誰よりも。
 昔からほんとうに大好きなサウンドだった。数々の素晴らしい音楽を有難う。
 
 迷える彼の魂に安らぎを。どうか神のご加護を!!

「月刊・共謀コンサート」最終回、無事盛況のうちに終わりました!2020年12月26日 23時48分18秒

トリを務めてくれた五十嵐正史とソウルブラザーズ
★今年一年、全10回、無事終えられました!

まずは撮り溜めた画像から2020年11月15日 23時42分44秒

★自分が関わったライブの写真すら上げていない

 情けないことにあれこれ忙しいのと体調もすぐれなかったりで、ブログもなかなか更新できないだけでなく、「共謀コンサート」すら終えてもきちんと報告していない。
 書きかけのまま放擲してしまった記事も多々あるし、自分では後で書き足してその回は終わりにするつもりでいるが、ともかく時間がなく書けないまままたさらに時間は過ぎていく。
 アメリカ大統領選の結果についても書き記したいこと思っている。トランプ退陣で世界の終わりは少しだけ先に延びたか、だ。

 その他、このところ亡くなった方々、弘田三枝子や筒美京平たち、個人的に強い思い入れある人たちについてもしかと「追悼」したいと願いつつ、書きたいことは多々あれどそれについて書く時間的余裕がない。
 何一つきちんとできないまま時間だけは確実に過ぎて今年も残すは僅かとなった。ひと月半しかないではないか。まったく情けない。
 しかし冬が近づき、秋はまた家事あれこれ忙しい。庭先の落葉掃きだって放擲すればご近所さまは目が三角である。また市役所や警察に通報される。

 ともあれまずは、デジカメから画像だけはパソコンにやっと取り込めた。きちんと報告できていないのは、今夏の「ぼけまる生前葬」の後半からだが、次いで、9月の回の「共謀コンサート」、そして前回10月の回も画像上げていない。
 さらには、豊田勇造のミヤザワさん宅での畳の上での完全生ライブに、先日の砂川秋まつりまでたくさんある。

 というわけで、まずは先月27日の勇造ライブ@ミヤザワさん宅の1シーンから。和風古民家、個人宅というなかなかユニークな場での、まさにアットホームなライブであった。

コロナ禍(下)時代の世相をうたにしてみた2020年09月17日 23時53分51秒

★二人の恋はアフターコロナ

 というわけで、まずは替え歌をいくつか作ってみた。
 が、我もフォークシンガーのはしくれ、として(先日、東中野じみへんで太田さんの前座でデビューした)、やはりきちんとオリジナル曲をつくりたいと考えた。
 で、ともかくつくってみたのは、コロナ感染拡大下、夜の街で出会った若い男女の切ない恋の物語をうたにしてみた。当然流行りの言葉もいくつか入れて。

 題して『二人の恋はアフターコロナ』※完成版     詞/マス坊 曲/太田三造、マス坊


 夜の街で 出会った二人
 会ったとたんに魅かれ合う     
 もっと近しい仲になりたい
 けれど二人の間にはコロナウィルスがある

 もっとそばに近づきたい 
 吐息がかかるほどに
 そしていっしょに甘い夜を     
 二人で同じ夢を見よう

 でもダメね ダメね それはダメ
 濃厚接触だから
 愛し合いたい でも愛し合えない ソーシャルディスタンス
 二人の恋は アフターコロナ


 おしゃれなラウンジで二人 見つめ合い
 愛のカクテル 交わしたい
 夜が更けるまで肩寄せ合いたい
 だけどお店は今は時短営業中
 
 もっとそばに近づきたい
 吐息がかかるほどに
そしていっしょに甘い夜を
二人で同じ夢を見よう

でもダメね ダメね それはダメ
 飛沫感染しちゃうから
 会いに行きたい でも会いに行けない ステイホーム
 二人の恋は アフターコロナ
 二人の恋は アフターコロナ

※曲も詞とほぼ同時にすらすらできた。
 我が思い描いたメロディーは、ラテンのリズムのムード歌謡で、ロス・プリモスとか、そういう歌謡グルーブが、女性シンガーも入れて、歌詞も男女交互にデュエット出来るように書いてみた。
 いちばん近いイメージとしては、おっさん歌謡バンド『ペーソス』が唄うようなものを思い描いてじっさいそんな感じにできた。

 が、ダメですね。リズムもアレンジもコーラスも全て頭の中にはできているのに、自分ではギターでそれをきちんと表現できない。今はやりのDTMの技術をマスターすれば、たぶんある程度は自分のイメージ通りのものを世に示せるとは思うけど、そんな技量はないし、拙いギター1本と我の「うた」では今はとてもそれをカタチにできやしない。
 いっそ、寒空はだか師匠のように、ギターも伴奏も一切排して口だけで演ろうかと思ったが、そうなるとフォークシンガーではなく演芸の域になりそうで今もどうしたものか思案中だ。

 で、その詞を先達のベテランフォークシンガー太田三造さんに送ったら、さっそく彼が親しみやすく明るいメロディーをつけてすぐさま唄ってくれた。なかなかいい曲だと一聴してすぐ思った。
 そして、同時に『受験生ブルース』を当初の暗いメロディーから、高石友也氏によって明るいメロディに作り替えられた中川五郎少年の気持ちはこんな感じかも、とも思った。

 さておき、せっかくできた曲だ。できればこれからもコロナが収束したとしても機会あらば彼と共に唄っていきたいと思ってる。そして願わくば、我は我の作ったメロディーの版も、きちんとムード歌謡としてペーソスのようにシミジミと切なく唄ってみたいと今も願う。
 何であれ、そもそも思い通りに作れないことより、思い通りに作れて既に頭に思い描いていることが、きちんとカタチにできないこと、自分では表現できないことこそ真に辛いと今回も今さらながら思い至った。

 そう、我の作ったうたは、京都の詩人・有馬敲氏の詩に曲を付けた『広島のクスノキ』もそうだが、常に誰からも皮肉交じりによく言われるのは、複雑かつ難しすぎるのである。情けないことに作った当人ですら上手く歌えなかったりきちんと演奏できないのだ。
 じっさい頭の中ではどの曲もフルオーケストラの伴奏で、あたかも筒美京平のかつてのアイドル歌謡のごとく女性コーラスまでアレンジできている。が、それは頭の中だけのことで、小中の音楽授業の劣等生だった我は譜面すら読めず書けないのである。
 今さらだが、がんばって受験勉強して、どこそこの音大に入って基礎から音楽教育を学び直すか。

 いや、冗談抜きで、もう少し今の状況と事情が一段落したら、近くのピアノ教室に通い、まずは譜面が読めるようになりたいと思ってる。でないと、かんたなスコアさえ他のミュージシャンに示せない。言葉では、ここをこうして云々と他者に伝えられないのだから。
 そう、音楽は文字にできないものだ。文章ならばいくらでも思い通りに拙くともカタチにできるのに。

★お断り―――
 ここで載せた歌詞は、マスダバージョンのもので、太田三造が唄う、彼がつけたメロディのものは歌詞がビミョーに異なります。
 ちなみにそれは次回9/26の共謀コンサートでコーラスも含めた完成版として唄う予定ですので、「配信」できたらぜひお聴きください。名曲です。また、このうたは誰でも唄ってかまいません。ただし作詞作曲の権利、全責任は当方にあります。

コンサートを終えて2020年08月30日 23時55分31秒

 ★追記: 

 実は、この日、とてつもなく有難いことがあった。かけこみ亭と我らが「共謀コンサート」に対して、有志の方から支援・応援のために多額のカンパが届いたのだ。

 その方、Tさんは、かなり古くからのフォークソングファンの方で、これまでも我の企画したライブイベントに来られ、それ以外でも度々あちこちでよくお見かけする紳士なのだが、今このコロナ感染騒動下、かけこみ亭が始めた生配信に関連して「お布施」を募っていたところ、先日その方から振り込みがあったと知らされた。
 その額、何と 5万円!! お店側にもその倍の額が届いたとのこと。驚きと共にただただ有難く思う。

 実のところコロナ騒動が起こる前でも、投げ銭制のライブコンサートは、観客は決して多いわけでもなかったし、来られた方々から頂くその額は、出演者の数に対し残念ながら潤沢なものではなかった。
 で、仕方なくというか、最低限の「お車代」としてときに我が「補填」したことも多々あった。しかし、それは企画した者として当然の責務だと考えていたし、その素晴らしいうたや演奏に対しての「対価」は付与されなくてはならないはずだ。そして残念ながらこの企画じたい、ショービジネスで全くないが故、未だ本来あるべくその額は払えずにいることが心苦しかった。
 そう、「共謀」するにしろ、それで飯を食っているミュージシャンは手弁当では行き詰ってしまうではないか。
 さらにそこに、今回のコロナ禍が起こってしまい、先月から原則無観客で「再開」し始めたわけだが、コンサートの模様を「生配信」するとしても全くの無観客では、投げ銭すらあり得ない。その配信を観られた方からの「お布施」を募るとして、あったとしてもその額は大したものではないと思い込んでいた。

 共謀コンサートは、月刊で開催するのだから、年内残り4回予定されている。観客人数制限などコロナ自粛がいつまで続くかも定かでない現状、どうやって続けていくか、運営に正直頭を悩ましていた。ほんとうの「交通費」の実費だけでミュージシャンに声かけることに躊躇いもあった。

 が、今回突然の、まさにサプライズのカンパが届き、やっと先行きの目途がついた。むろんこれで残る4回分開催の資金に足るわけではない。
 が、原資として、その支援の「思い」だけで我には十分すぎるものがあった。よし、頑張ろう!!頑張れると新たなパワーがふつふつ湧いて来た。
 そう、お金とはそもそも「額」ではなく、その思いの具現化なのだ。昨日のたった一人の観客からも有難くもかなりの「投げ銭」を頂いた。
 一夜明けて、今、そうしてただただ有難い、という申し訳ないような気持ちと、それ応えるべく今後についてひそかに奮起するところが大きい。

 明日から9月。いつまでも過酷な残暑が続くが、月も変われば季節も変わろう。極悪最凶最長安倍政権もついに終わりのときが来た。
 年内今年も残すは4カ月。しっかり成果を出していく。我の思いもカタチにしていきたい。

 それはできる、それはかなう、と信じて。

 ※追記の追記。
 「共謀コンサート」に関してはその他に、これまでも支援として千葉県の農場から生卵を大量に、箱で二回頂いている。
 一回目のときは、コンサートとタイミングが合わず、お店の常連客の方々の口にほぼ入ってしまったのだが、二回目のときは、4月の詩人の回のとき、ちょうどだったので、出演者・参加者皆でそれぞれ小分けして持ち帰れた。これも嬉しい有難いことであった。御礼の報告が遅れて申しわけありません。
 今さらだが、そのこともこの場に付記しておく。