近況報告~父は幸いまだ有難くも生きてますが・・・2022年08月18日 11時44分36秒

★自らの弱さと愚かさにただ向き合う日々

 先だって12日、父が入院している病院の担当医から、余命宣告受けたことは記しましたが、その後のことを・・・

 いまの状態では、おそらく今月30日まで持つかどうか、と医師から告知されて一週間。幸い今日、8月18日の時点では、病院からの通報はないので、ともかくまだ我が父は生きながらえてるということだ。
 ただただ、有難い、神に感謝!!としか言葉はない。

 が、この一週間、ひたすら日々、朝も昼も寝ている間も、携帯を常に傍らに置いて、いつ、その「知らせ」があるかと、高鳴る心で待ち続けるのは、ほんとうに辛いことだと告白する。
 信仰を持つ者として、主、つまり神に全てを委ね任せて、ただあとは、祈り続け、善き計らいを心静めて待てばよいと頭ではわかっている。そう、それが神の意思、思し召しなのだから。
 しかし、この弱く愚かな我は、父の迫りくる死という、不安と怖れとで、そのときを思うと、本当に夜も眠れなくなってしまう。
 自分の信仰の弱さと卑小さに呆れ果て、情けなく恥じ入るばかりだが、これが正直なところ、自分という人間の実際なのだからどうしようもない。
 しかし、そうした自らの弱さと愚かさと日々ひたすら向き合うことは、とてつもなく辛いが、おそらくきっとそこにも何か意味があるのであろう。

 考えてみれば、人は木の又から生まれてくるのではないのだから、子のない人はいても親のない人はいない。
 皆、誰もがいつかどこかで、その親の死と出会い、最愛の親であろうとなかろうと喪うときが来る。
 ほぼ全ての人が、ある程度歳をとれば、必ず自らの死の前に親を失う別れの時が来る。
 それは、自然災害や交通事故のような、ある日突然のまったく予期せぬ不測のときのこともあるかもしれないし、我のように老いた両親を順に看取り見送ることもまた多いはずだ。
 そう考えれば、何も特別なことではないし、そうした「突然の別れ」に比べれば、余命宣告を受けて、死に臨むほうがよほど幸いかもしれないと気づく。
 しかし、死刑囚が執行の日がいつ来るか、ただ待つのと同様に、その当人はもう何もわからない状態だとしても、周囲の者、特に家族は、そのときが来るのが怖い。そして恐ろしく不安である。
 とうぜんのこと、永遠の別れは哀しく辛い。

 だが、それも自然摂理であり、いつかは必ずそのときが自らも含めて誰にでも訪れるのだから、ただ脅え畏怖しても仕方のないことだと気づく。
 「そのとき」を前にしてまだ家の片付けも終わっていない。あと、果たして一週間の期間が残されているのかわからないが、まだすべきことがあれば、まずそれこそができることなのだから、それだけに専念していこう。

 辛いのは、神以外にこうした怖れと不安を告げ、語り合える「家族」が我にはいないことだ。肉親は、遠く九州に実妹が一人いるけれど、今思うと、我も同性異性を問わず、共に暮らす「家族」を作っておけば良かったと悔やむ。一人はやはり本当に辛い。
 我自らを介護や看護してくれとは望みもしないが、そうした不安と怖れに囚われたときに、それを言葉にして語り合える「ニンゲン」が傍らにいるかどうか、それこそ人生のいちばん大事な、生きていく秘訣ではなかろうか。
 動物は思いやりもあり、我の哀しみに寄り添ってはくれるけれど、そこに残念ながら「言葉」はない。神もその存在は信じるもののまだ我に、いまはまだ言葉は届かない。
 しかしだからこそ、慈しみ深い主に、祈り信じ語らい、心静めて「そのとき」をできるだけ動じずに受け容れられるよう、我らに哀れみを、とただ願うしかない。

 我が父は有難くもまだ生きてここに在る。願わくばできるだけ苦しむことなくその最期の日まで、その生を全うできますように。

死にゆく人に何ができるか、何をすべきか2022年08月12日 18時40分20秒

★余命二週間と告知されて

 我が父のことを書かせてください。
 先にも報告しましたが、今月の頭に、我が父は、コロナ病棟から治療を終えて別病院に退院、転院となった。
 が、その後もコロナによる10日間の入院生活から元の状態には戻れず、認知症もだが、全身の衰弱が進み、口から食べることができなくなってしまった。
 我としては、コロナが癒えればまた再び元の生活へと、つまり家に戻れて介護施設に再び通えるようになると考えていたのだが、現実のはなし、もうそれは難しいと次第にわかってきた。
 今は、父はかろうじて点滴で命を繋いでいる状況で、本日12日、病院に出向き担当医との面談で、現状の容態と今後について説明を受けた。
 かろうじて意識はまだあるようだが、衰弱は進み、このままだと今月末、30日頃までもつかどうかとのことだった。そう、長くてあと二週間である。

 いつかその日は来ると覚悟もしていたし、じっさい超高齢なのだからいつ不意に死が訪れてもちっともおかしくないのだったが、まだ実感はわかないものの、こんな風にして最期のときを迎えるのか!という感慨のようなものがある。
 我としては、コロナが癒えて、少しでも口から食べられるようになり回復の兆しが見えれば、家に連れ帰ってとことん面倒を見て、父をまたコロナ前に戻してまた再びこれまでの日常が始まると考えていただけに、何とも無念と言うかやるせない、いや、哀しみしか感情はわかない。

 ブログもまた間が空いてしまったのは、どうにも何を書くべきか迷っていたからだ。
 タイトルにも書いたが、死にゆく父のために、いったい何ができるのか、我は今何をすべきなのかとずっとひたすら自問していた。
 コロナ禍でなければ、毎日でも父の病棟に見舞いに行き、これ以上呆けないよう声かけて、食事も介助して叱咤激励し少しづつでも食べさせて元に戻す自身もあった。

 じっさい、今から7年前、父が誤嚥性肺炎から入院中、院内でベッドから落ちて腰の大腿骨を複雑骨折したときも、一か月間も我は毎日父を見舞って、食事を日に昼夕二回介助して、父は奇跡的に呆けずに衰弱は進まず再び元のように歩けるようになって退院できた。
 が、今回はコロナ禍で我はまさに成す術がなく、見舞さえも禁じられてただ一切病院任せとなってしまい、病院側は当然のこと、できるだけの介護はしてくれたと思うけれども、結果として父の呆けと衰弱は進みもう戻らないような状況となってしまったのだ。
 我にできることは、ただ日々神に祈ることだけで、父が回復して父ともう一度この家で再び暮らせますように、とひたすら祈り続けるしかなかった。

 全能の神は、死人さえも生き返らすことができるのだから、父もまた再び元気になって家に帰れると信ずることもできる。
 が、またこうも思う。これが50代、60代の人ならば、そうした願いも意味があり、当人もそれを強く願うだろう。しかし、父は百歳近くまで生きてきたのである。
 これ以上の長寿は果たしてそこに意味があるのか、また当人もそれを望んでいるのか。我の勝手な思いと願いで父に存命を神に願うのが正しいことなのか。
 何よりまず父本人の意思と希望が優先されるべきであろうし、そこに神のご意思が働くのではないか。
 我自身の勝手な思いで父を生きながらせることは、たとえ可能だとしてもそれはまた自然の摂理や神の意志にかなうことなのか。

 心は今も千々に乱れるが、この一週間、ずっと自問してしだいに見えてきたのは、願うは、ともかく父の生をとことん一日でも長く、できるだけ苦しむことなく全うさせたい、ということだ。
 そして会えなくても離れていても父を思い父に語らい、繋がるように祈り願うこと。
 そのうえで、神はきちんと愛と慈しみ、哀れみをもって我らを計らってくれるだろう。
 今もまだ父が再び回復してこの家に帰って来てくれる望みは絶対に諦めはしない。が、今は、神にすべてを委ね任せていこうと思う。
 ともかく父はその生を、願わくば苦しむことなく全うできますように。

 ナガサキの原爆忌頃までは数日間今夏久々に涼しい日が続いていたが、また以後猛暑は再燃し、この数日また耐え難い暑さが続いていた。
 が、近く台風が来るとのことで、今日は曇りがちの晴れとなり風もあり少しは涼しく感じられた。
 そして今は、その台風の影響なのか外は雨が降っている。
 主は雨の日も晴れの日もまさに御心のままに我らに示して自然の摂理、不思議さを示してくれている。
 人の生死もまた同様に、人知のおよぶ範囲ではないと思い至らねばならないのかと思える。
 静かな雨の音を聴きながら、ずっと書けなかったこの「報告」ができてほっとしている。
 また状況に動きがあれば拙ブログに告知していきます。皆さまも暑さとコロナにどうかご自愛ください。罹るとやはり後遺症がタイヘンですから。

涼しさに一息ついて原爆忌2022年08月06日 07時59分51秒

★ようやく気持ちは立ち直ってきた。

 一昨日、久しぶりに本格的な雨が降ってから曇り空が続いている。気温はやっと下がり一月ぶりに昼夜つけっぱなしだった冷房は切った。
 まさに一息つけた。このまま猛暑が続いていたら頭も体もおかしくなっていたかもしれない。それぐらい追い詰められていた。

 一昨日から涼しくなったこともあり、久しぶりに夢を貪るほどだらだらと昼夜問わず断続的に眠った。この一か月、夏到来してから暑くて夜も深くぐっすりと眠れていなかったとわかった。
 コロナ感染後の続いていた喉の痛みと咳もようやく小康状態となってきた。気持ちも戻り、やっと前向きに動いていこうと気力が出てきた。

 父がいなくなって、情けない話だが、いったいどう、何をどうすべきか何もわからなくなった。
 つまり、父の存在があって、彼のショートステイやデイサービスでのお泊りの日程があってこそ、こちらも毎週の日程、計画がたち、自分の人生も合わせて動いていた。
 それが、父不在となると、自分一人で自由に解放されたはずなのに、急に何をどうすべきかわからなくなってしまった。何もやる気が失せたというか、気力がなくなってしまった。

 そんなで8月1日に、父を転院させてから、この一週間、暑さと咳に苦しみながら悶々としていた。これからどうなるのか、先も見えないし、いったい何ができるのか、いま何をすべきなのか、人生のコア、核のようなものが見えなくなった。
 改めて、我は父に依存していたとは思わないが、その存在を中心に自分の人生を組んでいたのだと気づかされた。

 が、この数日、急にやっと涼しくなり、猛暑で草臥れた身体を休息させて頭を冷やしてみると、何をすべきなのかようやく見えてきた。

 まずはこのコロナ後の不調に苦しむ身体を早く治し戻して、父不在の間に父を帰宅させること前提に、家の片付けや掃除を進めていくことだ。
 父が再び、この家で暮らせるかそれはわからない。ただ、病院で死なせたくはないし、もしそうした場合でもこの家に一度は帰らせてあげたいと切に願う。
 コロナ禍が続く今、葬式などはもうしないしできないと思うし、何よりもう親類縁者も父があまりに長生きしたため、もう誰も来ないのだから、葬儀は不要であろう。
 ただ、別れの儀式として、我とごく近所の人たちだけでもその場を設けたいと思う。※九州から実の娘、我の妹は来るかどうかはともかく。

 そうした準備を粛々と進めていくことだ。やがて八月も終わればまた涼しさも戻るだろう。先のことはわからないし、事態は急展開するかもしれないが、やるべきこと、いまできることをやろうと決めた。
 そう、まだできることがある、すべきことがあることは有難い。生きているということだけで有難い。

 ノーモア・ヒロシマ、ナガサキ、ウクライナ である。※東京新聞、今日の平和の俳句。

ともかくこの苦難の季節(とき)を乗り越えてから、だ。2022年08月03日 10時25分45秒

★コロナ不調と異常な猛暑の最中に

 ああ、いったい何から書けばよいのだろうか。本当にどうすることもできないまま、冷房を最低温度に設定して家の中でただ汗垂らしながら息をひそめている。

 自らの人生も、この時代、現実社会というものも、我はどんどん悪くなりやがては破滅に向かっていくものだと認識しているが、いや、そう覚悟して生きてきたはずなのだが、本当に参った。今が一番苦しい。

 まず我がコロナ感染だが、実際のところ大したことはなかった。高熱が出るとか味覚がおかしくなるとか、これまで喧伝されていたような強い症状は何も出なかった。※熱は高くても38度を超すことはなかった。
 一昨日、8月1日の時点で、我のコロナ感染での自宅療養の10日間は終了して、対外的には「治った」ことになっている。
 が、現実の状況を記せば、熱などは今は出てないものの、咳が未だ残り痰が喉に絡み夜などかなり苦しい。気温が高いせいもあるが、寝汗をかいて、ともかく身体が火照って暑くてたまらない。
 少し動くと汗が滴り落ちる。冷房は最強にして家中冷やしているのだが、この異常な猛暑のせいなのか、我の体調がおかしいのか、ちっとも涼しく感じない。ほぼ素っ裸で暮らしてもただただ暑くて日に何度も冷水を浴びてぼうっと痺れるような頭を冷やしている。
 薬は、10日間分の喉の痛みと咳止め薬は呑みつくしてしまい、先月末に再度、かかりつけの診療所に出向き追加で出してもらった。
 実はそのときも夜中に熱が上がり、微熱だったが、37度台となり、ただ困惑した。もう完治したと思っていたのに何でまた熱が上がるのかと。

 今回のコロナは、ほぼただの風邪だと今も想っている、が、風邪と違うのは、キレが悪く、だらだら何ともはっきりしない不調が続くことだ。
 風邪は、一時は高熱が出、かなり苦しい時もあるが、数日寝込んで汗かけば、存外スッキリと熱も下がり体調もしだいに回復してくる。
 このコロナウィルスは、高熱も出なかったし喉の痛みと咳の症状はあったものの、当初はさほど体調の変化、異常は感じなかった。
 しかし、10日間が過ぎて、いちおう療養という名の治療期間は終わったはずなのに、我には今も咳が残り痰が絡み何とも息苦しい。
 けっきょく、病気と言うのは、その人の持ってる体質の弱い部分にひどく出るものだが、我のかねてより持病的体質、咳、喉に今も後遺症が続いているということだ。
 そしてこの連日の記録的、殺人的猛暑である。体調の不良を抱えて、ともかく家の中でじっとこの悪しき季節が過ぎ去るのを待つしかない。
 八月の半ば、我の誕生日を過ぎる頃には、この猛暑も収まり少しでも涼しくなっているだろうか。

 父のこともきちんとまた記すが、けっきょく別の療養型施設に転院はできたものの、もう意識はなかなか戻らないようだ。
 何とかまた自ら口から食べられるようになれば、家に連れ帰って、我が介護してもう少し人間性を取り戻すかもしれないが、現段階では、かなりそれは難しいかもしれない。
 かといって、このままその病院施設にずっと入院させてしまうと、一月の利用料だけで、父に振り込まれる二か月分の年金がそっくりそのまま消えてしまうわけで、父が生きている限りウチの貯蓄は確実に消えていく。
 我は先のことはもうあれこれ思い煩いはしないが、ともかく今はまずこの過酷な季節が過ぎ去り、我の体調も含めて少しでも過ごしやすくなる日が来ることを祈り心待ちにするだけだ。
 そう、いま、この悪しき過酷な季節さえ過ぎ去れば、きっとまた少しは何か新たな展開も見えてくるだろう。
 今は父が元気になったとしてもウチに連れ帰って我が世話することもままならない。
 早く涼しく快適な日々が戻ることをただ祈って、今を、一日一日をともかくやり過ごしていく。
 どうか皆様もご無事でありますように。もう誰にとってもこれ以上ひどい過酷なこと、苦難のときが続かぬように。
 素晴らしい季節がまた来る日を祈り願い待ち続けていきましょう。そう、こんなことはいつまでも続かない、神様はきっと良くしてくれると信じて。
 がんばりましょう!!!

父は、生きて再び帰宅できるか2022年07月28日 23時43分25秒

★現況報告 を少しだけ

 先に、我が家のコロナ感染状況について、快癒に向かっていると書いた。
 実際のところ、父は、熱も下がり酸素濃度も戻り、ほぼ回復できたらしい。この爆発的感染状況下、入院できたこともだが、重篤化することなく本当に良かった。僥倖というしかない。
 で、三日遅れて発熱、陽性となった息子のほう、つまり我は、一昨日は、もう熱もほぼ平熱に下がり、喉の痛みは残っていても普段の生活には何も問題感ぜずに動けるようになり、存外カンタンに治った、と思った。
 コロナなど、フツーの風邪と同じか、それより軽いものだと侮った。

 が、どうしたことか、昨晩遅く、というか明け方から妙な寝汗をかいて朝になって目覚めても、頭が重くぼうっとして、ほんとうの風邪ひいたような全身が気怠く火照る体調であった。
 熱もさほど高くはないが、37度前後にまた上がっていた。
 けっきょく、されからまた少し寝なおして9時半頃やっと起きた。どうしたことか。大した熱ではないのに、これまでにないふらつき感がある。今日は一日そんな体調であった。
 そんなで、我は、また「再発」したと思えた。しかし、また8度超すほど悪化はしないと思うし、自宅療養の終了まであと4日程度なのだから、もう少しの辛抱だと自ら慰撫するしかない。

 問題は実は父のことだ。
 父は当初の予定では、今週末30日には、コロナ入院期間は終わり、通常ならば自宅へ戻れるはずだった。
 が、在宅で看護する息子である我がコロナ患者となり自宅で身動きとれない「自宅療養」中のため、誰も父を迎えに行けないし、我も父が戻っても対応できない。
 で、当初、そのことを父の入院している病院と相談したら、我のコロナ隔離があける来月1日まで、入院続けさせてもらい、1日に、我がウチの車で父を迎えに行き帰宅させることに話がついていた。
 しかし、超高齢の97歳の父は、このコロナ入院の間、ほとんど口から何も摂れず日々うとうとしていたため、衰弱と呆けがさらに進み、このまま自宅に連れ帰って来ても家庭での生活は困難だろうと医師から今日相談の電話があった。
 じっさい、それは我も心配していたことで、いまの父がどこまで意識があり、人間性が残っているか、我の介助で少しでも食べてくれるのか予想もできなかったからだ。
 ウチに戻れても、意識がなく何も摂れないならば、また即病院に入れないとならなくなる。
 しかも、今は、父の利用していた二カ所の介護施設はその両方が、コロナ患者多数発生したため閉鎖中であり、仮に父が元気で元通りになったとしても行き場がない。
 最悪の場合は、介護の度合いが高い父を我は一人で背負ってこの家で身動きとれなくなって疲弊し倒れてしまうかもしれない。

 いろいろ悩み迷いもしたが、病院側の提案に沿って、そこの系列の療養型病院施設に転院することに同意した。
 そして運よく8月1日に、さっそく転院も確定した。ようやくその日、我は短時間だろうが、父に会える。※いろいろな入院手続きや立ち合いの要件も多々あるが、ともかく率直に嬉しい。ただ有難い。今から待ち遠しい。

 思えば、去る20日の夜、お泊りしていた施設で発熱した父は救急隊を呼んで、コロナ陽性者の入院受け入れ先を2時間近く探してもらったのにどこも満床でみつからず、仕方なく我が自宅に連れ帰り、翌日さらに体調が悪化してきて呼吸困難、酸素濃度が急低下しまい、もうここでただ死なすしかないのかと天を仰いでいたら、突然立川の病院に空きが出たと連絡が入って救急車呼んで送り出せた。
 その「奇跡」の続きなのだから、もう我は何をこれ以上望むことがあろう。
 すべては神の計らいだとするならば、これまでのことにただただ感謝しその流れを受け容れるしかない。

 願わくば、生きてもう一度この家に父を帰してあげたいと祈るが、先のことはともかく、まだ生きて父がこの世に在ることだけをただ感謝するしかない。

人生の終わりのときに2022年07月27日 22時58分41秒

★いつだって突然に、慌ただしく、となるのか

 人生の終わりは誰だってやってくる。むろん当人もだが、いま問題としたいのは、当事者ではなく、家族とか周囲、傍らの人についてのことだ。

 死が間違いなく迫りくるとして、その時、当事者でない周りの者たちは、どうすれば正しいのであろうか。
 むろん、家族や最愛の人を死なせたくない、という強い思いがまずある。ともかく一日一時間でも長くこの世に生かしておきたいと誰もが願う。
 しかし、願いや努力がかなう場合もなくはないが、人は皆死ぬる方向に定められているのだから間違いなく人は死ぬ。必ず死んでいく。

 我はいま、まず間違いなく近く死ぬ、我が父の死に方、死なせ方についてあれこれ迷い考えている。
 どうすればできるだけ苦しむことなく、しかも我にとっても負担の少ない死に方はどのようなあり方か。
 身勝手と笑われようが、唯一の家族として、父の死ぬまでの介護負担があまりに大きいと、父を送った後に我も精魂尽き果ててすぐさま後を追ってしまうかも。※長年付き添った夫婦の場合だと、介護の末に一方が亡くなると、後を追うように残された一方も亡くなる場合が多々知られている。
 申し訳ないが、父母を見送った後の人生もまた我に残っていてほしいと願うし、90過ぎまで元気に長生きを、などと願わぬが、せめてあと15年ぐらい、七十代は存分に一人自由気ままに生きてみたい。

 ともあれ、どううまく、いかに面倒な事態ならず、苦しまさせずに死なしていくか。当事者は頭がクリアだったとしてもとてもそんなことは冷静に考えられないはずだから、周りが、そうしたことを諸状況と当人の意思、希望を考えて、できるだけそれに近くなるよう忖度するしかない。

 ただ、残念なことは、たいていの場合、死はかなり突然の、予想外でないとしてもまだ準備も対応もできていないとき、いきなりやってくることも多く、我が母の場合など、その予感や予兆はあったのに、恐怖心もあって、それにきちんと向き合うこと、考えることをあえてしなかった。
 いま、振り返るとそのことがいちばん悔やまれる。
 「突然」の死に、ただただ慌てふためき、パニックに陥った。

 そう、そのときに、心も支度も常にしっかり備えておくなんてことは、人はなかなかできやしない。しかし、どう死にたいか、ではなく、どう死なせたいか、は、考えることはそれほど難しくはないはずだ。
 どういう葬儀を営むか、死後の手続きは、など、生前に決めておけることもいっぱいある。じっさいの「死に方」、死なせ方は決められないとしても。

 いよいよ我が父の死が現実となってきて、覚悟はしてきたつもりだったのに、我は、風にそよぐ若木の枝のように激しく動揺している。

ともかく、おかげさまで2022年07月26日 23時51分51秒

★我も老父も回復途中~ご心配おかけしてスミマセン!!

 97歳の父と60代半ばの我の親子二人してコロナ老老感染中のウチですが、ようやく回復の兆しと今後の予定も出てきました。

 まだ、確実、確定したことは何とも予断は許されないのですが、突然のリバウンドや何か予期せぬ不測の事態が起きない限り、我が父の退院の日程も出てきました。
 唯一の家族である息子である我の自宅療養が終わる8月1日、父は、いま入院中のコロナ患者病棟から退院できると本日、担当医と相談し決まりました。
 まだ少し先の話で、果たして本当にそのように無事予定通りに進むのか、不安と期待が半々というか、自分でもまだ半信半疑で、自らぬか喜びしてはならぬと自制するところ大ですが・・・

 ただ、真に問題なのは、無事退院でき、自宅に戻れたとしても「それから」の父の処遇でして、10日間の入院で、体力、筋力の低下と認知症の進行は確実に進んでいるはずで、果たしてコロナ感染前の生活に再び戻れるようになるのか。
 また、さらにそこに加えて不透明なのは、父が今まで通っていた二カ所の介護施設が両方とも現在、コロナの感染者が多数発生したため閉鎖中となっていることで、父が退院できウチに帰って来ても、その介護施設を再びいつから利用できるのかまだ分からないということ。
 最悪の場合は、退院したとしても認知症と衰弱が進み、何もできなく動けず食べられなくなった父を自宅で抱えて、どこにも行き場がなくなってしまうかもしれない。

 しかし、それはそのときのことであり、今はまだ先のことを、もしこうなったらどうしようとあれこれ悩み苦しむのもバカらしい。
 幸いまだ数日は時間の余裕はある。何よりまずは、来週頭、8月1日の朝一で、父を迎えに行ったとき、どこまで父が元気な状態、つまり以前の父で有り得るか、ということこそが肝要。
 むろん衰弱や呆けも進んでいることは間違いないはずだから、そこからどこまで父を、我が父という人間の人格と体力を取り戻せるか、だ。  施設に預けるのは、コロナ感染前に少しでも戻さないと、施設側は介護することもできやしない。

 先のことは今は考えない。ともあれ、今できる、すべきことを一つ一つやっていく。事態は何もかもコロナのおかげで新たな段階に入ったがまたこの家に帰還できた父を祝い少しでも楽に我が介護できる家を用意していく。
 そう、今できる、すべきことを少しでも一つでもできるときに進めていこう。

PCR検査の結果は・・・ 陽性!!2022年07月24日 23時05分24秒

★我も来月1日まで自宅療養ということに

 昨日の昼前、かかりつけの近くの診療所にやっと予約がとれたので、発熱外来に行ってきた。炎天下、自転車で。
 結果は、やはり予想していた通り、陽性。コロナ感染でありました。
その時点から10日間、一切の外出禁止とのことで、自宅で療養という、自分で治療することとなった。来月1日までである。

 まいったなあ、という気持ちもあるが、問題の父は、いま立川のコロナ病棟に入院させられたのだから、何の憂いなく自分のことに向き合える。
 先にも書いたが、熱は、ときに38度台半ばまで上がったりするが、あとはずっと8度台前後というところで、喉の痛みや咳もあるけれど、存外ひどく苦しい状況にはない。
 ただ、背中や腰、手足の節々が痛いのは相変わらずで、まあ、風邪の諸状況とほとんど変わりはない。
 心配していた味覚障害などは何もなく、熱のせいとのどの痛みで食欲はあまりないが、出してもらった薬を飲むためにも無理してともかく三食少しでも食べている。

 また、状況は逐次記していきます。皆さまもどうかご自愛ください。私感ですが、私の罹ったコロナウィルスは、去年までのバージョンのよりははるかに軽いものだと思えてきました。

やはり我も感染、発熱!!2022年07月23日 09時10分00秒

★まいったなあ としか

 父を一昨日の夕刻、何とか入院させることが出来て、濃厚接触者である我の身体はどうなるか、願わくば感染、陽性になっていないことをただ願っていたのだ。
 が、何か昨日は朝から喉が痛く、痰が絡むような咳も出てきて、熱も七度台半ばとなってきた。
 そして一晩明けて、今朝、23日の朝に体温測ったらば、38度台半ばである。
 といってもすごく息が苦しいとか、熱でふらふらするということはなく、ただ喉の痛みと、足腰、手足の節々がともかく怠く痛いだけで、まあ、風邪の引きはじめと何も変わらない。
 いや、熱の割には、体調は特に変わりはなく、「コロナはただの風邪」と喧伝している候補者が先の衆院選でも出ていたが、現時点では同意している。
 しかしこれからどう悪化するのか先のことは何もわからないし、ともかくウチは猫や犬たち動物の家族が多数いるため、その世話があるため仮に重篤化したとしても我は入院、療養は絶対にできない。
 まあ、ともあれ、もう少ししたらかかりつけの診療所に行って検査をまず受ける。すべてはそれからの話だ。
 またワクチン未接種故、ひどく叱られると思うが、それは思想信条の問題だから頭下げる気はない。ただ、父のことだけが気にかかる。

 また逐次、報告入れます。ただ、現時点ではそれほどコロナは怖れるに足らず、という気持ちでいる。

緊急報告!!2022年07月22日 10時05分36秒

★父は、奇跡的にコロナ病棟に入院。我は濃厚接触者として自宅待機に。

 先の件に関して、手短に状況だけ記します。

 けっきょく、20日の水曜夜に、父は滞在していた介護施設で発熱と咳が出はじめ、夜、そこで抗原検査したところ、コロナ陽性だと判明し、すぐさま救急隊を要請し、我もそこに向かいました。
 で、救急隊は到着後、入院先、つまりコロナ患者を受け容れてくれる病院にあちこち電話してくれたのですが、爆発的感染状況下、どこも満床で一時間以上遠くの病院まで電話してくれたもののみつからず、けっきょくその施設も職員がその晩は一人しかいないため、我は、車出して父を自宅に引取り連れ帰ることにしました。

 昨日午前中は、かかりつけ病院から医師がウチまで往診してくれて、いちおうの診察と咳止め薬とか出してはくれたのですが、他に何も処置はされず、ともかく入院先がみつかるまで自宅で我が介護するということになりました。
 が、父は午後からしだいに容態は悪化してきて、病院が貸し出してくれた指先で酸素の血中濃度を測る機械で、酸素を測定すると90もなく、しだいにそれは落ちてきて息も荒く意識もなくなってきました。
 このままではもうやばい、為すすべもなく母の時と同じく我はここで父をも死なすのかと悲痛な思いでいたところ、病院から電話があり、立川のかかりつけ総合病院に空きが出たので入院できると連絡がありました。
 即その場でお願いして、109に電話し、救急車要請しました。が、込み合っているとのことで一時間またされ、ようやく救急隊が到着して意識朦朧、口を大きく開けて荒い息をしている父を三人がかりで部屋から運び出しストレッチャーに載せて搬送していきました。心から安堵しただただ神に感謝いたしました。

 一日に、過去最大の都では三万人を超す新規感染者出た日に、父が近くの病院に入院できたのはまさに奇跡だと思います。が、同時にそのぶん、自宅で適切な医療が受けられずに死んでいた人たちもいたかもしれません。有難く思う反面、何とも心苦しく申し訳なくも思います。
 ともかくわかったことは、発熱と呼吸困難を伴うコロナという病気は、とても自宅では、まして介護する側が一人とかでは絶対対応することはできないということです。
 「自宅療養」などまやかしであり、適切なベッド数を確保してこなかった医療体制側、つまり政府の国民の命と健康を守ることへの対応不足、「棄民」政策のツケが何度でも繰り返すこのコロナ危機の根本原因なのだと断じます。

 そして私自身は、いまはまだ何も症状は出ていないのですが、濃厚接触者である以前に、準陽性者だとみなされて、PCR検査を受けたいと先ほどかかりつけ病院に電話したところ、もう検査予約はいっぱいなのとキットも足りないから、自宅でじっと待機して発熱などの症状が出たらば検査するから、ということになりました。
 まずは今日入れて一週間、何も症状が出なければ無罪放免となるわけですが、果てしてどうなることか。ともかく今は、電車も乗ってはならないし基本外出禁止を要請されました。

 そんなこんな父も含めてこの先どうなるかわかりませんし、ブログも更新できなくなるかもしれませんが、どうかご理解ご了承願います。
 また状況に動きがあり、ブログ書けるような状況の時は逐次更新していきますので。
 皆様もご自愛ください。