やっとコンサートに向けて動き出した ― 2023年11月07日 20時34分55秒
★ブログに書けない苦しさ
軽度だと思うが、このところずっと鬱状態が続いている。※先に鬱から抜け出したような、と書いたが、未だであった。
突発的にいきなり自殺することはないと思うが、ずっと鬱々とした、憂鬱気分が続いて苦しい。
理由はカンタンなことで、我が心の内を気ままかつ、気楽にここに書けないからだ。
筆が進まないのではない。書きたいことは山ほどあり、胸の内、いや、脳内に溜まって溢れんばかりだが、ここにはウカツに書くことはできない。
なぜならば。
ご存じのように、我は世間様から見れば、問題を多々起こす反社会的要注意人物だと目されていて、日常や動向などここに気軽にアップしてしまうと、我を敵視し監視する輩が読むとまた何をされるか、どう仕掛けてくるかわからないからだ。
だから個人的なこと、何をしたとか、どう考えたとか、あれこれ自由に個人情報をここに記すことができない。特にたくさん抱えている猫たちのことなど筆頭に。
下手に以前のように、自由気ままに好き勝手な事を書いてアップすると、また「ごたくを並べるな、そんなことよりも近所迷惑を何とかしろ」と卑劣にも自らの名は名乗らずに、ご近所からイヤミな電話がかかってくるだろうし、正義感溢れる方々が我が家に突然乗り込んでくるかもしれない。
今でさえ悩み多く、心身体調すぐれず身動き取れない状況なのに、そうしたことにさらに心乱され時間奪われる事態は何としても避けたい。
そう、我は我で何とかやっている。何とか生きている。ほっといてもらいたい。この物価高、生活の維持に防衛に困窮者はただただ必死なのである。が、ウカツに近況や日常のことなどをあれこれ「発信」してしまうと、そこから破られて、経験上また面倒な事態が必ず起こる。
友人知人たちのフェイスブックなどを目にすると、みんな自由に日々の出来事や考えたことなど、気軽にSNS上にアップできて本当に羨ましく思う。
我も昔はこの場でそれが出来ていた。何でも考えたことやしたことなど、画像交えて世界に発信できた。それは素晴らしく楽しかった。それが出来なくなったのは、ひとえに我自身の不徳のいたすところだと思うしかないが、この世は自らの正義に満ちた悪意の世界なのだから、それもまた致し方ない。
だから、個人的な事は極力控えて、できるだけ公的なこと、コンサートのお知らせとか、宣伝告知などしかアップできない。
それでもウツウツとしているから、何もかもしんどくて、ようやく今日やっと、フェイスブックに12月9日の我が手掛けるコンサートの告知をし終えた。もう開催当日まで一か月ではないか。全てが遅れている。
あと一か月で、どこまで自らの体調も含めて準備整えることが出来るかわからないが、今さらながら自らを叱咤して奮起してやっていくしかない。
心身の不調で、未だギターもうたも練習は何一つできていないが、それでも我に歌があり、そのための場が設定できたことは本当に有難い。
そう、どうしようもない人生だからこそ、うたがあり、新たな歌が生まれるのだ、と今心からそう思っている。
拙くとも自分がつくったうた、いま一番唄いたいうたを、1曲でも多く唄いたい。
宣伝告知が遅れているから、観客の数は大したことはないかもしれない。が、一人でも来られた方には、ブログに替わって、うたで この思いを届けたい。
軽度だと思うが、このところずっと鬱状態が続いている。※先に鬱から抜け出したような、と書いたが、未だであった。
突発的にいきなり自殺することはないと思うが、ずっと鬱々とした、憂鬱気分が続いて苦しい。
理由はカンタンなことで、我が心の内を気ままかつ、気楽にここに書けないからだ。
筆が進まないのではない。書きたいことは山ほどあり、胸の内、いや、脳内に溜まって溢れんばかりだが、ここにはウカツに書くことはできない。
なぜならば。
ご存じのように、我は世間様から見れば、問題を多々起こす反社会的要注意人物だと目されていて、日常や動向などここに気軽にアップしてしまうと、我を敵視し監視する輩が読むとまた何をされるか、どう仕掛けてくるかわからないからだ。
だから個人的なこと、何をしたとか、どう考えたとか、あれこれ自由に個人情報をここに記すことができない。特にたくさん抱えている猫たちのことなど筆頭に。
下手に以前のように、自由気ままに好き勝手な事を書いてアップすると、また「ごたくを並べるな、そんなことよりも近所迷惑を何とかしろ」と卑劣にも自らの名は名乗らずに、ご近所からイヤミな電話がかかってくるだろうし、正義感溢れる方々が我が家に突然乗り込んでくるかもしれない。
今でさえ悩み多く、心身体調すぐれず身動き取れない状況なのに、そうしたことにさらに心乱され時間奪われる事態は何としても避けたい。
そう、我は我で何とかやっている。何とか生きている。ほっといてもらいたい。この物価高、生活の維持に防衛に困窮者はただただ必死なのである。が、ウカツに近況や日常のことなどをあれこれ「発信」してしまうと、そこから破られて、経験上また面倒な事態が必ず起こる。
友人知人たちのフェイスブックなどを目にすると、みんな自由に日々の出来事や考えたことなど、気軽にSNS上にアップできて本当に羨ましく思う。
我も昔はこの場でそれが出来ていた。何でも考えたことやしたことなど、画像交えて世界に発信できた。それは素晴らしく楽しかった。それが出来なくなったのは、ひとえに我自身の不徳のいたすところだと思うしかないが、この世は自らの正義に満ちた悪意の世界なのだから、それもまた致し方ない。
だから、個人的な事は極力控えて、できるだけ公的なこと、コンサートのお知らせとか、宣伝告知などしかアップできない。
それでもウツウツとしているから、何もかもしんどくて、ようやく今日やっと、フェイスブックに12月9日の我が手掛けるコンサートの告知をし終えた。もう開催当日まで一か月ではないか。全てが遅れている。
あと一か月で、どこまで自らの体調も含めて準備整えることが出来るかわからないが、今さらながら自らを叱咤して奮起してやっていくしかない。
心身の不調で、未だギターもうたも練習は何一つできていないが、それでも我に歌があり、そのための場が設定できたことは本当に有難い。
そう、どうしようもない人生だからこそ、うたがあり、新たな歌が生まれるのだ、と今心からそう思っている。
拙くとも自分がつくったうた、いま一番唄いたいうたを、1曲でも多く唄いたい。
宣伝告知が遅れているから、観客の数は大したことはないかもしれない。が、一人でも来られた方には、ブログに替わって、うたで この思いを届けたい。
フライヤー再掲 ― 2023年11月01日 20時38分59秒
再開・「共謀コンサート」は12月9日(土) ― 2023年11月01日 20時16分27秒
★フライヤーようやく完成しましたので その文面↓
稀代の悪法「共謀罪」が2017年に成立後、谷保かけこみ亭で不定期ながらも開催続けてきた〖護憲と反戦平和のための「共謀」コンサート〗は、約30回近く続き2021年12月の回で終了しました。が、近年のロシアによるウクライナ侵攻に加え、中東パレスチナのガザ地区での新な紛争拡大と世界は今も戦禍が絶えません。
日本もまた近隣諸国の軍事的脅威に備えてと軍拡競争に突き進み、今や新たな「戦前」だと言われる状況に。
だからこそ、「うたと音楽」を通して反戦と平和、護憲の思いを観客の皆様と「共謀」したいと今回一度限りの再開します。
コロナは収束したようですが、コロナ禍で断ち切られてしまった人々の繋がりを再び音楽で繋ぐべく、これまで出られた熱いシンガーが再終結し、不安かつ苦難の状況下の今だからこそ「うたの力」を再確認したく多くの観客・共謀者をお待ちしております。
今また新たに反戦・不戦の誓いを皆で共謀しましょう‼
・2023年12月9日(土)出演/ みほこん 弱つよむ 藤しんいちろう 槙篤 館野公一 森人 三留まゆみ 太田三造 他
★企画・進行 マスダ昭哲
★午後3時開場・開演・3時半本編スタート~午後8時半頃終演予定
★参加費:投げ銭制※投げ銭+ワンドリンクorワンフードご注文必須
※予約・問い合せ:090-8175-8479
かけこみ亭:042-574-3602※谷保駅歩3分
稀代の悪法「共謀罪」が2017年に成立後、谷保かけこみ亭で不定期ながらも開催続けてきた〖護憲と反戦平和のための「共謀」コンサート〗は、約30回近く続き2021年12月の回で終了しました。が、近年のロシアによるウクライナ侵攻に加え、中東パレスチナのガザ地区での新な紛争拡大と世界は今も戦禍が絶えません。
日本もまた近隣諸国の軍事的脅威に備えてと軍拡競争に突き進み、今や新たな「戦前」だと言われる状況に。
だからこそ、「うたと音楽」を通して反戦と平和、護憲の思いを観客の皆様と「共謀」したいと今回一度限りの再開します。
コロナは収束したようですが、コロナ禍で断ち切られてしまった人々の繋がりを再び音楽で繋ぐべく、これまで出られた熱いシンガーが再終結し、不安かつ苦難の状況下の今だからこそ「うたの力」を再確認したく多くの観客・共謀者をお待ちしております。
今また新たに反戦・不戦の誓いを皆で共謀しましょう‼
・2023年12月9日(土)出演/ みほこん 弱つよむ 藤しんいちろう 槙篤 館野公一 森人 三留まゆみ 太田三造 他
★企画・進行 マスダ昭哲
★午後3時開場・開演・3時半本編スタート~午後8時半頃終演予定
★参加費:投げ銭制※投げ銭+ワンドリンクorワンフードご注文必須
※予約・問い合せ:090-8175-8479
かけこみ亭:042-574-3602※谷保駅歩3分
やっと鬱から抜け出したような ― 2023年10月23日 23時21分37秒
★年内、ともかくコンサートを成し終えて
私事だが、先日来あるきっかけで突然鬱に陥り、日々最低限のどうしてもやるべきこと以外、何一つやる気も、すべきこともできずウツウツとしていた。
が、やっと気持ちも体調も戻ってきたので、今さらながら気持ち新たに頑張らねばと思う。コンサートまで、もう時間残り少ないではないか。
気がついたら、もう今月10月も20日過ぎて、残すは一週間である。月の頭はまだ真夏の暑さで、強い陽射しが照りつけてTシャツ一枚でいたのに、今は朝晩は上着をかなり着こまないと風邪ひきそうなぐらい気温は下がってきた。
夜も夏の薄掛けのままでは寒くて、冬用の布団を出したところだ。
わずか一か月どころか、一月もしないうちに、今月は夏から秋、そして冬へと季節は急激に進み、11月は紅葉、落葉の本格的な冬の訪れであろう。
誰かが言ってたが、近年は四季はなくなり、春と秋は極端に短い、夏と冬だけの二季となるとのことだが、まさに今年はそれを実感している。
こうして毎年、地球温暖化の影響かはともかく、春先から真夏日が始まり、それが秋となるはずの10月頃までも続くのならば、我々はその新たな季節の変動にどこまで対応できるのであろうか。
むろん冬もまた温かいのだろうが、それでも夏の恰好のままではいられるはずもないし、やはり相応の防寒対策、暖房の支度もしないとならない。
ともあれ、夏と冬しかない、それも夏がやたら長いということは、春と秋の過ごしやすい温暖かつ快適な季節が短くなるということで、それはまたとてつもなく冷房代などの電気料金がかかるということにほかならない。
我のような体力なしの、しかもろくに収入のない困窮者にとって、ますます生きづらくなることは間違いないわけで、いかにその過酷な環境下、体調崩さず生き延びていくか、まさにこれからこそ正念場であろう。
天候など異常気象だけでなく、さらにそこからの食糧危機に加えて、大地震や豪雨水害、旱魃、山火事等の自然災害ではない人間同士の紛争や軍事侵略なども多発して今世紀はますます地球上の生物すべてにとって生き辛い大変な時代となってきている。
果たして、人類も地球もこのまま何とか無事に次の世紀を迎えられるのであろうか。
残念ながら、人類全滅はともかく、この文明は近く終焉を迎えるだろうと我に思えてきた。どう楽観的に見ても、迫りくるこの危機を乗り越える術を今の人類が自ら見いだせるとは思えない。
が、我はその前にもうこの世にはいないだろう。まさに洪水よ、我が亡きあとにに来たれ、としか言いようがない。
むろん今まだ生きている我らが成すべきことは当然たくさんあるのだが。
今さらだが、そうした我が亡きあとに残る人たちに向けてこのブログは「遺言」の気持ちで書いていくことにしていこう。
私事だが、先日来あるきっかけで突然鬱に陥り、日々最低限のどうしてもやるべきこと以外、何一つやる気も、すべきこともできずウツウツとしていた。
が、やっと気持ちも体調も戻ってきたので、今さらながら気持ち新たに頑張らねばと思う。コンサートまで、もう時間残り少ないではないか。
気がついたら、もう今月10月も20日過ぎて、残すは一週間である。月の頭はまだ真夏の暑さで、強い陽射しが照りつけてTシャツ一枚でいたのに、今は朝晩は上着をかなり着こまないと風邪ひきそうなぐらい気温は下がってきた。
夜も夏の薄掛けのままでは寒くて、冬用の布団を出したところだ。
わずか一か月どころか、一月もしないうちに、今月は夏から秋、そして冬へと季節は急激に進み、11月は紅葉、落葉の本格的な冬の訪れであろう。
誰かが言ってたが、近年は四季はなくなり、春と秋は極端に短い、夏と冬だけの二季となるとのことだが、まさに今年はそれを実感している。
こうして毎年、地球温暖化の影響かはともかく、春先から真夏日が始まり、それが秋となるはずの10月頃までも続くのならば、我々はその新たな季節の変動にどこまで対応できるのであろうか。
むろん冬もまた温かいのだろうが、それでも夏の恰好のままではいられるはずもないし、やはり相応の防寒対策、暖房の支度もしないとならない。
ともあれ、夏と冬しかない、それも夏がやたら長いということは、春と秋の過ごしやすい温暖かつ快適な季節が短くなるということで、それはまたとてつもなく冷房代などの電気料金がかかるということにほかならない。
我のような体力なしの、しかもろくに収入のない困窮者にとって、ますます生きづらくなることは間違いないわけで、いかにその過酷な環境下、体調崩さず生き延びていくか、まさにこれからこそ正念場であろう。
天候など異常気象だけでなく、さらにそこからの食糧危機に加えて、大地震や豪雨水害、旱魃、山火事等の自然災害ではない人間同士の紛争や軍事侵略なども多発して今世紀はますます地球上の生物すべてにとって生き辛い大変な時代となってきている。
果たして、人類も地球もこのまま何とか無事に次の世紀を迎えられるのであろうか。
残念ながら、人類全滅はともかく、この文明は近く終焉を迎えるだろうと我に思えてきた。どう楽観的に見ても、迫りくるこの危機を乗り越える術を今の人類が自ら見いだせるとは思えない。
が、我はその前にもうこの世にはいないだろう。まさに洪水よ、我が亡きあとにに来たれ、としか言いようがない。
むろん今まだ生きている我らが成すべきことは当然たくさんあるのだが。
今さらだが、そうした我が亡きあとに残る人たちに向けてこのブログは「遺言」の気持ちで書いていくことにしていこう。
10月に入りました。 ― 2023年10月05日 22時47分12秒
★ようやく季節が秋から冬へと動き出した。
今年、2023年は、日本のみならず全世界的に最も暑い夏だったらしい。
9月になってもその猛暑の残暑は収まらず、月の後半になってから朝夕はやや涼しくなったものの、日中は真夏と同じく強い陽射しが照りつける残酷暑が続いていた。記憶にある限りこんなに長い夏はなかった。
それが月が代わり、10月に入ったら、一昨日の夜の雨以降突然気温が下がり、昨日4日の朝など、上着やコートが必要なほど涼しく、いや、肌寒くなった。いつも通りTシャツ一枚で、犬と散歩に外に出たら寒くて後悔した。周りの人たちを見たらそんな夏の恰好の人は誰もいない。皆、長袖でジャケットを羽織っていた。
ようやく観測史上もっとも長く続いた夏も終わり、季節は秋へと移った感がある。
ただ近年の猛暑も含めた地球規模の異常気象、気候変動は、地球温暖化の一端だとするならば、これから元に戻っていくはずもないわけで、来年以降もさらに暑い夏が長く続くと予想される。
自分はもう老人世代で残り少ないから、先を憂いてもたかがしれてるが、今の若者や幼い子供たちや、これから生まれてくる世代の人たちにとって、例えようのない過酷苛烈な環境が待っていることは間違いない。
大雨や洪水、干ばつや森林火災など、夏場の高温のみならず人も含めて生物が生きていくのにはきわめて過酷な環境となっているだろう。
そのためにも今生きている我々世代が、後世の人たちにとって果たすべき責任と役割があると思うが、それは今回の本題ではない。このブログをこれまで読まれて来た人たちなら、言わずもがな、であろう。
さて、猛暑もだが、我にとって哀しみの月、9月も終わって、ようやく次へと気持ちも環境も移行しつつある。
哀しみの月とは、父母の命日が続く月であったからで、7年前に逝った母はともかく、昨年コロナ関連死した父の死から一年が過ぎ、今ようやく新たなスタートに我は立ったという気がしている。
当たり前のことだが、もう父に経済的にも精神的にも一切頼り恃むことはできなくなり、時間的にも気持ちの上でも束縛されることは何もなくなったのである。
一切束縛のない自由を得た喜びと共に、船が難破して何とか無人島に辿り着き、そこで一人で生きていくしかない者のような不安が相半ばしている。
嗤われても仕方ないが、60代半ば過ぎてようやく対外的、対社会的な事一切すべてを我一人、つまり自分一人で背負うこととなった。
そう、日々の生活に関する出費のみならず様々な税金他、電気、ガス、水道、電話、保険料、新聞代、NHK他に至るまで父の名義から我へと替えた。その手続きもかなり煩雑で面倒であったが。
誰もが家を出で個人で世帯を持てば、そんなことは当たり前のことのはずだが、結果として、パラサイト的に親元、実家に長年暮らしていた我は、家のこと全般ほとんど全てが父の名義で、父の口座から全て引き落とされていたのである。※個人的な税金の類も母が生きていた時は母任せにしていたのだ。
父の死後のいま、それらすべてを我一人で背負う責任ができ、ほとんど無収入に近い我は、その支払いの工面に頭痛めている。個人の持ち家だと、固定資産税の類もかなりの額なのである。
今のところは、まだ父の遺産というほどのことではなく、父名義の預金がまだいくらか残っていたからそれで何とか支払えたが、死後一年が過ぎて、さすがにそれも乏しくなってきた。
そろそろ本格的に仕事に出るか、新たなビジネスを始めるかしないともう近く経済的にも行き詰る。どこからか借金して穴埋めしたとしてもその借金を返せる当てもないわけで、借金もできない。
無能岸田政権と日銀による物価高に加え、増えすぎた猫たちの餌代、トイレの猫砂までも高騰して、さらに出費がかさんでいる。
しかし、そうした愚痴をこぼすためにブログを書いても仕方ない。我が人生は自分だけのものなのだから、自分で何とかしていくしかない。
今は、人手不足の世だから、我の歳でも贅沢言わなければ仕事は見つかるだろう。が、日々仕事に出てしまうと、動物たちの世話はともかく、家の片づけという大命題が出来なくなる。
働きに出なくても生活できる年金があれば、と夢想するが、現実はほぼ無年金の我は、何とか家にいてできる金儲けを模索するしかない。
あるいは、小説やヒット曲を書いて一発あてるか、だ。
どれもそんな楽な話ではないし、すぐさまどうかなるわけもない。ともかく金は使わずに今は、ようやく父の死後一年間の鬱から抜け出たところなので、ここから新たな生活スタイルを構築していくことからだ。
ようやく季節も変わって過ごしやすくなった。無人島での一人暮らしにまずは早く慣れていくことからだ。
生活苦、最悪の場合は、タコが自らの手足を食べていくように、ウチにあるものをヤフオクなどで順次売り飛ばしていこうと思う。
幸いボーダイな量の古本とレコードは手元にある。まずは本から、今在る本を全部一冊づつ売りに出して行く。
そう、もう一度、古本稼業にじっくり取り組むしかない。町から本屋も古本屋も消えた今だからこそ、本好きの好事家のためにそこに活路はあるのではなかろうか。
今年、2023年は、日本のみならず全世界的に最も暑い夏だったらしい。
9月になってもその猛暑の残暑は収まらず、月の後半になってから朝夕はやや涼しくなったものの、日中は真夏と同じく強い陽射しが照りつける残酷暑が続いていた。記憶にある限りこんなに長い夏はなかった。
それが月が代わり、10月に入ったら、一昨日の夜の雨以降突然気温が下がり、昨日4日の朝など、上着やコートが必要なほど涼しく、いや、肌寒くなった。いつも通りTシャツ一枚で、犬と散歩に外に出たら寒くて後悔した。周りの人たちを見たらそんな夏の恰好の人は誰もいない。皆、長袖でジャケットを羽織っていた。
ようやく観測史上もっとも長く続いた夏も終わり、季節は秋へと移った感がある。
ただ近年の猛暑も含めた地球規模の異常気象、気候変動は、地球温暖化の一端だとするならば、これから元に戻っていくはずもないわけで、来年以降もさらに暑い夏が長く続くと予想される。
自分はもう老人世代で残り少ないから、先を憂いてもたかがしれてるが、今の若者や幼い子供たちや、これから生まれてくる世代の人たちにとって、例えようのない過酷苛烈な環境が待っていることは間違いない。
大雨や洪水、干ばつや森林火災など、夏場の高温のみならず人も含めて生物が生きていくのにはきわめて過酷な環境となっているだろう。
そのためにも今生きている我々世代が、後世の人たちにとって果たすべき責任と役割があると思うが、それは今回の本題ではない。このブログをこれまで読まれて来た人たちなら、言わずもがな、であろう。
さて、猛暑もだが、我にとって哀しみの月、9月も終わって、ようやく次へと気持ちも環境も移行しつつある。
哀しみの月とは、父母の命日が続く月であったからで、7年前に逝った母はともかく、昨年コロナ関連死した父の死から一年が過ぎ、今ようやく新たなスタートに我は立ったという気がしている。
当たり前のことだが、もう父に経済的にも精神的にも一切頼り恃むことはできなくなり、時間的にも気持ちの上でも束縛されることは何もなくなったのである。
一切束縛のない自由を得た喜びと共に、船が難破して何とか無人島に辿り着き、そこで一人で生きていくしかない者のような不安が相半ばしている。
嗤われても仕方ないが、60代半ば過ぎてようやく対外的、対社会的な事一切すべてを我一人、つまり自分一人で背負うこととなった。
そう、日々の生活に関する出費のみならず様々な税金他、電気、ガス、水道、電話、保険料、新聞代、NHK他に至るまで父の名義から我へと替えた。その手続きもかなり煩雑で面倒であったが。
誰もが家を出で個人で世帯を持てば、そんなことは当たり前のことのはずだが、結果として、パラサイト的に親元、実家に長年暮らしていた我は、家のこと全般ほとんど全てが父の名義で、父の口座から全て引き落とされていたのである。※個人的な税金の類も母が生きていた時は母任せにしていたのだ。
父の死後のいま、それらすべてを我一人で背負う責任ができ、ほとんど無収入に近い我は、その支払いの工面に頭痛めている。個人の持ち家だと、固定資産税の類もかなりの額なのである。
今のところは、まだ父の遺産というほどのことではなく、父名義の預金がまだいくらか残っていたからそれで何とか支払えたが、死後一年が過ぎて、さすがにそれも乏しくなってきた。
そろそろ本格的に仕事に出るか、新たなビジネスを始めるかしないともう近く経済的にも行き詰る。どこからか借金して穴埋めしたとしてもその借金を返せる当てもないわけで、借金もできない。
無能岸田政権と日銀による物価高に加え、増えすぎた猫たちの餌代、トイレの猫砂までも高騰して、さらに出費がかさんでいる。
しかし、そうした愚痴をこぼすためにブログを書いても仕方ない。我が人生は自分だけのものなのだから、自分で何とかしていくしかない。
今は、人手不足の世だから、我の歳でも贅沢言わなければ仕事は見つかるだろう。が、日々仕事に出てしまうと、動物たちの世話はともかく、家の片づけという大命題が出来なくなる。
働きに出なくても生活できる年金があれば、と夢想するが、現実はほぼ無年金の我は、何とか家にいてできる金儲けを模索するしかない。
あるいは、小説やヒット曲を書いて一発あてるか、だ。
どれもそんな楽な話ではないし、すぐさまどうかなるわけもない。ともかく金は使わずに今は、ようやく父の死後一年間の鬱から抜け出たところなので、ここから新たな生活スタイルを構築していくことからだ。
ようやく季節も変わって過ごしやすくなった。無人島での一人暮らしにまずは早く慣れていくことからだ。
生活苦、最悪の場合は、タコが自らの手足を食べていくように、ウチにあるものをヤフオクなどで順次売り飛ばしていこうと思う。
幸いボーダイな量の古本とレコードは手元にある。まずは本から、今在る本を全部一冊づつ売りに出して行く。
そう、もう一度、古本稼業にじっくり取り組むしかない。町から本屋も古本屋も消えた今だからこそ、本好きの好事家のためにそこに活路はあるのではなかろうか。
またコンサート、企画しました。 ― 2023年09月22日 18時44分00秒
★いま、まだ自分ができること、すべきと思えること。
右腕の痺れと麻痺は相変わらずだし、状況は何一つ好転はしていないが、気持ちだけは戻った。ともかく生きて生き続けていこうと。
一昨日の夜、やっとキューブラー・ロスの自伝を読み終えた。多くの科学者が批判したが、死後の世界についての報告と記述は、我がずっと考えていたことと全て合致した。
そう、(肉体は滅びても)死が終わりでないとしたら、何も自ら死に急ぐ理由などはない。ともかくまずはこの現世で、負債ではないとしても、与えられ賜ったものを精一杯活かすだけだ。
聖書にも善きしもべの話がある。つまり主人から預かった金を、どれだけ増やして主人に示し返せるか、なのである。
父の死後、この地獄のような一年、何とか死なずに無事に生き永らえ、乗り越えられたことを今自らただ喜びたい。
自死は選ばずとも、事故や火災など不測の事態を招く可能性はものすごく高かった。
何しろ体はアルコール漬けでふらふらで食生活はめちゃくちゃだし、家はゴミ屋敷でまさに足の踏み場もなく、失火の危険性も高かった。
それでも大過なく入院もせず、ともかく生きてこの危機を乗り越えられたことはまさに神のご加護と、少ないが真に愛すべき友がいたおかげだと言うほかない。
むろん今も揺り戻しがあり、アルコールも断ちきれてはいないが、今の気持ちは、もう大丈夫だと思える。まずそのことを報告いたしたい。
今思うは、こんな我にもただただ有難く恐れ多いが、神の愛、つまり哀れみと慈しみがあったということだ。
これまでも人が知ったら卒倒するような危険なことをずいぶんやってきた。死なずとも障害が一生残るような目にも何度も遭った。
それでもまあ、今も五体無事に、老いてだいぶガタが来てはいるが、まだ生きてここに在ることは、本当に有難い、奇跡のようにも思える。
その神の愛に応えたい。
12月の9日(土)に、谷保のかけこみ亭で、旧き善き友人仲間たちと「共謀コンサート」を再開することにした。
ウクライナでの戦争も未だ収まらず、日本周辺もやたらきな臭く新たな戦前、とささやかれる今、もう一度だけ音楽とうたの力を通して、護憲と反戦、平和を考える音楽のイベントを企画することを決意した。
詳細は、また後ほど告知いたしたいが、ぜひぜひご参加ご協力願いたい。
右腕の痺れと麻痺は相変わらずだし、状況は何一つ好転はしていないが、気持ちだけは戻った。ともかく生きて生き続けていこうと。
一昨日の夜、やっとキューブラー・ロスの自伝を読み終えた。多くの科学者が批判したが、死後の世界についての報告と記述は、我がずっと考えていたことと全て合致した。
そう、(肉体は滅びても)死が終わりでないとしたら、何も自ら死に急ぐ理由などはない。ともかくまずはこの現世で、負債ではないとしても、与えられ賜ったものを精一杯活かすだけだ。
聖書にも善きしもべの話がある。つまり主人から預かった金を、どれだけ増やして主人に示し返せるか、なのである。
父の死後、この地獄のような一年、何とか死なずに無事に生き永らえ、乗り越えられたことを今自らただ喜びたい。
自死は選ばずとも、事故や火災など不測の事態を招く可能性はものすごく高かった。
何しろ体はアルコール漬けでふらふらで食生活はめちゃくちゃだし、家はゴミ屋敷でまさに足の踏み場もなく、失火の危険性も高かった。
それでも大過なく入院もせず、ともかく生きてこの危機を乗り越えられたことはまさに神のご加護と、少ないが真に愛すべき友がいたおかげだと言うほかない。
むろん今も揺り戻しがあり、アルコールも断ちきれてはいないが、今の気持ちは、もう大丈夫だと思える。まずそのことを報告いたしたい。
今思うは、こんな我にもただただ有難く恐れ多いが、神の愛、つまり哀れみと慈しみがあったということだ。
これまでも人が知ったら卒倒するような危険なことをずいぶんやってきた。死なずとも障害が一生残るような目にも何度も遭った。
それでもまあ、今も五体無事に、老いてだいぶガタが来てはいるが、まだ生きてここに在ることは、本当に有難い、奇跡のようにも思える。
その神の愛に応えたい。
12月の9日(土)に、谷保のかけこみ亭で、旧き善き友人仲間たちと「共謀コンサート」を再開することにした。
ウクライナでの戦争も未だ収まらず、日本周辺もやたらきな臭く新たな戦前、とささやかれる今、もう一度だけ音楽とうたの力を通して、護憲と反戦、平和を考える音楽のイベントを企画することを決意した。
詳細は、また後ほど告知いたしたいが、ぜひぜひご参加ご協力願いたい。
そして、今、これから ― 2023年09月16日 06時49分08秒
★こんな我にもまた、神の計画の一部なのだと
秋9月も半ば過ぎとなるのに、今年の猛暑は未だ衰えず、連日真夏日が続いている。
晴れれば強い陽射しに汗噴き出るし、曇りや雨でも湿度が高く、少し動くと汗ばんでくる。できることは、濡れタオルを常に首や頭に巻くことぐらいだ。
ともあれ、日暮れは早まり、朝晩は少しだけ涼しくなってきた。季節の歩みは遅々としていても確実に進んでいる。もう少しの辛抱だと鼓舞するしかない。
秋9月も半ば過ぎとなるのに、今年の猛暑は未だ衰えず、連日真夏日が続いている。
晴れれば強い陽射しに汗噴き出るし、曇りや雨でも湿度が高く、少し動くと汗ばんでくる。できることは、濡れタオルを常に首や頭に巻くことぐらいだ。
ともあれ、日暮れは早まり、朝晩は少しだけ涼しくなってきた。季節の歩みは遅々としていても確実に進んでいる。もう少しの辛抱だと鼓舞するしかない。
父の命日に ― 2023年09月14日 19時56分37秒
★一年が過ぎて
今日、9月14日は、我が父の忌日、命日である。
父は、昨年の今日、夕刻時に市内外れの病院で息を引き取った。
病院から、危篤状態なのですぐに来てくれ、と携帯に電話があった。
ちょうど市役所にいて、あれこれ税金とかの支払いの相談終えて外に出たところの我は、その電話を受けて、大慌てで家にも戻らず自転車でかけつけたのだった。
ちょうど近くの工場の退社時刻でもあり、駅へと向かうその社員の群像とすれ違いながら夕陽を背にして病院に向かって我は走った。
去年はもっと涼しく夕陽も長く伸びて爽やかな初秋の夕暮れだったと記憶する。今年は同時刻でもともかくまだ暑い。むっとして汗ばむほどだ。
既に記したと思うが、我が着いたとき、看護師はたった今亡くなりましたと言ったが、父はまだかろうじて生きていて、意識はないものの、かすかな動きもあり、まだ温かい手を握り、不肖不徳の不良息子は泣きながらも悔いて詫び別れを告げることができた。
それから一年。この一年は、物心ついてから半世紀どころか60年以上も生きてきて、未だ経験したことのない本当に辛く地獄のような辛い日々であった。
7年前年前、母が、2016年に、癌で自宅で逝った時も、その後の一年は、意気消沈どころか呆然自失、最愛の母を失ったショックで、やはり何も手につかず、見るものすべて意味と色を失い、すべてにやる気を失ったが、それでもまだ生活だけは何とか続いていた。
それは、父がまだ我に残されていたからで、90過ぎの父がまだ生きていたから、介護施設に通いながらもまだこの家で共に暮らしている限り、最低限の日常生活は維持しなければならなかったからだ。
その父が、昨年の今日、コロナ関連死でついに母の元へと旅立ち、以降、我はこの家でついに一人暮らしとなった。そして全てが狂い崩れてしまったのだ。
今日、9月14日は、我が父の忌日、命日である。
父は、昨年の今日、夕刻時に市内外れの病院で息を引き取った。
病院から、危篤状態なのですぐに来てくれ、と携帯に電話があった。
ちょうど市役所にいて、あれこれ税金とかの支払いの相談終えて外に出たところの我は、その電話を受けて、大慌てで家にも戻らず自転車でかけつけたのだった。
ちょうど近くの工場の退社時刻でもあり、駅へと向かうその社員の群像とすれ違いながら夕陽を背にして病院に向かって我は走った。
去年はもっと涼しく夕陽も長く伸びて爽やかな初秋の夕暮れだったと記憶する。今年は同時刻でもともかくまだ暑い。むっとして汗ばむほどだ。
既に記したと思うが、我が着いたとき、看護師はたった今亡くなりましたと言ったが、父はまだかろうじて生きていて、意識はないものの、かすかな動きもあり、まだ温かい手を握り、不肖不徳の不良息子は泣きながらも悔いて詫び別れを告げることができた。
それから一年。この一年は、物心ついてから半世紀どころか60年以上も生きてきて、未だ経験したことのない本当に辛く地獄のような辛い日々であった。
7年前年前、母が、2016年に、癌で自宅で逝った時も、その後の一年は、意気消沈どころか呆然自失、最愛の母を失ったショックで、やはり何も手につかず、見るものすべて意味と色を失い、すべてにやる気を失ったが、それでもまだ生活だけは何とか続いていた。
それは、父がまだ我に残されていたからで、90過ぎの父がまだ生きていたから、介護施設に通いながらもまだこの家で共に暮らしている限り、最低限の日常生活は維持しなければならなかったからだ。
その父が、昨年の今日、コロナ関連死でついに母の元へと旅立ち、以降、我はこの家でついに一人暮らしとなった。そして全てが狂い崩れてしまったのだ。
亡き母の命日に ― 2023年09月08日 22時23分04秒
★この一年をふりかえる
私事だが、母は、2016年の9月8日の未明、この家で、我の手の内に息を引き取った。
それから、早いもので7年が過ぎた。その日のことは、まだ昨日のようにありありとリアルに思い出すが、さすがにもう今は、夢の中ても既に亡き人だと意識してきたし、生前の元気な姿で出てきたときも、目覚めた後に昔はその不在に嘆き常に泣いたりもしたが、もう泣くこともなくなった。
夢で母と会えたらば、ただ懐かしく有難く嬉しく思うだけだ。そしてあの世でも元気にやってるのだと思い、我もまた近く死んだら、再会のときを楽しみに待つだけだ。
仏式では、去年が母の七回忌であったのだが、おりしも初夏から父がコロナ禍で重篤の状態で入院中であり、父のことだけに心は囚われ母の法事のことなどは何も考えられず、一切何もしなかった。
そしてその父も、母の命日の直後に、迎えに来た母に手を取られるがごとく、あの世へ旅立ち、間もなく一年、一周忌となる。
が、今年もお寺での法事は何も予定してなく、願わくば、今月内にも彼らの孫である、都内に住む我が甥っ子と、我が両親を知る女友達にも声かけて、町田の菩提寺に墓参りだけは行こうと考えてる。
母が死んでからの歳月はともかく、父が死んでからのこの一年、我一人でほんとうに大変だった。もう何度もダメかと思った。全てが行き詰り何もできなく滅茶苦茶になって、何もかも地iに落ちた。地獄とはこういうものかと知った。苦しさのあまり何度も死を願い試みもした。
今もすべてを失くして終わりにしたいと強く願うものの、ともかくまだ死なずに、まだ生きてここに在ること、どうしようもない人生を抱えてもまだ生きていることに、喜びのようなもの、いや、何より有難さを覚える。
自分自身には、生きていく理由、意味など何もないが、我は多くの生き物たち、我が世話しないとならない猫たちや犬がいたので、死ぬに死ねなかったのだと今気がつく。彼らがいなかったらほんとうに間違いなく突発的に死んでいた。そう動物たちの求めが我を現世に留めたのだ。
この世の人生とは、様々な関係にほかならず、そうした外との関係性の有無こそが人を生に繋ぐ糸、絆なのだとわかった。
生きること、生きているということは、そうした「外」との繋がりに他ならない。それが失われたとき、人は孤独に陥り絶望し、あげく自死を選び、ときに他者をも道連れにするような非道をも行動する。
京都のアニメ制作会社の惨事を思うとき、突然理不尽に殺された人たちは当然のこと、犯人の男のそこに至るまでの人生を思う。
安倍元首相殺害の犯人もだが、同情の余地などはないが、その行動に至るまでの、思いつめた思いを語るべき関係ある者がもしも彼らにいたならば、こんなことは起こらなかったに違いないと信ずる。
この世は、成功した者たちによる敗者、落伍者へに対する「自己責任論」が満ちている。
確かに自分もまさに自業自得だと思いもする。我自身が招いた顛末がこの地獄なのだと。
が、そこに追い詰めることではなく、肯定できなくてもそのどうしようもない現実、現状をまず赦し、その現実を語らう場、話せる仲間のような誰かが必要なのではなかろうか。
我は何もできやしない。が、その痛みと苦しみは語れるし訊くことはできる。人生は自分のものか、もう一度自問している。
私事だが、母は、2016年の9月8日の未明、この家で、我の手の内に息を引き取った。
それから、早いもので7年が過ぎた。その日のことは、まだ昨日のようにありありとリアルに思い出すが、さすがにもう今は、夢の中ても既に亡き人だと意識してきたし、生前の元気な姿で出てきたときも、目覚めた後に昔はその不在に嘆き常に泣いたりもしたが、もう泣くこともなくなった。
夢で母と会えたらば、ただ懐かしく有難く嬉しく思うだけだ。そしてあの世でも元気にやってるのだと思い、我もまた近く死んだら、再会のときを楽しみに待つだけだ。
仏式では、去年が母の七回忌であったのだが、おりしも初夏から父がコロナ禍で重篤の状態で入院中であり、父のことだけに心は囚われ母の法事のことなどは何も考えられず、一切何もしなかった。
そしてその父も、母の命日の直後に、迎えに来た母に手を取られるがごとく、あの世へ旅立ち、間もなく一年、一周忌となる。
が、今年もお寺での法事は何も予定してなく、願わくば、今月内にも彼らの孫である、都内に住む我が甥っ子と、我が両親を知る女友達にも声かけて、町田の菩提寺に墓参りだけは行こうと考えてる。
母が死んでからの歳月はともかく、父が死んでからのこの一年、我一人でほんとうに大変だった。もう何度もダメかと思った。全てが行き詰り何もできなく滅茶苦茶になって、何もかも地iに落ちた。地獄とはこういうものかと知った。苦しさのあまり何度も死を願い試みもした。
今もすべてを失くして終わりにしたいと強く願うものの、ともかくまだ死なずに、まだ生きてここに在ること、どうしようもない人生を抱えてもまだ生きていることに、喜びのようなもの、いや、何より有難さを覚える。
自分自身には、生きていく理由、意味など何もないが、我は多くの生き物たち、我が世話しないとならない猫たちや犬がいたので、死ぬに死ねなかったのだと今気がつく。彼らがいなかったらほんとうに間違いなく突発的に死んでいた。そう動物たちの求めが我を現世に留めたのだ。
この世の人生とは、様々な関係にほかならず、そうした外との関係性の有無こそが人を生に繋ぐ糸、絆なのだとわかった。
生きること、生きているということは、そうした「外」との繋がりに他ならない。それが失われたとき、人は孤独に陥り絶望し、あげく自死を選び、ときに他者をも道連れにするような非道をも行動する。
京都のアニメ制作会社の惨事を思うとき、突然理不尽に殺された人たちは当然のこと、犯人の男のそこに至るまでの人生を思う。
安倍元首相殺害の犯人もだが、同情の余地などはないが、その行動に至るまでの、思いつめた思いを語るべき関係ある者がもしも彼らにいたならば、こんなことは起こらなかったに違いないと信ずる。
この世は、成功した者たちによる敗者、落伍者へに対する「自己責任論」が満ちている。
確かに自分もまさに自業自得だと思いもする。我自身が招いた顛末がこの地獄なのだと。
が、そこに追い詰めることではなく、肯定できなくてもそのどうしようもない現実、現状をまず赦し、その現実を語らう場、話せる仲間のような誰かが必要なのではなかろうか。
我は何もできやしない。が、その痛みと苦しみは語れるし訊くことはできる。人生は自分のものか、もう一度自問している。
9月は、哀しみの月 ― 2023年09月08日 00時01分19秒
★母の命日と、近づく父の命日を思う
9月に入った。このところ台風が次々来ていることもあって、雨模様の日も多く、やや気温も下がる日もあって、記録的猛暑、酷暑の今夏もようやく終わりに近づいている兆しが見えてきた。
また拙ブログ間が空いてしまった。
何も状況は解決していないが、ようやく一段落してきたような、次の状況に移れると思えてきて先に当ブログ、再開のことを記した。
が、今月2日の日に、近くでちょっとした音楽の集まりがあり、盟友太田さんを誘って参加したのだが、その後からまた気持ちも体調も崩れてしまい、家内での新なトラブルも起きたりもして何日かウツウツとしてしまっていた。
で、このブログも気持ちが落ち込んでは書けなかったわけだが、近づく我が母と父の命日を前にして、今さら鬱状態になってもいられない。
そう、今月は、我が両親の死んだ命日の月であり、本来は墓参りやら亡き人たちを偲ぶあれこれ多々行事の続く月なのである。
が、浄土宗のお寺にある我家の墓所の下に、父母は、お骨となってそのまた親たちと一緒に納まってはいるものの、ウチは父母たち自身が生きていた頃から、そうした信仰、信心は極めて希薄であった。
仏壇の位牌に手を合わせることや墓参りも常日頃疎く、また我自身の信仰もそれとは別にあり、父たちが眠る墓所のある寺に対する畏敬の念と有難さは覚えつつも、善き檀家、信徒ではないことは間違いない。
が、死んだ日、命日というのは、どの宗教問わず意味を持つはずで、明日、9月8日は、2016年に逝った母の命日で、その一週間後、14日は昨年死んだ父の命日であり、今月9月は、ある意味弔いの月、亡き人を思う哀しみの月だと言えるかと思う。
我もまた望まずとも、死ぬる月は、9月だという気がしている。
9月に入った。このところ台風が次々来ていることもあって、雨模様の日も多く、やや気温も下がる日もあって、記録的猛暑、酷暑の今夏もようやく終わりに近づいている兆しが見えてきた。
また拙ブログ間が空いてしまった。
何も状況は解決していないが、ようやく一段落してきたような、次の状況に移れると思えてきて先に当ブログ、再開のことを記した。
が、今月2日の日に、近くでちょっとした音楽の集まりがあり、盟友太田さんを誘って参加したのだが、その後からまた気持ちも体調も崩れてしまい、家内での新なトラブルも起きたりもして何日かウツウツとしてしまっていた。
で、このブログも気持ちが落ち込んでは書けなかったわけだが、近づく我が母と父の命日を前にして、今さら鬱状態になってもいられない。
そう、今月は、我が両親の死んだ命日の月であり、本来は墓参りやら亡き人たちを偲ぶあれこれ多々行事の続く月なのである。
が、浄土宗のお寺にある我家の墓所の下に、父母は、お骨となってそのまた親たちと一緒に納まってはいるものの、ウチは父母たち自身が生きていた頃から、そうした信仰、信心は極めて希薄であった。
仏壇の位牌に手を合わせることや墓参りも常日頃疎く、また我自身の信仰もそれとは別にあり、父たちが眠る墓所のある寺に対する畏敬の念と有難さは覚えつつも、善き檀家、信徒ではないことは間違いない。
が、死んだ日、命日というのは、どの宗教問わず意味を持つはずで、明日、9月8日は、2016年に逝った母の命日で、その一週間後、14日は昨年死んだ父の命日であり、今月9月は、ある意味弔いの月、亡き人を思う哀しみの月だと言えるかと思う。
我もまた望まずとも、死ぬる月は、9月だという気がしている。
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