コロナ感染爆発、最大の要因は、オリンピック開催だ!2021年07月31日 17時29分43秒

★今さらでも、今からの東京五輪の開催中止を強く求める

 コロナの感染拡大が止まらない。拡大どころか「爆発」である。
 ワクチンだけが頼みで何一つ有効な対策は打たずに、バカの一つ覚えの「緊急事態宣言」だけ繰り返し出してももう誰も従わない。

 じっさい、東京では「緊急事態宣言」が出てないときは今年はほとんどないのだから、「緊急事態」であろうとも「日常的」になってしまえば人はその中で普通の日常を送るのは当然だろう。
 流行開始から一年半経っても感染収束するどころか、今夏最大の波を迎えてしまった。東京の一日の新規感染者数は連日ウナギ上りに増え続け昨日は3千、今日はついに4千人の大台を超え、全国的にも1万人を超える日が続いている。その原因はどこにあり、誰の責任かはっきりしている。
 安倍~菅自公政権の場当たり的無策と迷走・逆走、そして最大の原因はこの「緊急事態宣言」下での東京五輪開催の狂行、いや強行である。彼らはずっと誤ったメッセージ、Go to トラベルをはじめとして感染収束に逆行する政策を繰り返してきた。そしてついに今の、感染爆発を招いたのだ。
 ところが菅首相は、人流は減っているから心配してない、とか、小池都知事は、五輪開催のおかげで皆が家で五輪のテレビを見るから逆に人が出歩かないと「五輪効果」を誇っているが、まさにどの口が言う、である。
 ならば、どうしてこんなに感染者が爆発的に連日増え続けるのか、感染収束の兆しが少しでも見えたら言え、である。

 オリンピックがなし崩し的に開催強行されてから、メディアでは連日メダル奪取に沸き、日本人選手の活躍に興奮と感動の報道に一変してしまった。テレビは、ほぼどの局もオリンピックの試合中継ばかりで、特にHKは、Eテレまで使って、試合中継の垂れ流し。通常の番組は、定例のニュースまでもなくなってしまった。あれほど反対、延期の世論があったことを思うとまさに異常な五輪「忖度」である。

 今でもこのコロナ状況下の「五輪中止」の声を上げ続けている人や政党、新聞は、今では赤旗と日本共産党ぐらいしかなく、彼らに対してネット上では、「今さら」だとか「できっこない、無責任」だとかいう声が多く見受けられる。
 だが、我も今さらであろうとも大きく「五輪即中止」を求めたい。それこそ、これまで開催に疑問を呈してきた人が、開催されたら突然メダルラッシュに喜び、コーフンするほうが無責任ではないか。これを変節者という。

 そもそも元より東京五輪開催については、特需で様々な関わる企業の利権と関係者の懐を潤すだけで、箱もの新規建設で都民国民に多大な税金負担を強いるものとして開催決定当初から多くの疑問の声が上がっていた。
 さらに様々な不明朗な経緯や五輪関係者による不祥事、失言、失態などが相次いたどころに、このコロナ禍で安倍晋三が一年延期した五輪開催である。
 医療関係者の多くが、この感染状況では通常では開催はないと言い切る中、ひたすら「安全安心な開催を目指す」と裏付けのない目標を繰り返し言い続け強行して結果としてこの「感染爆発」。どこが安全安心か、そう思う国民がどれだけいるか。
 日本人という国民性は、常に横並びというか、大きな流れに乗るのが好きで、五輪開催に不安や疑問視してても、けっきょく始まってしまえば、日本人選手の活躍に夢中になるし、その彼らの頑張りに感動と希望と勇気をもらってやはりオリンピックは素晴らしい、開催できて良かったと思うのであろう。
 それはそれで良いことで実に人間的である。我はスポーツは好きではないしそもそも関心外の人間だが、スポーツの持つ力は否定しないしこれまで頑張ってきた人たち全てが報われるべきだと思う。

 しかし、五輪開催は、このコロナ禍では、誤ったメッセージであると信ずるから、あくまでも五輪開催反対と中止をこれからも訴える。
 我は小池都知事や都の福祉保健局長の認識とは違い、この五輪開催こそがこれほどの感染爆発の直接の要因ではないとしても大きな「引き金」となったことは間違いないと考える。
 そもそも人流が大きく地方へと移動した先の四連休も、五輪開催に合わせて無理やりに拵えたものであるし、何より、緊急事態時であるのに、五輪は開催できるというお祭り気分こそが、では何故に国民だけ苦しい「自粛」せねばならないのか、ならば、という普段と変わらない日常をもたらしているのだと思える。むろんコロナ疲れもあろう。
 これがオリンピックは断腸の思いで「中止」という英断をしていれば、国民多くが、それほどの非常事態だとやっと認識し、真に街から人出は減り、長く続いたコロナとの闘いも出口が見えたのではないか。
 それを何度でもこれで最後と言いつつ、緊急事態宣言を繰り返し出して、飲食店には我慢を強い挙句に、誰もが不安に思っていた五輪開催=感染爆発という愚を強行してしまった政権の無謀無策の責は今こそ大きく問われるべきだ。

 そもそもコロナとの闘いは、戦時に譬えられる。つまり準戦時体制下と言えよう。かつて中止になった東京五輪も戦争の影が大きく全世界を覆い、やむなく常識的に中止となった。
 そして1964年、戦争の復興の象徴として菅総理も懐かしむあの素晴らしい東京五輪開催となった。
 その甘美な思い出に酔いしれて、夢を再びと願うのは構わない。が、このコロナ感染拡大が、全世界的にも収まっていない非常時の今だからこそ、やはり東京は常識的に再び「中止」という選択をすべきであった。
 五輪を目指し頑張ってきたアスリートの思いは尊重すべきであるし、彼らには何も罪も責任もない。が、このまま感染者数がさらに増え続ければ、高齢者層の死者は少なくなったとしても、まさに医療体制は崩壊し、「救える命が救えなくなる」ことは間違いない。オリンピック中止はそのための大きな正しいメッセージとなる。

 マスメディアがオリンピックに熱狂するのはかまわない。今さら中止は現実的ではないとも思う。が、こんな状況下だからこそ、あくまでも「五輪中止。中断」を訴えていく。
 かつての大東亜戦争の時にも開戦を疑問視し反対していた人たちは少なからずいたが、実際に戦争がはじまり、当初の快進撃が続くと皆口を閉ざしたどころか新聞、政党も含め知識人、文化人もほとんどすべてが積極的に戦争に加担、協力してしまった。獄中に捕らわれていた共産党員以外は。
 だからこそ、あくまでも当時と同じく今も共産党と赤旗は、五輪開催反対と叫ぶのである。そう、今はコロナとの戦争中なのだから。

 メディアはオリンピックの良い面だけしか報じない。だが、それに踊らされて現実を見失ってはならない。感染者数は日々激増しこの国の医療はまさに危機的、壊滅的状況なのだ。
 あえて言う、オリンピックこそ不要不急である。それよりももっと重要な大切なことがある。それは、人の命、誰もが安全安心に生きていける社会が保障されていることことだ。

 走りだしたバスに乗ってはならない。その先にあるのは、デッドエンド、地獄かもしれないのだから。

パソコンは完全にクラッシュして「過去」は失われてしまったが2021年07月28日 13時06分53秒

★何はともあれまず状況報告します。

 先に、近年ずっと使ってきた、普段使いのデスクトップのウインドウズ8.1パソコンが壊れたことは記した。何から書くべきか迷ったが、まずは近況ならぬ、その現況を記す。

 そのパソコン、10年は経っていないが、母が癌で弱りつつもまだ生きていた頃、その前のパソコンがやはり不具合を起こして新たに導入したのだから、7年~は使ったかと思える。※母が死んだのは2016年だから。
 7月19日に突然、電源は入るもののOSが起動しなくなって、メーカーである東芝にサポート相談したり、近くの大手家電販売店の中にある修理専門店に持ち込んだり、さらにもう一軒、立川の修理会社に持ち込み見てもらったが、どこもハードデイスクが完全に壊れている、とのことで、「修理」は何もできず、中のデータを部分的に取り出せるかどうか、という「診断」で今持ち帰ってウチにある。
 データを取り出すにしても、最後の会社の見立てでは、代金は七万円から10万円とのことで、それも保存する別ハードデイスクなどのメディア代は別とのことだから、どうしたものか迷った。
 むろんその金出したとしてもパソコン内にあるデータが全部復元できるわけでもないし、そもそもそれが可能かすら何も保証されていない。やってみないことには、だ。むろんHDの損傷激しく何も取り出せないときは、分解した手間賃代金だけで済むとのことだが。
 正直憂鬱である。金のことよりも事態が手に負えないこと、どうしたものか先が見えないことで迷い思い悩んでいる。
 パソコンは、近年買った、今このブログを打っている富士通の同タイプの「新型」があるので、修理できなくとも特にすぐ困ることはないのだが、やはり気になるのは、中にあるこれまで溜めてきたデータである。

 自分は、この10数年、音楽イベントなどの録画録音、写真撮影などのの「記録」に精出してきて、録りためたものがそのパソコンにかなり入っている。
 ただ、近年のものは、そのパソコンの容量もかなりいっぱいになってきたため、最初から外付けハードディスクに入れてあるので、まだ確認していないが、そちらは無事だと思える。
 物書きの端くれでもある自分が長年書き記したものなどには未練はないが、過去のライブイベントなどの記録、それも人様から頂いたものなどが失われてしまうのが痛い。

 中でもいちばんモッタイナイと思うのは、京都の詩人、有馬敲氏を招いて、阿佐ヶ谷のライブスペースで開催した、中川五郎他フォークシンガーたちとの「詩とフォーク」のコラボイベントの「記録」で、音だけはCDなどに取り出してあるが、映像などはまんまそのパソコンに入ったままで、一切合切それらが全部消えてしまうのは何とも苦悩苦慮している。
 そのときは、プロのPA、録音担当者に映像も含めて全部委任し、そのデータは、ダウンロードとして送られてきたので、パソコンがクラッシュしてしまうと全て失われてしまうことにやっと気がついた。
 どうして早く、バックアップをとるなり、別のメディアに移しておかなかったのかと今にして悔やむが、結局、母の死とその後の生活に追われてあれこれ慌ただしく、日々やり過ごすことで手いっぱいであったことと、そのイベント自体、いろいろその後あって気持ちが冷めてしまったこともある。
 当初は、詩人とシンガーのライブ音源も付いたCDブックとして「販売」する予定で企画したイベントだった。ただ、我が身の不徳からというか、いろいろ失態も重なり終わってから関係者、出演者との間で人間関係的にトラブルが多々起きてしまい、結局その企画は座礁してしまった。
 そのため自分の気持ちも褪せてしまい、せっかくの貴重なイベントでありながらもその後、パソコン内にほったらかし、つまり放擲してきてしまったのだ。
 その他、いろいろ頂いた原稿や記事、音楽の記録などもそのパソコンには入っていたかとあれこれ今さらながら思い出しもするが、現時点では半ば諦めかけている。
 結局、あれこれ迷いもしたがどこも修理不能ならば、明日にでも、メーカーである東芝の工場に運び、データだけでも復旧を依頼しようと考えている。当初、電話で状態を説明した折、もうそのパソコン自体が生産終了してから時間が過ぎ、そのパーツの在庫がないので修理ができないことは聞いてはいたが、データだけの取り出しはおそらく可能で、代替のメディア代込みでも、先の修理専門店よりは安い額が示されたので、ともかくメーカーに任せて結果を待つことにしようと思う。

 その有馬イベントも含めて自分が関わったライブイベントなどの記録データが少しでも戻れば幸いだが、修理会社の話だとその可能性は決して高くないだろうし、今はダメ元で神に祈るだけという気持ちでいる。
 何はともあれ、起こることにはすべて意味と意義がある。どのような結果になろうともきちんと受けとめ容け入れていかねばならない。

 そしてこうも思う。自分は何も失っていない。自分の人生は何も損なわれていないと。
 むろん過去の一部、自分のしてきたことのモノとしての「記録」は失われてしまった。が、我の人生、これから生きていくのには、それらがなければ困るというわけではない。
 ならば、ラビさんの歌の一説ではないが、過ぎたものは捨てようぜ、という気概で、前を向いてこれからに向かって進んでいくだけだ。

ブログ再開します。2021年07月24日 09時24分53秒

★今まで使ってきたパソコンが壊れてブログ更新できませんでした。

 ご心配おかけしました。マス坊はまだ生きてます。
 後ほど詳しく状況を記しますが、これまで長年使ってきたデスクトップのパソコンが、ライブ明けの月曜19日に突然不具合起こし、立ち上がらなくなりました。※今修理に出してますが・・・データだけでも取り出せるかという状況です。

 別の新しいパソコンは先年購入していたのですが、そちらにはブログの設定など入れてなく、アクセスしようにもパスワードじたい失念していて、アサブロの運営元アサヒネットに連絡してやっと再開することができました。
 いま、その新しいパソコンで初めてこれを記しております。

 今日は、昨日までと違いやや曇りがちで、そのぶん少し涼しいですが、相変わらず蒸して厳しい暑さは変わりません。
 オリンピック開催によるコロナ禍中、さらなる感染爆発が気になりますが、皆様ともかく罹らぬよう、感染させないようご自愛ご注意ください。

 マスクを外して皆が自由に集い語らい移動できる日が一日も早く戻ることを祈り信じて、がんばって生きていきましょう!!

「反五輪」で「共謀」コンサートは、7月18日、予定通りに開催!2021年07月15日 07時28分54秒

★またまたまたの「緊急事態宣言」下ですが・・・

★7 月18日(日)「季刊・共謀コンサート」@谷保かけこみ亭【要事前連絡】
 出演/らんぷりんまっく 奥主榮 館野公一 槇篤 三密クラスターズ(太田三造・マスダ他) 森人(もりんど) ぼけまる 他???
※企画・司会進行役 マスダ
 開場・開演5:00pm~、午後9時終了 
https://www.facebook.com/Kakekomitei/
問合せ・予約&司会進行役/マスダ昭哲 090-8175-8479  
かけこみ亭 042-574-3602

 ※今回もお店は休業中での「無観客」での開催となります。が、生配信の予定ですので、配信に立ち会いたい方、冷やかし来場などは可能です。事前に来場の連絡をお願いします。


 要請という名の「強制」、さらに従わない店へ「恫喝」しても、日常化した「緊急事態」に人出は減らず、またしても第5波襲来、感染者数は昨日また早くも千人越えとなった。
 ほぼ無観客であろうが、この感染爆発状況の最中に開催強行される東京五輪に、反対や延期を望んでいた人も、ともかくやるなら仕方ないな、テレビで日本人選手の活躍を楽しみに見よう等とお考えであろう。
 が、一度決まってしまった事、お上が決めたことには逆らえぬ、抗ってもムダだと、長いものには巻かれてしまう、従順な「日本人気質」に対して、開幕直前の今こそ、、やっぱり嫌なものはイヤだ!と、なし崩し的に開催されていく「今」だからこそ、このコロナ禍での開催は反対だと抗議の声は上げ続けるべきだと考える。

 五輪に限らず、どんな問題事案が起きても、口先では「丁寧な説明をしていく」と言いつつ、一切きちんと何も説明責任を果たさぬまま思いどおりに政治を進めてきた、現在に至る自公政治、安倍~菅政権は、国民の側に無力感と諦念をもたらした。
 圧倒的な数の力を前にした長期政権は、何もかも自分たちが望むことは思い通りにできる、弱小野党や「反日」的思想の異論者など怖るるに足らずと、増長、傲慢を極めてきた。何度選挙しても政権与党の勝利は揺るがないと。

 が、その流れは少しづつだが、このコロナ禍で変わってきている。先の都議選や国政の補選の結果をみよ。何度でも何度でも繰り返される感染拡大の波と「緊急事態宣言」、コロナはどこまで続くのか、いったいいつまで国民にガマンを強いるのか。この一年半、この政権はいったい何をやって来たのか。
 この一年半の政府の感染対策が適切であったと考える者はほとんどいないことを政権の御用新聞・讀賣までが、菅内閣の支持率低下を示し大きく報じている。

 だからこそ、諦めずに声を上げていくことが肝要だと我は思う。いくら抗議してもダメだ、彼らは聞く耳を持たないと無力感と諦めに誰もが苛まれる。しかし、無法な強権政治をそのまま「容認」してしまうことこそが、彼らを結果的に「支持」していくことに繋がるわけで、我々はあくまでもダメなものはダメ、おかしいことはおかしいとこれからもずっと声を上げ続けなくてはならない。「沈黙」は容認どころか「加担」なのである。
 選挙に行かず、「棄権」してしまうことも。※結果として組織力のある自公候補が低投票率だからこそ当選して自公政権は続いていく。

 たとえ五輪が無事終わって一定の感動をもたらしてくれたとしても、それで「終わりよければ全て良し」、としてはならない。日本人は過ぎたことはすぐに水に流して忘れてしまう。
 開催中も、終わっても、あくまでも反対だと抗議の声を上げ続けた人たちがいたという「事実」こそが、「歴史の真実」として後世に語り記されていくべきことであろう。
 どれほど非力で少数であろうとも声を上げ続ける人がいる。歴史はそうした人たちの「声」に少しづつ後押しされて前へと進んでいく。

新曲「いやなものは嫌ですと」2021年07月12日 11時06分14秒

★三密クラスターズ7月新曲 「嫌なものはいや」

※いやなものは嫌ですと はっきりと
 口にできる社会で あってほしい
 いやなものは嫌ですと どうどうと
 口にできる勇気を 私にください

1,そのワクチンは打ちたくありません
 理由はともかく 打たれたくない
 私のからだは わたしだけのもの
 他人にあれこれ 強制されたくない ※

2.その法律には従いたくない
 理由はともかく 自分勝手と言われようとも
 私の心は わたしだけのもの
 他人に絶対 売り渡したくない ※

3,じぶんの生き方はじぶんで決めていく
 周りの皆は従っているけれど
 世間に合わせる理由はない
 じぶんの人生 とことんじぶんらしく
 たとえどんなに 非難されようとも
 大きな力に 押し潰されそうになっても
 私のじんせいは わたしだけのもの 
 自分の信念は曲げたくない 
                     ※
 いやと言える勇気を 私にください

中山ラビさんを偲ぶ2021年07月06日 09時26分53秒

スターズパインカフェで、2014年
★ハードなステージの裏側の温かい素顔に魅せられて

 関西フォークの愛好家のみならず、多摩地区国分寺界隈に住む者なら知らぬ人はいない名物スポット「ほんやら洞」の中山ラビさんの訃報が届いた。
 既にSNSやメディアでも報じられているのでご存じの方も多いだろう。この数年癌闘病中とのことで、そのときを我も覚悟し半ば予想もしていたので驚きはないが、昨夜は個人的思い出が次々湧いて来てほとんど寝つけなかった。
 昨日早くに訃報を知らされてからすぐ拙ブログで「追悼」を書こうと思ったが、昔からよく知り懇意にしていた方の死は、あまりに思い出がありすぎて簡単に「追悼文」などまとめられないのだと気づかされた。
 最後にお会いしたのは、昨年の正月明け4日、中川五郎氏の国分寺ギーでのライブの後に彼に誘われて小雪散る中、南口の彼女の店に行き、久々にカウンターで同席しお話したときで、歓待してくれた変わらぬお元気な姿に心ほどかされた。
 今思うとそのとき既に病魔は彼女の身体を蝕んでいたのかと愕然する。
 その後、癌との知らせがあちこちから流れて来て驚かされたが、毎年定例の吉祥寺スターパインカフェのコンサートの通知ハガキには、癌は治っちゃったみたい・・・と記してあったので一安心していた。あの激しいライブができるのならば大したことはなかったのだろうと。
 そのコンサートに行っていればと今は悔やむが、コロナ禍で人数制限もあったと記憶するし、近いうちまた店へ行けばいいやと考えて申し込みはひかえてしまった。
 
 京都のほんやら洞の支店?かどうかはともかく、国分寺のラビさんの経営するほんやら洞がいつできたのか今確認できないが、我も若い頃から国分寺に出向く用のときなどよく利用した。
 レンガ積みのツタの覆いしげるその店は、あの坂道によく似合って趣があり、今も昔も人気スポットだった。
 ただその頃は、ラビさんが店にいたとしても話しかけること等はできず、あれがあのシンガーだった人かという認識程度だった。あくまでも店の客としての関係しかなかった。
 だが、2005年の高田渡の死後、我もフォーク熱が再燃して、渡氏の追悼イベントやその関連のライブで打ち上げなどで彼女と同席することが多く、いつしか親しくお話する機会を得るようになった。

 今で言う「美魔女」的な年齢不詳、やたら派手でテンションの高い突っ張った激しいステージ姿とはかけ離れて、普段のラビさんはとても気さくで親しみやすく人気高くとも驕ることなく誰に対しても常にやさしい素顔に我はすっかり魅了された。
 今、こうして振り返ると失礼だがあちこちのライブイベントのステージでの姿よりもその帰り道、電車の中で話したときのことや打ち上げの場、たとえば亡き藤村直樹氏の京都拾得での「生前葬」的コンサートの打ち上げで、いとうたかおと「同席」したときのこと、渡氏の何回目かの追悼祭で、やはり亡き松永さんと同席したときのこと等がありありと思い出される。

 しかしそんな私的な思い出は希代の女性シンガーには失礼であろう。 実は彼女のライブステージを我がこの目で見たのは、とても遅く、映画『タカダワタル的』が完成し、確かテアトル新宿だったと思うが、公開中に連日映画が終わってから「フォーク大学」と称したと記憶する、縁のシンガーたちが登場するミニライブ企画でのことだ。
 その最終回のときであったと思うが、当日高田渡も当然出られたが、なぜか柄本明、蛭子能収らと共に、肩出しドレスのミニスカート姿でラビさんがギター1本で突然登場した。
 開口一番、「すげー酒臭い楽屋!!」と吐き捨てるように言って笑わせてから唄い始めたのが名曲「人は少しづつ変わる」であった。
 昔からレコードでよく聴いたうたと再会し、変わらぬ歌声と姿にラビさんは何も変わっていないといっぺんに魅了された。何よりまずその時のことだけは記さねばならない。

 彼女との思い出は次々と湧いて来る。昨夜は、以来この約15年、お店でのことも含めて在りし日のことを思い出したが、不思議に何一つ苦いような思い出は何も無い。
 フォークシンガーというのは、ステージはともかく実際にお会いして親しくなるとけっこう難しい性格や癖のある人が多い。トラブルと言うほどではないにしてもささいな出来事でこちらが傷ついたり向うにも不快な目に合わせてしまったりと思い出すと何かしら気になり悔やみ心が疼くことが必ず少しあるものだ。
 ところがラビさんに限っては、思い出はすべて甘美で楽しいものしか浮かばない。本人も苦労されたからだと思うが、我だけでなくどんな人に対しても常にやさしく真摯に向き合ってくれた。ともかく誰に対してもやさしく思いやってくれた。
 それが営業的に取り繕ったものではなくそれこそが彼女の自然体で普段はまったく気取るところはなかった。あの迫力の近寄りがたいステージ姿との二面性がすごいと何度圧倒されたことか。

 有馬敲、片桐ユズル氏ら、オーラル派の詩人、英文学者中山容氏を追いかけて京都に行った十代の少女は中山ラビとして大成し、シンガーとしてお店の経営者として多くの人にとことん愛され逝ってしまった。あんなすごい人はもう二度と出てこない。
 今まで一滴も涙は出てこなかった。が、今これを記して少しだけ泣いた。もうこの世では会えないのか!! 
 これまで本当にありがとう ラビさん!!! お世話になりました。天国のほんやら洞へそのうち寄らせてもらいます。そのときはまたカウンター越しにお付き合い下さい。お元気で。

教訓Ⅲ~みんなでうたいましょう!!2021年07月04日 11時19分42秒

教訓Ⅲ      原曲 加川良  替え歌 三密クラスターズ

コロナは一度 かかったら大変
だから感染させないようにね
油断すると ついいつのまにか
周りの誰かさんにうつしますよ
※オリンピックは やめなさい
密になることは やめなさい

オリンピックは 無理に強行しなくても
ずっとこれからどこかでやりますよ
感染爆発でおわるだけ
命のスペアはありませんよ ※

日本人の絆を確かめあうと
言われたときには ふるえましょうよね
そうよ 私は反日で結構
非国民でかまいませんよ ※

コロナは未だちっとも収束してません
だから東京五輪はやめましょうよ
きれいごと 並べられたときも
この命をコロナで捨てないようにね ※

少しづつ少しづつ善き力に囲まれて・続き2021年07月02日 12時13分20秒

★当たり前のことを、当たり前に~悪しき愚かなことどもを遠ざけていく

 それにしても政府自民党、菅政権の五輪開催にかける「情熱」、いや「執念」には呆れ果て、今では驚嘆恐れおののくものすらある。
 開幕まで一か月を切っても未だに観客の数は、無観客とするのか、それとも一部無観客となるのか「迷走」中で、また後ほど決めるのだと言う。
 バカも極まりと言うしかない。コロナの感染状況に振り回されて常に後手後手、場当たり対応に終始している。これは昨年からずっとである。
 これでは観覧希望者も協力するボランティアたちも予定が立たず、どこもかしこも迷惑するだけではないか。
 おまけに鉄道も深夜まで動かすとダイヤを変更させてしまった。オリンピックだけは不要不急の移動ではなく別枠ですか。ウィルスは五輪に協力して大人しくしてくれますか。

 開催などせず、最初から早めに中止にしてしまえば、これほど混乱、迷走することなく腰据えてコロナ対策に専念でき、国民もならば、と協力もできただろう。
 コロナがいつまでも収束せず、何度でも何度でも「緊急事態」となるのは、そもそも都や県知事レベルの失態ではなく、国の方針が定まらないからだ。
 ブレーキとアクセルは同時に踏めない。そんなことは誰だってわかる。
 ところが政府は、コロナがやや収まりかけるとすぐ宣言解除したり、完全に終息していないのにGoToキャンペーンで国民の移動を推奨したりと、経済を回すことを優先させて来た。その最後の「仕上げ」が五輪開催なのである。※国民にはずっと様々な「自粛」をさんざん強いたうえで。
 結果は今に至るように一年半が経過してもコロナは収束せず何度でも何度でも感染拡大は繰り返して、今も国民の命よりも経済、金儲けが優先されるのか、と非難ゴウゴウである。

 まあ、国民よりも献金してくれる大企業の方に顔を向けて、彼らのために働くのが自民党なのだから当然なのだが、そろそろ本当に彼らを長年支持して来た人たちも、これはオカシイ、どうかしている、このままでは殺されてしまう、日本はハメツしてしまうと、選挙で声を上げてほしい。
 そう、当たり前のことを、当たり前に、多くの国民が願い望む政治にしてほしいと切に祈るしかない。

 と、エラソーに、今は、こうしたことをしたり顔で書いている自分だが、このブログを長年お読みいただいた方はご存知のように、我はこの社会から脱落した落ちこぼれ、反体制以前に反社会的人間であった。
 学校も仕事も何一つ続かず、若いときから自分勝手に、好きなことだけしてきた。だから世の真っ当な人たち、社会人たちからは相手にされず、結婚もできなかった。
 幸いにして盲目的に我を愛してくれた親たちと借家ではない「家」はあったので、今はその家で暮らしていけるわけだが、本来はホームレスどころか浮浪者になっていてもおかしくない人間なのである。
 今だから書くが、我にとって社会は常に敵であり、その真っ当な生き方が自然にできている人たちにいかに抗うかが生きる意義でもあった。
 だから昔から悪しきもの、ヘンなものに魅かれ、常に人とは違う道をあえて選び、当然のように苦労して来た。
 だが、物心ついて半世紀以上経ち、齢六十を過ぎてそろそろ人生の終わりも見えてくると、今までの自分の人生は何と浅はかと言うべきか、愚かであったとつくづく気がつく。
 無意味だったとは思わないが、ずいぶん無駄に時間と金と労力を費やして来た。そして相変わらず若い時から先の見通しは甘く、物欲ばかり強く、あれもこれもと見果てぬ夢を追いかけてきた。しかし、そのための努力は怠け者ゆえ何一つせずに。

 しかし2016年の母の死をきっかけに、ようやく子供時代から続いていた「夢」は冷めてやっと「現実」に向き合うことになった。いや、父も呆けて何の助けにもならなくなって、嫌でも自ら現実に対処せざる得なくなったのだ。
 そう、フツーの人ならば親元から旅立てば一人で若い時から誰もがやっていることにようやく我も気がつかされたのである。
 むろんそれが面倒で、荷が重くて結果としてほったらかしにしてしまい人生そのものを放擲、つまりセルフネグレクトしてしまったが、母の死後、5年が過ぎるとさすがにこれではいけない、何とかしようと強い思いがようやく湧いて来た。
 今強く願うは、我もまた世の人たちのように、当たり前のことを当たり前にして行けたら、という「当たり前の生活」である。
 当たり前とは何かというと生きていくための最低限の必然的なことがきちんとできるということだ。
 そのためには人間関係も含めて、悪しきモノゴト共は、できるだけ遠ざけて、本当に善いものだけと関わっていく。

 食べ物も飲み物も昔は、多少悪くてもともかく安くて量が多ければそれだけでよかった。常にコストパフォーマンスだけで何事も考えていた。
 が、今は、多少高くても少しであろうとも本当に身体によいもの、環境に良いものだけ選ぶようにしている。
 人間関係も同様で、今は無理して新たな場所に出向き、また一から新たな関係を築いて友達を増やそうなんて思わない。
 今いる、こんな我と長年付き合いが続き、理解してくれる得難い友とこれからも一日でも長く付き合っていきたい。彼らをもっと愛し大切にしたい。

 そうした佳きものたちから善き力を得て、我もまた彼らのために頂いたもの以上のお返しをしていきたい。それは神に対しても。
 今までの我の悪徳、愚かさは消えてなくなりはしない。が、こんな我をも未だ生かし、活かしてくれる場と人たちに、その神の愛と計らいに心から感謝したい。
 このブログも、そうした生活の実践と報告の場として活用していきたい。どうか改めて今後ともよろしくお付き合い願いたい。

 ※先に記した、ブログ投稿のための執筆時のコピー&ペーストがうまくできない問題は解決した。何のことはない、それまで使っていた有線のマウスが老朽化したため、その機能が落ちてきていたからで、新しく別のものに替えたら元通りにコピペできるようになった。むろん、「投稿」したと思ったら、ただ今、アクセスが込み合っています、後ほどまたお願いします、というページが出て、それまで書いた分は消えてしまう状況は変わらないが。そのためにも必ず一度コピペして、手元に書き上げた分は確保した上で再度アップさせていく。

少しづつ少しづつ善き力に囲まれて2021年07月01日 23時53分47秒

★今日から7月、今年も後半に入った

 今が梅雨の盛り、というのはオカシナ謂いだが、本番とか酣という意味で、このところずっと毎日断続的に雨が降り続いている。
 じめじめとして鬱陶しいが、その季節ごと様々な花が咲き実もつける。梅も枇杷も終わってしまったが梅雨には梅雨の味わいというか良さもある。
 四季のない国ならたとえ過ごしやすくとも「風流」というような感覚は生まれないだろう。その季節ごとの「変化」がこの歳になってようやくわかってきて滋味として味わうことができるようになった。
 今日から7月。今年もあっという間に半年が過ぎたことになる。コロナ、コロナの緊急事態で、日々感染者数の増減のニュースで昨年に続き今年も明け暮れていくようだ。
 おそらくまた第5波到来として、飲食店中心に自粛自粛の「要請」が出されるかと思う。これまで必死に持ちこたえてきた多くの中小の店はこれで閉店に追い込まれてしまうかもしれない。
 何度でも感染再拡大を繰り返す。ひれはまさに政治が無策である証ではないか。自公政権がこの状況を招いたのだ。

 そしてそんな感染拡大状況下、いよいよ東京五輪が開催される。仮に無観客になろうが、海外から選手のみならず報道陣まで関係者が大挙して何万人も訪れるのだから最後まで無事開催できたとしても医療体制はさらに手薄に、逼迫することは間違いない。
 ワクチン接種は進もうが、コロナ収束の兆しもない現況での開催強行は、どのような事情があろうとも狂気の沙汰だと我は思うが、「安全、安心」というお題目を唱えれば、きっと五輪開催によってのさらなる感染拡大は起こらないのであろう。
 その意味で東京五輪は楽しみである。むろん国民の命を人質にとっての大きな賭けとして。

 さておき、そんなことよりまず自分の「近況」などを書いていく。
 我が状況、つまり火宅の状況は相変わらずで、決して良くはなっていない。相変わらず日々悪化していく状況を何とかこれ以上悪化させないよう、「現状維持」にすべく腐心しているというところだ。
 何にも解決もしていないし改善もしていないが、このところ気持ちは落ち着いている。
 以前は先々のことに不安となり、あれこれ悩み鬱々としたものだったが、今はもうそんなことには思い煩わない。思うように進まなくとも焦りも慌ても嘆きもしない。
 ともかく一つづつ、たとえほんの少しでも自分が今できる、すべきことをやっていけばいいと決意したからだ。父がまだ生きているうちに。

 これまでの自分はだらしなく非力なくせに、欲深い完全主義者だったから、あれもこれも「全て」きちんとやろうとしていた。
 しかも父のこと以外にもあれこれ手を広げて常に忙しかったから、本来今やるべきことを、今度時間が出来たら、とか、いつか閑になったら、そのうちにゆっくりと、と常に先延ばしにしてきた。
 とうぜん日々忙しく、その日その日生きてやり過ごすだけで精いっぱいだから、そんなとき は絶対に来ない。
 結果、モノも生き物も何もかもが増え続けてさらに状況は空間も時間も経済的にも逼迫していく。それは今も変わりない。

 しかし今は、もう焦らない。慌てない。そして諦めない(ネグレクトしない)。
 何故ならば、我は善き力に囲まれているからだ。有難くも多くの同じ志を持つ仲間や友人たちの助力で、猫問題も根本解決に至らずとも対応策はとれてきたし、家の片付けのほうも屋内はともかく、まずは庭先の植栽などについては先日も太田さんに助力を仰ぎ、お越し抱き、二人してまず松の木の剪定、伐採は終わった。
 そう、少しづつではあるが、これまではなし崩し的に、手の打ちようなく悪化していく状況にやっとどうにか対処できるようになってきた。これは実に有難くもすごいことではないか。
 ようやく神が味方してくれている、と「実感」できるようになった。ならばもう何も怖れない。誰も怖くない。
 
 これから、のことについてはもう一回書き足したい。

小林亜星を偲ぶ2021年06月29日 19時25分02秒

★亡くなられて初めて気づく、彼の偉大さ。

 人はおそらく誰もが、幼児期から青春時代まで、その成長に見聞きした、あるいは読んだものでその人格が形成されていると断言出来るかと思う。
 むろん教育とか親の躾などの家庭環境、とうぜん遺伝的要素も大きい。が、人格とか性格まで広げなくともその嗜好、趣味的傾向は、大人になるまでにテレビやラジオなどでよく見聞きしたものの影響が大きいと言えよう。
 ここは本と音楽のブログだから、本や漫画など読んだものの「影響」についても書くべきだが、まずは「音楽」について、我の個人的経歴、いや、そんなエラソーなものではなく、幼児期から聞き慣れ親しんで、今に至る我の音楽嗜好を形成しているものを振り返ってみたい。

 我は、基地の町で育ち、父母共々進駐軍勤めで知り合い結婚したように、半アメリカ人だったから、幼児期より「洋楽」は家に溢れていた。ラジオのFENはもちろんのこと、一番最初に与えられたレコードは、父が基地から持ち帰って来たマーベレッツの「プリーズ・ミスター・ポストマン」の赤盤であった。
 と、「洋楽」についてまで広げてしまうと収拾がつかなくなる。
 今回のテーマは、亜星さんである。自分がリアルタイムで聴いて来た日本の音楽、邦楽というより、ジャパニーズ・ポップスというべき洋楽に影響受けたうたの数々とその作曲家、流行、ムーブメントについて書いていく。

 我より少し下の世代の人たち、1960年代生まれの人は、もの心ついたとき、つまり意識して始めて聴いた音楽は、GS、つまりグループ・サウンズだという言う人が多い。
 我はもっと旧い、昭和30年前半の世代だから、その少し前のブーム、『シャボン玉ホリデー』や、『ザ・ヒットパレード』『夢で会いましょう』でさんざん唄われた、日本語詞で唄う米英、そして仏・伊のカバァー曲、そしてそれに影響受けた中村八大、宮川泰らの楽曲にも強く魅了された。
 むろんその歌詞は、超訳の天才、漣健児である。そこに永六輔が加わる。
 シンガー、ミュージシャンとしては、ダニー飯田とパラダイスキング、坂本九、弘田三枝子、伊東ゆかり、森山加代子、スリーファンキーズたちがまず思い浮かぶ。

 ここまでが、幼少期、小学校低学年の頃の記憶で、その後、60年代半ば頃からのエレキ、GSブームを経て、70年代に入ると自分も思春期というか、青春の門口に立って、ラジオを通して深夜放送に慣れ親しみ、日本のフォークソングに魅かれていく。
 そのシンガー、楽曲については書き出すとキリはないから割愛するが、一方並行して歌謡曲もラジオ、テレビでずっと聴いていたわけで、当然アイドルにも夢中になり、南沙織、岩崎宏美、太田裕美らを手掛け大成させた、あまりにも偉大な筒美京平の仕事に多大な影響を受けた。

 その筒美氏が昨年亡くなられ、もうこれで自分を創り上げてきた音楽的基盤の人たちは、すべていなくなってしまったと感慨を覚えたが、ところがまだもう一方いたのである。
 それが小林亜星氏で、死後、彼の成した仕事を確認し、幼少期からのアニメソング、CMも含めてあれもこれも実は彼の仕事であったと気づかされ正直驚き、自分の不明を恥じた。
 今思うと、その影響力は、これまで書き記した人たちの誰よりも実は大きいかもしれないと気がついた。そう、自分の中のかなりの部分は亜星さんでできていたのである。

 個人的には何故か好きなタイプではなく、寺内貫太郎的な役者としても評価のしょうがなく、人間的にはまったく関心も興味もなかった。
 が、やはりすごい人だと思う。ある意味もっとも近しいのはあの浜口庫之介であろうか。ハマクラ先生や、三木トリローにも自分は少なからず影響を受けていると思うが、いかんせん、やはり時代が少し遅すぎた。
 リアルタイムで同時代的に生きて直の影響を我に与えてくれた人は、亜星さんしかいない。
 ハマクラ先生もだが、彼もきちんとした音楽教育は受けずに、趣味の道楽が高じてプロの作曲家として大成した。どちらも才人、詞も曲もちゃちゃっと手掛けて仕上げてしまう。ある意味、真の天才だと思う。
 もうこれからはこんな人は出てこないのではないか。

  ともあれ、あの巨体で米寿まで無事生きたのだから運のよい幸福な人生ではなかろうか。普通ならば、デブの人は、老いと共に糖尿病などで痩せ衰えて大橋巨泉の晩年のように見る影もなくなってしまう。
 ごく近年の姿は知らないが、少なくとも彼はテレビに顔を出すようになってからはずっと約半世紀変わらぬ姿で、デブの貫太郎そのものであった。それもスゴイことではないか。
 我が内なる小林亜星を偲びつつ、ここらでペンを置く。素晴らしい音楽の数々、有難う亜星さん。

♪どこまでも行こう 道はきびしくとも 口笛を吹きながら 走ってゆこう

 どこまでも行こう 1966年 小林亜星詞曲