9月は哀しみの月、それにしても未だ暑い!! ― 2024年09月15日 22時33分15秒
★昨日は父の命日で墓参りに行ってきた。
9月は、我にとって父母の命日が続く哀しみと追悼の月だ。母は、2016年の9月8日に、父は、一昨年の14日に亡くなった。
お墓は、浄土宗の町田市のお寺に在るけれど、我自身は、仏教に敬意は抱くものの、特に法要などは今年もしなかった。
したとしても、もう親族はほぼ誰も来ない。せいぜいできることは墓参りで、何とか昨日、縁ある人と誘い合わせて、墓に仏花を供え、線香を焚いてきた。
しかし、もう9月も半ばとなるのに、未だ熱中症警戒警報が出るほど異常に暑い。母の死んだ頃も父が逝った頃も、まだ9月だからやや汗ばむ程度に暑かったとは思うが、今年のように真夏のような陽射しではなかったと思える。
いや、これが日常、平常であり、温暖化を通り越して、地球沸騰化の現実なのであろうか。
ということは、来年はまたさらに暑くなって、その暑さはさらに長く、本来冬の季節近くまで続くのかと思える。
もう秋など来ないのか。
さておき、そうした地球環境の異常に対しての政治の無策を嘆き憤るのはまた別の機会にするとして、哀しみの月に多々尾根うことを記していきたい。
9月は、我にとって父母の命日が続く哀しみと追悼の月だ。母は、2016年の9月8日に、父は、一昨年の14日に亡くなった。
お墓は、浄土宗の町田市のお寺に在るけれど、我自身は、仏教に敬意は抱くものの、特に法要などは今年もしなかった。
したとしても、もう親族はほぼ誰も来ない。せいぜいできることは墓参りで、何とか昨日、縁ある人と誘い合わせて、墓に仏花を供え、線香を焚いてきた。
しかし、もう9月も半ばとなるのに、未だ熱中症警戒警報が出るほど異常に暑い。母の死んだ頃も父が逝った頃も、まだ9月だからやや汗ばむ程度に暑かったとは思うが、今年のように真夏のような陽射しではなかったと思える。
いや、これが日常、平常であり、温暖化を通り越して、地球沸騰化の現実なのであろうか。
ということは、来年はまたさらに暑くなって、その暑さはさらに長く、本来冬の季節近くまで続くのかと思える。
もう秋など来ないのか。
さておき、そうした地球環境の異常に対しての政治の無策を嘆き憤るのはまた別の機会にするとして、哀しみの月に多々尾根うことを記していきたい。
うたが人をつなぎ、人がうたを結んでいく・1 ― 2024年09月07日 10時46分48秒
★もう会えないのか・・・
その人とは行く先々のライブ会場でよく顔を合わせた。
そしていつしか親しくなった。
一緒にライブ観覧の旅にも行ったし、我が企画したライブにも常に来てくれた。
我も彼が企画するライブにはできるだけ行くようにした。
友と呼べるほど個人的に親しいわけではない。
が、間違いなくとても大切な音楽「仲間」だった。
今日も夜、かけこみ亭のライブに行くのだが、もう彼とは会えない、彼はもう来ないのだ、と気づいたら涙が溢れ出てきた。
その人とは行く先々のライブ会場でよく顔を合わせた。
そしていつしか親しくなった。
一緒にライブ観覧の旅にも行ったし、我が企画したライブにも常に来てくれた。
我も彼が企画するライブにはできるだけ行くようにした。
友と呼べるほど個人的に親しいわけではない。
が、間違いなくとても大切な音楽「仲間」だった。
今日も夜、かけこみ亭のライブに行くのだが、もう彼とは会えない、彼はもう来ないのだ、と気づいたら涙が溢れ出てきた。
ちょっと休憩、中休みとさせてください。 ― 2024年09月04日 01時00分00秒
★睡眠不足でめまいもしてフラフラで
このところ友人知人の訃報が相次いで、夜、寝床に入ってもその人のことや昔のことが思い出されて、なかなか寝付けず、気がつくと夜も白み朝になってしまう。
それからタイマーをセットして少しだけ眠るようにしているのだが、犬猫たちの世話やら朝からやらねばならないことはいっぱいなので、長く眠ることもできず、うとうとしては寝た気もしないまま8時、9時前には起きて寝不足の重たい頭と身体を引きづってまた一日が始まる。
当然、慢性的睡眠不足で頭も重く鈍く痛く、目もかすみ視点が合わない感じで一日中ぼうっとして疲れはとれない。怠い。
ブログも書きたいことはたくさんあるのだけど、先ずはこの昼夜逆転状態を改めない限り我身がもたない。
体調戻すためにはともかく夜は早く寝てたっぷり睡眠をとるしかないわけで、少しの間、中休みというかお休みします。
このところ友人知人の訃報が相次いで、夜、寝床に入ってもその人のことや昔のことが思い出されて、なかなか寝付けず、気がつくと夜も白み朝になってしまう。
それからタイマーをセットして少しだけ眠るようにしているのだが、犬猫たちの世話やら朝からやらねばならないことはいっぱいなので、長く眠ることもできず、うとうとしては寝た気もしないまま8時、9時前には起きて寝不足の重たい頭と身体を引きづってまた一日が始まる。
当然、慢性的睡眠不足で頭も重く鈍く痛く、目もかすみ視点が合わない感じで一日中ぼうっとして疲れはとれない。怠い。
ブログも書きたいことはたくさんあるのだけど、先ずはこの昼夜逆転状態を改めない限り我身がもたない。
体調戻すためにはともかく夜は早く寝てたっぷり睡眠をとるしかないわけで、少しの間、中休みというかお休みします。
.ウディさんとの思い出・続き ― 2024年09月03日 11時37分01秒
★まさに我と同類・同好の士であった。
その後、我はそこ、かけこみ亭で、護憲と反戦平和のための「共謀コンサート」なるものを企画・開催することになり、ウディ氏にも声をかけた。
彼はきさくに応じてくれて、何回か登場し、ステキな歌声に加えてブルースハープを吹きまくってくれた。
そして次第に彼個人についてもわかってくる。氏の本業は植木屋さんであった。
あるときのコンサートのとき、彼は、仕事帰りとのことで、作業着といいうか、仕事着のまま現れた。その姿に驚いた。
手甲脚絆というのだろうか、今でも消防士たちが正月など昔の火消しの姿で、高いハシゴの上でアクロバットな舞を披露するときのような恰好、つまりタイトなパッチ姿であった。おまけに、足元は地下足袋であったと記憶する。
フツー、そういう恰好は、ダサいというかあまりカッコ良くないはずだが、無駄な贅肉など一切ない引き締まったウディ氏のその姿は、見惚れてしまうほどカッコよかった。
今でも植木屋にはそうした姿で作業する人は多いのか我は知らない。が、まさに彼には似合っていて恰好からも彼の仕事ぶりが想像された。素晴らしく的確な仕立てを颯爽とされるに違いないと。
また打ち上げや幕間のとき話しているうちに、彼はギターの愛好家というか、収集家、つまりコレクターであることもわかった。訊けば手持ちのギターは、100本!!!だと言う。びっくりした。
じっさいに彼のご自宅などて見たわけでもないし、どういうギターをお持ちであるのかは知らないしわからない。
ただ、高級なそれではないようで、彼が語るのを聴く限り、ハードオフや古道具屋、リサイクルショップ等で安値になってるジャンクギターの中から掘り出し物をみつけては買い集めてくるようであった。
あるときのコンサートのとき、仕事帰りに偶然立ち寄ったリサイクルショップで、かなり昔のものだが、国産のビンテージギターをバカ安で二本手に入れられたと嬉しそうに話していたのを思い出す。
むろんそういうワケありのギターは、そのままでは使い物にならない。だから店頭でジャンク品として格安で出されている。
彼は、それらを自ら手を加えて、ペグの修理、ブリッジの高さから反りまで細かく調整してきちんと鳴るよう、使用できるように仕立てるのである。そういうことが出来る方で、それを趣味としてのギター収集であったと我には思える。素晴らしいことだ。
実は私事だが、我もまた中古ギターは約30本持っている。きちんと数えたわけではないし、全体数はいったい何本なのか定かではないが、完全なジャンクも含めればおそらくその数はあるだろう。氏の100本にはとてもかなわないが。
我もまた以前はあちこちのリサイクルショップやハードオフの類の店に出向いては、格安に出ているジャンクギターの中から、出物を探し出し買い求めるのがとても好きだった。
が、ウディ氏と違うのは、我はとことん不器用で、そうしたギターを修理したり調整することは苦手で、いじってはみたものの直せないでいるギターも多々ある。時間が無くなったこともあるが、我には元々そういうメンテナンスや調整する能力が欠落していると気づく。
今思うと、ハーモニカもだが、我と彼とは趣味嗜好がほぼ同じで、違うのは、テクニックも含めて彼の方が全てが上でさらにマニアックであったということだ。我は足元にも及ばない。
マニアックという以前に、何もかも全てにこだわりのある、誰よりもスタイリッシュかつダンディな素敵で偉大な生き方の人であった。そんな人は我には他にいなかった。
コンサートの時だけでなく、もっと個人的にも親しくなり、ジャンクギターの修理修繕のノウハウ等をもっと指南してもらえば良かった、と今心から思う。じっさいちょっと話した限りでは、カンタンな事だよ、まず弦のバランスを確認して云々とか話してくれたが、ライブの最中で慌ただしくそのままになってしまった。
いま、我以外にそんな趣味の人はまずいないと思っていた、ハーモニカとギター収集という希少かつ偉大な同好の仲間を失い、哀しみ以前に深い欠落感というか、もっと個人的にも関りを持っておくべきであったのだ、と強い後悔の念に苛まれている。
彼のフェイスブックに、ご家族が告知された情報によると、突然の心筋梗塞での急逝だそうで、まさに突然起こった予期せぬ不測の事態にさぞや当人も驚き戸惑い苦しまれたことかと思う。
主は何故にあんな素晴らしい善い人にこんなことをされるのかと問い憤りさえ覚える。ウディ氏の魂よ、安かれとただ祈るしかない。
思い出を書きながら少しだけ泣いた。
一つだけ気になるのは、その100本の遺されたギターは、友人知人たちが遺品として持ち帰られると訊いたが、もしもどうしても残ってしまい、ゴミとして処分するしかないものが出たのならば、我もまたそれらを頂きたい、捨てられるのならば全て引き取りたいと思っている。
それが偉大な亡き同好の友に報いることだと思ふ。
その後、我はそこ、かけこみ亭で、護憲と反戦平和のための「共謀コンサート」なるものを企画・開催することになり、ウディ氏にも声をかけた。
彼はきさくに応じてくれて、何回か登場し、ステキな歌声に加えてブルースハープを吹きまくってくれた。
そして次第に彼個人についてもわかってくる。氏の本業は植木屋さんであった。
あるときのコンサートのとき、彼は、仕事帰りとのことで、作業着といいうか、仕事着のまま現れた。その姿に驚いた。
手甲脚絆というのだろうか、今でも消防士たちが正月など昔の火消しの姿で、高いハシゴの上でアクロバットな舞を披露するときのような恰好、つまりタイトなパッチ姿であった。おまけに、足元は地下足袋であったと記憶する。
フツー、そういう恰好は、ダサいというかあまりカッコ良くないはずだが、無駄な贅肉など一切ない引き締まったウディ氏のその姿は、見惚れてしまうほどカッコよかった。
今でも植木屋にはそうした姿で作業する人は多いのか我は知らない。が、まさに彼には似合っていて恰好からも彼の仕事ぶりが想像された。素晴らしく的確な仕立てを颯爽とされるに違いないと。
また打ち上げや幕間のとき話しているうちに、彼はギターの愛好家というか、収集家、つまりコレクターであることもわかった。訊けば手持ちのギターは、100本!!!だと言う。びっくりした。
じっさいに彼のご自宅などて見たわけでもないし、どういうギターをお持ちであるのかは知らないしわからない。
ただ、高級なそれではないようで、彼が語るのを聴く限り、ハードオフや古道具屋、リサイクルショップ等で安値になってるジャンクギターの中から掘り出し物をみつけては買い集めてくるようであった。
あるときのコンサートのとき、仕事帰りに偶然立ち寄ったリサイクルショップで、かなり昔のものだが、国産のビンテージギターをバカ安で二本手に入れられたと嬉しそうに話していたのを思い出す。
むろんそういうワケありのギターは、そのままでは使い物にならない。だから店頭でジャンク品として格安で出されている。
彼は、それらを自ら手を加えて、ペグの修理、ブリッジの高さから反りまで細かく調整してきちんと鳴るよう、使用できるように仕立てるのである。そういうことが出来る方で、それを趣味としてのギター収集であったと我には思える。素晴らしいことだ。
実は私事だが、我もまた中古ギターは約30本持っている。きちんと数えたわけではないし、全体数はいったい何本なのか定かではないが、完全なジャンクも含めればおそらくその数はあるだろう。氏の100本にはとてもかなわないが。
我もまた以前はあちこちのリサイクルショップやハードオフの類の店に出向いては、格安に出ているジャンクギターの中から、出物を探し出し買い求めるのがとても好きだった。
が、ウディ氏と違うのは、我はとことん不器用で、そうしたギターを修理したり調整することは苦手で、いじってはみたものの直せないでいるギターも多々ある。時間が無くなったこともあるが、我には元々そういうメンテナンスや調整する能力が欠落していると気づく。
今思うと、ハーモニカもだが、我と彼とは趣味嗜好がほぼ同じで、違うのは、テクニックも含めて彼の方が全てが上でさらにマニアックであったということだ。我は足元にも及ばない。
マニアックという以前に、何もかも全てにこだわりのある、誰よりもスタイリッシュかつダンディな素敵で偉大な生き方の人であった。そんな人は我には他にいなかった。
コンサートの時だけでなく、もっと個人的にも親しくなり、ジャンクギターの修理修繕のノウハウ等をもっと指南してもらえば良かった、と今心から思う。じっさいちょっと話した限りでは、カンタンな事だよ、まず弦のバランスを確認して云々とか話してくれたが、ライブの最中で慌ただしくそのままになってしまった。
いま、我以外にそんな趣味の人はまずいないと思っていた、ハーモニカとギター収集という希少かつ偉大な同好の仲間を失い、哀しみ以前に深い欠落感というか、もっと個人的にも関りを持っておくべきであったのだ、と強い後悔の念に苛まれている。
彼のフェイスブックに、ご家族が告知された情報によると、突然の心筋梗塞での急逝だそうで、まさに突然起こった予期せぬ不測の事態にさぞや当人も驚き戸惑い苦しまれたことかと思う。
主は何故にあんな素晴らしい善い人にこんなことをされるのかと問い憤りさえ覚える。ウディ氏の魂よ、安かれとただ祈るしかない。
思い出を書きながら少しだけ泣いた。
一つだけ気になるのは、その100本の遺されたギターは、友人知人たちが遺品として持ち帰られると訊いたが、もしもどうしても残ってしまい、ゴミとして処分するしかないものが出たのならば、我もまたそれらを頂きたい、捨てられるのならば全て引き取りたいと思っている。
それが偉大な亡き同好の友に報いることだと思ふ。
亡き人たちへの思いを書き記す・ 1.ウディ石川さん ― 2024年09月02日 23時01分40秒
★石川さんと我
このところ友人知人の訃報が相次いでいる。
皆、我よりは幾分年上だが、何で彼であって我ではないのか、ずっと自問している。
どうして善い誰にも愛され惜しまれる人は先に逝き、我のような誰からも疎んじられ無価値な人間が臆面なくもまだ生きているのか、いつもその死の知らせの都度思う。
しかしそれは、もし神の計らいだとしてもそこに答えは出ない。言えることはただ一つ、我はまだその時でなく、まだ生きて為すべきことがあるからだとしか思えない。
かの漱石に、『長谷川君と余』と題する短編、というより随筆がある。そこに出てくる長谷川君とは、あの二葉亭四迷のことであり、漱石は、二葉亭とは親しい間柄ではなかったのに、出版社からだったか二葉亭の死後、追悼号に請われて筆をとり亡き人の思い出を記した名短編である。
友と呼べるほど親しい関係でなかったものの、漱石はたんたんと彼との少ない出逢った機会を思い出しつつ、偉大な文筆家の死を深く悼んでいる。
漱石には、盟友子規をはじめ、多くの友人知人への追悼、思い出文が残されているが、中でもこの長谷川君こと、二葉亭に関する一文は押さえた筆致ながらその哀しみと亡き人の人柄と偉大さ、敬愛が伝わる名文である。
我も拙くもそれに倣って、この2024年夏、8月の初旬に急逝した石川さんと我について記しておこうと思ふ。
ウディさんと記すか、ウッディさんと記すか迷うものの、彼は素晴らしく奇特な不思議な人であった。あんな人はもう二度と他に会うことはないだろう。※以下、「ウディ」として記す。
彼を知ったのは、まだ谷保かけこみ亭で、月一?でだったか、誰でも参加できるオープンマイクのライブが開催していた頃で、その場で見知ったのだと思う。
テン・ホールズのハーモニカを西部劇のガンマンの如く、ベルトにいくつもホルダーに入れ、たくさん下げていてまず驚かされた。そんな人は初めて見た。
と言ってもテンホールズのハーモニカとは、何かまずそこから説明しないとならないか。
小学校などの音楽教育で嫌でも買わされ吹かされる複音のハーモニカとは違い、穴が10個しかないごく小ぶりなハーモニカのことをテンホールズと呼ぶ。またはブルースハープとも。
フォークソングやブルース、ロックでは、そのテンホールズのハーモニカをライブや録音で用い多用されている。
ただ、問題は、キーごとにそのキーのハーモニカを使わねばならないことで、ハ調、つまりCの曲ならば、Cのキーのそのハーモニカを用いないないと合わすことが難しい。
ということは、各キーごとに合ったハーモニカが必要となる。しかも曲には、マイナーとメジャー、つまり長調と短調があるので、ハーモニカもまたマイナーの曲には、マイナーのそれをキーごとに使わないと合わすことはできないのだ。
マイナーのも入れれば、全部で20本以上揃えないとならないのである。まあ、あまり使われないキーも当然あるが。※FとかFmとか。
我も下手くそながらそのブルースハーブをギター弾きながらホルダーに挟んで吹くので、そのキーごとに、マイナーもすべて揃えて持っている。
が、それをホルダーに入れてベルトに下げて全てを腰に巻いている人がいるとは仰天した。
確かに、曲ごとにキーは違うのは当然だから、曲が変われば我など常に慌てて合うキーのハーモニカを数ある中から探し出すのにいつも苦労している。
それを、キーごとに順にホルダーに入れて常に腰にベルトで下げておけば探し迷うことは少なくなるはずだ。
ライブの後だったか前だったか、ウディ氏に、そのベルトハーモニカホルダーについて尋ねたら手作りだと言う。そう、すべてにわたって彼はそうした創意工夫のハンドメイドの人であった。
そしてその時は知らなかったのだが、氏は、ハーモニカのみならずフォークギターの稀代のコレクターであったのだ。
《長くなるのでもう一回続きます》
※昨夜は、友人久我さんの訃報が届き、彼と知り合ってから約20年のことがあれこれまさに走馬灯の如く思い出され、気がついたら一睡もしないうちに朝となった。ので寝不足で今目がかすんできている。
このところ友人知人の訃報が相次いでいる。
皆、我よりは幾分年上だが、何で彼であって我ではないのか、ずっと自問している。
どうして善い誰にも愛され惜しまれる人は先に逝き、我のような誰からも疎んじられ無価値な人間が臆面なくもまだ生きているのか、いつもその死の知らせの都度思う。
しかしそれは、もし神の計らいだとしてもそこに答えは出ない。言えることはただ一つ、我はまだその時でなく、まだ生きて為すべきことがあるからだとしか思えない。
かの漱石に、『長谷川君と余』と題する短編、というより随筆がある。そこに出てくる長谷川君とは、あの二葉亭四迷のことであり、漱石は、二葉亭とは親しい間柄ではなかったのに、出版社からだったか二葉亭の死後、追悼号に請われて筆をとり亡き人の思い出を記した名短編である。
友と呼べるほど親しい関係でなかったものの、漱石はたんたんと彼との少ない出逢った機会を思い出しつつ、偉大な文筆家の死を深く悼んでいる。
漱石には、盟友子規をはじめ、多くの友人知人への追悼、思い出文が残されているが、中でもこの長谷川君こと、二葉亭に関する一文は押さえた筆致ながらその哀しみと亡き人の人柄と偉大さ、敬愛が伝わる名文である。
我も拙くもそれに倣って、この2024年夏、8月の初旬に急逝した石川さんと我について記しておこうと思ふ。
ウディさんと記すか、ウッディさんと記すか迷うものの、彼は素晴らしく奇特な不思議な人であった。あんな人はもう二度と他に会うことはないだろう。※以下、「ウディ」として記す。
彼を知ったのは、まだ谷保かけこみ亭で、月一?でだったか、誰でも参加できるオープンマイクのライブが開催していた頃で、その場で見知ったのだと思う。
テン・ホールズのハーモニカを西部劇のガンマンの如く、ベルトにいくつもホルダーに入れ、たくさん下げていてまず驚かされた。そんな人は初めて見た。
と言ってもテンホールズのハーモニカとは、何かまずそこから説明しないとならないか。
小学校などの音楽教育で嫌でも買わされ吹かされる複音のハーモニカとは違い、穴が10個しかないごく小ぶりなハーモニカのことをテンホールズと呼ぶ。またはブルースハープとも。
フォークソングやブルース、ロックでは、そのテンホールズのハーモニカをライブや録音で用い多用されている。
ただ、問題は、キーごとにそのキーのハーモニカを使わねばならないことで、ハ調、つまりCの曲ならば、Cのキーのそのハーモニカを用いないないと合わすことが難しい。
ということは、各キーごとに合ったハーモニカが必要となる。しかも曲には、マイナーとメジャー、つまり長調と短調があるので、ハーモニカもまたマイナーの曲には、マイナーのそれをキーごとに使わないと合わすことはできないのだ。
マイナーのも入れれば、全部で20本以上揃えないとならないのである。まあ、あまり使われないキーも当然あるが。※FとかFmとか。
我も下手くそながらそのブルースハーブをギター弾きながらホルダーに挟んで吹くので、そのキーごとに、マイナーもすべて揃えて持っている。
が、それをホルダーに入れてベルトに下げて全てを腰に巻いている人がいるとは仰天した。
確かに、曲ごとにキーは違うのは当然だから、曲が変われば我など常に慌てて合うキーのハーモニカを数ある中から探し出すのにいつも苦労している。
それを、キーごとに順にホルダーに入れて常に腰にベルトで下げておけば探し迷うことは少なくなるはずだ。
ライブの後だったか前だったか、ウディ氏に、そのベルトハーモニカホルダーについて尋ねたら手作りだと言う。そう、すべてにわたって彼はそうした創意工夫のハンドメイドの人であった。
そしてその時は知らなかったのだが、氏は、ハーモニカのみならずフォークギターの稀代のコレクターであったのだ。
《長くなるのでもう一回続きます》
※昨夜は、友人久我さんの訃報が届き、彼と知り合ってから約20年のことがあれこれまさに走馬灯の如く思い出され、気がついたら一睡もしないうちに朝となった。ので寝不足で今目がかすんできている。
近況と、このところ思うところを何回かに分けて・② ― 2024年09月01日 23時32分47秒
★ようやく長い夢から覚めたような
9月に入りました。
昨日も。また今日も、終日一昨日のような猛烈な雨が降るような予報は出ていたが、小雨が断続的に降った程度ですんだ。
夕方には、晴れて来て西の空には夕焼けが見えた。
雷雨や強風などの被害がなかっただけでも良しとしたいが、何かはぐらかされたような、天気予報に振り回された気がしている。
ただ、気温も下がってきているはずだが、湿度が高いせいか今夜はともかく蒸し暑い。窓も開けられず室内にいるだけでも汗ばむほどだ。
まずパソコンのことだが、先日ついにウインドウズ11にアップデイトした。
これで以前より起動からブログを書くまで早くなった気がしたが、未だ新しいOSに慣れていないせいもあってか、完全にシャットダウンしていない状態から立ち上げようとしてもやはりかなり時間がかかる。
今夜も、更新が進行中です、電源を入れたままにしてください、との表示が出て、またやたらしばらく待たされた。
やはりパソコン本体自体を買い替えねばならないのかと今思案中だ。
何が苛立つと言って、書きたいことがあり、早くこのブログの書き込み画面を出したいのに、パソコンに向かってもそこまでに漫然と十数分?じっと待たされることだ。そうこうしているうちにその意欲が萎えてきてしまうではないか。
さておき、先ず何から書くべきか。このところ友人知人の訃報が相次いでいる。その方たち一人づつ書いても一回のブログに収まらないと思うので、様々な悼む思いはあるもののまずは自分のことから書いていく。
ドコモかしこも足の踏み場もないゴミ屋敷と化した家の内外のことや、増えすぎた猫問題など未だ解決に至らぬことは相変わらずだが、このところようやく自らの身体にきちんと向き合えるようになってきた。
猛暑の夏でもあることだが、このところ日に何度もシャワーを浴びたり、週に一度は近くの銭湯に通ったりして、素っ裸の吾身の姿を浴室、浴場の鏡に映して見ている。
これは自惚れや贔屓目ではなく、我が身の肉体は、その年齢のわりにはまだじゅうぶん若々しいと思えてきた。
むろん背中は丸く厚くなり、だいぶ猫背気味だが、腹もまだせり出すほどには出ていないし、スポーツはまったくしないから筋肉はないものの贅肉は少なく肉体だけ見れば、二十代の頃とほとんど変わらないように見える。
今は体重も5キロほど増えてはいるが、多忙で一時期より落ちたので、肥満とかメダボとは言われることはない。
ただ顔と白髪だけは年相応の爺むさい風貌で、それに比べれば身体はまだ若々しいということだ。
嗤われるかもしれないが、身体だけ見れば、とても70歳近い老人のそれではない。そのことに気づいてこのところ自信を取り戻している。
あとは、意識的に背筋伸ばして姿勢を常に正していけば、腰の曲がったジジイになることはないだろう。
機能的にも、今はまだ先日のコロナで、まだ咳が残り痰も絡み苦しい時もあるが、体調的にはほぼ万全となってきた。
この2年、いや、もっとかもしれないが、ずっと悩みの種だった右腕の痺れと機能障害もこのところようやく癒えて、まだ筋肉痛的な痛みはあるものの、問題なく自由に動かせる状態になってきた。
腰痛も今はないし、身体だけは今は何も問題ない。
で、なんでこんなしょうもないことを書いてるかというと、ほぼこの10年は、風呂に入ろうが、シャワー浴びようが自分の身体をまじまじと見ることさえなかったからだ。いや、顔すらも鏡にきちんと映したことがなかった。
我が母は、2016年に癌が再発して死んだのだが、その死の前年頃から、介護と世話に追われて、認知症気味の父も健在だったので今よりもともかく忙しかった。
特に死の一年前からは、在宅で我は一人で母を看病していたので、落ち着いて自らがゆったりゆっくり入浴する事すらできなかった。
そして母の死後は、急速に認知症と身体の衰弱が進んでいく超高齢の父の世話にまた追われて、一昨年秋の父の死まで同様の状況が続いていた。
そして今、父の死からまる二年を迎える今に至り、犬猫の世話や家の片づけ等に今も追われてはいるものの、ようやく吾身の肉体を鏡に映してまじまじと見つめ直す余裕も出てきたのだ。
いま思うのは、最愛の母と父の死と、その後の多々後始末と、何もかも一人でやらねばならない孤独な生活への移行と、悪夢とは言えないが、まさにずっと長い夢を見ていた気がする。
そしてようやく、今頃になってその夢から覚めた、のだと。
今もまだともかくやることは山積して目が回るほど慌ただしいし、何ひとつ解決も先も見えはしないが、この吾身、身体だけはまだここにあり、自らに取り戻した気がしている。
内臓はわからないが、アルコールさえ飲みすぎなければ、あと10年はともかくも5年は大丈夫だろう。
先のことは何が起こるかわからないし油断や過信は禁物だが、まだこの身体さえあれば、何でもできると思えてきた。そう、70歳過ぎようとも。※むろん、交通事故や災害など不測の事態に遭い命を落とす可能性も多々あるわけだが、それはそれとして。
親しい方はご存じだろう。我は誰よりもウカツでバカだから、これまで何度も命にかかわるようなケガや事故は起こしてきた。が、幸いにして病気も含めて入院するほどの大ケガ、大病には遭わなかった。
そこに我が神、我が主のご加護があったからだと思うし、ただ神頼みに生きるのではなく、自らも節制して細心の注意で一日一日を丁寧にいきていこうと思う。
こんな我にもまだできること、すべきことがあると信じて。そしてそれは誰にとっても善い喜ばしいことであるように。
9月に入りました。
昨日も。また今日も、終日一昨日のような猛烈な雨が降るような予報は出ていたが、小雨が断続的に降った程度ですんだ。
夕方には、晴れて来て西の空には夕焼けが見えた。
雷雨や強風などの被害がなかっただけでも良しとしたいが、何かはぐらかされたような、天気予報に振り回された気がしている。
ただ、気温も下がってきているはずだが、湿度が高いせいか今夜はともかく蒸し暑い。窓も開けられず室内にいるだけでも汗ばむほどだ。
まずパソコンのことだが、先日ついにウインドウズ11にアップデイトした。
これで以前より起動からブログを書くまで早くなった気がしたが、未だ新しいOSに慣れていないせいもあってか、完全にシャットダウンしていない状態から立ち上げようとしてもやはりかなり時間がかかる。
今夜も、更新が進行中です、電源を入れたままにしてください、との表示が出て、またやたらしばらく待たされた。
やはりパソコン本体自体を買い替えねばならないのかと今思案中だ。
何が苛立つと言って、書きたいことがあり、早くこのブログの書き込み画面を出したいのに、パソコンに向かってもそこまでに漫然と十数分?じっと待たされることだ。そうこうしているうちにその意欲が萎えてきてしまうではないか。
さておき、先ず何から書くべきか。このところ友人知人の訃報が相次いでいる。その方たち一人づつ書いても一回のブログに収まらないと思うので、様々な悼む思いはあるもののまずは自分のことから書いていく。
ドコモかしこも足の踏み場もないゴミ屋敷と化した家の内外のことや、増えすぎた猫問題など未だ解決に至らぬことは相変わらずだが、このところようやく自らの身体にきちんと向き合えるようになってきた。
猛暑の夏でもあることだが、このところ日に何度もシャワーを浴びたり、週に一度は近くの銭湯に通ったりして、素っ裸の吾身の姿を浴室、浴場の鏡に映して見ている。
これは自惚れや贔屓目ではなく、我が身の肉体は、その年齢のわりにはまだじゅうぶん若々しいと思えてきた。
むろん背中は丸く厚くなり、だいぶ猫背気味だが、腹もまだせり出すほどには出ていないし、スポーツはまったくしないから筋肉はないものの贅肉は少なく肉体だけ見れば、二十代の頃とほとんど変わらないように見える。
今は体重も5キロほど増えてはいるが、多忙で一時期より落ちたので、肥満とかメダボとは言われることはない。
ただ顔と白髪だけは年相応の爺むさい風貌で、それに比べれば身体はまだ若々しいということだ。
嗤われるかもしれないが、身体だけ見れば、とても70歳近い老人のそれではない。そのことに気づいてこのところ自信を取り戻している。
あとは、意識的に背筋伸ばして姿勢を常に正していけば、腰の曲がったジジイになることはないだろう。
機能的にも、今はまだ先日のコロナで、まだ咳が残り痰も絡み苦しい時もあるが、体調的にはほぼ万全となってきた。
この2年、いや、もっとかもしれないが、ずっと悩みの種だった右腕の痺れと機能障害もこのところようやく癒えて、まだ筋肉痛的な痛みはあるものの、問題なく自由に動かせる状態になってきた。
腰痛も今はないし、身体だけは今は何も問題ない。
で、なんでこんなしょうもないことを書いてるかというと、ほぼこの10年は、風呂に入ろうが、シャワー浴びようが自分の身体をまじまじと見ることさえなかったからだ。いや、顔すらも鏡にきちんと映したことがなかった。
我が母は、2016年に癌が再発して死んだのだが、その死の前年頃から、介護と世話に追われて、認知症気味の父も健在だったので今よりもともかく忙しかった。
特に死の一年前からは、在宅で我は一人で母を看病していたので、落ち着いて自らがゆったりゆっくり入浴する事すらできなかった。
そして母の死後は、急速に認知症と身体の衰弱が進んでいく超高齢の父の世話にまた追われて、一昨年秋の父の死まで同様の状況が続いていた。
そして今、父の死からまる二年を迎える今に至り、犬猫の世話や家の片づけ等に今も追われてはいるものの、ようやく吾身の肉体を鏡に映してまじまじと見つめ直す余裕も出てきたのだ。
いま思うのは、最愛の母と父の死と、その後の多々後始末と、何もかも一人でやらねばならない孤独な生活への移行と、悪夢とは言えないが、まさにずっと長い夢を見ていた気がする。
そしてようやく、今頃になってその夢から覚めた、のだと。
今もまだともかくやることは山積して目が回るほど慌ただしいし、何ひとつ解決も先も見えはしないが、この吾身、身体だけはまだここにあり、自らに取り戻した気がしている。
内臓はわからないが、アルコールさえ飲みすぎなければ、あと10年はともかくも5年は大丈夫だろう。
先のことは何が起こるかわからないし油断や過信は禁物だが、まだこの身体さえあれば、何でもできると思えてきた。そう、70歳過ぎようとも。※むろん、交通事故や災害など不測の事態に遭い命を落とす可能性も多々あるわけだが、それはそれとして。
親しい方はご存じだろう。我は誰よりもウカツでバカだから、これまで何度も命にかかわるようなケガや事故は起こしてきた。が、幸いにして病気も含めて入院するほどの大ケガ、大病には遭わなかった。
そこに我が神、我が主のご加護があったからだと思うし、ただ神頼みに生きるのではなく、自らも節制して細心の注意で一日一日を丁寧にいきていこうと思う。
こんな我にもまだできること、すべきことがあると信じて。そしてそれは誰にとっても善い喜ばしいことであるように。
世界の終わりが来たような豪雨が降り続き ― 2024年08月30日 13時13分08秒
★ケータイの土砂災害警戒情報に起こされて
昨夕からの滝のような豪雨は朝まで降り続いていた。ちょっと記憶にない、まさに世界の終わりが来たような不安になる激しい雨が長く降り続いた。
箱舟に乗れない、いや、乗る資格のない者として、一晩中不安な思いで深く寝入ることなく、屋根を叩く豪雨、壊れた雨樋から激しく流れ落ちる雨水の音に耳を澄ませていた。
外も明るくなって、ようやく少しうとうとし出したら、8時過ぎ頃か、とつぜん枕元の携帯が激しくなり出し、警報音の後に女の声で、八王子市に土砂災害警戒警報が発令中、との緊急通報であった。
ウチのほうは、平地で水も出ない場所だからカンケイないと思い、また寝なおそうとしたら再度また携帯から同様の放送が届き、今度は、避難すべき地区に住む人たちへの小学校や公民館などのそれぞれ指定避難先のお知らせであった。
※急斜面の高台にお住いのシバ氏のところは無事であろうか、気になった。
もう眠れなくなって、外を伺ったら雨は小降りになってきている。今のうちに、昨夜は雨が強くてろくに散歩もできなかった室内飼いしている老犬を連れて小雨の最中、近くの公園まで散歩に出た。
九州や四国、神奈川のほうでも記録的な雨量となったようだが、多摩地区も八王子だけでなく、町田やこの近辺一体にものすごい量の雨が降ったらしい。
じっさい、外に出たら、道路は川のようになったらしく、かなり遠くまで我家の枯葉、小枝など庭先のゴミが流されていた、また、それらを溜めておく大きなポリタンクも、今朝見たら口まで雨水でいっぱいになっていて、その雨量におどろかされた。
皆さん、お住まいの地域では、被害はありませんでしたか。
確実に近づいている世界の終わりの前に、我は最低限の小さな箱舟を作りたいと願う。自分が乗るためではない。失いたくない、後の世に伝えるべく大事な、大切なものを積み込むために。
ようやくパソコンのほうも安定?し出したようなので、また外は雨が降り出し、庭仕事などは今日は何もできないと思うので、今日は一日パソコンに向かい、ブログ書き込みに専念しようと思う。
昨夕からの滝のような豪雨は朝まで降り続いていた。ちょっと記憶にない、まさに世界の終わりが来たような不安になる激しい雨が長く降り続いた。
箱舟に乗れない、いや、乗る資格のない者として、一晩中不安な思いで深く寝入ることなく、屋根を叩く豪雨、壊れた雨樋から激しく流れ落ちる雨水の音に耳を澄ませていた。
外も明るくなって、ようやく少しうとうとし出したら、8時過ぎ頃か、とつぜん枕元の携帯が激しくなり出し、警報音の後に女の声で、八王子市に土砂災害警戒警報が発令中、との緊急通報であった。
ウチのほうは、平地で水も出ない場所だからカンケイないと思い、また寝なおそうとしたら再度また携帯から同様の放送が届き、今度は、避難すべき地区に住む人たちへの小学校や公民館などのそれぞれ指定避難先のお知らせであった。
※急斜面の高台にお住いのシバ氏のところは無事であろうか、気になった。
もう眠れなくなって、外を伺ったら雨は小降りになってきている。今のうちに、昨夜は雨が強くてろくに散歩もできなかった室内飼いしている老犬を連れて小雨の最中、近くの公園まで散歩に出た。
九州や四国、神奈川のほうでも記録的な雨量となったようだが、多摩地区も八王子だけでなく、町田やこの近辺一体にものすごい量の雨が降ったらしい。
じっさい、外に出たら、道路は川のようになったらしく、かなり遠くまで我家の枯葉、小枝など庭先のゴミが流されていた、また、それらを溜めておく大きなポリタンクも、今朝見たら口まで雨水でいっぱいになっていて、その雨量におどろかされた。
皆さん、お住まいの地域では、被害はありませんでしたか。
確実に近づいている世界の終わりの前に、我は最低限の小さな箱舟を作りたいと願う。自分が乗るためではない。失いたくない、後の世に伝えるべく大事な、大切なものを積み込むために。
ようやくパソコンのほうも安定?し出したようなので、また外は雨が降り出し、庭仕事などは今日は何もできないと思うので、今日は一日パソコンに向かい、ブログ書き込みに専念しようと思う。
近況と、このところ思うところを何回かに分けて・① ― 2024年08月17日 12時07分44秒
★まず、近況~ぼけまる氏のバースデーコンサート行ってから
台風一過の青空である。今朝は、朝からカラっと晴れて、また焼けつくような暑さが戻ってきた。
が、木陰にいると吹く風は爽やかで、もう夏も終わり秋の訪れも近いと今朝方、愛犬との散歩で休憩した近くの公園のベンチで思えた。
私事だが、昨日は、我の誕生日であった。70歳という節目の歳までにはまだ少しいくらかは間はあるが、もう指呼の先であり、こんな感じで一年が過ぎていくならあっという間であろう。
それにしても自分がこんな歳になるとは、ここまで生きているとは若い時はまったく考えも想像もしなかった。感慨深い。
漠然と想像してたとしても、世間一般的な、子や孫に囲まれて暮らす穏やかな年寄りの姿であり、まさか今のような人生となるとは、本当に予想も予測もしていなかった。
恥ずかしい話、何が驚きかというと、若い頃、十代の頃から我は何一つ変わっていないのである。嗤われて仕方ないし、自分でも呆れ果てる。
結婚もしなかったから、妻も子も孫もなく、昔からの親の家に今も住み、収入もほとんどなく、状況も環境もまったく何も変わらないままなのである。
そんな人は他にいるだろうか。
むろん、体型とかは当然変わり、若い時より10キロ近く体重は増えたし、髪は白くなり、鏡に映る我の姿は、もはや確かに年相応の疲れた老人のそれである。そして、ただモノだけは膨大に増えた。それだけ長く生きて時間が過ぎたのだから当然の結果であった。
親たちは既に逝き、このところその増え過ぎたモノ、生き物たちも含めて、それらに囚われ身動きがとれなくなり、まさに人生そのものが行き詰ってしまっていた。
ネット古書店のほうも休止してしまったから、今は全くの無収入であり、親たちの残してくれた預貯金を取り崩して何とか生活してきたが、それもついに尽き果てて、破綻した人生は破滅寸前のところまで行きついた。
しかし、それでも数少ない奇特な友人知人たちが我を哀れみ、経済的に人力的にも多々支援して頂き、何とかその苦境を脱ししつつある。
まだ先は全く見えないし、果たして人生再建となるかは定かではないが、経済的問題のほうは、幸いしにして、亡き父の保険金が大きな額ではないが、先日やっと下りたので、今は毎月かかる光熱費や税金などの金の工面については、この先数か月は頭悩ませずにすみそうな状況だということを報告いたしたい。
ただ、無年金無収入の我なのだから、ともかく一日でも早くどのような手段でも金を稼がないことには生きて行けないわけで、何とか年内には新たな収入の手立てを確立させたいと今せつに願っている。
幸い鬱気分は脱して、今は非常にアグレッシブにどのような人生でも何とかなる、何とかしていけると強く思っている。主よ、憐れみたまえ。
それと、体調についてなのだが、先の日曜日、国立でのぼけまる氏のコンサートに行って以来、またコロナに罹ったらしくともかく喉が痛く咳も出て今も苦しい。
その、かけこみ亭主人・ぼけまる氏主催の、「バースデーコンサート」、みんな集まれ!!という呼びかけなので、我も猛暑の最中、無理して自転車で駆けつけた。
が、今回は、これまでの生前葬コンサートとは違い、端的に言えば、彼の個人的公開同窓会というべきもので、午後1時から夜の7時まで、正直に言えば、長時間ともかく疲れ果てた。
我は、もともと同窓会的なるもの、いや、学校関連のモノゴトには良い記憶がなく一切関心なく、嫌悪さえしている。どこでも常に落ちこぼれた者として、もし会開催の通知が届こうとも絶対に昔の仲間たちとは会う気もないし関係を持とうとは思わない人間なのだ。だいたいその頃の友達も知人も元より一人もいない。※学内サークルやクラブで出合った仲間たちはいます。
過去など全否定してきた人間にとって、今回のぼけまる氏のコンサート?、彼の学生時代の仲間から生協の職員であった頃の人たち、そしてかけこみ亭初期の頃に来ていた人たちと多々次々昔話を語らう彼のステージに、違和感というより、間違えて他校の同窓会の席に来てしまった気分になった。そう、自分の学校の同窓会にも行かない人間が。
しかし、それが面白いとかつまらないとかの以前に、氏は、こうした集いをやりたかったのだと伝わるし、何よりも多くの彼の知人友人が集まって彼を囲んだのだから、それはそれで良かったというしかない。最後の最後までかなりの人たちが席に残っていて驚かされたほどなのだから。
ぼけまるさんは、多くの人たちに慕われ愛されて、幸せな人だと改めて強く再確認した次第。ほんと幸運・幸福な人である。まさに人徳という言うしかない。
先週その日曜日、国立から汗まみれで疲れて帰ってきた頃から、何か喉が痛い。風邪ひいたかと思えたが、我が父が死ぬ前、彼から感染されたコロナウィルスの症状にすごく似ている。
うまく説明できないが、もしかしたらこれはコロナかもと思えた。訊けば、昨今流行しているコロナはまず喉に来るらしい。
ただ、前回は、すぐ高熱が出たが、今回は、我は免疫ができているのか、いくらか種類が変化してるのか、寝込むほどの発熱はなく、測ってはいないがたぶん37度台の微熱しかなく、ただ喉が痛く、今は咳も出て痰がからみ苦しい状況がこの一週間続いている。
今は、コロナだろうが、インフルエンザだろうが、風邪の一種でしかなく、かつてのように医師に即診断してもらい、安静にして自宅療養に努めるべく医療費はかからない状況ではないのだから、身体はしんどくても個人としてフツーの生活していくしかない。
また回を改めて書くが、今トラブル続きで、パソコンは幸いこうしてブログ再開できるとほどに多少は回復したものの、居間のテレビは壊れて完全に視れなくなってしまった。
その他、金のかかるトラブル自体は今も多々あり続いてはいるが、幸い気分は落ち込んでなく前向きである。
しかし、喉も痛くてテレビも見れないならば、起きてるのもしんどくて寝るしかなく、ベッドでスマホいじっては今の出来事、ニュース等を確認してたら、ネットサーフィンというのか、偶然そこから新たな出会いと知識を多々得た。
その中で、最大は、今韓国からブレイクしている、奇跡の歌声・歌心りえさんというシンガーと出会えたことである。
この人を知り得たことは我にとって、まさにバースデープレゼントとなった。
台風一過の青空である。今朝は、朝からカラっと晴れて、また焼けつくような暑さが戻ってきた。
が、木陰にいると吹く風は爽やかで、もう夏も終わり秋の訪れも近いと今朝方、愛犬との散歩で休憩した近くの公園のベンチで思えた。
私事だが、昨日は、我の誕生日であった。70歳という節目の歳までにはまだ少しいくらかは間はあるが、もう指呼の先であり、こんな感じで一年が過ぎていくならあっという間であろう。
それにしても自分がこんな歳になるとは、ここまで生きているとは若い時はまったく考えも想像もしなかった。感慨深い。
漠然と想像してたとしても、世間一般的な、子や孫に囲まれて暮らす穏やかな年寄りの姿であり、まさか今のような人生となるとは、本当に予想も予測もしていなかった。
恥ずかしい話、何が驚きかというと、若い頃、十代の頃から我は何一つ変わっていないのである。嗤われて仕方ないし、自分でも呆れ果てる。
結婚もしなかったから、妻も子も孫もなく、昔からの親の家に今も住み、収入もほとんどなく、状況も環境もまったく何も変わらないままなのである。
そんな人は他にいるだろうか。
むろん、体型とかは当然変わり、若い時より10キロ近く体重は増えたし、髪は白くなり、鏡に映る我の姿は、もはや確かに年相応の疲れた老人のそれである。そして、ただモノだけは膨大に増えた。それだけ長く生きて時間が過ぎたのだから当然の結果であった。
親たちは既に逝き、このところその増え過ぎたモノ、生き物たちも含めて、それらに囚われ身動きがとれなくなり、まさに人生そのものが行き詰ってしまっていた。
ネット古書店のほうも休止してしまったから、今は全くの無収入であり、親たちの残してくれた預貯金を取り崩して何とか生活してきたが、それもついに尽き果てて、破綻した人生は破滅寸前のところまで行きついた。
しかし、それでも数少ない奇特な友人知人たちが我を哀れみ、経済的に人力的にも多々支援して頂き、何とかその苦境を脱ししつつある。
まだ先は全く見えないし、果たして人生再建となるかは定かではないが、経済的問題のほうは、幸いしにして、亡き父の保険金が大きな額ではないが、先日やっと下りたので、今は毎月かかる光熱費や税金などの金の工面については、この先数か月は頭悩ませずにすみそうな状況だということを報告いたしたい。
ただ、無年金無収入の我なのだから、ともかく一日でも早くどのような手段でも金を稼がないことには生きて行けないわけで、何とか年内には新たな収入の手立てを確立させたいと今せつに願っている。
幸い鬱気分は脱して、今は非常にアグレッシブにどのような人生でも何とかなる、何とかしていけると強く思っている。主よ、憐れみたまえ。
それと、体調についてなのだが、先の日曜日、国立でのぼけまる氏のコンサートに行って以来、またコロナに罹ったらしくともかく喉が痛く咳も出て今も苦しい。
その、かけこみ亭主人・ぼけまる氏主催の、「バースデーコンサート」、みんな集まれ!!という呼びかけなので、我も猛暑の最中、無理して自転車で駆けつけた。
が、今回は、これまでの生前葬コンサートとは違い、端的に言えば、彼の個人的公開同窓会というべきもので、午後1時から夜の7時まで、正直に言えば、長時間ともかく疲れ果てた。
我は、もともと同窓会的なるもの、いや、学校関連のモノゴトには良い記憶がなく一切関心なく、嫌悪さえしている。どこでも常に落ちこぼれた者として、もし会開催の通知が届こうとも絶対に昔の仲間たちとは会う気もないし関係を持とうとは思わない人間なのだ。だいたいその頃の友達も知人も元より一人もいない。※学内サークルやクラブで出合った仲間たちはいます。
過去など全否定してきた人間にとって、今回のぼけまる氏のコンサート?、彼の学生時代の仲間から生協の職員であった頃の人たち、そしてかけこみ亭初期の頃に来ていた人たちと多々次々昔話を語らう彼のステージに、違和感というより、間違えて他校の同窓会の席に来てしまった気分になった。そう、自分の学校の同窓会にも行かない人間が。
しかし、それが面白いとかつまらないとかの以前に、氏は、こうした集いをやりたかったのだと伝わるし、何よりも多くの彼の知人友人が集まって彼を囲んだのだから、それはそれで良かったというしかない。最後の最後までかなりの人たちが席に残っていて驚かされたほどなのだから。
ぼけまるさんは、多くの人たちに慕われ愛されて、幸せな人だと改めて強く再確認した次第。ほんと幸運・幸福な人である。まさに人徳という言うしかない。
先週その日曜日、国立から汗まみれで疲れて帰ってきた頃から、何か喉が痛い。風邪ひいたかと思えたが、我が父が死ぬ前、彼から感染されたコロナウィルスの症状にすごく似ている。
うまく説明できないが、もしかしたらこれはコロナかもと思えた。訊けば、昨今流行しているコロナはまず喉に来るらしい。
ただ、前回は、すぐ高熱が出たが、今回は、我は免疫ができているのか、いくらか種類が変化してるのか、寝込むほどの発熱はなく、測ってはいないがたぶん37度台の微熱しかなく、ただ喉が痛く、今は咳も出て痰がからみ苦しい状況がこの一週間続いている。
今は、コロナだろうが、インフルエンザだろうが、風邪の一種でしかなく、かつてのように医師に即診断してもらい、安静にして自宅療養に努めるべく医療費はかからない状況ではないのだから、身体はしんどくても個人としてフツーの生活していくしかない。
また回を改めて書くが、今トラブル続きで、パソコンは幸いこうしてブログ再開できるとほどに多少は回復したものの、居間のテレビは壊れて完全に視れなくなってしまった。
その他、金のかかるトラブル自体は今も多々あり続いてはいるが、幸い気分は落ち込んでなく前向きである。
しかし、喉も痛くてテレビも見れないならば、起きてるのもしんどくて寝るしかなく、ベッドでスマホいじっては今の出来事、ニュース等を確認してたら、ネットサーフィンというのか、偶然そこから新たな出会いと知識を多々得た。
その中で、最大は、今韓国からブレイクしている、奇跡の歌声・歌心りえさんというシンガーと出会えたことである。
この人を知り得たことは我にとって、まさにバースデープレゼントとなった。
何とかまだ生きてます。 ― 2024年08月10日 09時32分00秒
★日々てんやわんやの大騒ぎながらも
何から書けばいいのだろうか。買物ブギの歌詞ではないけれど、朝から晩までともかく忙しく慌ただしく様々なトラブルに追われて、まさにてんやわんやの大騒ぎ、である。
この猛暑の最中、日々汗みずくでふらふらで時に卒倒しながらも何とかまだ生きている。
ご心配おかけした方には今さらながらお詫びいたしたい。まだ生きています。
実は、パソコンも不調で、起動にやたら時間がかかり、根本的修復をしないとならないのだが、落ち着いてそれに向き合う時間がつくれず忙しさにかまけて放擲してしまっていた。
今日、久々に起動させてメールの確認などしたのだが、立ち上がりから溜まったメールの確認だけで既に一時間以上かかってる。電源入れてもトップの画面に辿り着くまで何十分も待たされる。
思えば、7月の終わりから一度もパソコンを起動させていなかった。かつて、ネットで商売をやっていた頃は、日に何度となくパソコンに向き合っていたのだからこんな日がくるとは、である。
のちほど、パソコンがうまく起動したら、これまでの経緯をお知らせいたしたい。
失礼します。
何から書けばいいのだろうか。買物ブギの歌詞ではないけれど、朝から晩までともかく忙しく慌ただしく様々なトラブルに追われて、まさにてんやわんやの大騒ぎ、である。
この猛暑の最中、日々汗みずくでふらふらで時に卒倒しながらも何とかまだ生きている。
ご心配おかけした方には今さらながらお詫びいたしたい。まだ生きています。
実は、パソコンも不調で、起動にやたら時間がかかり、根本的修復をしないとならないのだが、落ち着いてそれに向き合う時間がつくれず忙しさにかまけて放擲してしまっていた。
今日、久々に起動させてメールの確認などしたのだが、立ち上がりから溜まったメールの確認だけで既に一時間以上かかってる。電源入れてもトップの画面に辿り着くまで何十分も待たされる。
思えば、7月の終わりから一度もパソコンを起動させていなかった。かつて、ネットで商売をやっていた頃は、日に何度となくパソコンに向き合っていたのだからこんな日がくるとは、である。
のちほど、パソコンがうまく起動したら、これまでの経緯をお知らせいたしたい。
失礼します。
都知事選の投票日を前に ― 2024年07月06日 13時11分12秒
★世界は何も変わらなくとも少しはマシなほうを選んでいく。
久しぶりにパソコンのある部屋に入り、パソコン開けて当ブログにアクセスした。
いろいろお知らせしたいことや、これまでの経緯はまた後ほど書きたいと思うが、先ずは明日投票日の東京都の知事を選ぶ選挙である。
今回の政権交代となった英国の総選挙も、近づく米国の大統領選挙もだが、選択肢の大きな二つのうち、どちらも悪く選ぶのに大いに迷うわけだが、我々有権者はより少しでもマシな方を選ぶしかない。
そしてこの東京も、正直に言えば、有力女性候補二人とも我は大嫌いだ。
いわば、苦渋の選択だが、どちらも嫌だからといって、関心を失い棄権したりすれば、結果としてさらに最悪の事態がこれからも続き、世界はより破滅に向かうのだから、やはりしぶしぶでもよりマシと思える候補に一票を投じるしかない。
都知事選も、従来の大企業優遇、神宮の森の伐採の件もふくめて再開発優先の自民党がバックの現都政が続くならば、この東京はさらに生き辛い殺伐たる都会になっていくことだろう。
あちこちの昔ながらの森の樹々は切られ、どこもかしこも庶民には無関係な投資目的の高層高級マンションが立ち並ぶ。
出生率低下が全国一の東京は、これまで二期務めてきた知事の責任が何よりまず問われるべきではないのか。
今回の都知事選、ほんとうに情けなく残念な選択肢しかなく、投票所に足を運ぶのも気が進まないが、よりマシなほうではなく、より少しでも悪くないであろうほうを選ぶしかない。
これまでの過去の都知事選で常に出られて肉薄した、あの日弁連の宇都宮さんなら、心から我は彼を信じ熱く支持できたが、もうお歳であり今回は裏方なので、彼が推す候補に一票を投ずることにする。
はっきりいって、結果は見えている。が、このままどちらも嫌だからといって、絶望して関心を失い棄権して、結果またまたより悪しき、都民のことより利権・再開発ファーストの輩を利して都政を再任させてしまえば、亡き坂本龍一の魂も報われない。
悪しきやつらをこれ以上利する事ないよう、抗議の一票を今の都知事でない女性候補に入れることにしよう。
世界をこれ以上、ハメツに向かうのを遅らせるためにも。
憲法もだが、民主主義とは非力なものだ。世界は常に力あるものたちに握られている。が、選挙というその意思表示のシステムがまだあるのならば、一票だけれど、我々はそこに民意を示すしかない。
自民党金権政治を一日も早く終わらせるためにも。
カイロ大学がどんな大学かわからない。ただ胡散臭いのは誰でもわかる。そこを卒業したかはどうでもいい。ただ、あちこちで報じられる様々な疑惑にはきちんと正直に答える責任はあろう。
自らがかつて書き記したように、カイロ大学主席卒業の真偽も含めて
、告発されていることが嘘偽りであるならば、名誉棄損で訴えるなりしてきちんと処分を求めるべきであり、ひたすら黙して無視しづけるのは、政治家として卑怯卑劣・無責任だと言うしかない。
久しぶりにパソコンのある部屋に入り、パソコン開けて当ブログにアクセスした。
いろいろお知らせしたいことや、これまでの経緯はまた後ほど書きたいと思うが、先ずは明日投票日の東京都の知事を選ぶ選挙である。
今回の政権交代となった英国の総選挙も、近づく米国の大統領選挙もだが、選択肢の大きな二つのうち、どちらも悪く選ぶのに大いに迷うわけだが、我々有権者はより少しでもマシな方を選ぶしかない。
そしてこの東京も、正直に言えば、有力女性候補二人とも我は大嫌いだ。
いわば、苦渋の選択だが、どちらも嫌だからといって、関心を失い棄権したりすれば、結果としてさらに最悪の事態がこれからも続き、世界はより破滅に向かうのだから、やはりしぶしぶでもよりマシと思える候補に一票を投じるしかない。
都知事選も、従来の大企業優遇、神宮の森の伐採の件もふくめて再開発優先の自民党がバックの現都政が続くならば、この東京はさらに生き辛い殺伐たる都会になっていくことだろう。
あちこちの昔ながらの森の樹々は切られ、どこもかしこも庶民には無関係な投資目的の高層高級マンションが立ち並ぶ。
出生率低下が全国一の東京は、これまで二期務めてきた知事の責任が何よりまず問われるべきではないのか。
今回の都知事選、ほんとうに情けなく残念な選択肢しかなく、投票所に足を運ぶのも気が進まないが、よりマシなほうではなく、より少しでも悪くないであろうほうを選ぶしかない。
これまでの過去の都知事選で常に出られて肉薄した、あの日弁連の宇都宮さんなら、心から我は彼を信じ熱く支持できたが、もうお歳であり今回は裏方なので、彼が推す候補に一票を投ずることにする。
はっきりいって、結果は見えている。が、このままどちらも嫌だからといって、絶望して関心を失い棄権して、結果またまたより悪しき、都民のことより利権・再開発ファーストの輩を利して都政を再任させてしまえば、亡き坂本龍一の魂も報われない。
悪しきやつらをこれ以上利する事ないよう、抗議の一票を今の都知事でない女性候補に入れることにしよう。
世界をこれ以上、ハメツに向かうのを遅らせるためにも。
憲法もだが、民主主義とは非力なものだ。世界は常に力あるものたちに握られている。が、選挙というその意思表示のシステムがまだあるのならば、一票だけれど、我々はそこに民意を示すしかない。
自民党金権政治を一日も早く終わらせるためにも。
カイロ大学がどんな大学かわからない。ただ胡散臭いのは誰でもわかる。そこを卒業したかはどうでもいい。ただ、あちこちで報じられる様々な疑惑にはきちんと正直に答える責任はあろう。
自らがかつて書き記したように、カイロ大学主席卒業の真偽も含めて
、告発されていることが嘘偽りであるならば、名誉棄損で訴えるなりしてきちんと処分を求めるべきであり、ひたすら黙して無視しづけるのは、政治家として卑怯卑劣・無責任だと言うしかない。
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