♪コロナは続くよ いつまでも 【歌詞】2021年05月11日 12時38分29秒

★コロナは続くよ どこまでも  ※線路は続くよ のメロディで
                         keyG ※いやいやそうに

コロナは続くよ どこまでも 野をこえ 山こえ 国こえて
世界のどこでも 僕たちに 新しい日常を押しつける
三密を避けよう 三密を避けよう 人との距離はとろう
密室は避けよう 密集はやめよう 密接になるのはよそう 

コロナの時代は 便利だな 仕事も 買い物も 出かけずに
何から何まで オンラインで 新しい日常は引きこもり
オンラインでやってこう オンラインでやってこう
面接から葬式まで オンラインで
オンラインですまそう オンラインですまそう 
ライブから飲み会までオンラインで

百合子やガースは気楽だな お酒を出す店は営業するなと
街の明かりも消せと 電車も減らせと
コロナ対策は 場あたり思いつき
オリンピックは開催する オリンピックは中止しない
感染者がどれほど増えようと
オリンピックは金のため オリンピックは金のため
コロナで死ぬ人が増えようと
コロナは続くよ いつまでも

無事「無観客」で終了。ご協力、ご支援有難うございました。2021年05月10日 06時19分16秒

★これでようやく「次」へ行ける

 昨夜の「無観客」イベントは、無事に終えられました。幸いにして「ほどほど」の関係者、冷やかしの人は来られましたが、無観客ながらも盛り上がり、このコロナ禍中、感染防止対策を徹底したうえでの「開催」、成功いたしました。
 改めて参加者、関係者のご支援、ご協力をこの場で心より感謝いたします。
 出られた方々個々について、詳細は割愛しますが、御大さこ大介大兄をメインにとても楽しい素晴らしい一夜となりました。
 
 今終えて一夜明けて、朝陽の中でこれを書き記している。
 充足感に満ちた、というのはオカシナ表現だが、一つの難事を成し終えて深い満足感に浸っている。
 この数日、父のこととイベントの準備もあってあまり寝てないのと、昨日はハツカネズミのように早朝から夜遅くまで一日動き回ったので、身体は鉛のように重く怠いが、気持ちだけはこの朝日のように爽やかだ。
 
 音楽家として人として我が心から敬愛する希代のシンガー、さこ大介さんを我の手がける企画にやっとお迎え出来、ソロながらもたっぷり唄って頂いた。
 無観客のため、ギャラなどはお車代程度しかお渡しできなかったが、幸いにして、CDなど物販はほぼ完売したとのことで、そのことも喜びに繋がっている。
 この終わりの見えないコロナ危機、多くのシンガー、ミュージシャンが活動の場を失い、今苦境に喘いでる。
 その苦難の時だからこそ、支援と言うのはおこがましいが、力になれることはないかと考えたとき、つまるところ我が出来ることはいつも通りにライブの場を設けることしかない。

 今、新・新型ウイルスの感染爆発の最中、ガースや女帝都知事の「要請」と言う名の「強制」に従い、ただただじっと出かけずに誰もが各自の家の中で、感染拡大が収まり終息しまた元の日常が戻るまで大人しく「自粛」すべきなのかもしれないと思い迷った。
 が、それでは経済もだが、全てが回っていかない。人の流れ、交流や関係を止めてしまえば、文化も芸術もそれ以前に人間社会、その関係そのものが崩壊してしまう。
 特に「音楽」は、一方的に流れる川の流れのようなものではなく、演者と聴き手双方との「交流」のものだから、ライブ配信だけではなく、まずそこに人的な集う場がなくてはならない。
 その場が今「禁止」されてしまっているからこそ、あえてつくるべきだと考えた。

 今オリンピックを筆頭に、スポーツ関連イベントは容認されて、自粛するどころかしきりにマスメディアで喧伝されている。一方、音楽イベントや文化・芸術施設、人々の交流の場である居酒屋などの飲食店は休止、休業を余儀なくされている。
 何度でも繰り返し出される「緊急事態宣言」下、出口の見えない状況だから、まさに仕方なく、それにしても打てる対策はそんなものしかないのかと憤るが、あまりにも不合理、不平等であり、場当たり思いつきではないか。
 このままでは美術館、映画館も含めた文化、芸能、大衆娯楽施設は消えてしまう。コロナウイルスが真に収束したとき、人類が有史以来築き挙げてきた「人間社会」はそこには存在していない。
 スポーツも文化の一つだと思うけれど、芸能文化というもののすそ野はもっと広く大きい。
 コロナはこれからも続く。おいそれと人類は打ち勝つことはできやしない。
 ならばこそ、アフターコロナではなく、ウイズコロナとして、このコロナ禍の中で、出来る活動を維持、継続していくしかない。

 先が見えないからこそ、いったん火を消すのではなく、ほそぼそとでもその火を灯し続けていくことだ。
 我はその聖火ランナーにはなれないが、その火を人から人へと繋ぐきっかけ、仕組みは考えられるし「その場」の手配もできよう。
 昨日も来られた方々の間で新たな出会いと交流が多々あったようだ。何が嬉しいと言って、そもそもこの我がその「場」を設けなければそうした「出会い」はなかったわけで、まさに企画側冥利に尽きよう。

 余談だが、昨日のさこさん、久々のライブにも関わらず、声も良く出、自在な語りも健在、全開でともかく安心した。その健在ぶりを確認できただけでも嬉しかったが、個人的なことだが、その彼から、我らが創ったうた『二人恋はアフターコロナ』は高得点を付けて頂いた。
 誰だって人から褒められれば嬉しくないわけはないが、我にとって歌の師、音楽の師匠であり、心から尊敬し憧れている天才シンガーソングライターに認められてこそ、との思いがあり、自らの自信とこれからの糧となったことをここに記しておく。ほんとうに嬉しい!!

 ともかく無事「三密回避」のうえで「盛況」となって本当に良かった。
 これを終えてやっと次へと行ける。
 タイヘンだったけれどやるべきことを一つ成し終えた。いまは何の不安も悔いも心にかかることもない。

 さあ、次へ行こう。我には素晴らしい音楽の仲間たちと傍らには音楽の神が常にいる。
 若き日の南沙織のうたの一節ではないが、「私はいま、生きている」。

さこ大介という希代のシンガーソングライターと同時代に生きている幸福2021年05月08日 10時07分55秒

★いよいよ明日5/9日、「共謀コンサート」!!

 J・ポップも含めて、日本のフォーク、ロックの音楽シーンを振り返ったとき、そこには何人かの天才的作詞作曲の才のあるシンガーが存在する。
 吉田たくろう、井上陽水、松任谷(荒井)由実、サザンオールスターズの桑田佳祐らがすぐに思い浮かぶが、彼らはその大衆的人気と共にヒット曲としての「名曲」を数々残している。※桑田の場合は、筒美京平的パクリの才だと我は思うが、さておき。
 自らが詞も曲も手掛け、そして自らが唄う。それを、シンガーソングライターと言う。つまるところソングライティングの才に秀でたシンガー、歌い手のことである。

 誰が言ったか、ビートルズやエルトン・ジョン、ポール・サイモンらを例に挙げるまでもなく、真に優れたシンガー、ミュージシャンとはまた優れたソングライターであるというのは至言だと我もまた思う。

 我は、上記の日本のシンガーソングライターを高く評価はするに異論はないが、そうした広く大衆的人気を除外して、純粋に真に優れた、天才的シンガーソングライターは誰かと考えたとき、まず筆頭に浮かぶのは、亡き西岡恭蔵、象さんのことで本当に彼は素晴らしい楽曲、名曲を数多く残した。
 先年、下北沢のラ・カーニャで、縁のミュージシャン、シンガーが集いて、彼の楽曲を唄う追悼的コンサートを観覧できたのだが、最初から最後まで、彼自身のうただけでフィナーレのアンコールも含め、ライブが「成立」することに驚かされた。
 それだけ素晴らしいうたを数多く残したということであり、まさに彼のソングライターの才を改めて確認させられた。
 だが、残念ながら彼はもうこの世にはいない。

 で、現存するシンガーで、そうした天才的シンガーソングライターは、誰かと考えたとき、我は迷うことなく「さこ大介」の名を挙げることに迷いはない。
 象さんもだが、優れたソングライターはまずその楽曲が他のミュージシャンに注目され、そのアーチストに唄われていく。
 象さんの葬儀の際だかに、矢沢永吉が現れ、分厚い札束の「香典」を遺族に手渡したと言う「伝説」を聞いたが、たとえ作者当人が世俗的人気や知名度はなくとも、ワカル人にはその才能、楽曲の素晴らしさはワカルわけで、恭蔵さんも矢沢他、多くのシンガーに彼の書いた楽曲は今も唄い継がれている。

 さこ大介、以下、畏れ多くも呼び捨てにはできないので、さこさん、と呼ぶが、彼も「還暦デビュー」として話題になったが、そもそも若い頃からアマチュアながらも素晴らしい楽曲を渋い喉でうたう凄い人がいる!! と関西の音楽シーンで話題になり、憂歌団が彼のつくったうたをレコードに入れたりと、一部で早くからその才は高く評価されていた。
 彼は、その正式デビューまでは、カタギの会社員としてスポーツ紙に勤めながら傍ら趣味としてその音楽にいそしみ、数々の名曲を生みだし機会をとらえては唄ってきた。
 あくまでもアマチュアとしての活動であったが、ワカル人は当然その才に括目して多くのシンガーにその名は早くから知られていた。

 定年後、ようやく本業のミュージシャンとして、本格的活動開始。CDも製作、販売、ジャズプレイヤー中心のバックバンド、大介バンドを率い精力的、全国的に活動し、大阪の春一番にも何回も登場し、その骨太のステージは伝説となっている。
 で、そんな彼と我は、いったいいつどこで知り合い、懇意な関係になったのか、それが何故か思い出せない。
 拙宅「無頼庵」での年末恒例イベント、「クリスマス謝恩ライブパーティ」にもみほこんと共に何回も来て頂いているのに、不思議でならない。

 さて、そんな彼ももはや七十代半ばかと思う。ブルースマンの定番、タバコと酒の不摂生と酔っぱらって何度も転んであちこち骨折して身体はボロボロ、ガタガタであるようだ。
 正直、どこそこのシンガーソング・ブック(翻訳)ライター、五郎氏のようにいつまでも若々しくお元気に全国を唄いまくっている方とは異なり、「渡度」が高い。※「渡度」とは外見老人度のこと。
 いつまでもお元気に唄い続けてほしいと心から願い望むが、先のことは誰にもわからない。
 むろん彼の遺していく素晴らしい楽曲はこれからも世に残り、多くのシンガーたちに愛唱されていくことは間違いない。
 だが、彼の人柄と高田渡に通ずる「語り」は、生で、その場でないと触れ合うことはできやしない。

 今回もこのコロナ禍の緊急事態宣言下、この企画は延期、もしくは中止すべきかずいぶん迷いもした。
 が、感染拡大状況も含めて、先のことはわからないからこそ、たとえ無観客でも彼のライブは開催できるうちに開催すべきだと思い決行することにした。
 希代のシンガーソングライター、さこ大介さんを観る機会はあとどのくらい我らにあるのだろうか。
 今、同じ時代を彼と共に生きている喜びをぜひ味わってもらいたい。真に天才とはこういう人なんだと。

風薫る季節に~コロナ禍における「死」について考える2021年05月05日 05時13分39秒

★コロナ自粛下のゴールデンウィークも終わるが

 五月五日の子どもの日である。風薫る爽やかな季節に、書くべきことではないのかもしれないが、「死」についてこのところずっと考えていた。

 実は、私事だが、父の体調が先月末から良くなく、どうしたものかとずっと様子見でいた。
 幸い今、今日現在は、持ち直していつも通りに施設に預けられて、向うからも異変の連絡はなく、明日の夕方帰宅する予定だ。やっと拙ブログにも落ち着いて向き合える気分となった。
 そう、この数日、父のことが心配で、容体が気にかかりどうなるかどうすべきか心在らずという状態であった。

 我が父は、このところ週末土曜日から月曜夕方までと、火曜から木曜夕方まで、二泊三日でそれぞれ別の老人介護施設にお泊りに行ってくれている。
 父をそこに預けて、食事から入浴まで職員に面倒見てもらっているから、我はこの家で何とか一人で生活できている。金はかかるが有難いことだとつくづく思える。
 父が在宅の日は、食事から睡眠時までかたときも目と手が離せず、犬の散歩や買い物等で家を空けることもままならぬほど彼の世話に時間とられる。我自身のことはその日はまず何一つできなくなる。
 何しろ齢96歳を超す、超高齢老人なのである。いつお迎えが来てもおかしくない。食べることも歩くことも自ら一人ではもうほとんど何もできないからともかく手がかかる。

 その父が、先日、5月1日、土曜日の朝、朝食を食べさせて施設に送り出そうとしたら、食事の終わりに突然食べたものをほぼ全部吐き戻してしまった。
 排便などがなくて食欲がないとき、無理強いして食べさせると胃がいっぱいとなってたのか、下に落ちて行かないのか結果的に吐くことはこれまでも何回かあった。
 が、確かに大便は溜まっていたようだが、その朝はわりとパクパク自主的に食べてくれたので、まあ一安心だと思っていたら、突然最後の最期に、急な吐き気に襲われたのかウブっとせっかく食べたものをほぼ全量吐き戻した。我も父も呆然とした。
 間もなく介護施設から送迎の車が来る直前であった。
 熱はなかったしコロナ感染ではないと思えたので、迎えの職員に事情を話して休ませずにその日はともかく施設に送り出した。
 翌日の日曜は、9日のコンサートを控えて、かけこみ亭を借りて練習の予定が入っていて、父が在宅だとそれは中止にせざるえない。

 父は我の手から離れたので、ともかく一安心だと思っていたらば、その日の昼過ぎにその施設から電話がかかってきた。
 また昼飯のとき、父は大量に吐き戻したという。聞けば、出された食事はほとんど食べずに、ほんの数口、口つけたとたんに朝、うちで食べたもの?を、まったく消化していなかったのか、胃に残っていた分を全部吐き戻してしまったようだ。
 今、横になって安静にしているという。
 今まで、吐いたとしても食事ごと二回続いたことは一度もなく、正直、まいったなあという思いしか浮かばない。どうしたものか。医者に連れて行くべきか? 熱はないので様子見ているが、何かまた異変が起きたらばすぐ連絡するとのことであった。

 けっきょくその日は、携帯電話を手に、いつまた連絡があるかとやきもきした。やるべきことも何も手につかない。
 その施設で悪化して不測の事態になったとしてもこのコロナ禍中、急患で診察は受けられたとしてもおいそれとすぐに入院はできないだろう。
 となると、在宅で我がこの家でずっと介護していかねばならない。翌日の練習だけでなく、5月9日予定のコンサートも父が家にいたら我は行けなくなってしまう。そしたら開催も難しいかもと。あれこれ最悪の事態を想定した。

 その晩、施設からは連絡はなかったが、夕飯が終わった頃にこちらから父の居る施設に電話をかけた。
 父は午後ずっと横になっていたようだが、その日の夕飯は粥状にしてもらい何とか少しは食べられて吐き戻さずにすんだとのこと。ほっと安堵した。
 そして、一昨日3日の月曜夕方、父は無事に送り返され家に戻って来た。幸いにして体調は戻りいつも通りに過ごしていたとのことであった。
 ただ戻って来た父は、食べていないからか、体力は落ちてだいぶ衰弱は進んでいる感じはした。
 
 その晩は、軽めに食べさせて早めに父を寝かせた。
 そしてまた昨日4日、火曜日の朝、吐き戻さないよう細心の注意で、少しでも多く食べるように促して不安を抱えながらも別施設に父を送り出した。以後、何か異変を知らせる連絡はないのでともかく父は無事で吐き戻しはなく何とか食べられて生活はしているようだ。
 やっと我も、今回は大事に至らず「持ち直した」と思えてきた。まずそのことをここに報告しておく。
 ※このまま食べても吐き戻すようなことがまた続けば、さらに痩せ衰えて死期を待つだけとなる。今の医学では、そうした患者に対して、お腹に穴を開けて直接栄養ドリンクを胃に流し込む「いろう」という方法もあるのだが、それはまた処置も管理も格段に大変となるので、もしそうなれば父はこの家では面倒見きれなくなる。

 そしてこの間ずっと考えていたのは、昨今よく報じられているコロナ関連死と「老衰死」についてであった。
 そのことについてもう一回書いてみたいと思う。

どこまで続くコロナ禍ぞ~専業ミュージシャンの苦境を憂う・続き2021年04月29日 06時31分47秒

★日本のフォークシンガーはコロナ危機を乗り越えられるか

 物心ついてからだけでも半世紀以上生きていると、モノゴト、世の中の移り変わりとは、まさに栄枯盛衰、次から次へと新たな流行が生まれ、またすぐに「時代遅れ」となって廃れていくことの繰り返しだと思い至る。
 そして日の光の下に真に新しいもの、真に変わらないものなど何もないと虚しくも思う。
 が、人が生きるとは、その生きていた「時代」の中だけのことなので、その時々の出来事、知る限りのことは記しておかねばならない。

 小・中学生の頃、ラジオの深夜放送で流れてきた「日本のフォークソング」と出会ってから、そう、かれこれ半世紀、50年が過ぎる。
 日本のフォークソング、以下「フォーク」は、関西フォークムーブメントに端を発し、70年前後に爆発的人気を若者たちに得ていた。
 中でも70年代前半、よしだたくろう、井上陽水という二大スターがメジャーシーンでヒット曲を連発するとそれまでの歌謡曲とは一線を画すフォークは、フォークギターと共に広く若者たちの必須必修必聴アイテムとなった。
 ひとつの流行、ファッションとして多くの若者たちが彼らに憧れ倣って自らもギターを手に取り拙くとも唄うことを試みた。

 かくいう、この我もそうであった。一陣最初は、質屋のショールームにぶら下がっていた白い中古ギターを父に請うて買ってもらったのだった。
 たぶんそれが1972年か73年頃のはずだから、その中坊の頃からちょうど半世紀に至るわけだ。感慨深い。※そして吉祥寺のぐゎらん堂で、実際のフォークシンガー、シバや友部の生のライブを観てますます夢中になったのだった。
 そうした音楽熱は、大学時代のロックバンドまで続いていた。
 以降途中、社会に出てしばらくは日本のフォークシーンと離れていた時期も長かったが、高田渡の死の前後から熱は再燃し、今の活動に至っていることは拙ブログでは何度も遂次そのときどきの経過と共に書いて来た。

 振り返れば、フォークは、一時期は広く若者たちに支持され人気もあったが、iユーミンらのニューミュージック勢の台頭、さらに70年代後半~80年代前半、サザンらの第一次バンドブームの頃からしだいに人気を失い、特に1980年代末~90年代前半「イカ天」からの第二次バンドブームの頃には、完全に「時代遅れ」のカッコ悪いものとなってしまった。
 バブル期とも重なるその頃になると、フォークソングは四畳半的な貧乏くさく何か薄汚くダサい過去のものでしかなく、フォークギターを街で下げてるだけでも指さされ笑われたほどであった。

 それが2000年前後から、洋楽のアンプラグドブームなどで生ギター、つまりアコ―ティステックサウンドが再注目されると我が日本のフォークも人気を持ち直すのだが、それはさておき、80年代から90年代の頃は、フォークシンガーにとってどん底の時代であったとよく聞く。
 多くのシンガーが当然ながら「うた」だけでは食べていけずに他の仕事、定職に就かざる得なかった。何しろ唄う場がそもそもないし、ライブハウスはあってもそこはバンドのための場で、フォークシンガーには客がつかない。
  天才シンガーソングライター西岡恭蔵が自死したのも1999年で、その死の直前のライブに行った人から聞いたが、彼ほどの人気シンガーでも観客は 2人だけだったとか。
 
 芸術、なかでも「うた」や音楽などでそもそも食って行くことは当然ながら難しいわけだが、まして時代の風向きが変わると、人はそうした音楽に関心は向けない。そこにはその時時の流行している音楽があるのだから。
 人はかつて若い頃によく聞いたヒットソングには、青春の思い出が関連するから懐メロとして聴くことはあっても、今のうたなどには誰も関心を持たないしそういうシンガーがいたとしても足を運ばない。

 むろん趣味として、音楽、ギターやうたを唄っている人は今も昔もいくらでもいる。公民館などの学習室では音楽サークル、ギターサークルなどの活動は全国各地で今も盛んである。
 今の時代は、アマチュアとプロの境などないに等しく、アマの人でもプロ並、それ以上のテクニックを持って居る人もたくさんいる。
 そもそもそんな区分けこそが意味がなく、要は、音楽だけで、それを専業の生業として生活している人についてなのである。

 詩の世界や文学などはそもそもそれで食える人などまず存在しないから、日本の詩人は皆、本業を持っているのは当然だから自費出版で詩集を出して活動している。作家も米国では皆ほとんどが大学やカレッジコースの講師だと聞く。
 日本のシンガー、ミュージシャンも同様に、趣味の活動として「うたや音楽」をすべきなのだろうか。芸術とはそもそもそういうものなのか。
 ひとそれぞれ活動の仕方は多様だから結論は出ないが、我は、このコロナ危機を、専業ミュージシャン、シンガーたちは何とか乗り切ってもらいたいと切に願う。
 いまは、彼らにとってバンドブームの頃以上のどん底、生活の危機なのである。

 今、あちこちの老舗の名店が、このコロナ禍で客足も減り営業が成り立たないとして店を閉めている。
 そこには経営的な問題よりも後継者がいないとか、自らも年老いて店も老朽化してきているので、ここらが「潮時」だというまた別の要因も関係しているようだ。そう、コロナはきっかけ、なのである。
 日本のフォークシンガーも今や、そうした老舗と同じくこのコロナ禍によって廃業の瀬戸際に立っている。
 異論もあろうが、我は、日本のフォークソングの灯を絶やさずに今も未来へと受け渡し繋いでいくのは、パートタイムのミュージシャンではなく、「フルタイム」の彼らだと信じている。

 彼らは政府の支援などは受けられない。だからこそ、おんがくを愛する我らは、コロナ禍で苦境に陥っている彼ら専業ミュージシャンに対して精いっぱいの「できること」をしなければならないのではないか。
 うたを生業として、豊田勇造のように、半世紀の長きにわたり唄い続けてきた偉大なシンガーたちに、この時代だからこそ正しくスポットライトが当たることを願ってやまない。

どこまで続くコロナ禍ぞ~専業ミュージシャンの苦境を憂う2021年04月28日 19時46分12秒

★豊田勇造ライブ@宮沢さん宅4/26日

 明治の代に、漫筆家斉藤緑雨は、いみじくも「筆は一本、箸は二本」と喝破していたが、いつの時代でも芸術というものは食えないもので、文学にしろ絵画にしろ、そして音楽にせよ、それを趣味とするならともかく、生業としてそれだけで食って行くことは難しいのは言うまでもない。※斉藤緑雨(さいとうりょくう)の言わんとするところは、食べるための箸は二本必要なのに、筆は1本しかないのだから、そもそも文学などで生活が出来るはずがない、という意味。
 昨年来のコロナウィルス感染拡大・蔓延により、今もまたまた「緊急事態宣言」下である。

 国民が上からの要請に従わないからいけないと我ら民に責任転嫁する以前に、菅政権や都や府、各県知事など為政者の施策が本当に効果があったのか、何度でも繰り返される感染拡大の波を見る限りまず問われるべきと考えるが、それはさておき。
 感染者がさらに増え続け医療が崩壊し死者がとれだけ増えようと、どんな状況であろうとも、まるでGHQバッハ会長の命令には抗えないから東京五輪は開催すると言うのだから、まさに狂気の沙汰である。自国民の命と健康よりもオリンピックというスポーツのお祭が優先される国って!?噴飯モノであろう。そんな政権を支持し五輪開催を心待ちにする人はそれはそれで見識だと呆れつつもカンシンするしかない。
 ともあれ、東京五輪開催ありき故、民には今もまた様々な自粛しろという「要請」という名の「強制」が政府や都から出されている。
 正直我はうんざりだ。もういい加減にしろと言いたい。

 このコロナ感染拡大と「自粛の嵐」で様々な業種が多大な影響を受けて企業や店舗ならば売り上げが減少し、結果として職を失う人も増え続けいる。収入も減少し住まい自体失う人も多いと聞く。
 ※医療従事者のご苦労と負担は今回あえてふれない。

 マスク業者?とかコロナ禍で儲かっている人も少しはいるのかと思いもするが、多くの国民がさまざまな不便と収入の減少、生活の困窮に悩み苦しんでいるものと我は想像する。
 じっさいこの我の古本稼業も、本などは、そもそも実用書以外、不要不急の傾向が強いものだから、特定給付金が出た頃はともかくも最近では注文がばったり途絶えている。たまにあったとしてもごく安い価格のものしか動かない。

 そして今いちばん我が気になるのは、観光業、居酒屋などもだが、音楽、イベント関連のライブハウスのような店舗や企業とミュージシャンやスタッフなど関係者たちのことだ。
 アルコールなどを提供するそうしたライブハウスは、軒並み「休業」要請が出たため、営業は「臨時休業」するしかない。
 スズメの涙ほどでもそれに対して協力金が出るならまだしも、ライブに出演する予定のミュージシャン、シンガーはどうであろう。彼に何らかの補償があるのか。

 店ならば前年度の売り上げなどにより、一定の額が算出もでるのかもしれないが、ミュージシャン、それもフリーランスの人はどうなのだろう。
 何らかの申請しお金が出たという話は寡聞にして訊いたことはないし、そもそもシンガー、ミュージシャンでそれだけで喰っている人、喰っていけていた人はどれほどいるのだろうか。
 我が知己を得たシンガーたちの多くは、専業ミュージシャンと言うべき人は数えるほどしかいない。

 専業というのは正しいかわからないが、うたや音楽活動以外に、大概の人は、別の「本業」を持っている。たとえば、介護ヘルパーや交通整理の誘導員であったりして、別に「定収」があってこそ、収入が不安定な音楽活動が成り立つわけである。
 しかしごく少ないが、音楽活動だけ、つまりシンガーならば、コンサート活動や自らのCD、物販の売り上げだけで、とにもかくにも生活している人たちも確かにいる。
 それは彼には熱烈なファンや支援者がいるということであり、つまるところ音楽だけで生活できる人気があるという証でもある。
 そうした人気ミュージシャン、シンガーの筆頭が、我らが豊田勇造であることは誰も異論はないだろう。

 しかし、このコロナウィルス感染拡大によって彼だけでなく専業のミュージシャンたちは、そうしたライブツアーそのものが困難となり、場としてのお店の休業要請、時短と客席数削減により大きなダメージを受け、専業ミュージシャンゆえ苦境に陥っているというのは広く知るところであった。
 ※この回、長くなってきたのでもう一回だけ続きます。

5月7日の「共謀コンサート」は予定通り開催いたします。2021年04月27日 23時47分52秒

さこ大介、甲府桜座のステージ
★東京五輪に倣って、どのような状況下でも万全のコロナ感染防止対策をもって「開催」します~ただし「原則無観客」として。

 菅政権や小池都知事たちは、どれほどコロナウィルス新規感染者が増加の一途となろうと、東京五輪だけは何としても開催するとの強い決意は変わらないようだ。その熱い思いで、もっと国民の福祉向上、全国民の所得アップ、貧困やあらゆる差別からの脱却をと願うが、それはさておき。
 ならば、我も彼らの五輪開催にかける熱意に敬意を表して、このタイヘンな状況でも何が何でも「共謀コンサート」は開催していくことにした。

 ただし、会場であるかけこみ亭は、「緊急事態宣言」の要請をうけ、アルコール類も出す店として臨時休業中とのことで、イベントも「原則無観客」で、ということだから、その上で5月9日は、先のお知らせしたメンバーで変更なく「開催」します。※生配信は、検討中。

 当日は、「観客」は無しとしますが、個人でライブの傍聴、立ち合いはかまいませんので、各自感染防止対策の上で来られる方は、私マスダ、もしくは店側にご連絡ください。
 開始時間なども無観客ですので早めることはなく、先の告知通りに午後5時半から開演いたします。

 希代のシンガーソングライター、さこ大介のかけこみ亭ステージはこれが最期となるかもしれません。お見逃しなく。

 詳しいことなどは、マスダ ℡ 090-8175-8479  かけこみ亭 042-574-3602 まで。

禁酒法と灯火管制を嗤い憤る2021年04月24日 10時17分46秒

★三度目の緊急事態宣言を受けて

 どうやらコロナウィルスとは、アルコール飲料と街の明かりで感染拡大するらしい。アルコールを飲ませなければ、夜の街を真っ暗にすれば感染拡大は抑えられる。貴方は、そう考えますか!?
 そんなバカなことは、子供だって思わない。が、小池都知事や菅政権の為政者たちは真面目にそう思い込んでいるらしい。
 呆れ果てた。頭がオカシイのではないか!!

先の「緊急事態宣言」から、「蔓延防止何タラ」やらしたものの、一月でまた再再度宣言「発出」となったのは、要するに為政者の判断が誤っているからなのである。
 何が何でも開催ありきの東京五輪に向けて、聖火リレーとかを決行し、感染予防の人心を緩めるという「誤ったメッセージ」を、昨年のGoToキャンぺーン同様に国が出すから、感染者はぶり返し増えていつまでたっても何度でも何度でも「緊急事態」が続くのである。

 そして今回は、明日25日から5月11日までの僅か17日間という短期間で、とれほど効果が現れて来るのか。
 多少感染者数は減少したとしても、またそこで解除してしまえば、また即、一か月もしないで、今回と同様の事態となろう。 
 今回、三回目の宣言はより厳しく短期間で効果を出すとして小池都知事は、酒類提供の飲食店の休業要請、イベントなどの原則無観客、さらに夜の街の明かりは、午後8時以降は消灯を要請して来た。

 この女性は何故か、コロナ発生当初から「夜の街」を目の敵にしていて、コロナ発生源は、そこだっ!と。そこへは行くな、利用するな、と飲食店やそこで働く人々を苦しめてきた。
 そしてついに今回もアルコールを提供する店は休業しろ、夜の街は明かりを消せと来た。
 むろんそういう場所から感染者やクラスターも出たことはあった。が、今は、各店舗万全の感染防止策はとっているからまずそうした事例は報じらないし、そもそもコロナは、日中だろうがいつでもどこでも人が集まる場所なら感染拡大するのである。
 図書館や映画館、劇場から、ましてデパートから感染するなんて事例は聞いたことはないし、それは人流抑制のためだとしても、ならば人はまた家や、路上、公園や河川敷などで集まって飲んだり食べたりするだけであろう。ゴールデンウイークの長い休みの期間、いったいどこで何をしていろと国は言うのか。家でじっとお茶飲みながら座禅ですか。
 アルコール飲料が発生元ならば、いっそコンビニでもどこでも一切アルコール類はとうぶんの期間は販売停止とすれば良いでないか。

 そもそも自分たち為政者の対応の遅れ、失態、判断の遅れに反省することなく、要請を守らない都民が、国民が悪いからと責任を押し付け、またさらに抑圧的手段に出て来るとは、まさにはらわたが煮えくり返る。
 国民は何も悪くない。この一年ずっと政府や医師会の言うことを粛々と言いなりに守って来たではないか。特に、これ以上飲食店を苛め苦しめて、彼らに責があるとするのは絶対に許せない!!!

 はっきり言う。このままでは永遠に感染者は減らない。医療体制は逼迫、崩壊する。よって何度でも何度でも緊急事態宣言は繰り返し出される。いったいいつまで「自粛」すれば良いのだろうか。我慢にもほどがあろう。
 もう誰も政府や都知事の言うことは聞かなくなる。感染者、死者はさらに爆発的に増え続ける。

 それでもバッハ会長が決めることだからと、五輪開催は変更ないと、強行、いや、狂行するのならば、この国はコロナウイルスではなく、為政者、つまり自公政権によって崩壊・滅亡していくことは間違いない。
 やがて生き残った人々はこう呟くはずだ。悪夢のような安倍・菅政権時代だったと。

 さて、では5月9日の「共謀コンサート」、どうしたものか、今思案中だ。近くお知らせする。

どうしようもない人生だが2021年04月19日 19時44分13秒

★そのことをうたにしてみた。

         バカのうた  詞 マスダ 曲 三造


淋しさには名前がないと 誰かが言うけれど
愚かさにはしっかり名前がある
それはバカ どうしようもないバカ
何度でも過ちを繰り返すバカ
バカ バカ バカ バカ バカ バカ それが俺
救いようもない どうしようもない
愚かさには出口がないと 誰かが言うけれど
愚かさを抱えて ともかく生きていく

もう少し賢く 生きていきていきたいと願うけど
何故だかいつでも バカなことをしでかしてしまう
だってバカ どうしようもないバカ
何度でも懲りずに繰り返す バカ
バカ バカ バカ バカ バカ バカ それが俺
救いようもない どうしようもない だけど
愚かさに向き合い ともかく生きていく
愚かさを抱えて ともかく生きていく
バカだから
バカだからこそ

持続可能な人生を生きていくために2021年04月18日 08時52分22秒

★老いには老いの憂いあり

 昨日17日、土曜日は、雨が朝から断続的に終日降り続き、特に夜になってからは夜半までかなり強くたっぷり降った。
 今、日曜の朝は、雨も上がり強い陽射しが出て濡れた街並みを照らしている。空は雲ひとつなく降り続いた雨ですべてが綺麗に洗い流された感がある。
 ひんやりしているが晴れて雨後の瑞々しい気持ちの良い朝だ。開けた窓からは爽やかな風が吹き込んでくる。

 昨日は、日中も雨の音を聴きながらひたすら眠り続け、昨夜も夜中まで起きることなくたっぷり眠ったのでやっと頭も気持ちもようやくスッキリした。
 16日のかけこみ亭のイベントに次回の「共謀コンサート」のチラシを持っていくため、木曜から作成に取り掛かってたのだが、父も施設から帰宅し在宅だったことと、金曜の昼過ぎには訪問介護があったり、ともかく他のやらねばならぬことも多々あってともかく慌ただしかった。
 
 いつもの金曜は、その父は、終日家に居てウチで一泊し、翌土曜の朝にまた介護施設に送り出すのだが、16日はその金曜の夜開催のイベントだったので、けっきょく施設に無理言って前倒しで夕方から父を預かってもらうことにした。
 一泊多くの利用となるため、また利用料はかさむが仕方ない。父を一人で家に残しておくと何をしでかすかわからず、おちおちライブなど楽しめない。徘徊も火の元も猫たちのことも心配となる。
 その夕方、父を車で施設に連れて行き、それから大慌てで荷物まとめて即急で印刷したばかりのチラシも持ってかけこみ亭に向かったのだった。

 そのイベント、感想などは先に別項で書いたので割愛するが、数年ぶりにシバや村上律氏、のろの加藤さん他、敬愛する方々とお会いできお話もしほんとうに懐かしく嬉しかった。
 お互いさまと言えば、この我もだが、皆またさらに以前より少し老いた感もあり、この先いつまた会えるかも定かではなく感慨深いものがあった。そう、60代、70代ともなると、皆さん元気そうに見えたとしても先のことは何もわからずまさに一期一会の思いが強くわいてくる。

 そろそろ人生の終演の時期にさしかかり、残りの時間はあとどのくらいあるのか、誰もがその長さを勝手に予測、想定しながら、「その中」で何をどれだけ、どうすべきか手探りで模索している感がある。
 若いときは、時間はたっぷりそこにあり、常にいつでも明日は来るし、人生はこの先も続いていくと「確信」もあるから、ある意味、先のコトは考えず、その日その時、思いのまま刹那的にも生きられる。
 また、我はともかく誰もが人生設計のようなものも立てる。どう生きていくか、ということはまさに若き日の目的・主題であろう。

 が、誰もが相応に老いて、還暦を越したあたりからは、主題は、どう生きるかではなく、どう死ぬか、どう死んで行くか、という自らの終末の有様に移っていく。
 本当に日々刹那的、無計画に、まさに「アリとキリギリスの寓話」中のキリギリス的に生きてきたこの我でさえもこのところよくそのことを考えるようになった。
 人生が二度あればとか、あの日に帰りたい、若い頃に戻りたいとかは考えても意味がない。
 人生は一度きりで、イエスが説いたように「永遠の命」があるとしても、ともかくこの今皆と生きている人生、つまり現世はこれだけ、ここで終わりなのである。

 世界はこの先もある意味、永遠に続いていくが、死んでしまえば死んだ人はそこで終わりで、百年もすれば同時代的な人たちも皆すべて死に絶えて、何もかも消えてなくなり、そこにそんな人たちが生きていたことすら誰一人知る人はない。
 古代ローマの遺跡は今も残って、当時の人たちの暮らしは窺い知れるが、そのときそこには実際どんな人が生きていたのかその個々の姿はもはや誰もわからない。

 断捨離とか考える以前に、我は、自らの人生の「店じまい」について、さてどうしていくべきかさすがにこのところ考えるようになった。
 妻や子、子孫がいる方は、幸運、幸福なのである。自らにある日突然不測の事態が起きたとしても、彼ら家族が対応してくれて事後処理もしてくれよう。
 死後に家族を煩わせたくないとかよく聞くが、その家族をつくり養い守り育ててきたのだから、彼らはその恩に報いるためにもそれは当然なのである。それを拒み厭う者は恩知らずの人でなしであろう。

 我にはそれらはいない。今も昔も一人者だから。そして今さらながら結婚したいとか老後のパートナーが欲しいなんて気持ちもさらさらない。
 とことん自分勝手に生きてきたのだから、一人のほうが今も昔も心地がいい。我にとって人生とは=生活であり、生活とは自分だけのものだ。むろん友達や気の合う仲間は求めるし、多いに越したことはないのは当然だが。
 父を看取った後、ではどう生きていくのか、いや、どう死んで行くか、真剣に考えるときが来ている。
 ただ、まずは、そのためにもそのときまで、いかにこのどうしようもない人生を「持続可能」なものにしていくかだ。