ごめんなさい。また通信回線、機器の故障中 ― 2026年09月07日 06時19分33秒
★ご心配おかけしてます。
今、これはスマホから送信中です。
この春先からずっと懸案だった、近所に借りていた倉庫にしていた物置小屋の片づけ、本や雑誌の撤収は、8月末日をもって終わりました。ともかく忙しかった。
今月1日から解体工事が始まり、やっとこれで落ち着いて当ブログで報告の更新ができると思い、パソコンに向かおうとしたら、また猫たちに通信機器を落とされ、通電できなくなってインターネットに接続できません。
NTTの故障受け付けに連絡して、できるだけ早急に再開しますので、もうしばらくお待ちください🙏
今、これはスマホから送信中です。
この春先からずっと懸案だった、近所に借りていた倉庫にしていた物置小屋の片づけ、本や雑誌の撤収は、8月末日をもって終わりました。ともかく忙しかった。
今月1日から解体工事が始まり、やっとこれで落ち着いて当ブログで報告の更新ができると思い、パソコンに向かおうとしたら、また猫たちに通信機器を落とされ、通電できなくなってインターネットに接続できません。
NTTの故障受け付けに連絡して、できるだけ早急に再開しますので、もうしばらくお待ちください🙏
病院通いが続いてましたが ― 2026年07月29日 13時46分53秒
★またまた更新遅れて申し訳ない
このところの猛暑、酷暑の最中、まだひたすら借りてて撤収しないとならない物置小屋の片づけに追われていたら、あちこち身体も不備不調起こして、このところ指と目の病院通いが続いていた。
その他、いくつかどうしても顔出さねばならないライブもあって、パソコンに向き合う時間が取れず、拙ブログまたまた更新が遅れてしまっていた。心配された方、ごめんなさい。
いろいろ報告いたしたいことも多々あるけれど、病は治るもの、治りつつある伏態のもの、そしてもう治らないものもあるけれど、とりあえず全て診断がついたので今は心は落ちついている。起こったことは仕方ない。受け容れていくしかない。
しかし、このオレが、この俺がですよ、こんなことになるなんて、亡き山田五郎の謂いではないが、まさに信じられない気持ちで今もいる。
が、彼のように帰天したのではないわけで、ほぼ同世代、同時代を生きたものとして、まだまだもう少し、彼の分もがんばらねばと誓うところだ。
そう、今頃は、山田五郎、イエスの右の座に寄り添い、彼のボーダイな蘊蓄を主にわかりやすく語り続けていることだろう。その姿が目に浮かぶ。
何があろうと人生は続くし、続けていかねばならない。どんなに大変でも面倒でももう少し生きていこう。
今日は、敬愛する館野公一さんのソロライブに、亀有まで出向く。今月末までまだ忙しいが、月末か月があけたらまた詳しく更新します。
昨日一昨日と、東京は曇ってやや気温が低く過しやすかったけど、今日は久しぶりに朝から晴れて、強い陽射しに気温はうなぎ上り。
皆様ご自愛ください。がんばります。
このところの猛暑、酷暑の最中、まだひたすら借りてて撤収しないとならない物置小屋の片づけに追われていたら、あちこち身体も不備不調起こして、このところ指と目の病院通いが続いていた。
その他、いくつかどうしても顔出さねばならないライブもあって、パソコンに向き合う時間が取れず、拙ブログまたまた更新が遅れてしまっていた。心配された方、ごめんなさい。
いろいろ報告いたしたいことも多々あるけれど、病は治るもの、治りつつある伏態のもの、そしてもう治らないものもあるけれど、とりあえず全て診断がついたので今は心は落ちついている。起こったことは仕方ない。受け容れていくしかない。
しかし、このオレが、この俺がですよ、こんなことになるなんて、亡き山田五郎の謂いではないが、まさに信じられない気持ちで今もいる。
が、彼のように帰天したのではないわけで、ほぼ同世代、同時代を生きたものとして、まだまだもう少し、彼の分もがんばらねばと誓うところだ。
そう、今頃は、山田五郎、イエスの右の座に寄り添い、彼のボーダイな蘊蓄を主にわかりやすく語り続けていることだろう。その姿が目に浮かぶ。
何があろうと人生は続くし、続けていかねばならない。どんなに大変でも面倒でももう少し生きていこう。
今日は、敬愛する館野公一さんのソロライブに、亀有まで出向く。今月末までまだ忙しいが、月末か月があけたらまた詳しく更新します。
昨日一昨日と、東京は曇ってやや気温が低く過しやすかったけど、今日は久しぶりに朝から晴れて、強い陽射しに気温はうなぎ上り。
皆様ご自愛ください。がんばります。
大変でない「人生」はないだろうが・・・ ― 2026年06月03日 13時41分51秒
★6月に入りました。まずは近況報告から
季節外れの台風が来ている。
ここ多摩地区は、海から離れているから風はさほどではないものの、雨はかなり沢山激しく降った。いや、今もまだしとしと降り続いている。
しかし、このところ異常な好天続きで、真夏のような陽射しで大地はカラカラになっていたから、久しぶりのかなりの大雨は生き物全てにとって恵みの到来となったに違いない。まさに天の配剤である。
さて、ネットへの回線は回復したのに拙ブログ、なかなか更新できなかったのは、ともかく連日慌ただしく多忙すぎてその時間が全くとれなかったからだ。
先月は、山梨の倉庫にも二回行ったし、老犬のベルコにまた今年新たにできた肩のコブ、つまり腫瘍の排膿治療にも二回通い、さらに友人も招いて、庭の高木ケヤキの伸びてきた新芽の枝降し、加えて未だ近くに借りている物置小屋の中に残っていた古本古雑誌の片づけ作業にも追われていた。先々月から何回やったことか。しかしまだ終わらない。
それらについて詳しく記す前に最近つくづく思うのは、人生の大変さについてだ。
誰にとっても大変でない人生なんて無い、というのが我の考え方で、昔も今もそう信ずるが、肝心なのは、そのタイヘンが、つまり大変なときがいつその人にやってくるか、起こるかなのだ。
それについては稿を新たにまた書き足したいと思うが、我においては、まさかこの歳になって、つまり70歳目前となってこんなに大変なことが次々起こるとは思っていなかった。
いや、親たちが死んでいく頃から、うすうすと予想はしてたし、その覚悟も少しはできてると思ってた。
が、元来のノンキ者で何事も深く真剣に、計画たてて考えられないニンゲンだから、植木等のうたのように、そのうち何とかなるだろう~と浅はかに気軽に考えていた。
いま様々なトラブルに囲まれ逼迫した状況に陥って、まさに苦難困難の最中にあるのだが、すべては我の人間的欠陥、脳の機能障害、性格破綻などからのまさに不徳が招いたことだし自業自得と言うしかないとしても、さすがにこの歳で次々とトラブルに見舞われるとさすがにツライ。
それでも多くの物と生き物を抱えているからこそ、死なないよう生き続けていかねばならないし、欲深い我にはまだやりたいことがある。
子のない我だからこそ、きちんと後世に残したいものもある。
まずは、我の思いをうたに、拙くてもカタチにして、今月14日の「共謀コンサート」で表したいと願う。そう、思いはいくらあっても、心に秘めていたのでは誰にも伝わらないし届かない。
外に出していかなくてはならない。その意味でもこのブログやフェイスブックなどで、伝えたい、伝えるべきことを発信していかねばならない。
※ネットは、先日、接続機器を交換して以来、サクサク繋がるようになったのですが、やはりパソコンが旧いので、一度書き込むと不具合が起きて変更したものに変更できないので、続きはまた新たに更新書き込みします。
季節外れの台風が来ている。
ここ多摩地区は、海から離れているから風はさほどではないものの、雨はかなり沢山激しく降った。いや、今もまだしとしと降り続いている。
しかし、このところ異常な好天続きで、真夏のような陽射しで大地はカラカラになっていたから、久しぶりのかなりの大雨は生き物全てにとって恵みの到来となったに違いない。まさに天の配剤である。
さて、ネットへの回線は回復したのに拙ブログ、なかなか更新できなかったのは、ともかく連日慌ただしく多忙すぎてその時間が全くとれなかったからだ。
先月は、山梨の倉庫にも二回行ったし、老犬のベルコにまた今年新たにできた肩のコブ、つまり腫瘍の排膿治療にも二回通い、さらに友人も招いて、庭の高木ケヤキの伸びてきた新芽の枝降し、加えて未だ近くに借りている物置小屋の中に残っていた古本古雑誌の片づけ作業にも追われていた。先々月から何回やったことか。しかしまだ終わらない。
それらについて詳しく記す前に最近つくづく思うのは、人生の大変さについてだ。
誰にとっても大変でない人生なんて無い、というのが我の考え方で、昔も今もそう信ずるが、肝心なのは、そのタイヘンが、つまり大変なときがいつその人にやってくるか、起こるかなのだ。
それについては稿を新たにまた書き足したいと思うが、我においては、まさかこの歳になって、つまり70歳目前となってこんなに大変なことが次々起こるとは思っていなかった。
いや、親たちが死んでいく頃から、うすうすと予想はしてたし、その覚悟も少しはできてると思ってた。
が、元来のノンキ者で何事も深く真剣に、計画たてて考えられないニンゲンだから、植木等のうたのように、そのうち何とかなるだろう~と浅はかに気軽に考えていた。
いま様々なトラブルに囲まれ逼迫した状況に陥って、まさに苦難困難の最中にあるのだが、すべては我の人間的欠陥、脳の機能障害、性格破綻などからのまさに不徳が招いたことだし自業自得と言うしかないとしても、さすがにこの歳で次々とトラブルに見舞われるとさすがにツライ。
それでも多くの物と生き物を抱えているからこそ、死なないよう生き続けていかねばならないし、欲深い我にはまだやりたいことがある。
子のない我だからこそ、きちんと後世に残したいものもある。
まずは、我の思いをうたに、拙くてもカタチにして、今月14日の「共謀コンサート」で表したいと願う。そう、思いはいくらあっても、心に秘めていたのでは誰にも伝わらないし届かない。
外に出していかなくてはならない。その意味でもこのブログやフェイスブックなどで、伝えたい、伝えるべきことを発信していかねばならない。
※ネットは、先日、接続機器を交換して以来、サクサク繋がるようになったのですが、やはりパソコンが旧いので、一度書き込むと不具合が起きて変更したものに変更できないので、続きはまた新たに更新書き込みします。
やっとフェイスブックに宣伝告知できた。 ― 2026年05月15日 14時11分20秒
★コンサートまであと一か月。
というわけで、まだ旧いパソコンからでも通信環境が新たに改善されたらすごく更新が早くなった。
フェイスブックも、投稿のためのページが変わったのか、なかなか書き込み投稿が開けずにいたが、先ほどやっとアップできたと思う。
それと、今回の機器交換騒動で良かったことはもう一つ、プロバイダと連絡して、このブログのパスワードが「再発見」できたことだ。
この旧いパソコンからだと、もう初めから設定されているから、いちいちそのパスワードを入力しなくてもすぐに拙ブログは書き込みしてすぐさま更新ができる。
が、他のパソコンからだとまずそのパスワードを入れて設定しないと書き込むことも更新はできない。
しかし、そのパスワードは、非表示で自分でも読めないし、以前は、それをきんちとメモして壁に貼っておいたのを、いつしかバカ猫たちに破られ落とされて紛失、自分でもわからくなっていたのだ。
それが今回、プロバイダーからの指示でこのパソコン内に保存してあったところから「発見」でき、試しに自分のスマホからアクセスして送信してみた。
そしたら、きちんと当ページに届き、表示されている。
これならば、パソコンを新しくしてもすぐにそこからブログは再開できるわけだし、場合によっては、パソコンがなくてもスマホから書き込むことも可能なのだ。※ただ、指で一文字づつ打ち込むのは面倒だから、基本はそこからは更新はしないつもり。
確認したらば、この朝日ネットの拙ブログ、アサブロを始めたのが、2010年のことらしいので、今年で丸々15年だ。
よく失われた○○年という言葉を耳にするけれど、考えてみると、我はこの15年、まさにずっと様々なものを失い続けて今ここに至ったのだと気づく。
母も父もその頃は健在だったのに、もう二人とも鬼籍に入ってるし、家電類もほぼすべて次々故障交換となってしまった。※交換できてないものは今も不具合中。
そしてついに、今回ネットと我を繋ぐ通信機器も壊れて交換となったしだいだ。
思えば生活も人生も金もモノも時間も多くのものを失ってしまった。
いま改めて、失ったものを今さらまた取り戻したいなどとは考えないが、ようやくまたここから我が人生、生活や仕事も含めて再び動き出していく予感がしている。
がんばりたい。そして良い報告いたしたい。
そう、まだまだ人生は続くはずだし、続けていかなくてはならないのだ。
というわけで、まだ旧いパソコンからでも通信環境が新たに改善されたらすごく更新が早くなった。
フェイスブックも、投稿のためのページが変わったのか、なかなか書き込み投稿が開けずにいたが、先ほどやっとアップできたと思う。
それと、今回の機器交換騒動で良かったことはもう一つ、プロバイダと連絡して、このブログのパスワードが「再発見」できたことだ。
この旧いパソコンからだと、もう初めから設定されているから、いちいちそのパスワードを入力しなくてもすぐに拙ブログは書き込みしてすぐさま更新ができる。
が、他のパソコンからだとまずそのパスワードを入れて設定しないと書き込むことも更新はできない。
しかし、そのパスワードは、非表示で自分でも読めないし、以前は、それをきんちとメモして壁に貼っておいたのを、いつしかバカ猫たちに破られ落とされて紛失、自分でもわからくなっていたのだ。
それが今回、プロバイダーからの指示でこのパソコン内に保存してあったところから「発見」でき、試しに自分のスマホからアクセスして送信してみた。
そしたら、きちんと当ページに届き、表示されている。
これならば、パソコンを新しくしてもすぐにそこからブログは再開できるわけだし、場合によっては、パソコンがなくてもスマホから書き込むことも可能なのだ。※ただ、指で一文字づつ打ち込むのは面倒だから、基本はそこからは更新はしないつもり。
確認したらば、この朝日ネットの拙ブログ、アサブロを始めたのが、2010年のことらしいので、今年で丸々15年だ。
よく失われた○○年という言葉を耳にするけれど、考えてみると、我はこの15年、まさにずっと様々なものを失い続けて今ここに至ったのだと気づく。
母も父もその頃は健在だったのに、もう二人とも鬼籍に入ってるし、家電類もほぼすべて次々故障交換となってしまった。※交換できてないものは今も不具合中。
そしてついに、今回ネットと我を繋ぐ通信機器も壊れて交換となったしだいだ。
思えば生活も人生も金もモノも時間も多くのものを失ってしまった。
いま改めて、失ったものを今さらまた取り戻したいなどとは考えないが、ようやくまたここから我が人生、生活や仕事も含めて再び動き出していく予感がしている。
がんばりたい。そして良い報告いたしたい。
そう、まだまだ人生は続くはずだし、続けていかなくてはならないのだ。
スマホから送信中 ― 2026年05月13日 22時46分45秒
テスト送信です。
4月に入りました。 ― 2026年04月01日 23時43分39秒
★今月中に何としても道筋をつけていく!
時のたつのはまさに光陰矢の如し、年明けしたと思ったら早くも四分の一の三か月が過ぎて、いよいよ春本番の四月である。
相変わらず更新が遅れ、まだパソコンも旧のままで申し訳ない。
何としても先月内に、パソコンも新たなものに替えて、ネット環境もすぐに立ち上げ、アクセスできるよう設定したかったのだが、相変わらず猫や犬の世話やら庭先の片づけなど雑事に追われて疲れ果てて、なかなか自らのこと、実人生に向き合えないでいる。
が、ようやく新パソコン設置環境は整ったので、近く設置・設定できるかと思う。ともかく今のパソコンでは、立ち上がりも遅く不具合が多発して当ブログすらおちおち安心して記すことが出来やしない。
実は、6月の「再開!!共謀コンサート」とは別に、どうしてもその前には片づけなくてはならない案件を抱えていて、そのリミットが5月末迄なので、時間は二か月しかなく、今月こそが勝負の月となる。
何としても今月中に、メド、目安をつけないとタイムリミットが来てしまのである。
詳しいことはまた後ほど説明します。
それと、懸案の「太田三造初CD」製作のほうも、このままでは、やるやる詐欺ではないか、と疑念持つ方も出てしまうので、ほんとうにまず録音に向けて舵を切らねばならない。
収録する曲目とか、アレンジとか全体のイメージは、既にほぼ考えてあるのだけれど、ともかく録音に向けての作業をどうやっていくか、だ。
先だって年下ながら畏友と思える、才能あるシンガーソングライターの五十嵐さんとお話しして、彼のCD作成方法を教わり、我も自らまずライブの場からミキサーレコーダーなる機器に、太田さんの唄を録音していこうと考えた。
当初はかつての経験から、やはりまずスタジオを借りて録音エンジニアに頼みきちんと録音していくことを想定していたが、太田さんご自身が多忙なのと、彼の場合は、基本ソロシンガーなのだから、何もわざわざ一人スタジオで録る意味はあまりないことに思い至った。
しかも彼はあまり唄に関してミスや狂い、不出来はまずない人だから、毎月のじみへん他のライブの場で録音していき、その中でも最良のバージョンを選び、マスタリングにもっていけば良いかと考えている。
むろん、他のミュージシャンのサポートが要る楽曲は、また別にスタジオ的な場を設けないとならないかと思うが、ともかくまずはそのレコーダ―に録音していくことからだ。
まだそのミキサーレコーダーは入手していないが、さほど高くはないと思うので、来月分の支払い、引き落としが確定したら購入を予定している。
我の体調は相変わらず、季節の変わり目で、毎度の寒暖差アレルギーのようなものが出て、寒気がしたかと思うと汗が噴き出て止まらなかったり不安定で苦しいが、今は気分は悪くないどころか高揚している。
CD、が今年中に完成できるかはともかく、少しでもアクションを起こして進めていくことだ。
今思うのは、全てにおいて、「まだ間に合う、まだできる、思いはきっとかなう」、と自らに言い聞かせている。
ともかく今月内に、残り今年一年の「道筋」をつけていく。
時のたつのはまさに光陰矢の如し、年明けしたと思ったら早くも四分の一の三か月が過ぎて、いよいよ春本番の四月である。
相変わらず更新が遅れ、まだパソコンも旧のままで申し訳ない。
何としても先月内に、パソコンも新たなものに替えて、ネット環境もすぐに立ち上げ、アクセスできるよう設定したかったのだが、相変わらず猫や犬の世話やら庭先の片づけなど雑事に追われて疲れ果てて、なかなか自らのこと、実人生に向き合えないでいる。
が、ようやく新パソコン設置環境は整ったので、近く設置・設定できるかと思う。ともかく今のパソコンでは、立ち上がりも遅く不具合が多発して当ブログすらおちおち安心して記すことが出来やしない。
実は、6月の「再開!!共謀コンサート」とは別に、どうしてもその前には片づけなくてはならない案件を抱えていて、そのリミットが5月末迄なので、時間は二か月しかなく、今月こそが勝負の月となる。
何としても今月中に、メド、目安をつけないとタイムリミットが来てしまのである。
詳しいことはまた後ほど説明します。
それと、懸案の「太田三造初CD」製作のほうも、このままでは、やるやる詐欺ではないか、と疑念持つ方も出てしまうので、ほんとうにまず録音に向けて舵を切らねばならない。
収録する曲目とか、アレンジとか全体のイメージは、既にほぼ考えてあるのだけれど、ともかく録音に向けての作業をどうやっていくか、だ。
先だって年下ながら畏友と思える、才能あるシンガーソングライターの五十嵐さんとお話しして、彼のCD作成方法を教わり、我も自らまずライブの場からミキサーレコーダーなる機器に、太田さんの唄を録音していこうと考えた。
当初はかつての経験から、やはりまずスタジオを借りて録音エンジニアに頼みきちんと録音していくことを想定していたが、太田さんご自身が多忙なのと、彼の場合は、基本ソロシンガーなのだから、何もわざわざ一人スタジオで録る意味はあまりないことに思い至った。
しかも彼はあまり唄に関してミスや狂い、不出来はまずない人だから、毎月のじみへん他のライブの場で録音していき、その中でも最良のバージョンを選び、マスタリングにもっていけば良いかと考えている。
むろん、他のミュージシャンのサポートが要る楽曲は、また別にスタジオ的な場を設けないとならないかと思うが、ともかくまずはそのレコーダ―に録音していくことからだ。
まだそのミキサーレコーダーは入手していないが、さほど高くはないと思うので、来月分の支払い、引き落としが確定したら購入を予定している。
我の体調は相変わらず、季節の変わり目で、毎度の寒暖差アレルギーのようなものが出て、寒気がしたかと思うと汗が噴き出て止まらなかったり不安定で苦しいが、今は気分は悪くないどころか高揚している。
CD、が今年中に完成できるかはともかく、少しでもアクションを起こして進めていくことだ。
今思うのは、全てにおいて、「まだ間に合う、まだできる、思いはきっとかなう」、と自らに言い聞かせている。
ともかく今月内に、残り今年一年の「道筋」をつけていく。
最低最悪の年が間もなく終わる② ― 2025年12月31日 12時18分38秒
★それから懸命の新たな中古車探しに追われた。
運転がとてつもなくヘタで、事故ばかり起こしている我だけれど、やはりクルマがないと山梨の倉庫にも行けなので非常に困る。
古本稼業はもう終わりにするとしても、まだまだボーダイな本や雑誌を抱えてる身としては、運搬作業にはクルマがないとまさに身動きがとれない。
これまでずっと使ってきたワンボックスタイプの軽ではない、小型車も考えたが、積載量のことを思うと軽のバンでなくてはならず、それも経済事情を思うと、せいぜい40万円ぐらいまでのしか出せない。
しかも車検が切れる期日は、一週間後の12月27日なのである。果たして短期間でこちらの条件や都合にかなう中古車がみつかるだろうか。
あちこちの中古車展示場も回ってみた。が、今はどこもそうした軽バンは出てなく、立川のスバルのディラーがやってる大きな展示場で訊いたら、いまは軽のバンタイプは入って来てもすぐに売れてしまう、とのことで結局はネット検索に頼るしかなかった。それならたくさんヒットする。
が、安くて状態が良くても販売店を見ると、関西方面だったりしたり、バカ安でも走行距離が20万キロ近くだったりと、近場でこちらが願う条件のクルマはみつからない。
※クルマだけは、Amazonで画像だけでポチるようなわけにはいかないだろう。やはりじっさいに現物を見て状態を確認して、できれば試乗してみないと決められない。
そう、今は、街で見かける宅配便などの配達は、みなこうした軽バンだから、現在も新車が作られ販売されているのかは不明だが、中古の軽パンは今すごく人気で払底していることがわかってきた。
が、神は我を見捨てじ、ひたすらネットで探していたら、青梅のほうの自動車販売店で、二台我が条件に合う中古の軽パンが出ているのが見つかった。青梅ならクルマで行くのにそう遠くない。
で、さっそく犬のベルコも載せてそこの展示場に出向いた。
青梅と言ってもかなり奥地で市街地ではなく片道一時間近くかかり、なかなかわかりにくい場所だったがスマホのナビ頼りに辿り着けた。
ネットに出ていた二台のうち、一台のスバルのサンバーは、かなりヘタっていて、う~む、という感じだったが、もう一台のスズキのエブリイは、わりとキレイで、かつ走行距離も短く、良い状態だった。心動かされた。値段はどちらも総額40万~である。
ただ、エブリイは車検切れで、整備も含めると完パケでの渡しは来年1月、早くても10日頃になるとのことで、今ここで即決するべきか迷った。
今ここですぐに決めずにもう少しネットで探してあちこち回ってみるべきか? 車検が切れる年末27日までにもっと良いのが見つけられるのか?
が、なかなか軽バンの中古は今は出回っていないし、出てもすぐさま売れてしまうことを知ったので、迷い不安に思う気持ちもなくはなかったが、そこのスズキのに決めることにして、後日また今のバモスでもう一度訪れてきちんと契約する事にした。車検をとるには我の住民票も必要だとのこと。
そして、22日の月曜日に、廃車にするバモスの中のもの一切合切を全部車から出して、住民票持って犬は乗せずに再び青梅に向かった。代金は友人から借りた金で何とか工面できた。そして手続きし終えた。
交換したばかりのタイヤやバッテリーは、そのエブリイに合うならば付け替えてくれるとのことだった。
満身創痍状態のバモスをそこに置いて、青梅線の近い駅、二俣尾まで歩き無人駅のホームのベンチで駅前のセブンイレブンで買った缶チューハイで唐揚げ棒を食べてささやかな祝宴をあげた。午後の陽射しが暖かい。ホームには誰もいない。
そのときかなり疲れ果てていることに気がついた。ともかくこれで車の騒動のほうは何とか解決したのだ。もう頭悩まさなくて済む。ようやく懸案の難題が一つ終わった。
これで、やっと夜も深く眠れるだろう。
が、一難去ってまた一難。その晩またもや新たなトラブルが我を襲った。※後ほど別稿で宝庫します。
運転がとてつもなくヘタで、事故ばかり起こしている我だけれど、やはりクルマがないと山梨の倉庫にも行けなので非常に困る。
古本稼業はもう終わりにするとしても、まだまだボーダイな本や雑誌を抱えてる身としては、運搬作業にはクルマがないとまさに身動きがとれない。
これまでずっと使ってきたワンボックスタイプの軽ではない、小型車も考えたが、積載量のことを思うと軽のバンでなくてはならず、それも経済事情を思うと、せいぜい40万円ぐらいまでのしか出せない。
しかも車検が切れる期日は、一週間後の12月27日なのである。果たして短期間でこちらの条件や都合にかなう中古車がみつかるだろうか。
あちこちの中古車展示場も回ってみた。が、今はどこもそうした軽バンは出てなく、立川のスバルのディラーがやってる大きな展示場で訊いたら、いまは軽のバンタイプは入って来てもすぐに売れてしまう、とのことで結局はネット検索に頼るしかなかった。それならたくさんヒットする。
が、安くて状態が良くても販売店を見ると、関西方面だったりしたり、バカ安でも走行距離が20万キロ近くだったりと、近場でこちらが願う条件のクルマはみつからない。
※クルマだけは、Amazonで画像だけでポチるようなわけにはいかないだろう。やはりじっさいに現物を見て状態を確認して、できれば試乗してみないと決められない。
そう、今は、街で見かける宅配便などの配達は、みなこうした軽バンだから、現在も新車が作られ販売されているのかは不明だが、中古の軽パンは今すごく人気で払底していることがわかってきた。
が、神は我を見捨てじ、ひたすらネットで探していたら、青梅のほうの自動車販売店で、二台我が条件に合う中古の軽パンが出ているのが見つかった。青梅ならクルマで行くのにそう遠くない。
で、さっそく犬のベルコも載せてそこの展示場に出向いた。
青梅と言ってもかなり奥地で市街地ではなく片道一時間近くかかり、なかなかわかりにくい場所だったがスマホのナビ頼りに辿り着けた。
ネットに出ていた二台のうち、一台のスバルのサンバーは、かなりヘタっていて、う~む、という感じだったが、もう一台のスズキのエブリイは、わりとキレイで、かつ走行距離も短く、良い状態だった。心動かされた。値段はどちらも総額40万~である。
ただ、エブリイは車検切れで、整備も含めると完パケでの渡しは来年1月、早くても10日頃になるとのことで、今ここで即決するべきか迷った。
今ここですぐに決めずにもう少しネットで探してあちこち回ってみるべきか? 車検が切れる年末27日までにもっと良いのが見つけられるのか?
が、なかなか軽バンの中古は今は出回っていないし、出てもすぐさま売れてしまうことを知ったので、迷い不安に思う気持ちもなくはなかったが、そこのスズキのに決めることにして、後日また今のバモスでもう一度訪れてきちんと契約する事にした。車検をとるには我の住民票も必要だとのこと。
そして、22日の月曜日に、廃車にするバモスの中のもの一切合切を全部車から出して、住民票持って犬は乗せずに再び青梅に向かった。代金は友人から借りた金で何とか工面できた。そして手続きし終えた。
交換したばかりのタイヤやバッテリーは、そのエブリイに合うならば付け替えてくれるとのことだった。
満身創痍状態のバモスをそこに置いて、青梅線の近い駅、二俣尾まで歩き無人駅のホームのベンチで駅前のセブンイレブンで買った缶チューハイで唐揚げ棒を食べてささやかな祝宴をあげた。午後の陽射しが暖かい。ホームには誰もいない。
そのときかなり疲れ果てていることに気がついた。ともかくこれで車の騒動のほうは何とか解決したのだ。もう頭悩まさなくて済む。ようやく懸案の難題が一つ終わった。
これで、やっと夜も深く眠れるだろう。
が、一難去ってまた一難。その晩またもや新たなトラブルが我を襲った。※後ほど別稿で宝庫します。
このところの近況をランダムに記していく① ― 2025年10月01日 23時01分25秒
★10月に入った。
今日から10月。久々の雨の幕開けである。
薄くなったカレンダーを剥がして、今年も残り三か月だと気づく。
つい先日新しい年になったと思ってたら、もう今年も四分の三が終わってしまったのだ。
懸案のことが何一つできないまま月日だけが過ぎていく。ただ一つ確かなことは、まだ幸い我は生きてここにいる、この世に在るということだけだ。
ならばその証として当ブログを記していかねばならない。
暑さ寒さも彼岸まで、とはよく云ったもので、彼岸を境に晴れると陽射しはまだ強くても朝晩はめっきり涼しくなってきた。
今日など一日雨で気温が上がらず、室内でもTシャツ一枚では寒いほどで、早く衣類も布団も冬用のものを出さねばと思った。
ついこの間まで、連日毎朝の9時に市の街頭スピーカーから流れていた「熱中症に気を付けてください」、という警戒アラートも途絶えてしまった。
季節は確実に秋へ、冬へと進んでいる。
焦りや不安は覚えないが、本当に年内にやるべきこと、やらねばならないことを一つでも、少しでも終わらせて成果を出さねばと今さらにして思う。特に人様に約束したことこそは。
それにしてもどうしてこんなに慌ただしく忙しいのか。このブログを書く時間さえ取れなかったのである。
その言い訳にもならないが、この夏前からの様々なトラブル、面倒な出来事をランダムに何回かに分けて記していく。
そんなことよりまず前に進め、やるべきことやれ、という声もあろう。が、まず過去をきちんと記録しておかないと、この先また新たなトラブルや事件が起きたとき、参考や経験値にもならない。
我はほんとうのバカで、特に今は記憶が続かないから、今年これまでいったい何があってこんなに忙しかったのか、備忘録としてもどこかに記さないことにはまた新たに過ちをしでかす。
まず一番最近のこと、左手中指が感染症に罹りものすごく腫れてしまい、近く一番大きい総合病院へ朝から行ったことから。
10日ほど前のことだろうか。ウチの猫たちの目が涙目になってしまい、猫風邪かと思うのだが、目ヤニがひどくて我は拭き取って目薬をたらしてあげていた。
が、嫌がって暴れる猫もいて、思わず我は左手の中指を噛まれてしまった。
傷は大したことなく、猫に引っ掻かれたり噛まれて血が出ることは毎度の日常的なことなので、消毒もせずにそのままにしていた。後で手洗いぐらいはしたかと思うが。
そしたら、傷口は癒えて来ても噛まれた部位が鈍く痛痒く、やや腫れたままなかなか治らない。
まあ、自然にやがて治るだろうと、気にはなったがそのままにしていた。
そしたらば、五日ぐらい前に、餌やりのときにまた同じ指を別の猫に爪で刺されるように引っ掻かれてしまいまた少しだけ血が出た。
そのときも自分で舐めた程度で、そのままにしてしまったら翌朝見たらば、その指はものすごく腫れてきてしまった。
最初の傷の腫れは、左手中指の第二関節の上だったのが、腫れはその関節の下までも広がり、紫色というのだろうか色覚障害の我でも気づくほど赤黒く色が変わりパンパンに腫れてきた。触ると熱いほど熱もっている。
付け根の部分は腫れていないから、まるでウインナソーセージが手に生えたようである。
痛みも強くはないが、じんじんと痺れたような鈍い痛みが続いている。困った。
さあ。どうしたものかと迷った。たぶん時間置けば自然治癒するだろうと思う気もあったが、あまりに太く腫れてしまい色も変なので病院に行くしかないと覚悟した。
下手にそのままにしてしまうと、本当にギターも弾けないばかりか何もかもできなくなるかもしれない。
世の中には小さなケガや体調不良でもすぐさま医者に診てもらうことを選ぶ人がいるが、我はまず病院にはめったに行くことはない。
我は迂闊で考えなしだから、猫にやられなくても小さな切り傷、擦り傷は年中まさに日常的なことだし、メマイやふらつきの持病もあるため転倒もよくあることで、その都度病院通いしてたら、金よりも時間がとられてどうしようもなくなる。
だから病院へ行くことはめったにないし、薬も基本呑まない。
しかし今回はやはり少し心配になってきた。老いて体力も落ちてきた。待ってても自然に果たして治るのか?
そのT会という近隣では一番でかい病院へは、数年前深夜に家の階段から足滑らせて落ちて、左の胸の肋骨を柱に強く打ちつけてしまい、しばらく痛みで身動き取れなかったが、救急車呼ぶことなく何とか自分で車出して急患扱いで診てもらったとき以来である。
一昨日の朝、自転車で9時半頃着いたが、駐輪場に停めるスペースがないほど朝から混んでいた。
まず受付で、指を見せて何科にかかるべきなのか相談したら、形成か外科の2つとも今日は込み合っているから、診てもらえるか確認取ってからとのことで、連絡待ちのまま30分ほど待たされた。
これではたぶん診察できたとしても待たされて終わるのは昼過ぎだろうな、と来たことを悔やみ始めてたら、専門医ではないが、救急外来で診てもらえることとなり、そのフロアに案内された。
そこは受付の喧騒が嘘のように静かで、ベンチで待つ人も数人だった。
待つことなく看護師の問診と質問用紙に記入してわりとすぐに診てもらえた。
若い担当医は、一瞥して感染症だから、ハシヨウ風の怖れもあるとしてまた問診票書かされてから肩に注射打たれ終わった。
会計終えて時計見たら11時である。思ってたより早くすんだ。救急外来で診てもらえて良かった。むろん後日にまた来院して専門医に再度診てもらわねばならないことだが。
ただ出してもらう抗生剤の薬局窓口見たら、50分待ちと出てたので、いったん家に戻り再度訪れて薬もらえた。
以後、我としてはマジメに日に3回、その薬を飲み続けていたら、今はもう痛みはほぼなくなって腫れも引いてきた。ただ色が変わってしまった部位はそのままだけれど。
今回の件で思ったことは、自然治癒を待ちほったかしにしていても治ったかどうかわからないし、治ったとしても時間はずいぶんかかっただろう。痛みと不安で過ごすのもバカらしいことだ。
医師からも言われたが、指の関節はそのままにしておくと固まり動かなくなることもあるのできちんと早く治すことだと。
今回は、痛風での痛みの件は口にしなかったが、やはり何にしてもすべて「ほったらかし」にしてはならないのだと気づかされた。
そう。身体もなにもかもそのままにしておかず、常に手を加えていくことだ。些細な傷やトラブル、不注意が大きな災難や問題化となっていく。
どんなことでもできるだけ早く、適切な対応していく。自分人生の根本的過ち、失敗はすべてにおいて思い怠りて「ほったらかし」にしてきたことだったのだ。
今日から10月。久々の雨の幕開けである。
薄くなったカレンダーを剥がして、今年も残り三か月だと気づく。
つい先日新しい年になったと思ってたら、もう今年も四分の三が終わってしまったのだ。
懸案のことが何一つできないまま月日だけが過ぎていく。ただ一つ確かなことは、まだ幸い我は生きてここにいる、この世に在るということだけだ。
ならばその証として当ブログを記していかねばならない。
暑さ寒さも彼岸まで、とはよく云ったもので、彼岸を境に晴れると陽射しはまだ強くても朝晩はめっきり涼しくなってきた。
今日など一日雨で気温が上がらず、室内でもTシャツ一枚では寒いほどで、早く衣類も布団も冬用のものを出さねばと思った。
ついこの間まで、連日毎朝の9時に市の街頭スピーカーから流れていた「熱中症に気を付けてください」、という警戒アラートも途絶えてしまった。
季節は確実に秋へ、冬へと進んでいる。
焦りや不安は覚えないが、本当に年内にやるべきこと、やらねばならないことを一つでも、少しでも終わらせて成果を出さねばと今さらにして思う。特に人様に約束したことこそは。
それにしてもどうしてこんなに慌ただしく忙しいのか。このブログを書く時間さえ取れなかったのである。
その言い訳にもならないが、この夏前からの様々なトラブル、面倒な出来事をランダムに何回かに分けて記していく。
そんなことよりまず前に進め、やるべきことやれ、という声もあろう。が、まず過去をきちんと記録しておかないと、この先また新たなトラブルや事件が起きたとき、参考や経験値にもならない。
我はほんとうのバカで、特に今は記憶が続かないから、今年これまでいったい何があってこんなに忙しかったのか、備忘録としてもどこかに記さないことにはまた新たに過ちをしでかす。
まず一番最近のこと、左手中指が感染症に罹りものすごく腫れてしまい、近く一番大きい総合病院へ朝から行ったことから。
10日ほど前のことだろうか。ウチの猫たちの目が涙目になってしまい、猫風邪かと思うのだが、目ヤニがひどくて我は拭き取って目薬をたらしてあげていた。
が、嫌がって暴れる猫もいて、思わず我は左手の中指を噛まれてしまった。
傷は大したことなく、猫に引っ掻かれたり噛まれて血が出ることは毎度の日常的なことなので、消毒もせずにそのままにしていた。後で手洗いぐらいはしたかと思うが。
そしたら、傷口は癒えて来ても噛まれた部位が鈍く痛痒く、やや腫れたままなかなか治らない。
まあ、自然にやがて治るだろうと、気にはなったがそのままにしていた。
そしたらば、五日ぐらい前に、餌やりのときにまた同じ指を別の猫に爪で刺されるように引っ掻かれてしまいまた少しだけ血が出た。
そのときも自分で舐めた程度で、そのままにしてしまったら翌朝見たらば、その指はものすごく腫れてきてしまった。
最初の傷の腫れは、左手中指の第二関節の上だったのが、腫れはその関節の下までも広がり、紫色というのだろうか色覚障害の我でも気づくほど赤黒く色が変わりパンパンに腫れてきた。触ると熱いほど熱もっている。
付け根の部分は腫れていないから、まるでウインナソーセージが手に生えたようである。
痛みも強くはないが、じんじんと痺れたような鈍い痛みが続いている。困った。
さあ。どうしたものかと迷った。たぶん時間置けば自然治癒するだろうと思う気もあったが、あまりに太く腫れてしまい色も変なので病院に行くしかないと覚悟した。
下手にそのままにしてしまうと、本当にギターも弾けないばかりか何もかもできなくなるかもしれない。
世の中には小さなケガや体調不良でもすぐさま医者に診てもらうことを選ぶ人がいるが、我はまず病院にはめったに行くことはない。
我は迂闊で考えなしだから、猫にやられなくても小さな切り傷、擦り傷は年中まさに日常的なことだし、メマイやふらつきの持病もあるため転倒もよくあることで、その都度病院通いしてたら、金よりも時間がとられてどうしようもなくなる。
だから病院へ行くことはめったにないし、薬も基本呑まない。
しかし今回はやはり少し心配になってきた。老いて体力も落ちてきた。待ってても自然に果たして治るのか?
そのT会という近隣では一番でかい病院へは、数年前深夜に家の階段から足滑らせて落ちて、左の胸の肋骨を柱に強く打ちつけてしまい、しばらく痛みで身動き取れなかったが、救急車呼ぶことなく何とか自分で車出して急患扱いで診てもらったとき以来である。
一昨日の朝、自転車で9時半頃着いたが、駐輪場に停めるスペースがないほど朝から混んでいた。
まず受付で、指を見せて何科にかかるべきなのか相談したら、形成か外科の2つとも今日は込み合っているから、診てもらえるか確認取ってからとのことで、連絡待ちのまま30分ほど待たされた。
これではたぶん診察できたとしても待たされて終わるのは昼過ぎだろうな、と来たことを悔やみ始めてたら、専門医ではないが、救急外来で診てもらえることとなり、そのフロアに案内された。
そこは受付の喧騒が嘘のように静かで、ベンチで待つ人も数人だった。
待つことなく看護師の問診と質問用紙に記入してわりとすぐに診てもらえた。
若い担当医は、一瞥して感染症だから、ハシヨウ風の怖れもあるとしてまた問診票書かされてから肩に注射打たれ終わった。
会計終えて時計見たら11時である。思ってたより早くすんだ。救急外来で診てもらえて良かった。むろん後日にまた来院して専門医に再度診てもらわねばならないことだが。
ただ出してもらう抗生剤の薬局窓口見たら、50分待ちと出てたので、いったん家に戻り再度訪れて薬もらえた。
以後、我としてはマジメに日に3回、その薬を飲み続けていたら、今はもう痛みはほぼなくなって腫れも引いてきた。ただ色が変わってしまった部位はそのままだけれど。
今回の件で思ったことは、自然治癒を待ちほったかしにしていても治ったかどうかわからないし、治ったとしても時間はずいぶんかかっただろう。痛みと不安で過ごすのもバカらしいことだ。
医師からも言われたが、指の関節はそのままにしておくと固まり動かなくなることもあるのできちんと早く治すことだと。
今回は、痛風での痛みの件は口にしなかったが、やはり何にしてもすべて「ほったらかし」にしてはならないのだと気づかされた。
そう。身体もなにもかもそのままにしておかず、常に手を加えていくことだ。些細な傷やトラブル、不注意が大きな災難や問題化となっていく。
どんなことでもできるだけ早く、適切な対応していく。自分人生の根本的過ち、失敗はすべてにおいて思い怠りて「ほったらかし」にしてきたことだったのだ。
あるほどの菊投げ入れよ棺の中 ― 2025年09月30日 05時26分18秒
★慌ただしさとまた体調崩して
ブログ更新できず申し訳ない。
亡き友Oさんの墓参りに、無事23日の秋分の日に行けたのだが、その後またお腹の具合が悪かったり、不測の死に遇ったり慌ただしくパソコンに向き合えなかった。
気づけば今月も終わりとなる。
体調は、実は左手の中指が猫に噛まれたことで感染症を起こしてしまいすごく腫れてこれは危ないと、昨日朝から近くの一番大きい会病院に行き抗生剤出してもらえた。やれやれである。詳しくはまた後程。
多々あれこれ報告や書きたいことがあるのだが、順を追って書いていくといつ「今」に至るかわからないので、要点だけまず書いていく。
冒頭の句は、漱石が縁あった女歌人の死に向けて送ったものだが、今月の我は何度いくつの菊の花、仏花を手にしたことだろう。
叔母の葬儀で千葉の津田沼まで出向き、棺にいっぱいの花を投げ入れたことから始まり、友人の墓参でも、そしてつい先日は近くのお世話になった方のご遺体に捧げてきた。
歳とると、周りに死が増えてくるのは当然のことながらこの秋はいろいろその都度あれこれ考えさせられた。そう、何よりも自らの死についても。
我は、近くに以前ウチの改築工事に際してモノの仮置き場として長屋を借りていた。二棟続きの長屋のお隣さんに老夫婦がいて、そこを解約した後も長く懇意にしていただいていた。
そこのご主人は、高齢でもとても元気だったが、今年に入ってから癌を患ったことを知らされて、すぐ近くの都営住宅に当たったのでこの長屋を近く引き払うことになっていた。
引越しに際して、もう使わないからと庭仕事の道具や工具やらあれこれ頂きその御礼も兼ねて先日その長屋に行ったらもう住んでいないご様子。
で、鉢植えなども引き取ってほしいと言われていたから、27日の土曜日の夕方、その件もあって相談に転居先の都営を訪ねた。部屋番号は聞いていたが初めてのこと。
ドアを叩くと、奥さんが出てきてどうぞ上がってください、と我を招き入れる。中には数人の人が集まり何やらあれこれ相談している。
よくわからないまま中に入ると、奥さんは、「今日の午後2時でした。眠るように急に・・・」とベッドを指さす。
見たら、ご主人がそこに寝ていて数時間前に既に亡くなっていたのである。
死に顔は、まさに眠っているようで顔色も良く特にやつれてもいない。
聞けば、腹水も溜まり足にむくみなども出てたが、その日の昼までは話せたし、我が先日届けたリンゴなども美味しいと食べていたとのこと。
ただ、2時に訪問介護の人が来てベッドを見たらば、眠ってると思ったらもう息はなく死んでいることがわかったそうで、まさに眠るように苦しむことなく息絶えたのだ。85歳とのことだから悔いはないと奥さんは言う。ここに引っ越してまだ一週間だとも。
そこには娘さんたち親族も来て、葬儀会社の人も打ち合わせでいたから人が集まっていたのである。
こちらはまさか尋ねたら亡くなっていたとは思ってもなく驚くしかなかった。しかし、偶然とはいえまさに呼ばれたようなわけで、後から知らせはあったとしてもその尊顔を見れたのは何より有難かった。
その場はまだ何一つ葬儀の支度などはできていなく、生前ずいぶんお世話になった御礼だけ告げてすぐに辞去し、近くのドラッグストアで仏花を買い求めて再度訪ねてご遺族にお渡ししてきた。
このところこうした機会のたびにあれこれ思い考えるのは、一人で生きること、生きていることとは、とうぜん一人で死んでいくということだ。
断捨離とか死後の後片づけも大事だが、まずは「そのとき」自分はどうすべきか、どうなるのかということだ。
一人で死んでいく。その覚悟と準備はできているか。そのときどうなるのか。
ブログ更新できず申し訳ない。
亡き友Oさんの墓参りに、無事23日の秋分の日に行けたのだが、その後またお腹の具合が悪かったり、不測の死に遇ったり慌ただしくパソコンに向き合えなかった。
気づけば今月も終わりとなる。
体調は、実は左手の中指が猫に噛まれたことで感染症を起こしてしまいすごく腫れてこれは危ないと、昨日朝から近くの一番大きい会病院に行き抗生剤出してもらえた。やれやれである。詳しくはまた後程。
多々あれこれ報告や書きたいことがあるのだが、順を追って書いていくといつ「今」に至るかわからないので、要点だけまず書いていく。
冒頭の句は、漱石が縁あった女歌人の死に向けて送ったものだが、今月の我は何度いくつの菊の花、仏花を手にしたことだろう。
叔母の葬儀で千葉の津田沼まで出向き、棺にいっぱいの花を投げ入れたことから始まり、友人の墓参でも、そしてつい先日は近くのお世話になった方のご遺体に捧げてきた。
歳とると、周りに死が増えてくるのは当然のことながらこの秋はいろいろその都度あれこれ考えさせられた。そう、何よりも自らの死についても。
我は、近くに以前ウチの改築工事に際してモノの仮置き場として長屋を借りていた。二棟続きの長屋のお隣さんに老夫婦がいて、そこを解約した後も長く懇意にしていただいていた。
そこのご主人は、高齢でもとても元気だったが、今年に入ってから癌を患ったことを知らされて、すぐ近くの都営住宅に当たったのでこの長屋を近く引き払うことになっていた。
引越しに際して、もう使わないからと庭仕事の道具や工具やらあれこれ頂きその御礼も兼ねて先日その長屋に行ったらもう住んでいないご様子。
で、鉢植えなども引き取ってほしいと言われていたから、27日の土曜日の夕方、その件もあって相談に転居先の都営を訪ねた。部屋番号は聞いていたが初めてのこと。
ドアを叩くと、奥さんが出てきてどうぞ上がってください、と我を招き入れる。中には数人の人が集まり何やらあれこれ相談している。
よくわからないまま中に入ると、奥さんは、「今日の午後2時でした。眠るように急に・・・」とベッドを指さす。
見たら、ご主人がそこに寝ていて数時間前に既に亡くなっていたのである。
死に顔は、まさに眠っているようで顔色も良く特にやつれてもいない。
聞けば、腹水も溜まり足にむくみなども出てたが、その日の昼までは話せたし、我が先日届けたリンゴなども美味しいと食べていたとのこと。
ただ、2時に訪問介護の人が来てベッドを見たらば、眠ってると思ったらもう息はなく死んでいることがわかったそうで、まさに眠るように苦しむことなく息絶えたのだ。85歳とのことだから悔いはないと奥さんは言う。ここに引っ越してまだ一週間だとも。
そこには娘さんたち親族も来て、葬儀会社の人も打ち合わせでいたから人が集まっていたのである。
こちらはまさか尋ねたら亡くなっていたとは思ってもなく驚くしかなかった。しかし、偶然とはいえまさに呼ばれたようなわけで、後から知らせはあったとしてもその尊顔を見れたのは何より有難かった。
その場はまだ何一つ葬儀の支度などはできていなく、生前ずいぶんお世話になった御礼だけ告げてすぐに辞去し、近くのドラッグストアで仏花を買い求めて再度訪ねてご遺族にお渡ししてきた。
このところこうした機会のたびにあれこれ思い考えるのは、一人で生きること、生きていることとは、とうぜん一人で死んでいくということだ。
断捨離とか死後の後片づけも大事だが、まずは「そのとき」自分はどうすべきか、どうなるのかということだ。
一人で死んでいく。その覚悟と準備はできているか。そのときどうなるのか。
9月は、哀しみの月③~近況報告から ― 2025年09月18日 18時56分59秒
★太田さんのライブ、無事盛況となりました。
また拙ブログ、更新が遅れて申し訳ありません。
いまの自分にとって、世間、いや外の世界とつながっているのは、このブログだけなので、まだ生きている証として、生きてるならばできるだけ頻繁に更新せねばならないのである。
が、このところ体調不良と生活が不規則になってしまい、落ち着いてブログ書くための時間、つまり自室に行きデスクトップパソコンに向き合う時間がどうにもとれなかったのだ。
※今日一週間ぶりに自室に入ったら、バカ猫がそのパソコンをモニター面から机に俯せに倒してスイッチが入ったままだった。
壊れたか‼!と恐る恐る起動させたらこうして無事にネットにも繋がってくれた。やれやれである。
太田三造さんの亀有のKIDBOXでの初ライブは、当初は観客は我一人かと危ぶまれた。というのも、当日は、あろうことか月一で東中野「じみへん」でやっている彼の定例ライブの日と重なってしまっていて、日中は、コアなファンはすべて東中野に集まるはずだから、その後に夜また亀有でライブがあるとしても来るファン自体もはやいないのである。
が、幸いにして、そのじみへんからもお一人引き続き同行してくれたファンもいたり、駆けつけてくれた旧知のお仲間シンガーもあり、我と我が誘った方も入れて、観客は4名となり小さな店は満ちてきた。有難いことだ。
そのライブも、昼間に続いてのダブルヘッダーでもつかれを見せずに休憩を挟んでたっぷり二時間強彼は一人で唄い続けてくれた。
感想はともかくも、実はその日以降、我のライフスタイルは少し狂ってしまいどうにも時間取れずにブログも書かねばと焦りつつも書けないまま時間が過ぎてしまった。
ライブが終わって、少し仲間内で雑談して亀有から新御茶ノ水まで千代田線で出て、中央線御茶ノ水駅のホームに着いたのが午後10時半だった。
で、何とか日付が変わらぬうちに帰れたのは良かったけど、帰宅してから留守番してくれた犬との散歩やたくさんの猫たちにご飯作ってあげてたら、自分のベッドに入ったのは午前3時!
なかなかすぐには寝付けず、翌朝も8時前には起きて、睡眠不足でふらふらながら午前中は庭先の片づけとか雑事に追われて、夕方少し横になり仮眠とったりするともう日も暮れている。
それからまた犬の散歩やら買い物とかに追われて9時ごろになり、猫たちに順次餌作ってやってると、自分が晩御飯食べるのは零時過ぎとなる。
結局そんなこんなでまた寝るのは、午前3時、4時近くとなる。
そんな悪習慣が何日か続いてしまった。
ブログで早く報告せねばと思うのだが、そんな時間からまたパソコンに向かえば徹夜となり朝を迎えてしまう。これ以上体調を崩したくない。
今週はそんなこんなで、少しづつ寝る時間を早めて、できるだけ長くまとまって眠れるように体調と習慣を整えてやっと本日更新できた。
何日か作業部屋に入らなかったら猫たちがまた好き勝手に暴れ放題で、いろいろ崩し落とし倒して頭抱えた。
ともかくこれからはできるだけ頻繁に更新していく。でないと何をされるか何が起こるかわからない。
先にお知らせした交通事故後の「パニック障害」というのか、不安神経症はようやくこのところ軽くなってきた。
が、実は、それとは別に先月半ば過ぎから突然大腸炎となり、二週間以上も常時下腹の痛みと始終続く便意に悩まされた。このところようやくそれも収まってもはや「回復」したと思えるが、一時期は病院通いも覚悟した。いったい何でそんなことになったのか、人生初めてのことだ。
※最初は、食当たりかと思った。が、吐き気はないし下腹部の鈍い痛みと異変、尾籠な話、下痢気味の軟便を誘う便意が常に続くのである。
それでは短時間でもライブ観覧とかで座ってることもできない。
あの亡き安倍晋三氏の持病がこれで、彼の場合は潰瘍性のもので治らないものだったから、その苦痛を味わってからは、この病を抱えての薬などで抑えつつ政治活動はさぞや大変だっただろうとついつい同情してしまった。
歳をとるといろんなことが起こる。できたことが出来なくなったり、思わぬ新たな病にもかかる。
確かなことは、良かったものは悪くなっていき、悪かったものや悪いところは、さらに悪くなっていくということだ。
しかしそれもまた生きていることの証だし、老いの病苦こそが誰もが死に至る通り道なのだから仕方ない。
ならばそうした情けないことも書き記してもいいだろう? フェイスブックだとお節介にも、書いたことを各フォロアーや友人知人に、○○さんがリポストしました。見逃してませんか、といちいち知らせてくる。
ブログは、そこまでしつこくないから、ここに来てくれて読みたい方だけが読むわけで、そうした関係こそが我には望ましい。
世間的にはどうでもいいことを書いていく。個人的なゴタクを並べていく。
よろしければお付き合いください。
また拙ブログ、更新が遅れて申し訳ありません。
いまの自分にとって、世間、いや外の世界とつながっているのは、このブログだけなので、まだ生きている証として、生きてるならばできるだけ頻繁に更新せねばならないのである。
が、このところ体調不良と生活が不規則になってしまい、落ち着いてブログ書くための時間、つまり自室に行きデスクトップパソコンに向き合う時間がどうにもとれなかったのだ。
※今日一週間ぶりに自室に入ったら、バカ猫がそのパソコンをモニター面から机に俯せに倒してスイッチが入ったままだった。
壊れたか‼!と恐る恐る起動させたらこうして無事にネットにも繋がってくれた。やれやれである。
太田三造さんの亀有のKIDBOXでの初ライブは、当初は観客は我一人かと危ぶまれた。というのも、当日は、あろうことか月一で東中野「じみへん」でやっている彼の定例ライブの日と重なってしまっていて、日中は、コアなファンはすべて東中野に集まるはずだから、その後に夜また亀有でライブがあるとしても来るファン自体もはやいないのである。
が、幸いにして、そのじみへんからもお一人引き続き同行してくれたファンもいたり、駆けつけてくれた旧知のお仲間シンガーもあり、我と我が誘った方も入れて、観客は4名となり小さな店は満ちてきた。有難いことだ。
そのライブも、昼間に続いてのダブルヘッダーでもつかれを見せずに休憩を挟んでたっぷり二時間強彼は一人で唄い続けてくれた。
感想はともかくも、実はその日以降、我のライフスタイルは少し狂ってしまいどうにも時間取れずにブログも書かねばと焦りつつも書けないまま時間が過ぎてしまった。
ライブが終わって、少し仲間内で雑談して亀有から新御茶ノ水まで千代田線で出て、中央線御茶ノ水駅のホームに着いたのが午後10時半だった。
で、何とか日付が変わらぬうちに帰れたのは良かったけど、帰宅してから留守番してくれた犬との散歩やたくさんの猫たちにご飯作ってあげてたら、自分のベッドに入ったのは午前3時!
なかなかすぐには寝付けず、翌朝も8時前には起きて、睡眠不足でふらふらながら午前中は庭先の片づけとか雑事に追われて、夕方少し横になり仮眠とったりするともう日も暮れている。
それからまた犬の散歩やら買い物とかに追われて9時ごろになり、猫たちに順次餌作ってやってると、自分が晩御飯食べるのは零時過ぎとなる。
結局そんなこんなでまた寝るのは、午前3時、4時近くとなる。
そんな悪習慣が何日か続いてしまった。
ブログで早く報告せねばと思うのだが、そんな時間からまたパソコンに向かえば徹夜となり朝を迎えてしまう。これ以上体調を崩したくない。
今週はそんなこんなで、少しづつ寝る時間を早めて、できるだけ長くまとまって眠れるように体調と習慣を整えてやっと本日更新できた。
何日か作業部屋に入らなかったら猫たちがまた好き勝手に暴れ放題で、いろいろ崩し落とし倒して頭抱えた。
ともかくこれからはできるだけ頻繁に更新していく。でないと何をされるか何が起こるかわからない。
先にお知らせした交通事故後の「パニック障害」というのか、不安神経症はようやくこのところ軽くなってきた。
が、実は、それとは別に先月半ば過ぎから突然大腸炎となり、二週間以上も常時下腹の痛みと始終続く便意に悩まされた。このところようやくそれも収まってもはや「回復」したと思えるが、一時期は病院通いも覚悟した。いったい何でそんなことになったのか、人生初めてのことだ。
※最初は、食当たりかと思った。が、吐き気はないし下腹部の鈍い痛みと異変、尾籠な話、下痢気味の軟便を誘う便意が常に続くのである。
それでは短時間でもライブ観覧とかで座ってることもできない。
あの亡き安倍晋三氏の持病がこれで、彼の場合は潰瘍性のもので治らないものだったから、その苦痛を味わってからは、この病を抱えての薬などで抑えつつ政治活動はさぞや大変だっただろうとついつい同情してしまった。
歳をとるといろんなことが起こる。できたことが出来なくなったり、思わぬ新たな病にもかかる。
確かなことは、良かったものは悪くなっていき、悪かったものや悪いところは、さらに悪くなっていくということだ。
しかしそれもまた生きていることの証だし、老いの病苦こそが誰もが死に至る通り道なのだから仕方ない。
ならばそうした情けないことも書き記してもいいだろう? フェイスブックだとお節介にも、書いたことを各フォロアーや友人知人に、○○さんがリポストしました。見逃してませんか、といちいち知らせてくる。
ブログは、そこまでしつこくないから、ここに来てくれて読みたい方だけが読むわけで、そうした関係こそが我には望ましい。
世間的にはどうでもいいことを書いていく。個人的なゴタクを並べていく。
よろしければお付き合いください。
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