コロナ感染爆発、最大の要因は、オリンピック開催だ!2021年07月31日 17時29分43秒

★今さらでも、今からの東京五輪の開催中止を強く求める

 コロナの感染拡大が止まらない。拡大どころか「爆発」である。
 ワクチンだけが頼みで何一つ有効な対策は打たずに、バカの一つ覚えの「緊急事態宣言」だけ繰り返し出してももう誰も従わない。

 じっさい、東京では「緊急事態宣言」が出てないときは今年はほとんどないのだから、「緊急事態」であろうとも「日常的」になってしまえば人はその中で普通の日常を送るのは当然だろう。
 流行開始から一年半経っても感染収束するどころか、今夏最大の波を迎えてしまった。東京の一日の新規感染者数は連日ウナギ上りに増え続け昨日は3千、今日はついに4千人の大台を超え、全国的にも1万人を超える日が続いている。その原因はどこにあり、誰の責任かはっきりしている。
 安倍~菅自公政権の場当たり的無策と迷走・逆走、そして最大の原因はこの「緊急事態宣言」下での東京五輪開催の狂行、いや強行である。彼らはずっと誤ったメッセージ、Go to トラベルをはじめとして感染収束に逆行する政策を繰り返してきた。そしてついに今の、感染爆発を招いたのだ。
 ところが菅首相は、人流は減っているから心配してない、とか、小池都知事は、五輪開催のおかげで皆が家で五輪のテレビを見るから逆に人が出歩かないと「五輪効果」を誇っているが、まさにどの口が言う、である。
 ならば、どうしてこんなに感染者が爆発的に連日増え続けるのか、感染収束の兆しが少しでも見えたら言え、である。

 オリンピックがなし崩し的に開催強行されてから、メディアでは連日メダル奪取に沸き、日本人選手の活躍に興奮と感動の報道に一変してしまった。テレビは、ほぼどの局もオリンピックの試合中継ばかりで、特にHKは、Eテレまで使って、試合中継の垂れ流し。通常の番組は、定例のニュースまでもなくなってしまった。あれほど反対、延期の世論があったことを思うとまさに異常な五輪「忖度」である。

 今でもこのコロナ状況下の「五輪中止」の声を上げ続けている人や政党、新聞は、今では赤旗と日本共産党ぐらいしかなく、彼らに対してネット上では、「今さら」だとか「できっこない、無責任」だとかいう声が多く見受けられる。
 だが、我も今さらであろうとも大きく「五輪即中止」を求めたい。それこそ、これまで開催に疑問を呈してきた人が、開催されたら突然メダルラッシュに喜び、コーフンするほうが無責任ではないか。これを変節者という。

 そもそも元より東京五輪開催については、特需で様々な関わる企業の利権と関係者の懐を潤すだけで、箱もの新規建設で都民国民に多大な税金負担を強いるものとして開催決定当初から多くの疑問の声が上がっていた。
 さらに様々な不明朗な経緯や五輪関係者による不祥事、失言、失態などが相次いたどころに、このコロナ禍で安倍晋三が一年延期した五輪開催である。
 医療関係者の多くが、この感染状況では通常では開催はないと言い切る中、ひたすら「安全安心な開催を目指す」と裏付けのない目標を繰り返し言い続け強行して結果としてこの「感染爆発」。どこが安全安心か、そう思う国民がどれだけいるか。
 日本人という国民性は、常に横並びというか、大きな流れに乗るのが好きで、五輪開催に不安や疑問視してても、けっきょく始まってしまえば、日本人選手の活躍に夢中になるし、その彼らの頑張りに感動と希望と勇気をもらってやはりオリンピックは素晴らしい、開催できて良かったと思うのであろう。
 それはそれで良いことで実に人間的である。我はスポーツは好きではないしそもそも関心外の人間だが、スポーツの持つ力は否定しないしこれまで頑張ってきた人たち全てが報われるべきだと思う。

 しかし、五輪開催は、このコロナ禍では、誤ったメッセージであると信ずるから、あくまでも五輪開催反対と中止をこれからも訴える。
 我は小池都知事や都の福祉保健局長の認識とは違い、この五輪開催こそがこれほどの感染爆発の直接の要因ではないとしても大きな「引き金」となったことは間違いないと考える。
 そもそも人流が大きく地方へと移動した先の四連休も、五輪開催に合わせて無理やりに拵えたものであるし、何より、緊急事態時であるのに、五輪は開催できるというお祭り気分こそが、では何故に国民だけ苦しい「自粛」せねばならないのか、ならば、という普段と変わらない日常をもたらしているのだと思える。むろんコロナ疲れもあろう。
 これがオリンピックは断腸の思いで「中止」という英断をしていれば、国民多くが、それほどの非常事態だとやっと認識し、真に街から人出は減り、長く続いたコロナとの闘いも出口が見えたのではないか。
 それを何度でもこれで最後と言いつつ、緊急事態宣言を繰り返し出して、飲食店には我慢を強い挙句に、誰もが不安に思っていた五輪開催=感染爆発という愚を強行してしまった政権の無謀無策の責は今こそ大きく問われるべきだ。

 そもそもコロナとの闘いは、戦時に譬えられる。つまり準戦時体制下と言えよう。かつて中止になった東京五輪も戦争の影が大きく全世界を覆い、やむなく常識的に中止となった。
 そして1964年、戦争の復興の象徴として菅総理も懐かしむあの素晴らしい東京五輪開催となった。
 その甘美な思い出に酔いしれて、夢を再びと願うのは構わない。が、このコロナ感染拡大が、全世界的にも収まっていない非常時の今だからこそ、やはり東京は常識的に再び「中止」という選択をすべきであった。
 五輪を目指し頑張ってきたアスリートの思いは尊重すべきであるし、彼らには何も罪も責任もない。が、このまま感染者数がさらに増え続ければ、高齢者層の死者は少なくなったとしても、まさに医療体制は崩壊し、「救える命が救えなくなる」ことは間違いない。オリンピック中止はそのための大きな正しいメッセージとなる。

 マスメディアがオリンピックに熱狂するのはかまわない。今さら中止は現実的ではないとも思う。が、こんな状況下だからこそ、あくまでも「五輪中止。中断」を訴えていく。
 かつての大東亜戦争の時にも開戦を疑問視し反対していた人たちは少なからずいたが、実際に戦争がはじまり、当初の快進撃が続くと皆口を閉ざしたどころか新聞、政党も含め知識人、文化人もほとんどすべてが積極的に戦争に加担、協力してしまった。獄中に捕らわれていた共産党員以外は。
 だからこそ、あくまでも当時と同じく今も共産党と赤旗は、五輪開催反対と叫ぶのである。そう、今はコロナとの戦争中なのだから。

 メディアはオリンピックの良い面だけしか報じない。だが、それに踊らされて現実を見失ってはならない。感染者数は日々激増しこの国の医療はまさに危機的、壊滅的状況なのだ。
 あえて言う、オリンピックこそ不要不急である。それよりももっと重要な大切なことがある。それは、人の命、誰もが安全安心に生きていける社会が保障されていることことだ。

 走りだしたバスに乗ってはならない。その先にあるのは、デッドエンド、地獄かもしれないのだから。

中山ラビさんを偲ぶ2021年07月06日 09時26分53秒

スターズパインカフェで、2014年
★ハードなステージの裏側の温かい素顔に魅せられて

 関西フォークの愛好家のみならず、多摩地区国分寺界隈に住む者なら知らぬ人はいない名物スポット「ほんやら洞」の中山ラビさんの訃報が届いた。
 既にSNSやメディアでも報じられているのでご存じの方も多いだろう。この数年癌闘病中とのことで、そのときを我も覚悟し半ば予想もしていたので驚きはないが、昨夜は個人的思い出が次々湧いて来てほとんど寝つけなかった。
 昨日早くに訃報を知らされてからすぐ拙ブログで「追悼」を書こうと思ったが、昔からよく知り懇意にしていた方の死は、あまりに思い出がありすぎて簡単に「追悼文」などまとめられないのだと気づかされた。
 最後にお会いしたのは、昨年の正月明け4日、中川五郎氏の国分寺ギーでのライブの後に彼に誘われて小雪散る中、南口の彼女の店に行き、久々にカウンターで同席しお話したときで、歓待してくれた変わらぬお元気な姿に心ほどかされた。
 今思うとそのとき既に病魔は彼女の身体を蝕んでいたのかと愕然する。
 その後、癌との知らせがあちこちから流れて来て驚かされたが、毎年定例の吉祥寺スターパインカフェのコンサートの通知ハガキには、癌は治っちゃったみたい・・・と記してあったので一安心していた。あの激しいライブができるのならば大したことはなかったのだろうと。
 そのコンサートに行っていればと今は悔やむが、コロナ禍で人数制限もあったと記憶するし、近いうちまた店へ行けばいいやと考えて申し込みはひかえてしまった。
 
 京都のほんやら洞の支店?かどうかはともかく、国分寺のラビさんの経営するほんやら洞がいつできたのか今確認できないが、我も若い頃から国分寺に出向く用のときなどよく利用した。
 レンガ積みのツタの覆いしげるその店は、あの坂道によく似合って趣があり、今も昔も人気スポットだった。
 ただその頃は、ラビさんが店にいたとしても話しかけること等はできず、あれがあのシンガーだった人かという認識程度だった。あくまでも店の客としての関係しかなかった。
 だが、2005年の高田渡の死後、我もフォーク熱が再燃して、渡氏の追悼イベントやその関連のライブで打ち上げなどで彼女と同席することが多く、いつしか親しくお話する機会を得るようになった。

 今で言う「美魔女」的な年齢不詳、やたら派手でテンションの高い突っ張った激しいステージ姿とはかけ離れて、普段のラビさんはとても気さくで親しみやすく人気高くとも驕ることなく誰に対しても常にやさしい素顔に我はすっかり魅了された。
 今、こうして振り返ると失礼だがあちこちのライブイベントのステージでの姿よりもその帰り道、電車の中で話したときのことや打ち上げの場、たとえば亡き藤村直樹氏の京都拾得での「生前葬」的コンサートの打ち上げで、いとうたかおと「同席」したときのこと、渡氏の何回目かの追悼祭で、やはり亡き松永さんと同席したときのこと等がありありと思い出される。

 しかしそんな私的な思い出は希代の女性シンガーには失礼であろう。 実は彼女のライブステージを我がこの目で見たのは、とても遅く、映画『タカダワタル的』が完成し、確かテアトル新宿だったと思うが、公開中に連日映画が終わってから「フォーク大学」と称したと記憶する、縁のシンガーたちが登場するミニライブ企画でのことだ。
 その最終回のときであったと思うが、当日高田渡も当然出られたが、なぜか柄本明、蛭子能収らと共に、肩出しドレスのミニスカート姿でラビさんがギター1本で突然登場した。
 開口一番、「すげー酒臭い楽屋!!」と吐き捨てるように言って笑わせてから唄い始めたのが名曲「人は少しづつ変わる」であった。
 昔からレコードでよく聴いたうたと再会し、変わらぬ歌声と姿にラビさんは何も変わっていないといっぺんに魅了された。何よりまずその時のことだけは記さねばならない。

 彼女との思い出は次々と湧いて来る。昨夜は、以来この約15年、お店でのことも含めて在りし日のことを思い出したが、不思議に何一つ苦いような思い出は何も無い。
 フォークシンガーというのは、ステージはともかく実際にお会いして親しくなるとけっこう難しい性格や癖のある人が多い。トラブルと言うほどではないにしてもささいな出来事でこちらが傷ついたり向うにも不快な目に合わせてしまったりと思い出すと何かしら気になり悔やみ心が疼くことが必ず少しあるものだ。
 ところがラビさんに限っては、思い出はすべて甘美で楽しいものしか浮かばない。本人も苦労されたからだと思うが、我だけでなくどんな人に対しても常にやさしく真摯に向き合ってくれた。ともかく誰に対してもやさしく思いやってくれた。
 それが営業的に取り繕ったものではなくそれこそが彼女の自然体で普段はまったく気取るところはなかった。あの迫力の近寄りがたいステージ姿との二面性がすごいと何度圧倒されたことか。

 有馬敲、片桐ユズル氏ら、オーラル派の詩人、英文学者中山容氏を追いかけて京都に行った十代の少女は中山ラビとして大成し、シンガーとしてお店の経営者として多くの人にとことん愛され逝ってしまった。あんなすごい人はもう二度と出てこない。
 今まで一滴も涙は出てこなかった。が、今これを記して少しだけ泣いた。もうこの世では会えないのか!! 
 これまで本当にありがとう ラビさん!!! お世話になりました。天国のほんやら洞へそのうち寄らせてもらいます。そのときはまたカウンター越しにお付き合い下さい。お元気で。

教訓Ⅲ~みんなでうたいましょう!!2021年07月04日 11時19分42秒

教訓Ⅲ      原曲 加川良  替え歌 三密クラスターズ

コロナは一度 かかったら大変
だから感染させないようにね
油断すると ついいつのまにか
周りの誰かさんにうつしますよ
※オリンピックは やめなさい
密になることは やめなさい

オリンピックは 無理に強行しなくても
ずっとこれからどこかでやりますよ
感染爆発でおわるだけ
命のスペアはありませんよ ※

日本人の絆を確かめあうと
言われたときには ふるえましょうよね
そうよ 私は反日で結構
非国民でかまいませんよ ※

コロナは未だちっとも収束してません
だから東京五輪はやめましょうよ
きれいごと 並べられたときも
この命をコロナで捨てないようにね ※

少しづつ少しづつ善き力に囲まれて・続き2021年07月02日 12時13分20秒

★当たり前のことを、当たり前に~悪しき愚かなことどもを遠ざけていく

 それにしても政府自民党、菅政権の五輪開催にかける「情熱」、いや「執念」には呆れ果て、今では驚嘆恐れおののくものすらある。
 開幕まで一か月を切っても未だに観客の数は、無観客とするのか、それとも一部無観客となるのか「迷走」中で、また後ほど決めるのだと言う。
 バカも極まりと言うしかない。コロナの感染状況に振り回されて常に後手後手、場当たり対応に終始している。これは昨年からずっとである。
 これでは観覧希望者も協力するボランティアたちも予定が立たず、どこもかしこも迷惑するだけではないか。
 おまけに鉄道も深夜まで動かすとダイヤを変更させてしまった。オリンピックだけは不要不急の移動ではなく別枠ですか。ウィルスは五輪に協力して大人しくしてくれますか。

 開催などせず、最初から早めに中止にしてしまえば、これほど混乱、迷走することなく腰据えてコロナ対策に専念でき、国民もならば、と協力もできただろう。
 コロナがいつまでも収束せず、何度でも何度でも「緊急事態」となるのは、そもそも都や県知事レベルの失態ではなく、国の方針が定まらないからだ。
 ブレーキとアクセルは同時に踏めない。そんなことは誰だってわかる。
 ところが政府は、コロナがやや収まりかけるとすぐ宣言解除したり、完全に終息していないのにGoToキャンペーンで国民の移動を推奨したりと、経済を回すことを優先させて来た。その最後の「仕上げ」が五輪開催なのである。※国民にはずっと様々な「自粛」をさんざん強いたうえで。
 結果は今に至るように一年半が経過してもコロナは収束せず何度でも何度でも感染拡大は繰り返して、今も国民の命よりも経済、金儲けが優先されるのか、と非難ゴウゴウである。

 まあ、国民よりも献金してくれる大企業の方に顔を向けて、彼らのために働くのが自民党なのだから当然なのだが、そろそろ本当に彼らを長年支持して来た人たちも、これはオカシイ、どうかしている、このままでは殺されてしまう、日本はハメツしてしまうと、選挙で声を上げてほしい。
 そう、当たり前のことを、当たり前に、多くの国民が願い望む政治にしてほしいと切に祈るしかない。

 と、エラソーに、今は、こうしたことをしたり顔で書いている自分だが、このブログを長年お読みいただいた方はご存知のように、我はこの社会から脱落した落ちこぼれ、反体制以前に反社会的人間であった。
 学校も仕事も何一つ続かず、若いときから自分勝手に、好きなことだけしてきた。だから世の真っ当な人たち、社会人たちからは相手にされず、結婚もできなかった。
 幸いにして盲目的に我を愛してくれた親たちと借家ではない「家」はあったので、今はその家で暮らしていけるわけだが、本来はホームレスどころか浮浪者になっていてもおかしくない人間なのである。
 今だから書くが、我にとって社会は常に敵であり、その真っ当な生き方が自然にできている人たちにいかに抗うかが生きる意義でもあった。
 だから昔から悪しきもの、ヘンなものに魅かれ、常に人とは違う道をあえて選び、当然のように苦労して来た。
 だが、物心ついて半世紀以上経ち、齢六十を過ぎてそろそろ人生の終わりも見えてくると、今までの自分の人生は何と浅はかと言うべきか、愚かであったとつくづく気がつく。
 無意味だったとは思わないが、ずいぶん無駄に時間と金と労力を費やして来た。そして相変わらず若い時から先の見通しは甘く、物欲ばかり強く、あれもこれもと見果てぬ夢を追いかけてきた。しかし、そのための努力は怠け者ゆえ何一つせずに。

 しかし2016年の母の死をきっかけに、ようやく子供時代から続いていた「夢」は冷めてやっと「現実」に向き合うことになった。いや、父も呆けて何の助けにもならなくなって、嫌でも自ら現実に対処せざる得なくなったのだ。
 そう、フツーの人ならば親元から旅立てば一人で若い時から誰もがやっていることにようやく我も気がつかされたのである。
 むろんそれが面倒で、荷が重くて結果としてほったらかしにしてしまい人生そのものを放擲、つまりセルフネグレクトしてしまったが、母の死後、5年が過ぎるとさすがにこれではいけない、何とかしようと強い思いがようやく湧いて来た。
 今強く願うは、我もまた世の人たちのように、当たり前のことを当たり前にして行けたら、という「当たり前の生活」である。
 当たり前とは何かというと生きていくための最低限の必然的なことがきちんとできるということだ。
 そのためには人間関係も含めて、悪しきモノゴト共は、できるだけ遠ざけて、本当に善いものだけと関わっていく。

 食べ物も飲み物も昔は、多少悪くてもともかく安くて量が多ければそれだけでよかった。常にコストパフォーマンスだけで何事も考えていた。
 が、今は、多少高くても少しであろうとも本当に身体によいもの、環境に良いものだけ選ぶようにしている。
 人間関係も同様で、今は無理して新たな場所に出向き、また一から新たな関係を築いて友達を増やそうなんて思わない。
 今いる、こんな我と長年付き合いが続き、理解してくれる得難い友とこれからも一日でも長く付き合っていきたい。彼らをもっと愛し大切にしたい。

 そうした佳きものたちから善き力を得て、我もまた彼らのために頂いたもの以上のお返しをしていきたい。それは神に対しても。
 今までの我の悪徳、愚かさは消えてなくなりはしない。が、こんな我をも未だ生かし、活かしてくれる場と人たちに、その神の愛と計らいに心から感謝したい。
 このブログも、そうした生活の実践と報告の場として活用していきたい。どうか改めて今後ともよろしくお付き合い願いたい。

 ※先に記した、ブログ投稿のための執筆時のコピー&ペーストがうまくできない問題は解決した。何のことはない、それまで使っていた有線のマウスが老朽化したため、その機能が落ちてきていたからで、新しく別のものに替えたら元通りにコピペできるようになった。むろん、「投稿」したと思ったら、ただ今、アクセスが込み合っています、後ほどまたお願いします、というページが出て、それまで書いた分は消えてしまう状況は変わらないが。そのためにも必ず一度コピペして、手元に書き上げた分は確保した上で再度アップさせていく。

五輪開催強行に憤りと無力感、だが「選挙」がある2021年06月26日 08時39分51秒

★都議選、衆院選でまたも自公を勝利させれば、彼らの無法非道の強権政治を「信任」したことに

 無理やりというか、なし崩し的にというか、東京五輪は一気に開催に向けて猛スピードで走り出したようだ。
 一時期は、今回のコロナ禍での五輪開催に再延期、もしくは中止を求め国民の八割が、反対していると、開催に異議をとなえる報道も多く報じられたが、政府、五輪関係者たちは一切耳を傾けず、新型ウィルス対策分科会の尾身会長ら医療関係者からの「この状況で何のためにやるのか」という開催に危惧する提言さえも無視して、ひたすら開催に突き進んでいる。
 まさに丸川五輪相の「全く別の地平から見てきた言葉を言ってもなかなか通じない」(6月4日)の発言のごとく、彼らは我々国民とはまったく違う地平にいるのである。
 それは、五輪開催によって生じる金儲けの視点であり、国民の命と不安よりも経済活動優先という姿勢なのである。

 そして開催まで一か月を切るともはや開催の是非どころか、有観客での人数が問題とされ、次に会場内のアルコール類提供の是非、さらに今は、五輪出場に誰が確定した、落ちたとか選手選考の話題でメディアは大騒ぎである。
 まさになし崩し的に開催に突き進む一方、並行して東京、近県ではこのところまた新規感染者数が日々増加傾向にある。
 またしてもコロナは感染拡大するのかと不安な気持ちで今でも開催を疑問する多くの国民は、この流れに深い憤りと諦めの気持ちでいるかと思う。この我もである。もう何を言ってもともかく五輪は何が何でも強行されていくのか、たとえ「緊急事態宣言下」であろうとも、だ。
 そのとき、医療体制はどうなってしまうのか。自分の命は守れるのか。今、全国各地で起きているワクチン接種の狂騒騒ぎは国民の不安の表れなのである。

 思うに、こうした「民の声に一切耳を傾けず無視して決めたことは突き進む」という政府の政治姿勢は、これまでも沖縄でずっとこの自公政権がやってきたことだ。
 沖縄県民が何度も何度も選挙などを通して、新基地建設反対!!の意思を政府に突き付けてきたのに、その願いは一切無視して県民の負担軽減と言う詭弁を弄し、まさに民意と逆行することを平然と強行し続けてきた。
 そうした「強権政治」がこの五輪開催で、沖縄のみならず日本国民すべてに降りかかってきたと言えよう。
 強大な権力を持った者たちの前で民は無力である。しかし、そうした非道な為政者たちを選びこんなヒドイ政治を委ねたのもまた国民一人一人なのである。
 幸い今、東京都では、都議会議員選挙の最中である。このコロナ禍中でも、五輪開催を容認する都民ファーストと自公の議員たちを一人でも減らすことが、「五輪反対」の意思を示すこととなろう。
 そして秋には、間違いなく衆院選挙がある。
 その国政選挙で、政権与党の自民、公明のみならず野党のフリはしているが、全くの補完勢力である維新の議員をどれたけ減らせるかで、日本の未来は決まって来る。
 政治を今こそ都民、国民の側に取り戻していく。我らの声と思いは、選挙でしか届かない。

 もし、この状況下で2021年、またしても自公政権が勝利してしまい、「コロナは憲法改正の好機!」だと、政権側の失態は問われることなく感染防止策を有効にするためにも国民の「私権制限」が強くできるよう、憲法が改正されてしまえば、この国は現在の香港のようになってしまうことだろう。
 つまり政権を批判し反対する者たちは、治安を乱す者として逮捕拘禁されメディアも政権批判の報道は一切できなくなる。
 沖縄で起きていること、そして東京五輪で国民の声を一切無視して政府、自公政権が示した政治姿勢が日常的になるのである。
 そうした「悪夢のような自公政権+維新」が完成しないためにも我々はまず選挙に行って民意を、自らの意思を示さねばならない。

なし崩し的に開催される東京五輪へ怒りと抗議の声を上げていく2021年06月23日 23時13分37秒

★不安と危惧の東京五輪まであと一か月に

 先日来あれこれ書きたいこともあり、実際に書いたのだが、このところパソコンが老朽化してきたせいか、数日前は五輪への思いについて渾身の回を書き上げアップしようとしたら、送る途中にコピペに失敗して、書いたものはすべて消えてしまった。
 意気消沈し気力も失せてまた間がやや空いてしまっていた。

 このアサヒネットのブログ、ウチのパソコンが悪いのか、それとも何かブログ管理側のシステムの問題なのか、書いたものを送信しても、「ただ今アクセスが集中し混雑してる」とかいう表示が出、「後ほど送ってください」、と送れないことがよくある。
 で、そうしたとき「送信」したものは全部消えてしまうので、こちらとしては保険として送る前に一度コピーして、アップできない時に備えておく。
 ところが、ウチのパソコンが不調気味で、このところうまくコピーすることができない。
 おわかりのことだと思うが、一度コピーするところをマウスを使いカーソルでなぞって色が変わったところがコピーできた部分のはずが、コピーそのものがうまくいかず、そうしたなぞる作業を繰り返していたらせっかく書いた渾身の長文がコピーどころか一瞬で消えてしまったのだ。
 ならばもはやブログ用のパソコンを新しいものに全面的に移行するか、ブログ自体違うブログ運営会社に変えるか、解決策はなくもながだが、いまはともかく慎重に、少し書いてはコピーして送信し、少しづつアップさせてと、面倒だが書き溜めたものが雲散霧消しないようちびちび書いていくしかない。

 さておき東京五輪開催まで一か月と迫って来た。安全安心どころか感染再拡大の不安と心配でいっぱいのオリンピックである。このコロナ禍、まさに常識では「開催はない」が、緊急事態宣言下であろうと、「ハルマゲドンでも起きない限り(コーツ氏曰く)開催される」ことになるようだ。
 言うまでもなく、開催国日本国民の八割が中止もしくは延期を望み、このコロナ禍、オリンピックどころではないという気分であるのに、政府や都知事、そしてIOCなど為政者、大会関係者たちは一切そうした声には耳を傾けず、ひたすら「安全安心な大会を目指す」と、お題目のように何の保障も確約できないことをくり返すだけで、ついに開催まで一か月となってしまった。
 おそらくなし崩し的に、このままどんなひどい感染状況、医療崩壊となろうともオリンピックは開催されていくことたろう。始めてしまえばもう途中で中止はできやしない。菅政権とIOCの幹部たちは国民の命よりもオリンピックのほうが重大事なのはどうしたことか、誰もが理解に苦しむ。

あと一年、何としても父を生かしていく2021年06月14日 07時37分50秒

★すべてに「時」はあるけれども

 関東、東京は梅雨に入ったかわからんけど、鬱陶しいじめじめとした「梅雨どき」らしい曇りか雨もよいの日が続く。
 梅雨と書く、字義通り、いまどこも梅の実がたわわになり、その梅で梅酒や梅干しを漬ける季節である。
 昨日は、自立型脚立に昇ってウチの庭の梅の実をもいで、ついでに伸びた枝の剪定も行った。
 そう、ウチには右隣の隣家に接してさほど大きくない梅の木もあって、先年、故あって一度枯れかけたが、幸い持ち直してこの数年多くはないが再び実をつけるようになった。
 今年は、低い枝についた手近にもげる分の実は、先にその隣家におすそ分けしたので、ウチのぶんは2キロもないけれど、これからそれを洗って梅干し用に漬けこむことにする。この数年、とれる分はごく少しで、とれても隣家にそれは全部あげてしまうので、ウチで梅を漬けこむのは久しぶりである。少しづつまた母が生きていた頃に戻って来た感がある。

 さておき、後ほどその脚立の画像をあげるが、これは、アルインコ社製の高さ約3m以上ある、同型のうち一番大きい自立型の脚立だ。※庭師などが使う、下部が広がっている梯子を1本のポールで支え、どこかに立てかけなくても自立して使えるタイプの本格的なものだ。
 あまりにウチの庭の植栽が伸びすぎ、隣近所から煩く言われていたので、先日、突発的にAmazonで注文してしまった。値段は3万円近くした。
 当初は我家まで配達、とのことだったが、あまりに大きくてヤマトや佐川では扱わず、アルインコ自社から配送なのだが、ウチの前の道にはその配送する車が入らないとのことで、仕方なく一番近くの集荷センターがある狭山市日高の物流倉庫まで自ら出向いて引き取りに行った。
 じっさいかなり大きく、アルミ製で軽量だけれど扱いに苦労する。
 その日は、我が盟友フォークシンガー太田さんにウチまで来て頂き、二人で圏央道の日高インターまで走り、その物流倉庫で引き取り、ウチの軽のミニワゴン車の屋根に苦労して前後にかなり飛び出しながら無理無理にロープで括りつけて持ち帰って来た。
 一人ではその脚立を持ち上げて屋根に縛るのは難しかった。二人で何とか乗せて無事に持ち帰れた。それが先月30日のことであった。

 そして、今月5日、土曜の午後には、かけこみ亭をお借りして、ウチの子猫の譲渡会を開いた。
 今回まず生まれた七匹のうち、既に予約が入っていた2匹を除いて、残る5匹を連れて行き、三家族が来てくれてそれぞれ一匹づつ、三匹が新たな家庭に貰われて行った。三留まゆみさん、かけこみ亭関係者の方々にも改めて厚く御礼申したい。
 ※その「予約」されていた子猫二匹は、前回記したように、12日の土曜に八王子市鑓水のショッピングセンターの駐車場で引き渡せた。

 そんなでやたら慌ただしく、父の介護施設の利用もこちらの都合で変則的になってしまい、通常は、土曜日に送り出し月曜にいったん戻るのが、今月頭は水曜までに延ばしてもらった。
 またさらに続いて今月3日の木曜から次週10日の木曜までロングで別の施設に預かってもらうことにしてもらった。七泊八日の利用は初めてのことであった。それもこれも猫騒動の余波である。おかげで父の介護はせずに家のこと、猫のことに専念できた。
 しかし、この10日にそのロングのお泊りから帰って来た父は、さすがに呆けと衰弱が進み、我家に帰宅しても意識が朦朧としてなかなか反応が戻らなかった。

 その老人介護施設では常に車椅子で移動させられているし、基本、個室で寝てばかりいたようで、食事もあまり進まなかった感じで、また一回り小さくなったというのがまず帰宅時の印象だ。
 翌日は、終日我が家に居て、医師と看護婦の訪問診察などがあり、人も来たりして刺激があったせいか、何とか夜にはこちらの声かけに真っ当な反応が戻ってくるようになった。彼の愛する猫たちの存在も大きい。
 やはり施設に預けぱなしにしてしまうと結果的に老衰はさらに進み、体力低下だけでなく呆けも進んでしまうのだと痛感、反省した。
 今回は何とか幸い彼の人格、自意識が「戻った」が、一か月も我が家に帰れないと、ウチに帰って来たとしてももう何もわからず反応もなく、ひたすらこんこんと眠り続けて食事も摂れないだろうと予想できた。
 そういう状況は目前だが、そうなってしまえば衰弱がさらに進み死期はさらに早まり、年内もつかも危ぶまれる。

 じっさい別施設で月ごと体重測定してもらったら、昨年暮れの時点では約60キロあった体重が年明けからじょじょに減り続けて、58、57、56と落ちて来ていたのが、今月はそんなこんなでなんと54キロ台である。
 かつての六尺男、背が約180㎝近くもあり、初老期には体重も80キロもあった偉丈夫が、いまではこの我よりも小さく体重も少なく、まさに骨と皮となってしまった。いよいよ危険水域に入ってきたと思える。

 さて、どうしたものか。いま、父がすぐ死んでしまえば、一時的に保険金は少しは入る。が、古本稼業もとうとう行き詰ってしまった我には年金もなく、我家は完全に「無収入」となる。
 恥ずかしい話を記すが、いまこの家は何とか父の少ない年金がともかく二カ月おきに入って来るので、介護施設利用料も家の食費も様々な税金、光熱費なども何とかそれでまかなっている。
 といっても父の施設利用料だけで10万円近くかかるので、じっさいは父の年金だけでは赤字続きで、我の貯金を取り崩したり、九州の妹からときに送金してもらい何とかやりくりしてきた。※我の「貯金」とはAmazonからの売り上げ収入で、かつては100万以上あったが、少しづつ支払いに下ろして今では数万円台となってしまった。
 しかもこのところ猫たちが大量に増えてしまい、その餌代や猫砂だけで月に何万も出費がかさむ事態となってしまった。
 あれこれ先のコトを考え出すと頭が痛くなり不安でウツウツとしてくる。いったいどうしたらよいものか、どうなってしまうのかと。

 で、今回気づいたのは、そんな手のかかる父であるが、どのような状態でもともかく生きてくれていて、施設に通い、定期的にウチに帰って来てくれるのは有り難いことだということだ、と。
 というのも、父が不在だと我は自分のことに専念できるわけだけれど、逆に生活が不規則となってしまい、さほど効率が上がらないだけでなく体調も崩してしまうことに気がついた。
 父がいないと気ままにヘンな時間にだらだら昼寝したりすると食事も不規則となり夜もなかなか眠れずに明け方まで起きたりして日中もぼうっとして体調もすぐれない。
 わかったことは、この我は、自分一人では何一つ自らを律することができず、食事もきちんと作らず、インスタントラーメンやスーパーで出来合いの弁当など買ってきてはアルコールで流し込み酔っぱらって寝てしまうことばかりしてしまうのだ。
 まだ父や猫たち犬など、世話しないとならない他者がいるから、とことん崩れないが、今室内は、汚れた皿や缶ビールの空き缶が散乱して、よく報じられる、あたかもアパートで孤独死した一人暮らしの老人の住いとなっている
 人は人のために生きてこそ、という言葉があるが、我は何より自らに関心が薄く自己愛も低いので、自分のためには何もしない。よって誰か他者がいてくれてこそ、その人のために動くことができるし、何でもしようと思える。じっさいこんな我にも求められれば何でもやってきた。
 今はまだ父がいるから、父の施設とのローテーションで我の生活サイクルも成り立っていることに気がついた。
 そう、ある意味、手のかかる父や動物たちがいるから我はまだ生きていけるのだった。

 ただ父は間もなく死に臨むことは間違いなく、あとはやたら金のかかる猫たちだけが我に残される。父亡きあと一人でどうやって生活していくべきか。

 それで考えた。かなり難しいことだが、ともかくあと一年と期限を決めて、来年の6月まで父をともかく何としても生かし、その期間にまず猫問題はこれ以上増えないよう、完全解決をはかる、ということだ。
 父が施設に定期的に通ってくれて、父の年金も定期的に入って来る間に、猫のことも家の片付けのことも処理、管理を進めて、まさに今後も維持、継続可能なようにこの生活を立て直していく。

 それが出来なければ、この我の人生も先はない。行き詰ってさらに自らへのネグレクトは進み、やがて荒れ果てた家で孤独死するか、隣近所とのトラブルにキレて隣人たちを殺して家に火をつけて動物たちもろとも破滅していくだけか、だと考えている。
 そうしたヒサンな情けない事態にならぬよう、ともかく父をあと一年は何とか生かして、その中でできること、やるべきことを少しでもやっていく。
 嗤われても呆れ果てられてもかまわない。これが現実だ。どうしようもない人生の決着をつけていく。

ここから、これから少しでも持ち直していく。2021年06月01日 23時44分55秒

★6月に入りました。

 何から書いたらよいものか。まずは父のコトを少し。

 父の体調、食べられなくなって痩せて体力が落ち衰弱がさらに進んでしまったことは先に書いた。
 じっさい介護施設から帰宅しても歩くのもやっとで、ウチの屋内はモノがあり過ぎて、とても車椅子は使えないので、我が常に手を引き、座椅子からは抱き起して立ち上がらせて、と、ベッドからトイレまで家中どこに移動するにせよ朝から晩まで介助さねばならない。
 ふらつきもひどく、先の帰宅時は、何度よろめいて家の内外で転んだかわからない。父に押され倒されて我も共に転んだこともある。身体中青あざだらけとなっている。

 ともかくこのところは食べさせるだけでも一苦労ゆえ、けっきょく先月後半から、父は介護保険の点数いっぱい施設に預けることにして在宅の日は極力減らすことにした。
 一晩程度の世話は労苦だと思わないが、二晩、つまり朝から晩まで終日家にいる日があると、こちらも睡眠不足もあって心身の疲労で精神的に疲弊して体調がおかしくなる。
 そんなでなかなか我が家には帰れない父には可哀想というか、すまない気持ちでいっぱいだが、父が帰宅する日は朝から気が重いというのも正直なところだ。
 これが母がまだ生きていたり、我に妻なり子なり他に家族がいれば、介護も分担でき、気持ちも体も楽だろうと思うが、ともかく今は父一人、子一人という家庭なのだから我一人ではとても24時間父の世話はできない。

 ただ、そうして今はデイサービスのお泊りとショートステイに預かってもらえているが、このままさらに老衰が進んでしまえば、食事が摂れないだけでなく、そこに行ってもひたすら眠ってばかりなら利用自体難しくなるだろう。
 その場合、特養などに入れて完全に我の手から父は離れることになると思うが、その日も間もないとひしひしと感じている。
 また、ひどく転んでまたもや骨折などしてそのまま病院介護施設に収容されるか、その可能性も高い。
 あるいは誤嚥性肺炎起こして即そのまま入院ということも。
 幸いなのは、今行っている介護施設でもコロナ患者は発生してなく、通常通り通えているから我も父も今までの日常の延長で何とかやっていけているわけで、コロナで施設閉鎖とか当人が感染ということになれば、その時点で嫌でも全ての終わりとなろう。有難いことである。

 父が帰宅する日の前の晩は、いつもあれこれ「この先」のことを不安に駆られて考えたものだが、もう百歳近くまで生きて来れたのだから何が起きようと「そのときはそのとき」だと思考停止という方便を覚えた。
 高齢の老人優先に、コロナのワクチン接種がウチの市でも進んでいるようだが、我としては在宅時にかかりつけ医が来て打ってくれるのならともかく、父を連れてどこかの会場に出向いて集団接種などまったく受ける気はない。コロナに感染しなくてももはや明日をも知れぬ年齢なのである。ワクチンは早く打ちたくてたまらない、もっと若い元気な年寄りにまわしてくれ、という気分だ。

 さておき、父のことはともかく、先月5月はともかく慌ただしかった。予期せぬ事態が次々起きてしまった。今も何一つ解決はしていない。
 が、今、月も改まり、ようやく事態はやっと収拾の方向に向かっている。むろん我の多事多難な(一概に何が多難かはともかく)人生はこれからも変わらず続く。
 実は今月、6月は、九星気学から見ると、我の運勢は今年最悪の月なのである。
 ならばこそ何があろうと父のことも含めて、今月を無事にともかく乗り切れれば、たぶんこの先しばらくはさらにこれ以上の悪いことはないだろう。運勢もだんだん持ち直していく。

 実はコロナ大不況で、我の商売も注文が途絶えて、父の年金も介護保険代と施設利用料の増加で振り込まれた分は右から左へ消えていく。生活のため我の貯金も切り崩して残高はゼロに近い。
 それに加えて、Amazonなどでの支払いでの引き落としも嵩み、我の通帳の引き落としできないマイナス残高は20万近くとなってしまった。
 このままだと、父母名義の定期預金を解約しないとこの家の家計は破綻してしまうと真剣に考えるこのところではあるが、なにはともあれ父はまだ生きているし、我も何とか無事生きながらえている。
 今ここを凌げば、ここを乗り切れば持ち直せると思いたいし、きっと良くなっていくと思っている。
そのためにもともかくまずは、今月を無事に乗り切ることからだ。

 無理せず、慎重に丁寧に何事もきちんと向き合っていく。
 これから、ここから少しでも少しづつでも持ち直していく。元の生活を取り戻していきたい。もうダメだと思うことも、つとあるが、まだできる、まだまだがんばれると信じてやっていく。

やっと晴れた!!2021年05月23日 09時44分23秒

★洗濯も含めて、できるときに、できることをやっていこう!!

 「近況の続き」、自分のことを書く。
 このところやたら雨や曇りの日が多く、からっと朝から晴れる日はめったにない。
 今日、23日は幸いようやく明るく晴れて久々の五月晴れである。
 拙ブログ、途中まで書きかけて、溜まった汚れもの洗濯し干して、猫たちのトイレの砂箱干して取り替えたり、自分の布団も干したりと朝からいくつかの「けんあん」のことを昼過ぎまでかかってやっと終わらせた。

 遅い朝昼兼用の食事を終えて、午後は窓を開けて取り込んだほかほかの布団で短時間だが昼寝をした。
 夕刻、起きたら携帯に着信があり、誰だか表示は出てなかったのだが、ショートメールも届いていて、我が山梨の倉庫兼古民家のお隣の家の方からだと判明した。
 その短いメールでは先日の雨で、ウチの庭先のケヤキの枝がその家の雨樋や瓦に落ちて壊して大工を呼んで修理をしたことと、だからできるだけ早く伸びて徒長したその樹の枝を切ってくれと強い「要請」が記してあった。
 慌てて電話をかけて、ともかく詫びて、近く緊急事態宣言が介助されたら出向くこと、そして少しづつでもケヤキの枝下ろしはしていくことを伝えた。
 向うは、個人では切るのはタイヘンで難しいだろうし、職人を紹介して手配もしようかと提案されたが、いまはとてもそんな金銭的余裕もないので、ともかく近く行けて直接会った時にまた相談することでひとまず話はついた。※他府県との往来は「自粛」しろとの「緊急事態宣言」中で助かったと思った。

 田舎暮らしというのは、自然の中で誰にも会わずゆったりのんびりできると思われるだろうが、じっさいは大違いで、まずはご近所さまとの付き合いこそが何よりタイヘンなのである。ともかく気を使う。
 そもそも人より猿や鹿の姿が多い限界集落の山里だから、ご近所に存在する人間は、このお隣さんしかいない。道を挟んだ向かいに一人暮らしの老婆がいたはずだが、このところは入院されたか行ってもその家は窓も開かず夜も明かりもついていない。
 ともかくご近所の人間はこの段差ある坂道のすぐ下の隣一家だけで、もしウチの古民家に泥棒や火災、風水雪害など何かあったときなど知らせてくれるのはその隣家だけしかいない。大事に応対せねばならないのである。
 以前はそのケヤキや庭の植栽、大学時代の友人、「社員」氏を招いて同行して、二人で伸びた枝を切り落としていた。
 が、このコロナ騒動で、その友人は、今彼がいる茨城県笠間市から東京に来れなくなり、人手がなくなってしまった。
 むろん一人ても山梨へ行ったとき、少しでも伐採作業をしていけばよいのだが、いろいろあって冬の間は何カ月も行けず、今は、行けても高所作業でもあるため一人ではためらわれて、なかなか切る事ができなかったのだ。
 そしてとうとう見かねたお隣さんからお小言を頂いたという次第である。いや、以前から伸びた桐の木も落葉がひどく困る、何とかしろと言われていたのだった。やれやれである。

 コロナ禍も関係なく多事多難の人生は続く。しかしそのどれも全ては我の責任、自業自得なのである。
 家でもモノでも生き物でも何であれ、多くを抱えるということは、維持していくためにも責任が問われ求められる。当然それには金もかかるし労力もいる。モノゴトには常に苦労が伴う。

 実は・・・迂闊に書くべきか迷っていたのだが、我が失態によりまたも子猫が産まれてしまった。
 幸いにして、我が女友達が貰い手を捜すご協力してくれているので既に数匹は飼い主がみつかりそうだ。
 だが、まだ残ってはいる。何とか貰い手を捜していかねばならない。 だが、保護団体とかにご連絡は無用なので当ブログ内だけで内密にお願いしたい。

近況とこれからのこと等々2021年05月22日 23時51分14秒

★とりあえず眼前の危機は乗り越えられたか~まだ何とか生きている。

 このところ、一週間もずっと雨もよいの日が続いている。
 まだ関東は梅雨に入っていないはずなのだが、しとしとと弱い雨が断続的に降ったりで、時に蒸し暑く、ときに肌寒く、気持ちも天気同様スッキリしない。
 暑い日は夏日になるほど暑くなって、朝晩との寒暖差も大きく身体がまだ対応できていない。
 不順で安定しない天候も関係してか、我の寒暖差アレルギーもだが、高齢の父はこのところ体調崩してどうしたものか対応に追われていた。
 が、幸い何とかまた今朝から介護施設に送り出せて、向うから特に連絡もないのでやっと今は一安心、安堵の気持ちで久々にブログに向かっている。
 今さらだが、今月、このところの近況も含めて、「これから」のことなど書き記していきたい。

 コロナ禍など関係なく、相変わらず多事多難の人生は続いている。
 まずは、我が父のことだ。
 年寄りは、自ら体温調整が難しいと言われるが、気温が高い日は、体温が常時37℃台前後となって、なかなか下がらない。
 軽い熱中症気味となって身体もほてり、このところの父は何か怠そうである。が、何とか冷房入れて対処するとして、それよりも問題は、飲食時の吞み込みがさらに悪くなったことだ。

 食べ物を口に運ぶ都度、ゴホゴホと咳き込み、ときに喉に詰まったからか突然吐き戻してしまう。そんなことが続いている。
 自らに任せていると苦しい故食べなくなるから、ますます痩せていく。仕方なく我が傍らに付いて、飲み物と食べ物を咽ないよう交互に食べさせなくてはならない。一回の食事に、食べさせるだけで一時間はとられる。
 若い頃からの健啖家で、老いて来ても彼の弟や妹たちも呆れ果てるほど食べられた人だった。昔で言う、六尺男、約180㎝近くもあり、一時期は体重も80キロ近くあった。
 が、加齢とともにしだいに痩せ衰え、10年前の大腿骨の粉砕骨折以降、歩行が難しくなったこともあって、この数年は、常時60キロ前後で推移していた。
 しかし、先月から吐き戻すことも多かったからか、一気に体重が落ちて、今月の施設内での計測では、55キロとのことで、いよいよ゜危険水域」に入って来た感がある。
 着替えさせるとき裸にするとまさに骨と皮で、頬もこけてきて体脂肪はほとんどないと思える。
 そして食事中もだが、朝起きてもやたらうとうと眠ることが多くなった。
 やがてこのままひたすら眠り続けてそのまま逝くのであろうか。

 このところメディアでは、かなり高齢の、百歳近くの著名人の訃報が続いているが、そのどれも「老衰死」であり、特に大きな進行性の病がなければ、おそらく誰もが我が父のように、百歳前後までともかく生きながらえて緩やかに死んで行くのであろう。
 我が母のように頭はしっかりしていて、癌などの進行性の病で死期を迎えるという死は耐え難いが、父のように何もかもできなくなって何もかもわからなくなって「なし崩し的」に死んで行くのもいかがなものかと思える。
 むろん迫りくる死の恐怖、死の受容は、当人は何も感じないのだから心身共に苦痛もなく、ある意味、理想的な死に方であるのは間違いない。何もわからない、なにも感じないということは。
 楽なのは、老衰死であることは当然だが、死は、当人自らの問題として、意識してきちんと向き合いたいし、周囲の人たちにとっても「そのとき」は、しっかりと迎えたいのではないかと我は思うのだが・・・

 ともかく、我が父もこのまま咽て食べられないから食べなくても仕方ないと、ほったらかしにしてしまえば、さらに体重は落ちて衰弱していくわけだから、介護施設に任せるだけでなく帰宅時には、息子である我が親身になってできるだけ多く、しっかり食べさせないとならない。
 常に吐き戻さないよう注意しつつ、許容最大量まで食べさせるというのは、かなり神経を使うが、その行為こそが父を一日でも長く生かせることに繋がるわけで、やっていくしかない。
 やがて本当に口からは食べられなくなって、こんこんと眠り綴けるときも間もないと感じている。また、転倒してまた骨折してそのまま二度と我が家に戻れない可能性も高い。
 いずれにせよ、近づく終わりの日、その日まで、一日一日、我は誠実に生きていこうと決めた。あと何日あるかとか考えない。ともかくその日が無事終わってまた明日が来ることを待ち望むだけだ。
 父のことはまた何かあれば書き記していく。