これからのこと③ ― 2024年02月19日 22時29分45秒
★キリギリスは、アリになれないのだから、ならば・・・
寓話の中では、けっきょく冬が来た時、夏中遊びほうけていたキリギリスは、蟻に助けを求めたものの拒絶され死んでしまうのであったか。
その結末についてよく思い出せないが、蟻が哀れに思い助けてくれたとは記憶していないから、けっきょく最期は描かれずとも死んでしまったということなのであろう。
で、キリギリスであるところの我はどうするか、だ。
老後という「冬」が来たとき、収入も蓄えもなく、まさに寓話の如くなし崩し的に死ぬということも大いに考えられる。
今は、労働力が不足している社会だから、70近い我でも、選り好みしなければ、単純な肉体労働ならば仕事もあるだろう。
しかし、それって、こんな歳になって若い時のツケを老体に鞭打って払うのならば、ほんとうにバカとしか言いようがない。ならば、もっと早くカタギに戻るべきだし、まさに若い時に気づき悔い改めるべきであった。
もし我に、これまでの生き方、生きてきたことに少しでも悔いがないとしたら、キリギリスはキリギリスのまま一日でも長く、キリギリスとして自ら生きて行ける道を探るべきではないか。蟻に物乞いするのではなく。
いや、悔いはいくらでもある。が、そういう風にしか生きられなかったのだ。まさに亀は甲羅に似せた穴を掘るように、我は我に合った人生、生き方をただずっと無意識にしてきたのだ。それはこの先も変えられない。
で、どうするか、どうすべきか。どうやって生活費を得ていくか。
幸い我は、全くの浮浪者ではなく、収入はなくとも住む家はある。生きて行くために必要な家財など、モノも有り余るほどある。衣服も含めて足りないものはほとんどない。
必要な日用品、消耗品は100円ショップで、たまに本や雑誌をAmazonでポチるぐらいだ。
ただ、この社会で生きて行くには、光熱費などのインフラにかかる費用や、諸々の税金、保険料などがそれよりはるかに多くかかる。
加えて、自らの食費などはたかが知れてるが、そこに共に暮らしているたくさんの猫と犬たちの食費、医療費なども含め生活費が人間のよりはるかに高くかかる。
親たちの遺してくれた家の預金もまだ少しは残ってるが、どこからも入るアテはないのだから、早晩それも尽きていく。さて、どうする? どこからどうやって金を得る。
自らの病気、病的障害を思えば、生活保護など受給することも考えたが、こんな大きな家に住み、犬猫を飼っていたら無理も無理なのはあきらかで、ともかく自らで少しでも稼ぐ手を編み出さねばならぬ。
つまるところ、古本稼業の再開もだが、まずは今、ウチにあるモノ、ほんとうにたくさんの親たちの代から捨てられず残してきた物すべてを、ヤフオクやメルカリなどで売れるかはともかく出品して、小銭を稼ぐことを模索するしかないかと考える。
ウチには、来られた方はご存じだろうが古書籍だけでなく、レコード、ギター、オーディオ機器などが、誇張ではなく「山ほど」いっぱいある。レコードだけでも数千枚はあろう。それらを順次、断捨離もかねて売りさばいて行けば、我の死まで家の片づけも進むのではないか。
じっさい、求人広告なども目にしてみた。が、安い時給で一日8時間以上、移動時間も含めて拘束されるより、ネットオークションの類は自らは家にいられるので、自分のこともできる。
けっきょく、タコが自らの足を食うような生き方、いや、死に方しかできないのか、と嗤われるかもしれないが、売れるモノはなんでも売って少しでも金にしていくしかない。
そしてさらに嘲笑われることを承知で書けば、我がいちばん売りたいのは、実はそうしたモノではなく、我の才なのである。ネットで、我の拙い才でも売れはしないだろうか。
ネットを駆使して金を稼ぐことである。
【この稿続く】
寓話の中では、けっきょく冬が来た時、夏中遊びほうけていたキリギリスは、蟻に助けを求めたものの拒絶され死んでしまうのであったか。
その結末についてよく思い出せないが、蟻が哀れに思い助けてくれたとは記憶していないから、けっきょく最期は描かれずとも死んでしまったということなのであろう。
で、キリギリスであるところの我はどうするか、だ。
老後という「冬」が来たとき、収入も蓄えもなく、まさに寓話の如くなし崩し的に死ぬということも大いに考えられる。
今は、労働力が不足している社会だから、70近い我でも、選り好みしなければ、単純な肉体労働ならば仕事もあるだろう。
しかし、それって、こんな歳になって若い時のツケを老体に鞭打って払うのならば、ほんとうにバカとしか言いようがない。ならば、もっと早くカタギに戻るべきだし、まさに若い時に気づき悔い改めるべきであった。
もし我に、これまでの生き方、生きてきたことに少しでも悔いがないとしたら、キリギリスはキリギリスのまま一日でも長く、キリギリスとして自ら生きて行ける道を探るべきではないか。蟻に物乞いするのではなく。
いや、悔いはいくらでもある。が、そういう風にしか生きられなかったのだ。まさに亀は甲羅に似せた穴を掘るように、我は我に合った人生、生き方をただずっと無意識にしてきたのだ。それはこの先も変えられない。
で、どうするか、どうすべきか。どうやって生活費を得ていくか。
幸い我は、全くの浮浪者ではなく、収入はなくとも住む家はある。生きて行くために必要な家財など、モノも有り余るほどある。衣服も含めて足りないものはほとんどない。
必要な日用品、消耗品は100円ショップで、たまに本や雑誌をAmazonでポチるぐらいだ。
ただ、この社会で生きて行くには、光熱費などのインフラにかかる費用や、諸々の税金、保険料などがそれよりはるかに多くかかる。
加えて、自らの食費などはたかが知れてるが、そこに共に暮らしているたくさんの猫と犬たちの食費、医療費なども含め生活費が人間のよりはるかに高くかかる。
親たちの遺してくれた家の預金もまだ少しは残ってるが、どこからも入るアテはないのだから、早晩それも尽きていく。さて、どうする? どこからどうやって金を得る。
自らの病気、病的障害を思えば、生活保護など受給することも考えたが、こんな大きな家に住み、犬猫を飼っていたら無理も無理なのはあきらかで、ともかく自らで少しでも稼ぐ手を編み出さねばならぬ。
つまるところ、古本稼業の再開もだが、まずは今、ウチにあるモノ、ほんとうにたくさんの親たちの代から捨てられず残してきた物すべてを、ヤフオクやメルカリなどで売れるかはともかく出品して、小銭を稼ぐことを模索するしかないかと考える。
ウチには、来られた方はご存じだろうが古書籍だけでなく、レコード、ギター、オーディオ機器などが、誇張ではなく「山ほど」いっぱいある。レコードだけでも数千枚はあろう。それらを順次、断捨離もかねて売りさばいて行けば、我の死まで家の片づけも進むのではないか。
じっさい、求人広告なども目にしてみた。が、安い時給で一日8時間以上、移動時間も含めて拘束されるより、ネットオークションの類は自らは家にいられるので、自分のこともできる。
けっきょく、タコが自らの足を食うような生き方、いや、死に方しかできないのか、と嗤われるかもしれないが、売れるモノはなんでも売って少しでも金にしていくしかない。
そしてさらに嘲笑われることを承知で書けば、我がいちばん売りたいのは、実はそうしたモノではなく、我の才なのである。ネットで、我の拙い才でも売れはしないだろうか。
ネットを駆使して金を稼ぐことである。
【この稿続く】
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_ ミチロフ ― 2024/02/20 16時14分20秒
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