さあ、もういっぺん ― 2025年04月01日 23時53分20秒
★気がつけば今日から4月
そう、もたもたしていたら、新年になったと思ったら、早や三か月が過ぎてしまい今日から4月である。もう今年も四分の一が終わってしまった。
愛犬の病気、傷も癒えたので先月の23日、久々に都心に出て、東中野じみへんでの太田三造さんの定例ライブに顔出してきた。
彼のCD製作に向けて、下準備のためにも久々のじみへんである。
コンサート自体は、何も問題なく、善い旧知の仲間たちと太田さんのうたを共に楽しんだのだが、何故か終わってものすごく疲れた。
コンサートが始まったのが、諸事情で遅れたため、終わったのも遅くなったこともあるが、こちらは何もせずただ座って観ていただけなのに、強い疲労感に囚われて帰りはフラフラで意識朦朧気味で何とか無事家路についた。
まあ、朝から何も食べずに昼には家を出て、店でも何も口にしなかったから空腹と脱水症状に襲われたのかもしれない。
しかし、実はそれから一週間もずっと体調が悪かった。ともかく疲れやすくて起きていられないのである。さておき・・・
そのライブで、彼は、最後のほうで観客のリクエストに応えて、『唄う古本屋』という曲を唄った。
ご存じの方もいるかと思うが、その曲は、今から十数年前、彼と我が知り合って間もない頃に、彼が我のことをモデルにつくった歌で、当時の我の有様や心境をうたにしてくれたものだ。
その頃は、毎年年末のクリスマスの頃には、拙宅の大広間で、誰彼かまわず声かけて謝恩パーティを開いてよく唄ってくれていた。
が、ひさびさにそのうたを、じみへんのライブでじっくり聞いて、我は非常に居心地が悪いというか、この身が切り刻まれるように辛く苦しい気持ちになった。
というのは、その頃はそうだったのに、今の自分はそうではなくなってしまった、その唄にはもはや我はいないということだ。
当時は確かにその唄の通りに思っていたはずなのに、この歳月の間にすっかり何もかも変わってしまったのだ。
正直な気持ちを言えば、もう本はその唄に歌われるようにはさほど好きではないし、何より古本屋でも今いまはないし、なにより我はもう唄ってもいないのである。今の我が、昔の自分のことやその心境を思い返すとき、現実、現況とのギャップに傷つき苦しむという気持ちか。
もはや親たちもいなくなってしまったし、そのパーティを開催できたスペースの部屋は、崩れた本の山で足の踏み場もない有様のままで、入ることもままならない。その当時の頃を思い出すとほんとうに情けないに尽きる。
いったいどうしてこんなことになってしまったのか。
その理由をあれこれ書いたとして何一つ解決も改善もしやしない。
ただ、その歌を久々に改めて聴いて、本に対する気持ちや状況は変わってしまったとしても、もう一度あの頃のように、再び拙宅で友たちと集い、楽しい音楽の場を持てたらなあと思い直した。
唄う古本屋でなくなってしまったとしても、「うた」とは死ぬまで関わっていきたい気持ちは変わらないし、唄う何者かにはなれるかもしれない。
今さらながらだが、もう一度この人生を取り戻したい。生き直したいと今強く希う。そのことをこの歌は思い知らせてくれた。
自分がモデルになってるからといって、たかが歌なのである。自分とは関係ないと一笑するなり高を括ることができれば済む話なのだ。
が、歌い手が力があると、そのままこちらにその当時のことがありありと迫って来て、我は責められる思いで苦しくなったのだと今気づく。
そう、たかが歌なのだ。がされど、それも歌なのである。太田三造恐るべし。
そう、もたもたしていたら、新年になったと思ったら、早や三か月が過ぎてしまい今日から4月である。もう今年も四分の一が終わってしまった。
愛犬の病気、傷も癒えたので先月の23日、久々に都心に出て、東中野じみへんでの太田三造さんの定例ライブに顔出してきた。
彼のCD製作に向けて、下準備のためにも久々のじみへんである。
コンサート自体は、何も問題なく、善い旧知の仲間たちと太田さんのうたを共に楽しんだのだが、何故か終わってものすごく疲れた。
コンサートが始まったのが、諸事情で遅れたため、終わったのも遅くなったこともあるが、こちらは何もせずただ座って観ていただけなのに、強い疲労感に囚われて帰りはフラフラで意識朦朧気味で何とか無事家路についた。
まあ、朝から何も食べずに昼には家を出て、店でも何も口にしなかったから空腹と脱水症状に襲われたのかもしれない。
しかし、実はそれから一週間もずっと体調が悪かった。ともかく疲れやすくて起きていられないのである。さておき・・・
そのライブで、彼は、最後のほうで観客のリクエストに応えて、『唄う古本屋』という曲を唄った。
ご存じの方もいるかと思うが、その曲は、今から十数年前、彼と我が知り合って間もない頃に、彼が我のことをモデルにつくった歌で、当時の我の有様や心境をうたにしてくれたものだ。
その頃は、毎年年末のクリスマスの頃には、拙宅の大広間で、誰彼かまわず声かけて謝恩パーティを開いてよく唄ってくれていた。
が、ひさびさにそのうたを、じみへんのライブでじっくり聞いて、我は非常に居心地が悪いというか、この身が切り刻まれるように辛く苦しい気持ちになった。
というのは、その頃はそうだったのに、今の自分はそうではなくなってしまった、その唄にはもはや我はいないということだ。
当時は確かにその唄の通りに思っていたはずなのに、この歳月の間にすっかり何もかも変わってしまったのだ。
正直な気持ちを言えば、もう本はその唄に歌われるようにはさほど好きではないし、何より古本屋でも今いまはないし、なにより我はもう唄ってもいないのである。今の我が、昔の自分のことやその心境を思い返すとき、現実、現況とのギャップに傷つき苦しむという気持ちか。
もはや親たちもいなくなってしまったし、そのパーティを開催できたスペースの部屋は、崩れた本の山で足の踏み場もない有様のままで、入ることもままならない。その当時の頃を思い出すとほんとうに情けないに尽きる。
いったいどうしてこんなことになってしまったのか。
その理由をあれこれ書いたとして何一つ解決も改善もしやしない。
ただ、その歌を久々に改めて聴いて、本に対する気持ちや状況は変わってしまったとしても、もう一度あの頃のように、再び拙宅で友たちと集い、楽しい音楽の場を持てたらなあと思い直した。
唄う古本屋でなくなってしまったとしても、「うた」とは死ぬまで関わっていきたい気持ちは変わらないし、唄う何者かにはなれるかもしれない。
今さらながらだが、もう一度この人生を取り戻したい。生き直したいと今強く希う。そのことをこの歌は思い知らせてくれた。
自分がモデルになってるからといって、たかが歌なのである。自分とは関係ないと一笑するなり高を括ることができれば済む話なのだ。
が、歌い手が力があると、そのままこちらにその当時のことがありありと迫って来て、我は責められる思いで苦しくなったのだと今気づく。
そう、たかが歌なのだ。がされど、それも歌なのである。太田三造恐るべし。
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