10月、気持ち新たに ― 2024年10月01日 23時01分08秒
★哀しみと苦難・困難の日々を乗り越えて
哀しみと混乱の月は過ぎ去り、10月となった。
先月半ばまで、ほぼ毎朝、市の野外スピーカーから「熱中症警戒アラート」が発令されたことを告げる放送が流れていたが、長かった猛暑もようやく過ぎ去り急に涼しく秋めいてきた。
一難去ってまた一難という言葉どおり、次から次へと様々なトラブル、生活に関わる面倒事が続いた今年であったが、気がつけばもう10月、残すは今年も三か月である。
いや、思えば二年前の秋に父を喪ってからずっと慌ただしく混乱、混沌の面倒な事態が続き、のんびり落ち着ける日は一日もなかった。
何であれトラブルの対応に追われて、何をまずどうすべきかと頭痛めて気持ちまで混乱していた日々は、ようやく今はひとまず過ぎ去ったと思える。
これまでそうした事案に気持ちも時間も囚われて音楽を聴いたりライブに出向く余裕も全くなかったわけだが、やっと少しは時間もつくれるようになってきた。
残すは今年も三か月となったが、年内の我の予定する「企画」をやっとお知らせできる。
一つは、近くで開催されるフリーマーケットとフォークコンサートのイベントで、故あって我は深く関わることになってしまった。
★10月27日(日) 昭島市の旧フォスター電機の社員寮だった建物内でその企画が開催される。お近くの方はぜひ遊びに来てほしいしスタッフとしてもお暇な方はご協力お願いしたい。
※詳しくは後ほどチラシをアップします。
★そしてもう一つは、12月8日、谷保のかけこみ亭での『太田三造初CD作成支援コンサート』である。
哀しみと混乱の月は過ぎ去り、10月となった。
先月半ばまで、ほぼ毎朝、市の野外スピーカーから「熱中症警戒アラート」が発令されたことを告げる放送が流れていたが、長かった猛暑もようやく過ぎ去り急に涼しく秋めいてきた。
一難去ってまた一難という言葉どおり、次から次へと様々なトラブル、生活に関わる面倒事が続いた今年であったが、気がつけばもう10月、残すは今年も三か月である。
いや、思えば二年前の秋に父を喪ってからずっと慌ただしく混乱、混沌の面倒な事態が続き、のんびり落ち着ける日は一日もなかった。
何であれトラブルの対応に追われて、何をまずどうすべきかと頭痛めて気持ちまで混乱していた日々は、ようやく今はひとまず過ぎ去ったと思える。
これまでそうした事案に気持ちも時間も囚われて音楽を聴いたりライブに出向く余裕も全くなかったわけだが、やっと少しは時間もつくれるようになってきた。
残すは今年も三か月となったが、年内の我の予定する「企画」をやっとお知らせできる。
一つは、近くで開催されるフリーマーケットとフォークコンサートのイベントで、故あって我は深く関わることになってしまった。
★10月27日(日) 昭島市の旧フォスター電機の社員寮だった建物内でその企画が開催される。お近くの方はぜひ遊びに来てほしいしスタッフとしてもお暇な方はご協力お願いしたい。
※詳しくは後ほどチラシをアップします。
★そしてもう一つは、12月8日、谷保のかけこみ亭での『太田三造初CD作成支援コンサート』である。
10月27日のフリーマーケット&フォークコンサート ― 2024年10月02日 11時47分34秒
太田三造コンサート12月8日@かけこみ亭 ― 2024年10月05日 12時53分06秒
10月27日、ご参加ご協力お願いします。 ― 2024年10月08日 20時34分07秒
★チラシ載せた10/27日のイベントについて
というわけでまた少しだけ、少しづつ人生が動き出した気がしている。
それはいいことだろう?
その人生が果たしてどれだけ残りがあるのか定かではないが、今はそれを危ぶみあれこれ悩み考えても仕方ない。ともかく日々まず目先のことと喫緊のことにきちんと向き合っていくだけだ。
昭島にフォスター電機という音響メーカーがある。オーディオマニアなら誰もがご存じの名門スピーカー、フォステックスの会社である。
その会社のかつての社員寮の建物が、今は空家になって久しく先だってそこの持ち主の方から、その社員寮の一階の食堂だったホールを使って何かイベントをやらないかというお話を受けた。例えばフリーマーケットとか。
※チラシにその建物の全体を載せたが、そのまま空家にしておくのはモッタイナイではないか。
いろいろ迷うところもあったが、これも奇縁であり、何かをやるための場が在るのは間違いなく善いことなのだから、まずはフリマを企画することにした。
ただ、その建物の中で、ただじっと客が来るのを待っていても仕方ない。
賑やかしのためにも音もの、つまりフォークコンサートのようなものも同時にやれば、人も集まりやすいのではないか、と考えた。
その大家さんから、承諾を得たので、先ずは第一回目として、『@昭島フリーマーケット&フォークコンサート』を今月の月末の日曜、10月27日に開催することにしたのだ。午前1時から午後5時頃まで。
ただ初回であり、フリマの出店も友人たちに呼びかけた程度でまだ一般からの反応は何もないし、コンサートのほうも参加・出演してくれるのは我の友人数人しか未だ決まっていない。
また何よりもスタッフは我の友人数人しかまだお願いできず、お客がどれぐらい来てくれるかの不安もあるが、実際の運営がうまくいくのかも甚だ不安でならない。
秋はあちこちで多々イベントもあり、絶好の行楽のシーズンなので皆さんお出かけなどでご多忙かと思うが、もし当日27日、お時間ある方は、ぜひぜひ冷やかしがてらご来場及び、もしお手すきの方は短時間でもお手伝いをお願いしたい。
入場・来場は無料だが、フリマ出店、コンサートで唄われる方は、各500円ほど参加費というより諸経費がかかるので頂けると有難い。
また当日は、地元産野菜の即売会も予定されている。果たしてどれぐらいの規模となり、人出もあるのか今はまったく予想もつかないが、せめて今後の開催に繋がるような出会いの場となればと心より願うしだい。
あらためてお願いします。どうか多くの方のご参加・ご協力とこの情報のカクサンを心よりお願いいたします。
※10月27日は、新首相の独断と変節で、奇しくも突然衆院選挙の投票日に重なってしまったが、こちらが先に決まってたのだから変えようもできない。皆さまどうか投票を早めに済ませてからのご来場お願いします。
というわけでまた少しだけ、少しづつ人生が動き出した気がしている。
それはいいことだろう?
その人生が果たしてどれだけ残りがあるのか定かではないが、今はそれを危ぶみあれこれ悩み考えても仕方ない。ともかく日々まず目先のことと喫緊のことにきちんと向き合っていくだけだ。
昭島にフォスター電機という音響メーカーがある。オーディオマニアなら誰もがご存じの名門スピーカー、フォステックスの会社である。
その会社のかつての社員寮の建物が、今は空家になって久しく先だってそこの持ち主の方から、その社員寮の一階の食堂だったホールを使って何かイベントをやらないかというお話を受けた。例えばフリーマーケットとか。
※チラシにその建物の全体を載せたが、そのまま空家にしておくのはモッタイナイではないか。
いろいろ迷うところもあったが、これも奇縁であり、何かをやるための場が在るのは間違いなく善いことなのだから、まずはフリマを企画することにした。
ただ、その建物の中で、ただじっと客が来るのを待っていても仕方ない。
賑やかしのためにも音もの、つまりフォークコンサートのようなものも同時にやれば、人も集まりやすいのではないか、と考えた。
その大家さんから、承諾を得たので、先ずは第一回目として、『@昭島フリーマーケット&フォークコンサート』を今月の月末の日曜、10月27日に開催することにしたのだ。午前1時から午後5時頃まで。
ただ初回であり、フリマの出店も友人たちに呼びかけた程度でまだ一般からの反応は何もないし、コンサートのほうも参加・出演してくれるのは我の友人数人しか未だ決まっていない。
また何よりもスタッフは我の友人数人しかまだお願いできず、お客がどれぐらい来てくれるかの不安もあるが、実際の運営がうまくいくのかも甚だ不安でならない。
秋はあちこちで多々イベントもあり、絶好の行楽のシーズンなので皆さんお出かけなどでご多忙かと思うが、もし当日27日、お時間ある方は、ぜひぜひ冷やかしがてらご来場及び、もしお手すきの方は短時間でもお手伝いをお願いしたい。
入場・来場は無料だが、フリマ出店、コンサートで唄われる方は、各500円ほど参加費というより諸経費がかかるので頂けると有難い。
また当日は、地元産野菜の即売会も予定されている。果たしてどれぐらいの規模となり、人出もあるのか今はまったく予想もつかないが、せめて今後の開催に繋がるような出会いの場となればと心より願うしだい。
あらためてお願いします。どうか多くの方のご参加・ご協力とこの情報のカクサンを心よりお願いいたします。
※10月27日は、新首相の独断と変節で、奇しくも突然衆院選挙の投票日に重なってしまったが、こちらが先に決まってたのだから変えようもできない。皆さまどうか投票を早めに済ませてからのご来場お願いします。
もう一度、ここから世界と繋がりたい ― 2024年10月15日 21時11分38秒
★もう誰もいないからこそ
この歳になると―つまり、70歳が指呼の間に見えてくると、しかも独身の一人暮らしの者となると、そろそろ人生の撤収へ舵を切らないとならない。
後を託す者がいないからこそ、唯一の親族である妹やその息子たちに我の死後できるだけ迷惑をかけないためにも、いわゆる断捨離とか、死に活に励み、後腐れなく死ぬための準備に取り組まねばならない。
が、今また、今さらだが、いくつか年内にイベントのようなものを新たに企画している。※まあ、これが最後の夢、妄動だと思えるが。
先にも告知したが、もう二週間足らずとなってしまったが、昭島でのフリーマーケットとフォークコンサートの催しがある。
12月には、かけこみ亭で、盟友太田三造さんのワンマンコンサートも企画している。ただ、それにはまだ時間があるので、先ずは今、目前に迫ってきた10月27日の昭島での、旧社宅寮の一階、空きホールを利用してのイベントについて書く。
先日、大家さんから鍵も受け渡してもらい、これからその会場となる、旧社員寮の食堂であったホールを掃除してライブ演奏とフリーマーケットのブースを設定するなどの準備に取り組まないとならない。
と、同時に地域の人たちが「お客」として来て頂けるよう、宣伝活動にも励まないとならない。
が、正直に書くが、スタッフが当日まで誰もいないのである。我一人で、ぜんぶ片づけて、駐車スペースの草刈りをして、会場内の設営しないとならなくなった。
当初、空いているスペースがあるから、そこを使って何か町おこしに繋がるようなイベントをやってみないか、と縁あってそこの持ち主の方からお話を頂いたときのこと。
正直なところ、最初は気が進まなかったし、何より私的雑事やトラブルに追われて身動き取れなかった。
が、ふと冷静に考えると、自由に使えて、人が集える場があるのはそれはとても善いことではないか、と思えてきた。うまくすればそこから様々な出会いや再会があり、新たな動きが始まるかもしれない。
ならばそのための「場所」をつくって、仕掛けるのは、もしかしたら我にとって使命、天命かもしれないと思えてきた。※トラブルもやや片づいてきたこともあったし。
で、地元の友人や個人的に親しいシンガー、友人知人にも相談して賛同を得た。
開催に向けてスタートしたのだが、当初からまず10月内を想定していたら、参加協力者のご都合もあり、その最終の日曜、27日に決めたら、突然石破新首相の身勝手な動機により、衆院選挙の投票日当日に重なってしまった。
そのため、選挙の手伝いとかもあるとのことで、スタッフがいなくなり、当日は来てくれる女友達とかはいるのだが、事前の下準備からお手伝いしてくれる方は現在皆無となってしまった。
また当日は参加してくれる方も、その後にそれぞれ用事もあるので、短時間の「お手伝い」となるようで、下準備から当日の運営・進行までおそらくほぼ我一人ですべてやらねばならないというのが、現在の状況だ。
※コンサートのほうは、当日の担当してくれる方がいるのは有難いことだ。
このブログとフェイスブックには、そのチラシをアップしたものの、他は忙しくてまだまったく宣伝活動はしていない。いったいSNSでどうやればカクサンできるのだろうか。疎い我は試行錯誤、いや思考錯誤している。切羽詰まれば、その会場近所の家々にチラシを撒くことも考えている。
当日は、地場野菜とか玄米の販売もあるし、ほんとうに我一人でいったい何ができるのか、どこまで対応できるのか考えたら一昨日は悪夢にうなされた。
しかし、もう船は港から出た。いまさら引き返すことはできないし、できればこの航海は、回を重ねて続けられたらと願う。
嗤われるだろうが、今さらだが、我はもう一度この世界と繋がりたいと願う。新たな出会いの場を、まず誰よりも自らが求めてのことだ。
もう我には誰もいない。だからこそ、もう一度新たな出会いを求めて。
どうかご協力、宣伝告知のほど、どうすれば良いのかアイディア、お知恵を貸してください。
★出品者・出演者も募集中です。
この歳になると―つまり、70歳が指呼の間に見えてくると、しかも独身の一人暮らしの者となると、そろそろ人生の撤収へ舵を切らないとならない。
後を託す者がいないからこそ、唯一の親族である妹やその息子たちに我の死後できるだけ迷惑をかけないためにも、いわゆる断捨離とか、死に活に励み、後腐れなく死ぬための準備に取り組まねばならない。
が、今また、今さらだが、いくつか年内にイベントのようなものを新たに企画している。※まあ、これが最後の夢、妄動だと思えるが。
先にも告知したが、もう二週間足らずとなってしまったが、昭島でのフリーマーケットとフォークコンサートの催しがある。
12月には、かけこみ亭で、盟友太田三造さんのワンマンコンサートも企画している。ただ、それにはまだ時間があるので、先ずは今、目前に迫ってきた10月27日の昭島での、旧社宅寮の一階、空きホールを利用してのイベントについて書く。
先日、大家さんから鍵も受け渡してもらい、これからその会場となる、旧社員寮の食堂であったホールを掃除してライブ演奏とフリーマーケットのブースを設定するなどの準備に取り組まないとならない。
と、同時に地域の人たちが「お客」として来て頂けるよう、宣伝活動にも励まないとならない。
が、正直に書くが、スタッフが当日まで誰もいないのである。我一人で、ぜんぶ片づけて、駐車スペースの草刈りをして、会場内の設営しないとならなくなった。
当初、空いているスペースがあるから、そこを使って何か町おこしに繋がるようなイベントをやってみないか、と縁あってそこの持ち主の方からお話を頂いたときのこと。
正直なところ、最初は気が進まなかったし、何より私的雑事やトラブルに追われて身動き取れなかった。
が、ふと冷静に考えると、自由に使えて、人が集える場があるのはそれはとても善いことではないか、と思えてきた。うまくすればそこから様々な出会いや再会があり、新たな動きが始まるかもしれない。
ならばそのための「場所」をつくって、仕掛けるのは、もしかしたら我にとって使命、天命かもしれないと思えてきた。※トラブルもやや片づいてきたこともあったし。
で、地元の友人や個人的に親しいシンガー、友人知人にも相談して賛同を得た。
開催に向けてスタートしたのだが、当初からまず10月内を想定していたら、参加協力者のご都合もあり、その最終の日曜、27日に決めたら、突然石破新首相の身勝手な動機により、衆院選挙の投票日当日に重なってしまった。
そのため、選挙の手伝いとかもあるとのことで、スタッフがいなくなり、当日は来てくれる女友達とかはいるのだが、事前の下準備からお手伝いしてくれる方は現在皆無となってしまった。
また当日は参加してくれる方も、その後にそれぞれ用事もあるので、短時間の「お手伝い」となるようで、下準備から当日の運営・進行までおそらくほぼ我一人ですべてやらねばならないというのが、現在の状況だ。
※コンサートのほうは、当日の担当してくれる方がいるのは有難いことだ。
このブログとフェイスブックには、そのチラシをアップしたものの、他は忙しくてまだまったく宣伝活動はしていない。いったいSNSでどうやればカクサンできるのだろうか。疎い我は試行錯誤、いや思考錯誤している。切羽詰まれば、その会場近所の家々にチラシを撒くことも考えている。
当日は、地場野菜とか玄米の販売もあるし、ほんとうに我一人でいったい何ができるのか、どこまで対応できるのか考えたら一昨日は悪夢にうなされた。
しかし、もう船は港から出た。いまさら引き返すことはできないし、できればこの航海は、回を重ねて続けられたらと願う。
嗤われるだろうが、今さらだが、我はもう一度この世界と繋がりたいと願う。新たな出会いの場を、まず誰よりも自らが求めてのことだ。
もう我には誰もいない。だからこそ、もう一度新たな出会いを求めて。
どうかご協力、宣伝告知のほど、どうすれば良いのかアイディア、お知恵を貸してください。
★出品者・出演者も募集中です。
「泣いた赤鬼」のような気持で ― 2024年10月23日 23時01分00秒
★一人で会場ホールの片づけを進めていく
27日の日曜、本番当日まで残すは三日となった。が、未だ会場設営以前の状態、つまり場の片づけ、掃除にただ追われている。
そして改めて思うのは、自分一人では何一つできないニンゲンが、たった一人でいったいどこまで何ができるのか、だ。
『泣いた赤鬼』という童話がある。おそらく誰もが一度は読んだことがあるだろう。
赤鬼は、人間と友達になりたくて、お茶とお菓子を用意して、人間が来るのを待っている。が、人間たちは赤鬼はとうぜん鬼だから、怖れて赤鬼のところへは誰も行かない。
哀しむ赤鬼を憐れんで友人の青鬼は、一計を案じ悪役を演じて赤鬼を引き立て結果として人間たちは、赤鬼のところへ通うようになる。が、青鬼は、赤鬼の前から姿を消してしまう。赤鬼はその友の自らを犠牲にした友愛に気がつき哀しみ深く泣いた、というお話だ。
一人で会場となる食堂ホールの床にモップかけしたり、折りたたみ椅子を雑巾で拭いたり、荒れ果て草ぼうぼうの駐車スペースの草むしりなどをしながら、ふとその童話を思い出した。
そもそも何で、鬼のくせに赤鬼は、人間たちと友達になろうなんて考えたのだろうか。鬼は鬼だけで、人間などと交わらわずに山奥で静かに隠れて暮らしていればよいはずなのに。
お茶とお菓子を用意して待ってます、と貼り紙したとしても鬼のところへは人はカンタンに足を運ぶはずがない。
が、友人青鬼の一計が功を奏して、人間とはやっと友達になれたものの、赤鬼は、大切な友を失ってしまったのである。
そしてまた思う。自分の今やってることは、その赤鬼の願いのようなものではないのか。しかも自分には彼を助けてくれる青鬼はいないのである。
いや、我にも少ないが数人はそうした友はいる。が、今回はそれぞれ諸般の事情で、助けにも手伝いにも誰も来てくれない。いや、忙しく来ることが出来ないのだ。それもまた仕方ない。結果として青鬼を失わずに済む。
そして気がついた。赤鬼は、なんで人間と友達になりたいなどと思ったのか。
彼は自らの世界を広げたい、外の世界と繋がりたいと願ったからだったのだと。その気持ちは今の自分は痛いほどわかる。
我もまたこの人間社会とは相容れない「鬼」のくせに、愚かにもまた外の世界とつながることを夢想してしまった。
ならば青鬼のいない赤鬼は、たった一人で場を拵えて「フリマとフォークソングのライブ」をやります、皆さん来てください、とお客の来るのを待つしかない。
27日の日曜、本番当日まで残すは三日となった。が、未だ会場設営以前の状態、つまり場の片づけ、掃除にただ追われている。
そして改めて思うのは、自分一人では何一つできないニンゲンが、たった一人でいったいどこまで何ができるのか、だ。
『泣いた赤鬼』という童話がある。おそらく誰もが一度は読んだことがあるだろう。
赤鬼は、人間と友達になりたくて、お茶とお菓子を用意して、人間が来るのを待っている。が、人間たちは赤鬼はとうぜん鬼だから、怖れて赤鬼のところへは誰も行かない。
哀しむ赤鬼を憐れんで友人の青鬼は、一計を案じ悪役を演じて赤鬼を引き立て結果として人間たちは、赤鬼のところへ通うようになる。が、青鬼は、赤鬼の前から姿を消してしまう。赤鬼はその友の自らを犠牲にした友愛に気がつき哀しみ深く泣いた、というお話だ。
一人で会場となる食堂ホールの床にモップかけしたり、折りたたみ椅子を雑巾で拭いたり、荒れ果て草ぼうぼうの駐車スペースの草むしりなどをしながら、ふとその童話を思い出した。
そもそも何で、鬼のくせに赤鬼は、人間たちと友達になろうなんて考えたのだろうか。鬼は鬼だけで、人間などと交わらわずに山奥で静かに隠れて暮らしていればよいはずなのに。
お茶とお菓子を用意して待ってます、と貼り紙したとしても鬼のところへは人はカンタンに足を運ぶはずがない。
が、友人青鬼の一計が功を奏して、人間とはやっと友達になれたものの、赤鬼は、大切な友を失ってしまったのである。
そしてまた思う。自分の今やってることは、その赤鬼の願いのようなものではないのか。しかも自分には彼を助けてくれる青鬼はいないのである。
いや、我にも少ないが数人はそうした友はいる。が、今回はそれぞれ諸般の事情で、助けにも手伝いにも誰も来てくれない。いや、忙しく来ることが出来ないのだ。それもまた仕方ない。結果として青鬼を失わずに済む。
そして気がついた。赤鬼は、なんで人間と友達になりたいなどと思ったのか。
彼は自らの世界を広げたい、外の世界と繋がりたいと願ったからだったのだと。その気持ちは今の自分は痛いほどわかる。
我もまたこの人間社会とは相容れない「鬼」のくせに、愚かにもまた外の世界とつながることを夢想してしまった。
ならば青鬼のいない赤鬼は、たった一人で場を拵えて「フリマとフォークソングのライブ」をやります、皆さん来てください、とお客の来るのを待つしかない。
僕だけしかいない街で ― 2024年10月24日 23時33分41秒
★今さらだが、もう一度、1から世界を作り直している。
『僕だけがいない街』という、傑作SFサスペンス漫画があるが、この一週間、たった一人で、27日のイベントの会場となる、広い食堂ホールや建物内、庭先などを掃除していると、僕だけしかいない街で、という気分になってくる。
その当日は、何人か我のごく親しい友人知人が、スタッフ要員として短時間でも来て手伝ってくれると思うが、会場設営までの下準備、掃除から宣伝まで実質ほぼ我一人でやらねばならない。
そしてつくづく思うのは、我には何もない、誰もいない、という現実認識であり、この地に幼少期から住み続けて中学まで学校もこの街だったのに、我には友とか仲間と言うべきか、この事態に際し誰も助けを請う人は皆無だという事実である。
改めてそのことに気がつきつくづく自分らしいと思えた。
今回のイベントは、幸いにして音響関係は、地元公園で長く野外音楽イベントを開催しているI氏が、担当・協力してくれるので、我は「フォーク」に関してはお任せでき肩の荷はその分軽くなり大変有難いことだが、実際のところ、他のことは全て、場所の掃除から設営、宣伝、当日の進行、会計、そして後片づけまでほぼ全ては我一人でやらねばならないのだ。
まあ、辛いとか大変だとか愚痴をこぼしたいわけではないし、我のようなどこでもいつでも嫌われ疎んぜられた者は、どんなに困窮した事態であろうと誰も助けてくれる人は昔からいないのだから、何を今さらである。
そのI氏から言われたことだが、下準備で疲れ果ててる我を見て、どんなに大変かもしれないが、自らが蒔いた種なんだからしっかり刈り取れ、と諭され、正直なところずっとう~む。そうなのか!?と自問している。・
そもそも種をまいたという気は毛頭ないし、行きがかり上、常に愚かで何も深く考えない我は、そうした空きスペースを使えて、何かできるのは誰にとっても善いことだと安易に思い、持ち込まれた話を安易に快諾して今に至ってるだけなのだ。
そして刈り取るも何も、まだ種は芽も出ていないわけで、それを自己責任ということで求められても今は何とも返答もできない。
ただ、何であれ一回こっきりで終わらせる気はないし、やるからには、何から何まで一人でタイヘンだとしても、せめて一年は続けたいと考えている。むろんそのイベントのスタッフ、関係者の多寡よりも、参加者の数と反応のほうが重要なわけで、いくらお茶お菓子をたくさん用意したとしても誰も来てくれなければ、イベントは失敗というだけのことだ。
つまるところ撒いた種は芽を出さずにその地に埋もれたということだが、それもまたまったくの無意味だとは我は考えない。
選挙も同様に、当選することや当選圏に肉薄することだけが価値や意味があるわけではない。
どんな「泡沫候補」であろうと、その人を見てくれている人、一票を入れてくれる人は必ずいる。ならば我もまた、きっと誰かが来てくれると信じて、このブログもだが、見てくれている人がどこかに必ずいると願い信じてやっていくだけだ。
誰よりも拙い我だが、今さらながら我のこの小さな世界を新たに作り直したいと考えている。
『僕だけがいない街』という、傑作SFサスペンス漫画があるが、この一週間、たった一人で、27日のイベントの会場となる、広い食堂ホールや建物内、庭先などを掃除していると、僕だけしかいない街で、という気分になってくる。
その当日は、何人か我のごく親しい友人知人が、スタッフ要員として短時間でも来て手伝ってくれると思うが、会場設営までの下準備、掃除から宣伝まで実質ほぼ我一人でやらねばならない。
そしてつくづく思うのは、我には何もない、誰もいない、という現実認識であり、この地に幼少期から住み続けて中学まで学校もこの街だったのに、我には友とか仲間と言うべきか、この事態に際し誰も助けを請う人は皆無だという事実である。
改めてそのことに気がつきつくづく自分らしいと思えた。
今回のイベントは、幸いにして音響関係は、地元公園で長く野外音楽イベントを開催しているI氏が、担当・協力してくれるので、我は「フォーク」に関してはお任せでき肩の荷はその分軽くなり大変有難いことだが、実際のところ、他のことは全て、場所の掃除から設営、宣伝、当日の進行、会計、そして後片づけまでほぼ全ては我一人でやらねばならないのだ。
まあ、辛いとか大変だとか愚痴をこぼしたいわけではないし、我のようなどこでもいつでも嫌われ疎んぜられた者は、どんなに困窮した事態であろうと誰も助けてくれる人は昔からいないのだから、何を今さらである。
そのI氏から言われたことだが、下準備で疲れ果ててる我を見て、どんなに大変かもしれないが、自らが蒔いた種なんだからしっかり刈り取れ、と諭され、正直なところずっとう~む。そうなのか!?と自問している。・
そもそも種をまいたという気は毛頭ないし、行きがかり上、常に愚かで何も深く考えない我は、そうした空きスペースを使えて、何かできるのは誰にとっても善いことだと安易に思い、持ち込まれた話を安易に快諾して今に至ってるだけなのだ。
そして刈り取るも何も、まだ種は芽も出ていないわけで、それを自己責任ということで求められても今は何とも返答もできない。
ただ、何であれ一回こっきりで終わらせる気はないし、やるからには、何から何まで一人でタイヘンだとしても、せめて一年は続けたいと考えている。むろんそのイベントのスタッフ、関係者の多寡よりも、参加者の数と反応のほうが重要なわけで、いくらお茶お菓子をたくさん用意したとしても誰も来てくれなければ、イベントは失敗というだけのことだ。
つまるところ撒いた種は芽を出さずにその地に埋もれたということだが、それもまたまったくの無意味だとは我は考えない。
選挙も同様に、当選することや当選圏に肉薄することだけが価値や意味があるわけではない。
どんな「泡沫候補」であろうと、その人を見てくれている人、一票を入れてくれる人は必ずいる。ならば我もまた、きっと誰かが来てくれると信じて、このブログもだが、見てくれている人がどこかに必ずいると願い信じてやっていくだけだ。
誰よりも拙い我だが、今さらながら我のこの小さな世界を新たに作り直したいと考えている。
いよいよ明日、イベント当日だ。 ― 2024年10月26日 23時59分01秒
27日のイベント、無事終わりました!! ― 2024年10月28日 13時01分21秒
人生再起動後、初のイベントを終えて ― 2024年10月30日 23時45分52秒
★相変わらず労多くして益(儲け)無しのことだが・・・
10月27日のイベントのあと、翌日は、さほど疲れは出なかったのだが、じょじょにどっと疲労感がつよくなり、この数日は、朝昼兼の昼食後は、いつしか倒れ込むように夕方まで昼寝するという毎日。
夜も昼もひたすら眠ってようやく疲れはとれてきた。
終えていま思うことと、これからのことについて記す。
ともかく何とか無事に終えられて良かった、ということに尽きる。出品者も出演者も時間も何もかも足りない状況ではまあ健闘したのではないか、とオーナーとも確認し合った。
繰り返しになるけれど、時間も人手もないままに、当日が来てしまい、その前の数日間は不安と心配で眠っても悪夢にうなされていた。
ほんとうは、もう少し後に日時を伸ばしたかった。が、諸事情から10月末の日曜ということになってしまい、実質、当日まで一か月も準備期間がないところからのスタートだった。
電気が点いたのが、やっとその週の月曜で、水道は火曜日からだったのだ。
おまけに石破変節新首相の独断で、急遽、総選挙は前倒しになってしまいその投票日とも重なり、音響の担当の方は、何回かセッティングに来てくれて設営は助かったものの、後は、ほぼ我一人ですべてのこと、会場の掃除・片づけから建物の外の草むしり、宣伝告知のチラシ作成と配布、出品者などの手配までやらざる得なかった。
そして改めて思ったのは、自分には何もない、誰もいないという無力感と無能さ、そして孤独感であった。まあ、それを再確認できたの良いことだったが。
前日の土曜も、中野坂上の学生時代の女友達の家に出向いて、近く引越しするので不用品の雑貨類を、リュックと袋三つ、持てるだけ頂いて、何とかフリマの出品するものは集まった。
その夜も夜の11時過ぎまで、自らの出品する、ますだあーと書店の文庫本などを平箱に6箱詰めて並べたりして、戻ってブログアップしてから寝たのは午前3時頃だったか。
10月27日のイベントのあと、翌日は、さほど疲れは出なかったのだが、じょじょにどっと疲労感がつよくなり、この数日は、朝昼兼の昼食後は、いつしか倒れ込むように夕方まで昼寝するという毎日。
夜も昼もひたすら眠ってようやく疲れはとれてきた。
終えていま思うことと、これからのことについて記す。
ともかく何とか無事に終えられて良かった、ということに尽きる。出品者も出演者も時間も何もかも足りない状況ではまあ健闘したのではないか、とオーナーとも確認し合った。
繰り返しになるけれど、時間も人手もないままに、当日が来てしまい、その前の数日間は不安と心配で眠っても悪夢にうなされていた。
ほんとうは、もう少し後に日時を伸ばしたかった。が、諸事情から10月末の日曜ということになってしまい、実質、当日まで一か月も準備期間がないところからのスタートだった。
電気が点いたのが、やっとその週の月曜で、水道は火曜日からだったのだ。
おまけに石破変節新首相の独断で、急遽、総選挙は前倒しになってしまいその投票日とも重なり、音響の担当の方は、何回かセッティングに来てくれて設営は助かったものの、後は、ほぼ我一人ですべてのこと、会場の掃除・片づけから建物の外の草むしり、宣伝告知のチラシ作成と配布、出品者などの手配までやらざる得なかった。
そして改めて思ったのは、自分には何もない、誰もいないという無力感と無能さ、そして孤独感であった。まあ、それを再確認できたの良いことだったが。
前日の土曜も、中野坂上の学生時代の女友達の家に出向いて、近く引越しするので不用品の雑貨類を、リュックと袋三つ、持てるだけ頂いて、何とかフリマの出品するものは集まった。
その夜も夜の11時過ぎまで、自らの出品する、ますだあーと書店の文庫本などを平箱に6箱詰めて並べたりして、戻ってブログアップしてから寝たのは午前3時頃だったか。
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